ハーシェル関連資料
William Herschel の製作せる天文器械の研究


※本稿は雑誌「天界」第77号(昭和2年8月号)に掲載された標記の記事を転載したものです。原則として原表記を尊重しましたが、読みやすさを考 えて、漢字・仮名は、新字体・現代仮名遣いとしました。また、句読点を適宜補ったほか、「二十呎」を「20フィート」とするなど数値表記の一部も改めました。なお、〔 〕内は転載者 (=HP管理人)による注記です。


王立天文学会々員  W・H・スチブンソン
浅野俊雄 抄訳

 本文は"Transactions of the Optical Society" Vol.XXVI. No.4 (Sir William Herschel Number) の抄訳である。尚標題「William Herschel の製作せる天文器械の研究」は原文に無きもので、同書の抄文を本誌に掲載する体裁上訳者の適宜附せるものであることを御断りする。

 惟〔おも〕うに William Herschel は自学刻苦、素人にしてよく専門家の塁を摩し一世の大家となった。吾人同好の士、また傍道より入りて斯学を究めんとするもの、誰か先生を偲びて感激なき者があろう。訳者は同書を一読するに及んで一入〔ひとしお〕その情を深くし、此の興味尽きざる論文を一人私するに及びず茲〔ここ〕に是を抄訳して諸氏と共に遠く此の偉大なる天文学者を回想せんとするもの、ただ訳者の菲才なる、訳文の生硬にして拙劣、その誤を伝えて此の欣びを傷つくることの多きを恐れる次第である。(浅野俊雄抄訳)

緒  論

 Sir William Herschel が実地光学の大家として、殆ど天文学上に於けると同等の名声を受くべき筈であるのに拘らず、その光学家としての令名は或程度まで天文学者としての絶大なる名声に圧倒されて蔽われてしまっている感がある。無論、反射望遠鏡の発達とその通俗化に於て彼の演じた役割は単に歴史的と云ってしまう可きものであったかも知れないが、兎に角も彼は彼以前の何人よりも更に大なる反射鏡の製作に成功し、遂に1789年の初には今日すら大器械と称し得るが如き大望遠鏡を製作し、而して彼自ら是等の力によって成し遂げた観測結果の効果ありし事等を凡て如実に示している事は十分に明白な事である。然しながらここに彼の製作した光学器械を専門的に一層詳しく調査すること(例えば彼が反射鏡を擂り且つ磨くために用いた方法、彼が鏡に与え得た鏡形の性質、接眼鏡及び測微器〔マイクロメーター〕の精確な光学的並に機械的の構造等の如き)になると 、之は今日までの如何なる出版物からも多くの明確な知識を得ることは決して容易ならぬ事なのである。これは実際それらの詳細を発表することが彼に直接利害関係のあった限り、或程度まで Herschel が沈黙を守ったのに因ることは疑ないのである。唯吾々は是等が彼にとって商売上の秘密ともいうべき性質のものであった事を記憶し、実際に彼が其の秘密を独占し、生活の主要な手段として敢て其の技術を世界から喪失せしめんとしたのを不本意として彼を非難することは出来ない。否々、彼は明かに彼の死と共に其の経験をこの世から消滅せしめ様とは思わなかったのである。即ち彼は原稿帳の形式によって、種々の製法、実験及び40年間の反射鏡製作術の経験の結果を総括した完全な論文を記載した4冊のノートを遺して鬼籍に入ったのであって、此の貴重な原稿帳は今日、彼の遺した純然たる星学上の諸記録と共に王立天文学会の秘蔵する所である。他日これらの諸記録を出版する為に何等かの方法を講ずるのは至極望ましいことであるが、先ずその間に同学会評議会に諮り、その中の特に興味あるものを調査することは確に可能なことであろう。

 然しながら光学家としての Herschel の手腕を推測するに、より確実な方法は彼が製作した実物に就て調査するに如くはない。然るに未だ嘗て斯の如き調査が秩序的な方法で行われなかったという事は一層注目すべきことである。その理由は此の様な調査の機会がなかったに因るのではない。何故ならば Herschel は無数の反射鏡を製作して販売し、その製作品は欧州到る所に到達しているからである。無論今日では多くはその行衛〔ゆくえ〕を尋ぬるに術もないが、一方では事実完全に残在しているのも多く、それらの所在すらも知られているのを少しとしない。恐らく其の中には精密な試験が施されたものもあろうが、不幸吾々は其の性質に就て明確な断定を下しめ得るが如き何等かの報告の発表されたのを未だ知らないのである。されば須〔すべか〕らくこれらの旧い器械に接近し得る人々は、その試験を行い、結果を王立天文学会に報告さるべきである。さすれば吾人は必ずや最も歴史的興味あり価値ある知識を獲得し得るであろう。

 斯の様な望は余りに大に過るかも知れないが、少くとも Herschel の製作した望遠鏡の現存するものの総数調査表ともいうべきものを編纂する位の事はなし置くべきであろう。さもなければ今日遺っているものまでも既に150年間に多くのものが失われた如く1個1個と次第に喪失することを憂慮しなければならない。私が恰好な端緒を開く為に努力したのもまた此の問題にある。私は Herschel 家の厚意に依り此の事業を始めるに最も望ましいとする出発点を得た。即ち此の大天文家の永眠した当時彼が所有していた諸器械を提供せられたのである。是等の器械は昔時 Herschel がその業績の大部分をなし、又現在猶彼の孫娘が二人居住しているスロー〔スラウ〕のその旧い家に依然として保存されているのである。其の家で私は1924年の夏、彼の遺品を検査し、同時に其の数約150個に及ぶ種々な器械の叙述的目録を編纂するの特典を附与せられたのであった。

 今これから私がその純然たる光学的性質のものに就て簡単な報告をするのは興味あることであろうと思う。それらは既に記せる如く(1)有名な40フィート望遠鏡の反射鏡(2)20フィート望遠鏡の反射鏡(3)多数の小反射鏡(4)種々な大きさの平面鏡(5)真鍮製及び大製マウントの接眼鏡及び(6)完全に組立てた7フィート望遠鏡である。

1.40フィート望遠鏡の反射鏡

 厳格に言えば此の最も興味ある遺品は、より正確に此の40フィート望遠鏡の反射鏡の中のただ1個現存せるものであると書かる可きであろう。其の理由は元は直径48インチ焦点距離40フィートの鏡が2個あったからである。最初の鏡は1785年に鋳造されたが厚さが余りに薄かった(約2と1/8インチであった)が為に 、望遠鏡の筒に取附けたとき完全な鏡形を保つことが出来なかった。然しこの第一の鏡は1789年に之より厚い第2の鏡が完成されるまでは使用されていた。其の後は全然とは云えないかも知れないが殆ど使用されなかった様子である。所で大変に奇怪な事には最近此の薄い鏡が1860年代には存在していたのに拘らず、現在は何所に在るのかその所在が知れない事である。此の鏡が破壊されたというのは事実でないらしく、恐らくこのスローの天文台の庭園の何所かへ其のまま埋め込むか又は地中で煉瓦で塞ぎ込んでしまったものと考えられる。

 それ故に現在保存されているのは第2に鋳造された良い方の鏡である。厚さは3と1/2インチ重量は約19cwts〔ハンドレットウェイト〕あり、元の侭〔まま〕の鋳鉄製の環状のセルに嵌め 、天文台の表広間の壁に立て掛け、石壁へ打ち込んだ頑丈な梁で下より之を支え、又天井の迫持〔せりもち、アーチのこと〕から下げた鉄鉤をセルに引掛け鏡が前方で倒れるのを防がれてある。鏡の背面はよく見るを得ないが鏡の各部の 厚さを大体同じにする為少しく凸状に作られてある様に思われる。これは多分鏡面の彎曲を防ぎ温度変化の影響を減ずる積りで斯くなされたものであろう。

 反射面は1809年に磨いて以来何等十分な保護をせず大気に曝されたままであった為に非常に悪くなっている。実際は表面の変色は極く僅かで、その表面の冴えないのは主により大なる他の原因、即ち微小な点蝕が全面に拡がっているのに拠るのである。尚其の上に明るい光線で見るときにのみ不思議な規則的の斑点を認める。それは恰も窓硝子に霜を結んだときか又は新しい亜鉛引鉄板の斑点に類似するもので 、之は明かに鏡を構成する合金に及ぼせる大気の化学作用に基くものである。斯の様な欠点あるにも拘らず未だ幾分の光沢は有り、相当な明るさの物体は極めて明瞭に反射された。鏡形に就ては勿論この様な制限された場所では如何なる試験も施し得ないが 、而しよし如何なる状態で試験するにしても現在の磨きでは満足に行い得るか否か恐らく疑問であろう。

  Herschel が好んで20フィート或は之より小なる望遠鏡を使用し、此の40フィート大望遠鏡を以ては余り重要な仕事をしなかった事はよく知られている。此の事実は吾人をして此の大反射鏡の鮮明力が劣等なものであったのだろうという想像をなさしめるが 、然し此の鏡で土星の極めて小なる衛星が此の光度の強い惑星の直ぐ縁に接近するまで認め得たという事実(而も尚鏡が歪みによって astigmatism 〔非点収差〕を生ぜるに拘らず)からすれば、吾人はこの暗示は誤であったと結論しなければならない。如何なる天文家でも不安定な夜、大口径の望遠鏡で微弱な衛星を観せんとするとき良好な definition 〔解像力〕なくして単なる集光力のみでは此の種の天体を啓示するに独り十分でないという事は能く知る所である。 Herschel が好んで中口径の器械を使用したという事は確に其の取扱の極めて容易であり、視野の広く、鏡の曇った時に迅速に磨き直し得るという事等に因ったものの様である。此の望遠鏡の余りに大きいのに興味惹かれスローの此の大天文家の家に非常に多くの人々が押掛け、それが為に彼等にとって天空の単なる見世物を実地説明するのみに多くの貴重な時間を空費したに相違ない点からしても 、吾々にすら此の巨大な器械は其の製作者 Herschel にとって多少厄介物であったものと推測し得る。Caroline Herschel 嬢がこの参観者の氏名を(又彼女が人々の死後記憶していたものを多数に)記録せるものが猶保存されてあるが、それは一覧するに吾々は如何にして彼女の兄が彼のより重要な事業をなすための十分な時間を得ていたかということに不思議を抱かしめられるのである。而も確に彼は斯の如き状態の下に猶且つ痛ましくも彼の名だたる忍耐と鄭重とに努めたに相違ない。彼は屡〔しばしば〕斯の様な怪物にも等しい望遠鏡を造らねばよかったと思い迷ったであろう。


2.20フィート望遠鏡の反射鏡

 此の反射鏡の望遠鏡は Herschel が最も多くの重要な業績を残したものの一つである。矢張り40フィート望遠鏡の如く、もと2個の反射鏡を有していて、一を磨いている間は他の一を用いるという様に交代に使用された。其の一個は喜望峰の王立天文台に在り、他の一個はオックスフォードのドクリツフ天文台〔ママ。ラドクリフ天文台?〕に在る。双方とも Sir William 一人の手で製作されたものである。然し彼が永眠する二三年前に彼の子息と協力して作った第三の鏡があって、之が今はスローに保存されているものである。此の鏡は前記二個と同様に、直径18.7インチの整形面と約1.5インチの厚さを有している。錫の弛いカバーで保護し四角形の木箱に入れられてあり、表面の状態は極めて良好である。然も最近1837年に磨かれたのみで、他の2個と共に Sir J. F. W. Herschel が喜望峰で使用していたのである。現在の鏡形は全然当時の氏の磨きに基くものであることを記憶されたい。

 1924年5月14日夜、此の鏡を曲率の中心で Foucault〔フーコー〕の方法により試験を行った。温度は絶えず徐々に下降しつつあり condition は鏡を実地調査する間大体に等しいものであった。knife-edge の試験では全面は非常に平坦で何等の ring 其の他の異常を見ないのであった。然し最初一見したところでは著しく過修正であるのが明瞭であった。比較的大きい此の鏡の焦点比1:13.3に於ては球面からの外れは殆ど判らないものであるのに、実際は焦点比のずっと小さく正しく修正された鏡に見るが如き顕著なる影を現わしたのであった。故に鏡形は明らかに非常な双曲線で、これはまた帯試験による数量的方法によっても確証し得たのである。2個の選択せる帯の r2/R の値の理論上の差違は第3の帯を零として、夫々0.077インチと0.124インチであって実際には6回測定の平均値として0.919インチ及び1.292インチを得た。勿論この様に大なる過修正では精密なる像を作るのは不可能なことであるが、然し焦点比の大なること及び此の20フィート望遠鏡は主に低倍率で星雲星団の発見と調査に使用されたことを考えれば、斯の様に真の放物線から著しく外れていることも大して重大なことでもない。此の20フィートが最初作られたときは平面鏡が用いられた。即ち Newton 式として組立てられたが Herschel は間もなく、より一層の明るさを得んがためにその小鏡を取除いてしまった。そして小口径望遠鏡の中で之のみ所謂 Herschel 式が採用され再び他の式には作り直されなかった。40フィートには独り最初から前方から覗く Herschel 式が用いられたのである。

3.小口径反射鏡

 小口径の反射鏡は12個あり、大部分はぴったりと合う蓋付の金属箱に入れられてある。次の第1表はその主要な明細を示すものである。

                      第1表

  目録中の
符号
鏡 材
 
構 造
 
整形面の直径
インチ
焦点距離
上段 フィート
下段 インチ
(A) 金属 Gregory式  9.0   5
      2.5
(B) 金属 Gregory式 7.05  6
      3.5
(C) 金属 Gregory式 5.9 2
       9 
(D) 硝子 Newton式 6.5  7
     1.75
(E) 硝子 Newton式 8.6   10
       3
(F) 硝子 Newton式  6.48 7
     3.25
(G) 金属 Newton式  5.0  1
     6±
(H) 金属 Gregory式 3.0

 

(J) 金属 Newton式 8.8    10
       1
(K) 金属 Newton式   8.85  10
     3.25
(L) 硝子 Newton式   9.0      10±
 
(N) 金属 Newton式    8.8 10
       0

 上の一覧表に4個の Gregory 式用の反射鏡の含まれているのは注目すべき事であって、之に拠って Herschel が殆んど中心孔の無い反射鏡を専用したことが判る。というのは実際に(B)、(C)、及び(H)は其の大体の外観からして、此の大天文学者の製作したものではない事は極めて確実らしいからである。但し一方に於て彼が無孔の反射鏡を専用したという事は明かに(A)に適合しないが、此の(A)は Herschel が“five-foot sweeper”と称した鏡であって、必要に応じて Gregory 式として使用する為に中心孔を作って鋳たことを彼は特に記録している。他の反射鏡は(G)を除き得るものとして確に Herschel の所作であって、之れは各々の特殊な箇所を除けば皆彼が其の反射鏡の大部分に採用した二つの大きさ、即ち“7フィート”及び“10フィート”の何れかに従って作られてあることに依って明かに知られる。前者は常に直径約6.5インチの整形面を、後者は約8.8インチの其れを有している。

 此の鏡の中で最も興味の有るのは恐らく(D)、(E)、(F)、及び(L)であろう。それは Herschel に就て一般に認知されていないこと、即ち Herschel が望遠鏡の反射鏡を製作するに金属の代りに首尾よく硝子を用いて成功したという事実を明かに証拠立てている所にある。(D)及び(E)は裏面に暗黒色の「びろうど」を当てて真鍮製のセルに入れ太陽観測に用いられていた。(F)は Herschel が其の鏡材に就て“Tassis' compound, or white glass”と記した珍無類の注目す可き参考品である。それは普通にランプの笠を作る蛋白石硝子よりも稍〔やや〕濃厚な白色の硝子で磁器の様な外観を呈していて磨は優秀である。 Herschel は此の硝子に就て「実験の結果、これは普通の硝子の二倍の光量を反射する」と云っている。吾人は何を観測する為に此の鏡を作ったのか知らないが、彼が製作した光学上の記念品として大なる価値を有する唯一のものであると考える。(L)は未完成の鏡で、磨は縁の方へ行くに随て不完全である。僅に1/3インチの厚味しかなく、之れを立掛けるときは明瞭な像を得ることの出来ない位に強い湾曲の徴候を顕わす。之れは多分此の鏡が僅かに半ば完成したのみで操作を中止された理由であったのであろう。

 此の他の鏡、(A)、(J)、(K)、及び(N)は鏡金製である。第一の(A)は製作者の Herschel と彼の子息とで盛に使用され、其の後何等カバーで保護せず大気中に曝された侭であった為に著しく曇っている。之に反して(J)、(K)、及び(N)は其の状態極めて良好で 、之れ等は明かに一度も使用されずして、 Herschel が錫箱に入れて「はんだ」附けしたものである。而して多分彼が永眠した1822年に未だ未完成の侭であった10フィート望遠鏡に使用する積りであったものと思われる。斯くして1924年5月に其の箱を開くまで一世紀以上の間、大気に曝すことが避けられていた為に表面の磨は素晴しく美事な状態で、何れの鏡にも些の曇りの痕跡すら見出し得なかったのである。

 稍概略であるが、(G)、(H)、及び(L)を除き他は全部、1924年5月にスローの地下室で帯試験を行った。其の大部分は焦点比の大なる場合に屡見る如く過修正であった。其の中の一二個は knife-edge 試験のときに見た如く、満足な帯試験が行い得なかった程極めて球面に近いものであった。而して殆んど総ての鏡は二三の長焦点或は短焦点の狭い帯に冒されていた。これは恐らく Herschel が鏡面を放物線〔原文「抛物線」、以下同じ〕化するとき現代の研磨盤の trimming を行う方法を用いずして side-stroke の方法を用いたに由来するのであろう。

 概して鏡形は皆可なり良好な標準にまで達していると云い得るであろう。而して其の焦点比の大なることを考えれば実際使用に当っては十分に使用し得たであろう事は確かである。既に記した一の例外を除いては 、何れの鏡も端に立て掛けて何等彎曲の徴候を見なかった。1924年に行った試験は単に予備的性質の積りで行ったものであって、後日再び出来得べくんば、Hartmann の方法によって一層精密な試験の行われんことが望ましいのである。

4.平 面 鏡

 平面鏡はその数全部で30個ある。その直径、55インチより3.1インチに至るものである。大部分はぴったりと合う真鍮製のカバーを有しているので磨は良好な状態を保っている。是等は7フィート又は10フィート望遠鏡に使用する積りであった為に 、大概は夫々の短径を二つの標準の大きさ即ち1.1インチ或は1.5インチの何れかに合せて作ってある。而してその表面の精密な試験は未だ行わなかったのであるが、どれか1個を実地使用した状態の成績によって大体の見当はつくであろう。又殆んど全部の平面鏡は、その光学的表面の角のところは別として、中実の円筒状に鋳造してある。従って非常に重くはなっているが 、取附の方法を簡単にし且つ表面の歪を防ぎ得る。

5.接 眼 鏡

 接眼鏡は完全なものが48個あり、他に6個許〔ばか〕りのファインダーと測微器がある。此の中の若干は真鍮製マウント、他は木製であって、多分 Herschel の兄弟の Alexander が製作したものであろう。彼はスローで製作された望遠鏡の純機械部分を多く作った様である。そして当時使われた旋盤は完全に保存され現今猶使用し得る。

 接眼鏡の組立は非常に簡単なもので、一般に螺旋で嵌め合せた二つの部分から出来たその間に両凸の単レンズを1個入れてある。レンズは接合剤を用いるか又は他の方法で固着せず、多く適当な大きさの丸い凹みを作り、その中心に保持されてある。Herschel は人も知る如く非常に単レンズの接眼鏡を愛好した。そして(唯一の例外はあるが)彼の器械には一個として Huygens 型、Ramsden 型又は他のレンズを組合せた型のものはない。彼が実際に接眼鏡に用いたレンズを全部自分で作ったか否かという事は余り明白な事ではないが、少くとも其の中の若干はこれを見れば明なる如く 、当時の普通のレンズ商からは殆んど得ることの出来なかっただろうと思われる種類のものである。

 彼の7フィート望遠鏡の一つに1000倍から6000倍までの倍率を用いたという Herschel の主張は、或る種の論争の主眼点であったが、是は今迄多く信ぜられなかったのである。それ故に此の様な倍率を出し得た接眼鏡を実際に彼が持っていたか否かという事を知るのは特に興味あることの様である。まことにほんの僅かな探索によって丁度次の9個の接眼鏡を明かにし此の総ての疑問を解決するに十分であることを得た。此の接眼鏡の焦点距離と倍率(Herschel がその7フィート望遠鏡に用いた場合の)は慎重な測定をなした結果、次の第2表の如きものであることが判った。

               第2表

  目録中の符号 焦点距離
インチ
 倍率
  (D14) 0.064  1331
  (D19) 0.046  1852
  (D20) 0.038  2242
  (D21) 0.024  3550
  (D22) 0.023  3704
  (D23) 0.0225  3787
  (D24) 0.019  4484
  (D25) 0.0175  4868
  (D26) 0.0111  7676

  (D21)の単一なる球面であるのを例外として、他は皆完全な形の両凸レンズである。最も小さな二三のレンズは稍 Astigmatic 〔非点収差的〕であり、又或るものには表面失透の徴候がある。そして大抵は顕微焦点計に鋭い像を結んだので焦点距離は容易に測定することを得た。

 総ての接眼鏡は1924年6月、6インチの Wray 屈折望遠鏡を用いて実地に天体により試験した。而して(勿論像は朦朧且つ散乱せるが)恒星と惑星の像の認め得らるることが判った。(D26)を用いてすらその Astigmatism と過度の倍率(約10,000倍)に拘らず Vega では第一干渉環の部分を有する焦点内外円盤像を示し、又土星の大体の輪郭を顕わした。然るに視野は直径僅かに約20秒に過ぎなかったがために良好な時計仕掛運転〔クロックドライビング〕の助けなくしては其の像は殆んど検査することは無論、視野の中に保つことすらも出来ない程であった。しかもなお Herschel はその高倍率の観測に於いて手動微動装置の経緯台の外には何物をも有しなかったとは何たる驚嘆に値することであろう。

 吾人はその最小なるもの直径僅かに1/45インチに及ぶが如き細小なるレンズを作るに如何なる方法が用いられたかという事に就ては少しも知らない。現今の2ミリの油侵系対物レンズすら之れに比較すれば実に大きな不恰好なものとしか云えない。若し18世紀に作られた此の Herschel の最高度の接眼鏡と同一のものを作るべく要求されたとき今日の光学家がよく斯の如きレンズを取扱い得るか否かを知るのはまことに興味あることであろう。

6.7フィート望遠鏡

 此の7フィート望遠鏡は蒐集品中の唯一の完備せる器械である。現在は天文台の表広間に置かれてある。そして其の状態は極めて良好で完全に操縦し得られる。筒と据付台は共にマホガニー材を使用し、且つ筒は Herschel の総ての中口径望遠鏡のそれの様に八角形の断面をなしている。各部の構造は全部科学博物館にあるものと殆んど同一である。反射鏡と平面鏡には共に多くの曇りがあり、反射鏡にはカバーはあっても粗雑なもので鏡を密閉する 体のものではなく、平面鏡は何等カバーを有していなかった。此の二つの鏡の大部分の曇はレモン汁で除かれ元通りその反射力の有用な部分を取り戻し得たのである。

 此の直径6.2インチ、焦点距離7フィート2.75インチの主鏡は筒から取り外し Foucault 試験を施した。その結果、鏡面は美しく整一で何等 ring のある徴候を見なかった。各々の帯を測定して極く僅かな程度の負修正であることを暗示された。試験は一定温度の状態の下に行われた。それより再び反射鏡を筒に納め、天体によって実地に試験するため望遠鏡を屋外に搬出した。此の時接眼鏡は之れも Herschel 手製の両凸の単レンズ1個を装用したものを用い361倍の倍率を得たのである。偖〔さ〕て望遠鏡は何等観測をなさず屋外に放置さるること数時間、此の警戒を以てしても猶夜間のぐんぐん降下する気温の鏡に及ぼす影響は非常に著しいものであった。即ち一定温度の下では僅かではあるが明かに負修正を現わした鏡形が 、此の時は放物線を通り過ぎて僅かな過修正の状態に及んでいることが判った。然るに焦点の前後に於て拡大した星像の中には明確な干渉環を見ることが出来、同時に焦点星像では完全な修正からの些の外れをも指摘し得なかったのである。

 視野の周囲の部分に必然的に生ずる色と鮮明度の滅失(之等は接眼鏡の構造に原因する)はさて措き、此の望遠鏡の完全さは全く賛嘆すべきものである。勿論集光力は曇りの為に不十分であったが3インチ屈折鏡のそれにも劣らぬが如く、北極星の伴星は容易に見ることが出来、月の詳細も現今の之れと同一の鏡径を有する反射鏡或は屈折鏡で見ると同様に見事なものであった。金星及び木星も絶妙に判然之れを望むを得、又 Arcturus も干渉環を有する明証な円盤像を現わしたのであって、其の像の良好なることは現代の多くの反射鏡によって生ずるもの以上であった。

 Herschel の器械が彼の努力によって非常に進歩したものであったとはいえ、今日の標準から見れば良好なものとは考えられないだろうとは屡想像される所である。然し此の様な考えを持っている人が若し此の美事な7フィート小望遠鏡を一見したならば 、必ずや如何なる人でも斯くの如き考えを改める心になるであろうと思う。
 


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