ハーシェル随想


ウィリアム・ハーシェルと哲学 ―創立1周年記念大会の講演より―

石田 五郎

  10年ほど前に、今は休刊している中央公論社の「自然」に天文外史という続き物を1年連載しました。アリスタルコスから始まりピッカリングまでやりましたが、私自身が一番共感をおぼえ、機を入れて書いたのは2人あり、それはチコ・ブラエとウィリアム・ハーシェルでした。どちらもせっせと観測した人です。私も岡山で24年間観測をし、人並みはずれた生活でしたから、2人に共感したわけです。私が天文学を希望したのは不純な動機でした。旧制高校のときに読んだラプラスの伝記の中で、彼は貧しい百姓の出で自らの青春時代を語らなかった、といいます。ところが後に偉くなって、旧王制時代、革命時代、それ以後の王政復古の時代で、決して没落することなく栄光の一生を終えたというところに興味があり、当時読みふけっていたアナトールフランス流の小説でも書こうと思い、大学入試のあと、亡くなられた畑中武夫さんに面接されたとき、なぜ天文学を志願したかと聞かれ、私はラプラスの伝記を書きたいと答えたら、それは理学部ではな文学部だと、と笑われたことがあります。こんな具合に天文学者の伝記に非常に興味をもってます。あと何年生きるかわかりませんが10年として、したいことがいくつかあります。ひとつはチコ・ブラエの芝居を書きたい ― 非常に劇的な人間で若いころドイツに行き、クリスマスの前夜ごろ決闘しています。ある数学上の問題で貴族と意見が合わずに決闘してます。しかし腕が悪く相手の剣で鼻をそがれ、金か銀かあるいは銅の合金で練り合わせて代わりの鼻を作った、という有名な話があります。それから新星の発見という業績もあります。王様の知遇を得て、ビーン島というデンマークとスエーデンの国境にある島で豪奢な生活をしたことは、私どもにいわせれば羨望の的です。ところが王が代わると急に年金が絶たれ、プラハに逃げ、そこでケプラーに出会うという劇的な生涯でした。いつか芝居にして、歌舞伎座で募集している新作の戯曲に5年ぐらいしたら当選し300万円の賞金を元手に別の戯曲を書く、という大それた考えをもっています。しかしウィリアム・ハーシェルは天王星の発見以外に芝居にするタネが少ないのです。彼は快活な人間で、貧乏をしながらも人生に対して前向きで、落ち目がない。やることなすことみな成功している。これもいずれ芝居にしたいのですが、ハーシェルの資料はあまり日本にありません。有名なのは2冊本のScientific Papersで、幸いにも東大の天文学教室に残ってます。これは私が学生時代に梱包して疎開し、今は戻ってきているものです。青春時代を想い出すなつかしい本です。同じ物がもう一つ神戸の海洋気象台にあります。この気象台は天文学者の宝庫 ― というのは昔の東京天文台長関口さんが海洋気象台のできるときに呼ばれ、金に糸目をつけずに集めた多くの本があるからです。例えばティスランの天体力学の4冊本とかアンドワイエなどズラッと並んでいます。今はもう気象屋さんもだれも使わず木のガラスの棚の中に保存され、私どもが行くとよだれが垂れそうです。ここにあるハーシェルの全集の最初に30ページほどの伝記があり、もうひとつシュツットガルトで出たバットマンという人のドイツ語の伝記もあります。これらが比較的くわしいのでそれを読んで、30枚ほどの原稿を書きましたが、今でも気になることがあります。その一つ ― ウィリアムのお父さんはハノーバーの軍楽隊のオーボエ奏者でしたが、インテリの家庭であり、会話の中にいつもライプニッツが話題に出たそうです。彼は須川さんも話されたとおり、優れた哲学者で数学者でもありましたが、ハノーバーが第2の故郷であると伺い、自分の国の優れた偉人として噂話に出たことが理解できました。

 もうひとりハーシェルにゆかりのあるのがロックというイギリスの哲学者です。ウィリアムは19才のとき兄ヤコブと共にイギリスに渡り、英会話を始めましたが、彼は非常に会話に上達し、最初に教科書代わりに読んだのが、母親から渡されたロックの著書であります。彼はそれを読んで感動し、生涯の愛読書であった、とバットマンの本に出ております。ジョン・ロックは少し前の世代、つまりチャールズ2世、クロムウェルの革命、そしてチャールズ2世の王政復古にときで、天文学者でいうとニュートン、フラムスチード、ハレーの時代です。ニュートンとも親交があり、往復書簡も残ってます。ロックは年号でいうと1632年から1704年、ハーシェルは1738年から1822年であります。ジョン・ロックは哲学の方では古典的な認識論である経験論の開祖であり、そのあとに、バークレイ、ヒュームという3人の哲学者がイギリスの古典的経験主義を確立するわけであります。一番の主張は人間知性論、英語ではEssay Concerning Human Understanding で、岩波文庫の4冊本です。 とてもむずかしく、何回かとっかかりましたが、1冊のこのくらいでやめてしまい、今5回目くらいのトライをしています。われわれ人間の知性が何からくるかというと観念ですね。われわれが受ける観念で知性ができる、つまり人間の頭は本来まっ白で、いろいろな経験を経て観念が形成される。それがさらに組み合わさって判断、審美力などの高級な能力ができる ― 人生経験の中で得られた経験が積み上って人間の知性ができ上る、そういうのがロックの思想であります。こういうものにウィリアム・ハーシェルが20才のころに共感を持ったことがおもしろいと思います。彼の愛読書として有名なのはエマーソンの「三角法」、ファガソンの「天文学入門」、スミスの「光学論」などであり、いずれも読みふけったのは1770年、バースのオクタゴン教会でオルガンを弾きながら天文観測に励んだころです。特に「天文学入門」は、ニュートン力学に基礎をおき天文学を理解するにはどうすればいいかという本であり、ファガソンはジョージ3世付きの天文学者で、例のキュー天文台で観測した人です。それ以前にロックにほれこんだことも興味深いと思います。1761年、彼が23才のときスコットランドに旅行し、エディンバラに行きましたが、そのまえにニューカスル ― 私どもに思い出深いのは、岡山の望遠鏡を作った所がこのニューカスル・アポン・タインです ― 、ここで彼は演奏会をやりました。そのあとエディンバラで名士デビット・ヒュームと1761年2月に知り合います。ヒュームは快活なこの青年が気に入り、彼の演奏会の世話とか、晩さん会に呼んだりして長く付き合ったのです。これがロック、バークレイ、ヒュームと続くイギリスの経験主義の完成者であります。ヒュームの哲学は簡単にいえば、人間の持っている印象、つまり五感が刺激を受けた印象が組み合わさって観念を作り、観念が組み合わさって知性を作るということであります。

 そういった人間の知性のあり方をハーシェルは若いときからタタキ込まれたわけです。そういうものがいつも頭の中にあって天文学をやったのです。

 私は、別にそれがどうなった、ということを研究していませんが、皆さん方もこれからハーシェルの天文学的研究あるいはその他の研究をすすめるとき、その根底には、ジョン・ロックの哲学があったことをお考えいただき、それが彼の人生観・宇宙観にどう反映するか、お調べになったらおもしろいということを、ひとこと申し上げたいと思い、この席をお借りしたわけです。私もこれから研究して何かの成果があれば発表します。ここでは、ジョン・ロックがウィリアム・ハーシェルの青春時代にある引っかかりを与えたことをご指摘申し上げたいと思います。

(文責 事務局)
日本ハーシェル協会ニューズレター第12号より転載


デジタルアーカイブのトップにもどる

日本ハーシェル協会ホームページ