レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ

Ralph Vaughan‐Williams(1872-1958)

 いまでこそ、ヴォーン=ウィリアムズというとイギリス音楽を代表する作曲家として認識されるようになってきたが、一昔前の日本では、彼も無名の作曲家の一人だった。それでも、ホルストやブリテンを除く他のイギリスの作曲家たちに比べると認知度は高い方で、RCA(現在のBMG)からプレヴィン/LSOによる「南極交響曲」などのLPが数枚発売されていた。私がイギリス音楽に興味を抱くようになったきっかけが、実はこのプレヴィン盤「南極交響曲」だった。ヴォーン=ウィリアムズの魅力は、何と言ってもその多彩な表現力である。「しんみり」、「しっとり」とした繊細な曲調の作品もあれば、豪快かつ勇壮な音の饗宴もあるし、ユーモラスな音の遊戯を楽しむことができる作品もある。彼は多種多様な楽器等の組合せによって、非常にバラエティに富んだ曲作りを行っている。例えば、交響曲第8番のように楽章ごとに楽器の編成をかえることによって、それぞれの楽章に異なったイメージを与えることに成功している。また、「南極交響曲」でも、女声合唱とソプラノ独唱、オルガンを駆使し、リヒャルト・シュトラウスも「アルプス交響曲」で使用しているウィンドマシーンを取り入れることによって南極の幻想的かつ厳しい自然をうまいこと表現している。このような柔軟な発想に基づく曲作りが、彼の作品の人気を盛り上げる重要なポイントであり、日本でも徐々に人気が高まってきた秘訣は、実はここにあるのではないだろうか。

ヴォーン=ウィリアムズ・ディスコグラフィ(M.M所蔵のLP、CD等の一覧を掲載しています)


BBC Radio Classics
日本クラウン
CRCB-6060
海の交響曲(交響曲第1番)
サー・マルコム・サージェント/BBC交響楽団、BBC合唱団、BBCコーラル・ソサエティ、クライストチャーチ・ハーモニック合唱団、エライン・ブライトン(ソプラノ)、ジョン・キャメロン(バリトン)

 海を主題とするアメリカの詩人ホイットマンの4つの詩をテクストにした壮大な音の世界。
 この曲は、始まりからしてスケールが大きい。トランペットのファンファーレに続く合唱とオーケストラによる音の世界に最初から惹きつけられる。大きなうねりをもって広がる大海原を連想させる壮大な始まりに続き、旗を翻して外洋へと乗り出していく船と水夫たちの情景を描写した第1楽章は圧巻である。合唱好きにはこたえられない曲であろう。続く第2楽章は、たゆとうような音の流れの中で時々大きな盛り上がりを見せる。テンポの早い展開を見せる第3楽章は、歯切れの良いオーケストラと混声合唱が力強いコーダへと曲を導いていく。内省的なゆったりとした旋律から始まる第4楽章は、未知の海への探検へと前進していく船乗りたちの心を熱く歌い上げる壮大なクライマックスへと進み、やがて静かに音の絵巻の幕を閉じる。
 このとき、ガンによる死を2年後に控えたサー・マルコム・サージェントがこの壮大な音の絵巻を感動的に演奏している。サージェントはあくまで控えめでありながら、曲の核心を突いた感動的な演奏を得意とする指揮者であった。彼の残した録音は数少ないが、その中でもこの演奏は最高の演奏のひとつに数え上げられるだろう。

TELARC
CD-80138
ロンドン交響曲(交響曲第2番)、揚げひばり
アンドレ・プレヴィン/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 ビッグベンの鐘に始まり、ビッグベンの鐘に終わる、ロンドンのにぎやかな一日。
 ヴォーン=ウィリアムズがロンドンのイメージを音で表すとこんな風になるというのがこの曲である。朝もやの立ち込めるテムズ河とロンドンの街角の情景をあらわす静かな旋律に始まり、遠くからビッグベンの鐘の音が響き渡ると活気に満ち溢れたロンドンの一日が始まる。この曲の中には、市場の賑わい、行き交う人々の雑踏、裏街のさびしげな情景、陽気に踊る人々、スラムに漂う陰気、労働者と失業者の行進、絶望に打ちひしがれた浮浪者など、大都会ロンドンの様々な側面が描き出されている。この曲は哀愁に満ちた第2楽章も良いが、第4楽章の「飢餓の行進」からクライマックスへと続く部分が聴き所であろう。プレヴィンは派手にかき鳴らしたり、やたらテンポを速めたりすることなく、しっかりと地に足のついた演奏している。なお、このロンドン交響曲は、ヴォーン=ウィリアムズの友人で第1次世界大戦において若くして戦死したジョージ・バターワースに捧げられている。

EMI
CD-EMX 2192
田園交響曲(交響曲第3番)、交響曲第4番へ短調
ヴァーノン・ハンドレイ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

 穏やかな田園交響曲と激烈なインパクトで迫る交響曲第4番の対照的な組合せ。
 穏やかな時の流れを感じさせる田園交響曲は、そのタイトルにふさわしい牧歌的な作品である。第4楽章の抑揚を抑えた静かなオーケストラの伴奏にのって聞こえてくるソプラノによるヴォーカリーズは、特に浮世離れな印象を強くしている。ヴォーン=ウィリアムズはよくオーケストラ作品の中で、ヴォーカリーズによって幻想的な雰囲気を演出している。南極交響曲でもソプラノのソロと女声合唱によるヴォーカリーズが出てくるが、そこでは冷たい氷の世界のイメージが演出されているのに対し、田園交響曲は人を包み込んでくれるようなやさしさが感じられる。一方、交響曲第4番はこれとはまったく対極にある曲で、叩きつけるようなブラスによる強烈なフォルテで始まる第1楽章は、ものすごいインパクトがある。第4番は第2次世界大戦へ至る戦間期の慢性的な危機状況(恐らく第1次世界大戦のイメージもダブっているものと思われる)に対する不安を浮き彫りにしている。ハンドレイは、この激しい闘争と不安を見事に表現しており、恐らく同曲の演奏の中でも最高の出来ではないかと思う。第4番と性格的には良く似ている第6番(第2次世界大戦の印象を表現したと見られている)もハンドレイ盤の演奏がお勧めである。

EMI
CD-EMX 9512
交響曲第5番二調、フロス・キャンピ組曲
ヴァーノン・ハンドレイ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

 第2次世界大戦の戦火の中で初演された平和への賛歌、交響曲第5番。
 フロス・キャンピ組曲は、ピアニッシモで始まるヴィオラ独奏と混声合唱、小編成の管弦楽による作品(これはヴォーン=ウィリアムズによるラヴ・ソングだそうな)。遠くから響き渡るヴォーカリーズが神秘的な雰囲気をかもし出している。途中、田園交響曲や交響曲第5番で使われた節が登場し、これらの作品との連続性をうかがわせる。交響曲第5番は、1611年版の正統的聖書とジョン・バンヤンの「ピルグリムス・プログレス(清教徒は進む=天路歴程)」にある賛美歌からインスピレーションを得て作曲された作品で、各所で賛美歌の旋律が挿入されている(特に第3楽章は教会音楽のような雰囲気を持っている)。全曲を通して激しい起伏の変化が見られるわけではないが、所々で強く心に訴えかける旋律に遭遇する。戦争への不安が高まる1938年からドイツ空軍による空襲が続く1943年にかけて作曲されたこの曲は、1943年6月に作曲者自身の指揮でロンドン・フィルハーモニーのプロムナード・コンサートにおいて初演され、聴衆に大きな感動を与えたとされている。

BMG=ビクター
R25C-1047
南極交響曲(交響曲第7番)、交響曲第8番ニ短調
アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団、ヘザー・ハーパー(ソプラノ)、アンブロジアン・シンガース、サー・ラルフ・リチャードソン(朗読)

 スコット探検隊の南極での悲劇を描写した幻想的な中にもユーモアを盛り込んだ表題音楽。
 南極交響曲は、もとは映画「南極のスコット」の付随音楽として書かれた作品を再構成したものである。この「南極のスコット」という映画は、ノルウェーの探検家アムンゼンと南極点到達を競ったスコット大佐とイギリス探検隊が、南極点一番乗りの夢を果たせず、帰路南極の厳しい自然を前にしてあえなく全滅してしまった悲劇を描いたものである。悲劇を暗示するオーケストラの演奏と女声合唱によるヴォーカリーズが幻想的な雰囲気を醸し出す第1楽章。南極の海原に戯れる鯨やペンギンがヨチヨチ歩く姿が見られる情景をユーモラスに描いた第2楽章。スコット隊の行く手を阻み、人間の侵入をはねつけるかのような厳しい南極の自然をオーケストラの不気味な旋律とオルガンの咆哮によって表現した第3楽章。前半はおだやかで情緒的な旋律の中にやがて死へと至る隊員たちの運命を描写する第4楽章。勇ましい行進曲によって希望を持って進むスコット以下残されたわずかな隊員たちの南極の自然に対する最後の挑戦とそれに敗れて吹雪の中に消えていく彼らの姿を印象づける第5楽章。南極の情景とスコット隊の悲劇を描ききったヴォーン=ウィリアムズの世界をプレヴィンが見事に表現している。なお、プレヴィン盤は作曲者によって各楽章につけられた引用文の朗読を録音しているところが他の盤とは大きく違う。ヴォーン=ウィリアムズのファースト・チョイス盤として、お勧めの1枚である。

CHANDOS
CHAN 8828
交響曲第8番ニ短調、2つの賛美歌の旋律による前奏曲、グリーンスリーヴズ幻想曲、2つの弦楽オーケストラによるパルティータ
ブライデン・トムソン/ロンドン交響楽団

 各楽章ごとに性格が違う、ヴォーン=ウィリアムズの粋な演出が魅力。
 交響曲第8番は、楽章ごとに楽器編成を変えることによって、それぞれの楽章の性格の違いを浮き彫りにしている。第1楽章は、「ファンタジア」という表題を持つ異質な変奏形式の楽章で、さらに「主題のない変奏」という副題をつけている(後に「主題を探す7つの変奏」と付け加えている)。第2楽章は管楽器のみによって演奏されるスケルツォで、歯切れの良いウィットな旋律が面白い。第3楽章は弦楽のみで荘厳かつ情感豊かに演奏される。第4楽章はパーカッションをふんだんにとり入れたゴージャスな音の饗宴を聴かせてくれる。このような一風変わった音楽表現によって聴く者を楽しませてくれるところがヴォーン=ウィリアムズの魅力の最たるものだろう。プレヴィン盤もよいが、トムソン盤は堅実でありながら曲の面白さを引き出しており、カップリング曲もなかなかなので、こちらをお勧めとしたい。「2つの賛美歌の旋律による前奏曲」は、聴く機会の少ない曲だが、牧歌的であり、素朴で美しく心に憩いをもたらしてくれる秀作である。おなじみの「グリーンスリーヴズ幻想曲」もゆったりと音を響かせていてGood!「パルティータ」は、2つの弦楽オーケストラによって演奏されている割にはあまり音の厚みが感じられない作品で、どちらかというと線が細くおとなしい感じがする。ただ、所々に複雑な対位法的な旋律があらわれ、2群の弦楽合奏による演奏の効果がいかんなく発揮されている。

EMI
7243 5 65455 2 6
交響曲第6番ホ短調、交響曲第9番ホ短調
ヴァーノン・ハンドレイ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

 冷戦期の不安を表現し、晩年の心情を表現した2つのホ短調交響曲。
 交響曲第6番は、曲の性格としては交響曲第4番と似通っている。第1楽章冒頭の激しいオーケストラによるフォルテは、交響曲第4番と共通した不安、葛藤などを表現しているように思われる。ただ、この曲は第4番ほどストレートに「闘争」を音によって表現しているのではなく、より複雑な内面の心情を表現しているようである。交響曲第4番が最終楽章でも激しく起伏に富んだクライマックスへ至るのとは対照的に、この曲の終楽章は終始ピアニッシモで進行し、注意していないといつのまにか終わってしまっているといった感じである。交響曲第6番はヴォーン=ウィリアムズの作品の中では難解な部類に入るかもしれない。そういった意味ではあまり好んで聴かれるような曲とはいえないであろう。一方の交響曲第9番は、1958年にマルコム・サージェント指揮ロイヤル・フィルによって初演される4ヶ月前、作曲者本人がとうとうその音を耳にすることなく夭折したといういわくつきの作品である。まさしくヴォーン=ウィリアムズの「白鳥の歌」である。各所で感情を爆発させるかのようなフォルテが聴かれる第1楽章、深く沈みこんで行くような旋律と響き渡る鐘の音が印象的な第2楽章、サクソフォンとオーケストラによるおどけた旋律の中にも哀愁が漂う第3楽章、クライマックスで奏でられるハープによるグリッサンドが自らの人生の終末を暗示させるかのような第4楽章。これらを聴くにつけ、非常に深い内容をもった作品であることを実感させられる。交響曲第9番も一般受けするような曲ではないが、彼の曲の本質を感じ取ろうと思うのであれば、是非とも聴いておきたい作品である。

東芝EMI
TOCE-6415
合奏協奏曲、アリストファネス風組曲「すずめばち」(ホルスト:サマセット狂詩曲・ブルックグリーン組曲、ディーリアス:エアーとダンス、ウォーロック:フレデリック・ディーリアスへのセレナードとのカップリング)
ノーマン・デル・マー/ボーンマス・シンフォニエッタ

 初心者向けの弦楽合奏曲とユーモアの満ち溢れた戯画風組曲。
 「合奏協奏曲」は、アマチュア演奏家のために作曲された弦楽合奏曲で、重音なども開放弦によって演奏できる個所が多く、技巧的には比較的簡単ではあるが、曲自体は初心者向けとは思えないほどの充実した内容となっている。重厚な音の響かせ方、勝達としながらも美しい旋律、超絶技巧を駆使しなくてもすばらしい音楽的な効果をもたらすことが可能であることを教えてくれる秀作である。もう一方の「すずめばち」は、ヴォーン=ウィリアムズのユーモラスな一面を堪能できる作品である。この曲は、ケンブリッジ大学の演劇サークルが、古代ギリシアを代表する喜劇作家として知られるアリストファネスの喜劇「すずめばち」をギリシア語上演することとなり、この付随音楽の作曲をヴォーン=ウィリアムズに依頼したことによって生まれた。全曲を通してヴォーン=ウィリアムズ一流のユーモアがちりばめられているが、中でも第3曲の「台所用品の行進」(チーズを盗み食いした犬を裁くために、陪審員たち=台所用品のお歴々が法廷に入場する場面を描いている)は滑稽さでは群を抜いている。この愉快な作品を、かの第1回ホフナング音楽祭(冗談音楽の祭典)で指揮棒を振ったデル・マーが演奏しているというのも、なんとなく納得させられる。同曲の演奏の中ではこれがピカイチではないだろうか。

EMI
CDM 5 65131 2
未知なる王国へ、ノーフォーク狂詩曲第1番ホ短調、トーマス・タリスの主題による幻想曲、「富める人とラザルス」の5つの異版、ウィンザーの森にて
ノーマン・デル・マー/バーミンガム市交響楽団、CBSO合唱団、ボーンマス・シンフォニエッタ、ボーンマス交響合唱団

 内省的で心に染み入る感動的な名曲の数々を集めたデル・マーの逸品。
 このCDは、ノーマン・デル・マーという指揮者の実力を知ることができる格好の1枚である。1曲目の「未知なる王国へ−Toward the Unknown Region」などは、さすがデル・マー、すばらしい指揮ぶりである。この管弦楽伴奏付合唱曲の傑作を丁寧に、かつ感動的に演奏している。アルバムの初っ端から感動させてくれるCDはそんなにはない。「グリーンスリーヴズ幻想曲」と並んで非常に有名な「タリスの幻想曲」や「富める人とラザルス」の演奏もすばらしい。ヴォーン=ウィリアムズをはじめて聴く方にもお勧めできる充実した内容のCDである。ただし、最後の「ウィンザーの森にて−In Windsor Forest」は、このアルバム全体の雰囲気からはずれた曲で、演奏もあまり良くはない。どちらかといえば、この1曲ははずしても良かったのではないかと思う。まあ、これを差し引いても満足できる1枚であることにはかわりはない。
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