ジョージ・ロイド

George Lloyd(1913-)

 ジョージ・ロイドは、ベンジャミン・ブリテンと同じ年に生まれ、早くから作曲家として活躍していたが、第2次世界大戦の勃発に伴って海軍に入隊したため、一時的に作曲活動を中断することとなった。彼は、1942年にソ連へ軍需物資を運ぶ商船護衛の駆逐艦に配属されたが、その時の経験がもとで重度のシェル・ショック(戦争神経症)となり、戦後も長い期間にわたって後遺症に悩まされつづけた。その結果、ロイドは戦後長い間、音楽の表舞台から姿を消し、隠居同然の生活を続けていた。この期間も細々と作曲を続けていたが、ブリテンやアーノルド、ウォルトンらが華々しい活躍をしている中で忘れられた存在となってしまっていた。その彼が、1977年における交響曲第8番の初演を機に音楽の表舞台に返り咲き、この後自作の演奏を中心に精力的な活動を展開するようになった。ロイドの作風は、非常にロマンティックで、交響曲などは端々にアーノルド・バックスに似た旋律を聴くことができる。初めて聴く人にもとっつきやすい雰囲気を持ってはいるが、曲の構成は少々散漫な印象を受けるところもある。

ロイド・ディスコグラフィ(M.M所蔵のLP、CD等の一覧を掲載しています)


Conifer
CDCF143
交響曲第7番
ジョージ・ロイド/BBCフィルハーモニー管弦楽団

 ギリシア神話を題材とした詩的情緒漂う交響曲。
 この曲はギリシア神話のペルセポネーの物語を題材とした3部構成の交響曲である。交響曲というよりは連作交響詩として捉えた方が良いかもしれない。第1楽章は、全体として天真爛漫で明るく幸せな雰囲気をたたえているが、後半部には冥界の王ハーデスによって地下奥深くにある異界へと連れ去られ、これまでの幸せな日々の終焉とペルセポネーの冥界での悲しい運命を暗示するフレーズが奏でられる。第2楽章は、ペルセポネーの可憐さを表現したかのような叙情的で美しい旋律に惹きつけられる。第3楽章は、変化に富んだドラマティックな展開を見せるが、構成自体はあまりしっかりしているとは言いがたく、散漫な印象を抱いてしまうところではある。最後は解決を見ることなくピアニッシモで終わってしまい、結局この曲はどんな曲だったのかと首を傾げてしまうことにはなるが、所々で聴き取ることができるフレーズの断片には、生き生きとした詩情あふれるすぐれた表現をみることができる。

Albany
TROY 230
交響曲第8番
ジョージ・ロイド/フィルハーモニア管弦楽団

 ジョージ・ロイドによる英国楽壇復帰の記念碑的作品。
 この交響曲第8番は完成が1961年で、サー・エドワード・ダウンズ指揮BBCノーザン交響楽団(現在のBBCフィルハーモニック)によって初演される1977年まで16年もの間、日の目を見ることなく眠りつづけていた作品である。この交響曲の初演は、ロイドにとって再び作曲家、演奏家としてイギリス音楽界に蘇る転機ともなった。第2次世界大戦後、カーネーションとマッシュルーム栽培に日々を過ごす農民としての生活を続けていた彼が、その合間をみて作曲を続けていた事実は、いつかは楽壇に復帰しようと思い描いていたことをうかがわせる。バックスのように穏やかでムーディな出だしの第1楽章は、途中様々な表情を変えながら進行していく。弾むような弦楽と木管のかけあいに続いて、緩やかにスケールの大きなフレーズが現われ、明るい雰囲気の中にも暗く厳しい現実を暗示するかのようなフレーズが見え隠れする。やがて冒頭のフレーズを繰り返しながらコーダへと至る。緩徐楽章の第2楽章は、ロイドの叙情性が十二分に生かされている。木管の寂しげな響きが特に心に残る。第3楽章は、少しライトな雰囲気を持ったはつらつとした曲調で、戦争で受けた精神的ショックから立ち直り、何か吹っ切れたような感じさえ受ける。まさしく楽壇復帰の晴れ舞台で演奏されるのにふさわしい曲である。
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