ラトランド・ボウトン

Rutland Boughton(1878-1960)

 ラトランド・ボウトンは、イギリスのアマチュアリズムを地で行く音楽家で、ほんの短い期間におさわり程度に王立音楽院で学んだあとは、ほとんど独学で作曲法をマスターした努力の人である。しかも、独学の人でありながら音楽学校で教鞭をとったというのだから、すごいというべきか、はたまた無謀というべきか。それだけ、イギリスでは才能あるアマチュアが活躍することの出来る土壌があったということなのであろう。しかし、正規の音楽教育を満足に受けなかったせいなのか、それとも彼自身の才能のせいなのか、作品の構成にはずいぶんと甘さが見られる。特に交響曲第2番「デェイードリ」は、神秘的で美しい旋律を耳にすることが出来るが、全ての楽章において音楽が完結を見ずに中途半端で終わってしまっている感を受ける。この曲は交響曲としてよりは、連作交響詩として作曲した方が良かったのではないかとも思える。また、ボウトンが主催したグラストンベリ音楽祭で初演され、彼の作品中最も成功を収めたとされる歌劇「不滅の時間」は、全曲が淡々と続いていく曲で、ワーグナーやヴェルディ、プッチーニなどのオペラを聞きなれた人にとってみれば、退屈に思えるほどドラマティックな展開に乏しい。だが、それだけでボウトンの作品全てを判断することは出来ないであろうし、オーボエ協奏曲第1番などのように叙情的な名作も残しているので、あながち見過ごすことの出来ない作曲家ではないかとも思う。

*ボウトン・ディスコグラフィ(M.M所蔵のLP、CDの一覧です)


Hyperion(helios)
CDH55019
交響曲第3番ロ短調、オーボエと弦楽のための協奏曲第1番ハ調
ヴァーノン・ハンドレイ/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、サラ・フランシス(オーボエ)

 無骨ではあるが、充分に聴きごたえのある2曲。
 交響曲第2番が3楽章制をとる交響詩といった表題音楽であったのに対して、交響曲第3番では古典的な4楽章構成に立ち戻って、わりに堅実な仕上がりとなっている。しかし、オーケストレーションははっきりいって、あまりうまくはない。それでも、ボウトンの音楽に対する真摯な姿勢は感じ取ることができる。この交響曲では、ほんのちょっと郷愁を感じさせる叙情的な第2楽章が1番の聴きどころである。第1楽章があまりパッとしない分、この第2楽章で若干挽回しているような気がする。さらにブラスが活躍する第3楽章も聴いていて面白い。この楽章だけ吹奏楽のための作品として単独で演奏したほうがもっと成功したであろう。第4楽章は、所々にリヒャルト・ヴァーグナーの影響を受けたとみられる箇所があり、大見得を切って完結するクライマックスなどは、いかにもといった感じである。このCDでは、どちらかというと交響曲第3番よりはオーボエ協奏曲のほうが曲自体の完成度は高く、オーボエのソロと弦楽合奏のかけあいもなかなかである。古典派風の曲調に明るい雰囲気をたたえたオーボエの音色が映え、全曲を通して肩肘を張らずにリラックスして聴ける佳作といえよう。ボウトンは、あまり大規模な作品よりは、このようなこじんまりとした作品に本領を発揮する作曲家なのかもしれない。
前ページへ移動 Modern English Musicへ  トップページへ移動 インデックス・ページへ