可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
9月15日(金)

 昨日はまた、なんか思いつくままに書いていたら脱線してしまって収集つかなくなって途中で投げ出したのですが、これもいつものことですが、今日になって読み返してみると「脱線はしているが、まあいっか」という程度だったので残しておきましょう。

 今朝は家のそばの小学校の狭い校庭の前を通ったのですが、全校生徒がなぜか校庭で遊んでおり、(なんか、そういう時間なのか?)、「みんな、何がそんなに楽しいの?」というほど、楽しそうでした。鬼ごっこしたり、遊具にぶら下がって奇声をあげていたり、高学年の女子数人はジャージ着た若い先生(男性)を囲んで、立ち話に夢中。

 そんな光景が展開されて、「まるで屏風師が描いた京都庶民の生活風景みたい」と、とホっとしました。
 私が住む地域が恵まれているだけかもしれないけど。

 やっぱし、子供や若者よりも、電車や街ですれ違う、オッサンたちのほうが明らかに荒んでるよ。と思う。

 そういや、そんなこと書いてる人がいたな。

 というわけで、本日ここに戦後最もキレやすかった少年が決定致しました。グランプリは昭和35年の17歳、つまり昭和18年生まれで西暦2001年現在58歳の方々です。おめでとうございます。

 この文章が書かれてから5年経過し、最もキレやすい世代が63歳になってるっていうことだ。
 ひーーーー、やっぱし私が漠然と感じている「65歳くらいのオッサンが怖いよ〜」っていうのは、当たっているようだ。
 その世代は、たぶん、会社でそこそこの地位にいたために、一般市民には害がなく、たぶん、社内暴力(セクハラや言葉の暴力)や家庭内暴力で発散していたんだろうけど、定年退職して大量に街に繰り出し、無差別に因縁つけはじめたのだろう。電車内でイケスカないオッサンを見たら、「失礼ですが、何年のお生まれで?」と確認して、ほんとにこの世代だったら、プリントアウトしたこの文章を手渡そうか?(笑)

 こんなのもあった。
 養老孟司先生世代の脳は狂っている

 この少年犯罪データベースを読むと、ほんとに癒される。
 ニュースで異常な少年犯罪が持ち上げられて「世も末だ」という気分になったときに、ここを読むと「人間はずっと世も末を生きてきたらしい」という本当のことに気がつくので「世も末は、千代に八千代にさざれ石の〜」と安心する。

 自分が生きている社会が、人類史上稀に見る平和な社会だということを実感できるから、すてき。
   「格差社会」がどうのと言われるが、家柄は最低で、そこから這い上がる能力も全然無い自分が、今のような生活を維持できるということは「かつてない平等社会」なわけだし。ほんと、ラクさせていただいております。
 これが、200年前だったら、私はいったいどんな極貧生活していたやら。今は「完全週休二日じゃないよ〜」と文句言っておりますが、200年前だったら、週休1日でも難しかったことでしょう。

 前に友人との長電話でそんな話になったことがあった。「家に帰れば、電気がついて、冷蔵庫には冷えたビールが入ってて、蛇口ひねればお湯が出てくるって・・・そりゃ、何百年前はお姫様の生活でしょ?」って私が言ったら、友人は「私は運が強いから、どんな時代に生まれてもお姫様になってる自信がある」と言い放って、私を絶句させましたが。

 君はそうだったかもしれないが(前世でも)、私はきっと、せいぜいお姫様のために薪をたいて湯を沸かす下女だったと思うので・・・・。

 全然関係ないが、「薪をたいて」だけで思い出したが、「おしん」が大ブームになったときに、「佐賀は嫁イビリで有名?」ということが、ちょっと問題になった。
 しかし、だからって、日本国民の多くは佐賀がどこにあるのか知らなかった。
 少し前、「はなわ」が佐賀を少し有名にした。
 しかし、だからって、日本国民の多くは佐賀がどこにあるのか知らなかった。
 最近、「佐賀のがばいばあちゃん」がベストセラーになった。
 これでやっと、日本国民の多くは、佐賀が広島の近くにあることを知った。

 でも、そもそも、広島って、どこにあるんだっけ?

 大学に入学したとき、同じクラスになった子が、自己紹介でいきなり東北の地図を黒板に書いた。
 「じゃあ、みなさん、ここは何県ですか?」
 「・・・・・青森?」
 「じゃあ、ここは?」
 「えーと、岩手・・・・・」
 「じゃあ、ここは?」
 「秋田?だっけ?あれ?山形?どっち?」
 「はーい、こっちが秋田で、こっちが山形でっす。じゃあ、ここは?」

 「・・・・・・仙台?」
 「仙台は県庁所在地の都市名です。県の名前は?」
 「・・・・・・・・」
 「宮城県です。ボクは宮城出身です。でも、宮城県っていうと、九州出身とよく誤解されます。」

 あー、たしかに、宮崎県だと、九州だし・・・・
 彼はたぶん、東京の大学受験して、東京で下宿先を探す間もずっと「ミヤギ県・・・・・?」って応対されたので、「ミヤギ県がどこにあるのか、東京の人は全然知らない。でも、なぜか仙台っていうと、みんなわかってくれる」ってことを真摯に感じていたらしい。

 佐賀とか三重なんかも、似たような扱い。三重はまだ、「鈴鹿があります」っていうと通用するようだが、漠然度としてはモナコと同じくらいか?

 だいたい、東京人(笑)は、静岡は「伊豆半島」で認識しているが、山梨がどこにあるかよくわかってないし(笑)
 私なんて、いまだに栃木と群馬の区別ついてないし。
 長野県なんて中央フリーウェイ(byユーミン)の彼方にあるくらいの認識しかないし。

 うーむ、またなんか話が逸れてるなあ。
 話が逸れて、佐賀県に入ってしまったようだ。

 私はどうやら「物言いがキツい」らしい。
 自分では「うがったことを言った」つもりでも、周りから「きっつー」と言われることが多々あって、自分ではそんなつもりじゃなかったので、ときどき、すっげーへこむ。

 今日もこんなことがあった。
 情報管理の規格をとるために、いろいろやっている最中なのであるが、その審査が来週あるので、審査員にインタビューされる予定の取締役I氏はけっこうナーバスになっていた。

 その情報管理の規格には明確な目的があるので、そのプロジェクトに関わる各部署の代表者で会議したところ、「その目的を目につくところに掲げておこう」ということになったみたい。
 私はそれを聞いて個人的に「ヘソで茶をわかした」が、でも、前にも、総務部でそういう話になったときに、「じゃあ、その目的を誰でも目につくところに掲示しておけば?」と真面目に発言した人がいたので、「こーゆーの、マジにそう思う人がいるから、工事現場には安全第一って明記してあるんだなあ」と感慨深かった。

 で、I取締役も「こういう目的をどっかに明示しておいたほうがいいのでは?」と言い出したので、担当者が「ポスターは作るみたいです」と言っていたので、私が、「じゃ、I取締役は、男の修行の下にそれを貼っておけば?」って言ったら、みんなに「きっつ〜〜〜」と言われたのであった。

 ええええ?キッツーなの?
 だって、著名人の格言を好き好んで貼ってるんだから、気乗りがしない「目的」も、そこに並べておけば、なんか信憑性高いじゃん。
 私が壁に貼ってあるキアヌの写真の横に「整理整頓」って書いてあたったら、他人はきっと「マジだな」と思うじゃん?ちがうの?
 私は「男の修行」をバカにしているわけでもなく、あれはけっこう好きだし、あれを目につくところに貼っている行為もちゃんと理解しているので、「じゃあ、大事そうなものは、あそこの隣に貼っておけば?」って素直に思っただけなのに〜
 「ミヤノさん、口が悪いのはわかっているけど、そこまで言うか?」な反応で、けっこうマジにショゲました。
9月14日(木)

 会社で雑談してたら、ネット・オークションの話になり、私より少し年上の男性から「ミヤノさん、やったことある?」と聞かれたので、「ええ、ちょっと欲しいものがあったので渋々(笑)」と答えたら、「でも、なんか怖くない?」

 個人情報とかオークション詐欺とか、そういうことについてかと思ったので「まあ、絶対安全とはねえ?でも、100円二百円のものだったら、騙されることもないし」と上っ面で返事したら、「だって、シテ戦みたいなことになってそうじゃん」
 「シテ戦って?」
 「影で結託してて、ダダダっと値段をつりあげたりとかさあ」

 わはは、たしかにその通りだったけど、今さらそんなことを不安に思う人がいるとは驚いた。
 たしかに、初期のころは、熱中した人が「中古品を新品よりも高く買ってしまった〜」なんて嘆いていたけどねえ。
 たしかに、私も「自作自演の値段つりあげ」には驚いたが、でも、それに引っかからなければいいだけだし(笑っちゃうほどあからさまだから。あれに引っかかる人が本当にいるのだろうか?)、「どうしても手に入れたい限定品」でもなければ、「あ、100円なら欲しい」と思ったものが、ガガガと300円になった時点で普通はやる気をなくすと思う。
 別に高値なものを無理やり買わされるわけじゃないんだから、ほんの少しの自制心があれば、シテ戦は怖くないし、だいたい、普通の物だったら、「入札者は私だけか・・・・」と、ちょっとつまらなかったりするくらいだし。

 ふと思ったが「だからネット・オークションは怖い」と言う彼が、本当に恐れているのは「自分」ってことだよね。
 酒飲みが肝臓を壊して「酒は怖いよ」と言うのにも似ている。
 その人は、酒もタバコもギャンブルもやらないが、それは「自分はそういう麻薬みたいなものに弱いかもしれない」という恐れがあるからなのかもしれない。もしくは、そういう中毒性のあるものに近寄ったことがないので、過剰に警戒しているのかも。

●小学生の校内暴力

 「とくだね」でもやっていたので「わーん、せっかく私がキレる若者よりも、キレるオジサンのほうが怖い運動を個人的に実施中なのに〜」と思ったが、朝日新聞にも掲載されてた

 なーんだ、たいしたことないじゃん。
 つーか、人口比率と各県の数字がどの程度なのかわからんが(変な文章。要するに人数比にすると、どういう数字になるのかわからんってこと)、このバラつきから見て、「校内暴力」の定義づけが各県でかなり違っているようなことが漠然と想定できる。

 だって、「ゼロ」って有り得ないでしょう。
 この統計自体が97年から始まっているようで、総件数が2000件くらいのものを「過去最高」と言われてもなあ。教師への暴力が3割も増えて、450件っていうのも、数字としては間違ってないが、「全国で100件くらい増えたからって、ガタガタぬかすな」と思ってしまう。

 なんで神奈川だけ突出しているのか、その要因が知りたくなるが、でもまあ、「届け出が出ない水面下の数字は、もっと多いのだろう」と推測したい気持はわかるが、こういうマスコミの好きそうなニュースが出ると、善良な市民はすぐ「今は小学校が荒れている」とか言い出すから、それはちょっとなあ。

 そんで、「そういう傾向」を感じ取ると、みんな過敏になって、よけいに数字出たりしそうだし。

 たしかに、今の子供は兄弟が少なかったり、子供同士でプロレスごっこする機会も少なかったりするから「ケンカのやりかたを知らない」ということはあるだろう。
 私の頃は、取っ組み合いになって、ムキになって武器(木の枝とか、シャベルとか)を持つと、年長の子が「カーン!はい、反則〜」とジャッジしてくれたりしたが、今はそういうのもほとんどないのかもしれない。

 手加減というのは、1人や2人を病院送りにしないと学べないのである。
 今だと、どういうことになるのかわからないが、私が小学生低学年のころ、ある家で誕生会が開かれた。女の子ばかりだったが、なぜか「圧迫ごっこ」を始めてしまい、座布団を挟んで、「何人上に乗れるか」っていうのにチャレンジしていたのである。

 数人がミルフィーユ状態で重なったが、バランス崩して、ミルフィーユが崩壊した。
 もう、楽しくってしかたがないくらい盛り上がっていたのだが、崩壊したミルフィーユの中から顔面蒼白の副級長が救助された。
 「だいじょうぶ?」と声をかけたが、彼女は下を向いたまま、歯を食いしばっている。そして、優等生で気丈な彼女がか細い声で「ゆーこ・・・・家に帰る」と呟いたときには、周囲のワンパク女子小学生たちも「これは、ただごとではない」と気がついて、その家のお母さんに「ゆーこちゃん、具合悪いみたい」と告げて、お母さんは慌ててユーコちゃんちに電話したが、ユーコちゃんのお母さんは学校の先生をしていたので、まだ帰宅してなくて、同居しているお祖母さんが迎えにきた。

 結局、ゆーこちゃんは腕を骨折していて、しばらく腕をつっていた。
 大人たちの間で、どういうやり取りがあったのか知らないが、彼女のお母さんが教師だったから「子供が大勢で騒ぐと、こういうこともあるでしょう」と円満に進んだ気配は感じた。
 たしかに、私らだって、彼女に怪我させるつもりは全くなかったし、だいたい骨折していたかもしれないのは自分だったかもしれないのだ。

 圧迫ごっこ(当時どういう名称だったか忘れた)は、それでしばらく大いなる反省とともに封印されたのだが、小学校高学年になったら、また流行した。
 しかし、盛り上がっている途中で、中盤の子が「ぎゃーーーー、痛い!」と叫んだとき、私はふと、ゆーこちゃんのことを思い出し、「これで、昔、骨折した子がいたんだよね」と言ったら、みんなもふと冷静になった。

 体育のマットで、いじめられッ子を圧迫死させてしまった事件があったときに、「ああ、私も1人骨折させたなあ」と思い出した。
 あの子たちも、悪気はなかったのではないかと思う。ただ、死ぬ前に骨折させてればよかっただけだ。
 私はユーコちゃんの犠牲があって、やっと学んだ。「人は、ああいう遊びをしていると骨折したりするんだ」と。

 兄弟で家の中で鬼ごっこしていたら、幼稚園児だった妹が、ガラス窓に頭から激突して、救急車を呼んだことも思い出深い。
 頭からダラダラと血を流す幼い妹の姿に、私も怯えたが、親の動揺はそれ以上で、「おとーさん、救急車!」というわけで、我が家に初の救急車がやってきた。結果的には、たいしたことなかったんだが、親にいくら「家の中で、そんなに走り回ってはいけません」って言われても、なにを叱られているのかさっぱりわからなかったが、目の前で流血されてみて「こりゃ、危ない」ということを実感したような気がする。

 他人が痛みに苦しんでいる姿は、幼心にもインパクトがあるようだ。
 私の一番古い記憶は、弟が段差に激突したとき。
 今考えると、なんであんな大コブができたか不思議だが、当時の千葉の家は、板張りの居間と、和室の寝室の間に、階段一つ分の段差があり、ハイハイ盛りの弟が、その段差に頭を激突したのだ。

 ひょっとしたら、和室からフローリングに落ちたのかな?
 よく覚えてないが、とにかく、1歳くらいの弟は「びーーーーーーーーーーーーー」と泣きやまない。
 母親もたいしたことはないと思ったのか(今だったら救急車呼んでるかもね)、必死に冷やすが、弟のおでこには、立派なコブが浮き出ていたのを覚えている。たしか、母が「キュウリの湿布がいい」と言って、キュウリを冷やしたのをパックしていたような?ほんとかよ(笑)

 愚弟が「愚」なのは、あのときの打撲のせいかもしれない。
 でも、当時、4歳くらいだった私は「痛いって、辛いんだな」と、ビービー泣き止まない弟の魂の叫びによって、学習させていただいたようです。弟よ、妹よ、身をもって私に学ばせてくれてありがとう。おかげで、ねーちゃんは、「人に怪我させると、ビービーうるさくて、こっちも辛い」ということを学習しました。おかげで、今のところ、ムカついても、殴ったり刺したりしてません。

 えーと、なんの話でしたっけ(笑)
 また「思い出は芋づる式で」の法則にとらわれてしまいましたが、幼稚園児や小学生は、けっこう素で乱暴モノなので、多少の怪我は「人生の学習」だと思って見逃してください。

 子供はバカだから血を見ないとわかんないんですよ。

 そういや、「校内暴力」が黎明期のとき、私が通っていた中学校は「八千代の学習院」と呼ばれた(本当にそう呼ばれていたのよ)、あの当時、珍しく荒れてなかった中学校だった。
 それでも、いろいろ事件はあったのだが、「事件」にならなかった暴力行為もあった。急に思い出しました。
 清掃の時間は各自分担が決まっているので、ほうぼうに散るが、戻ってきたら、自分のクラスが異様な雰囲気だった。

 教室を清掃するときには、机や椅子を前や後ろに寄せるのだが、その途中の状態で硬直していたのである。
 その中心では、梅本君(実名。記憶が正しければ)が、仁王立ちしていた。
 色白の彼の顔は真っ赤だった。
 相当の興奮状態にあることは、すぐにわかった。

 家庭科室の清掃を終えて、教室に戻った私は、「いったい、どうしたの?」と、その場にいた親しい女子生徒に聞いてみた。
 「梅本が、なんか、暴れちゃって・・・・・」

 梅本君は、近づいてくるものあれば、「うりゃー」と椅子を投げていた真っ盛りだったのである。

 みんな、わけわかんなくて、遠巻きにしている。

 でも、みんな、梅本君が「こんなことするやつじゃない」ってこともわかっている。
 彼は、学級委員になるタイプでもなかったが、そこそこ頭がよく、そこそこ人当たりもいい「わりと人気モノ」であった。私も掃除で一緒のチームになる女子から、「ミヤノちゃんって、好きな人いる?」と言われて、「いや、別にぃ?」と言ったら、「そっか、あたしはちょっと、ウメモトが気になるかな」って言われて「ああ、ウメモトはたしかに、けっこういいいかも」と言われるような男子であった。
 そう言われると、私も、ウメモトだと、素直に話しができたし、ウメモトのほうも、私を女兄弟のように適度にずさんに扱ってくれたような、居心地のよさを感じたりして・・・・・

 とういわけで、ウメモト君は、女子の間で「2番目にいいと思う男子」という変な地位を影で築いていたのである。

 その彼が、教室でゴジラのように暴れていたので、みんなは「いったい、どーしたの?」とびっくりしていた。
 なんで暴れてたんだっけなあ。
 あんまし覚えてないんだけど、彼が微妙にモテていたので、男子の誰かがからかったとかが起爆剤だったような。

 色白でソバカスだらけの、少しポッチャリした、成績中の上のウメモト君は、なぜかそのとき、逆上して、教室の机や椅子を「うぉーーーーー」と投げ出す怪獣になったのである。
 今だと「やつはキレた」と表現されるだろうが、あの当時は「キレた」という表現がなかったので、彼は「キレやすい若者」というカテゴリーに十把一絡げにされることもなく、「あの、おっとりしたウメモト君が、ああなるってことは、よっぽどのことがあったのだろう」という「個々の問題」として処理されたのだ。
9月13日(水)

 朝からプチ通り魔に遭遇して大変不愉快であった。

 耳元でこう毒づかれたのである。

「なんか言ったらどうなんだ?」

 まるで取調室で鬼刑事に責められてるみたいなセリフだ。
 なんで、赤の他人からこんな悪態つかれなきゃならないのか・・・・

 まあ、私も気弱なもんで、「自分も悪かったかも」とそんときは反省したが、後から「あれって、相手は若いもんに説教してやったつもりかもしれないが、でも、ああいう言い方はないじゃん?」とさらにムカついた。
 久々に「殴ったろーか、こいつ!」と思ったもんな。

 さて、どういうことだったかというと、家から駅に向かう途中に私が好きな「奥の細道」がある。
 たぶん、れっきとした「私道」で、その道の真中にある家のための道だ。
 前はもっと狭かったので、広いところでも「人が背中合わせにしないとすれ違えない」くらいで、一番狭いところは、ほんとに人1人しか通れない。
 最近、道路側の家が取り壊されて、セットバックしてしまったので、「袖擦り合うも」ってかんじがしなくなったのが残念なのだが、途中の一番狭いところだけはなんとか残って、「世知辛い世の中であるが、譲り合いの精神はまだ生きている」と実感できることも多く、好き好んでよく通る道である。

 だから、その道で、嫌な思いをしたことはほとんどなかった。
 それほど、人と鉢合わせないということもあるが。

 さて、雨の日はその道はさらに「狭き門」になる。傘を差していると、広いところでも、けっこうギリギリなので、自然と互いに傘を傾けることになる。

 今朝もその道を歩いていたら、前から60歳半ばくらいの男性が歩いてきた。
 潜在意識が少しだけ緊張する。(後から考えると)
 なぜなら、その「狭き門」に近づいているペースが同じくらいなので、どちらかが譲らなくてはならないからだ。
 相手が「老婦人」だったりしたら、私が立ち止まって道を譲るだろうけど、あのくらいの年齢の男性だと電車の中でも席を譲る気には全くならないし、逆にそんなことしたら失礼であろう。
 それに、向こうは散歩しているような服装だし、この時間、普通は駅に向かっている人に優先権があるはず。
 さらに、タッチの差で私のほうが「狭き門」に到着したので、躊躇することなく、そのまま進んだ。

 案の定、向こうは、私が通過するのを待っている。
 「あ、どうも」と言おうとしたが、なぜか向こうは傘を傾けてくれないのである。
 なんか、やなかんじ。
 私は、向こうの傘にぶつからないよう、傘をほぼ直角にまで横にして、なんとか無事通過した。

 そしたら、斜め後ろから「なんか言ったらどうなんだ?」ってなじられたのである。

 よく覚えてないけど、他にもなんかまくしたててた。「お先に失礼とか、なぜ、そういうことを言わないんだ。まったく、・・・・っていう便利なものがあるのに・・・・・」とかなんとか、「便利」って言葉が聞こえたが、何が便利なのかよく聴こえなかった。

 私もそのときは、彼の傘にぶつからないよう神経を尖らせたため、「どうも」の一言を言いそびれたと自覚していたので、とりあえず「すいませんでした」と言って、逃げるように立ち去ったのであった。
 かなり、ムっとしたけどね。
 そりゃ、礼の一言が言えなかった私もいけないが、だからって「なんか言ったらどうなんだ?」って言うのもねえ?

 若者に注意したら、逆ギレされて、刺されたなんて事件があったけど、ああいうのが「注意」だと思っているなら、そういう人はみんな刺されてしまえ〜って思ったよ。
 つーか、温和で不惑直前の私ですら、かなり「カっと」なったから、私が18歳男子で、ポケットにナイフ持ってたら、かなり自信ないというか、もし、そういう場面に居合わせたら、刺した男子の罪を軽くするために嘆願書書くよ。

 あれは「注意」ではなく、ただの「悪態」だろう。
 要するに、私が先に通ったのが面白くなかったのだ。
 くどいようだが、普通の人だったら、傘をひょいっと避けてくれるだろうから、そこで私がニッコリ「どうも」と言えたのだ。
 私が、「オレ様」になんの敬意も見せずに、ずんずか直進してきたことが、まず気に入らなかったようで、だから進路を邪魔してやったのに「すいません」の一言もないのにムカついたのだろう。

 それじゃあ、行儀悪くてキレやすい若者以下じゃん。
 ただの「常にドツく相手を探している」って感じの、ギラギラのワルよりも始末におえない。

 でも、常識のあるオジサンたちが、若い人の無礼をたしなめるっていうことを否定したいわけではない。
 でも、オッサンたちは、特に退職して暇そうなオッサンたちのやり方は、部下や妻を叱るのと同じようなかんじでやるので、「部下も妻も、君のそういう上からモノを言うやり方にはウンザリしているが、日ごろの付き合いがあるので、渋々慣れているだけなのに〜」と言ってやりたい。

 若者が、うるさい母親に文句言うつもりで、赤の他人に「うっせー、ババア」と言ってしまうのは、まだ微笑ましいが、60歳過ぎた男性が同じことをしてはいかんだろう。

 うーむ、2007年問題とは、実はこういうことが一番問題かもしれない。
 「キレやすいオッサン」が量産されるんだよなあ。
 若者がどーしよーもないのは、ほんの3年くらいであるが、オッサンたちは、しょーもないまま、20年くらい元気に街を闊歩するのだ。

 団塊の世代は、もう少しお行儀がいいといいんだけどなあ。
 今の60代半ばって、史上最悪だと思う。
 うちの父親の世代なんだが(笑)

 ゲーム脳の研究者に、今の60代にもなんか原因を調べてほしい。戦争の後遺症でも、えーと、なんだっけ、戦後にシラミ退治に使った薬でもなんでもいいから。えーと、GDPみたいな名前のやつ(笑)

 そういうわけで「私も悪かったけど、あの言い方はねーだろー」とムカムカしながら、会社に向かったが、駅から会社に向かう途中で、はやり60歳そこそこのオジサンに「すいません」と道を聞かれた。
 「えーと、あそこの道を真っ直ぐ行って・・・・けっこう歩きますよ?」と教えてあげたら、「ありがとうございました」とニッコリと品よく礼を言われた。

 「イマドキの若者」と同じで、「イマドキの老人」だって、きちんとしている人のほうが多いのだ。「おっさんって、ほんとに態度わり〜」と思ってしまった自分を反省。

 よーし、私も、今度は態度悪い老人に、きちんと注意してやろう。で、刺されてみれば、「65歳の心の闇」がもっとマスコミにクローズアップされるかもしれん。

●やる気のない花屋

 昨日のことであるが、役員I氏が、急にお祝いの花束をご所望になったので、近所の花屋に駆け込んだ。
 その花屋には、何度か足を運んでいるが、いつも、ちょっと「なんだかな〜」であったが、花束をお願いするのも初めてだったので、「今度はどうかしら?」と挑む気持もあった。

 「ええと、誕生日用に花束を用意したいのですが・・・」と曖昧なオファー。
 「どのようなかんじに?」と聞かれたので、「ええと、イマドキだと、どんな花がお勧めですか?」

 その花屋は狭いスペースでやっているので、生花が入っている冷蔵庫棚がレジの奥にあるので「こんなのを中心に」と指差せないのである。値段もわからんし。

 「お勧めはありますか?」という寿司屋初心者みたいな気弱なオファーに、無表情の若いネーチャン定員は「そうですねえ、ヒマワリはもう季節はずれなかんじですし・・・・」
 そうですよね、私もヒマワリ中心の花束は考えてませんでした・・・・
 つーか、お勧めを聞いてるんですが?

 とりあえず、20代後半の女性向けの誕生日花束であるからして「黄色とピンク中心の柔らかい感じで」とお願いしたら、「ご予算は?」というから、「花束だと、どのくらいでしょう?」と聞いたら「5千円くらいからですかねえ?」とおっさるので、とりあえず5千円で見繕ってもらった。

 「ユリはいれます?」と聞かれたので「ユリは、いらないです」と答えた。ユリは花が開くと、花粉が出るので、個人的に好きではないし、個人的に「誕生日というよりも、葬式用だろう」と思ったからだ。ボリュームは出るんだろうけどね。

 無愛想な店員が「じゃあ、こんな感じで」とセレクトしてくれた花束は、ちょっとボリューム感がなかったので、予算は実は無限大ちゅうか、いちおう2万円持って出てきたのである。まあ、1万円以内で済まそうとは思ったが。

 私が店員だったら、明確に「予算の上限」を言わない客だったら、「これなんか、綺麗だし、日持ちもするし、ボリュームもありますけど、ちょっとお高いかな(笑)」なんて言って、高いのをお勧めしてしまうが、その店員はぼんやりと「これで5000円です」

 「うーん、もう少しボリューム欲しいかなあ」と悩む私の顔をじっと見つめる。
 私のほうで、もっと具体的な提案しないといけないらしい。
 ああ、だったら最初から「黄色いバラで花束を。予算1万円」とか言っておいたらよかったのか?
 でもさ、ちゃんとイメージや予算が固まってない私もいけないんだけど、そういう客こそ、おもしろいのではないのか?
 私だったら、張り切っちゃうけどなあ。

 その昔、新聞記事だかで読んだが、八重洲ブックセンターの専務が「接客が大好き。特に『本ください』と言ってくる客が一日に1人くらいいて、そういう客の相手するのだ大好きなんだけど、専務になってからそういう時間もなくて」とインタビューに答えていた。
 「本ください」って客が、どういう本を求めているのか、10の窓だっけ?パーティーゲームで、一つの品物を親が決めて、挑戦者たちは「それは、食べ物ですか?」って質問して、その品物が何か当てるゲームみたいに、「その本のことをどちらでお知りになりましたか?」「えーと、新聞で」「どちらの新聞をお読みですか?」「読売です」「いつの新聞でしょう?」「昨日の・・・・」なんて聞いていくのが楽しいそうだ。もちろん、そういう客のために、メジャーな新聞や週刊誌の書評や広告に目を通しているわけである。

 そういう「販売業の面白さ」とは無縁の、そのやる気の無い花屋のやる気のない店員は、私が「もうちょっとボリュームが・・・・もう一回り?」と曖昧なことを言ったら、無言で背後の生花冷蔵棚を漁り、なんと・・・・・・ヒマワリを二つ添えた!

 後から「あれはいったいなんだったんだろう?」と自分の中で反省会を開いたら、「お勧めは?」って聞いたときに「ヒマワリは季節外れですし・・・」と言った彼女の本当のお勧めはヒマワリだったのかもしれない。
 それは、もしかしたら「自分が好きだから、今どきヒマワリを大量に仕入れてしまったが、全然ハケない、どうしよう」ということだったのか?

 だったら「お誕生日にヒマワリの花をもらうと、幸福が訪れると、ポルトガルでは言うらしいんですけど、でも、今だとちょっと季節外れですかね?」って言ってもらえれば、こっちも日本の季節感や花束のバランスよりも「ポルトガルでは、そうらしい」というのに引き寄せられると思うんですけど(笑)
 ポルトガルでは足がつきそうなので、「カナリア諸島では・・・」とかでもいいんですが(笑)

 結局、ヒマワリではあまりにも強すぎたので、「あの〜、ピンク色っぽいほうがいいんですが」と、ピンクのミニバラを足してもらいました。
 なんか、とっても疲れた。
 花束を抱えて会社に戻ると、同僚M嬢に「あそこの花屋、なんであんなにやる気がないの?」とこぼしたところ、M嬢も「そうそう、カウンターの前でうろうろしてても、絶対に向こうから声かけてこないんだよね」と言ってました。

 そんな花屋さんでも、ホテル内にあるということと、近所に他に花屋がないという条件の元、商売になっているようです。
 私が花束をオーダーしている後ろでは、「これからお見舞いに行く初老の女性2人組み」が「こういうのがいいのかしら〜?」「これも、きれいよねえ〜」と大声で相談しあっていて、あきらかに「店員の助言を求めている」のに、全然無視でした。
 いまどき珍しい、共産主義国家的なお店です。

 あれは、あれで面白いが、「他にもっとちゃんとした花屋ができないかなあ」というのが、私とM嬢の切実な願いです。
9月12日(火)

 ハンカチ王子フィーバーにすっかり乗り遅れた私である。
 「なんか大人気らしい」と気がついたのが、決勝戦前日でニュース映像や写真を観ても「うーむ、これのどこがいいのだ?」と思ったので、ちゃんと試合を観ようとしたのだが、会社でふと気がついたら、もう表彰式だったのだ。

 「うーん、やっぱし、わからんなあ」とブツブツ言ってたら、横にいた部長に「この子は投げてる姿がいいんだよ。すごく冷静でさ」と説明してくれた。
   映画の中でのキアヌと、記者会見のキアヌの落差みたいなもんらしい。(今度の映画はテレビCMでは超つまんなそうですが・・・・)

 つーわけで、マウンド上で投げてない斎藤君しか見たことがないので、イマイチその良さがわからんのですが、昨日のニュースでは、注目される進路問題の記者会見を行ったそうです。

 ワイドショーでも、評判はすこぶるいい。室井祐月が「どうしたら、こんな子が育つのかしら」と言っていたくらい。
 たしかに、言葉使いは比較的ちゃんとしているようで、体育会系の若者にありがちな「・・・・っす」とは絶対に言わないようだ。
 でもなあ、なんか「腐った大人」が思い描く「絵に描いたようないい子」を演出しているような気がして、なんかなあ。ワイドショーでは桑田との類似が述べられていたが、そう言われると、たしかにそんな感じかも。桑田も、もう少しルックスが爽やかだったら、こういう評価を得ていたのかね?

 しかし、やはり「進学希望」であったか。
 会社のオジサンと、「どうなりますかね?早稲田は絶対に手放したくないだろうし」なんて茶飲み話をしていたが、私の思い込みでは「早実に入る子は、やっぱし早稲田に入りたいわけでしょ?」であったが、私にしろ、会社の野球好きのオジサンたちにしろ、そういう「進学希望」な甲子園のアイドルが、百洗練万のスカウトたちの手にかかり、落城した過去をたくさん知っているから「どうなるかねえ?」という結論(?)であった。

 早稲田のステイタスも昔ほどじゃないような気もするし。
 というか、大学進学に拘らなくなったというか。

 まあ、しかし、自分の人生だし、好きにしてくれい、としか言えないのだが、斉藤選手の記者会見を見ていたら「こりゃ、ひょっとしたら、やっぱしプロ入りを希望するのかも?」と思った。

 「成長」という言葉が頻発したが、自分はまだ未熟だから、大学で成長して、それからプロに行くという計画らしい。

 ええと、大学っていうのは、プロ野球選手を養成する機関ではなく、勉強するところじゃないんですか?って正論吐いててもしょうがないが、でも、それにしても「大学に行きたい!」って気持が微塵も感じられませんでした。
 「どんな上の句にもマッチする究極の下の句」として「それにつけても金の欲しさよ」というのがあるそうで、それを知った高校生のとき、国語の教科書に載っている短歌に片っ端から「それにつけても金の欲しさよ」を合わせてみたら、箸が転がって止まらなくなりましたが、斎藤選手のインタビューには、すべて「ほんとはプロに行きたいけど」って上の句がつくようなかんじでした。

 「・・・・したい」ではなく、「・・・・しなくてはならない」っていう話って、聞いてて違和感があるなあ。
 強いていえば、彼氏に「できちゃった〜」と次げたら、「自分はちゃんと責任をとらなければいけない。だから結婚すべきである」って言われたみたいな。

 そういうのって、いろいろバリエーションがあるよね。
 「高卒だと、いい就職先が無いから、大学に行かないといけない」
 「○○学部だと就職に不利だから、△△学部にしよう」
 「手に職つけるために、資格をとろう」

 で、そういうふうに進路を決めた人って、社会人になると、こう言うんだよな。

 「妻子がいるから、仕事を辞められない」
 「子供がいるから、好きなことができない」

 話が逸れたが、まあ、冷静に考えると、「高卒でプロで活躍したピッチャーは少ない」のは事実で、私は松坂も「このままプロに行ってもダメだろう」と思ったんだが、意外と通用してしまったので、「こういう人もいるんだな」と思ったが、斎藤君は頭がいいようなので、自分が松坂タイプの「50年に1人の天才」ではないことに気付いて(百年に1人と言いたいとこだが、坂東英二がいるから。笑)本人的には謙虚に堅実に人生設計しているつもりなのだろう。

 18歳男子がそこまで考えているかと思うと、ちょっと気の毒な気もしてきたが、でも、嘘でもいいから「早大のユニフォームを着て、六大学のマウンドに上がることが、夢でした」くらい言えよなー。

 「(ほんとはすぐにでもプロに入りたいが)自分の成長のためには、大学進学がいいと思います」

 なんて言ったら、プロのスカウトたちに腕まくりさせるだけじゃん。まあ、早稲田側ががっちりガードすると思うけど。
 だいたい「自分は未熟だから、大学でもっと勉強して」なんて言っても、野球部の学生が授業にろくに出ないことなんて、みんな知ってるし、つーか、普通の学生はロクに勉強なんかしてないことなんか、世間の常識であろう。

 まだ「せっかく推薦枠のある高校で、そこそこの成績だったし」というバージンロードに乗って、早稲田に入ってしまい、成田離婚してしまったヒロスエのほうが理解可能である。あの頃の彼女には「とにかく、なんだかしらんが、大学に行きたい」という気持を感じた。

 それは自分にも思い当たる「青春のベクトル」だったからである。
 なんか、とにかく大学に行きたかったのである。
 熱病みたいなものであった。

 私の頃は「女子は短大のほうが就職に有利」と言われていたけど、短大なんかに行くつもりは全然なかった。就職のことなんて、どうでもよかったのである。

 そうなんだよね。
 斎藤投手の記者会見を聞いていて、不愉快だったのは「親や先生が女の子は短大のほうが有利だって言うので、短大を目指します」って堂々と言ってるみたいだったからだ。

 中学校時代の友人が、成人式のアフター飲み会で「スチュワーデスか、外資系に勤めたいの。だから、短大の英文科に進んだ」と言っていて、「そりゃ、ご苦労様です」と思ったが、あの子はその後どうしたんだろうなあ?
 大学の先輩で、地方の有名高校を出ていたが、二浪して1・5流なうちの大学に入っていたけど、彼女だった同級生は短大出て先にスッチーになっていて、っていう話は飲み会の華だった。
 先輩は地元ではそこそこの企業のオーナーの息子だったらしいが、バブル当時のスッチーにかなり振り回されたようだ。
 先輩も地方出身の学生としては、そこそこの生活していたが、彼女は自分の給料でエルメスの50万円のバッグを買えるご身分なんだから、ギクシャクするのも当たり前。

 結局、スッチーの彼女は、彼がやっと卒業したころには、その頃流行だった青年実業家と結婚してしまったらしい。

 卒業後、しばらくしてから、その先輩と飲んだことがあり、ほどよく酒が回った後に、「あの彼女、どうしました?」と聞いてみたら、「この間、電話があってさ〜」

 実話と書くのも恥かしいほどの「定型」であるが、バブル期のスッチーがゲットした青年実業家は、バブルの崩壊とともに崩壊したらしく、その彼女が電話してきて「あたし、幸せになれると信じていたのに・・・・なぜ?」と泣き言を高校からの腐れ縁だった彼氏にコボしたとか。

 「けっ、もう知るかってんだ」と彼氏は強がっていたが、その後、どうなったのか、知りません。

 何が言いたいのかまたわからなくなってきたが、「こうしたほうが、将来有利だろう」っていう行動よりも、「将来どうなるかなんてさっぱり考えてないが、とにかく自分はこうしたい」ってほうを自分は支持するということ。

 「とにかく、今は野球のことだけしか考えたくない」って言うんなら、プロに行けよ。と思う。
 「この人と結婚すれば、一生安泰」って言う人は、もれなく結婚に失敗してるから。
 
9月11日(月)

 最近、日記が途切れがちですが、それなりにいろいろ考えることはあるんだけど、「これは書き残しておこう」という意欲が減ってきたような気がする。
 前は、そういう自分のトーンダウンにさらにガッカリしていたりしたが、最近は慣れてきてしまった。
 自分の勝手な分析だと、これはたぶん加齢による脳内物質の現象であり、おかげで「感動した!」というインパクトがだんだん少なくなってくるような気がする。

 そんで、そのパターンが、年収でいえば、1000万円あった人が、減俸されて500万円になり、がっかりするのと似ている。でも、そのうちに慣れてくるのか、もしくは自分なりに努力するのか、どっちなのかわからないが、気分的には年収800万円くらいになると「前よりは少ないが、これでもまあまあか」と思えるようになる。
 しばらくすると、今度は400万円になり、がっかりするが、またなんとなく600万円くらいに戻る。

 こういうタイミングで鬱になる人も多いのかもしれないが、幸いにも私はそうなりにくい体質らしく、そのうちだんだん下落幅が減ってきた。600万円が550万円くらいになり、また580万まで戻しってかんじで、このままいくと、400万円くらいで底になって、だらだらと水平飛行できるのかもしれない。

 そういや、今日は久々に「これは日記に書いておこう」という事件があった。

 支払い請求書の処理をしていたら、明細がカタカナで印字されてる請求書があって、そこには「シュウリダイ」と書いてあった。
 久々に「じゅげむゲノム」が立ち上がった。
 突然変異による遺伝子組換えで「しゅーりんがん」と「ぐーりんだい」が「しゅーりんだい」になってしまったままなのだが、どうやらこのまま墓まで持っていきそうだ。墓碑銘には「しゅーりんだいのポンポコナ」って書いてもらおうかな。

 そのおかげで、なにやら酵素ができたらしく、それの作用で思い出した話。

 でも、前にも書いたような気がするが・・・・
 日記書く気力がなくなる理由の一つに「何年も書いていると、何度も同じことを繰り返しているように感じる」ということがある。もっと老いれば、平気で同じことを繰り返すのかもしれないが、「あれ?これって前にも書いたっけ?」と思うということは、まだまだ若い証拠だ(笑)

 小学生のとき、クラスメートが家族で海外旅行に行った。
 当時としては、「家族て海外旅行」というのは、とてつもなく贅沢というか、今で言うところの「ありえねー」ことであった。
 ただ、今で言うところの「でも、ビミョー」だったのは、その家族が行った外国というのは、フィリピンだったのである。

 まだ、フィリピン・パブやフィリピン人ダンサーなどというのもマイナーなころで、「売春ツアー」なんていうのが流行るだいぶ前だったから、「夏休みに家族でフィリピンに行った」というのをどう位置づけていいのか、とても困ったのを覚えている。
 ロンドン・パリ・ニューヨークだったら、手放しで「えええ!すっごーい」と言えたのだが。

 あの子の家はたしか、サラリーマン家庭ではなく、お父さんが地元で商売していた。たしか、不動産屋だったかな?そういう、ちょっとヤクザっぽい印象の商売。
 そして、そのクラスメート自身も、女の子だったけど、ガニマタで闊歩して、いつも気弱そうな子分を2名くらい後ろに従えた「女ジャイアン」であった。

 「家族でフィリピン旅行」でいったい何をするのかさっぱりわからなかったが、とりあえず、学校内で海外旅行した経験のある子なんて皆無であるから「どうだった?」とみんな興味シンシンであった。

 しかし、そんなに頭のよくない小学校4年生くらいの女子が、旅の思い出を楽しく語り聞かせられるわけもなく、私の記憶に残ったのは「でも、とにかくご飯がまずくてさー」という話であった。
 あの当時のことだから、そうとうな団体旅行だったのであろう。
 夕食ともなれば、現地のダンス・ショーを見ながら、大宴会場で食事が出たのだが、「どれも、変な食べ物ばかり」だったそうだ。まあ、今でもフィリピン料理っていのは、そんなに流行らないだけあって、あまり食べ物に特色のある土地ではないらしいが、私の印象では「タイ料理と中華料理の微妙なミックス」であるけど、当時の日本人は「エスニック料理」といえば、カレーライスくらいしか思い浮かばないのであるから、「ビーフン」が出てきただけで「なんじゃこりゃ?」と思ったであろう。

 それでも、日本人団体ツアーであるから、日本食も出てきたらしい。
 「でも、それがさあ、最初にいろいろおかずが出てきて、それはまあまあだったんだけど、なんと、最後になって、ご飯と味噌汁が出てきて、みんな、おかずも無いのに飯が食えるかって、文句たらたらだったよ」
 「えー、最後にご飯と味噌汁?なんで〜?」
 「わかんないけど、米もパサパサで美味しくなくて、みんな残してたよ」

 その当時は「ふーん、日本食知らない人が用意すると、そういうことになっちゃうのかねえ?」と思っていたのだが、その話を思い出したのは、10年後くらいの、自分が社会人になり、会社で料亭っぽいところに連れて行かれたときである。
 「では、お食事をお持ちしてよろしいでしょうか?」って、最後に味噌汁とご飯とお新香が出てくるのが、どうやら正式な日本食らしいことに気がついたのだ。

 なので、フィリピンで出たディナーは間違ってなかったのである。
 日本人団体客が、ご飯と味噌汁が最初に並ぶ「定食」しか食べたことのない、貧乏人ばかりだっただけという話。

 でも、それがわかると、30年前に日本を旅行した西洋人も、「日本で洋食を食べると、なぜかポタージュ・スープとロールパンがついてくる」と、うんざりと語っていたかもしれない。パンは別にロールパンではなくてもいい、というか、ロールパンはダサいと私たちが気がついたのは、バブルのころだったかも。

 さて、また9.11が巡ってきて、NHKでも夜中に特番を流していたりしましたが、また気持よく泣けてしまった。
 なんか、それほど時間が経ってないのに「心おきなく泣けるアイテム」と化したような気がするので、なんだかなー。

 「泣ける」で思い出したが、会社でも話題になっていたというか、マスオさんが持っていたので貸してもらったのが、えーと、なんて題名だったっけ?「佐賀のがばいばあちゃん」だった。

 「へえ?島田洋七がそんな本を」と思って借りて読んでみた。30分で読み終わったが、まあ、けっこう面白かったし、ちょっと泣けたけど、まあ、しかし、私は捻くれモンですから「やっぱ、ベストセラーってこんなもんか」と思ってしまった。

 ばあちゃんの貧乏哲学はそれなりに面白いけど、なんか毒がないというか、「みんないい人だった」という雰囲気で、そういうのが「癒し系」として支持されるのかもしれないけど、ついつい、「そんなわけ、ないだろう」と思ってしまうのである。

 「がばいばあちゃん」は、「たけしくん、ハイ」に似たようなところがあるというか、確実にあれをお手本にしていると思うけど、「たけしくん」はきちんと影の部分もほのめかしていたと思う。
 「窓際のトットちゃん」は、庶民にはまぶしすぎたが、「たけしくん」の陰影は庶民にも馴染みのある雰囲気だった。

 しかし、その後、西原理恵子の登場で、「思い出は美しすぎて」の逆転というか、「影の部分こそ美しい」という手法が出てきたというにのに、「がばいばあちゃん」は、単なる「田舎のトットちゃん」みたいになっているような気がした。

 いや、それがいけないというわけでもないけど、「あの頃は、貧しかったけど、楽しかった。みんないい人だった」って言われてもね。それって「今は豊かになったけど・・・・」ってことに繋がるわけで・・・・

 たぶん、自分が捻くれているだけなんだろう。だって「いい人」なんてこの世にいないんだもん。
 いるのは「いい人なんだけどさ〜」である。

 あ、ママンから電話がありました。
 予定が早まって、うちの弟の奥さんは今日出産しちゃったそうです。
 帝王切開での予定日は私の誕生日になるはずだったのに・・・・・

 つーわけで、どうやら双子の姪っ子の誕生日は9.11になってしまったようで、うーむ。我が家にとっては、たいへん目出度い日になってしまうようです。えーと、ツインタワーのかわりに、双子ですかい。

 誕生日が覚えやすくて、よーございますが。
9月8日(金)

 残暑が厳しいせいか、夏カゼ(秋カゼ?)ひいてる人が多いようです。
 今日、ひどい風邪声の人に「どうしたんですか?」ってインタビューしてみたら「この間、えらく暑かったんで、うっかりエアコンつけたまま昼寝したら、一発でこうなった」とゲホゲホしながら答えてくれました。

 うちの部署でも、昨日「熱が出たんで休みます」という人がいて、今日は「病院に寄ってから出社します」と言っていたのですが、昼頃電話があり「インフルエンザでした!」
 今ごろインフルエンザっていうのもレアであるが、小さいお子さんが2人いる人なので、子供がいろいろ持ち込んでくるのだろう。
 そういや、ミヤノ家だって、子供が3人いた家庭だったから、冬ともなれば、子供が順番に風邪をひき、その看病疲れで母親も風邪ひいてダウンして、父まで発熱して寝込むということはよくあった。

 さて、今読んでいるのは「子どもが減って何が悪いか!」って本である。
 漠然と「なんで少子化ってあんなに悪者扱いなんだろう?」と思っていたので、題名買い。
 まだ読み終わってないが、読みながらなんとなく「環境危機をあおってはいけない」を思い出した。

 少子化も二酸化炭素排出量の増加も、どうやらそう簡単にはどうにもならないらしい。
 だとしたら、それをどうにかするよりも、「そうなったら、どうするか?」ってほうに策を練ったほうがいいのでは?っていうかんじかね?

 「子供が減って何が悪いか!」は題名とは裏腹に「子供が減ると、やっぱしいろいろ問題は多い」とはしているが、「少子化対策」を「男女共同参画問題」に摩り替えていることを問題視しているのだが、まあ、たしかに、男が家事を手伝い、保育所がたくさんあれば、みんな喜んで沢山子供産むかっていうと、そうでもないような気はするので、統計的な記述はちょっと読みにくいが「下流社会」よりは、読んでて「そうそうそう」と納得できる。

 特に「親の世代より、いい暮らしが望めないと、結婚もしないし出産しないらしい」というあたりは、心当たりがありすぎる。
 出産して、「子育て大変〜」と愚痴る友だちに「でも、うちらの親なんてさあ」って言うと「それは、親にも言われるし、わかってるんだけどさ〜」って話によくなる。

 政策上でも、「理想の子供数」と「実際の子供数」の差が問題になるようだが、統計とってるわけでもないが、実感として、私の世代(今の30代)は、「3人兄弟」が標準だったような気がする。
 いや、統計上の標準ではなくて、「できれば3人」っていう雰囲気だったような。
 私が子供時代には「2人」か「3人」が普通で、「一人っ子」というのが特殊なかんじがした。

 そういう時代に育った人たちが、子供を産む世代になったとき、なぜか「2人が普通」になってしまった。
 3人いると、「わあ、大変ねえ」と、30年前の子供4人に似たような評価を得るようで、逆に「一人っ子」は昔の「子供2人」と同程度の「まあ、そんなもんよね」って受け取られ方だと思う。

 なので、私の世代にアンケートをとると「理想の子供数は3人」になって、でも実際の子供数は2人だったりするのだろう。
 ただ、本当の理想は「やっぱ、1人だと可哀想だし、兄弟いたほうが、この子の将来にもいいだろう」と思っても、出産年齢が上がるとシンドイようで、「悪いが一人で勘弁してくれ」と思うようだ。
 私が子供の頃も、一人っ子のお母さんはわりと年齢が上だったと思う。体調を崩したりして、「もう、二人目は無理」ってかんじだったと思う。

 うちのママンが「みんな大きくなっちゃって、つまんないから、もう1人産んじゃおうかな」と言って、私が「や、やめて〜〜〜」と言ったのは、何歳のときだっけ?たぶん、あのときの母は、今のキコさんくらいだったから、充分ありえる話であった。
 そんで、中学のときに仲良かった子が、「弟の面倒をみなくちゃいけないから、みんなと遊べない〜」と嘆いていたので、「私がベビーシッターにされるに決まってるから、ぜったいにヤダ」とマジに嫌がったのであった。

 話がまとまらないが(まとめようという気もないが)、少子化の要因は私みたいな「非婚」の人が貢献しているようだ。結婚して、子供を持つ人の多くは確かに「2人が理想」というかんじだし、うちの弟夫婦みたいに「二人目を産むつもりが、双子だった〜」というような「2人のつもりだったが、3人になってしまった」な人は極端な例だとしても、こんだけ、結婚しない人が増えても、なんとか女性一人あたり1.5くらいをキープしているのは、うっかり3人目をもうけてしまう人がけっこういるからなのかな?

 しかし、いろいろデータ出されても、自分が今まで結婚もせず、子供を産まない理由を全く説明できないなあ。
 たぶん、みんなそんなもんだと思う。「自分は絶対に結婚しないし、子供も産むつもりはない」と明確な意思を持った人のほうが少数だと思うのだ。

 いけない、話が途中になっていた。「親の世代より、いい暮らしが望めないと、結婚もしないし出産しないらしい」っていうのが途中になっていました。
 自分の親は、2人とか3人を平然と育てていたことは知っているはずなのに、いざ自分がやるとなると、「1人で精一杯」って思うらしい。
 ある友人は「うちには車がないから、外出も大変」と嘆くが、「でも、うちらの親は、子供3人連れて、電車で移動してたじゃん」と言うと、「そうなんだけどさー」

 私の母も、電車で1時間半の実家にはよく子連れで帰っていたけど、1歳の乳児(妹)、4歳のきかん気の幼児(弟)、7歳の神経質な小学1年生(私)を連れて、よくぞ電車で1時間半と思うが、でも、私の記憶では「子供3人もいると、電車に乗るのが本当にたいへん」と愚痴ったこともなかった。

 その当時は、電車で移動が当たり前だったので、自分だけがしている苦労だと思ってなかったのだろうか。
 今だと、ファミリー世帯に自家用車は当たり前なので、車持ってないと、子連れでの移動が苦痛に感じるのだろうか。
 たしかに、うちの弟んちも車があるので、姪っ子Nちゃんは車移動には慣れているが、ジジババは車が運転できないので、嫁んとこに孫をつれて見舞いに行こうとすると、Nちゃんは歩くのに慣れてないので、かなり難儀する、とこぼしていた。

 前に「最近、子供をおぶう人少ないなあ」と書いたことがあるが、車移動が普通だと、たしかにおぶわなくてもいい。でも、やっぱし時々見るのは、電車の中で、3歳か4歳くらいの「ちょこちょこ歩きまわるから、ぜったいに目を離せない幼児」と乳児を連れた母親は、やっぱし両手が空いていたほうがいいようで、乳児をおぶっていたりする。そういうのを見て、私なんかは「わあ、懐かしい」と思うのだが、イマドキのオシャレを知っているお母さんたちにとっては、絶対にやりたくないことなのかもしれない。

 「非婚」や「未婚」の話に戻せば、今の会社で驚くことは、30代になってもみんな全然焦ってないことである。
 私のころにはまだ「クリスマスケーキ?」なんて囁かれたが、今はそういう雰囲気もない。
 私の直感的統計では、5人に1人くらいは「20代後半で結婚して子供を産みたい」と思っているようだが、後の4人は「どうでもいい」ってかんじのようである。
 最近の風潮として感じるのは「できちゃった婚」が当たり前になったことかなあ。
 「まず、結婚」っていうことじゃなく、「長年付き合ってても、結婚の決めてがなかったけど、できちゃったから結婚しようか」っていうのを「恥かしい」と感じる人が激減したような気がする。

 そんだけ、若い人が「まず、結婚」って思ってないんだろう。
 で、今、20代の女性も「別に結婚したくないわけでもないが、まあ、35歳くらいになったら焦ろう」という雰囲気である。
 少し前までは「30歳までには」って雰囲気があったのだが、今はそういう雰囲気も希薄になった。

 なにより、周囲が悠然と30歳になってしまうと、後輩たちも、焦りを全然感じなくなるようだ。
 いかにもなオールドミスが職場を仕切っているなら「こりゃいかん」と思うのかもしれないが、「なんで、この子は結婚しないのかねえ?」な、可憐な30歳が、オジサンたちに可愛がられながらマイペースで仕事していたりするので、あれじゃ、26歳の後輩は全然焦らないだろう。
 それなりに給料上がっているので、自宅から通っている彼女たちは優雅にブランド物で武装していたりするし。

 20年前だったら、絶対に20代で結婚してそうな子が、今じゃ30過ぎでも平気で独身のようです。
 これじゃあ、少子化進むよなあ。

 で、そういう人に「男女共同参画がどうのこの」とか「保育園を充実させよう」とか「育児手当をもっと増やそう」とかいくらアピールしても、たぶん無駄だ。
 「ハリウッドのセレブはベビーブーム」っていうファッション雑誌の記事のほうが、効果があるかもしれない。

 で、すでに1人産んでて「ほんとは、もう1人産みたいけど、でもね〜」って言う人に、「保育所充実させますから」って言っても無駄のような気がする。要するに、そういう人は子供を手元に置いておきたいだけみたいな気がする。
 ある友人は「自分の人生、子育てだけで終わりたくない」と宣言しており、子供が2歳になったときに保育所に預けるつもりでいたが「失敗した。預けるなら1歳のときにやらないと、2歳くらいになると向こうも表現力がついてくるので、可哀想になり、とても預けられない」と嘆いているうちに、次の子を妊娠したので「もー、どうでもよくなった。とりあえず、子供が大きくなったら先のことを考える」と言っていた。

 そういえば、身近でも「保育所の空きがないので、仕事は諦めた」と言う人はいなかった。
 その気になれば、なんとかなるらしいのである。
 ある知人は、保育所ではなく、ベビーシッターを雇っていた。「自分の給料が、右から左でシッター代よ」と笑っていた。
9月7日(木)

 そういえば、最近「キレやすい若者」って下火ですね。
 若者の犯罪は、それなりにニュースをにぎわせてますが「キレやすい」という言葉はほとんど聞かない。

 ケータイやゲームに「キレやすい鯨飲(またやってしまった)原因」を安易になすりつけることができなくなったからかなあ。電車内で大声で喋っているのは、オジサン、オバサン、オジイサン、オバアサンが主流になってしまったし(若者は大人しくメールを打ってます。てゆーか、最近はメールを激しく打つ若者が減って、かわりにガチャガチャとうるさいのは、中高年のメール連打音だ)、「脳を鍛えるゲーム」が高齢者にも大ヒットしちゃったしね。

 そんなことを思ったのは、ここんとこ、立て続けに「怖い大人」を目撃してしまったからです。

 まず、渋谷歩いていたら、前を歩くスーツ姿の50歳くらいのサラリーマンに、やはり50歳くらいのオバサンが小走りで、サラリーマンにぶつかったのです。サラリーマンは、とっさに避けたのですが、オバサンは彼のカバンに「バスン」とぶつかって、そのまま走り去ってしまいました。

 お詫びの一言もないオバサンにびっくりしたのか、サラリーマン氏は思いっきりドスの聞いた声で「なんだよ、テメー!」と振り返りましたが、オバサンはすでにダッシュで逃げておりましたので、その声にビビッたのは周囲の善良な若者たち(私を含む)でした。

 そういえば、この間、会社を出て駅に向かっていると、耳元で「げほ、げほ、かーっ」と凄い音がしたので、驚いてビクっと飛びのきました。でも、会社を出て10メートルだったので、会社のオジサンのイタズラかと思ったので、「もー、びっくりしたじゃありませんか!」と振り向きざまに言ったら、全くの他人でした。
 なにも、そんな至近距離で痰を絡ませなくても・・・・・
 つーか、私がギョっとして飛びのいているのに気がつかないはずはないのだが、無言で立ち去っていった。
 なんだったんだいったい!

 さすがの私もムっとして「失礼じゃねーか、このヤロー」と叫ぼうかと思いましたが、そしたら、先に書いた、オジサンとオバサンと同じになっちゃいますね(笑)

 私の利用する路線は「電車内では携帯のスイッチを切ってください」になっているのですが、そんなの遵守している人はあんましいないようで、通話する人は少ないが、黙々とケータイの画面を眺めています。
 2回ほど遭遇したのですが、「車内でのケータイ使用をやめさせなくては」という使命感にかられたらしき、60歳すぎの男性が、注意することがあります。同じ人なのかわからないのですが、違う人だとしたら、「仲間うちで、そういう活動をしようと決意した」のか、「テレビでそういう活動を知って、自分もやってみようかと思った」のか知りませんが、でも、あんまり上手い注意の仕方ではなくて、オジサンにありがちな「強面で注意」になってしまうので「どうして、そういうとき笑顔で、さりげなくできないのだ、この世代はよ〜」と思ってしまいました。

 でも、「車内では電源切ってください。お願いします」と無表情のジイサンとオジサンのちょうど中間くらいの男性に言われた、若い女性は、びっくりしてましたが(横にいた私だって、びっくりしたわい)、「あ、すいません」と素直に電源を切ってました。

 別に、携帯電話禁止の電車内でメールを黙々と打っていた若い女性に味方するわけでもありませんが、「全面・電源オフ」な路線のほうが珍しくて、メジャーな路線は「優先席付近だけ電源オフ。他ではマナーモード」が主流ですから、「メールなら、優先席じゃなければOK」と思い込んでいる人を頭ごなしに「ルール違反」と叱るのもなあって、思います。
 もし、「この路線では電源オフ」を広げようとするなら、もっと笑顔で「もしもし、お嬢さん、この路線では、メールもだめなんですよ?ご存知なかったですか?」とか言えば、注意されたほうも「あ、すいません、知らなくて」と言い訳できるのになあ。

 私がもっと虫の居所が悪ければ、注意しているオッサンのほうに「注意の仕方がなっとらん」と笑顔で説教してしまいそうですが、けっこう不意打ちを食らうので、私もびっくりしてポカンとしてしまい、今のところ、そういうややこしい事態にはなっておりません。

 つーか、「携帯電話禁止」の根拠が曖昧だしさ。
 いや、ルールはルールだと思うんですが、その根拠がペースメーカーってのがね。
 どうも、携帯がペースメーカーに与える影響ってのが、ほとんど実証されてないらしいんですよね。

 たしかに、被害報告を見たことがない。
 それに、電車の座席で、隣の席に座っている人が携帯で会話しているくらいで、なんか悪い影響があるとしたら、スタバやドトールだって、禁止しないとヤバいじゃないですか。

 で、もし本当に影響があるんだったら、車の「酒気帯び運転」みたく、きちんと罰しないといけないわけだけど、そういうこともないし・・・・
 それに、もし、あんまし影響が無いんだったら、ペースメーカーを使ってる人に不安を与えるだけだと思うんですけど。どっかの車内だか、駅だかのポスターにそういうのがありました。子供がペースメーカーを使っている母親が「近くで携帯を使用している人がいると不安になります」っていう内容だったが、あのポスター見て不安になるのは、携帯使っている人よりも、ペースメーカー使っている人のほうだと思う。

 まあ、ほんとのとこどうなのかわからないので、なんとも言いようがないけど、多くの電鉄会社が「優先席では電源オフだけど、他だったらマナーモードOK」を謳った時点で「あ、ペースメーカー云々って、嘘だったんだな」と、多くの人が気がついていると思う。
 そんで、どうして、こういうことになってしまったのかわからないが、「ペースメーカー」を「携帯マナー」の建て前に使ってしまったから、「携帯マナー」が曖昧になってしまったような気がする。

 もしかしたら、20年後には、タバコの害と同じようなものとして、学術的に立証され、「携帯電話所」でしか、電話できなくなるかもしれないが(笑)

 話が逸れたが、私が見た「オジサン同士の嫌〜な光景」に戻るけど、その「優先席でのみ、電源オフ」な路線に乗っていたとき、空いていたから、私は優先席に座った。
 隣で、40歳くらいのリーマンオジサンが、熱心にメールを打っていたのだが、私は気にもしてなかった。
 後から考えると、昔は「コギャルは、さすがにケータイ・メール打つのが早いね」と言われたのも、数年前の話で、今では、私より年配のサラリーマンおじさんでも、これくらいのスピードでメール打つのね、と、頭の片すみで思っていたかもしれない。

 途中の駅で、お向かいのやはり優先席から立ち上がった「定年後」なオジサンが、私の横にいた「働き盛り」なオジサンに、「あんた、ここ、優先席だよ?恥かしくないのか?」と言って睨んだ。
 私もポカンとしたが、リーマンオジサンも無言で顔を上げていた。

 まあ、優先席で激しくケータイメール打つ40歳サラリーマンというのは、決して、みっともいい姿ではないが、でも、3人掛け座席で、ひとつ空けた隣に座っていたのは、「どこも体には不自由ありません」という風情の私だし・・・・
 夜の優先席なんて、有名無実であるが、まあ、たしかにルール違反だといわれればそうである。
 だから、注意したほうに非があるわけではないが、でも「恥かしくないのか?」って言い方はちょっと・・・・

 横に座っていたリーマン氏も、そう思ったらしく、無言のままだった。
 つーか、ああいう言われ方すると素直に謝れないだろうけど・・・・・

 でも、注意したオッサンが、そこで降りたら、またカチャカチャと激しくメール打つっていうのも・・・・

 なんか、とっても殺伐としていて、「どっちもどっち」なんだが・・・・

 ふと、心配になるが、団塊の世代が大量に定年を迎えると、ああいう「おせっかいオジサン」が増えるのかもしれない。そんで、団塊ジュニア世代は、団塊の世代の、ああいう高飛車な物言いに我慢できなくて、キレやすくなるかもしれない。

 団塊のオジサマたちは、ズボンずり下ろした若者には、それなりに気をつかうだろうけど、「背広着た、キレやすい中年」はノーマークっていうか、ついつい、部下を叱るようなかんじで、ストレートにやってしまうのだろうけど、若者よりも、背広族のほうがコえーと思うよ。気をつけてください。

 この間、やはり電車に乗っていたら、周りを「デカいスポーツバックを持ったガラのよくない高校生の集団」に囲まれた。
 でも、よくよく観察すると、奴らh「ガラがよくない」のではなく、部活の練習でくたびれきっており、スポーツバッグは床にばら撒いたり、本人たちも床に座り込んでいたりしていただけであった。
 彼らより先に、私が下車することになったのだが「足の踏み場もねーじゃん」と憮然として出口を目指す私に、くたびれきっている中でも、わずかに「社会常識」が働くやつが、「おい、邪魔になってるぞー」と声をかけてくれて、サっと、モーゼの前に開けた通路みたいなことになった。

 若い子のほうが群れるので、そうやって1人くらい見張りがいて、外敵からうまく身を守っていたりする。
 オバサンの集団もそういうとこあるかも。

 定年退職したオジサンが、今の日本で一番危険かもしれない。群れから追い出されたけど、まだまだ引退する気のない雄ライオンみたいに危険。おねげーですから、電車内でケータイ電話を狩るよりも、他にもっとやることあると思いますので・・・・

 そーいや、私が経理をちょっと手伝っている新規事業の会社も実は「団塊の世代の有効活用」な会社でした。いやー、大好評でね。
 でも、オジサンたちって要するに溜まり場がほしんですよね。
 「若者の居場所を」って話はときどき取り上げられますが、あのオジサンたちは、そういうのをどう思っているのかな?
 いや、いいんですけど、うちの会社の会議室を占領されちゃうと、ちょっとムっとするだけです。
9月6日(水)

 そういえば、キアヌが映画の宣伝で来日してた。
 成田空港に到着したときの映像を観たが、愛想よく手を振ってニコニコっていうか、ヘラヘラ笑顔だったので「ずいぶんご機嫌だなあ」と思っていたら、テレビ局もそう思ったらしく「飛行機の中でかなりお酒を召していたようです」とコメントしていた。

 さて、今朝のテレビはご出産の話題が独占。
 でも、事前の雰囲気的に漠然と「やっぱ男なんだろーなー」とは思っていたけど、やっぱ、そーでしたか。

 それはいいんだけど、早々と「皇室典範改正見送り」を表明するっていうのもなあ。
 まあ、自分の時代で手を下したくないということもあるんだろう。
 なんか、環境問題みたいですよね。次世代に問題を先送りして、そのころにはもう取り返しがつかなくなっているかもしれない。私は別に構わんが。(でも、けっこうロイヤル・ファミリー好きなんだけどね)
 でも、もしかしたら、現存する男子の精子を冷凍保存くらいやってるかもしれないな。

 でも、なんかねー、「絶滅寸前のトキ」の話みたいなかんじがして、悲しい気分になってくるのですが、でも、よく考えると、別に人間が絶滅する話ではないのですが、でも、あんまし調子に乗って書くと不経済・・・不敬罪になってしまうかもしれませんが、最後に残ったメスのトキが卵産んだのどうのってニュースが流れたときに、「でも、もうダメでしょ?」ってみんなわかってるのに、そうは言えなかった雰囲気と似てるような。

 そーいえば、結局、中国から取り寄せたんだっけ。今はどうなってるんだろう?

 なんとか数を増やしているらしい

 よーし、皇室も中国から供給しよう。ってわけにはいきませんが、いざとなったら旧宮家あたりからひっぱってくるんだろう。

 よし、なんだか長生きして事の成り行きを見守ってもいいような気がしてきたぞ。
 生きる希望を与えていただいて、ありがとうございます。(不敬な発言の埋め合わせ)

 別に、死にそうになっていたわけでもないが、ここんとこかなりボンヤリしてましたので。
 明け方に目が覚めたと思ったら、急に発汗しはじめて、寒くなって布団かぶったりとか、ほんとに自律神経失調症気味らしい。ただの「季節の変わり目」だと思うけど、もしかしたら更年期障害か?
9月5日(火)

 先週の金曜が休みで、土日月と出勤で(日曜はまた早朝からのイベント手伝い仕事)、今日がまた休み。

 こういうシフトに未だに慣れない。
 もっとも、いつもそうだったら慣れるのかもしれないが、季節限定だからなあ。
 おかげで、イベント仕事が挟まると、慣れない外仕事というのもあいまって、なんだか軽く自律神経が乱れるようである。

 今日はモーレツな残暑であったが(東京の最高気温33度)、午前中に起きて、がんばって布団を干した。
 まるで熱湯消毒したように、布団がアツアツに天日干できたので満足だったが、汗だくになって疲れたので、午後はしばし昼寝してしまった。

 ホリエモンの裁判が始まったが、報道の見出しが「今日は黒のスーツ」っていうのは、よーわからん。
 ピーコのファッションチェック?

 でも、「もう、この裁判、どうでもいい」という気分はなんとなく伝わってくる。

 自民党次期総裁候補については、さらにどうでもいい感が強いようだ。
9月2日(土)

 残暑厳しいとは言っても、朝夕はだいぶ涼しくなってきた。

 てゆーか、今年の夏はチョロかった?
 他は知らんが、東京は「フツー」ってかんじだった。
 梅雨明けは押したけど、そこそこ暑かったけど、そんなにキツくもなかったし。

 いつも思っていたけど、みんな異常気象が好きなので、こういう「可もなく不可もない夏」になると、「フツーでいいですね」って誉めてもくれない。
 人間の場合でも同じで、みんな異常者は大好きだが「普通の人」について、楽しそうに語ったりしないけど、でも、人間は死ぬと「普通のいい人でした」と誉めてもらえたりする。明らかにフツーじゃない死に方しても。

 さて、エアコンの普及で、こんな心地よい夕暮れでも、外で夕涼みする人を見かけることは少なくなった。
 下町には実在するのかもしれないけど、「世田谷区の下町」を誇る三軒茶屋では、ほとんど見かけない。

 しかし、猫はちゃんと夕涼みしている。
 今日も会社帰りに家に向かっていたら、「駐車場にはもれなく猫の夕涼みがついてくるのだろうか?」と思うくらい、猫が夕涼んでいた。

 でも、猫は気位が高いのか、もしくはそう見えるだけのかよくわからんが、風通しのいい駐車場でくつろぐ猫たちは、なぜかみんな、「オランピア」とか「裸のマハ」みたいである。

 要するに高級娼婦みたいってこと。

 そういや、猫を飼っている人って、高級娼婦を囲っているダンナか、高級娼婦に使える小間使いになってるよなあ。

 猫が先で、高級娼婦が猫を真似して、長椅子でこれ見よがしにくつろいでいるのかもしれないという仮説が浮上した初秋の夕暮れであった。
9月1日(金)

 朝から雨。
 休みなので、今日は何個が用事があった。その一つが「コンタクトレンズを渋谷まで取りに行く」
 先日、処方してもらったのだが、在庫がなかったので取り寄せになっていた。

 雨だというのに、渋谷まで出かけるのも億劫だったけど「雨だからいつもより空いてるだろうし」と重い腰を上げた。それに、今日は映画の日なので、ついでに映画でも観てこよう。

 最近、全然映画観てなかった。だって、通勤途中にあるシネコンは夏休み中はガキ向け映画に独占されちゃんだもん。
 かといって、すごく観たい作品があるわけでもなく、「なんにしよっかなあ」と探していたら「あ、これだ!」

 実は、先日、コンタクトを作りに行ったときにも「観ようかな」と思っていたのであるが、あの時は暑いのに渋谷まで歩いたから、ぐったりと疲れてしまい、ご飯食べてからすぐ戻ってきてしまったのである。(でも、帰りも歩いたんだけど。途中でかなり意識が朦朧として、自分ちの近所で違う道に入ってしまい、一瞬だけ道に迷った。すわ、若年性アルツハイマーか?と不安になったが、熱さと疲れで朦朧としていただけらしい。たぶん)

 せっかくだから渋谷でランチでも食べてから、と思っていたのだが、映画館でチケット買ったら、もう開演30分前だったので、フレッシュネス・バーガーでさっさと済ませたのだが、隣に座っていた40代女性と20代女性の2人組みが「あら〜、なんかこの店、アンティークでいいわねえ」「ほんと、たまにはいつもと違う店もいいですね」「なんか、こだわりの店よねえ?見た?あの冷蔵庫だって、アンティーク調で・・・・」と話していたので、「えーと、ただのフレッシュネス・バーガーですが、そんなに喜んでいただけると、なんだか嬉しいです」と思った。

 さて、観た映画は、今日が最終日だったんだけど、ビースティ・ボーイズの「撮られっぱなし天国」ってやつ。
 山形浩生先生が大絶賛してました

 シネマライズでやってたんだけど、レイトショー以外は「ライズX」っていうのでやっていて、未踏の地だったんだが、40人くらいしか入れないすげー小さい映画館なんだけど、なぜか椅子が豪華でした。黒い革張りのゆったりした椅子。マッサージチェアからマッサージ機能を省いたようなやつ。
 1000円均一の日だからかもしれないけど、平日の昼間なのに、20人くらい入ってた。

 私、ビースティ・ボーイズのファンでもなく、CDも買ったことないし、曲も聴けば知ってるのもあるっていう程度だったんすけど、もうオープニングでがっちりハートを鷲づかみにされてしまいました。
 ミックス・マスター・マイクすげーよ。
 スターDJは、クラブでもよくああいうオープニングをカマしますが、あそこまで上手くやられると、楽曲が始まった瞬間「ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜」と絶叫して失神しそうになります。

 映画館の音響設備がイマイチだったのにも関わらず、頭の中から「今まで観て、死ぬほどよかったライブやDJプレイ」を思い出して、それで自動修正してましたので、全然問題なし。
 ファン50人にビデオカメラを持たせて、ずっと撮影した映像と、プロが撮った映像を上手くリミックスしているのだが、ファンの中には途中でトイレに行ったり、バックステージに潜り込もうとしたりと、普通のライブ映像ではありえないシーンが挟まり、そのあたりは笑えるんだけど、でも、カメラがそうやって演奏とは直接関係ない場所も写すと「そうそう、いいライブっていうのは、こういうもんよ」って思い出が蘇る。

 その昔、イベントの企画をしていた知人と議論になったのだが、その知人が企画していたクラブイベントは「DJがいて、踊るだけじゃなくて、他にも楽しめる企画が盛りだくさん」というものだった。まあ、その当時もよく、ファッションショーなんて挟んだり、なんてゆーのはあったけど、私はそういうのは退屈だと思っていたので、「やっぱし、核となる音楽がちゃんとしてないとダメでしょ」と意見したのである。

 お祭りの縁日だって、神社があってこそなわけだし、たとえ神様がいなくても「タイ・フード」という信仰があってこそのタイ・フード・フェスであるし、太陽がないと太陽系が成り立たないように、イベントにも何か太陽が必要なのである。そうじゃないと「そこそこのDJがプレイしてて、ライブもあって、その合間にファッションショーがあって、ロビーではアート・パフォーマンスをしてて、食べ物の屋台が何軒かある」ってだけだと、惑星はみんなてんでバラバラな方向にすっ飛んでいってしまう。
 現実的な話、そういうイベントに集まる客は「DJの友だち、バンドの友だち、ファッションショーのスタッフの友だち」になってしまい、そこそこ人は集まるが、みんな自分の友人がやってること以外に興味ないので(友だちのライブに行っても、対バン観ずに飲みに行ってしまうみたいに)、イベントとしてはそこそこ成功するかもしれないが、「いいイベントだった」とは誰も思わないのだ。

 そんなことを思い出したのは、逆に後から考えると「最高のライブ/イベントだった」と思い出せるものは、主催者が意図してなくても、隅っこのほうまで「なんかいい感じ」になり、ロビーで休憩してても退屈なんかしないのだ。

 私が判断のバロメータにしているのは、もちろん第一に自分が「よかった〜」と思えるかどうかであるが、その「よかった〜」を形成するのに、「売店のオバサンや警備のオジサンまでが、なぜかノリノリ」という現象も一役買っていると思うので、「ライブに直接関係ないスタッフまで楽しそうなイベントは、最高のイベントである」と断言している。

 アンダーワールドが最高のライブを見せてくれた初回の「レインボウ2000」も、遊園地の食堂のオジサンたちは事前にどういうことになるのか予想もしてなかったのだろうけど、ライブの興奮をそのままホットドック買う行列に持ち込んだ客をさばくのに必死のうちに、なにかが伝染したようで、いい意味でテンションあがっていたし、ゴア系の野外パーティーにもよく、地元の人が屋台を開いていたが、いいパーティだと、テクノなんて聴いたこともないようなおじさん、おばさんまでもが「なんか楽しそうだねえ、オレも踊っちゃおうかな?」なんて冗談飛ばしつつ楽しそうだったし。

 「撮られっぱなし天国」でも、アメリカ人だからかもしれないが、警備員や売店のスタッフもなんだかノリノリで、まるで自分も「ビースティの一員」って顔しているので、「いいライブってそうなるんだよなあ」と思ったのであった。
 もちろん、そういう場を作ったビースティが一番凄いのであるが。
 すごく知的な人たちなんだけど、わざとバカっぽくやっているので、モンティ・パイソンみたいなんだが(ルックルもそんなかんじ)、でも、そんなの何にもわかってなくても、あれだけのライブやられたら、私だって夢中で踊り狂っていたであろう。もう、手をヨーヨーヨーって前に振っちゃうよ(笑)

 ちなみに、映画館で隣に座っていた若い女性は半分寝てましたが(笑)

 カメラを持った客が、ダッシュでトイレに飛び込み、ダッシュで戻る様子にも感動しましたが(私もトイレが近いので、よく中抜けするが、ロビーとトイレで少しテンションが落ち着くのだが、会場に戻ると、ふわーっと元に戻るというか、呼び戻されるような、あのかんじが好き)、ラストのほうで、メンバーがバックステージからダッシュしてエレベータに乗り、会場後方の客席から現れるという演出があるのですが、エレベータに乗るとシーンとしていて、ってゆーか、電話の保留音みたいな無難な音楽がエレベータの中で流れていて、すげえ笑った。

 マディソン・スクエア・ガーデンは、「東京で言えば武道館だろう」とは思っていたが、バックステージの廊下にはバスケの写真なんかがズラリと飾られていて、「やっぱ、そうなんだ(笑)」
 アリーナは熱く盛り上がっていたが、武道館でいえば2階席みたいなところでは、みんなマッタリとしていて、カメラ持った人が「ビデオまわしてるんだから、もっと盛り上がって!」などと煽っていたが、後ろのほうには、後ろのほうなりの楽しみ方があるわけで、あのあたりもリアルで面白かった。

 うーん、ぜひ、フジロックでやってほしい。
 チベットをどうこうって説教してもいいですから(笑)
 どうせ、英語だと何言ってんのかわかりませんし。

 とりあえず、ビースティ・ボーイスのことをよくわかってない自分ですら「ビースティ、まじヤベーよ、超かっけ〜」と、すっかり洗脳されましたので、興味のある方はぜひ、DVDで鑑賞してみてください。「まじ、かっけ〜」としか言えない厨な自分を楽しめること請け合いです。
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