可燃物な日々

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10月31日(金)

 風邪よくならず。
 良くもならず、悪くもならず、じりじりと低空飛行しちょります。
 でも、それなりに「波」があるみたいで、飛行機だって、ずっと同じ高度を水平飛行するのはわりと難しいのだと思うけど、風邪の低空飛行にも、それなりに上昇気流やエアポケットがあるみたいで、ときどきフっと浮上したと思えば、ズドンと落ちたりするわけです。

 家に帰って、溜まった洗濯物を洗濯機に入れて、床に溜まった洗濯済みのものを畳んでいたら、センタークモノの山から先日買ってしまった「感じるブラ」がひょっこりと出てきました。
 「あ、そういえば、こんなの買っちゃったんだ。てへ」

 下着はほとんど「MUJI」で揃えているので、地味なのばっかなんですが、この間、近所の西友で、秋冬の仕事着2着をまとめ買いしたときに「たまには、ワコールの下着くらい買うか」とフンパツしちゃったのでした。
 「外したくないほど、つけごこちがいい」という売り文句でしたが、なによりも目を引いたのが、アンダーバストを支えるバンド部分が「波状」になっているのです。「これは、きっと、脇のお肉タプタプ感を減らす設計なんだな」と勝手に考えてしまいまいした。

 「脇のタプタプ」に注目している男性がいたら、相当の通ですが、女性にとっては大きな悩みです。
 けっこう痩せ気味の子でも、そこは弛んでいることが多く、夏に体にぴったりと合った服を着ると、そこだけ肉がはみ出すのです。
 幸いにも私はなぜか、その部分が「固太り」しており、ぽっちゃり系のわりには肉がはみ出てなかったのが自慢だったのですが、寄る年波には勝てず、年々軟弱化する一方でした。
 ですから、その高価なハイテクブラの効果に期待してみたのですが・・・・・やっぱ、肉はみ出る。

 つうわけで「わあ、この波波ラインおもしろーい、画期的だ」と思って買ったブラですが、1回つけてみただけで興味を失ってしまったのでありました。
 世の中には、こういうことを年中繰り返している女性もいるんだと思います「寄せて上げる」だの「しっかりシェイプ」だのという美辞麗句に乗ってあれこれ買っては、すぐ飽きるという。化粧品もそうだけどね。

 そんで、女性雑誌でも、そういう女性の心境は「男の女癖」によく例えられています。
 「もー、男ってなんですぐ浮気するの?信じられな〜い」と叫ぶ女性たちも、自分らの化粧品選びや下着選びの行動を思い出してみると「あ、こういうこと」と思い当たるようです。

 私にしたって、「地味だけど長持ちするし、価格も安い」というMUJIでよかったのに、ついつい派手な女に目移りして「たまには、こういうのもいいかな」と思って買っちゃったわけですから、「あんな、いい奥さんがいるのに、なんであんな派手なだけの女と?」という男性を責められません。
 責めたこともありませんが。

 だからってわけでもありませんが、やはり人間って「いくら、いいものでも、ずっと同じだと飽きる」ものです。
 私は海外旅行すると、「やっぱずっと住むのは東京でいいや」と思うので、海外旅行というのは、ちょっとした浮気であります。そんで浮気相手が、ちょっといい女だったりして、その女の着ている服の趣味がいいなあと感心したら、妻に同じような洋服買ってあげればいいじゃないですか。喜びますよ?成功する輸入業者って、そういう「あ、これいいじゃん。日本にもあったらいいな」なもんを持って帰って売るわけでしょ?

 それにしても、風邪の調子がよくないので、今夜はプリファブ・スプラウトを聴きながら部屋の掃除。
 あのコード進行と、バディのエンジェル・ヴォイスがなんだか殺菌作用あるような気がして。

 そーいや、昨日、美容院に行く前の時間潰しでお茶してたファーストキッチンが80年代ヒットソングを流していて、マッドネスの「OUR HOUSE」が流れたら、ビビビときてしまい、今日は頭の中でずっとアレが鳴り響いていた。
 マッドネスはその能天気なキャラと、スカから引用した、わりとマイナー調のコード感のミスマッチが出色なバンドでしたが、「OUR HOUSE」はその中でも変態度の高い曲。ふつうに思い描く「明るい曲」と「暗い曲」の境目を見失います。昔のシカゴもそんな感じでしたが、ホーンを多用するバンドって、マイナー調を能天気に演奏しきるので、けっこう好きです。日本のお祭りのお囃子の哀愁感にも通じるものがある。

 雛人形が醸し出す「ゴージャス感」と「哀愁感」もこんな感じなのかも。
 「マッドネスってワビサビだったんだ」と思いましたです。

 というわけで、プリファブ・スプラウトも英国製なワビサビの世界で好きだ。
 「カリフォルニアの青い空」ではなく、曇天の続く中での一瞬の陽だまりを愛する世界。
 そういう意味では、私がブライアン・ウィルソンの楽曲が好きなのは、「青い空」な場所に住みながら、引き篭もっているので「ああ、外はあんなにいい天気」という「ワビ」をブライアンが知っているからではないかと思われ。

 などと、わけわかんないこと書いてないで、風邪気味だから早く寝ましょう。明日も明後日も明々後日も出勤です。三連休?なにそれ?
 ってわけで、ワビ〜〜〜の世界です。  
10月30日(木)

 昨日から出血開始だったので、ダルダル。
 飲みすぎによるダルダルも加算されているので、ダルダルダルかったが、三銃士に出てくるのはダルダルダニャンだったかもしれないくらいダルい。

 今日はもともとお休みの日で、美容院に1時からの予約を入れていたのだが、眠いしダルいし暑いしで、なかなか起きられなかったのだが、「なんとしても、お昼ご飯を食べておかないと、夕方まで美容院に缶詰だ」なので、なんとか昼前には家を出て、下北でラーメンを食べた。

 鼻水がひどくなる一方だったので、とうとう鼻炎のクスリを飲んで美容院に挑む。ダルダルは治らなかったが、どうせ座っているだけなので、ちょうどよかったかも。
 しかし、ストレートパーマをかけるので、自分は座っているだけとはいえ、5時間もかかるので、けっこう体力勝負なのだ。

 美容院に行くと、普段読まないような雑誌を置いてくれるので、それを読むのをけっこう楽しみにしている。コスモポリタンなどを置かれると、ちょっとヘコむのだが、それでも「こういう機会が無いと読まないし・・・・」と熟読しちゃったりする。
 今日の「お姿はいつもお見かけしていましたが、こうしてちゃんとお話するのは初めてですよね?」とご挨拶した雑誌は「VERY」だった。

 「クラッシー」を一回りカジュアルにしたような、っていうか、「クラッシー」を支えているような読者の多くは実は2LDKの団地(のくせに、マンションと呼ばれる謎の物体を含む)住まいということを「クラッシー」は必死に隠していたのに、「VERY」は、それを隠したりしていないようである。

 しかし、なぜあの手の「コマダムとマダームのための雑誌」つうのは、あんなにブ厚くて重いのだろう?
 どう考えても持ち歩いたり、電車の中で読むのはキツい重さなので、「座ろうと思えばいつでも座れる専業主婦」向けであることがよくわかる。二の腕が鍛えられていいのかもしれない。

 前に友達が「AERAって売れてんのかね?」と言ったことがあった。中吊り広告の一行ギャグは有名だけど、そのわりにはちゃんと中を読んだことがなかったりするらしい。でも、私は何回か買ったことがある。「一人で外出してるときに、ちょっとご飯を食べたくなって、でも本を持ってないと、一人でご飯食べるのは手持ちぶさたじゃない?そういうときに買うよ。オーダーが出てくる前と食後にパラパラ読むのには丁度いいし、軽いから、カバンに入れやすいし、それに捨てるときにも、ページ数が少ないからなんとなく環境破壊が少ないような気がするところがいいんじゃない?」
 友達も「なるほど、そういうときはいいかもね」と言っていた。

 だから「AERA」は「軽い薄い」が売りなんだと思っているのだが、じゃあ「VERY」の「重い厚い」はどういうマーケティングなんだろう?
 美容院で読んでいても腕が疲れるので、足を組んでその上に載せるしかない。はっきり言って読みにくい。
 たぶん、これはテーブルに置かないとダメだろう。

 洗濯機や食器洗い機が働いている間、台所のテーブルに置いて読んでいるというのが一番しっくり来るだろう。
 だから、内容もそんなかんじ。
 「リフォーム」の特集が載っていたのだが、それは「建売っぽさを払拭するプチ・リフォーム」であった。建売マンションや住宅にありがちな、キッチンや水まわりをリフォームするとこんなにオシャレという、貧乏くさい特集であった。しかも「けっこう安くできるのです」と言うわりには、いいお値段。マイホームを購入したばかりの専業主婦家庭では、とてもその費用(100万 〜)を捻出するのが無理だろう。住宅ローンで目一杯だもん。

 そんで、そのくらいの小金に困らないような人たちは、最初からオーダーでキッチンも揃えるだろうし。
 だから、最初からフル・オーダーで作ったキッチンを拝見するのもいいけど、「このお仕着せのキッチンだって、ちょっとリフォームすればこんなゴージャスになるんだ」という小さな夢を主婦たちに与えるのが「VERY」の使命のようである。

 そんな特集を眺めていたら、美容師が「こんな家、いいですよね〜」と言ってきたので「あ、でも、この前、テレビで真っ白な家に住んでいる人を観たけど、家族総出で掃除してて維持が大変そうでしたよ」なんて会話していたのだが、その美容師さんは、私と年齢も近い女性で、わりと質実剛健なマインドが同じなので話が合うのだが、ふと彼女が「最近の建売住宅って、みんな同じですよね」と言った。

 「そうそう、なんか多いですよね。あれって何風って言うんでしょ?」
 「プロバンス風っていうかな?」
 「プロバンスなんですか?なんかちょっとサンタフェってかんじもするけど」
 「まあ、とにかく、オレンジ色っぽくて(笑)」
 「そうそう、暖色系のレンガで(笑)」
 「そのレンガも途中までしかなくて(笑)」
 「壁は黄色っぽくて、小さい熊手でつけたような筋がびっちりついているんですよね(笑)」

 最近流行りの安物住宅の様式って、いったい何風って言われてるんでしょうか?

10月29日(水)

 最近、夜はけっこう冷え込むので、ちゃんと布団をかけて寝ているのだが、今日起きたら暑くて汗だくだった。(「汗だく」の後に「ツユだく」と言うと、なんかマズマズしい)
 おかげで、また風邪の具合が悪くなり、だんだん鼻水がひどくなってきたのだが、帰りに社長に捕まって蕎麦屋でいっぱい飲む。(a cup of ではなくて a lot of です)

 家に帰るとNHKのインタビュー番組(かずしげ君が司会のやつ)にピーコが出ていて、眼球摘出の話をしていて、それをぼんやり聞いていたら頭がグラグラしてきて、耐え切れずチャンネルを変えてしまった。
10月28日(火)

●雨の中、天使に出会う

 朝から雨が降っていた。けっこうジャコジャコ降っていたが、こういう日に限って、駅まで遠回りする用事がったりするのである。
 また内容証明郵便を出す用事があり「社会勉強と称してハイジにやらせよう」と思ったのだが、身内に不幸があり、しばらくお休みになってしまったので、しょーがないから、今、経理課で一番暇そうな自分で行くことにした。
 会社の近所に内容証明を受け付けてくれる郵便局が無いので、電車で一駅先まで行かないといけないのだが(「いかない」と「いけない」のどっちなんだろうか?と悩む表現)、ふと「そうだ。なにも会社の最寄じゃなくてもいいんだよ。どっから出したって同じジャン。だったら、自分ちの側に本局があるし」と遅まきながら気がついて、「明日は郵便局に寄ってきます」と、珍しく「直行」の予定を入れていたのであった。

 天気が良ければ「ちょっとだけ遠回り」なだけだが、雨だとけっこう遠く感じた。
 郵便局への近道は、いつもスポーツクラブの帰りに利用する「狭くて暗い道」であるが、抜け道になっているので歩道の無い狭い道で、傘を差したまま自動車とすれ違うのが面倒。傘をちょっと持ち上げながら、車を避けていたので、雨量がそれほどでもないわりには、足やスカートやリュックがずぶ塗れになってしまった。なんか朝から憂鬱。

 しかも、途中にある世田谷線(チンチン電車みたいな路線)の駅の脇の道は、私道らしく、ちゃんと舗装されていないので、水たまりを避けて歩くのが大儀なのである。
 と、重い思いで、その私道を埋め尽くす水溜りを眺めていたら、前方から、なにか不思議な輝きを持つ人物が颯爽と歩いてきた。

 なんか、メンズ・ファッション誌のから抜けて出てきたような外人男性だったのである。
 いや、別にその人が、デルモっぽかったから一目ぼれしたという話ではなくて、彼が着ていたコートが、なんかこの世のものとは思えないようなオーラを放っていたのである。

 先日は「カモネギ萌え」したりしていたが、今日は「コート萌え」。
 そういや、先週、目の前を歩いていた中年女性が、リュックにネギをつっこんでいたので、「萌え〜」と一瞬思ったのであるが、よく見ると、ネギの向きが逆だった。緑色のほうを下に突っ込んであり、ネギの根っこのほうが、上を向いていたのである。「なんでそんな不自然なことをするのだ!」と説教したくなりましたです。
 逆さまにされたネギだって辛いでしょう。野菜の人権だって考慮してあげようよ。真面目な話、野菜を保存する際には、上下ってけっこう重要らしい。ホウレンソウや小松菜などの葉もの野菜は、上下に敏感で、横や下向きに置かれると、ストレスを感じるのでビタミンが損なわれたり、萎びるのが早かったりすると、どっかで聞いた。
 でも、ジャガイモやにんじんなどの「根もの」野菜は、上下感覚に鈍感らしい。
 えっと、じゃあ、ネギって根もの?葉もの?どっちだ?

 と、話がまた逸れてしまいましたが、とにかく私は、男性用のコートがとても好きなのです。
 コートといってもシンプルなステンカラーコート限定。
 あの無駄の無いデザインこそ、着る人のセンスが問われます。
 丈や袖の長さ、肩のゆるみ、そういう「自分に合ったサイズを選ぶ」センスが問われると思うのです。

 それに、あのデザインが好きなのに、自分には似合わないということが、さらなる憧れを生んでいるという理由もあります。あれはわりとスレンダーな女の子じゃないと似合わないのでありました。別に私が着ても誰も文句いわないですが、自分の目指しているものとあまりにも違ってしまうので、どうしても着れないのでした。

 そういう事情から、3年に一度くらい「ああ、なんて完璧に着こなしているの!」という男性を目撃し、感激したりしてましたが、今朝、雨の中で私の前方10メートルに忽然と現れた西洋人男性も、「この人には、このサイズしか考えられない」というドンピシャなシルエットでした。

 その衝撃もあって、妙に輝いて見えているのだ、と思ったのですが、でも、それだけじゃなかったのです。周囲を歩く人たちの下半身は、吹き付ける雨によって私と同じように濡れていて、繊維の色が重く変色し、なんかヨレっとしているのに、彼のコートは、たった今、店で試着したばかりのように、乾ききっていて、しかもシワひとつないのです。「こいつの上だけ雨が降ってないのか?」と疑りましたが、でもちゃんと傘は差している。

 それにファッション雑誌の中から抜けて出てきたように見えたのは、成人式に振袖を着て写真館で写真撮影した経験のある人だったらわかるでしょうけど、ああいうファッション誌の写真もきっと、カメラのレンズが見えないところで、洗濯バサミやガムテープでこっそり修正していたりするはずです。そのあたりもスタイリストやカメラマンの腕なわけです。
 そんで、その彼のコートも、裏でそういう細工しているように不自然なほど美しく見えたのでした。
 たぶん、かなり高級なコートなんだと思います。素材とカッティングがいいから、普通に着てても、あれだけ美しいシルエットを誇示できるのでしょう。

 それでも、「この人と私が同じ時空に存在するとは思えない」という異様な存在感で、あのくらいの高級感なら、別に珍しくもないはずですが、「雨で駅のそば」というローワーが多く存在する地点に忽然と現れたから違和感ありまくりなのかな〜と短い時間の中で思いを巡らせていたのでした。

 彼とすれ違うまでの数秒間の中で、これだけのことを考えていたので、隠そうとしても私の視線は相当熱かったらしく、向こうは、「オレに惚れたか、この女?」な流し目を向けてきましたが、顔には興味ないのよ。顔には。
 さて、茫然としながらも郵便局にたどり着き、ズブ濡れになったリュックから内容証明の書類を出して無事出すことができましたが、電車の中で「なんで、あんなもんが、これほど衝撃的だったのだろう」と考えてしまいました。
 もしかして、やっぱ一目ぼれ?



 ・・・・・・・答えがわかってしまった自分の賢さが憎いですが、あの人のコートは、ほんとに買ったばかりで、かなり上等な「防水加工」が施されていたのだ。
 だから、他の人が「ヨレっ」としている中で、一人で「しなやかにパリっ」としていたので、雨にけぶる景色の中で浮きまくっていたのでしょう。やられたわ。
 なんか、ほんとに、あのコートだけ浮き出して見えたんだもん。

 それで思い出すのも、なんですが、「知覚の扉」という、その筋では有名な本があります。ドアーズのバンド名も、この本からとられたらしいが、ラリラリ系ニューエイジな人たちのバイブルの一つ。
 オルダス・ハックスレーがメスカリンでラリってみて、いろいろな芸術作品を鑑賞した経験をエッセーとしてまとめたものなのですが、私も一応ざっと読んでみましたが、「なんか、結局、新宿でイラン人からゲットして、歌舞伎町あたりでラリってる日本のおバカな若者と同じじゃん」と思いました。「うっひょー、歌舞伎町のネオン、キョーレツ」と浮かれてたり、深夜営業するファーストフード店から流れてくる安っぽい音楽で踊っちゃったり(目撃したことがある)。

 そんで、たしかハックスレーさんは、ラリっている最中に画集を眺めてみて、エル・グレコの絵で「おお!全部わかったー!」(サイケデリック系でラリった人の決めゼリフ)と書いていた、という記憶があるのですが(他の人だったらすいません)、エル・グレコの絵って、人物の表情がかなりイっちゃってるので、好き嫌いが激しいというか、私を含めた日本人には「濃すぎ」で、ハックスレー氏もそう思っていたそうなんですが、ラリって見てみると、「顔の表情よりも、人物が纏っている服のほうが表情豊かだ」ということに気がついたそうです。

 いったんそう思って見てみると、どの絵も、実に大げさにドレープが描かれているのですが、そのヒダヒダの一つ一つに深遠なメッセージが込められていると・・・・・「知覚の扉」には書いてありました。たぶん。読んだの10年以上前なので細部忘れました。
 それを読んだ当時は「なんか、旧約聖書には人類の歴史の全てが予言されているとか、そういうっぽいかんじ」と鼻白みましたが、でも、今朝、あのコートが輝くように迫ってきたときのあの感覚を思い出すと、エル・グレコの絵に魅入ってしまったハックスレーさんの心境も、そういうもんかもしれないなあ、と想像することができました。

 そういえば、今朝も起きたらまた風邪気味だったので、気合入れに「田七」(きょうみさんの香港みやげ。ウコンなんかと似たようなものらしい)齧ったが、あれが幻覚作用を引き起こしたのだろうか?

 まあ、どうでもいいのですが、雨降りしきる中で、天使の衣装のように輝くコートを見て、かなり気が紛れたし、おかげでとうとう悲願であった「内容証明一発OK」も頂いたので、朝からご機嫌だったのですが、人生っていうのはラクありゃクもあるのが常で、会社帰りに「ク」も目撃してしまいました。

 当初の天気予報(午後には雨がやむ)を覆して、結局夜まで雨がやみませんでしたが、人間には憂鬱な秋の雨でしたが、カエルさんにとっては絶好のお散歩日よりだったらしく・・・・・・轢死体を発見。カエルの轢死体を目撃したのは、前に住んでた下北以来だ。
 その当時住んでたアパートのお向かいに、庭の広い家があって、池もあったので、カエルさんをブリーディングしていたらしく、その近所ではけっこう轢死体を目撃していたのです。それもあって、三茶に引っ越してからは、道を横切るカエルを必死で保護していたのだ。その甲斐あってかどうだか知らないが、ここ8年くらい轢かれているカエルなんて見たことなかったのに・・・・・

 というわけで、天国と地獄だった、一日でした。
10月27日(月)

 昨日は、先日の某飲み会でお世話になったときに、「そっか、実家に帰っちゃうんだ、じゃあ、その前に一度ご飯でも食べましょう」という会話を交わしたらしい(酔っ払っていたので全然憶えてない)yucoさんと、「天才プログラマー」新井君と新大久保で韓国料理を食べる計画。

 しかし、朝、というか昼起きたら、なんか背中が痛くて、ちょっと風邪気味のようである。
 でも、きっと韓国料理食べれば良くなるだろうと期待しつつ、風呂に入ったり、布団を干したり、最近、寒くなったせいかちょっと元気のない「みっつのしもべ」を日光浴させたりと、バタバタしていたら3時ごろ電話が鳴ったので「予定変更の連絡かしら?それとも、ばあさんが死んだとか?」と思いながら電話をとると、Mちゃんからで、

 「シンガポール行き(クーリエの仕事)が急にキャンセルになっちゃって、でもせっかく頭まで巻いたのに、このまま外出しないのも悔しいから、暇だったら夕飯食べない?」

 「シンガポール行き」と「頭巻いた」というのの意味がよくわからなかったが、とりあえず「今日は予定が・・・・でも、韓国料理だし、いまのところメンツは3人なので、4人になっても支障はないだろう」と、とっさに判断して、「よかったら一緒に行かない?」「うーん、割り込むのもちょっと悪いから、他もあたってみる」

 とのことで、30分くらいしたらまた電話があり「やっぱ、突然すぎて、誰も都合がつかないので、悪いけど混ぜて〜」

 私の欠点は「自分が基準」でGOGOなので、「他の人が急に誰か知らない人連れてきても、私はへっちゃらだから、他の人も大丈夫に違いない」と勝手に判断してしまうので、ときどき叱られるのだが、でも、そういうの嫌がる人もいるんだろうけど、ま、いいか。(この能天気は死ぬまで治らないと思われ)

 というわけで、4人で新大久保攻略。
 新井君が前にも行ったことのあるお店で、店構えは全く冴えないが、とても美味しかった。
 おかしかったのは、韓国に3ヶ月語学留学した新井君が、きちんと韓国語で注文しても、店のオバサンは日本語で「はーい」と応対してくれていることだ。ありがち。

 私がもし、NYの日本料理屋でウェイトレスしてて、日本語ができる白人が客だったらどうするのかなあ。
 やっぱし「イエッサー」とか言うかね?

 その店でお腹一杯になり、新井君が広告看板で見たという「飲み屋」に移動。
 そっちは、韓国物産店の中にプラスチックの椅子とテーブル並べただけの、中に入ると、ここが日本であることを忘れてしまうようなお店であった。客は20代前半の韓国人の若者ばかり。おしゃれすぎる。そして、日曜の夜だというのにほぼ満席で、席が埋まると、店舗スペースと区切ってあった屏風を奥に移動して、椅子とテーブルをセットして飲食スペースを拡大してしまうのだ。おしゃれすぎる。

 やっぱ新大久保すごいわ。
 と感心しつつ、帰りは新宿まで歩いて、韓国スーパーに寄って買い物しちゃいました。

 で、「天才プログラマー」な新井君の最近のライバルは、同じ会社にいる、「ヘアピン君」なんだそうです。弱冠22歳の若者であるヘアピン君は、趣味にもよるが、まあまあのイケメンで(写真見せてもらったが、私より、きょうみさんの趣味。わりと濃い系)、いつも豊かな長髪を大きなヘアピンで押さえているらしい。(サッカーの城みたいなもんですな。あのカチューシャは謎だった)先日、社員旅行に行ったときに、そのヘアピン君がオネーサマたちに大人気で、酔っ払ったオネーサマたちに揉みくちゃにされているのを見て、嫉妬心ジェラジェラだったとか。

 ちなみにアタクシは酔っ払ってしまい、「ヘアピン君」だか「ピン止め君」だかわからなくなってしまったので、うっかり「ぴんさろ君」と言ってしまい、自分で放った天然ギャグにハマって、しばらく動けませんでした。

 その話を聞いて、昔どっかで聞いた話を思い出した。
 今でこそ、どこの企業もお茶くみOLなんて採用しなくなり、そういうのは派遣で済まそうとしますが、私が就職したバブル後期には、まだそういう「かわいいだけが取り得の女子社員」というのは数多く生息しており、ある会社に就職した女の子も、オジサンや先輩男性社員から「みやのちゃーん、ちょっとコピーお願い」と言われるのが仕事だと思って素直に働いておりました。
 そして、今みたいに「女子高生」が市場に出回ってなかったので、学生時代の彼女たちは、「女子大生ブーム」に便乗し、テニスサークルなどでも可愛がられてちやほやされていたので、そういうのに何の疑問も抱いてなかったようなのです。
 ところが就職して1年が経過し、その会社にも新入社員が入ってきました。
 オジサマたちは、一年目の彼女らには目もくれず、フレッシュびしばしな新入社員を取り囲んでちやほやしはじめます。

 そんな現実に耐えられなかった彼女たちは、こっそりトイレに集合して、「あたしたちの時代はもう終わったんだね」とビービー泣いていたらしい。

 たぶん、この話は、大企業に勤めた友人がトイレで目撃してしまった実話というか「会社の怪談」として聞いたんだと思いますけど、そういう時代もあったよなー。

 あれから10数年たち、「ギャル」を売り物にできなくなった女子社員が嘆き悲しむ時代は終わり、「ギャル男」の地位を巡って激しい争いが起こる時代になったんですかね。
 よくわらからいけど、とりあえず自分の会社の「ギャル男」君たちに、そんな思いをさせるのもなんなので、今日も半袖シャツで颯爽と経理に現れたハイジと同期の男の子に「あ〜ら、Y君、今だに夏男ってかんじ?」と言ってみましたが、「ふん」と一蹴されてしまいました。

 そんなことやっていたから、今日も昼過ぎたら、風邪の具合がまた悪くなり、夕方はボーっとしていましたが、家に帰ったらまた元気になったので、風邪ではなくて「仕事したくない病」だったのかも。
 でも、「なんか風邪気味だから〜」と、またレモン・スライスを入れたホットワインなんぞをがぶ飲みしてしまっているのでありました。

 ちなみに、「シンガポール行き」する予定だったMちゃんが、なんで「頭巻いていた」かというと、「ビジネスクラスに乗る予定だったんで、スッチーにナメられないようにと思って」だったそうです。ビジネスにアップグレードじゃなくて乗るのも、なかなか大変なようです。
10月25日(土)

 さて、先週に引き続き今日も病院へお見舞い。暇だといろいろいそがしーね(笑)
 今日は、今週の火曜日に帝王切開で出産したA嬢のお見舞いである。メールで「チョコかアイスが食べたい」というリクエストが来たので、「よっしゃ、ぷちリッチで昨日も靴二足で2万円を散財したワタクシが、いっちょ産後の友人のためにフンパツしちゃりましょう」と、ニコタマで途中下車して、こういう機会がなければ決して足を踏み入れないデパチカに潜入。

 デパチカはいつも混んでいるので、苦手なのだ。高級食品屋のショーケースの前に老若男女が大勢張り付いている光景を見ると「不景気っていったいどこの国の話?」と、いつも思う。地下に入る前に、ニコタマ高島屋1階に広い店舗を構えるルイ・びとんに、ボロい格好をした若い男女が吸い込まれていくのを見て、「日本でも今後、経済格差が」なんていう話があるが、普段はマックとか吉野屋で食事しているような人たちが、平気でルイ・びとんに足を踏み入れられる日本では、「経済格差」って永遠に起こらないような気がする。

 てゆーか、たとえばAのダンナのOはフランスの労働者階級の人だから、当然のように「ルイ・びとんなんでダサい!」と言い切るが、西洋人の労働者階級の人たちはそうやって「上流階級の文化」をバカにすることが多い。ブルジョワジーを憎むことが労働者階級の義務なんである。だから高級ブランド物に対しても「けっ、あんなもんファッションでもなんでもねーよ。金持ちのババアが持つもんだ」という姿勢であり、それに対向するために「ストリート・ファッション」が存在するんだろうけど、でも、私が思うに、日本の労働者階級やっていることのほうが、実は上流階級にとってはダメージを与えていると思う。

 だってさー、私が金持ちのマダームだったらさー、自分は高島屋に外車で乗り付けて、優雅に高級ブランド店で買い物しちょるというのに、そうしている自分に酔っているというのに、同じ店内に、冷やかしとはいえ、地下鉄に乗ってきた、アパート暮らしのジーンズ姿の若者がいたら、ヤじゃない?
 あたしはそういう気分を味わったことがないが、でも、その昔、ネオアコ業界やサバビア業界では、「レコ屋の壁に飾ってある、レアもの」が珍重されて、それはブランド物に負けないくらい高価だったので、「選ばれた人」しか買うことが許されなかったので、たとえ数万円出せる金があっても、私などは買ってはいけないという雰囲気だったのだが、裾野が広がって、女子高生たちが参入してきて、「レコ屋の守護札」をポンポン買ってしまうという時代があった。

 店側も売り物なので、買いたいという人がいえれば売らざるをえなかったのだが、でも、「狭い世界でセレブとその取り巻き」を気取っていた私らには面白くなかったのである。あるレコ屋の店員の友達も嘆いていたが、「買うのはいいけど、マイブームが終わったら、またちゃんと市場に戻してくれればいいんだが・・・・」

 まあ飲食店とかでも「知る人ぞ知る名店」を知っていることがステイタスだったりしたのに、いきなりマスコミで取り上げられるようになり、行列のできる店になったり、チェーン展開しはじめると「知る人」はがっかりするので、日本のブランド熱もそういう意味では、本当の金持ちのステイタス・シンボルを著しく陥れていると思うので、貧乏人の子女たちが、ゾロゾロと高級ブランド品をぶら下げているほうが、フランス人Oが「あんなのダサよ!」と攻撃しているよりも、効果的だと思うのです。

 がんばれ日本の貧乏人。
 カード破産するまで買い捲って、金持ちの権威を失墜させるのだ!

 ええと、また話が逸れてしまいましたが、そういうわけで、久々にデパチカに行ったのですが、高島屋のデパチカは改装中で、半分くらいしか店が開いてなかった。がちょーん。
 でも、ゴディバとかは開いていたので、「うーむ、自分で買ったこともない、トリュフでも買ってやろうか」と思ったのですが、ゴディバのアイスがあったので「お、これにしよーか」と思ったのですが、残念ながらコンビニ置いてあるハーゲンダッツやフォーションみたく「カップ入り」ではなくて、「病院だと食器もスプーンもないから、不便」と思い、うろうろしていたのですが、どうも空前の高級チョコレートブームに便乗したくなったスイスのチョコ・ブランドが「日本初上陸!」を謳っていて、その店の前を3回くらい通りが買って意味ありげに立ち止まっていたら、試食させてくれたので(でも、トリュフが一個150円なので、試食も半分だけ)そしたら、わりと濃い味じゃなくて(ゴディバはかなり濃い味。自己主張が強いのである)あっさり味の「ふつーに美味しい。でもこれだったら、コンビニで売っている冬季限定チョコレートとあまり変わらない」とは思ったのですが、なにしろ「見舞いの品」なわけですから、「ハレの気分を演出」することが重要なわけで、味は二の次なのだ。

 というわけで、トリュフ15個入りで、二千円ちょっとしましたが、昔の人は「病気になると、バナナや桃の缶詰を食べられた」そうなので、現代の人だってそのくらいの贅沢したっていいと思いました。

 買い物が終わり、ニコタマで軽く食事をしてから、東急線で中央林間まで行ってから小田急に乗り換えて南林間。東林間っていう駅もあり混乱する。
 南林間で降りるのは初めてだったが、駅前は工事中だったけど、道路が駅から放射状に伸びていて、Aが住む中央林間あに比べると「なにやら都市開発計画をした痕跡」がありますし、歩道もちゃんと整備されているのですが、駅前はたいした店もなく、「国立を目指したのに、ちょっと違うものになってしまいました」という風情。

 インターネットから取り出した地図を頼りに道を歩いていたら、すぐに病院は見つかったのだが・・・・なんか、とってもゴージャス・・・・・お城みたいな病院。
 結婚してからのA嬢は、わりとちんまりした「スノッブ魂」を露わにしたのだが、この病院もかなりスノッブだわ。
 エントランスもロビーも一流ホテルのようだ。
 あたしだったら、担ぎこまれたのならともかく、自分で選んでこんなゴージャスな病院には行かないと思うが、でも、いざとなったら「二週間も入院するのに、ススけたところだと嫌だし」とやっぱりこういう病院選ぶのかもしれないよな。

 ナースステーションで病室を聞いたのだが、その前には「新生児室」がガラス張りで展開していて、まるで高級ペットショップのよう。見舞いの家族たちが大勢張り付いていた。

 Aの病室は二人部屋だったが、隣りが空いていたので、個室状態になっていた。病室もホテル並み。ベッドには液晶テレビが設置されていて、ぼんやりテレビを観ていた。
 顔見た瞬間ああ「こりゃー具合悪そうだな」という、私が二日酔いのときみたいに、目蓋が腫れぼったかった。
 「帝王切開のほうがリスクが少ないしラクだっていうけど、やっぱ辛いよ、痛いよ。自然分娩のほうがよかった」と嘆いていた。

 しかも、私が「きゃーーーーこわい!」と恐怖映画を堪能する人のようにオーバーアクションで拝聴した「帝王切開した手術の話」が、映画「エイリアン」よりも怖かったです。
 帝王切開っていうのは、別に全身麻酔でもいいらしいが、「出産後に赤ちゃんをお母さんに見せて、出産の喜びを感じてもらう」ために、頭はクリアなまま行うらしい。
 それって、要するに歯を抜くときと同じで、麻酔で感覚が無くても、なんがググっと抜いている感じはわかるし、音も聴こえちゃうので、かなりの恐怖感があるのだが、帝王切開の場合にも「切ったお腹から、赤ちゃんをググっと取り出す感じがわかるんだよね〜〜〜〜」
 「きゃ〜〜〜〜〜〜、いや!絶対いや!」

 そんで、Aの場合には胎児が本人の体格に比べるとデカかったので(帝王切開なのに3400gもあったんだって)、医者としては、もっと大きく切りたかったようなのだが、でもそうすると傷の回復が遅くなるので、なんとか普通程度の切れ目から、がんばって胎児を取り出したようで「なんか、無理しているのもわかったちゃうんだよね〜〜〜」

 「きゃ〜〜〜〜〜〜、いや!絶対いや!」

 Aも相当気分が悪くなったらしく、でもなんとか耐えて(「相当な精神力が必要だったよ」)、取り出した胎児を見せてもらってホっとした後、あとは縫合だけなので、医者が「どうしますか?」と聞いてくれたので「もう、眠らせてください」とお願いして、頭にも麻酔をかけてもらって(睡眠薬かなんかを投与してもらったらしい)、その後も、ときどき浅く意識は戻ったが、もはや意識が朦朧としていたので、断片的にしか憶えてないらしい。

 ダンナに対する愚痴(妻が出産で大変なのに、ネットで6万円のシンセを買ってしまったとか。通帳に数十万円の残高があったので、油断したらしいが、その残高は病院への支払い費用なのである)を沢山拝聴し、「まあ、男ってそんなもんなのかもねー」と相槌を打っているうちに食事の時間になったので、私もおいとま。

 昨日は靴を2足も買ったが、今日も帰りにスニーカーを買った。今まで履いていたのが、もう2年以上たっていて、ボロボロだったのである。これでやっと古いのが捨てられる。でも、スポーツクラブで使用しているスニーカーも、3年以上経過しているので、そろそろ買い換えたいのだが・・・・

 病院で、Aが授乳に行っている間、Aの友人AYMちゃんが置いていったという中村ウサギの文庫本をざっと読んでいた。ちゃんと読んだことなかったのだが、私の友人Mちゃんが「つまらなくはないけど、でも読んでてなんか痛いんだよね」と言っていたが、たしかにコラム集みたいなので、軽い気持ちで読めるのだが、でも買い物依存症というのは、私の「買い物恐怖症」と対極の位置にあるので、やっぱり理解不能。てゆーか、買い物で借金地獄に陥るのは勝手だが、税金や保険や公共料金はちゃんと払おうよ。
10月24日(金)

 そろそろ「キルビル」も始まるし(明日から)、そうこうしているうちに「マトリックス3」(長いから省略)も始まっちゃうから、今のうちに行かないともう終わっちゃうかも。と思ったので、やっと「無間道」を観てきました。

●インファナル・アフェア(無間道)

 アンディ・ラウが出てる映画を多分一度も観たことのない私は、今回も「トニー・レオンが出てるからしゃーねーな」という大変後ろ向きな気分で観にいったのですが、それにしても、この英語題がさっぱり憶えられなかったのは、私だけ?
 私が英語苦手だからなのか、記憶力が鈍っているのかわかりませんが、何回も「さーて、予告編で観たあの映画はどこでやっているのかな?・・・・・・なんて題名だったっけ?」と調べ直してしまいました。

 今日も、レイトショーで観る前に靴を二足も買ってしまったので(イメルダ夫人を目指しているわけではなくて、最後に靴を買ったのが1年前なので、そろそろ、それ以外の2足がボロになってしまい、そのうち買おうと思いつつも半年経過したのである)受付で預かってもらったのですが、シネコンだったので「どの映画ご覧になりますか?」と聞かれ、「えっと・・・・イン・・・・これです」とチケットを見せてしまいました。自分が観に行く映画の題名がちゃんと発声できなかったのは「セックスと嘘とビデオテープ」以来ですな。

 「インファナル」って「インフェルノ」の形容詞なんですよね。全然わからなかった。あんましカタカナ英語として定着していない単語を使用するのは上手いやり方じゃないと思うが・・・・「イングリッシュ・ペイシェント」のときも「ペイシェント」の意味がよくわからなかったので、とうとう観に行かなかったしな。トニー・レオンもキアヌ・リーブスも出てなかったし(笑)。

 で、香港題名の「無間道」っていうのもイマイチ、ピンと来なかったのだが、映画が始まると、いきなり「無間地獄」の説明が始まり、「そっか、あの無間か・・・・・ハハハ・・・・・テストで「むげんじごく」を漢字で書きなさいって問題出たら、きっと無限地獄って書いただろうなあ・・・・ハハハ」
 と、「インファナル」も「無間」もよくわからなかった無教養さを暴露しちょりますが、でも、あたくしって多分、20-30代の日本人を100人無作為抽出してテスト受けさせると、上位20位くらい(弱気)には入るはずなんですよ?

 おっと、いかん、あまり本題に関係のないところでの愚痴が長引いてしまいました。

 本題に関係の無い愚痴をもう一つだけ。公開したときに「観にいかなっくっちゃ。で、題名なんだったっけ?」と調べたときには、残念ながら港北のシネコンではやってなかったので「でも、渋谷に7時はギリギリなんだよな」と悩み、今日はとうとう「品川プリンスの映画館ではレイトショーやってるなあ」と思ったので、そっちにしようかと思っていたのですが、ふと「でも、キルビルはちゃんと港北でもやってくれるんだろうね」と思って、調べてみたら「なんだ、インなんちゃらもやってるじゃないか!」

 そのせいかどうか知りませんが、そのシネコンでも一番小さな劇場での上映でした。画面小せ〜。
 しかも、金曜日だったせいかわからないが、30人くらいいた客の8割がアベック。
 まあ、香港が誇る美男子スター共演だけどヤクザ映画でもあるので、カップル向きなのかもね。

 さあ、どうでもいいことばかり書いてないで、本題に入ろう。
 「潜入モノ」っていうのは珍しくないけど、私があまりこの手の映画観ないせいもあるけど、ダブル潜入ものというか、「ヤクザ組織から警察に潜入しているアンディ・ラウ対、警察からヤクザ組織に潜入してるトニー・レオン」という話で、けっこう話はよくできてます。

 ただ、わりと前半はキツかったというか、わりと淡々とした調子で、ジリジリさせられました。まあ、麻薬取引を押さえたい警察と警察の裏をかきたい組織の親分が、それぞれ内偵を駆使して、次々と作戦を変更していくやりとりなんかは、わりと楽しめたんですけど、でも派手さはなくて「知能戦」ってかんじで、あまり盛り上がらない。

 あとさー、これだけは言いたい。同じように潜入する二人の警察学校時代が描かれるのだが、アンディ・ラウの少年時代はまあまあだとしても(業務連絡:きょうみさん、私はアンディの少年時代を演じた子のほうが好みでした)、トニー・レオンの少年役はちょっとあまりにも「似てない!」ではないか。
 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だったっけ?あのデニーロが出てたやつ、あれを見習えよ。少年時代と中年時代が錯綜している話だったが、ストーリーのどんでん返しよりも、キャスティングの妙技に感心しちゃって、それだけしか憶えてねーよ。(誉めているのか貶しているのか、わかりません)
 似てる役者が見つからなかったら、「犯罪組織に潜入させるため、整形させちゃいました」くらい強引な技使っても、誰も怒らないからさー。

 で、なんか胃がキリキリと痛むような痛まないような押し殺したような前半で、周囲の人間を欺いている二人の描写は、ときどき「あ、しまった。バレたかな?」と、小さくドキリとすることの連続なわけです。で、その辺をあまり大げさに描かないあたりが「大人だな〜」なんですが、小さくやりすぎているので、わかりにくいともいえます。

 唯一、誰が潜入者だか知っている警察のボスとヤクザのボスは、顔がわかりやすいので、おバカな客でも迷うことがないという、いいキャスティングでした。どっちも、芸達者で安定感があった。香港って、ああいうオジサン俳優のいいのをたくさん抱えているというか、どっちもどっかで観たことあるのですが、私があまり香港映画通じゃないので、新鮮な気持ちで観られただけで、香港人にとっては「また、こいつがヤクザの親分かよ〜」とウンザリしているのかもしれませんけど。

 そんで、「なんかキツい話だな」と思って観ていたら・・・・・

 あ、この辺からネタバレっぽくなるので、これから観るつもりの方は読まないほうがいいと思うけど、もう、この時期だと観たい人はもう観ちゃってますよね?


-----------------------(以下、ネタバレ)-------------------------------------

 警察のボスの死体が、ゴーンと落ちてきたところで「来た〜〜〜〜!」って感じで、話がやっと動く。
 てゆーか、その前のビルの中で逃げ道を探すあたりは、ハリウッド映画だったら、見せ場になるシーンのはずなのに、トニーとボスは、まるで「六本木ヒルズの中でトイレを探すオバサン二人組み」のように、「あれ〜、こっちでもないわよ」「あらあ、こっちは行き止まりよ」「また、同じところに出ちゃったわよねえ」「誰かに聞いてみる?」ってな緩い足取りなので、「もっと走れよ」と突っ込み入れてたら、ゴーンだもんね。やられたわ。

 そんで、その前にもちょくちょく登場していた、ヤクザの子分が「なんか、キムタクを3日間、プールに入れっぱなしにしておくと、こういう顔になるのかも」っていう顔で、そいつが「バカなんだけど、妙にスルドイのかも?」と思っていたら、この映画の中で一番おいしいセリフを言って死ぬ。

 ここで一応、泣いておこう、と思った。
 しかし、この映画は「アンディ・ラウ主演映画」であり、トニー・レオンは助演男優扱いなので、せっかく弟分が「あにき〜」と言ってくれても、そのセリフを吐くだけの前フリが全くなかったので、あまり泣けなかった。もしかしたら、兄貴分と弟分の触れ合いシーンもあったのかもしれないが、カットされちゃったんだろうね。

 そう、ちょっと不満だったのは、アンディが警察でそれなりの地位にいることの説明エピソードはあるんだけど、トニーがたった3年でヤクザのボスの側近になっている説明シーンがほとんどないので、そっちの説得力が無いのだ。まあ、そっちを丁寧に描くと2時間半の大作になっちゃうので「二人は互角の実力なんだ」と無理やり納得するしかないのである。

 あと、細かいが、アンディがヤクザのボスを殺したあと、警察に帰っても、同僚たちが冷たい対応だというのは、「もしかしたら、バレたのかも」という演出の続きなのかもしれないが、あそこでもっと皆が暖かく迎えてくれたほうが、その後のシーン(トニーがやってきて、アンディの素性を見破る)が引き立ったのでは?

 もっと二人が「別の出会い方をしていれば大親友だったのかもしれないのに」というヤリトリを勝手に期待していたので、それは割りと肩透かしだったな。(冒頭のオーディオ屋のシーンがよくできていただけに「来た来た!」と妙に期待してしまったから)だから、泣けそうなところで、イマイチ泣けずに不完全燃焼。

-----------------------(以上、ネタバレ終わり)-------------------------------------

 それにしても、なんで、どの監督も、トニー・レオンを苛めるのでしょう。
 まあ、この映画では、アンディ・ラウも相当な「無間地獄」なので、アンディに向かって「なんでトニーをこんな目に!」とは言いませんが、有名監督たちが寄ってたかってトニーを苛めるような映画ばかり観ているので、その前に立ち塞がって「この人にいったい何の恨みがあるのよ!」とケンカ売りたくなってしまいます。

 たまには、ラブコメでハッピーエンドな役を演じるトニー・レオンが観たい。
 もしくは、西洋映画でヒュー・グラントが演じるような役をやってほすぃ。

 なんかいっつも、山火事で焼けたのに、途中で雨が降ったので、湿った焼けぼっくいになったような役ばかりなんで、「不完全燃焼系」です。

 まあ、この「無間道」は評判いいようなので、続編もすでに制作されているようですが、やっぱり、アンディ・ラウは私にはゴツすぎるので、続編は観ないだろうな。(次回のライバルがレオン・ライだったりして。それなら観るわよ〜ん)

 それにしても、警察対ヤクザものなのに、ドンパチも割り少ないし、わりと静かなタッチだし、香港が舞台なのに、あまり猥雑な感じもなくて、全体的に無機質な印象。それで、悲しい運命の二人の男というものが引き立ってはいるのですが、あまりにも悲しいので気が滅入りました。

 そんな私を救ってくれたのが、帰りのエレベータで一緒だったカップルの彼女でした。

彼女 「シュリのときが・・・・なんちゃらかんちゃら・・・・」
彼氏 「あれは、韓国だよ。今日のは香港」
彼女 「あ、そうだったんだ。なんか言葉がシュリのときと違うような気がしたんだけど」

 韓国と香港の区別ついてないのかい?おめーは、アメリカの田舎モンか!

 と思いましたが、「トニーが出てるからしゃーねーな」という私と「そもそも、トニーもアンディも知らない。ましてやクリストファー・ドイルが撮影顧問だなんてこと一生どうでもいい」という彼女では、彼女のほうが正しいのでは・・・・と、自信なくしながらも失笑。

 ところで、この映画を観終わった後に私が真っ先に思ったことは、今現在ドラマでやっている「白い巨塔」の主人公二人がアンディ・ラウ(唐沢)とトニー・レオン(江口)だったら、ぜってー観るけどよ。ってことでした。「白い巨塔」はまだ一度も観たことが無いのでした。
10月23日(木)

●さようなら、ロッテンマイヤーみやの主任

 司会 「それでは、ロッテンマイヤーみやの主任より、お別れの挨拶です。」

 ロッテンマイヤーみやの主任 「今年の4月10日に突然登場してから、早いもので、もう半年が経とうとしています。最近は、やんちゃなハイジに振り回されて気絶するようなこともなく、暇を持て余していましたが、このたび、本当にお暇をいただくことになりました。応援してくれた皆様には大変感謝しております。というわけで、短いですがお別れの挨拶とさせていただきます」

 えーと、それでロッテンマイヤーみやの主任はどこへ転勤になるかというと、そういうわけではなくて・・・・・

 他部署に配属されるわけでもなくて・・・・

 かといって、寿退社するわけでもなく・・・・・

 11月1日からは「ロッテンマイヤーみやの課長代理」になってしまうのだそうです。

 うーむ、そのうちそういうことになるだろうと覚悟はしていたのだが、まさか半年後だとは思わなかったぜ。

 どうして、そういうことになったかというと、総務部は総勢6名+派遣社員1名しかいない、うちの会社でも最も人数の少ない部署なんだが、それでもナマイキなことに「総務課」と「経理課」に分かれている。
 そんで、総務部長が経理課長を兼任しており、その下が主任のあたくしで、ハイジとクララがいて、総務課は総務課長がいて、あとは主任とヒラ1名である。

 そして、11月から総務課長が我が社の基幹業務のほうの課長になるそうで、総務部長は経理課長と総務課長も兼任することになった。(つーか、課長なんていらないじゃん、と思うのだが、そんな私の常識が通用しないのが世間というものである)
 というわけで、部長の下がいきなり主任というのではバランスが悪いのかなんなのか知らんが、私が「課長代理」を名乗ることになったらしい。たぶん、それは4月の段階で概ね決まっていたんだろうな。

 まあ、役職なんてどうでもいいし、4月に「主任」と入った名刺を作ってもらったけど、今だに無冠の方ばかり配っているし・・・てゆーか、私が名刺を出すのって、飛び込みで入ってきた営業マンを追い返すときだけなんで(ちゃんと訪問した証拠が欲しいらしい。ポケモンカードよりも下らない扱い)、無冠のほうが都合いいのだ。(「担当者様ですか?」「いえ、他に誰もいないのでぇ〜」とブリブリする)

 まあ、とにかく、「主任」っていう肩書きは他の会社でも量産されていることは知っているし、「入社3ヶ月以上」くらいの証明にしかならないような気もするが、世間には「トップスタイリスト」なんていう不気味な名刺の肩書きも横行しているから(美容師さんの名刺。見た瞬間大笑いしそうになるのをぐっとこらえた)そういうのに比べれば「主任」っていうのは許せる範囲というか、胃癌になるのはヤだけど、胃痙攣くらいだったら我慢しようと思っていたのだけれど、「課長代理」ってゆーのは、胃潰瘍くらいヤだな。

 どうも、この「代理」っていうのが理解不能なんである。
 でも、「代理」ってのを考えた人は偉いよね。たぶん、ポスト不足に悩んだ会社の人事部かどっかで発明されたのだろうけど「課長になってもいい年齢だけど、ポストがないし、課を増やすのもアレだから」という苦肉の策なんだろうけど、なんかその時点で「出世競争に負けました」の表明みたいだし、だったら潔く無冠にしたほうがいいと思うのだが・・・
 だいたい、電話でも「○○課長代理いらっしゃいますか?」なんて言うけど、なんか聞いてて恥ずかしいのでやめてほしい。

 なので、私にとっては「課長代理」というのは、トイレの壁に穴が開いてしまったので、トイレットペーパーを詰めてなんとかしてあるみたいな印象を受けるのであるが、そんな急場しのぎの詰め物のようなものに自分がなってしまうとは。
 もしかしたら、将来、私を「課長」にするという思惑もあるのかもしれませんが、でも、うちの会社には今だに女性課長はいなくて、2年前くらいからやっと「課長代理」な女性が2名ほど誕生していますが、彼女らが課長になるのはまだ先だろうし、人数少ない総務部と違って、他の部署は中堅男性社員がキチキチなので、そう簡単には私を課長にはできないはずなので、しばらくはこれで安泰だろう。早くハイジを仕込んで経理課長にしなくては。(年齢が若いから、あと4年くらい無理だが)

 というわけで「ロッテンマイヤーみやの主任」ていうのはけっこう気に入っていたのだが、それが「課長代理」になっちゃうと、なんかしっくりこないし、冒頭の挨拶にもあったとおり、ハイジともお互いに慣れてきたようなので、最近はわりかしうまくやっているし、もうロッテンマイヤー先生にはご退場いただこうと思った次第でございます。

 さーて、4月に「主任」入り名刺作ってもらったが、ほとんど使わなかったんだけど、今後は「課長代理」の名刺作られちゃうんだろうなー。名刺担当者が昨日グチった神経細かい人なので、「こっそり無冠の名刺も作って」っていう要望はきいてくれそうにもないので(たぶん、「私は別に構わないけど、それでいいのかな?いちおう部長に確認しないと」と言うに決まっている)無冠の名刺をもっと大事にしようと思う。そうか、主任の名刺がまだ50枚そっくり残っているから、飛び込み営業マンさんたちには、あっちを配っておこう。
 「主任サマなんですか?」
 「いえ〜、主任って言っても、昨日今日入社したってわけではないというだけで・・・・・」(わたし、なんも権限のない、ただのお局様なんですぅ〜光線を発射する)

10月22日(水)

 最近、なぜかちゃんと10時前に会社についているので(なぜかというと、朝シャワーを浴びなくなったからだ)、今日も6時きっかしに帰ろうと思っていたのだが、クララが数ヶ月前の売上集計の訂正で悩んでいたので、それの解読をしていたら1時間もかかってしまった。

 その月の売上はクララが集計してから、私が訂正したのだが、売上集計ソフトで集計された中から「立替金」と「前期の売上を消したもの(前期売上修正損)」があったので、それを消費税も含んで、なんか直してあるのだが、その当時はわかっていたのかわからないが、今見るとさっぱり理屈がわからない。たぶん、自分でも気合でやったのだろう。

 誰にでも経験があると思うが、「うわ、くっそ〜、合わないじゃん、えっと、だからこれがプラスでこっちがマイナスで、こうしてみたらどうだ!おっし、合ったぞ、ばっちり!」というように「えいや!」と気合を頼りに行った作業について、後で「で、これはいったいどういうことをしたのでしょう?」と説明しようと思っても、うまく説明できないのである。気合でやっただけにあ、もう何をどうしたのかすっかり忘れている。

 そんで、とりあえず「たぶん、これとこれを修正したんだよ」と説明しても、クララが「やっぱり、よくわからないんですが」と言うので、「気合だけでやった作業だから、やっぱ間違っていたのかもしれない」と不安になったが、クララも間違いを指摘するわけでもなく、ただ相当ややこしいことになっているので、うまく分解できないらしい。
 「合計が合ってりゃいいじゃん」と思ったのだが(大雑把な性格)、クララはその売上集計を元に、売上カテゴリー別の表を作っており、それを修正するためには「どのカテゴリの売上が減って、どれが増えたか」をはっきりさせないといけないのだ。

 「あたしだったら、そんな5万円くらいの誤差だったら、テキトーに合わせちゃうなああ。どーせ誰も気がつかないし」
 と思ったが(大雑把な性格)、もちろんそんなこと口に出しては言えなかった。

 もひとつ今日は、他の同僚が担当している「単価5000円くらいのものを一般個人客に販売している商品」の決算時のことについて話していたのだが、去年までは郵便振替だけで受け付けていたのだが、今年からコンビニ振込みを受け付けるようになり、今までと勝手が違うので、気の細かい彼女(おかげで胃潰瘍)は不安そうだった。
 決算時に未収金を集計するのだが、ややこしいことに、基本的には「前金」なので、決算時には「未収金(というか、売掛金残高)」と「前受金」に分離しないといけないので、それで毎年苦労していたのだが、でも、今年はコンビニ集金を集計するためのシステムがまだ整わないので、性格が大雑把な私は「そうだ、ほとんどが前受金で、未収金はわずかなんだから、全部、前受金にしてしまえ。ほんとは正しくないが、会計上はほとんど変わりないし」と提案してみたのだが、伝染したパンストのほつれを一針一針つくろって完璧に直さないと気が休まらない胃潰瘍の彼女と(母の娘時代にはパンスト修繕屋さんといのがいたらしいです)、伝染したパンストでも堂々とはいたままにして一日を過ごしてしまう私では、話はすれ違ったままだ。

 てゆーか、「大丈夫、いざとなったら全部、前受金にしちゃうから」という私の発言自体が彼女をさらなる不安に陥れたようで(いろいろ細々と聞いてくるが、なぜか私の言うことを信用していない。そもそも前受金と未収金の区別があまりついてないので、そういう「専門用語」を言うだけでとても不安になるみたい)、しまった、そういうことは、彼女が数日間毎日残業して、胃がキリキリしてきたあたりで言っても同じだったのだ・・・・・と反省してしまった。

 どうも、彼女と仕事すると、すっきりいかないんだよな。人柄はいい人で、決して嫌いなわけでもないが、ちょっと苦手なときがあるのだ。一緒に仕事してても、彼女は「その仕事の完璧な結果」というものが実はわかっていないので、こっちが「これでいいよ」と言っても、なかなか納得してくれないので、納得してくれるよう説明するのだが、説明すればするほど向こうは混乱して「じゃあ、どうするの?」ってかんじなのだが、それでも、多少間違っていても「これでいいや、もう時間ないし」ということもあるのだが、彼女はそういう妥協を許さないけど、じゃあどうしていいのかもわかってないの(わかっていれば、私にいちいち確認する必要もないはず)で、いつも後から後悔するのだが、どうせ彼女はあまりわかっていないので、「これで完璧」と私が演技すればいいだけなのだが・・・・くどくど。

 そうだよ。「未収金でも前受金でも同じだからいいよ」という言い方ではダメなのだ。
 「今年から税法(でもなんでもいいけど、とにかく権威のある所がそれを決めたのだということにする)が変わったので、未収金と前受金の区別をつける必要がなくなったと税理士(権威ある資格職)に指導された」とか言っておけばよかったんだよなあ。ああ失敗。

 私はたしかに大雑把だが、でも「もし、この作業でミスが見つかったら私の責任。てゆーか、私が土壇場で気合で修正して合計だけ合わしちゃったことを解明できる人がいたら、その人に修正してもらおーじゃんか」と、見知らぬ誰かに啖呵きっているのである。

 そんで、逆に一緒に仕事がしやすい人というのは、私が「これでいいよ」と言ったときに、きちんと説明させてくれて、ちゃんと納得してくれればベストだが、経理のこととなると皆「難しいからよくわからない」と脳味噌が半分停止するようだが、それでもちゃんと「じゃあ、ミヤノさんの判断にお任せするよ」と、言ってくれるか、もしどうしても納得できないんだったら「こうしたほうがいい」とちゃんと自分の意見も言ってもらえれば議論の余地もあるが、私が「じゃあ、こうしよう」とういと「ほんとにそれでいいの?」「いいの」「でも〜」「でも、いいの」「でも〜」とやっていると、こっちもだんだん消耗してしまうし、相手の胃にもまたダメージを与えるのではないかと心配になってしまうのであるが、あの仕事、誰か別の人がやってくれないかなあ〜。
 毎年あれが決算業務の締め切りギリギリまで引きずるので、警戒しているのである。

 ま、今年は去年に比べるとだいぶラクそうなので、それくらいいいんですけど。
 でも、去年はこの時期に祖父さんが入院してドタバタしたが、今年は祖母さんが入院したので「なんでみんな、私がもっと暇なときを狙ってくれないの?」と思っているのである。
10月21日(火)

 スポーツクラブに行ったら、体重が55キロを切っていた。
 数年前までは、55キロに近づくたびに「いや〜ん、太ったわ」なんて言っていたのだが、時代は変わるものである。(?)
 それでも、最近はときどき、瞬間的にアンダー55になることもあったのだが、なぜかそれは決まって「大酒を朝まで飲んだ翌日」であったので、それを「酒乱ダイエット」と命名していたのだが、先週末は別に大酒飲んだわけでもないし・・・・そうか、きっと、ずっと歩き回っていたし、私に匹敵するオシャベラーな母、妹、弟とずっと喋っていたので、それで脂肪燃焼したんだな。するってえと、「家族団欒ダイエット」

 まあ、そういうわけで、ルンルン気分で帰宅したのだが、やはり帰り道にギューちゃんやジローに会えないのが寂しい。
 彼らのかつての定位置の前を通るたびに、「ギューちゃん・・・」「ジロー・・・・」と呟いてしまうのだが、気分はもう内田百閧フ「ノラや」である。

 そういえば、私が子供のころ、兄弟で共有していた洋服ダンスの横にあった本棚に「内田百闡S集」だかなんだか忘れたが、とにかく背表紙に「内田百閨vと書いてある神田の古書店に並んでそうな古い本があって、その文字はボンヤリと脳裏に焼き付いていた。毎日、着替えするときに目に入るもんで。
 しかし、当時の私は、漱石くらいは知っていても、百關謳カのお名前なんてさっぱり存じ上げなかった。
 それゆえに「百閨vというのがどう読むのがわからなかったのは当然としても、「閨vという文字に全く馴染みがなかったので、勝手に「聞」だと認識していたのである。少し大きくなったときには多少知恵もついたので、「百聞」=「ひゃくぶん」と読むのか、それとも「ももじ」とか、てきとうに考えていたのだが、あまり真剣に調べるようなことはしなかった。なにせ、毎日眺めているだけで、特に興味もなかったし、その本棚は多分、父が学生時代に買った本を納めていたので、「ケインズなんちゃら」とか「毛沢東がどうのこうの」という、小学生にとっては、かなりどーでもいー本ばかり並んでいたので、「内田百閨vというのも、そういうどーでもいー難しい本らしいと思っていたのだった。

 それからさらに大きくなって、もうちびっとだけ知恵がついた、たぶん中学生くらいのとき「百閨vを「ひゃっけん」と読むと知り、ものすごい衝撃を受けた。なぜかというと、「内田百閨vの名前のついた背表紙の隣りには「百鬼園随筆」とかいう本もあったからである。そっちも「ひゃくおにえん」くらいにしか思っていなくて、京成バラ園(千葉ローカルだが、けっこう有名)の親戚くらいの認識しかなかったのであるが、「そうか、あれも、ヒャッキエンでヒャッケンだったんだ!」と気がついたのだ。

 それで、うれしくなって父に「お父さん、この人とこの人は同じ人だったんだ」と報告したのだが、「うん、そーだよ」と、そっけない父ちゃんであった。くすん。もっと誉めてくれたっていいじゃんよー。娘が自分の蔵書に興味を示したんだからよー、と4半世紀も過ぎた今だに思い出してこんなとこで小さく愚痴っているのでありました。

 なので、今だに「内田ひゃっけん」と発音すると、なんか頭の中をヘラ〜っとした生ぬるい風が吹き抜けるのでした。

 さて、先週の土曜日に待ち合わせ時間を遅らせてまで図書館に寄ったのは、先週の中ごろ、留守電に図書館から「予約された本が届きました」とのメッセージが入っていて、週末にとりに行かないと予約が流れてしまうからであった。

 その本を予約したことなんかすっかり忘れていたが、たしか、夏ごろに会社で新聞を読んでいたときに書評を読んで、「借りてみよっかな」と思った本である。
 山形浩生が朝日新聞の書評委員なので、朝日の書評欄はけっこうチェックしているのだが、その書評はその書評欄とは別のところにあって、もしかしたらファッション雑誌のタイアップページみたいなもんだったのかもしれない。

 図書館で受け取ってみたら、新書版の薄っぺらい本だった。
 本屋で見かけても、私が絶対に手に取らないという逆オーラが漂っていたので、嫌な予感がしたが、どうせ実家に行く途中だし、電車の中での暇つぶしにはいいだろう。持ち歩いても重くないし。

 というわけで、これといった予備知識もなく、うっかり読んでしまったのであった。
 「愛があるから大丈夫
 このページには、私が「騙された」書評の抜粋も載っています。「男同士でクスクス笑っている時ってこの本みたいなことを話してるんだろうな」

 この書評になんで反応してしまったかというと、私は全然モテませんが、わりと男の子の知り合い&友達が多いとは思っているし、その中の多くは私のことを「女の子扱い」しませんので、たぶん平均よりは多くの「男の子の本音トーク」を実際に拝聴しているような気がするので、ちょっと興味が湧いたのでした。

 しかーし、この本、読んでみたら、私が想像していた「男の子同士のほのぼのトーク」ではありませんでした。
 いや、たしかに、聞いたことあるようなエピソードもあるんだけど、そういう「一生言ってろ」な話って、ずっとそういう話なわけでもなくて、会話の中の一部分なんだけど、この本だと「ずっとそれだけ」なんです。

 しいて例えれば、ゴキブリが一匹だけ部屋を横切ったら「見逃してやるか」と思うかもしれませんが、それが百匹くらい大量発生してしまったら、しゃかりきになって退治しようとするでしょう?あ、それは、数ヶ月前の私の実話ですが(笑)、とにかくそんなかんじなのでした。

 しかし、これって「小説」なんでしょうか?なんか、雑誌に連載されたコラム集のような軽いタッチ。そんで、どうやら作者は私よりも2歳下なだけなので、雰囲気がとても「80年代」というか「バブルのころに大学生だった」なので、わかることはわかるのですが、でも、あの時代の「やーなところ」を凝縮したようで、やーな気分になってしまった。

 しかし、よくよく考えてみると、これはけっこう「深い」作品である。
 まず、登場人物は2名の男子で、彼らの10代後半から、20代後半までのエピソードを交互に描いているのだが、この二人はよく考えると同一人物である。「美人とはヤラないで、お友達ギリギリで長くつきあい、ヤルときはブスとヤル」人物と「ブスばかり狙う」人物なので実は同じ(実際、どっちがどっちだか読んでてもあまり区別がつかない)。レイプ殺人鬼だと登場人物としてキツいから、レイプ魔と殺人鬼に分離してみました〜というようなよくわからん実験的なことをやっているようである。(←深読み)

 そう考えると、悪名高き「80年代小説」である「アメリカン・サイコ」の副読本なのかもしれないぞ、こりゃ。(←深読みしすぎ)
 うーん、だんだんそんな気がしてきた。
 たとえば、その二人の男が「今までやった変態セックス」について語っていたのだが、アオカンだの写真撮っただので自慢し合っていると、たまたま一緒に飲んでいた女友達が「へえ、すごいね。私なんて、ロンドン行きの飛行機の中でヤったくらいかなあ」なんて平然と言ったので、二人は愕然として「負けた」としょんぼりするのだが、その後「この女、むかつく〜」とヤっちゃえ(殺っちゃえ)ば、そのまんま「ジャパニーズ・アメリカン・サイコ」ですよね。

 そうだそうだ。「アメリカン・サイコ」はヤっちゃうのヤに「犯」と「殺」を丁寧にあてていたのだけれど、同じ時代でも日本の若者は「殺っちゃう」までストレス溜まってないから、「ま、いいか」で終わるのである。
 というわけで、いきなり「やっぱ、アメリカン・サイコはよかったなあ。あの主人公がもしパクられたら、減刑の嘆願書でも書いてあげようかしら」と思ったのだが、「アメリカン・サイコ」も解釈はいろいろあれど「妄想オチ」というのが定説ですので、「愛があるから大丈夫」も主人公二人はヤリまくっておりますが、それも「妄想オチ」だと考えると、コワ〜い。
 勤め先で次々とブスに手を出して居づらくなって退職した、なんてエピソードがありますが、一人もヤってないのかもよ?こわ〜い。

 というわけで、「あたしったら、なんでこんなの読んじゃったのかしら」と30分の時間の無駄を悔やんでいるのですが、気持ちが治まらなかったので、調べてみたら、この作者って、「天国の本屋」でブレイクした人らしく、「その題名はどっかできいたことがあるような・・・・」
 そうそう、ちょっと前に話題になりましたよね。本が売れない時代の救世主みたいな扱いで・・・・最初は全然売れなかったのが、口コミで売れるようになったとか。

 そっちも読んだことはないのですが、だって「普段あまり本を読まない人でもとっつきやすい癒し系の小説」って、うっかり読むと絶対にムナクソ悪くなりそーじゃないですか。てゆーか、うっかり感動してしまったりしたら、自分を責めてしまい、インドの山奥で3年くらい修行しないと社会復帰できなくなりそうだから、避けていたのですが、うっかり読んでしまった・・・・

 というわけで、せめてもの抵抗として、以上のような感想文を書いてみましたが、「実は一人のモテない男による、10年間にわたる妄想の世界」という私の解釈を受け入れて読んでみると、「アメリカン・サイコ」を読む時間の100分の1の時間で読めて、10分の1くらい面白いですから、コストパフォーマンスとしてはなかなかだと思いますので、勇気のある方は、ぜひ図書館で借りてみてください。
10月20日(月)

 金曜日の夜、実家に電話して祖母(父方)の経過を聞いた。
 相変わらず、意識不明というわけでもないが、あんましわかってないようで、「お見舞いに来てもねえ?」と母は言うが、そうは言っても、この先どうなるかわからないし、どうせ行くなら生きているうちに行くほうが双方にとっていいにちがいないし、それに、週末はこれといった予定もなかったので「行けるうちに様子観に行ってみるよ。ついでに、Mばあさん(母方の祖母)の老人ホームにも行ってみたいし」

 というわけで、土曜日はお昼ごろ起きて(というか母の電話で叩き起こされ)、ついでに誘った妹と時間調整しつつ(私も彼女も「図書館に寄るから、ちょっと遅くなる」と言ったそうで、母笑う)、3時に国分寺駅の改札中で集合。
 妹の同居人も来てくれた。
 そこからJRで数駅のところから徒歩25分のところにある病院で、雨が降っていたし、妹たちも来ていたので、タクシーに乗った。ついこの間まで農地だったところが、ポツポツと住宅街になっているような、あの辺にはありがちなところに、ぽつねんとある外科病院。それでも20人くらい入院できるようだった。

 さて、祖母は個室に入っているのだが、ほんとに具合悪そう。
 うーん、うーんと唸っている。大丈夫かな?と思ったが、とりあえず大きな声で「おばーちゃん見舞いに来たよ!」と言うと、「ごくろーさん」

 母の解説によると、「私やお父さんに対しても、ごくろーさんってだけで、ちゃんと誰だかわかっているのやら」だったのだが、「ミヤノとY子が来たよ〜〜〜」と言うと「あ〜ら、ミヤノちゃん、Y子ちゃん、ごくろーさん」と言うので、一応、ちゃんと意識はあるようだ。全然ボケないバアさんであるが、こういうときはボケたほうが幸せなのでは?と気の毒になる。
 で、「おばあちゃん、元気?」と言うと「もう、だめ。おばあさんは、もうダメ」

 父の解説によると、「もう、どっかに捨ててくれっていうんだけど、そうもいかないだろ?」
 たしかに、胆石を取る前は、顔色が真っ白だったようだが、手術後は苦しそうだけど顔色はいい。父が「ダメだ、ダメだって言うけど、その顔色じゃあ100歳まで生きるってさ」と言うと「もうやだ」

 胆石が賽の河原のようにゴロゴロしていたので(後で見せてもらったのだが、ほんとに積めそうだった)相当痛かったらしいが、それで内臓に膿みが広がっていたらしく、外科医がそれもきれいにしてくれたらしいのだが、術後の痛みと、前から煩っていた腰痛がミックスだれて、なにがどう痛いのかわからないが苦しいらしい。
 そして、自分では寝返りを打てないので、15分に1回くらい「かえて〜」と言うので、あっちに向けたり、こっちに向けたり・・・・辛そうだけど、自分で「かえて」と言うので、床ずれできなくていいのかも・・・・やっぱ、この調子だとうっかり回復してしまうかもしれない。と、冗談交じりに言って笑うと「もう、いや〜〜〜〜」

 それでも、個室だから、家族でワイワイと喋っていると、多少は気が紛れるのかヒーヒー言う呼吸もラクそうになってきたので、目が見えない人だから手を握ってやると、ギューっと握るので、「おばあちゃん、すっかり赤ちゃんになっちゃったねえ。赤ちゃん並みに握力あるよ。それに栄養はミルクじゃなくて点滴だし、トイレもオシメだし・・・・」とからかったら、プンとしていた。

 このまま回復しても、たぶん歩けなくなってしまうだろうし、手術したのがよかったのかよくわからないが、父がOKしちゃったんだからしょうがない。でも、母は「もっと病状をごまかして、ラクになる方法もあったはずなのに・・・・」と不満そうだし、「若い外科医だから切りたくてしょうがなかったのよ。患者のことを考えてない」とか「おじいさんが入院していた病院に比べると、通常の処置(着替えとか痰とりとか口の洗浄とか)が頻繁じゃない」らしく、それも不満らしいが、たしかに大勢のスタッフが分業で仕事していた大病院に比べると、スタッフの質も違うようだけど、でも、転院させられるような状態でもないので、しかたない。

 それで見舞いも済んで、妹の同居人が前に私と両親が行った、小平の温泉銭湯に行きたいというので、西武線まで歩いてから、小川駅で降りて、雨も止んだのでてくてく歩いて温泉につかり、帰りはタクシーで国分寺まで戻って、タイ料理屋に入った。彼が、先日、初めての海外旅行でタイに行ったら、タイ料理にすっかりハマり、「昼は毎日タイ料理なんですよ」などと言っていたので、どうしてもタイ料理が食べたくなったので、「ええ?国分寺のタイ料理屋なんてイマイチそう」と渋る妹や母を無理やり引きずっていったのである。けっこう美味しかったので、(そもそも、タイ料理ってあんましハズれがない)みんなでバクバク食べた。

 途中で、妹の携帯に弟から電話があった。やはり「ばーさんの具合どう?」
 母はやっぱり「でも、来てもねえ?」と言うのだが、私や妹のことは認識していたし、なんだかんだ言ってもけっこう嬉しそうだったし、母はそれでも「みんなが来ちゃうと、ほんとにダメだと思っちゃうんじゃない?」と言うが、「でも、自分ではほんとにダメだと思っているから、いいんじゃない?もうダメだと思えば、辛いのもあと少しの辛抱だと思って安心すっかもよ?」と言って、弟にも「来たほうがいいよ」と言った。ちょうど、妻と娘が実家に帰っているので、暇だったらしいし。

 妹たちは食事してお茶してから帰ったが、私はそのまま宿泊。「ホワイトハウス」を一緒に観ながら、登場人物の説明をする。「ビーチ」書いた作家の名前忘れたが、同じ作家の「四次元立方体」という小説は、東南アジアが舞台だったが、年老いた母親が「ER」が大好きで、毎回見ているのだが、なにせ目まぐるしくシーンが変わるドラマだから、老人にはさっき運ばれてきた患者と今喋っている患者が同じで、さっき悩んでた医者とつきあっているのがこの看護婦で、その医者の元カノがこの医者で・・・・っていう解説を横でしてやる、というか老母が「この人は誰?」と聞いてくるので、説明してやらなきゃいけないというエピソードがあったが、それを思い出した。

 私があまりにも流暢に「そんで、この人は大手弁護士事務所をやめて大統領のスタッフになるわけ。あ、この人は報道官になるの」と解説したので、「これって先週のおさらいなの?」「いや、私だってスタッフの過去は初めて知ったよ」「じゃあ、最近はじまったドラマなの?」「いや、前に第一シリーズやってたけど、そんときは過去のことはやらなかった。アメリカのこういうドラマって、人気ないとあっという間に終わっちゃうけど、人気が出ると、5年でも10年でも、いつまでもやっているから、最初はあんまし、登場人物のことを深く掘り下げないわけ。そんで、後になって、いろいろとってつけたような過去を掘り出して、話をつなぐんだよ」とマジに解説していたのであった。

 さて、翌朝、11時に起こされ(前夜、母が布団をいっぱいかけるから寝汗かいたよ)、弟に電話すると「もうすぐ出る」とのことで、1時にまた国分寺駅集合。
 電車に乗っていると弟が車内広告に目をとめて「なんかコスモス畑があるんでしょ?」昭和記念公園のことである。両親は先週行ったようで、昨日もその話していたのだが、「あら、あんたまで知ってるの?」と言うので、私が「だって、テレビでしょっちゅうやってるもんね?天気予報のバックにひっぱりだこなんだよ」と言うと、母はすかさず「行きたい?」

 昨日も私や妹に向かって、コスモスの話を散々していたので、どうしても連れて行きたいらしい。弟の「ピンポイント親心攻撃」に感心する。
 祖母が入院する病院は公園の駅の反対側から近いので、歩いて抜ければいいお散歩になるようなのだ。昨日もそんなこと言っていたが、雨だったので母も「ほら、あっちが公園なのよ」と繰り返すだけだったが、日曜は晴天だったので「じゃあ、そっちから 歩いて行こうか」ということになった。

 公園は賑わっていた。子供連れも多いが、犬がOKらしいので、立派なお犬様の姿も多い。
 母も立派な37歳娘様と34歳息子様を散歩させられて上機嫌である。
 「子供の遊び場も広くて、トランポリンとかあってすごいわよ。今度Nちゃん(弟の娘)も連れてきなさいよ」
 「あと、3年くらいしたらね」(まだ1歳)

 そんなこんなで祖母の見舞いの前に「母を遊んであげた」ので、病院に着いたらもう3時。
 昨日と同じで「もー、ダメ」を繰り返す祖母であるが「あれ?でも、昨日より手のむくみがよくなってない?」
 昨日はもっとパンパンだったのだが、むくみがひいて、手がシワシワになっている。
 「ムクんでたほうが、ツヤツヤだったのに、残念だね〜」とまたからかってしまった。でも、足はまだパンパンだった。

 で「ほら、おばあちゃんが、もうダメだ、ダメだっていうから、Sちゃん(弟)まで来ちゃったよ〜」と言うと、やはり「ごくろーさん」であった。なんだか深刻な状態なのか、笑い事なのかよくわからないが、けっこうカワイイので笑っておこう。

 で、また西武線まで歩いて、電車を乗り継ぎ、母は「昨日は温泉行ったの。Sちゃんも温泉行きたい?」と言うので、「温泉はもういいから、私まだMおばあちゃんが入ったホームに行ったことないんだから」と言って、小平へ。
 弟は、「孫見せツアー」に夏前に行っているのだ。
 ところが、ホームに向かって歩いていると、弟が「こんなとこ、来たっけ?」と言い出し、記憶をたどると、前回M祖母に会いに行ったときには、まだ港区の自宅にいたときだったらしい。

 母と電話するたびに「Mおばあちゃん、どお?」と聞いていたのだが、「相変わらず」と言っていたけど、やはり自宅でポツネンとしているよりも、人が大勢いるホームのほうが活気があるので、なんだか前より元気そうだったし、私が「おばあちゃん、会いに来たよ?」というと、「おや、ミヤノちゃん」と言うので、頭の調子も前よりいいみたい。
 それでも、自分がどこにいるのかわからなくなるみたいで、ときどき自宅にいるような発言もするのだが、私の顔を見て、あいかわらず「おや、べっぴんさんだね。」というのだが(口癖)、今日はそれに加えて「あんたは、36、7になったんだっけ?」と、ドキリとするようなことを言う。ときどきクリアみたい。ちなみに弟は「あら、Sちゃん、すっかり可愛くなったわね」と言われていた。ごつい男なんですけど〜〜〜もう、オヤジなんですけど〜〜〜〜

 車椅子で談話室に連れていって喋っていたのだが、母が弟の娘のNちゃんの話をすると、祖母の顔がマジにほころんだ。「Nちゃんはかわいーのよねー」
 「おばあさんが、こんなにニッコリするのも珍しいのよ」と母。
 たしかに、脳梗塞を患ってからは、わりと無表情なのだ。
 その様子を見て、弟もちょっとカンドーしたようなので、次回はきっとNちゃんを連れてきてくれることであろう。

 やっぱ、赤ん坊にはかなわないや。

 と、清々しい気持ちで敗北を認めた、いちおう「初孫」の私であった。「だから、お祖母さんは他の孫の顔は忘れても、あんたのことだけは憶えているみたい。なんせ一番世話したからね」と母がよく言ってたし、Nちゃんが生まれたときに祖母に「曾孫ができたよ」と報告しても「ふーん」て感じだったらしいが、やっぱ実際に見せると赤ちゃんパワーはすごい。

 というわけで、祖母ズ見舞いツアーも無事終了し、弟は実家に宿泊して翌日そこから出勤するという。弟の妻は実家の引越しが迫り「あんたの荷物なんとかしろ」というわけで長期里帰り中なので、「野菜が食いたい」とのことなので、野菜たっぷり&サンマの塩焼きで夕飯。

 父も病院から戻ってきて、息子と娘が揃ったのが、それなりに嬉しかったのか(感情が表に出ないのでよくわからないのだ)、なんと久保田の万寿を出してきた。安酒というか安焼酎しか飲まないのに、なぜこんな高級品がぁ?と思ったら「退職記念に会社の人がくれた」そうで、サンマのわたをつまみに、ありがたく半分くらい飲みました。

 で、私は適度に酔っ払い、デザートのケーキ(結局、質実剛健な我が家はコージーコーナーで買うのである。パステルのなめらかプリンもお勧めしたんだけどな)を平らげると、家路についたのであった。

 ああ、たっぷり祖母孝行×2+親孝行をした。気分的には(祖母+親)孝行の二乗である。

 今日の月曜日は、2週間前から兼平鍼灸院に予約をいれていたのだが、先生に「あちこちすごく凝ってますよ」と言われ、たしかに自分では意識してなかったが、あちこち触られると、あちことゴワゴワだった。「実家に帰ってたので、疲れきっているのです」それに、よく歩いたし。足もパンパンだった。
 念入りに治療してもらって、すっかり背中が軽くなった。

 おかげで、二日間の出来事をここまで一気に書くことができました(笑)。
10月16日(木)

 今日はプールで歩いた。

 帰りに、いつもの道を通ったのだが、10月になってから、まだ一度もギュウちゃん(いつも丸まっているので、牛糞のように見える黒猫)を目撃していない。
 やはり寒いから、もう夜は外に出なくなってしまったのだろうか?

 さびしい。

 ジローもほんとに姿を消してしまったし、私が一方的にお友達になっていた動物がいなくなってしまい、秋風が染み入る今日このごろである。

 なんか、孤独だ。次々と友達がいなくなってしまう老人のような心境である。(亡くなった祖父の戦友もどんどん減っていった)

 はあ・・・・こひでもしようかしら。

 でも、動物でも「お友達」でもないけど、家に帰るといちおー「ミスター・アンダーソン」(飼育しているゴキブリ)がいるのである。
 全然、大きくならないが、元気である。
 「マトリックス・レボルーションズが公開するまで生きているかしらん」と冗談まじりに言っていたのだが、この調子だと公開まで生きていそうだ。だからなんだってかんじだが・・・・・それとも、「先行レイトショー」に連れていくかい?
 でも、仮装して「スター・ウォーズ」の初日に馳せ参じるのに比べると、目立たないから、取材してくれないだろう。(取材されれば連れていくんですか?)

 そういや、その昔、池袋のリブロでやった「デニス・ホッパー・サイン会」で並んでいたら、取材されたことがあったな。「なぜ、デニス・ホッパーが好きなんですか?」と真面目そうな記者に聞かれて困ったっすよ。私が「カウンター・カルチャーが・・・」どうのと、デタラメ並べたら、必死にメモとってて「え?何カルチャー?」なんて聞いてくるので、ますます困ったっす。
 いったいどこの記者だったのか、とうとうわからなかった。

 えーと、ですから、お友達の姿が確認できなくて、さびしいのですが、今日のお昼は、会社で時々遣っているホテルの和食レストランが、松茸ご飯を持ってきてくれたので、松茸ご飯を食べられてとてもうれしかったです。
 でも、ちょっと余っちゃって、たまたまフロアにいた若い男の子(顔はハイジ並みにハンサムだが、性格があっかるいので話かけやすく、けっこう人気者)に「この機会を逃したら、次回はいつ松茸ご飯を食べられるかわからないぞ!」と脅して、残りを全部食べさせた。「マジ、やばいっすよ」とか言いながら、なんとか完食していました。

 その彼が夕方、そこの部署の上司とミーティングしていて、「それじゃあ、まず、僕のボンクラな頭で必死に考えた、へなちょこなプランを先に言いますね?」と、あっかるく言っていたのを耳にして「ああ、こいつは、ほんとに調子いいな」と感心した。そういう「根は真面目なんだけど、言い回しが調子いい奴」に、とても憧れるのだ。あやかりたい。
 なんか不気味なほど、ソツがないというか、決して相手を不愉快にさせるようなことは言わないし、それどころか、実に調子よくへりくだるので、なんかこいつのプランを後押ししてやりたいと思うもんね。

 昔、派遣で行った会社に、同じタイプの女性社員がいて、彼女のやりとりを観察するにつけ、「ああ、あの人の爪の垢を飲みたい」と思ったもんだ。
 有名企業の総合職女子社員だったのだが、ツンケンしたところが全くなくて、私も大好きだったのだが、他の社員も彼女の席の前を通りがかるたびに、気楽に話し掛けたり、仕事の相談をしていた。
 前にも書いたと思うが、私が感心したのはこんなやりとり。

 私の後ろの席に座っていたのが、その部署の次長さんだった。いつもはニコニコしたオジサマで、感じがよかったのだが、前日に会社の創立記念イベントでしこたま飲んだらしく、朝から具合が悪そうだった。というよりも、全然酒が抜けていないようで、「うう、キモチわるい」「ああ、めんどくさい」とブツブツ独り言を言っていた。
 その独り言を楽しく鑑賞していたのだが、その最中にその女子社員が次長に仕事の相談にやってきた。
 その前からゴタゴタしていた「海外支社の使途不明金について、国税庁からつつかれていた」という重要事項の経過報告であった。支社の支店長に確認したところ、「この国では、こういうのはしょうがないので、こちらでは対処できない。そっちでなんとかしてくれ」という返答をいただいてしまったようで、次長に「どうしましょう?これでは国税庁に説明できませんし、○○さんから支店長に連絡してもらったほうがいいかと思いまして・・・」

 発展途上国で体張って働いているオジサマ支店長は、東京本社のハナタレ娘(当時28歳)なんかと対等に話したくなかったらしい・・・・という行間が伝わってきた。

 しかし、次長もそんな相談に乗れる状態ではなかったのである。なので、私は次長がどういう返答をするのか、固唾を飲んで見守っ・・・・聞き耳をたてた。
 次長は、無言で「うう〜ん」という顔をしたのだと思う。
 そしたら女性社員は、すぐにそれに気がついて(昨日の創立イベントに彼女も出席したので、関連会社に出向して散り散りになった、その年代のオジサマ社員たちが同窓会のように二次会に三々五々したこともわかっていたのだろう)、

 「あ、なんか、あまり調子が良さそうではないですね(聖母の微笑み)じゃあ、いちおうご報告だけで、午前中は放っておきますね(聖母の微笑み)。夕方になったら、もう一度確認いたしますので、そのときは相手してくださいね(聖母の微笑み)」

 次長は「うあ、ううん」とモグモグと返事していたが、私は凍りつきました。
 一歩間違えば、すごく嫌みったらしいセリフなのに、彼女はサラリと嫌みなく言ってのけた。
 次長も嫌な思いは全くしなかっただろう。ただ、夕方までには、ちゃんと復活しようと思っただけだろう。

 ああいうセリフを嫌味なくサラリと言える人に私もなりたいとほんとに心からそう思った。
 で、「計算」でもなく、「天然」だということもわかっていたので、ホントーに羨ましかった。うちの親はなんでああいう人になるように私を育ててくれなかったのだろうか?

 私がその会社で仕事したとき、電話の回し方で戸惑っていたのだが、昔働いていた会社は、他人宛ての電話をとったら、とにかく「保留」を押してから内線番号で飛ばしていたのだが、その会社では、他人に電話を回すときには「転送」ボタンを押さないといけなかったのである。
 何度か失敗していたのだが、2日目くらいにやっぱり間違っちゃって、オロオロしつつ、電話を再度とってから「転送」ボタンを押して、なんとか転送することができたのだが、たぶん私が一人で「キャー、またまちがっちゃった、ええと、どうするんだkっけ、転送ボタンで・・・・(内線で相手が繋がった)・・・・すいません!今度こそ大丈夫です、すいません!」と大騒ぎしたのを耳にした彼女がスススっと寄ってきて、「うふふ、たいへんですよね?」
 私は頭が真っ白になっていたので、彼女がなんか他の用でやってきたのかとポカンとしていたのだが、そんな私の空白状態もしっかりと察したらしく、

 「あ、ごめんなさい。おちょくりに来たんじゃないんです。ただ、今ちょっと、オロオロしてたミヤノさんの様子が、かわいーなーって思ったんで・・・・年上なのにカワイーなんて失礼ですけど、気を悪くしないでください」

 このセリフも一歩間違えれば嫌味ったらしいが、全然嫌味に聞こえなかった。それどころか「フォローしてくれて、ありがとう。わたし、あなたのためならなんでもするわ!」と、すっかりやられちゃったのである。彼女はその後、西海岸の支社に配属になったようだが、元気に出世しているかしらん。
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