可燃物な日々

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4月14日(月)

 さっき、風呂に入っていたら、玄関の呼び鈴が鳴った。
 でも、玄関のすぐ脇に風呂場があるので、換気扇やシャワーの音でわかるだろうと思ったのだが、しつこくピンポンピンポン鳴らすので、しょーがないから、風呂の戸を開けて「はい?」と叫ぶと、「宅配便で〜す」

 「すいません!今、お風呂に入っているんです、ごめんなさい!」 と、叫ぶと、宅配便屋のにいさんは「はあ・・・・」と暗い声で返事したので、とにかくこっちはシャンプー中なのよっ、とまたシャワーを浴びる直していたのだが、ドンドンドンドンとドアを叩く音。だ、か、ら〜〜〜〜〜〜〜

 また風呂から顔だけ出し「すいません、今お風呂に入っているんです!裸なんです!出られません!」と言うと、認印がどーのこーのとブツブツ言っているがよく聞こえない。そうか、多分、Aに送ってあげた漫画本が帰ってきたのだ。けっこう重い箱なので、持ち帰るのが面倒なのだろう。
「なんだったら、そこに置いていってください!認印は後で押しますから!」
と叫ぶと、向こうも「じゃあ、外に置いておきますから、あと5分くらいで戻りますから、受領書外に出しておいてください」というわけで、やっと去ってくれた。
 しょうがないから、即効でシャンプー終了して、トリートメントして流してから風呂を出て、即効で寝巻き着て、玄関を開けるとやはり漫画が入った箱が置いてあったので、中に入れてから認印を押して、受領書を玄関ドアの外に貼り付けておきました。あー、疲れた。

 Aさん、配達時間指定して送ってくれたのはいいんだけど、それを知らせてくださいよ〜
 今日来るのがわかっていたら、それまで風呂に入らないで待ってたのに〜〜〜〜〜〜〜〜

 今朝の心配事。
 葉山に家族旅行中のあの一家の娘さんの手を噛んでしまったワンちゃんのニュースを観て、ポコちゃん(その小型犬。あんだけしつこくされたら、そりゃ噛むよな)の身を案じる市民団体が立ち上がって、「ポコちゃんを守る会」とか「ポコちゃんを救う会」などが乱立したらどうしよう・・・・・・

 そういえば、私は「めざましテレビ」の後に自動的に「とくだね」を観ているのだが、あの番組のテーマ曲はなぜかずっとコステロだったのだが、コステロ様の曲が朝のワイドショーで流れるミスマッチにもようやく慣れ、その間に月9の主題歌もコステロになって大ヒットしちゃったりしたので、腰砕け慣れしてしまったが(コステロはフジロックに来るんだよね。ちょっと心が動く)、4月から曲がかわり、それがなんと、スタカン(スタイル・カウンシル←ってわざわざ書くなら短縮して通ぶるなって)の「シャウト・トゥ・ザ・トップ」で、「ギャー、この曲はもうカラオケに入っているからいいのに」と思った。

 私のカラオケ得意曲、というか、いつか得意にしたい曲である。ライバルは佐野元春だ。(わかる人だけ、この心意気を理解してください)
 しかし、あの曲は、なかなかの難曲で、ブルーアイド・ソウルしているだけに、ソウルなこぶしが多用されているので、「♪んんん〜〜〜AH〜〜〜〜〜」とかいう部分がとても難しく、最初にチャレンジしたときには、「こういう曲は恥を捨てて魂剥き出しにしてシャウトしなければならない」と頑張ったが、でも、あのポール・ウェラーだって、あのシャーデーみたいな美人黒人ねえちゃんにオラオラーって手伝ってもらって、やっと唄ってたわけだし(ビデオ・クリップ参照)、「ひーーー、これって、1人で唄うと疲れる〜〜〜〜、私もコーラスのねーちゃんに助けてほしい〜〜〜」と息継ぎの合間にボヤキながら唄っていた。
 (横で次の曲を選んでいた友達がボソリと「そうだね。1人だと盛り上がらないかも」と言ってくれた)

 そんな私のカラオケ得意(にいつかしてみせる)曲が、ワイドショーのオープニングやCMになるときに高らかと流れているんですから、おかげさまで毎日血圧が上がるので、最近ちゃんと定時に会社行けてます。ありがとーよ。
 ま、すぐに聴きなれちゃうと思うので、次はスミスとか4649。

 あ、そうだ、「人が風呂に入っていてもメゲない宅配便屋」の騒ぎで忘れそうになったが、今日の会社帰りに家の近所で不思議なものを見た。
 私が通りを歩いていると、遠方に猫が道を横切っているのが見えた。うちの近所は猫が多い。
 街頭に照らされてシルエットしかわからなかったが、その猫は、道の真中にスススっと歩き出すと、クルっとターンして、スキップしていた。
 いや、別に二本足で立っていたわけではないが、でも、フツーは絶対にああいうステップ踏まないよな。
 私が子供のころによく遊んだ「あっの子がほっしい」「あっの子じゃわっからん」みたいな感じに、パパっと歩み寄って、パパっと後ろに戻るような、そんな軽やかなステップだった。
 どうも、その「スキップ猫」の側には他の猫がいて、そのスキップを冷たく一瞥して歩き去っていったので、「はは〜ん、あれは猫のナンパなんだな」と勝手に納得。「へーい、か・の・じょ」って感じのステップだったもん。
 私が近づくと、そのスキップ猫は「ふ・・・女なんていくらでもいるぜ」とばかりに道端に寝転がって悠然と毛づくろいしていた。それもなんとなく「でかいコームでリーゼントヘアをなでる」動作っぽくて、また彼(なのかどうかも未確認だが、こっちの勝手な思い込み)の横を通りすぎていった「か・の・じょ」は、「もうおしまいなの?」とばかりに、ちらりとこちらを振り向くとシッポを色っぽくふりながらツーンと歩いて行ってしまったのであった。
 恋の季節なのね〜と、勝手に思い込むバカな人間の私であった。

 でも、あれだけ華麗なステップ踏めるとなると、人間の見てないところで「ウエスト・サイド・ストーリー」上演してそうだなあ。見てみたいなあ。

 そういえば、昔どっかの外国旅行しているときに、バスの中から郊外に広がる草原を(イギリスだったかな?)全速力で走る猫を目撃したことがある。最初はウサギかと思ったが、猫だった。猫があんなに体を伸ばして、テレビで観るチーターみたいに走っているのなんて日本の住宅街では目にすることがなかったので、ああやって走るんだ。そうだよな。と感激しました。
4月13日(日)

 昨日の土曜日は、昼頃起きて、ダラダラしたあと、2時ごろ家を出て、上り方面の電車に乗り、開通後初めて半蔵門線の押上まで行った。そこで京成線に乗り換えたのだが、押上駅はおニューなのでピッカピカで、エスカレーターを照らす明かりが眩しい。改札を出て、地上案内板を眺めてみると「そうか、向島ってこのあたりなんだ」と気がつく。
 バリバリの下町なわけね。せっかくなので地上も覗いてみたい気もしたが、やっぱ面倒なので、「悲願の押上散策」はまた別の機会にすることにして、さっさと京成線に乗り換える。

 来たのが青砥行き各駅電車だったので、とりあえずそれに乗り、青砥で快速が来たので、とりあえずそれに乗り、佐倉でやっと特急が来たので、それで成田に着いたのが、4時。駅前のスーパーでワインとチーズとイチゴを買って、てくてく歩いて4時半にはきょうみさん宅に到着。

 昼ごろの便でイタリアに行く叔父さんを見送るので、3時過ぎには帰っている予定と聞いていたが、私が到着すると「こっちも今帰ってきたばかりなんだよ」
 Kちゃんたちも見送りに来ていたようで、食事したりお茶したりしていたそうだ。

 子供たちは、きょうみさんの祖母の部屋でゲームにいそしんでいるようだったので、私は居でぽつねんと座っていたら、お子様方がとりあえず顔見せに来てくれたが、すぐに去っていってしまった。くすん・・・・やっぱ私って男の子に人気ないわね。と思っていたら、はにかみつつも客人の顔を拝見しにきてくれた女の子がいた。「ああ、この子が姪っ子かあ」

 4歳のSちゃんは、従兄弟2名+兄1名の中で少し退屈していたらしく、私のそばにチョコンと座る。ふ・ふ・ふ・・・・かわいーじゃねーか。
 きょうみさんが「ちょっと買い物行ってくる」というので「いいよ、留守番してるよ」と、私とSちゃんが居間にポツネンと残された。
 そういえば、先週もこんなんことしていたような・・・・・・、ヘアカット中のK子さんたちを待ちながら、ヘアメイクの人のお子様と一緒にテレビを観ていたのであった。その子と年も近いSちゃんは、やはり最初ははにかんでいたが、保育園に預けられている子供であるので、私が構うと「あ、この人は遊んでくれる人だ」とわかったみたいで、すぐに打ち解けてくれて、プラスティック製のおもちゃのマイクを私に向けてきたので、「ほら、ちゃんとインタビューしてよ。名前とか聞いて」と言うと「おなまえは?」「のんちゃん!」などと、インタビューごっこをしていたのだが、どうも歌を唄えと指図しているようなので、「うーん、Sちゃんにわかる曲知ってるかなあ」と思ったが、「じゃあ、Sちゃんはどんな歌が好きなの?」と聞いてみると、
 「あいよぅ!」

 なんだそりゃ?「アイドル」なのか、「アユ」なのか?
 まあ、どっちにしても私の苦手なジャンルであるので、無視することにしたが、Sちゃんは、T君が作ったというお化けのウチワみたいのが気に入っているようで、それを裏にしたり表にしたりしてはキャッキャと笑っているので、「お化けはうらめしやって言わないといけないんだよ」などと教育的指導をしていたら「おばけの歌 うたって」と言うので、「お、おばけの歌?えーと、えーっと・・・」

 ♪ げ げ ゲゲゲのげ きょーは墓場で運動会(歌詞をよく覚えてない)
 ♪ たのしーな たのしーな おばけは死なない〜〜〜〜

 と美声を披露したら、それが大変好評だったらしく、「じゃあ、これは?」とプーさんのヌイグルミを持ってきたので「これだったらまかせてよ」

 ♪ ある〜ひ 森のなか プーさんに であった
 ♪ 花咲くもーりーのなーかー プーさんに であった〜

 「じゃあ、クジラは?」と別のヌイグルミが登場。
 「悪いけど、それクジラじゃなくて、シャチなんだな」

 シャチの歌なんて思いつかないが、そのシャチは大きいのと小さいのがあり、親子だと判断したので、

 ♪ シャ〜チの親子はなかよしこよし
 ♪ いつでも いっしょに どんぶら どんぶら お よ ぐ〜

 Sちゃんは「この人、何を見せてもすぐに唄い出す」ということが気に入ってくれたようで、私が歌い終わらない前に、「じゃあ、これは?」「これは?」といろいろなものを持ち出す。
 ふと、「この曲だったらSちゃんも知ってるかな」と思って、「♪ まいごのまいごの子ネコちゃん」を歌ってみたら「知ってる〜」と拙い日本語で歌いだしてくれたので、二人で仲良く「にゃん にゃん にゃにゃーん♪」とデュエットできた。余は大変満足である。

 他にも「お風呂屋さんごっこ」や「死んだふり」や「おだんご屋さんごっこ」で楽しく遊んでいるうちに、きょうみさんが帰ってきたので、ワイン飲みながらお喋り。
 香港の肺炎のこと。イタリアに単身赴任する叔父さん。今日連絡があったばかりの「ニューデリー勤務になる知人」等の話しや、
 「藤木直人ってタレントが佐倉高校出身だって知ってた?」
 と、きょうみさんには珍しい芸能ネタ。「え?うそ!あんな可愛い子が後輩なの!うちらのころには、あんな子いなかった〜悔しい〜〜〜〜」しかし、さすがきょうみさん「私はどんな子だかわからないんだけど(笑)」
 まあとにかく、高校の先輩は「ミスター」であるが、後輩は藤木君だということで(笑)

 あと、きょうみさんの先生の弟さんが「漫画家だ」ということは知っていたが、実は人気漫画家だったとか(笑)
 私はその先生の苗字と「漫画家」と聞いた瞬間に「もしかして?」と思ったが、きょうみさんは「やっぱりそんな売れっ子なんだ(笑)吉田戦車くらいだったら知ってたんだけど(笑)」
 そんで、その漫画も読んでみたら、先生が黒板にときどき書くイラストと画風が似ていたとかなんとか。

 そんな話しをしているうちに、10時を過ぎ、終電やばくなってきたので、泊まることにする。Sちゃんたちのお父さんが仕事帰りに迎えにきて、他の子供たちもやっと静かに寝つき、大人の時間。
 なんだかんだ喋っていたら、朝の4時になってしまった。
 居間に寝袋を設置してもらって、寝た。(↓香港みやげのクモのぬいぐるみ)

クモのクモ太郎


 日曜日。朝目覚めると晴天。暑くなりそうだ。
 10時ごろ、きょうみさんに駅まで送ってもらい、帰りは日暮里乗り換えで池袋に寄った。
 「このチャンスを逃すと、ぜったいに池袋なんか行かない」と思ったので、寝不足の体にムチ打って途中下車したのだが、駅もデパート内もすでに雑踏で、頭がクラクラしてきたが、なんとかリブロにたどりついて、用事済ましてから、ドトールでアイスコーヒーを飲んで気合入れなおし、またヨロヨロと山手線。

 渋谷で乗り換えたが、そこも駅前は人でびっしりで、そそくさと田園都市線に乗って三茶に戻る。
 三茶も賑やかだが、渋谷や池袋の比ではなく、「ああ、落ち着く・・・・」

 結局、家に帰りついたのが午後2時。24時間で帰ってきたわけだ。
 帰宅途中に近所の小学校の前を通ると「あ、そうだ、都知事選挙だったんだ」と思い出したのであるが、とりあえず帰宅してから出直すことにして(そもそも私の投票所はそこではなく、もっと離れたところにあるのだ。)、家に帰るとぐっしょり汗かいていたのでシャワーを浴びてから、洗濯。

 洗濯しながら、日記を書いていると、S君から電話。食事を一緒にしたかったようだが、「そういう状態じゃないよ〜」と断るものの、なんか今度はタイに行くそうだけど、飛行機の座席が狭いかも、とか行っても雨季かも、とか「夜遊びしたい」とか、いろいろ言っていたが(この人はいつも旅行前にあれこれ悩むのが好きらしい。でもタイで夜遊びするのなら男性に相談したほうが・・・・)半分寝ながら聞く。

 S君に「きょうみさんちで朝まで語り合っていたのでロクに寝てない」と説明すると「なんでそんなに話しすることがあるの?」と不思議がられたが、そういう君だって、こっちが半分寝ているのに、1時間もなにやら喋っていたではないか。男の子は私の話しをちゃんと聞いてくれないので(S君もB君もハイジもきょうみさんのご子息たちも!みんな!)喋っていて消耗するが、女の子は私の話しをちゃんと聞いてくれているような気がするので、それが3歳児だろうが4歳児だろうが、37歳だろうが(きょうみさん)50うん歳だろうが(オカン)私はキモチよ〜くベラベラととりとめもなく喋ってられるんですよ。先週もK子さんちで夜明かししたしな。
 そういえば、「話しを聞かない男」が多い中では、うちの弟は例外だな。母、私、妹という強豪オシャベラーに囲まれて育ったせいか、彼は女性の「お喋り」にすんなりと溶け込む。というか、強豪の中で「自分の旅行話し」などの自慢話を強引に披露する技を持っている。そんでその話しが面白いんだな。やはり私が生まれたときから厳しく指導したからだろうか?それとも単なる遺伝なのだろうか?

 さて、「選挙行かなきゃ〜〜都知事選挙、全然盛り上がってないけど、石原慎太郎が嫌いな気持ちを表明しなくては」と思っていたのだが、やはり寝てしまい、気がついたらもう7時すぎ。慌てて「サンダーバード」を観て、そのあともついうっかり「ひょっこりひょうたん島」まで観てしまい、タイムアウト。

 ♪ 海は死にますか 山は死にますか 私の貴重な清き一票も死んだ〜〜〜みたいです

 でも、今日のあの繁華街の混雑を鑑みると投票率低そう。
 
4月11日(金)

 昨日はついついハイジのことを書くのに熱くなってしまい、もっと大事なことを書くのを忘れた。
 と言っても、私の「大事なこと」って、たいてい大したことないので保留にしておいて、またロッテンマイヤー話しに戻るが、ハイジについて自分が書いた文章を読み返してみると、これって「若くてハンサムな後輩が入ってきて、急に張り切るお局社員」なのではないかと、ふと不安になる。

 たしかに私はどっちかというと「怒り」をバネにする人間なので、ハイジが素直に先生の話しを聞いてくれないので「こんちくしょー」と思うことで、なんとなく生き生きとしているのではないか?
 それを感じたのは、ここんとこ酒っばっかり飲んでるくせに、なんかお肌がつやつやだったりする。(あくまでも当社比)
 自分を客観視できる賢い私は、「この顔で、ハイジにギャースカ言っていると、周りの社員は誤解するのではないか?たしかに、4月になってからわりとちゃんと化粧しているが、それは春だからってゆーのと、だからわりと寝坊しなくなったのと(お布団との恋がちょっと冷めた)、それで冬よりも化粧する時間が増えただけだし、おニューの服を着ているのは、やはり衣替えの時期になったので、なんで季節が変るとローテーションが埋まらずに毎年服を買わないといけないのだろうか?とても不思議だが、しかし、傍から見ると「みやのさん、張り切っちゃって」以外のなにものでもないのではないか?

 そう思ったので、今日は少しトーンを落とすことにした。ハイジも今日は少し体調不良のようだったので、大人しかった。
 それで、黙々と自分の仕事をして、夕方には社長決済もいただき、「はあ、もう帰りたいよ」とダラダラと仕事した。
 ハイジの教育係りをマジでやると疲れそうなので、しばらくクララの仕事を覚えさせることにしよう。ハイジは「社会人としては後輩だけど、この部署では先輩」なクララに複雑なライバル意識を持っているようなので、それがいいかもしれない。クララの勉強にもなる。そうしよう。

 で、先日も「経理全体ではこういう仕事してます」と概要を説明したときに「この中で資格の必要な仕事ってありますか?」とアッ軽く質問してきたハイジなんか放っておいて(奴は「資格加給」を狙っているらしい)自分の世界に戻ろう。(自分の世界=大事なこと。らしい)


 「こんばんわ。ロッテンマイヤー先生です」「こんばんわ。みやの主任です」でネタが詰まり、そうだ、パターン1「ロッテンマイヤー先生」」とパターン2の「みやの主任です」を組み合わせて、パターン3「ロッテンマイヤーみやの主任」にしよう。と思った瞬間に、

 1+2=3

 であるということに思い当たり、「こ、これは・・・・この手でいけば、1+3でパターン4も作れる・・・・・もしかして、無限大?」
 と、久々に数学なマインドになり、しかし、なんか間違っているような気もしたので、「いったいこの理論(?)のどこが間違っているのだろう」と会社帰りの社内で必死に「みやの主任」と「ロッテンマイヤー先生」を並べて考えていたのであるが、ひょっとして、この理論こそ「数列」なのか?

 と、自分の間違いは置いておいて(どこが間違っているか指摘したりしないように。なんとなく違うことはわかってますって)いきなり「数列」が出てきたとたんに、私の心の中に浮かんだのは「任意の整数」という言葉だった。

 高校生のとき、どうしても「任意の整数」ってゆーのが苦手でねえ。
 いえ、意味はわかりますよ、意味は。でも、「任意」っていうと、どうしても「任意同行」とか「任意の事情聴取」とか「任意出頭」とかのケーサツ用語が私の中では主流だったので、それが数学の教科書に出てくるもんだから、「なんか、この整数は悪いことをしたのだろうか?」と多感な女子高生(こう表現すれば全てが許されると信じていた)は、思い悩んでいたわけですよ。

 そもそも「任意」というのは「あなたの意思にお任せしますよ」という意味なんだろうが、でもその裏には「お任せするけど、拒否するっていうことは、あなたにやましいことがあることの証明にもなりますぜ」っていう脅しがあるわけで、するってーと「任意の整数」っていうのは、「ま、どの整数でも、あなたの好きな数字で構わないんですがね」という裏になにかの陰謀があるのではと身構えてしまい、「任意の整数n」なんて書かれても緊張するではないの。嫌々ながら任意に整数させられているnってかんじじゃないですか。

 というわけで、今だに「任意」が信用できない私が最近トキメいてしまったのは、「ケミカル・アリ」だったりします。
 残念ながら、蟻のぬいぐるみ持っていなかったので映像化はかないませんが(そういえば、一時帰国しているきょうみさんが香港でゲットした蜘蛛のぬいぐるみを密輸してきてくれたようだ)、ケミカルきめまくりの蟻さんってなんだかいいぞ。職業柄きっとヒロポンかシャ○だな・・・・あれ?ヒロポンってどういう形状なんだろう?錠剤?(君、君、シャ○でも悩みなさいって)

4月10日(木)

 こんばんわ。ロッテンマイヤーみやの主任です。(早くもネタ切れ)

 ロッテンマイヤー・ファンが少数ながら存在するようなので、調子に乗って今日も「先生はつらいよ−ロッテンマイヤー貸方借方編」をお送りいたします。
 今日も先生は髪振り乱しながら支払い集計のお仕事。髪もボサボサだが、昼食後に化粧直しをする心の余裕もなく(単に不精なだけとも言える。口紅直す3分間が無いはずがない。ただ本人的には優先順位が低いだけ)ほぼスッピン状態で、仕事しておりましたが、ハイジをあまりほったらかしておくのもなんだし、先生がほったらかすと、隣に座っているクララの邪魔をするので(クララは去年入社の新人嬢)人の良いクララも自分に余裕のあるときには、ハイジの質問に答えたり、自分が今何やっているか説明してあげたりしているので微笑ましいが、今日はクララも忙しかったので、先生は「こりゃ、なんとかしないといけないな)と思っていたところに、3月分の最後の伝票入力の仕事が営業から回ってきたので、「おお、これで半日潰れる」というわけで、ハイジに重い宿題を課した。

   買掛金の入力なのだが、それが私がいつも嫌々やっていた「恐怖の100行入力」なのである。
 さすがのハイジもその分量にはビビったらしく、「先生!伝票が35行で終わってしまいましたが・・・」「次の伝票に打つのです。多いときは3枚打ってました」と説明。
 そんで、必死に電卓叩くハイジに「一枚一枚で確認しなくても、買掛金の元帳開いて後で確認すればいいから」と教え、「これでしばらく時間が稼げるぞ」と思っていたのだが、ハイジはヤル気満々なので、エラいスピードで入力している。私なんかあれ打つのにダラダラと半日かかってたけど、やはりこういう仕事は若いやつにやらせるのに限る。

 そして、3月末の「買掛金残高」を確認させると、あれ?無いじゃん?「ちょっと、3月末付けで入れてって言ったでしょ?」と言うと、ハイジは憮然として、
 「何日付ですかって聞いたら、今日付でいいっていったじゃないですか!」
 と歯向かってくるので、そんなこと言った憶えはないが、クドいほど「それは3月分」って言ったつもりだったが、買掛の入力初めてなわけだし、しゃーないが、その言い方はねーだろう、と思ったが、優しい先生は「ああ、そりゃ、しっつれいいたしましたねー」と謝っておいた。

 しかし、だんだんとハイジも本性をあらわしてきたようで、こいつは負けず嫌いでけっこう気が強いぞ。
 クララがあまりにも素直で大人しいので、ハイジにも同じように優しく丁寧に接してきたつもりだが、これはやはりもっとビシバシ難しいことをやらせなければ。

 などとやっていて、夕方になって金庫を締める時間になり、「今日は小口現金のお金を口座に移したから、それも入力してね」と言うだけで「そのくらいわかるだろう」と思って詳しく教えなかったのだが、思いっきり違う仕訳してくれたので「ザマーみやがれ」と溜飲を下げたのだが、(大人気ないわね〜)それを直しても現金の残高が合わないようで、本人「あれ?あれ?」っと自分でなんとかしようと調べたようだが、「あれ?なんか今日打った憶えがないのが入っている。なんだこれ?」と隣のクララに相談。クララはハイジとは別会社の現金担当なので、それを見てもわからない。
 でも「なんででしょーねー。おかしいですねー」と、おっとりと相手してあげている。エラい!(でも、さすがに夕方になっても自分の仕事がなかなか終わらないでいたので「それは私ではわかりませんから、みやのさんに聞いてください」とキッパリ。先生、心の中で大爆笑)

 ハイジとクララでは解決しそうにもなかったので、先生登場「どれどれ?」

 ぷすすすすす・・・・・・
 いや、笑っちゃいかん。誰だって間違えることはあるし、ビギナーなんだし。
 一昨日、小切手でいただいた売上金を通帳に入金させたときに、小切手のこともついでに一通り説明しておこうと思って、「小切手の場合は現金と同じ扱いにしてください。だから、通帳に入れた日付で伝票打ってね。でも、小切手はすぐ現金化されなくて・・・・」と、通帳に数字は入るが、資金化されるのには中一日くらい必要で、その日付が通帳に書いてあるが、それは無視していいと、教えたのだが、どうやら先生は余計なことを語りすぎたようで、

<貸方> 現金 ¥100,000 <借方> 売上 ¥100,000 

 で入力していて、しかも日付はあれだけ「無視しろ」と言ったのに、現金化の日付になっており、それが今日だったため、一昨日の現金残高には影響がなく、今日になって忽然と現れたのである。
 そのやりとりを耳した上司も「お前、だいじょうぶか?」と笑っているし、ハイジの面目丸つぶれ。

 しかし、それで先生もちょっと方針を考えることにした。
 新卒ですぐに経理に配属されたクララには、最初に現金での経費清算のようなごくごく基本から覚えてもらい、ちょっとややこしい伝票は私が紙にメモで貸方借方の勘定科目をざっと書いて渡していて、それに慣れてから「この前と同じようにやって」とリピートさせてだんだんと仕組みをおぼえてもらっていたが、入社3年目で、私が契約社員だったころ入社したハイジは私よりも社員番号上だったりするし、それなりにちゃんと仕事してきた人だから、単純作業ばかりやらせても飽きてしまうと思って、わざと難しく説明していたのだが、どうやらそういう気遣いは無用だったらしい。
 「なんか、いろいろ言われると混乱しちゃうんですよ」
 と言われてしまったので、よーしわかった、明日から単純に「こうして」とだけ言おうっと。

 しかし、人に教えていると、自分がいかに理解が早かったかよくわかるな。私は買掛金や売掛金っていう概念をすぐに飲み込んでしまったし、まあ、元々事務アシスタントとして請求書を発行したので、「そっか、私が請求書を書いたら、それが買掛金なんだ」とわかったし、「掛け」って要するに飲み屋のつけみたいなもんか、とわかった瞬間に在庫や原価計算のこともざっくりと理解してしまったのだ。要するにお金の動きだけでは月別の集計するとチグハグになっちゃうし、決算のときに「ほんとはどれだけ儲かったかわからなくなる」ので、こういうことするんだ。なーるほど・・・・(という理解が正しいのかわからないが、その理解で困ったことはない)
 減価償却も引当金も、誰も教えてくれなくてもわかってたからな〜。天才だったのかも。

 てゆーか、私は「前にどうやっていたか調べれば、だいたいわかる」ので、あまり人に質問したりしない。学校でもほとんど先生に質問しなかった。教科書や参考書で調べればたいていのことはわかったのだ。(高校生までだけど)
 私が先生に質問するときは「私がやると、どうしてもこうならなかったのですが・・・・」と先生のミスを指摘するときだけだったかも。

 なので、自分が先生になってみると、生徒が考えるより早く質問してくるのに驚く。
 そんで、質問されると先生は張り切っちゃうので、ついつい「で、これは最終的にはこうなるのよ」と、何がどう繋がっているのかとうとうと説明しちゃうんだけど、その部分はどうやらウザいようだ。
 そして、私がクドクドと「物語る」のをクララは暖かく耳を傾けてくれたのですが、ハイジは聞いちゃいないよ(笑)ちぇっ

 うーん、やはり女性脳・男性脳ってあるのかなあ?
 まあ、先生としては、かなり典型的男性脳の持ち主であるように見受けられるハイジに、地道な作業をなんとか楽しんでやってもらえるよう工夫するだけです。

 ちなみに、ハイジは私にいろいろ質問するのが嫌みたいで、だったら自分で考えるかっていうと、クララには気軽に聞けるようなので、でも、ハイジにはクララとは別会社をやらせているので(そっちのほうが規模が小さいのですぐに全体が把握できると思って・・・上司の提案)、クララは答えられないし、クララの忙しいときには時間の無駄なので、「もし、自信の無い伝票があったら、付箋貼れる機能があるから、付箋貼っといて後でまとめて聞いてもいいよ」と言ってあげたのに、
 「それって、いちいち質問されるのが面倒だって意味ですか?」
 と、大変かわいくないこと言いやがるから、
 「なんで、そんな可愛くないこと言うのよ〜〜〜。私はA君のために気を遣って言ってるのに〜〜〜。私に聞きづらそうだから言ってあげたんじゃないの!」

 つうわけで、腕白ざかりのハイジとロッテンマイヤー先生の奮闘記はまだまだ序章である。
 しかし、一姫二太郎とはよく言ったものだ。クララがちゃんとお姉さんしてくれるから、お母さんは助かるよほんとに。(いきなりお母さんにパラダイムシフト)

4月9日(水)

 こんばんわ。ミヤノ主任です。

 今日、総務の同僚が、「ミヤノさんの新しい名刺、これでいいか確認してください」と版下を持ってきたのだが、思いっきり「主任」と入っていて、「どひゃー、こんな、かっちょわるい名刺やだよ」と思ったが、和を重んじる性格なので、そうとも言えず(で、こういうとこで発散しちょるのも意気地がないが)

 「わたし〜、ずっと前に作ってもらった名刺がまだ沢山残ってるし〜、ほとんど名刺使わないから、古いのがもったいないし〜、別に新しいの作ってもらわなくても大丈夫だよ」

 と、カドがたたないように言ってみたが、同僚は少し悲しげな顔になり「名刺・・・・いらないの?」
 たぶん、せっかく版下の準備をしたのに・・・・と思ったのであろう。新しく刷るのは私だけではなく、春の人事異動や新入社員のも含めて20人分くらい用意しているはずなので、私が要らなくても大勢に影響ないと思ったのだが、でも向こうにしてみれば、自分がやっている仕事を否定されたと思うかもしれないし(考えすぎ?)、ここは心を鬼にして、名刺を作ってもらい、「主任無し」のほうを配っていてもあと3年は持ちそうだから、(過去の実績では2年で30枚くらいしか使っていない)そうしよう。

 今日はハイジに大人しく自習してもらって、ロッテンマイヤー先生は自分の仕事と格闘。
 毎月この時期は忙しいのである。早くハイジに一人前になってもらって、先生はラクしたい。

4月8日(火)

 すっかり酔っ払って帰宅したら、香港から一時帰国しているきょうみさんからの留守電が入っていたので、こちらから電話かけてみると「この電話は現在使われておりません」だった。そうだよな、海外転勤したんだからな。
 他に連絡とる手段を全然思いつかなかったので、あきらめて寝た。(シラフだったら他の手段思いついたんだろうけどさ)
4月7日(月)

 こんばんわ。ロッテンマイヤーみやのです。

 (「40過ぎてからのロック」を「マークスの山」と交互に読んでいるので、またシーブ(や陽一)の影響がフラッシュ・バック・・・・ということを書いて、いったい自分の日記の読者・・・といえるものがちゃんと存在すると仮定して・・・に、どの程度通用するのか疑問に思う)

 先週はハイジ(A君改め)に「出金した場合の伝票の入力」を教えましたが、今日は「銀行にお客様から入金があった場合の伝票入力」を教えました。全部打ち終わったというので、「じゃあ、預金残高と預金の元帳の残高を合わせてみよう」とやり方を教えたら、残高が全然違う・・・・・「どれ、どれ」とロッテンマイヤー先生がチェックしてみると「ハイジ!貸方と借方が逆ですよ!」ハイジ慌てて直そうとするが、直しているうちにさらに重大なミスに気がつく「預金なのに、現金で打ってました!」「じゃあ、ゆっくり直してよ」

 ロッテンマイヤー先生はどんなに忙しくても昼飯はちゃんと食う。
 昼飯食わしてくれないような仕事は絶対にやらない。
 であるからして、ハイジにも「お昼ご飯食べ終わってからゆっくりおやりなさい」と指導したのだが、(自分が食べてるときに質問されてもウザイし)、ハイジは昼飯食わずに熱心に伝票修正していた。

 夕方、ハイジは帰る支度をしながら、「あ、そうだ、メシ食ってなかった」と呟くので、
 「あのさー、ちゃんと食べてくれないとさー、ミヤノさんがA君しごいてるから、A君が激痩せしたとかやつれたとか、悪い評判たっちゃうじゃないの〜、ちゃんと食べてくださいよ」
 とお願いしたのだが、
 「ああ、そういう考え方もありますね」
 だってさ。

 そんなに急につめこんでも憶えられないと思っているし、こっちも自分の仕事あるから、ゆっくりやってほしいと思っているのに、変にムキになってやるもんだから、先生困っちゃうわあ。

 話題転換。

 昨日、K子さんが「黒米」を炊いてくれた。最近、スーパーの米売り場でもあたり前のように並ぶようになっていたので、気にはなっていたが、食べたのは初めてだった。濃い「赤飯」みたいな色のご飯だった。私は白米よりも「エンターテイメント性が高い米」のほうが好きなので、炊き込み御飯とか、赤飯とか、外米とか大好きであるので、そのうち黒米も自分ちで炊いてみようと思った。

 でも、K子さんちの黒米ご飯(黒米を普通のご飯に混ぜたやつ)は、ほんとに赤飯みたいにモッチモチで、「あれ?これって普通の米?」と思ったら、「圧力鍋で炊くと、こうなるんだよ」
 K子さんは圧力鍋で米を炊くようになってから、炊飯器は友達にあげてしまったらしい。

 そーいや、私も、昔、友達の別荘に行ったときに炊飯器がなかったので「どーすんだ?」と思って、友達が母親に電話したら「圧力鍋で炊くのよぉ」
 その友達はいったん電話を切り、「圧力鍋で炊くんだって」と皆に発表した。当然のことながら誰も圧力鍋でご飯を炊いたことなんてない。「それって、どーやるの!」「オレ、わかんないよ。誰かうちのカーちゃんからちゃんと聞いてよ!」
 というわけで、そのグループの中で唯一「炊飯器を使わなくても鍋で米を炊ける」私がお母様から直接「米の炊き方」を伝授してもらった。

 メモをとりながら、「はあ、まず蓋を開けて米を煮るて、それから蓋をして圧力かけて、そんでいったん火を消して・・・・あれ?ずいぶん時間短いですよね?」と、そのお母様の話しを半信半疑で聞いていたが、実際に恐る恐るやってみると、ほんとに見事に炊けて、「すげー、これ早い!20分で炊けちゃうし、味も美味しい!すげー、欲しいよ圧力鍋!」

 などと感激したのが、10年くらい前の話しである。
 圧力鍋は周期的に流行し、私の子供のころも「魚が骨まで柔らかくなるのでお子様のある家庭にぴったり」というような流行があったが、その後そのブームも消え、「自動パン焼き器」のように、今では台所の収納スペースの奥のほうでホコリかぶっていると思われる。
 んー、しかし、K子さんちで、またその威力を目の当たりにして、また欲しくなったかも。けっこう高いが、今使っている炊飯器もそもそも友達のお下がりだし、かなり古いので、炊飯器買う値段を考えればそれほど高くないかも。

 実はわたくし、その炊飯器もらうまでは、鍋でご飯を炊いていた。
 家電製品の導入がとても遅かった我が家では、私が高校生になるくらいまで、ご飯は「文化鍋」で炊いていたのである。だから、「はじめチョロチョロ、中パッパ」というご飯の炊き方はちゃんとできる。
 ちなみに我が実家は、炊飯器が私が高校生のときに導入され、エアコンは私が家を出てからやっと導入され、「ピっとボタンを押せば沸かせる風呂」も私が家出した後で、それ以前はマッチを擦らないと風呂が焚けなかったし、ビデオは私が働きはじめたころ(21歳のとき)にやっと導入されたという、「新しいものにすぐ飛びつかない両親」に恵まれたのであった。

 おかげで私は、ずいぶん後まで「自分のうちは貧乏」だと思っていた。
 父が勤めていた会社がオイルショックの後も「重工業系」だったのでなかなか立ち直れず、なまじっか賢かった私はその会社が「斜陽産業」だということがわかってしまったので、ほんとに生活ギリギリだと思っていたのだ。
 それが、単なる「清貧趣味」とわかったのは、私が家出した後である。
 娘が家を出る際、母は「これも持ってく?」と納戸から新品のシーツやタオルを沢山出してきた。(ありがちな光景)

 「なんだ、いいタオルいっぱいあるじゃん。あーーーーブランド物ばっか。もらいもんなの?私もらっていてってもいいけど、でも、こんなにストックしてるんなら、うちのタオルももっと頻繁に変えればいいじゃん!」

 我が家のバスタオルは「いったい、いつから使っているのだろう?」というような、ガビガビなものばかりだったのである。「うちが貧乏だから、新しいの買えないんだ」と思っていたのだが、それは間違っていた。
 私が家を出てから、とうとう風呂釜がダメになり、ついでに風呂場をリニューアルしたのだが、「けっこうお金かかっちゃった」といいながら、別にその金で苦労したフシもなく、「だったら、もっと早く、快適な風呂にしてくれればよかったのにー!こんないい風呂あったら、私は『ユニットバスってなんかね』と言って渋々自宅暮らしをしてたかもしれないぞ!あの風呂に辟易してたから、蛇口ひねればお湯が出るってだけで、アパートの狭い風呂でも『文明だ!』と感激しちょるのではないか!」

 という話しをしたかったのではなくて、また話しが逸れてしまった。
 ご飯を文化鍋で炊いていたからこそ、経験した、ある日の思い出が甦ったので、それを書こうと思ったのだ。

 かつで我が家が住んでいた自治体では、小学校と中学校は「給食」だったので、母がお弁当を作ってくれるのは「小学校のときの遠足や運動会の日」や「中学の土曜日、日曜日の部活のある日」だけだった。
 それが、私が高校に入ると、毎日お弁当になり、最初のうちは母もなんとか頑張って作ってくれていた。

 しかし、タイマー内臓の炊飯器が無いので、まず、前日に米をとぎ、文化鍋にセットしておく。朝になり、誰よりも早く出勤する(それも趣味。一時期は本当に遠距離通勤だったが、近距離になっても父の早起きの習慣は維持された)父が、鍋に火を入れてから妻に「ご飯炊き始めたからな。弱火にしたから、あと10分くらい」と声をかけ出勤。(父は勝手に自分で朝飯食う)

 母は寝床の中で父を見送りながら、「さて、そろそこご飯が炊けたかな」と起き出し、いったん火を止めてから、蒸らす時間また寝たりする。
 そんなある冬の日のこと、私が目覚ましで起床し、二階の自室から階段を降りようとすると、あたりはなんかボヤっとした霧が立ち込めていた。私も起き抜けだったので、それがなんだかわからないけれど、でもなにか異常な雰囲気を感じた。
 階段を下りて居間の戸を開けると、ボヤっとした感じはさらに強まり、家中に煙が充満しているのがわかった。それを排気するために換気扇がボーっと音を立てて回っていて、居間にある我が家唯一の石油ストーブの明かりがボンヤリとして見え、そのストーブの前で寝巻き姿の母親が、ぼんやりと新聞を読んでいた。

 朝が弱い母であったが(それはしっかり私にも遺伝している)、その日はいつにも増して、ぼんやりしており、煙が充満した部屋の中で、まるで「家が焼けてしまった。明日からどうしよう」と茫然としている人が見かけはキョトンとしているように、キョトンと座っていた。

 「・・・・・・・どうしたの?」
 と私が言うと、母はゆっくりと私に向かって振り向き、その目つきもイちゃってて怖かったのであるが、たぶん、夜家に帰ったら、家が全焼していて、パジャマ姿でボサボサ髪の家人が全焼した家を前に茫然としていたのを目撃したような体験がある人は、ああいう目つきを見たことあるんだと思うけど、そのとき母は、
 「ご飯が焦げちゃって・・・・」
 と、新聞から目を離さずに、ポツリと呟いたのであった。

 要するに、ご飯を弱火で蒸らしていると知りながら、また寝てしまい、焦げ臭くなって気がついたら、一階は煙で充満しており、慌てて台所に走り、火を消したが焦げた煙は治まらず、換気扇を全開にして、なす術もなく、ぼんやりと新聞を読んでいたらしいのである。

 煙の立ち込めた室内にポツネンと座り込むぼんやりとした目をした母親のあの光景。
 怖かった〜〜〜〜〜〜〜〜〜ですよ。

 実は、そういう「ちょんぼ」を母は何回かやらかし、(2回目以降は私も匂いですぐそれとわかった)それで懲りたらしく、それからしばらくして我が家にも「タイマー付き炊飯器」が導入されたのです。どケチの母も「火事になるより炊飯器買ったほうが安い」と思ったらしいです。

 などと書いている最中に、祖母宅に「単身赴任中」の母から電話が入り、「FAXってどうやって送るのぉ〜〜〜〜」
 祖母と同居している伯父のを使おうとしたが、伯父は母と仲が悪いので、やり方教えてくれなかったようで・・・・
 「機種によって違うけど、送るところには紙を表にするか裏にするか、紙のイラストが簡易表記されてるはずなのよぃ」
 「あ、これかも。これだ、たしかに、字を書いてある面を表にって意味みたい」

 伯父さん、ちゃんと教えてやってよ、うちのカーちゃんがOLだったのは37年前なんだから!東京オリンピックのころのOLなんだから、FAXもコピーもなかったのよ!

 うちの母は、私が小学校高学年や中学のときには朝寝ていたので全然朝ご飯を作ってくれなかった。
 今の自分が、その母と同じ年になってみると、「むちゃくちゃ眠い」のがわかるので、「たしかに、子供が自分でパンを焼いて牛乳沸かして朝ご飯を食べられるようになったら油断して寝ていた気分はよくわかる」と思う。
 だが、それからしばらくして、母が40歳過ぎたら、なんか朝に強くなり、急にスクランブルエッグとかを作りはじめたので、ずっと「朝はトーストとカフェオレ」で済ましてきた私は、朝ご飯をちゃんと食べると、会社行く途中に具合悪くなって途中下車してベンチで休んでいたりしたのであった。

 よって、私の中では「お母さんが作ってくれた朝ご飯」はネガティブ・ファクターである。
 ロクなもん食べないで出かけたほうが調子がいい。
 6歳下の妹がどんな「朝ご飯とお母さん」像を持っているかよくわからないが、3歳下の弟は、母が朝食を作らなくて、私が焼いたトーストと牛乳で学校に行った時期をよく憶えているだろうから、彼の嫁さんがどうしているのか知らないが、嫁さんが牛乳温めてくれただけで感激するような男に育ったと思うので、「母が手抜きをすると、後の女性がラク」だと思うので、私は自分の母親をそういう意味で尊敬しています。

 よし、このエピソードは母の葬式の日まで暖めておこう。
4月6日(日)

 土曜日に予定されていた花見は天候不良のため月曜日に延期されたようで、「ミヤノさんはどう?」と言われたが、「私は会社〜」というわけで、代わりといってはなんだが、昨日の夜はK子さんちに遊びに行った。
 ヘアメイクの友達が自宅でカットとヘナをやりに来ていて、7時過ぎに私が缶ビールとイチゴをぶら下げて訪ねると、まだカット中であったので、ヘアメイクの方のお子様と一緒に居間で「アルプスの少女ハイジ」の映画版みたいのをビデオ鑑賞。

 ちょうど物語は、ハイジが山に帰るところで、「よーぜふ!」「おお、ペーターだ!ペーターのヤギ!あたし、このヤギが大好きなのよ!ほら、これ、(画面に近づいて白黒ヤギを指差す)!」と、三歳の女の子相手に興奮して語っていたら、最初人見知りした彼女も、だんだん心を開いてくれて、「クララは歩けるようになるんだよ」と教えてくれたので、「うん、そうだね。でも、結末をバラしちゃあかんよ」と教育的指導をしつつ、仲良くビデオを観ていた。
 (それにしても、自ら「ロッテンマイヤー先生」と名乗った直後に久々にハイジで本物のロッテンマイヤー先生を鑑賞する機会に恵まれたことは偶然なのか)

 テレビが大好きみたいで、ハイジの他に彼女が持参してきた「トムとジェリー」が始まると、画面に食い入るように観ている。そのあと、ヘナも一段落して(塗ってから3時間寝かせるという、インドらしい悠長なヘアカラー)、K子さんが作ってくれた「エスニック風カフェ飯」を食べているときも、ずっとテレビから目を離さなかった。

 そんな感じで、大人3人と子供1人でお喋りして過ごしたあと、仕事帰りのお父さんが車で迎えに来て、またしばらく話し込んだ後に家族は12時過ぎに帰り(宵っ張りなお子様だったが、来週から幼稚園に入園するので、そうなったら早寝早起きになるのであろう)、私はまだ居座って、K子さんが前に「偶然録画した」と言っていた、テレビ・チャンピオンの「大崎一万発」の活躍を拝見し、「いまどきのパチンコはよーわからん」とか思ったが、その後も、「ダーマ&グレッグ」(ダーマがまだ車椅子なので「どうしてなんだろう?」と思ったが、クララと同じでだんだん立てるようになった。K子さんちの「大画面テレビ」であらためて観ると、ダーマがなんか小金持ちの奥様然とした髪型&顔つきになってしまったのがよくかわった。グレッグの両親のエピソードのほうが笑えた)みたり「スタートレック」みたり、なんかずっとテレビの話ししていたみたい(笑)。

 というわけで、気が済むまでダラダラ喋って、5時過ぎにK子さんちを出て電車で帰宅。
 雨もすっきりと上がり、青い空が眩しくて、家の近所の桜並木も朝日に輝いていた。

 K子さんが、先週まだ桜が三分咲くらいのときに、KSさんと新宿御苑に行ったときに、早くも花が散っている木があって、その木の下で何人かがカメラを構えていたので「なんだろう?」と近寄ってみると、桜の花びらが一枚一枚ではなく、花の形になったまま落ちるので、空気抵抗を受けてクルクルと回転しながら落ちていたので、「なんで、こんな散り方するんだろう?」と木の上を観ると、「インコなんだけど、セキセイインコよりは大きい鳥が、桜の蜜を吸っていて、花の根元にクチバシ突っ込こんで、ペっとやると花が散るみたいだった」らしい。

 「そうか、人間が鑑賞するだけじゃなくて、鳥にとっては蜜いっぱいのおやつなんだ」
 と知ったが、朝帰りの早朝に桜並木を歩くと、鳥の声があちこちに響き、満開の桜の花の中をせわしく移動している。立ち止まって観察すると、スズメより一回り大きい野鳥が、せっせと花をつついている。そして、K子さんが言っていたとおり、その鳥が花をつつくと、花が根元からとれて、下へとクルクルと回転しながら落ちるのだ。
 地面を見ると、花びらに混ざってそういう「花の形のまま落ちている」のが多く、「そうか、これって鳥の仕業なのか」と納得。
 私も子供のころに「ツツジの花の根元は甘い」のを誰かが教えてくれて、よく摘んで吸ってたもんな。

 家についたらもう6時過ぎで、お天気いいのでどうしようかと思ったが、眠いから寝ちゃったので、気がついたらお昼過ぎだった。ふー、今日こそ祖母の様子でもお伺いに行こうかと思っていたが、やっぱめんどくさくなってきた。ダラダラ。

 そういえば、B君話しではついついNPOなどを悪く書いてしまうが、私は未だにNPOという仕組みがよくわかっていない。ただ漠然と「法人」のバージョンの一つだと思っている。
 で、普通の企業でも、「経営理念」や「我が社のミッション」などを謳っており、そこには必ず「社会に対する貢献」云々が語られていて、でも会社って「投資家が儲けるためにあるだろ、どーせ」とは思うが、社会に支持されなきゃ儲からないわけで、まあ、麻薬でも売れば儲かるのは必須だが、でもそれだと犯罪だし(笑)、フツーはもっと健全なもの作るよな。

 で、営利追求にしても、福祉目的だとしても、結局「ビジネス」なわけだし、「みんなが欲しいものを提供する」のは一緒だ。NPOはそれが一般企業みたいな「商品」や「サービス」だけでなく、会員の「ボランティアしたい気持ち」も扱っているのだと思う。
 「社会参加したい」「私もこの団体の趣旨に賛同するので手伝いたい」という気持ちと労働力を安く仕入れて、売る。
 普通の会社だと、売上−仕入−経費=利益 で、従業員の給料は「経費」として扱われるが、NPOだと従業員給与の中にすでに「働く人のボランティアした気持ちを満たした利益」が含まれているので、それが仕入を押さえる・・・・・のか?よくわかんないが・・・・・

 前にテレビで観て「この活動はちゃんとビジネスになっているのでいいな」と思ったのは、たしかNYで「就職しようとしている人にちゃんとした服を支援する団体」で、若い女性がほとんど1人でやっていたが、アメリカで「働けるはずなのに、生活保護を受けている」という人(特に貧困層の黒人女性が多いみたい)に、職業訓練をして会社への就職斡旋をするという自治体やボランティアなどの活動があるようだが、(自治体にとってもそれは利益だし)、その女性はそこの隙間に目をつけた。
 実際にパソコン操作などの職業訓練を受けても、いざ面接となると、貧しい女性たちはスーツなんて持っていないし、そもそも「ちゃんとした格好」がどういうものかよくわかってなかったりするので、寄付で集めたそういう服をお店に並べて、職業訓練校のスタッフから紹介された女性たちがそこで服を選ぶことができる。
 ボランティアスタッフが彼女たちに似合う服を選び、化粧や髪型のアドバイスをしてあげるのだ。そして、「まともな服」に着替えた人は鏡を観てとてもうれしそうで、周りにいるスタッフも「あら、すてき。これだったら面接バッチリよ。頑張ってね」と励ますのだ。

 ささやかなボランティアだし、日本みたいな階層社会ではないところでは「これって家庭や友達がやることだよな」と思ったが、周囲にちゃんと働いている人もいない環境にいる人にとっては、とても貴重なサービスだと思った。
 それに、スタッフも皆楽しそうで、「そりゃ、『亭主改造計画』みたいだもんな」
 人間やっぱ服装なんである。ちゃんとした服をちゃんと着てるとちゃんとした人に見えるのだ。

 その団体で給料を貰っているのは、設立者の女性だけで、あとは全員ボランティアらしかった。そして、彼女の仕事は「洋服集め」である。でも、私も観ていて思ったが、サイズが合わなくなったとか、ちょっと古びたとか、スカートの丈がやっぱ短いかもという理由で服を捨ててしまうことが多い。
 リサイクルショップに持っていっても二束三文だし、そもそも持っていくのが面倒だが、でも、それが誰かの役にたつのなら喜んで差し出すだろうし、生活保護を受けている人がそれで働けるようになれば、私の税負担も軽減するし、そういう家庭から犯罪者が多く出るというのなら、長期的に考えれば「私がホールドアップされる可能性を減らす」のであるし、服を引き取っていただいたついでに寄付くらいしちゃいそうだ。

 だから、そこで考えたのは、「この人は、自分自信が働きたいと思っている女性を支援したいと思ったし、それを実行するにあたって洋服という現実的なアイテムに目をつけ、洋服を介在して善意を動かすというのを自分のビジネスにしてるわけね」
 支援を受ける人のニーズと支援したい人の満足度のバランスが上手くとれているいい商売だと思った。
 そして、彼女の目標は、もっと組織を大きくして他の街にもこういう団体を作りたいらしい。ボランティア活動であるが、やっていることは「経営者」である。

 だから、NPOといっても、そういう「経営センス」ってすごく問われると思うし、会社みたいに、てゆーか、私みたいに「生活かかってるからしゃーねーな」という社員相手ではないので、無給スタッフのモチベーションをいかに維持するかが「品質管理」なわけで、なかなか大変そうだ。
 なので、私みたいに「NPO法人といったって、やはり売れ筋商品の開発や、広告は重要なわけだろう」なんて思っている人間とB君みたいな人間では話しが食い違っちゃうわけで、しかもB君が前にやってたNPOって、いったい何やってたのかとうとうわからなかった。なんか和楽器がどうので、それを世界に広めるとか、日本の老人文化のパワーを世界に発信するとか言っていたが・・・・・
 それが失敗して崩壊したのか、崩壊寸前のまま放置しているのかわからないが、前にB君が話していたそこの「主力商品」はそこそこ世間に受けそうなものだったので(その楽器について20年くらい前うちの母親が本で知って感激していた)いけるかと思ったが、実際に最近どっかの雑誌に「癒し系アイテム」として紹介されており、本気でそれを導入すると高額なのだが、それの廉価版というか家庭用を作って販売しているNPOがいるらしく、そこのHPも紹介されてたので、B君に「あれを販売してるNPOがいるけど、あれってB君も係わってるの?」と聞いてみたら、話しをはぐらかしたので、知ってるか知らないかはわからないが別団体らしかった。

 そうやって、ボランティア団体でも「商売上手い奴」と「下手な奴」では差がついちゃうだろうし、そういえば、昨日K子さんとぼんやり観ていたNHKの深夜番組で「エコツアー」というのをやっていて、片山右京が黒サイを観に行くツアーに参加していたが、黒サイ保護のNGOだかは、保護区を常に見回らないとならない。密猟者からサイを守るためである。でも、四国の何倍とかいう保護区を巡回するのはとても経費がかかる。だから「エコツアー」を組んで、観光客を連れていくのである。

 そういえば、前に友達が「成田ですごい団体見た」と言っていた。バス二台に中高年がぎっしり乗っているくらいのツアーで、いまどきそんな大仰な団体珍しいので観察していたら、どうやら彼らは「アフリカに毛布を届けましょう」な団体らしく、実際に現地に毛布を手渡ししてくるというツアーだったらしい。
 これは私の勝手な想像だが、「毛布を寄付しましょう」というのはよくある活動だし、家にある不用な毛布を集めたり、隣近所や友達に呼びかけて集めたり、実際に集まった毛布を選り分けて梱包したり、寄付によって送料を捻出したりと雑事は多いだろうが、暇と金を持て余して世界旅行にいそしんでいる退職サラリーマン世帯はわりと多いので、そういう人たちに「毛色の変わった海外ツアー」として「毛布と一緒にアフリカ旅行」という企画を売るのは上手い商売だ。

 もちろん毛布が届けばOKという話しでもないし、支援団体同士の縄張り争いとかありそうだし、食糧支援などが農民の働く気を奪い、さらなる旱魃を生むなんて話しもあるけど、でも「日本の老人パワー」の発揮の場所を考えるということであれば、老人ホームに慰問に行くよりも、「毛布と一緒にアフリカ旅行」のほうが効果的だと思う。

 だから私はそれが福祉でもなんでも、あまり大風呂敷広げるよりも、もっと身の回りのささやかな「ニーズ」から始めたほうがいいと思うのです。もちろん「国境なき医師団」みたいに、医者はどこでも一番重要なニーズだから、それなりの活動していると思うけど、ああいうカリスマ性だって一夜にしてそうなったわけじゃないと思うし、そういう技能も技量も無い人は、まずもっと小さいところからスタートして、だんだんとその活動の仕組みや、どういう援助が求められているかを探って、だんだんとその団体を大きくしていけばいいし、B君の場合には不幸にも、その団体が立ち上がった直後に新聞に取材されちゃったので「私も協力したい」とか「お願いだから、うちの息子も入れて、なんか仕事させてくれ」とか、とにかく自薦他薦の「なんかやらせろ」な人がドワワっと押し寄せたために、それでB君が浮き足立ってしまたり、あまりの大人数をコントロールできなくて逆に身動きとれなくなって崩壊しちゃったようだが、もっと地道に活動できていれば違った結果になったのかもしれない。

 おっと、また堅苦しい話しになってしまった。
 自分で読み返してみると、こーゆーこと書いてるのってまとまりがなくて嫌いなんだが、よく入試の数学の答案なんかで「計算した過程も書きなさい」なんていうのあるじゃないですか、まあ、そういうことで(って、どういうことだ?)、考えた過程を書き残していくことも、この日記の使命でありますから、残しておきましょう。(心に余裕があるらしい、余裕ないと即効で消すから)
4月4日(金)

 会社を帰れる時間になったが、フロアが無人になってしまったので、一応受付部門だし(代表電話受付と入館のインターホンを受ける)、30分ほど居残り。
 仕事する気もなく、暇だったから「とうふ屋うかい」を経営する会社の決算報告書を精読し、「ほー、あの建物の建築費はやっぱ7億くらいかかるのか、安いのか高いのかよーわからんが」などと思った。土地はなんぼしたのだろう?

 4月1日より私は主任になった。役職手当がつくわけではないので、どーでもいーが、なんで主任になったかというと、経理課の人数が増えたのである。もともと、経理という部門があった会社ではなくて、設立してから数年間は親会社の経理担当者が帳簿をつけていたらしい。そして、私がこの会社に入る3年くらい前(7年前くらい?)に、今の上司であるOさんが、「そろそろ会社の規模も大きくなってきたし、お前が経理やれ」と任命され「なんにもわからず、経理にされた」そうである。
 たぶん、Oさんはそのころ30歳そこそこで、「貸方?借方?資産の増減?負債と資本?」という状態から、なんとか親会社に手伝ってもらいながら業務をおぼえ、そしてやっと2年目に彼にも新入社員の部下ができ(去年、他部署に転属したギャル)、そのギャルがやっと現金出納や簡単な仕訳伝票が打てるようになったときに、うちの会社を手伝ってくれていた親会社の経理担当者が寿退社したので、かわりに私が入ったというのが、我が社の経理の歴史らしい。

 そのO部長も今では経理課長兼、総務部長。
 社員数も100人近くなり、総務の仕事も増えてきたし、今ではややこしいことを除けば、ほとんど私が決算までこなしているわけで、O部長も「だんだん、決算がラクになってきたな」「だって、私が面倒なこと全部やってるもん(笑)」な状態。
 そんな流れの中で、「Oも経理以外の仕事でがんばってほしいし(幹部候補として)、そろそろ後継ぎの男を経理に入れろ」という社長の言葉はちらほら飲み屋で聞いていたが、今年いよいよ「男の子」を入れることにした。3年目の社員。もともと、うちの会社でバイトしていた子で、そこそこ自慢できる大学を出ており、卒業後は某大企業に就職したが、半年後に逃げ出して、路頭に迷っていたところ、当時総務部長だった人がそれを知って、うちの会社で中途採用したという「出戻り社員」(?)である。

 そんで彼は入社直後から「オレ、経理やりたいんですよね」と公言していたが、それは多分、経理の仕事がどんなもんだかわかってなくて、多分彼が思い描いていた「経理」っていうのは「財務」とか「投資」とか「経営判断」とかゆーやつなんだろうと思っていたが、彼が2年目を迎えたときに、飲み会かなんかで話しをしたら「今、金融の勉強したいと思ってるんです」なんて言っていたので、「まだ、勘違いしたままなのか?」と思ったが、そんなエピソードも上司に話して「わかってないっすよね。でも、勉強してくれるんならやってほしいですよね。私、社債とかレバレジットとかよくわかんないまま伝票だけ打ってますもん」とか言っていたのであるが、恐れを知らぬ若者は「ほんとに経理やりたい」という意志を表明していたらしく、今年めでたく経理課に配属された。

 ま、人が増えるのは歓迎するし、嫌々やるよりもヤル気ある若者が来たのは喜ばしいかぎり。
 で、私はその内辞を受け「社長が男入れろというので、A君が経理に来ます。そして、ミヤノさんにその教育係りをお願いします。ですからミヤノさんは主任になります」と言われたのでありました。

 まあ、そのあたりの「微妙な性差別」というか「あからさまな性差別」ってゆーか、もっと上手い言い方ねーのかよ!と思ったが、O部長の朴訥な人柄が反映された大変ストレートな物言いに逆に感動したくらいだが(下手に言い方を工夫されても私は行間読んじゃうしね)、それならそれで、無理して無冠に等しい「主任」にしてくれなくてもいいから、私はそれを任命されれば、喜んで「家庭教師のおねーさん」やったろうじゃないの、と思ったが、実際A君が配属されてから、質問の雨あられで、ちっとも自分の仕事ができず、ほんとに「家庭教師」と化している。でも、彼こそが将来の経理課長であるからして、せっせと教育せねば私の将来(のほほんとお仕事するのが夢)に関わることだ。

 というわけで、自分につけたあだ名は当然のことながら「ロッテンマイヤー先生」である。ロッテンマイヤーみやのって呼んでね。
 幸いにもA君は美青年である。
 親会社の経理にも「今日からA君が経理課に配属されました」とご挨拶に行った翌日、私が書類の受け渡しに行くと、そこの古参経理社員の女性(古参しかいない)が「A君、いい男よね」と言うので、「わかりました。今後、こちらへのお使いはAに任せます」と御機嫌とりも欠かさない。

 古株女性社員だけではなく、そもそも総務部には近年、男性社員が入ったことなかったので(総務課長も日活系の男前だが、しょせん私と同じ年。しかも昨年子供が産まれてからはお父さん化が激しい。でも親会社経理古参女性曰く「そっちの社長は美男子が好きよね」それには激しく納得)隣の部署(私の天敵T部長の部署)でもA君は大人気。みんな、兄貴ぶりたかったのだ。

 というわけで、T部長以外はフロアの男性「兄貴社員」全員がA君を可愛がること微笑ましい。
 「あーあ、かわいい男の子も大変なんだな」と納得する。

 で、ロッテンマイヤーみやのは、A君が現在勉強している「簿記3級」のテキストを片手に「資本金はなんでマイナスのほうなんですか?」(貸方がプラスで借方がマイナスだと説明した)という問いに「君が会社を作ろうとしたら、まず資本金を作らなければならない。資本金を入れると、会社の現金はプラスになる。でも、その金は会社の金じゃなくて、経営者の君が投資したわけでしょ?だから資本金は負債と同じところにいるんだよ」「はあ・・・・」などと、くどくどと家庭教師している日々なわけです。

   ヤル気満々で「実は、中小企業診断士の勉強もしようと思ってたんです」とか言うわりには、全然わかってないのがわかってきたので、A君が不在のときにO部長に「Oさんが経理になったときにもああだったんですかね?」と話しをふってみたら「オレも資本の増減?とかで戸惑ったよ。テキスト3ページくらい読んだとこで、なんだこりゃ?って感じだった」「やっぱりぃ?」「ふふ・・・・・ミヤノさん、もっとビシバシしごいていいから」

 というわけで、私の使命は「貸方借方がまだ全然わかってないトーシローが半年後にキャッシュフローの概念がわかるくらいまで基礎を叩き込む」ことになったが、でも考えてみると私って正規の経理教育受けてないわけですよ。前の会社では地道に支払いの仕事とかしていたが、そこで体感したのが「会社って帳簿上は利益があがっていても現金が無い」ということで、それで資金繰りの予定表などを作らされ「はあ、こういうことか」と思って、その後「キャッシュフロー」なる言葉が流行したあと、「あ、結局、私が試行錯誤して作ったアレね」とわかり、決算書の読み方も誰も教えてくれなかったけど、必要だったから勝手に覚えてきた。

 そういう、実務から学習してきたノウハウでどこまで教えられるかわからないけど、まず覚えてもらわなきゃならないのが「電信振込」と「文書振込」の違いだったり、「仕入と売上」の概念であったり、そんなもんやっているうちにわかると思うのだが、自分が人並み以上に賢いだけで、他の人が自力でどの程度理解できるのかよくわからないので、懇切丁寧に教えているのだが、けっこう疲れますわ。

 というわけでロッテンマイヤー先生は、しばらくA君の理解力がどの程度だか探り入れてる最中なのだが、そんな最中、昨日はまたB君が電話してきた。
 たのむから、あまり頻繁に電話しないでほしい。疲れてるのよ私だって、と思ったが、いちおう明るく対応していたのだが、またB君「マニュフェスト」を連呼する。どうもかなり自慢らしい。(「マニフェスト」と「マニュフェスト」どっちが正しいのだろうか?)

 「まあ、マニュフェストっていう言い方が今流行しちょるらしいな」とか言われても「ふーん」って感じなのだが、多分「なにそれ、すっごーーーーい。そんな難しいことやってんだ」と言っておいたほうが正解なのはわかるのだが、変に賢い私は「その言葉、私には不用」とわかっているので聞き流す。

 そんで、前にも聞いた愚痴をまた話しはじめた。
 B君がNPOやってるときに知り合った「女の子」がいて、そいつが相当なバカ女だったらしく、バカ男のB君としてはバカ女の彼女の存在が面白くなかったらしく仲悪かったようだが、その彼女が敵陣営の「政策ブレーン」にいることを知り「あのバカ女が政策ブレーン!」と驚き、「オレ、なんか悲しくなってきたよ」と愚痴っていたのだ。

 賢いロッテンマイヤーみやのの、声に出して言わなかったけど心の中で思ったことは「バカ女が政策ブレーンっていうのも泣けるが、B君が敵陣営のマニュフェスト担当と知った彼女も同様の感想を抱いていると思われ」
 B君は「地方政治なんてこんなレベルだよ」と嘆くが、ほんとにそうだな。やっぱ地方に権限持たすのやめよう。まだ中央省庁のほうが、東大に入れただけマシだ。

 そして、なんとなく雑談していたら、彼が「とにかく、地方行政と業者の癒着を無くしたいんだよ」と言う言葉がちょっと単純すぎると思ったので、うちの父親のことを話した。うちの父は「個人ではアンチ自民党」である。たぶん。「新自由クラブ」とか「社民連」などに投票していたと思う。でも、仕事が「老舗企業の総務」だったので、その会社の地方の工場で単身赴任していたときの主な仕事は「保守派市長の選挙運動のお手伝い」であったらしい。

「業者との癒着」について語っていたら(結局、地元の民間企業が稼いでくれないと税収が上がらないわけで、癒着はいかんが、民間企業を市民の敵と位置付けていてもしょーがないだろうという話)話しは私と父の関係→B君と娘の今後の関係→要するに離婚話になってしまった。その話し、聞くの辛いのよ。何度もブチ切れてるんだけどなあ。

 「みやのさん人生において、そのお父さんはそれだけの影響を与えている」というのはその通りだとしても、「だから自分も娘にそうしたい」というような論旨は私には怖い。
 それは、女友達の多くがそういう「父親の呪縛」に苦しんでいるからだ。
 もちろんそれは「母親の呪縛」でも同じだけど、でも結局私が怖いのはそうやって他人に影響を与えたい、自分の痕跡を残したいという「支配しようとする欲望」が怖いのだ。
 自分から逃げた妻に恨みがある気持ちは、ある程度わかるけど、その妻の家出によって可愛い娘に自分が父親としての役割がちゃんとできないという苛立ちもわかるけど、でも妻にしても娘にしても他人なわけだし、そこに自分の影響力が及ばなくなってしまう焦りもわかるが、その理屈を「娘のために」とすりかえるのはいかがなもんか?

 「自分が大物になって皆に尊敬されたい」という気持ちを「市民のため」にすり替え、「娘を妻に取られて悔しい」という気持ちを「娘のためにも父親の存在は大切だろう」にすり替えていることに気がついてほしいのだ。

 私が「B君の言ってること全然理解できないよ」と言うと、向こうもムキになってしまい、「でも、オレが今すごく大変なときなのに、向こうは裁判所に召喚してくるわけよ。信じられないよ。向こうだって、こっちのこと全然考えてないじゃん。しかも、オレはそのうち公職につく身なのに、離婚ってゆーのがどれだけマイナスになるか・・・・」などと、身勝手なことをまくし立て始めたので、「悪いけど、もーこれ以上その話し聞きたくない」と電話をガシャンと切った。

 気分悪い。
 そんで、ここまで書いたところで、今度はS君が電話かけてきたので、勢いで当り散らしてしばいばした。
 長電話になり、2時まで話してバタンと寝た。
 土曜の昼ごろ起きだして(今日の花見会は中止。かわりにビデオ鑑賞会になった)また、こうしてツラツラ書いている。

 まだ気がすまないらしい。(粘着質だから)
 B君の奥さんの悪口をもっと聞いてあげられればいいとは思う。でも、Aがダンナの悪口言うのと明らかに毛色が違うので、聞いてて楽しくないのということをわかってほしい。
 そんで、私は正直者だから、彼が支配的なことを言い始めると怯えてしまい、そして多分彼の奥さんはもっともっと怯えているのが想像つくので、そのことをなんとか伝えたいと思ったのだが、そう言ったら変な反論されてしまった。
 B君がいつも私のことを褒め称えるので、私が前にふと「たしかに私は頭いいと思う。たぶん、世の中の2割以下(希望的観測)しかいない、ある程度考えられる人のグループに入っていると思う。あとの8割はバカで、私はいつもバカ相手に苦しんでいる」というようなことを言った。半分本気で半分冗談である。

 しかし、B君はそのセリフを真に受けていたらしく、「オレが言うことで、みやのさんが怯えてるっていうのなら、じゃあ、みやのさんは、『私は頭いいの。世の中の8割はバカ』と言ってるときに、そのバカな人間が怯えてるってゆーことに気がついているのか?」
 ああ、そうか、そう思っていたのか・・・・・前にも「あんた自分が頭いいと思ってそれを鼻にかけてるんだろう」と言われて深く傷ついたが、そうか、君が私をやたら褒め称えていたのは、高学歴のお役人におべっかつかうようなもんだったのか?
 で、そういう深い(浅いのかも)コンプレックスを抱えたB君を可愛そうだと思うし、バカなりに考えようとしていることは評価しているので、その考えるお手伝いをしてあげようと頑張っているのだが、なぜそういうことをしてしまうかというと、自分が大したことないのがよくわかっているからである。
 それが「平均よりは賢いが、切れ者というのにはかなり鈍い」ということを自覚している私のジレンマであり、コンプレックスなのかもしれない。

 この間も会社の飲み会で、社長の実家の墓参の話題になった。
 そこの墓は、昔からある有名墓地らしく「有名人の墓がけっこうあって、案内板が出ていたりして観光地にもなっている」らしく、他の社員が「墓なんて観にいって楽しいんですかね?」と言うので、私が、
 「あ、私も初めてパリに行ったときには、ついうっかりサルトルの墓を見にいっちゃいました。墓地の入り口にいた守衛さんが何も言わないのに案内してくれましたよ。でも、同じ墓地にあるはずのボーボワールの墓はとうとう探せなかったんで、案内板作ってほしかったなあ(笑)」
 と言ったら、となりに座っていた同僚が、
 「みやのさんて博学っていうか、ときどきポツリとそういうこと言うよね」
 と、言うので、「え?あたしなんか博学なこと言ったか?」と戸惑ったが、幸いにも社長が、
 「なんだ、サルトルとボーボーワールの墓は隣合ってないのか?」
 と普通のフォローしてくれたので、助かった。

 そんで、普通のOLとして働いている自分が普通に生きていくための心構えとして、世の中にはB君みたいなコンプレックスを持っている人間がときどきいるので、「サルトル」と言っただけでも「あの女、頭いいのひけらかしやがって」と思われる可能性があるので、注意しないとならないのである。
 私としてはサルトルの著書なんて読んだこともないのに、墓に行ってしまう行為は「バカ」に分類しているわけだし、自分がそう思っているので、同じように「マニュフェストがさ」なんて言っているのを「バカ」に分類してしまうのだが、私がいつも理解に苦しむ「8割のバカ」は、「サルトル」や「マニュフェスト」と発言するだけで「賢い」と判定するようだし、それはそれで構わないし、「すっごーい」と言ってるだけで尊敬されているわけでもないし、ちゃんとした本当の善良なバカは「それは自分には関係ない」とちゃんと判断していると信じている。

 困るのはB君みたいに「マニュフェスト」を連呼することで自分が賢い人たちに近づいたと勘違いしちゃうような人である。そういう人はけっこう多いので困る。会社にも何人かいる。そんで私がそういうのを見破ってしまうので、そういう人たちに敵視されやすいのだ。
 ま、でも私は「なんだか、すっごーい」とあまり言わないので、そういう人はあまり近寄ってこない。
 なのでB君が、これだけ私と話しをしたがっているのが不思議なのだが、いつか私に尊敬されたい、見返してやりたい、という気持ちが彼の原動力にもなっていると思っているので、「ひー、疲れる」と文句いいながらも、そのやりとりを楽しんできたのであるし、彼も表面的にはそうやって私に甘えていることを自覚しながらも、やっぱりいざというときになると本性を現すので、それに深く傷ついている私の気持ちもわかってほしいと思う。

 あー愚痴愚痴。
 でも、それに懲りずにまた電話してくると思う。
 そんで、私も懲りずに相手するんだと思う。

 そしてそれは同情だとか、憐憫だからではなくて、なんかそーしたいからそーしてるのである。
 そーゆー自分がときどき嫌いになるが、他人のことも変えられないが、自分のことはもっと変えられないのである。そーゆーもんだ。

 さて、賢い私は、気分を変えるために、女友達のおうちでグルーミングしてきます。
4月3日(木)

 念願かなってエイプリルフールに電撃入籍してハネムーンに出かけていたので日記書けませんでした。
 と、今ごろ「4月バカ」を書いていてもしょーがないので、バタバタした2日間を簡単に遡る。
 
 4月1日の帰り道、乗換駅で電車を降りてエスカレーターに向かって歩き出したら、コツンと肩を叩かれた。
 てっきり通勤経路が同じ会社の人かと思って、振り向いたが「この人誰?」と私の脳内の「人物検索機能」がダーーーっとフル回転してしまった。
 たっぷり一秒後くらいに、やっとわかった。A嬢だったのである。先日、見舞いに行ったときに、「明日、大きい病院で診察してもらって、それで別状ないとわかったら会社復帰する」と言っていたが、どうやらなんとか仕事できるようになったらしい。
 しかし、一瞬誰だかわからなかったのも無理はない。髪の毛をバッサリ切り、服装も男の子のようだったし、化粧もしてないのである。
 前から、通勤経路がダブっていることは知っていたが、勤務時間帯が異なるので遭遇したことがなかったのであるが、たまたま同じ時間になったらしい。「おなかすいたから、なんか食べない?」と言われたので、Aの下車駅である鷺沼で食事することにした。

 どこで食べようかと、ダラダラ歩いていたら、Aが「あっちにキムタクの親が経営してるイタリア料理屋があるって友達に聞いたんだよね」と言うので、Aは和食系がいいというので、別にそこじゃなくてもいいが、そっちに行けば他にも食べ物屋があるかと思って歩いていくと、そこは桜並木になっていて、キムタクの親の店とおぼしきイタリアン・レストランの向かいには、なんか「千と千尋の神隠し」っぽい、和風で巨大な建物があった。

 「なにあれ?」
 「なんだろう?知らないなあ」
 「どうやら、豆腐料理みたいだね」
 「でも、高そうじゃない?」
 「あ・・・・でも、コース3800円って看板出てるから、それほど高くないよ」

 とりあえず、道を渡って近づいてみると、駐車場にはたくさん車が停まっているし、7時半頃だったのだが、ちらほら入っていく客もいるし、エントランスにも人が数人待っているようだった。
 なんだかわからないが、ちょっと探索したくなり、それに妊婦のAに養分をつけてやるのもいいだろうと思って「私が奢るから、入ってみようよ」と言って中に入ってみた。

 「とうふ屋うかい」という店だった。鷺沼から徒歩5分とは思えないほど、敷地が広い。「テーマパーク型レストラン」とでもいうのだろうか?庭を囲むような作りになっていて、庭にも離れの部屋が作ってある。予約無しの私たちが案内された席は、畳に低い椅子が置いてある「なんちゃって和風」であったが、20畳くらいの部屋に4人掛けの席が5つくらいしかないので、ゆったりと配置されている。

 郊外とはいえ、田園都市線の急行停車駅から徒歩5分の立地で、こんなに無駄な空間をとって、よくペイするよな。と感心。そのためにメニューの種類は少なく、コースが3つ設定されていたが、3800円〜5000円でお手ごろ。豆腐料理がメインなのでヘルシーだし、こりゃ平日でもこんなに客入ってるのわかるわな。
 というわけで、料理をつつきながら、Aの「妊娠奮闘記」をじっくり拝聴する。ダンナに対する愚痴ばっか(笑)。ケンカばかりしているので、「胎教に悪いよ」とこぼしていた。でも、結局本人もわかっているとおり、ダンナとAの父親は性格が自己中心でマイペースなところがそっくりで、「結局、自分の父親に似た人と結婚しちゃったりするんだよね。それで、なんだこいつ、って思っても、長年父親と付き合ってきたから、なんとなく許せちゃうんだよね」

 そう考えてみると、私が今だに独身だし、たまに彼氏ができても全然長続きしないのは、うちの父親みたいな人が現れないからかも(笑)。あの人(父)異様に手がかからんからなあ。恐ろしいほど「さみしがりや」さんじゃないし。それは私も同じなのだが。

 というわけで、いろいろと茨の道のようだが、それでも「ひとりぽっちで自分の存在意義について思い悩んで鬱になるよりも、どうやったらこの人を納得させられるのかと毎日言い合いしているほうがいいかも」とA本人も言っているとおりだと思った。たぶん、他の夫婦だってそんなもんさ、と月並みな励ましを言った。
 まあ、私がそのダンナと結婚したら半日もたないと思うが、だからこそ、彼と私じゃなくて、君が結婚したんだしね。

 昨日は、会社の人たちと蕎麦屋で飲んでた。
 11時くらいに帰宅し、けっこう酔っ払っていたので、さっと風呂に入って歯を磨いて寝ようとしたら、電話。
 B君からだった。
 選挙運動のお手伝いでボロボロになっているらしく、「みやのさん!オレのこと癒してよ!もう、なんとかしてくれ!」などと叫んでいる。
 しょーがないから、何か「癒し系」の話しでもしてやろーと、「そういえば、名古屋の通り魔事件って、なんか『口裂女』思い出さない?」

 「赤い自転車に乗った赤い割烹着を着た中年女性」って言葉がニュースに流れただけで唖然としてしまう。まあ、ちょっと前に動物帽子かぶった通り魔もいたが、でも、私が記憶する限りでは今まで「女性通り魔殺人犯」っていうのはほとんどいなかったはず。

 などと、時事ネタ雑談を30分ほど披露していたら、向こうも少し緩んだらしく、いろいろ愚痴りだしたので、「でも、前にも選挙運動手伝ってすっかり懲りているのに、またやってるんだから文句言うな」と諭していたのだが、そうやって叩いているうちに向こうも反撃モードになってきたのだが(もー私ったらほんとに癒してあげるの上手いわ)、そうなると凹んでいるのに自慢話になってくるわけだ。

 そんな自慢話の中で、彼は候補者の広報部門を担当しているようであり、なんで自分がそれを任されたのか疑問だったようだが、彼が昔NPOやっていたころ、ある新聞にインタビューされ(「ああ、その話、もう5回くらい聞いてるんだけど・・・」「100回でも、1000回でも聞いてくれ!」「・・・・はい」)そのときに、「なぜNPOなのか?」という問いに対して「市民の一人一人に輝いてほしいから」というようなことを言ったらしい。それが記事になった。

 「で、今やってることって、・・・・・で・・・・・・・で(伏字にしているのではなく、私が聞き流して覚えてないだけ)、今はそういうのマニフェストっていうんだけど、とにかく、今そういうことやっていて、わかったんだ。NPOやってたときも、自分はこう思ってたんだよ」

 NPO=「市民一人一人が輝く」
 という発想が気に入らない私は、「えー、あたし、そういうの嫌い」と反撃。
 でも「嫌い」だけじゃ向こうが納得するはずないので、わかってもらえないかもしれないけど、クドクドと解説。

 要するに、「みんなのため」とか「社会のため」とか言うのは嘘だということだ。いや、本当にそう思っているかもしれないけど、でも、本当にやりたいことは「自分が目立ちたい」ということだということから目を逸らしてはいけないと思う。B君の場合は「目立ちたい」という言葉がぴったりなのであえてそれを使うが、他の言葉でいうのなら「人から必要とされたい」とか「みんなから感謝されたい」とかかな?

 というようなことをなにやらクドクド言ったのだが、言っているうちにふと思いついて、「だから、一人一人に輝いてほしいとほんとに思うのなら、まず自分が輝け。そんで、輝けないかわいそうな市民に光をそそいであげなさい。自分で輝けない月だって、太陽の光を反射して、あんだけ明るいわけじゃん。あれよ、あれ」

 はずみで言った「クサい話」だが、毎日大勢の有権者に会って消耗しきっているB君の心には響いたらしい。
 「ミヤノさん、そうか!あんたほんとーにうまいこと言うな。そうだな、オレ今やっとわかったよ!」

 ああ、平日の深夜、なんでこんな熱血青春ドラマの先生と生徒みたいな会話を繰り広げているのか・・・・

 で、電話はなんとか円満に1時すぎに終了した。やれやれ。私なんてほんとに口先三寸なんだけどな。
 そして、私が気にかかったのは、B君のことよりも「マニフェストって何?」ってことだった。B君が「マニュフェスト」と偉そうに言うので、負けず嫌いの私はわかったフリをしたが、実は「ミート・ビート・マニフェスト?」しか思い浮かばなかったのだ。

 あったくもー、「頭だけいいお役人」が大嫌いなフリをして、そーゆー言葉振り回すあたりがダメだなあ、B君よ。
 と、思ったが、「マニフェスト」ってそんなにメジャーな言葉なのだろうか?
 くどいようだが「ミート・ビート・マニフェスト」以外の用法を思いつかなかった。

 そんなかんじで、友達との会話でドタバタしていた二日間。
 そういえば、その合間に「レスリー・チャン自殺」のニュースにショック受けてたりした。
 熱烈レスリー・ファンではなかったにせよ(私の一押しはレオン・ライ)、「一流ホテルから飛び降り自殺」って、「お前は沖雅也か?」と思った。

 沖雅也で思い出したが、(飛躍しまっす)、中学のとき毎年「カルタ・コンテスト」が開催された。うちのクラスの女子数名はその大会に命をかけていて、毎日お昼休みや放課後に練習していた。
 名前忘れたが、「ナッキー」と呼ばれたがっていた(「生徒諸君」ていう漫画が流行っていた)快活で太っ腹母さん系のクラスメートも「カルタ燃え」のメンバーだったが、彼女の得意札で「これだけはぜったいにとられたくない」というのが「おきまさや」だった。

 こころあてに をらばやをらむ はつしもの おきまどはせる しらぎくのはな

 百人一首かるたをやったことある人はわかってくださると思うが、取り札には平仮名で「下の句」が書いてあり「おきまどはせる・・・・」の「おきま・・・・」→「おきまさや」と言う通称になったらしい。あのときの局地流行だったので、世間で通用しないと思うけど、あのころ、約6名くらいで「こころあてに〜」「ギャー!オキマサヤ!」「ドス!」「バシっ」という光景を毎日繰り広げていたのである。

 涅槃で待つ・・・・

 ↑35歳以上の人じゃないとわからないかも。(私は沖雅也の遺書で「涅槃」という言葉を知りました。「ニルヴァーナ」というバンドのボーカルが拳銃自殺したのは、それから十数年後です)
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