可燃物な日々

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12月15日(土

●いきなりなぜか実存主義 − サルトルとボーボワールの物語

 我家の玄関の片隅で寄り添っていたカップルの名前が決定しました。(物に名前をつける趣味があるのだ)

  ちりとりの「サルトル」です
 


  ほうきの「ボーボワール」です

 苗字で呼ぶのもカタいので、「ジャン・ポールシモンヌ」と呼ぶことにした。「突然炎のごとく−ジュールとジム」ならぬ、「突然実存主義−ジャンとシモンヌ」ってかんじで収まりもいい。

 シモンヌのほうが、うちでは古株だ。我家にやってきてもう10年以上になるだろう。
 そのころ私の住んでいたアパートは、管理がなってなかったので、共用部分の掃除が全くされていなかった。廊下には、埃や落ち葉が溜まっていて、気になっていたのだが、私も一人暮らしをはじめたばかりだったので、掃除機は所持していても、ほうきを持っていなかったので、手で拾えるゴミを片す(「かたす」って言葉は千葉の方言だという噂があるが本当なんだろうか?)ことしかできなくて、「そのうちほうきを買おう」とは思っていたものの、そういう「それが無くても死なないもの」を買うのが異常にトロい私はなかなかほうきを買おうとしなかった。

 そんなころ、友人と初めてタイに行くことになった。二人とも、高級品より街の屋台や雑貨屋のほうが大好きだったので、いろいろそぞろ歩いたのだが、タイの雑貨はなかなかチープでかわいらしく、「そうだ、せっかくだからお土産にほうきを買って帰ろう」と思い立ち、大きさも手頃で軽かったし、なによりこういう日用品をお土産にすれば一挙両得で、思い出が長続きするのではないかと思って、帰りの飛行機では機内持込にして大事に持って帰ってきたのである。

 おかげで、廊下部分やベランダの掃除もできるようになった。チリトリはかさ張るので日本で買おうと思ったのだが、厚めのチラシなどを使えばゴミは集められたので、結局買わなかった。それほどマメに掃き掃除をするわけでもなかったのだ。

 今年の2月に東京都現代美術館に行ったときに、偶然、ジャンポールと出会った。展示されていた作品に「タイの雑貨が沢山ぶら下っていて、客はその中から好きなものを持って帰っていい」という作品があったのだ。吊るされていたのは、タイの街角の雑貨屋でよく見るようなプラスチック製の安っちい生活雑貨たち。色も派手なのばかりで、「持って帰るのはいいけど、これをそのまま持って歩くの恥ずかしいなあ」と思ったが、ふと、チリトリに目が止まり、「そういえば、タイでほうきは買ったけど、ちりとりがなかったな。同じタイ出身だから仲良くなれるだろう」ということで、この黄色いちりとりをぶら下げて帰った。たまたま大きなスカーフをしていたので、それで包みましたけど。
 
 こうして、数奇な運命に翻弄されつつもタイ出身の2人は我家で出会い、仲むつまじく暮らしているのである。

  仲むつまじく寄り添う ジャン・ポールシモンヌ

 ジャン・ポールが、嘔吐」しそうになっても、シモンヌがちゃんと掃いてくれるのだ。

 「吐きそうだ」 → 「掃き掃除」

 すばらしすぎる・・・・・こういうのをシンクロニシティというのだろうか?(ちがうと思う)

 と、とにかく、この命名を機に、ちゃんとベランダや玄関をマメに掃除しましょう。

 付け足し : 残念ながらサルトルの著作を読んだことがないのですが、15年前に初めてパリに行ったときにお墓には行きました。守衛のおじさんは、なんにも聞いてないのに、こっちだこっちだと案内してくれて、「サルトル」というので、それがサルトルの墓だったようです。ガイドブックには同じ墓地にボーボワールの墓もあると書いてあったのですが、とうとう発見できませんでした。そのときの恨み(?)がやっと晴らせました。



12月14日(金)

 ウィノナ・ライダーが万引きで逮捕!?
 サッチー脱税やマーシーのぞきで覚せい剤よりも、ぜひワイドショーで取り上げてほしい話題である。

 去年は投票した「独断と偏見で選ぶベストサイエンスブック」であるが、今年の私はあんましサイエンスしていなかった。♪She Blinded Me With Science♪ ピ ポ パ ♪(BGM:by Thomas Dolby

 「動物もの」なら数冊読んだけど・・・・どうしよっかな。
 そういえば、サイエンス繋がりというわけでもないが、高校の地学のS先生のことをふと思い出してみたのだが、彼も私の高校に多かった「大学に残れなかったデモシカ教師」であり、長い休みを利用しては発掘作業に従事していた。(野尻湖人を求めていた)
 地学室に「天文気象部」は部室を構えていて、その顧問であるS先生の「地学教官室」は私らの溜まり場だった「地学準備室」の隣で、ほとんど同居状態。冷蔵庫も一緒に使っていた。先生が標本用に購入してしまった「やつめうなぎ」が入ってたりしていた冷蔵庫にコーラなどを冷やしていた。

 今思おうと、S先生も当時はとても若かったのだ。20代後半。今の私(30代半ば)からすれば「ガキ」である。しかし、当時は、27歳くらいのS先生に17歳くらいの私たちは「ガキ」だったんだろう。かなり辛らつに「兄貴ぶって」いたと思う。辛らつというか、彼はけっこうピリピリしているときが多かった。思い出すのは文化祭のときに、各部では校内に貼るポスターを制作するのだが、そのポスターにはまず顧問のハンコが必要で、その後、生徒会の文化祭実行委員に了承を得て、決められた数以内のものが掲示を許された。

 ある先輩が、スペースシャトルの絵を描いたポスターを作って、S先生のところにハンコを貰いに行ったら、なぜか「却下」されてしまった。よほど風紀上の問題がなければ顧問が了承しないということはないはずなので、部員たちは大騒ぎになり「いったいなぜ?」と話し合ったのだが、どうやら「スペースシャトルは軍事利用が目的だから、そういう武器を描くのは許可できない」とかいう「へ?」な理由だった。

 生真面目な私らは、「そうは言っても、現時点でシャトルが軍事利用されるというイメージは一般にはないし、アポロの次と言う感じで、人々に夢と希望を与えるものであると捉えていいんじゃない?」などと話合っていたが、誰かが「こうしてごちゃごちゃやっていてもガキじゃあるまいし、ちゃんと抗議しよう」と言って、再度持って行ったのだが「ダメなものはダメ」と剣もほろろ。
 S先生はそういうご機嫌の悪いときには「男のヒステリー」的な行動をすることが多く、扱いにくかった。機嫌のいいときは優しかったが、いつ機嫌が悪いのか私たちにはよくわからなかったのである。

 ところが私がたしか3年生になったとき、S先生は急に結婚した。交際期間も短かったみたいでスピード結婚だった。相手は「発掘仲間」だったようで、生徒一同、「よく相手みつけたなあ」と祝福したのだが、私がよ〜く憶えているのは、結婚後のS先生の豹変ぶりである。常に満面の笑みをたたえ、その笑みには「俺はおまえらよりも100万倍幸せなんだぜ」というメッセージが浮き出ていた。不気味なくらい機嫌がよくなり、それまでの不機嫌モードはいったいなんだったんだ?単なる欲求不満だったんですかい?ちょっと、ちょっと、あまりにもわかりやすすぎて、ちょっとなあ〜、と受験生の心を脱力感でいっぱいにしてくれました。だってさあ、

 「君たち〜結婚っていいぞ〜こんなにいいもんだったとはなあ〜君たちも早く結婚しなさい!」

 とか頼みもしないのに語ってたもんなあ。そう堂々と言われても、どういうリアクションをしていいのか困る受験生達であった。みんな、シラーっとしていたように記憶している。そもそも「こんなに人が変わるのだったら、私が1年生のときに結婚してほしかった」と思ったもんだ。
 S先生は今でも幸せな結婚生活を営んでいるのだろうか?



12月13日(木)

 昨晩は罪も無い「寂しがりやで甘えっ子で不安症」だが、「でも、しっかりしてるって他の人には言われるんだよ〜」とかほざく、私には理解不能な生き物を苛めてしまったので、その報いか、朝の目覚ましを消したあと、また寝てしまい、ふと気が付いたら、もう9時半。いかん、支度せねば、と思って起き上がり、顔を洗おうとしたら立ちくらみがしたので、また布団に戻って丸くなって、悪寒がするので丸くなっていた。
 体調不良もあるが、先週は7日間連続勤務の上、週末は博物館に出かけたりしていてちゃんとダラダラしていなかったので疲れが溜まってきたらしい。こういう時に無理すると、大風邪をひいたりするので、大人しく寝ていることにする、てゆうか、すでに起き上がる気力もない。ちょっと疲れが溜まるとこの調子になるので、あまり大病しないのだと信じている。
 でも、今日休んでしまったので、また土曜日出勤か・・・・

 一件だけ今日やらなければならない仕事があったので、会社に電話して、他の人に代わりにやってもらえるよう手配して、また寝る。ふと気が付いたら、もう夕方だった。天気も悪いみたいだし、異常に静かで気味が悪いほどだ。薄闇の中でなにかに吸い込まれるような感じがしてきた。子供のころよく発熱したので、こうして部屋の中でたった一人で寝ていると、この宇宙に自分だけしかいないような気分がしたものだが、そんな感覚を久々に思い出す。少し熱があるのかもしれない。

 ずっとうつらうつら寝ていたので、変な夢の連続だった。バスに乗っていると、通り掛かった道のところで噴煙が真っ直ぐ上がっている。「そういえば、爆弾テロ予告があったんだよね。ここがやられたのか」とか思う。付近は混乱していて、爆破があったビルの脇にはなぜかイスラム教徒がお祈りしている最中のような集団がいた。正座してそのままお辞儀して額を床につけている格好なのだが、彼らは全員そのままの姿勢で死んでいるのであった。
 いつのまにか、父と「邸宅跡」みたいな美術館にいる。一軒家の日本家屋の中をうろうろしている。父はこのあと、ラグビーの試合を観に行くとこになっている。(現実では、父はラグビーの試合を観にいったことはない)そういう場所はテロの標的になるのではないかと心配になる。ラグビーの話をしながら、屋敷の中をぶらぶらしているうちに、いつのまにかそこは昔の自分の家になっていた。(今はもう取り壊されて、他人の家が建っているはずの、「旧ミヤノ邸」(笑)の夢はときどき見る)
 また、バスに乗っている。なぜか中学時代の部活動の仲間や監督と一緒。いつのまにか、そのバスが他の大きな乗り物(電車?)になっていて、他の部屋で二人組みの男性と話ている。彼らがテロリストであることが私にはわかってしまう。この乗り物が狙われているのだ。いったいどうしたら、それを阻止できるのか、いろいろ考えていた。

 なんかタイムリーな「テロもの」と過去の記憶が混在する変な夢であった。それで目が覚めても、薄暗い部屋は夢の中と同じようにどんよりしていたので、しばらく暗い夢の感覚から抜けられなかったのである。
 育った家はときどき夢に出てくる。夢に見るほど大した家ではなかったのだが、今はもう無いので、夢の中でだけ存在するのだ。一種の喪失感はあるのかもしれない。亡くなった人が夢に出てくるというのもこんな感じなのだろうか?あまり身近で亡くなった人がいないので未経験である。

 なんかしんみりしちゃったなあ〜 



12月12日(水)

 筋肉痛と出血多量のため(因果関係は無い)、会社帰りに下北に寄って「真剣勝負」というラーメン屋に行く。ここのラーメンは、とんこつベースなのだが、スープに胡麻と木の実がふんだんに入っていて、かなり「薬膳」なのである。細くて歯ごたえのある麺を食べ終わったら、替え玉を頼んでもいいのだが、「麦」という、麦飯を一膳頼んで、スープに入れてかき混ぜると、栄養万点な病人食が出来上がる。すべてを舐めるように食べ尽くし、家までまた歩いて帰る。

 今度の日曜日に、ロック系(というかスミス系)の旧友たちと忘年会をすることになったが、さてお店を決めなければならない。値段が安く、ゆっくりお喋りができる静かな店・・・・これがなかなか難しい・・・・後から参加してくる人もいるので、あまりわかりにくい場所でもなんだし・・・・グルメガイドのサイトを片っ端から見ていると、時間の経つのが早い。大量の居酒屋やダイニング・バーをサーフィンしていたので、頭が「飲食店」でトリップしていたら、電話。

 この間会ったときには「なんかお金が無い。そんなに無駄使いしているのかしら?」とか言っていたS君であるが、今日は金額は教えてくれなかったが「すごく高価な靴」を買ってしまったらしい。靴道楽・・・・・イメルダ君と呼ばせていただこう。S君にはすでに「顔無し君」という称号を与えているが(「千と千尋・・・」主要キャラ)、「世界に数個しかないという靴だったんで・・・・」という言葉で、ずっと思ってはいたのだが、とうそう堰が切れてしまい、「あんたはうちの会社のギャルと似てる!」と言い出したら止まらなくなる。ギャルも「限定発売」とかに「超よわい」らしいので、かなり散財しているのである。他にも類似点が多いので並べたてていたら、落ち込んでいた。

 出血多量で調子悪い女性に絡むと、100倍返しされるという悪い見本である。 



12月11日(火)

 スポーツクラブで筋トレのクラスに出て、ちょっと張り切って重たいバーベル持ってわしわしやったらくたばれた。



12月10日(月)

 昨晩は早く寝ようとしていたのだが、風呂にのんびり入ったりしていたので、けっこう遅くなってしまい、11時過ぎにやっと歯を磨いて就寝までカウントダウン状態になっていたら、マーフィーの法則に則り電話が鳴る。歯ブラシくわえたまま「もひもひ?」

 Aさんでした。下北にいたらしく、「泊めてもらってもいい?」
 まだ終電前なので、なんか話しでもあるのかなと思ったのだが、とにかく眠かったので布団に入って待っていたら30分くらいして玄関のベルが鳴ったのでドアを開けようとすると、なにやら話し声、ドアを開けると、ヤツは電話中であった。「今ね、友達のうちに着いたところ・・・・ほら、ミヤノさんち、この間会ったでしょ、そうそう」
 どうやら私も会ったことある人と電話しているらしい。とりあえず、中に入ってもまだ話ているので、放っておいてこっちはすぐに布団に入って寝る体制。Aが来ても、こっちは電話中で放っておいて寝てもらったということもあるわけで、こういうのはお互い様である。

 というわけで、期せずして友達の電話を子守唄に眠ることになった。すぐにうとうとしてしまったのだが、断片的に会話が耳に入り、しかもAがときどき「だから、反省してるんだよ!」とか叫ぶから、いったい何を反省しているのかちょっと気になってみたりして、なかなか熟睡できなかったが、ふと気が付くとAはもう寝てて、ルームライトがつけっ放しだったので消して寝直した。

 今朝になって、出勤前のわずかな時間で「なにを反省してるの?」と聞いたら、反省すべきことをしたのはAではないのだが、春から冬にかけての無職期間にいろいろあって精神的にあまり浮上できずにいたのだが、今回の些細な事件をきっかけに、「やはりちゃんと働こう」と決意を固めたらしい。まあ、いつものことといえば、いつものことなんだけど。
 なんとか頑張って、職を見つけてもらいたいものである。

 それにしても、なんだか急に冷え込んできた。まだ暖房器具を出していないので、布団乾燥機で暖をとっていたのだが・・・・限界かも。



12月9日(日)

 先週の日曜日から、昨日の土曜日までずっと出勤で、まさに「月月火水木金金」であったが、今日はやっとお休みだ。
 昼前になんとか起床して、1時ごろに家を出て上野へ。12月4日から開催している、科学博物館(通称「かはく」というらしい)の「化石の美と科学」に行ってきました。横浜トリエンナーレは「開催期間も長いし、そのうち行こう」とのんびりしていたら、開催期限が迫ってきたころに忙しくなってしまい、とうとう行けなかったので「行きたい展覧会は早目に行くこと」という教訓を残したので、今回は真っ先に行ってみたのである。

 この企画展、HPをさらりと見たところ「アンモナイトが展示されてる」ようなので、行ってみたのだが、「化石のと科学」というお題であったことを展示を見てから思い出した。
 入って最初の展示は「化石芸術」なのである。

 生痕化石というのは初めて聞く言葉だったが、恐竜の骨とかアンモナイトみたいな殻とかと違って、古代の生物が生存した痕跡が刻まれている石のことらしい。三葉虫が動き回った足跡とか、巨大ナメクジ状の生物が這いまわった痕とか(その横幅は10センチくらいあって、想像するとかなり気色悪い)、化石が残っている生物については、その生態がわかり、どんな生物かわからないものに関しても、「そうか、こういう足跡とかからその形態を想像しちょるのだな」という過程がわかるというなかなか興味深い石のレプリカが並んでいる。触れる展示もあって、恐竜の足跡もあったので、なぜか「恐竜の足フェチ」の私は「でへへへへ」と触りまくっておりました。(変態)

 この展示の面白いところは、これが「科学博物館」の「化石芸術」として並んでいて、「三葉虫の足跡」とか解説があるから「ふーん、そうなのかあ」と思って見るのだが、同時に各プレートに「魔女の掃除跡」とか「地下の花火大会」とか、そのプレートから受ける印象が題名としてついていて、その題名と作品(プレート)だけが、「科学博物館」ではなくて「近代美術館」もしくは「現代美術館」に並べられていても、誰も疑問に思わなくて、「ふーん、ボロックはこういう彫刻もやっていたんだ」とか納得してしまいそうである。

 もちろん、その学術的な意味も重要だろうけど、同時に芸術性も高いものを選んで並べているからなんだろうけど、その緻密な美しさには驚きを隠せない。私がもし、その手の前衛芸術家だったら、「海の底を這っていた虫けらみたいな生物に完敗」して、外に出たらヤケ酒で「乾杯」してしまいそうだ。

 三葉虫とかの這いまわった痕を眺めていたら、それがなんとなく「舗装してない道路がぬかるんでいて、縦横に自転車が通った跡」を連想させた。そんな道の痕跡が、火山の噴火などで一瞬にして埋もれてしまい、化石化したとしたら、数億年後に発掘した学者さんが「古代生物は、輪っか状だったらしい」とか思うのであろうか?そこに、さまざまな靴の足跡も一緒に残っているのを地球の生物が滅んでからやってきた「宇宙考古学者」な宇宙人さんたちが発掘したら、「かつて地球上で栄えていた生物」はナイキとかリーガルとかの靴跡で分類されてしまったりしないだろうか?ハイヒールの足跡と、スニーカーの足跡を残した生物は同じ形態だったとちゃんとわかってくれるだろうか?すごく心配になってきた。

 そういう企画展やってくれたら面白そう。現代の地球上で見慣れているものが3億年後に化石で発見されたら、そのときの考古学者はどういう生物がどんな生活をしていたのだろうと推測するか?人骨とかも変な組み合わせで復元されてたりして・・・・(実際、恐竜の化石にしても昔と今では復元図が違っていたりするし)アンモナイトだって、「たぶん、中身はオウム貝みたいなんだろう」ということになっているが、全然ちがうのが入ってたかもしれないわけだし。プレートでも、以前は「海の生物の化石」だと考えられていたものが、後に研究が進んで「生痕化石」だと認定されたものもあるみたいだから、化石で当時の生物の様子を想像するということにどの程度誤差が生じるのか、「現代もの」を利用してシミュレーションしてくれたらおもしろいのに。
 
 しかし、「生痕化石」ってやつは、骨や貝殻の化石よりも、想像力の働く人にとっては「生々しい」ので、「なんだか、こんな生き物がうごめいてたんだ」とぼんやり見入っていると、背筋に悪寒が・・・・(多足類が苦手なため)。そういえば、プレートの横にある解説には「たぶん、こんな生き物が這いまわっていた跡」と書いてあるのだが、作者(?)の想像図が添付されていないので「そういう絵も入れてくれればわかりやすいのに」と見ている最中は思ったのだが、逆にそれが漠然としているから想像力をかきたてられてよかったのかもしれない。

 化石芸術を堪能してから、上の階は「アンモナイトの美と科学」なのだが、いきなり直径1メートルくらいの巨大アンモナイト化石が並んでいて、生半可なアンモナイト・ファンの私は、「げげげ、こんなデカいのいたの?」と驚く。殻がこんなにデカいということは、ミの部分も相当デカいわけで、海に潜ってこんなのがいたら怖いよ。しかも、アンモナイトってオウムガイみたいに海中を漂っていたと推測されているので、あんな巨大な渦巻きが海の中をホワホワ浮かんでいたなんて・・・・・
 触ってもいい展示も多くて、うれしくなって、なでなでしまくってました。デカさが売りのものもあれば、小さくても、一部宝石化していて女心をくすぐるゴージャスなアンモもあって見飽きなかった。でも、6500万年前まで海底での栄華を誇ったアンモナイトはなんで今はオウムガイにその名残を残すだけになってしまったのだろうか?絶滅の理由が知りたくなった。また勉強してみよっと。やはり、こうやって立派な標本を間近で見ると迫力あるし、やっぱりアンモナイトはカワユイし、すごくいろいろな種類があることがわかった。
 しかし、小さいのはサザエくらいなので、「アンモナイトを食べてみたい」とは思っていても、私の想像の中ではつぼ焼きにして、楊枝で中身をプリっとほじくって食べることを想定していたのだが、あんな巨大なのがいるとなると、その想像はかなり修正しなくてはならない。どちらかというとイカに近いようなので、足をゲソ焼きにするとか・・・タコのデカいやつくらい太いぞきっと。

 というわけで、「化石の美と科学」は、私の変人度を差し引いても、わりかし女性受けする展示だと思いますので、上野でデートするならお勧め。同じく上野で開催されている「MOMA展」に行くなら、こっちも寄ったほうが「現代美術と超古代美術」が堪能できることでしょう。
 会場となった科学博物館の新館はなかなかきれいだし、同行していたS君はエスカレーターの下の部分がスケルトンになっていて、中の構造が見えるので感激してた。「化石の美と科学」は地階で展示されていたが、上の階には恐竜の化石もコンパクトに展示されていたし、「身近な科学」という展示の階はガキんちょで混雑していたが、「斜めの部屋」とか「竜巻が起こる過程を再現」とか、「テコの原理で自分を持ち上げる」とかいろいろ遊べるアクティブな展示があって、大人でもけっこうハマる。
 「保存のいい化石」という展示が片隅にあって、虫の形がきれいに残っているものが集められていた。トンボの羽の形がくっきり残っていたりしてほんとにきれいなのだが、やはりゴキブリもいた。すごくきれいに残っていた。ちょっと感激した。

 「かはく」を出てから、最近公開されはじめたという「旧岩崎邸」を観に行く。4時半入場までだったので、急ぎ足でススキ野原と化している不忍池を通り過ぎて、池之端文化センターの隣から入る。まだ、洋館とコテージ風の撞球場は工事中なので中には入れないが、奥の日本家屋だけ入ることができた。建物よりも、入り口付近の広場を埋め尽くしていたイチョウの落ち葉が鮮やかに黄色く輝いていて、もう夕方だというのに、そこだけ陽だまりの中のように思えた。 

 それからアメ横を横切って、コリアン街まで行って、キムチを量り売りしてもらって白菜半個分買い、それを持って今度はまた広小路の方までさまよってから、結局、韓国家庭料理屋に入って、チジミとかケジャンを食べたのだが、空いていると思っていたら時刻はまだ6時前で、6時くらいになったら混雑してきた。ふらりと入ったのだが、けっこう人気店だったらしい。たしかにとても美味しかった。

 なんだか歩き回って疲れたので、その後、表参道でお茶したのだが、8時にはもう家路についた。昨日はお風呂に入ってなくて、今朝も出掛けにどうしようかなっと考えたのであるが、「化石なんて3億年も風呂に入ってないのだから、私が2日くらい風呂に入ってなくても大丈夫だろう」というたいそうな理屈をつけて入らなかったのであった。つうか、すでに「女の化石」なのかもしれない(笑)
 明日からまた忙しいし、今日は早めにお風呂に入って早く寝ようっと。



12月7日(金)

 仕事は落ち着いたと思っていたので、今週はほとんど残業していなかったのだが、ふと気がついたら、仕事がかなり溜まっていて、「やばい、このままでは土曜日に出勤するか、来週にまた女工哀史モードに突入か、どちらか選択だ」と思っていたのだが、「明日できることは今日やらない」というイスラム圏の教えをモットーにしたいと常日頃努力はしているのだが、やはりそれができない悲しい性分故に、「ううむ、やはり土曜にやっていたほうが安心かも」とか思っているうちに、今日の午前中はまた町田に行ったり(仕事の説明のため。ほんとは忙しいから呼びつけたいのだが、向こうも忙しいのがわかっているからそうも言えない気弱な私。)、午後は昨日、おとついと休んでいた上司の仕事の手伝いとかしているうちに、夕方になってしまい、あちこちつまみ食いのように手をつけた書類が散乱している上に、久々に出社した上司があれこれ書類を回してきたりするものだから、あっという間に地層ができてしまい、それを片付けているうちに6時半になってしまい、バタバタしていたので疲れてしまったので帰ってきてしまった。いいもん、明日全部片付けてやるから。たまにはワーカホリックを気取ってみるのも一興だし。



12月6日(木)

 アンモナイトがたくさん展示されてるみたいだから、絶対に行くつもりだった国立科学博物館だが・・・・ひ、ひどい!大人も無料にしよーよ。仲間外れにしないでほしー。
 「国民がみんな祝福している」と言う人が多いのだから、こういうお祝い事にこそ「みんな」参加させてほしい。そういう「みんな」だったら大歓迎なのに・・・(我ながら身勝手なご意見)

 会社の給湯室にて。
 「ミヤノさん、ミュージカル好きなんだっけ?」
 「え?それほどでもないですけど」
 「だってこの間、カラオケで歌ってたじゃない?」

 そう、先日、会社の飲み会の2次会で連れて行かれたカラオケ屋は通信が各種類入っていて、私がかねてから唄いたいと思っていた「Happy Talk」が入っていたので、「ビールのCMの曲です〜」と一応説明して唄ったのであるが、それが元々、ミュージカル「南太平洋」のナンバーであることも説明したので、「ミュージカル好き」と思われたらしい。(英語曲を歌うときはいろいろ気をつかうから会社の人たちとカラオケ行くの嫌いよ)
 彼女がとあるミュージカルのチケットをとり過ぎてしまい買い手を探しているらしいのだが、私は舞台のミュージカルというものをほとんど観にいったことがない。映画のミュージカルもほとんど観ないのだが、唯一「雨に唄えば」だけは大好きである。
 ミュージカルに興味がなくてもミュージカルナンバーの多くはスタンダードとしてジャズやポップスの歌手も歌うし、私が「Happy Talk」が好きなのだって、クローディーヌ・ロンジェの代表曲だからだ。
 
 劇団四季のやつも、業界勤めだったときに義理で行くことになった上司にお付き合いして、渋谷のパルコ劇場でやっていた小作品を観にいったことくらいしかない。象が出てくる、和製ミュージカルで、私が象好きだったので同行者として白羽の矢が立ったのだが、あまり面白くなかった。
 そもそも私は劇団四季が嫌いである。観にいったこともないのに「嫌い」と断言するのには、変な理由がある。

 その昔、よくコンサートに行っていた私は、毎月のようにチケットぴあで並んでいた。電話予約だとなかなか繋がらないが、都内に数軒ある「チケットぴあセンター」に行くと、手際よく行列をさばいてくれるので、わりと前のほうの席が取れたのである。当時は国内外の超人気アーティストは「特電」扱いで、発売当日は店頭売りしなかった。でも、日曜日ともなれば、中堅どころの発売が重なったりしたものだが、オリジナル・ラブくらいだったら、朝から並べば渋谷公会堂の2階席の一番前などがとれたのである。

 自分のお目当てはそれほど争奪戦にならなくても、他に人気バンドの発売があると長い行列ができた。でも、行列の雰囲気を見ると、だいたいどの系のバンドだかわかったものである。お目当てが一緒の人とはよく会うので、自然と顔見知りになったりした。
 あるとき、行列がいつもより長くて、早くに着いたにずいぶん後ろになってしまった。後から来た友達と「今日は他になにが発売なんだろうか?」と思ってぴあをめくっても、それらしいのが見当たらない。10時に開店してからやっとわかった。劇団四季の会員カードを持っている人は、店頭で買うことができるのである。それはいいのだが、彼らは席の位置でとても悩むのだ。店頭買いのいい点は「座席が選べる」ということである。電話予約だと、それができないのだが、店頭で「この辺か、この辺が空いてます」と教えてくれるので、その場で端末をいじってもらい席を選ぶことができる。ロック系の客だと、せいぜい「一階席の後ろの方か、2階席の前のほうか?」くらいの選択肢だし、あまり悩んでいると、そうしているうちに電話予約でもどんどん席を押さえていくのでモタモタしてられない。
 しかし、四季の客は、ああでもない、こうでもないと端末を占領してしまうのである。だから音楽系の客を10人さばける時間で3人くらいしかさばけないので、やっと自分の番が来たときには、思っていたよりも後ろの席になってしまったりしたのだ。

 そういう目に何度も遭ったので、自然と「劇団四季=天敵」という図式が出来上がってしまい、今に至る。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの法則にしたがって、「キャッツ」も「ミス・サイゴン」まで嫌いになってしまった。観たことないんだけど。ちなみに、宝塚にもずいぶん邪魔をされたので、そちらにもいわれなき偏見を持っている。

 そういうわけで、一度だけNYに行って、ブロードウェー徒歩5分のホテルに滞在したにも関わらず、ミュージカルを観にいかなかった。一応ツアーだったので、到着した日にみんなでお昼を食べてオプショナル・ツアーの申し込みをそのときに受け付けていたりしたのだが、同じテーブルになったなぜか男性ばかりの数名は皆「ミュージカル目当て」で、もう日本からチケットをとっていたりしたようだ。話題はミュージカルばかりだったので、私と友達(チケットとりの同士でもあった)は自分らの「四季嫌い」がバレないよう、目配せしながら黙って食べていたのだが、その努力も空しく、
 「お二人は何を観にいくのですか?」
 と、話をふられてしまった。

 「おめーら、NYはミュージカルファンしか来ないと思ってんな?」という言葉をグっと飲み込んで、「いえ、私たちは、ミュージカルは観に行く予定はないんです」と答えると、「じゃあ、なにするの?」・・・・・・やっぱりミュージカル人とは友達になれそうもない・・・・・私らの偏見はあながち筋違いでもなかったらしい・・・・・と思いつつも、にっこり笑って、

 「現代美術とか観ようと思って・・・・。MOMAとか、グッケンハイムとかあるじゃないですか?」

 と、言ったら、全員が不思議そうな顔をして、

 「へえ〜美術かあ?そういうのもあるんだ?」

 テーブルひっくり返したくなりましたです。あの体験で「ミュージカル嫌い」に磨きがかかってしまいました。

 姉はこんなだが、弟はNYでミュージカルを観にいったらしい。彼も美術に興味がないので、「NYに行ったら、ブロードウェイ」という思い込みがあったようだ。でも、何が面白いのかよくわからないので無難に「キャッツ」にしてみたらしいが、「英語がわからなくても大丈夫」と言われたらしいのだが、そもそも全くあらすじも知らなかったので、後になって、こういう姉弟の会話が交わされた。

弟 「ねーちゃん、キャッツの話って知ってる?」
姉 「観たことないから、よく知らないけど、ゴミ捨て場で猫が集会開いて唄を唄うんでしょ?ストーリーなんてあるの?みんなで身の上話を順番に披露するんじゃなかったけ?」

 姉は「コーラスライン」と混同している。ビデオで観たことがあったのだ。

弟 「まあ、そうらしいんだけど、でも、英語だからよくわかんないんだけど、どうもみんなで輝く猫だか、黄金の猫だか、なんか凄い猫が来るのを待っているらしいんだけどさ・・・・一緒に観てたドイツ人と後で話し合ったんだけど、その猫が最後に出てきたのだかどうだかがよくわかんないんだよ」
姉 「え?『キャッツ』ってそんな『ゴドーを待ちながら』みたいな話なの?」

 あとでわかったのだが、「キャッツ」は集まった猫たちがその夜になにか(輝く猫だかなんだか忘れたが称号があるらしい)に選ばれるらしくて、それを競い合っているらしく、私の「コーラスライン」と混同したのはそれほどとんちんかんでもなかったらしい。
 この話は前にも書いたかもしれないが、弟君のミュージカル話はそれで終わりではなくて、ミュージカルと関係ないところで事件があった。同行したドイツ人というのは、当日券が安く売られるチケット売り場で並んでいたときに偶然隣合ったので「じゃあ、一緒に観ようよ」ということになったらしい。それで一緒に劇場に入ろうとしたら、近くでひったくりがあったらしく、警察が犯人を追いかけていた。そしたら、なんでだか忘れたが、弟が共犯だと思われたらしく(犯人とぶつかったとか警察とぶつかって結果的に邪魔をしてしまったとかいう理由だったような・・・・詳細忘れた)、警察官にいきなり押さえつけられ、拳銃を突きつけられてしまったのだ。

 「あのときは本当にこれで死ぬかと思った」そうだが、まあ今でもそうだが、弟君は痩せてて、目が窪んでいて「あんた、アメリカだとジャンキーだと思われるんじゃない?」というルックスだし、無精ヒゲにボサボサの頭髪(天然パーマ家系のため)、汚い服装というわけで、どうみても「日本人観光客」には見えず、ストリート系かハイジャック系(先の同時多発テロで写真の公開された犯人たちは、かつての弟を彷彿とさせるルックスであった)だった。たぶん、犯人と人種的にも近かったのであろう。
 不幸中の幸いで、チケット売り場でナンパしたドイツ人バックパッカーが側にいてくれたので、彼もそれほど英語は上手ではなかったようだが「彼はちがう。朝から僕と一緒だった。ただのツーリストだ」と説明してくれて、連行されずに助かったようだ。

 おまけ。
 弟に拳銃を突きつけてしまった警官は、お詫びというか口封じに、その後日本食レストランでご馳走してくれたそうだ。ドイツ人君も同行。

 「そんな高級店じゃないから大して美味しくなかったし、別に日本食じゃなくても良かったんだけど・・・・でも、警官なんて薄給だろうから二人分奢って、けっこう痛かったと思うよ」 

 警察も大変だな、と思った。ハンバーガーでも食わしておけばいいものを。



12月5日(水)

 仕事が暇になったと思ったら、なんか風邪気味みたい。
 早々に帰宅したが、眠気が・・・・単に眠いだけか?

 またK君から葉書が来た。
 勝手に掲載。
 

 昨日、ジョージ・ハリスンが亡くなりました。で、ストロベリーフィールズに行ってきました。ファンがたくさん集まって、花やローソクを供えています。テレビも来てました。ジョージの癌のことは知っていたのでそれほどの驚きはありません。ニュースに写るだろうかなどと下世話なことを考えていたのですが、集まった人々の中に楽器を持った者がいて、自然発生的にバンドとなり、ビートルズの曲を演奏しており、それはとても素晴らしかった。日本ではまず無理でしょうね。ただジョージの曲があまりないので、まあ少ないからしょうがないのだけど、曲の間についに業をにやした私が「Tax Man!」と叫んだら、演奏してくれたのはうれしかった。それではまた。30.11.2001


 私は「ジョージ・ハリスンの曲」がどれなのかわかりませんが、そういう普段あまり目立たない「教養」は旅の思い出つくりに役立つこともあるようです。
 「ニュースに写りそうだから」というコメントに思わず「友よ〜」と思いました。

 自分の休暇計画が始動しているのだが、ハワイか(安いらしい)、タイか?それとも初心に返って台北か?(初心=ぺキンで故宮は観光したが、中身の美術品は台北の故宮博物館にあるので、いつか行かねばと思っている。今の仕事だとあまり長い休みはとれないので、台湾あたりは手頃だし、台湾にしてみよっかなと今年の初めくらいから考えていた)



12月4日(火)

 そうそう、昨日、日記を書き始めたときにテレビのニュースでは「皇位継承権」についてやってて、「女性にも皇位を継承する権利を与えるように皇室典範を改正すべきか?」というようなことが語られていたが、それを聞いて、ハタと思った。「皇位継承権って・・・権利だったのか!?」
 いや、なんとなく私の中では「義務」のカテゴリーでした。
 だって、その権利を行使しても・・・・なにかいいことがあるのだろうか?だって、その権利を行使した瞬間に、というか与えられた瞬間に基本的人権が消滅してませんか?職業も選べないしさ・・・まあ、いろいろ他の人には体験できないことができるだろうけど。めったに人前に出さない秘宝とか見せてもらえるかもしれないし。
 
 それに、女性が皇位継承権第1位とかになっちゃったら、結婚相手に苦労しそうだ。女王のダンナってなんとなくつまらなそうなお仕事だ。
 昨日も電話していて、そんな皇室話になったのだが、電話してた相手は「サーヤのダンナになりたい」と言っていた。まあ、がんばってください。

 それで、ふと思ったのだが、サーヤのダンナになるとどういう人生になるのかはよくわからないが、「お婿さん候補」にあがると、無茶苦茶モテるのではないだろうか?女性でも「皇太子妃候補」に挙がったとしたら、お見合いでもかなりハクがつくだろう。仲人おばさんが「お妃候補にもなった方なのよ」と自慢げにまくしたてている様子が手にとるように想像できる。結婚式でも司会者は「新婦紹介」のあたりで、新婦がいかに素晴らしいお嬢さんかということを説明する具体的な理由として「お妃候補」を持ちだすであろう。

 男性が「お婿さん候補」に挙がった場合、周囲の女性は今までその男性に鼻水もひっかけなくても、突然興味を持ちだすのではないだろうか?だってまんまとゲットすれば「プリンセスに勝った」という称号が得られるわけだし、「三高」よりも希少なブランド物であることは間違いない。私だって、「お婿さん候補」とお知り会いになったら、「せめて飲み友達くらいになれないだろうか?」とあれこれ画策しそうである。
 
 「お妃候補」や「お婿候補」が光を放つのは、それがボーダーだからかな?皇室ではハイソすぎるが、その外側を囲む「一般市民だがハイソ」ということの象徴なわけだ。
 
 私が皇室に対して抱いている気持ちはやや複雑である。天皇制の是非については特に意見はないのだが、日本の皇室の人たちはもうちっとその権利を行使してもいいのではないかと思っているだけだ。かなりハードなお仕事だと思うので、もうちっと我がままを言っても私は許す。ダイアナ妃がデュラン・デュランのコンサートの一等席に座っていても誰も文句言わなかったわけだし、普段はきっと「聴きたくもない退屈なコンサートに行っても、居眠りもできない」わけだから、たまには自分がほんとうに観たいものを観たっていいじゃんと思うのである。モナコ王室のグレース・ケリーのお子様たちも母親譲りの美貌を振りかざして社交界やファッション界で派手にやっているし、政治や宗教に深く係わり合うのには問題があるかもしれないが、そうじゃなければもっと権威を振りかざしてもいいのではないのか?まあ、日本の皇室も私の知らない世界では権威を振りかざしているのかもしれないが・・・・
 でも、私の知る限りでは、そういう本来なら「ロイヤルファミリーの若者」がやるべきようなことを宮沢りえとか、古くは岸恵子あたりが一身に背負ってやっているような気がしなくもない。あれは、プリンセスの仕事であって、芸能人の仕事ではないと思うのであるが・・・・



12月3日(月)

 土曜日、一日中寝ていたり、日曜なのに出勤していたりしたので、昨日の日付が間違っていた。
 ボケの初期症状のひとつに「今日が何日かわからない」というのがあるみたいだが、ヤバいかも(笑)

 仕事もマイペースでできるようになったので、今日はちゃんと定時ドンぴしゃに帰り、久々に7時台に商店街を歩いていたら、ムクムクと自炊心が芽生えてきたので、肉の塊と大根を買って、友達がマレーシア土産にくれた骨肉茶(バクテー)の素で煮込む。ちょっと味が足りないので、近所の輸入食材屋で買った海産物のブイヨン(ブイヤベース系)と、古いから底に塩がたまってしまい塩気がなくなっている奇妙なナンプラー(魚醤)も混ぜたら、とても不思議な味になったが、美味しい。
 こういう滅茶苦茶な料理は大好きだし、才能があると思っているのだが、あまり他人に食べさせたことがないので、客観的にみてどうなのかよくわからない。

 また電話に邪魔され、日記中断。
 友達に書かなければならないメールをなんとか書いて就寝したが、眠りが浅く、変な夢を見たような気もしたが忘れた。



12月2日(日)

 昨日は朝10時くらいに寝て、夜に少しだけ起きたがすぐに眠り、今朝は5時起床。体内時計めちゃくちゃ。
 イベントのお手伝いの仕事のため、久々に母校(卒業してないけど)に行くが、渋谷の会場で人が不足しているということだったので、急遽そちらに回される。
 ラッキーなことに、母校の方では夕方まで拘束されるはずだったが、渋谷のほうは午後1時過ぎには解散になったので、HMVでCD買って帰った。この日曜出勤の仕事は12月にあと1回ある。今日はわりと暖かかったので、外で入場者整理をするときには背中にホッカイロを貼っておくだけで済んだが、寒くなると大変だよな。だいたい、6時に家を出ると真っ暗なので夜道が怖い。

 そういえば、母校の机の落書きでこんなものを発見。ボールペンで書いたもので、それほど古いものではないように思う。文字の消え具合からかんがみても、せいぜい、今年になってから書かれたものであろう。

 日本三大ロックバンド

  ・村八分
  ・フリクション
  ・INU

 なぜか愛校精神にむせび泣く卒業してないけど一応先輩な私・・・(久々に校歌のひとつでも唄いたくなる)・・・なのであるが・・・・この落書き・・・・他の学生には通用するのだろうか?そもそも君って何歳?
 しかし、かつての「非オシャレ系代表大学」も、数年前にキャンパスを通りがかったときには、すっかり軟弱化して、渋谷系茶髪青年&オシャレ・ギャル80パーセントになっていて、「昔あれほどスタンダードだったムサイ男子学生と化粧気のない女子学生は絶滅してしまったのか?」と嘆いたものだったが、まだまだ残党は健在らしくて、ほっこりしてしまう。

 ・・・・って、こんな35歳になった先輩がその落書にこんなに感激してるなんて書いた人は知るよしもないだろうが・・・・・なんかレス書いておいたほうがよかったかしら・・・・えっと、その下に「ルースターズ」って付け加えておくとか?(ちょっとちがうか。個人的趣味です)

 そういえば、その後、渋谷に飛ばされたが、渋谷から原宿方面に明治通りを歩いていたら、前を歩いていた小学生くらいの女の子を連れたお母さんが思わず子供に

 「ほら、ピンクドラゴンよ」

 と語りかけていたのだが、子供は「それなに?」というかんじで

 「え?なんで知ってるの?有名なの?」

 というリアクションをしていた。お母さんは黙ってしまったが、私にはわかる。多分そのお母さんは私とそう年は変わらないし、もしかすると年下かもしれないが、彼女が高校生くらいのときには渋谷や原宿に出たときには必ずピンクドラゴンに寄ったのだろう。私はあんまし行かなかったけど、ある種の聖地ではあった。久々に見かけて嬉しくなってしまったのだろう。

 時代はそうやって巡っていく。でも、今でもデンと店を構えているピンクドラゴンは凄いよな。経営者が書いた本が面白いとABI氏が前に話してくれていたが、まだ読んでいない。「やるならやっちまえ」とかいう乱暴な題名だったと記憶しているが。(全然違うかも)

 早くに仕事から解放されたので、食事をする約束していたMちゃんと6時に待ち合わせにしたのだが、直前に元上司から電話が入ったので、少し遅刻してしまった。でも、すぐにお店に入って結局11時になるまで喋り捲った。帰宅すると、そこで話題になった某友人から留守電が入っていた。大丈夫だったかなあ?いろいろ心配。(私の杞憂はわりと当たるので日記にこうしてメモしておく)


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