可燃物な日々

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1月31日(金)

 昨晩、日記を書いていたら、またB君から電話。
 立て続けなので「どうしたの?なんかあったの?」と言ったら「この間は夜遅くまでゴメン」
 そんなこと言うために、わざわざ11時過ぎに電話しないだろうフツーと思ったら、やはりまだ話足りないことがあったらしく、結局また2時まで電話してしまった。
 その状況で、「ミヤノさんはやはりすごいよ。どうしてカウンセラーを目指さないの?」などと言われてもねー。そのセリフを毎回嫌がっている私の気持ちもわかってほしいです。しょーがないから、
 「あんたみたいな客が3人もいたら、私は睡眠不足で死ぬ」
 と答えておいた。

 そんなわけで、今朝も起きるのが辛かったが、なんとか起きて駅で電車を待っていたら、前に立っていた大学生くらいの男の子が市松模様のマフラーをしていたのが目にとまった。
 私も昔、市松模様のマフラーを持っていた。新宿アルタの一階で見つけて、一目ぼれしたのである。けっこうお気に入りだったはずだが、なぜ今は手元にないのだろう?もしかして、まだ実家にあるのかな?などと思っていたら、目の前にぶら下がっているマフラーに値札がついているではないか。

 その昔、「トレーナーを裏表に着る」という流行があって、おせっかいなオバサマが「あなた、逆よ」と指摘して、「いえ、これでいいんです」と言われて恥をかくという光景が多発していた。ボロ・ルック(?)のときにも同じようなことが起きたし、「若い人のセンスってよくわからないわー」と嘆くオバサマも多かったと思う。

 「うーん、もしかして、値札を付けたままのファッションなのかもしれない」
 と一瞬本気で考えたが、でも有名ブランド店などの値札ならともかく、その値札は「ジーン○メイト」の値札であった。金額までは読めなかったが、いくらなんでも格安ジーンズ店の値札を自慢げにぶら下げたりしないだろう。私がどうしても、カッコいいと思えなかった「ズボンずり下げパンツ見せ」にしたって、カルバン・クラインなどのブランド・パンツのブランド名をチラチラ見せるのが基本だったはずだ。

 かなり迷ったが、好奇心に勝てず、彼の横に立って、おずおずと「あの〜〜〜」と声をかけてみたのだが、無視されたのでビビったが、なんのことはない、ヘッドホンで耳がふさがっていたのがすぐにわかったので、腕をツンツンつついてみた。当然のことながら、彼は訝しげな表情で私の方を向いたが、表情は険しくないポワンとしたかんじの「いまどきの覇気の無い若者。しかも朝だから血圧低そう」であって、すぐにキレたりはしそうもなかったので安心し、

 「その値札ってわざとつけているんですか?」

 と言ったら、

 「・・・・・(何のことなのか思いつくのに0.7秒くらい必要だったらしい)マジっすか!?」

 「マフラーの裏側のそっち側に・・・・・」
 と指差してあげたら、慌ててマフラーをもぞもぞして、「あ・・・・、どうも」と小さな声で呟いていた。

 「値札つけっぱなし」は流行していないことがわかったので、私も気持ち良く会社に向かうことができたのだった。確認していなかったら、かなり気になっていただろう。彼のおかげで朝から頭を働かせたので、眠気も覚めたし。 
1月30日(木)

 昨日はちょっとプールで張り切り過ぎたようで、今朝起きたら背中が痛かった。
 うちの会社は2月の初旬が「大事な時期」なため、特に1、2、3日は「全員出社」の号令がかかったので、代わりに今日明日休む人が多く、フロアも静か。
 おかげで仕事が捗っていいのだが、12月分の伝票は決算もからむし(前受金や前払金などの処理が多い)、納税や役員賞与や配当金などの特殊な処理も多いし、不動産の売却もあったりして、いちいち時間がかかるので、なかなか進まないので、「う〜む、これはどうするんだったっけ?去年の伝票を調べよう」などとやっているうちに、なにもかも面倒になってきてしまい、夕方になると「う〜ん、やっぱプレミア・リーグ観たいなあ。アパートはケーブルひいてくれなさそうだし、やっぱスカパーでも入れるかねえ」と、インターネットで「どのくらい経費がかかるのか」を調べて現実逃避していた。

 そんなわけで、どうせ今週の週末も休めないし、私は特に忙しいわけでもないので、時間はたっぷりあるので、今日も途中放棄してとっとと帰り、久々に途中下車して洋服や靴を見て回る。今ごろきっとユニクロが安いだろうと思ったのだが、もうセーター類はあまりなかった。たわむれに「ローラ・アシュレイ」を覗いてみた。花柄のフォークロア系の洋服はけっこう好きなのである。ピンク・ハウスも過去に何着か買ったことがある。
 その昔は、もうちょっと若向けに展開していたと思うが、今じゃすっかり「ミドル主婦御用達」になっているようだ。だってサイズ展開が11号メインなんだもん。でも、やはりジーンズに合わせたらよさそうな花柄のシャツが欲しくなったが、それに合うスカートやジャケットにも目が行き、「う〜ん、予算が」というよりも「試着するのがめんどくさい」と思ってしまい、見るだけ見て帰ってきてしまった。冬は試着が面倒でダメだ。

 そういえば、この間、お宮参りの帰りに船橋西武を通過したら、イッセイ・ミヤケのプリーツのやつの春物が展示されていて、あれも昔に比べるとずいぶんフェニミンなデザインのものが増えたような気がして心ひかれたのだが、妹に「こういうのって細い人じゃないとダメでしょ」と言われて「そんなのわかってるよ。私が着ると別物になることくらい」と言っていたのだが、自分が着たい服と自分の体型がマッチしないのが悩みどころだ。
1月29日(水)

 昨日は電話しながら酒飲んでなかったので、朝はちゃんと起きられた。今週は月火と酒を飲んでいない。やはり2日連続で抜くと体調が違うようだ。
 仕事は相変わらず忙しいが、だんだん通常ペースに近づいてきたので、今週がんばれば、スケジュール的にはずいぶん追いつくと思う。休暇と正月休みのせいで、10日くらい遅れているが、毎日2日分くらい進んでいるのだ。私が2倍やっているわけではなく、後輩が派遣社員に手伝ってもらって3日くらいかかっていた仕事が今月から無くなったので(他部署でやることになった)、二人の手が空いたので、ガンガン手伝ってもらっているのである。

 二人が今後このペースで手伝ってくれれば、来月からもかなりラクだ。後輩もどんどん仕事をおぼえてくれているし、派遣社員もすごく手際がいい人なので、今年はだんだん仕事もラクになってくるかなあと期待するのだが、そうなると、今自分の抱えている仕事のどの部分を手伝ってもらったり、丸ごと引き継いでもらったりしようかと、割り振りを考える手間も出てくるのだが、そういう先に明るい未来がある苦労なら大歓迎。

 おかげで、香港に行く前に悩まされた謎の体調不良もすっかり消えて快調である。ストレスってほんとに人を蝕むのね。
 おかげで、今日はやっとプールに復帰した。香港でも一回だけプールで泳いだのだが、東京でもやっと泳ぐことができた。
 体重増えたし、だいぶ背中に肉がついたように思うが、またゆっくり鍛え直そう。

 昨日B君と話していて、現在B君が独自に調査研究しているという「3世代同居の家の子供は知能が高いというデータが出ているらしいが、それはなぜか?」という話題になって、それはデータというよりも、「同居率が高い地域の子供は成績がいい」というようなデータからの推測らしいが、彼が調査(というか、その地域の同居世帯を紹介してもらって酒飲んで語りあって、大変親切にしてもらったらしい)して得た印象もなにやら語っていたが、それはちょっと美辞麗句が混じったありきたりの意見であったが(「やっぱ老人と暮らしているほうが子供は落ち着くよね」レベルのものに薀蓄をプラスしたようなもんだった。「嫁が旦那の育ちをダイレクトに感じながら、そして祖父母に指導してもらいながら子育てができる」とか「一家中で嫁を認め、祖父母もそれを立てるので、母親の地位も安定し、もちろん父権は安泰」といったようなもの)私も6歳からずっと祖母と同居していたので、同居に関してはあまりいい印象を持ってない。

 それに、結婚している女友達のほぼ全員が「ダンナの両親となるべく会いたくない」と断言しているので、好き好んで同居なんてする人は珍しいと思うのだ。子供の世話をしてもらおうと目論でいたり、自分では土地を買えないので、一等地の両親の家に転がり込む算段だったりと、なにか妥協がある場合が多いと思う。
 うちの場合は、祖母が住んでいた家が立ち退きになり、そこが借家だったので、たいした立退き料も貰えず、しょーがないから同居になったのだと思う。

 ただ、同居が子供に与えるメリットが無いわけでもない。
 今どきの核家族では、専業主婦の母親というものは「女王様」か「お姫様」になる可能性が高いように思う。うちの母もそれが合体したシロモノだった。でも、「義理の母」というものは、母親の「王国」の外にいる人なのである。ダンナは「奴隷」であったり(給料さえ持って帰ってくればよい)ときには「王子様」であるし(「お父さんがいないと私は何にもできないから」と都合の悪いときだけ責任逃れをする)、子供は所有物であったりペットだったりするのだが、「義理の母」はそのどちらでもない。

 召使にするにも向かないし、自分でコントロールする権利が無いのである。「義理の父母」というのは、母親にとって「家族」というよりは「外の社会」に属しているのだと思う。だから、母親が彼らと接する態度はOLが上司に接する態度に近いような気がする。わかりやすく言えば「自分の子供だから何言ってもいい」とか「自分のダンナだから何言ってもいい」けど、「姑に何か言うときには、気を遣う」ということかな。
 そんで、母親が家の中で「社会性を持った行動をする」ところを見ると、子供はなんとなく納得するというか「社会と接するってことはこういうことなのね」と自然と学ぶような気がする。そして、うちの場合は、母親が長い年月をかけて、だんだんと祖母を受け入れていった様子もずっと観察していたので、(てゆーか、若いころは我慢できなかったことも年をとると性格が丸くなってどうでもよくなるみたいだったが)それは私にいろいろな影響を与えたと思う。いい意味でも悪い意味でも。

 話はまとまんないが、我が家はご近所からは評判が良かった。なぜなら新興住宅地ゆえに、同居している家など滅多にいなかったので「ミヤノさんのところは偉いわねえ」と言われたのである。うちの母が苦笑していたが、私が高校生くらいのころ、近所に引っ越してきた一家がいて、そこには20代後半の独身の一人息子がいたのだが、彼が「ミヤノさんちの奥さんみたいな人と結婚したい」と語ったそうなのである。なぜなら「同居してくれる嫁さんがいいな」ということだったらしい。
 その話を母から聞いた私は爆笑してしまった。そして「私はぜったいあの家の息子と結婚しないな」と言うと、母も笑いながら「ほ〜んと、やめたほうがいいわよ。まあ、でも、他人の目なんてそういうもんなのね」と言っていた。

 そうだな、私が「同居世帯」で学んだことって「母も祖母も悪い人ではないし、お互いの言い分もわかるけど、だからって上手く行かないこともある」ということだった。これが「両親不仲」だとまた違う心境だと思うが、母と祖母というのはお互いに納得して一緒に暮らしているわけではないわけだし、ほんとに「たまたまこの人の下に配属されてしまった悲しみよ」な会社員の嘆きに近いものがあるようだ。

 だから、「同居っていいんだよね」「私もそうだよ」「やっぱり?」などと言われると、大変複雑な気分になるので、B君の語る「同居礼賛」に片っ端からケチつけていたのでした。(人間が小さいなあ)
 あと、うちの場合は、祖母が全然財産を持っていなかったので、まだマシでしたが、「祖父母の家に同居」となると、「家」というものが圧し掛かってきそうで、なんとなく嫌なかんじがするのですが、B君には篠田節子の「ゴサインタン」でも読んで勉強してもらいたいです(笑)。ありゃー、怖いよ。農協はあれを焚書リストに入れるべきだ。

1月28日(火)

 B君から電話。多分、今年2回目。
 田舎の人間関係の中では話せないような話を全然生活圏の違う私に喋って発散しているようだ。
 また、いろいろ相談とも自慢ともつかない話を拝聴したが、私もいつものように偉そうなことをまくし立てていたので、どっちもどっち。
 2時まで長電話してしまった。
1月27日(月)

 いつもと同じに目覚ましをセットして、いつもの時間に目が覚めたのだが、いつもと違って寝直す気分にならなかったので、
 「月曜日だってゆーのに、私ったら感心ね」
 と、自分で自分を誉めた瞬間に、

 「あ、今日は鍵当番じゃん!」

 と、突然思い出す。あぶねー、すっかり忘れてたよ。しかし、よく思い出したもんだ。というよりも、人間の「無意識」ってほんとに不思議ね。
 というわけで、慌てて支度して、いつもより1時間早く家を出る。この時間でも本当はギリギリだが、まあどうせ「鍵当番」と言ってもいつも当番ではない誰かに先を越されているのでいいのだが、それでもあまり遅いとカッコ悪いし。

 昨日は天気が良くて「お宮参り日より」であったが、今日はうって変わって「氷雨」が降りしきる。寒いことこのうえない。
 しかも、駅に着くと、改札内はホームに入れない人で溢れていたので「げ、電車止まっているの?」と思ったが、どうも車両故障でダイヤが乱れているだけで、動いてはいるらしい。私は下り方面だったので、いつもと同じくらいの混み具合であったが、それでも急行は動いてないので、各駅で行くしかないし、前の電車が迫っているようで、スピードも出ないし、よく停車するので「これじゃあ、全然間に合わないな」と思っていたが、結局、会社に着いたのは9時15分くらいで、30分くらい遅刻。9時半から出勤してくる派遣社員と同じエレベーターになってしまい、「電車が止まってて」と独り言のように言い分けしたが、私が30分遅れたからって何の問題もない。だから、いいかげんこの無意味な当番制度やめようよ。

 金曜日に遣り残した仕事を午前中に猛スピードで片付けて、午後は会議一つをこなしてから、また源泉の合計表作り。給与のところはやってくれるって言ったのに、午前中に出しに言ったらやり方を説明されて結局私がやることになってしまったのだ。一年間の給与やバイト代を合計して、源泉金額を集計してから、年末調整した分を差し引いて・・・・とかやっているうちに、どれがどの数字だがわかんなくなってきたので、6時きっかりには「続きは明日にしよ」っと帰ってしまった。

 年が明けても、仕事は溜まっていて、「どこから手をつけていいのかわからん」な状態になっているのだが、「たまには気を抜くことも人生の重要なテク」と割り切って、ダラダラとやっているのだ。期限のあるものから手をつけている。期限の無いものは後回し。だって、真面目にやるとまたサービス残業の日々必須なんだもん。

 早めに帰宅できたので、

 今日こそ絶 対に掃除するぞ
 今日こ  そ絶対に掃除するぞ
 今日 こそ絶対に掃除す るぞ
  今日こそ絶  対に掃除 するぞ
 今 日こそ絶対に掃除する ぞ
 今日こ  そ絶対に掃  除す るぞ
  今日こそ 絶対に掃除するぞ
 今日こそ絶対 に掃除するぞ
 今日 こそ絶対に 掃除するぞ
  今日こそ絶対に掃 除するぞ
 今日こそ 絶対に 掃除するぞ

 「いちめんのなのはな」を真似て、ビジュアル的に雑然とした部屋を表現した詩を作ると、それで満足してしまったので、掃除ができなかった。

 詩と家事は両立しないようだ。とか、言ってる場合でもないので、なんとか台所だけは片付けた。

 話は飛ぶが、今日は隣の島の社員たちが「台湾って国なの?」という話で盛り上がっていた。私が小さな声で「それは、けっこうややこしい問題かと・・・」と言ったのだが無視されて、「え?台湾って中国でしょ?」「北京と同じこと?」「北京は中国の首都でしょ?」「でも、台湾の中に台北があるんでしょ?じゃあ、台北って首都じゃなくて、県庁所在地みたいなもん?」「そういえば、台湾って昔は日本だったんじゃなかったっけ?」「え?そうなの?」

 ああ、ほんとに日本は平和だ。と思ったのだが、「東京の県庁所在地ってどこだっけ?」と言われた瞬間、大笑いしてしまった。(また、「皇居のあたりじゃない?」などと嘘を吹き込む確信犯がいたので、収拾つかず)

 香港のMRTでも鳴り響いていた「Mind the gap」というアナウンスが頭の中でプレイバック。今でも複雑な対日感情を抱える人たちからすると、このギャップは大きいよな。
1月26日(日・大安なんだって)

●お宮参りに同行

 昨年の11月に誕生した、「初姪」のNちゃんのお宮参りに同行することになった。初体面なのである。
 場所は船橋の大神宮。私や兄弟も、七五三ではお世話になった神社である。私が7歳、弟が5歳のとき(数え年だからもう少し若かったと思うが)、神主さんの祝詞になにかただならぬ気配を感じた弟は、静まり返る神殿の中で、

 「バカ!」

 と叫んでしまった逸話を蒸し返されていた。もちろん、私が。一生蒸し返すつもりである。
 弟の失敗談はさておいて、やっぱ赤ちゃんはかーわいいなぁ。
 今までに拝見した、友達のお子様も同じように可愛かったが、自分の血をいくらかひいているとなると「私にはこの子を可愛がる権利がある」という謎の権利意識に急に目覚めて、「でへへへへ」という顔つきになってしまうのである。オババカ(伯母馬鹿)まっしぐらであるが、私が境内に到着したら、母が「ほら、Nちゃん、オバサンが来たわよ〜」と言うので、

 「オバサンって言うな〜〜〜〜〜」

 と抵抗していました。最初が肝心です。まだ3ヶ月にもなっていない乳飲み子ではありますが、子供は油断できません。弟の妻であるMさんが「私の姉妹も、絶対にオバサンて言わせないと言ってました」と微笑みながらフォローしてくれました。Mさんも、体調もいいようで、元々おっとりとしたマイペースな人なので「お母さんぶり」がしっかりと板についていて頼もしい。

 オババカ化(おばばかか?)した私は、写真撮りまくってましたが、境内に集合したよその家族も写真撮影に大忙しいです。



 姪っ子をだっこする私。なにせ共演者は、生後75日くらいですから、生後13260日くらいの私には勝ち目がないので、ハンデを思いっきりつけさせていただきました。(修正バリバリの意)
 お宮参りが終了したら、近所の写真館で写真撮影。モデルさんは豪華衣装に着替えました。



 ご祈祷中もぐっすり寝ていたのですが、写真館に着いたときにもオネムになっていたのですが、写真屋さんはさすがプロ。足をくすぐって起こすと、巧みな赤ちゃんさばきで、モデルさんの可愛い表情を捉えます。椅子のカバーの後ろから、アシスタントが赤ん坊の首根っこを押さえて首を据わらせていて「そうか、黒子が必要なんだな」と普段、娘の美麗ショット撮影に苦心している弟も感心してました。スズで赤ちゃんの気を引いて、目線を作り何枚か撮影していました。

台風1号発生  Nちゃんのつむじ。生まれたばかりの台風のようで超プリチー。

 撮影が終わって、船橋で食事。大人が食事している間もスヤスヤと寝ていたので、手間がかかりませんでした。
 このくらいの乳児だと、まだあまり自我が芽生えていないので、あまり激しくむずがることもないようです。このくらいのときが一番「無難に可愛い」のでしょうね。だんだんと自己主張してくるはずだし、歩き出すとまた目が離せなくなるのでしょうけど。

 いやあ、しかし、香港に行ったときにも「一週間くらいだったら、子供も可愛いな」と、つくづく思ったのですが、他人の子供は「かわいい、かわいい」と言っているだけでいいのでラクです。
 ところで、Nちゃんのオシメが私好みのシロモノでした。

象柄パンパー○

 「わーい、象だ、いいな、いいな」と撮影していたら、親や妹が「なんなら、持って帰れば?」と言ってくれましたが、これはちょっとコレクションに加えるのには・・・・

 象コレクションといえば、昨日会ったTさんがくれたのが

南アフリカの象のお札

 南アフリカのお札で、20RAND札でした。他のお札も動物柄でなかなか可愛かった。

1月25日(土)

 Mちゃん&Tさんと新年会。
 私が以前人に連れていってもらって大変おいしかった「韓国刺身屋」にそのうち一緒に行こうと言っていたのだが、今回はアフリカ帰りのTさんが「アフリカ料理以外だったらなんでもいい」と言うので、韓国料理に決定。

 昨日の飲みすぎもあって、昼過ぎまで部屋でうだうだしていて、また香港日記の続きを書いていたら、時間がギリギリになってしまったので、いつもは新宿に行くのには下北沢まで歩いているのだが、渋谷経由で行くことにした。しかし、JR渋谷駅のハチ公側の階段が工事中で改札内はギューギュー。知ってれば、反対側の改札から入ったのに・・・・。そして、山手線に乗っていたら、新宿のちょっと手前でストップ。緊急停車信号だかが出たらしいのだ。
 「う、ここで止まられても困る」
 と思っていたのだが、どうやら異常があるのは中央線であることが確認されたようなので(でも、走行中の電車に異常音が発生とかいう謎の理由。車両故障の疑いってこと?)すぐに動き出したが、駅に着くと「中央線は上下線ともストップしております」とのアナウンスが流れていて「Tさん、大丈夫かな?」と思ったが、待ち合わせ場所のカフェには丁度Mちゃんも着いたばかりのようだったので「中央線止まっているから、Tさん遅れるかも」と二人でしばらくお茶していたが、20分遅れくらいでやっとTさん到着。「中央線も止まっていたが、それよりも東口改札付近の混雑のほうで時間をロスした」とブーたれていた。

 そこからテクテク歩いて、百人町の「ジャガルチ市場」に到着。
 3人なので、刺身は平目の「中」にしたが、刺身にはもれなく突き出しがついてくるのだが、それが半端な量ではないので、食べても食べてもなかなか減らない。
 「うう、もうお腹いっぱいかも」
 「ちょっとケジャンを食べて気合入れなおす」
 などと、ちんたら時間をかけて食べていたのだが、やっと刺身がずいぶん減ったので、アラの鍋にしてもらって、最後はおじやというか病人向け石焼ビビンバ(ゴマの葉が入っていてとても美味)のようなもので締め。
 やはりこの店は食べでがあるわ。

 Tさんは、アフリカに行って野生動物も観に行ったそうだが、あいにく沢山の動物にめぐり合えず、出てくるのはインパラばっかりだったので、ガイドさんが申し訳なさそうだったらしいが「でも、日本にはインパラいないからねぇ」「たしかに、現地の人にとっては珍しくもないだろうけど・・・・」「でも、おかげでインパラがすっかり好きになっちゃって(笑)」
 本当はサイが観たかったそうなのだが、ガイド曰く「サイは数が減っていて、この保護区には30数匹しかいないので、めったに観られない」とのことだったそうで、「だから、インパラと象ばっかりだった」とか言っていたのだが、「え〜〜〜いいじゃん、象で!」と私は騒いでいた。

 ちなみにアフリカ土産は「アフリカではこれがデフォルトだから」と定番の「木製のサラダ用ナイフ&フォーク。象の飾り付き」であったのだが、アフリカに行く前の正月休暇を利用して、イギリスにプレミア・リーグを観に行ったときのお土産として「ミヤノってアンリ好きなんでしょ?」とアンリ様のシュートシーンの写真が12枚入っている「アンリ様カレンダー」もくれた。
 Tさんは、アンリのシュートもベッカムのシュートも観てきたらしい。うらやましいかぎりである。

 まあ、結局、旅行の話と、Tさん&Mちゃんのまたディープなサッカー話を拝聴したのであった。
1月24日(金)

 今月末が提出の締切日になので、慌てて「源泉徴収の支払い調書」を作成。
 システムを入れるほどの件数もないので(30枚くらい)当然のことながら手書きである。
 しかし、私は前の職場で、タレントの出演料から、カメラマンやスタイリストのギャラなので、毎年数百枚書いて郵送していたので、このくらいの数だと大したことないのだが、今年から支払い調書を書くだけでなく、税務署に提出する合計表の記載も押し付けられてしまった。

 今まで、そういうのは親会社の経理でやってくれたのだが、ここ最近、そういう「お役所提出書類」もこっちに引き継ぐことが多くて、労働保険の算出表も作らされたが、こういうお役所書類って一回やれば大したことはないのだが、初めてだとどこに何を書いていいのかよくわからず倍時間がかかる。

 それと、家賃や不動産譲渡の支払い調書や、非居住者(外国に住んでいる人)への支払い調書も別用紙だし、非居住者のものは別の用合計表に書かなくてはならないので、「うーーーム」と眉間にシワを寄せて集中して格闘していたのだが、結局終わったのは夕方だった。これで一日終わっちゃったよ。とほほ。

 叔父会社への請求書も今日中にまとめたかったので、また残業してやろうとしていたのだが、そのころには目が疲れきっていて、左眼のピントが合わない。左の方が視力が弱いのだが、コンタクトレンズでなんとか右と同じ程度には矯正しているが、それでもまだ右よりは視力が出ないので、疲れ目になってくるとさらにボケボケになってくる。
 「こりゃ、ドクターストップかも」
 と思っていたら、社長がまた社員を連れて寿司屋に行くというので、「請求書は月曜日でいいや」とすっぱりと諦めて同行。
 また浴びるほど日本酒を飲んだ。(一升瓶が3本空いたので、本当に浴びることができそうだ)

 なんだか代わり映えのしない週末。
1月23日(木)

 あ〜〜会社いぐのやだ。
 なんとか、朝7時半には目が覚めて、いつものように8チャンネルをつけてまた布団に入ったのだが、またどっぷり寝直してしばっだようで、気がついたら「年金詐欺男」の話題になっていた。あれ?8時からのワイドショー始まってるじゃん?いつもちゃんと「きょうのワンコ」は観ているのに!
 しかも、オグラなんちゃらはどうやらインフルエンザでお休みらしく、葛西アナがキャスター席に座っている。

 わたしは、オグラの知ったかぶりトークにムっとしないと血圧上がんないのよ〜〜〜〜

 と、寝坊しているのをテレビのせいにしてみた。
 わたしもインフルエンザにかかったことにして、あと5日間くらい休みたい。
 とか、なんとか、クダを巻いていてもしょーがないので、無い気力振りしぼって支度して、外に出ると・・・・

 雪かよ・・・・・・

 開けたドアをパタンと閉めて、そのまま冬眠したくなったが、頭の中で強制的に「♪ゆ〜きやコンコン」を響き渡らせて外に出る。

 そういえば、高校時代の数学教師であったT先生の得意ネタは、

 その昔、修身の教科書に軍隊の先頭をラッパを吹いて先導する兵隊さんの話が載っていたそうだ。
 そして、そのラッパ兵が満州の雪道を行進しているときに、雪崩に巻き込まれたかなんかで死んでしまったようなのだが、

 「兵隊さんは死んでもラッパを放しませんでした」

 と称える文章が載っていたらしい。(20年前に聞かされた話なので詳細を忘れたが、とにかくそんな話。有名らしい。多分、T先生と同世代の方は、その兵隊さんのフルネームや軍隊階級をちゃんと言えるハズ。○○二等兵とかなんとか)

 幼いころのT先生は、その話を読んで、泣いてしまったらしい。

 ところが、戦争も終わり、先生も少し大人になった(大日本帝国の洗脳が薄まった)ときに気が付いた。

 「あれは、単なる死後硬直だったんですね」

 生徒はここで、ドワっと笑わなくてはならない。たとえ、「兵隊さんは死んでもラッパを放しませんでした」→「死後硬直だったんですね」を何回も聞かされていても、笑わないといけないのだ。いったい何回くらい拝聴しただろうか?20年たっても、詳細は忘れても「兵隊さんは死んでもラッパを放しませんでした」→「死後硬直だったんですね」と、こうしてスラスラと書けるくらい繰り返し聞かされたのだろう。学習というものの本質を考えさせられるエピソードである。

 香港に行くときに、本屋で文庫本をみつくろって、まだ読んでなかった「絶対音感」を持っていって飛行機の中で読んでいたが、どうやら絶対音感といものは、6歳くらいまでに頑張れば習得できる可能性が高いようだが、16歳くらいのときに叩き込まれたことも、こうしてたぶん私が100歳になっても鮮明に記憶しているのだろう。

 絶対死後硬直

 などと、ボタン雪が風に舞う中、T先生の尊い教えを思い出しながら(T先生は、私に微分積分なども教えてくれたような気もするが、そういうのは全然思い出さない。101歳くらいになったら突然思い出すかもしれない)「くそー寒いじゃねえか」と駅へと向かったのであった。

 10時30分には会社に着いた。
 そのころはもう雪は雨になっていた。雨が雪にかわると、山下達郎ワールドだが、逆はどうでもいいかんじがするから不思議。

 案の定、机の上には大量の書類。メールも沢山。それを整理するのに午前中を費やす。
 今日は、リハビリの日と定めたので、とにかく仕事する自分に慣れないといけないのだが、そうも言っていられなかった。
 20日締めで出す請求書の明細が全然揃ってなかったのである。まずT部長に電話。
「件数表が揃ってないんですが・・・・」
「ああ、ここにあるよ。明日の便で着くように届けま〜す」
「よろしくお願いしま〜す」

 次に、K部長に内線。
「あの〜20日締めのやつ・・・・・」
「ああ、ハイハイ。わはははははは!」
「ハハハッハ・・・・・・あの、明日の午前中には欲しいのですが・・・・」
「大丈夫!今日中にはできるよ」
「よろしくお願いしま〜〜〜す」

 次に一年目社員のM君に電話・
「あの、課金の明細って、まだもらってないですよねぇ?」
「あ、まだやってません」
「・・・・20日締めなんで・・・・至急おねがいします」
「わかりましたっ!」

 もーーーーーーーーーーーー
 みんな、毎月のことなんだからいちいち催促しなくてもさっさとやってよ!

 こんな調子で、リハビリのつもりが、かなりちゃんと仕事してしまった。
 これも、ちゃんと仕事してくれない皆様のおかげです。

 ふと、思った。
 T先生の教え子は何百人、いやそれ以上いるかもしれない。その一人一人に「兵隊さんは・・・」の教えが染み付いているとすると、これは、けっこうひっかかってくるかもしれない。
 一つしか出てこなかった。おかしい。そんなはずはない。

 「兵隊さんは死んでも」で検索したら、もう少し出てきたが、でもこんなもんじゃないだろう?

1月22日(水)

 今日まで休暇をとっていたので、昼くらいまで惰眠をむさぼってから、起き上がって洗濯。今日はけっこう暖かいみたい。
 香港で撮影した写真を眺めながら香港日記をつらつらと書いていた。

 洗濯も済んだし、スポーツクラブにでも行こうかな(香港で溜め込んだ脂肪を燃焼しないとな)と思ったが、やはりかったるくなり、夕方になるとまた昼寝してしまい、暗くなってから目が覚めたので「じゃあ、風呂屋でも行こうかな」と思ったが、やっぱりかったるくなり、結局、じぶんちの寒い風呂でシャワーを浴びた。

 あー、なんかダルダル。
 明日から仕事かあ・・・・・
 机の上にまた書類が地層を作っているんだろうなあ。ふー
 やだな、会社行くの。

 という、グダグダした一日でありましたが、ダラダラと書いていた香港日記。まだ全然途中だけど。

1月21日(火)

 香港より無事帰還。
 東京はやはり寒かったが、思っていたほどではなかった。でも、なんだか鼻水が出てきたので、風邪ひかないように気をつけねば。
 
 

 レパルスベイの砂浜で土木作業してきた。
 最初はちゃんと「城」を作ろうとしていたのだが、あそこの砂は粒が粗くて、細かい造形に向かないのがわかったので、急遽、設計変更したのである。
 しかし、「それなに?」「変な形」と子供らには不評。(ご長男がすぐ横に貯水池を作った)
 「前方後円墳だって!ジャパニーズ・エンペラーの墓だ!」
 と、異国の地で学ぶ子供らに、日本の歴史を指導していたのであった。   

 懸命の土木作業の末、プラスティック製のシャベルが折れた。

1月14日(火)

 昨晩は日記を書いている最中に、電話による妨害があったため尻切れトンボになってしまった。
 さて、いよいよ香港旅行が迫ってきたので、今日はやっと荷造り。
 と、言っても、友達の家に宿泊させてもらうので、着替えと化粧品類を揃えるだけなのでラクチン。
 今日は本屋に寄って、文庫本を3冊買ったし、プール用のゴーグルを紛失(というか盗難?)したままだったので、それも慌てて買いに行った。きょうみさんちのアパートにはスポーツクラブがあるので、暇があったら泳ぐ予定なのだ。
 体調は相変わらずイマイチだし、今日は長電話のせいで寝不足でダルさ満載だったし、そもそも休暇直前で仕事する気がなくなっているので、ダラダラと仕事してたが、この調子だと休暇に入ったとたんに元気になってしまうような気がする。

 というわけで、一年ぶりに飛行機に乗るのでワクワクしているのであった。
 それに香港は私の大好きな「公共の乗り物」の種類が豊富そうだ。特に水上の乗り物が大好きなのだ。バンコクに行ったときには半日くらいずっとチャオプラヤ川の水上バスに乗っていた。意味もなく途中下車しながら2往復していたので、同じ車掌(?)に出会ってしまったくらいだ。

 今日になってやっと香港のガイドブックを買ってみたのだが、香港→マカオが船で1時間くらいだとは知らなかった。高速船も運航しているらしい。ちょっと乗って意味もなく往復してみたいかも。そんでスロットマシーンでスってから帰るとか。
 まあしかし、友達の家に滞在するので、ゴロゴロしているうちに6日間なんてあっという間だと思われる。きょうみさんのダンナにとっては長い6日間かもしれないが。(笑。すんませんね〜〜〜)

 などと、ちんたら書いていたら、きょうみさんから電話。インターネット電話らしい。
 メールで空港からアパートまでの行き方を教えてくれたのだが「バス停まで迎えに行くから、空港についたら電話してね」とのことだったが、「じゃあ、よろしくね」と電話を切ろうとしたら、

 「じゃあ、明日ね」

 と、言うので、え?っと思って、「違うよ、明日じゃなくて、明後日だよ!」と言ったら「え?そうだったっけ?てっきり明日だと思ってた」
 あー、危なかった(笑)
 
1月13日(月)

 駅の出口を出ると、イワシの大群が・・・・
 いや、だって、なんか、キラキラ光ってるんですもの。
 もしくは、迷える子羊の群れか?(白い襟巻きがフカフカで子羊っぽい)

 というわけで、沖縄では昨日だったようですが(泣くなよ、担当者。キモチはわかるけどさあ)、首都圏では今日が成人式のようです。
 お昼を買いに12時ごろ外に出たら、式典も終了したようで、お茶する場所を探す集団があっちうろうろこっちうろうろ。
 男の子はスーツに濃い色のシャツが定番のようでした。ホスト予備軍みたいだった。
 でも、やはり晴れ着のギャル軍団が目立つ。
 不思議なことに、あまり男女混合チームは見かけなかったのですが、あれはただ互いの色に吸い寄せられるからそうなっていたのでしょうか?

 しかし、晴れ着軍団が、ビルの谷間を移動している様を見ていると、ほんとに光るお魚の群れのようで、小さなオフィス街がいきなり「漁礁」になったような気分でした。
 北朝鮮の漁船が網でドワーーっとすくっていってくれればいいのに・・・
 いや、別に、新成人を憎んでいるわけでも、北朝鮮を応援しているわけでもありませんが、若くて生きがよくて、すぐに洗脳されそうな集団が大群作っているものですから・・・・。
 そっか、そういう危険があるから、種類別(晴れ着とスーツ)に群れて敵の手から逃れようという作戦なんだな。

 と、馬鹿にしたように書いていますが、でも私は彼らのことを尊敬しています。
 なぜかと言うと、自分は成人式に出席しなかったからです。
 なぜかと言うと、「早起きが面倒」だったからです。
 早起きして美容院で頭セットしてもらって着付けしてもらう根性ってすごい!

 母親に「成人式に着物着るの?」と聞かれたときに、なんの迷いもなく速攻で「やだ、着物着るために5時起きするなんて」と答えた真のナマケモノでした。
 そして、成人式前日に「明日どうすんの?」と聞かれたとき、「うーん、明日の朝考える」と言ったので、一応親は8時ごろ起こしてくれたのですが「いいや、眠いから。市長のお話聴くために午前中起きる気しないわ」というわけで、昼まで寝ていたのでした。

 ですから、毎年、成人式のために正装した若者を見るにつけ「偉いな〜早起きして」と感心するのです。
1月12日(日)

 世間では3連休かもしれないが、私は土曜と月曜は出勤の予定になっていた。
 しかし、昨日は朝いつもの時間に起きたものの、なんだか異常にダルいし、また腰が痛くなり、「正月疲れが出たのかな。いいや、今日は休んで明日出勤しよう」と思って、そのまま寝ていた。

 木曜日も腰が痛かったのだが、それは右側で、どうも総務課長の腰痛が感染したようなのである。課長の腰痛は伝染性が高いらしく、彼が辛そうにしていると、私だけではなく他の人も腰痛を訴え始めるのだ。
 課長がカイロの先生にかかって、「少しラクになった。昨日は寝返りがうてた」と言っていた金曜日には私の腰も痛くなかったので「やはりシンクロしているのか?」と思ったが、土曜日の朝は左側が痛かった。
 「これは、腰痛ではなくて、インフルエンザの前兆なのでは?」
 と、不安になってきたが、とにかく眠かったので、昏々と寝ていた。

 昏々と外が黄昏るまで寝ていた。夕方まで寝抜いてしまうのは珍しくもないのだが、イマイチ体の調子が悪いような気もしたし、寝過ぎのせいで体もダルかったので、夜になって銭湯で熱い湯に漬かってみたのだが、なんだかいつもより温まり方が悪いような気がしたが、体調が悪いときに長時間湯船に漬かると湯当たりを起こしそうだったので、手短に済ませ帰宅するが、なんか頭痛もしてきたし、寒気もしてきたような気もしたし、そうなると腰よりも背中全体が痛くなってきたような気がしたので、「こりはヤバい」と思って、前にきょうみさんに貰った中国製の風邪に効く漢方の顆粒薬を飲んで、さっさと寝たのだが、なんかモヤモヤしてしまう。熱を測るが、36度8分で、平熱よりやや高いが、熱があるというほどでもない。

 さて、今朝起きたら、熱はなかったが、背中の右側の肩甲骨の横あたりに痛み。痛い場所が毎日移動しているのがなぜなのかわからないが、なにか体のバランスが狂っているような気がして気分悪い。
 症状としては、「ダルい」「眠い」「頭痛い」「背中痛い」「腰が痛い」「体温調節がいつもより下手になっている」「ときどき軽い眩暈がする」等。
 これは、風邪の前兆というよりも「インフルエンザの治りかけ」のときの症状みたいだ。
 もしかして、知らない間に・・・・・ちゅうか、夜中に小人さんがインフルエンザと闘っていたのか?

 もしくは、誰かが私にわら人形で呪いでもかけているのだろうか?
 もし、そうだったら即刻中止してくらさい。(せめて、休暇が終わるまで)

 というわけで、原因不明の体調不良に悩まされているが、会社内では年末よりも年始のほうが風邪などで休む人が多いような気がする。
 これは、単純に年末のときには「あと一息で正月だから頑張ろう」「正月なのに風邪なんてひいてたまるか」などという気合が病気の進行を食い止めるのに、年始になると「ああ、しばらく休みもない」「ああ、仕事すんのダルい」というように、正月ダレと供に気合も忘れ去られているために、風邪やインフルエンザに負けてしまうからではないかと推測されるのだが、でも、もしかすると、よく「大晦日だ、新年だと言うけど、別にいつもと同じじゃん」と言う人がいるが、もしかすると、「いつもと同じ」ではないのかもしれない。年末カウントダウンの瞬間に、2002年から2003年に向けて地球ごとワープして別の空間に飛んでいるのかもしれない。そんで、「ワープ酔い」してしまった人が体調不良を訴えて、年始早々休んでしまうのだ。
 そーか、ワープ酔いだとすると、私の体調不良もなんとなく説明がつくな。うーん、実にそんな感じだ。(って、ワープ酔いしたことあんのかよ)

 とゆーわけで、なんだかシャッキリしないのですが、ワープ酔いじゃあ仕方ないので、今日は頑張って出勤しました。またフロアでただ一人ポツネン。でも、打ち捨てられていたスピーカーを発見したので、それをマシンに繋いで音楽聴けた。ちゃんとステレオだったので嬉しかったのだが、夕方暗くなってからブケムさんのミックスCD聴いていたら、後ろで物音がするので何度かビクリと振り返ってしまったが、それはCDの音がたまに後ろから聴こえるように感じたからだった。ステレオも考えものである。特にテクノ系の場合。

 ワープ酔いだから、イマイチ調子出なかったが、「でも、この仕事を終わらせないと旅行に行けない」という気合だけでなんとか乗り切る。

 ところで、随分前に気がついて、日記に書きとめておこうと思っていたものの、いつも忘れていたことを今日やっと思い出した。

   「誰のせいでこんな不便なことになったのだ?犯人出てこい!」
 と、怒っていたのである。
 私は電話の掛け間違いがとても多い。内線の番号や、短縮番号などの3桁でも間違うくらいのボンクラである。
 しかし、電卓の打ち間違いもとても多いので(それでよく経理などやっていられるものだ)、「テンキーの才能が無い」と諦めていたというか、他の才能でその欠点を補っていた。
 しかし、先日やっと気が付いたのである。

 電卓やパソコンのテンキーと電話機の数字は逆だ!

 こんなの今更気が付いたっていうこと自体が「ドンくささの証明」になってしまうので、お恥ずかしい限りだが、どうりで、電話をかけるときには毎回なんか妙な原因不明の緊張感があったのだが、それは「似てるけど違うもの」に対峙するときの本能的な戸惑いであったらしい。

 幸いにも、パソコンも電卓もブラインドタッチができないので、電話もちゃんと数字を見ているのだが、それでも電話番号を見ながらだと、ついつい指がテンキーを想定して動いてしまうので、それでいつも間違っていたらしい。
 しかし、こんな事務職を翻弄するようなことがどうして今まで特に問題にもならず放置されているのだろう?
 それとも、こんなことで困っているのは私だけなんだろうか?
 他の人はパソコンに数字入力している最中に電話しようとしたら、パパっと頭を切り替えられているのだろうか?

 自分がバカなだけだとは思うが、このことに気が付いて以来、電話とテンキーを眺めるにつけ(電話とテンキーは30センチと離れていないところに並んでいるのだ)「なんで、こういうことになってしまったのだろう?嘆かわしいことだ。生産性を著しく損ねていると思われる」とボヤいているのであった。
 うーむ、でも、もしかしたら、N○T(というか、プッシュホンが登場した当時は電○公社)が間違い電話で儲けようとして、わざと設計したのかもしれないな。味の○のフタの穴を広げたという程度には有効なのかもしれない。

 全然関係ないが、これも前からずっと思っていたのだが、やはり今日やっと書くことができる。(でも、なんかもう書いたような気もする)

 ニュースでアナウンサーが「IAEA」と言うと、
 ♪恋はイエイエ〜〜〜
 と歌いたくなってしまう人はお友達です。

 お友達はいるかしら?一応、カヒミ・カリィだしよ〜。また懲りずにgoogle検索してみる。

 恋はIAEA

 今のところ、ネットの中ではお友達が少ないようです。(リアルでも何人くらいいるのだろうか・・・・・)
 ちょっと寂しい。

 ♪ニッポンの未来は Woo Woo Woo Woo
 ♪世界がうらやむ アィエィイーエィ

 というのもなかなか深い。
1月10日(金)

 体調不良のせいもあって(出血がひどくて、昨日は一日腰が痛かった)、今週は火水木と酒断ちできた。
 今年の目標は「飲む日より、飲まない日のほうを多くする」にしよっかな。(無理)

 少し酒を抜いたせいか、ちょこっと体調が良いような気がする。昨日も深夜まで長電話していたので今日は寝不足だったが、それほどダルくならなかった。やはり飲みすぎは負担になるようだ。
 いよいよ来週から休暇なので、張り切っているというか、仕事やる気がなくなっていて、ダラダラしているのだが、会社でもインフルエンザやその他の風邪が大流行しているので、うつされないように気を配っている。今日も、ひどい咳をしている社員が熱も出ててきたので、経理に書類だけ置いて「今日はもう帰ります」と言っていたのだが、なかなか帰ろうとしないので「さっさと帰ってください」と追い出した。(自分では優しい行為のつもり)

 数年前、インフルエンザにかかったときは酷い目にあった。
 あれは何年前だろう?たしか、仕事を辞めた直後の年末だったから、6年前にもなるのか。
 28日くらいに、友達と忘年会をした。新宿のホテルで中華を食べたりしたのだが、寒い日で、しかも私は生理中であった。(なぜか抵抗力が落ちる)ちょっと風邪気味になったかな、と翌日感じたのだが、その日は別の友達がうちになにか物を受け取りに来ていた。年末のクラブイベントのチケットだったかもしれない。彼女はそのころ頻繁にうちに泊まっていたし、翌年私がインドに行くときに留守番というか「私の部屋に家賃の半額払って住む」という約束をしていた。彼女はパラサイトシングルだったのである。

 夕方4時くらいに彼女がやってきて、彼女はそのままうちに宿泊したいようであったし、私も多分そうなんだろうと思っていたのだが、お茶飲んで喋っているうちに背中に悪寒がしてきた。その感覚は久々だったが、「これはただの風邪ではない」とわかったので、「悪いけど、私たぶん風邪ひいたみたいなんで、今日は帰ってくれない?うつすと悪いし」と帰ってもらうことにして、「これってたぶんインフルエンザだから、高熱出そうなんで買出しに行くわ」と友達を見送りがてらコンビニに行って、しこたまジュースやアイスや栄養剤などを買い込んだ。
 コンビニから帰る途中も、すでにかなり具合が悪く、「いよいよ来なさったか。早く帰らないと」と、まるで夕立の雲に追いかけられたときのように早足で帰宅し、そのまま布団にもぐりこんだが、すぐにドワっと熱があがり、解熱剤を飲んで体にバスタオルを巻いて応戦した。

 しかし、久々に出会ったインフルエンザは予想以上に強烈だった。
 水分補給して、バファリン飲んで寝ていても、悪寒がひどくて布団の中でガタガタと震えてしまい、体が休まらない。しかも、バファリンでは熱が下がらなくなってきた。幼少のころはよく発熱したのだが、バファリンはいつもきっちりと熱を下げてくれたのに、それが役にたたないことが不安になってきた。
 友達が心配して電話してくれたが「本格的にインフルエンザだ。熱が下がんない」と言うと「病院に行ったほうがいいよ」「でも、年末だからやってないもん」「休日の当番医とかあるじゃん」「それはきっと遠いし、どこでやっているのかわからないし・・・」

 不安症のケのあった彼女は「自分だったら医者を叩き起こしてでも看てもらう」とか言っていたが、こっちはトイレに行くときにもガタガタ震えているくらいだし、高熱でフラフラするのでとても外に出る気力はない。
 とにかく、自分の体力を信じてウィルスと戦うしかないのだ。
 大晦日の日にも熱は下がらず、「このままじゃ死ぬかも」と思ったときに、ふと会社で貰った「パブロン」を飲んでみた。とにかく、なんでもいいから風邪薬を飲んでみようと思ったのである。
 なんでだか知らないが、バファリンより効いて、ドバっと汗が出て熱が下がった。
 フラフラしながら寝巻きごと着替え、また寝ていると熱が上がって目が覚め、またパブロン飲んで汗かいて寝巻き変えて・・・・・を何回か繰り返し、「もう寝巻きにできるシャツがない」という状態になり、外出用のTシャツも犠牲にして、発熱→解熱を繰り返していたのだが、もう身も心もボロボロだった。

 大晦日の晩にはクラブに行くはずだったのだが、とうてい行ける状態ではないし、せっかく買っていたチケットも紙切れ。
 「ああ、こんなんで1月後半にはインドに行けるのだろうか?」
 と不安になる。

 それでも、パブロンが一時的にせよ熱を下げてくれたので、体はずいぶんとラクになった。そうなると、一人寂しく臥せっている自分が可哀想になり「テレビでもつけて賑やかにしよう」と紅白などを垂れ流していた。
 20代のころは、大晦日といえば初詣や年越しライブや年越しクラブイベントに精を出していたので、家で紅白を見るのも久しぶりだった。
 そして、6年前の年末年始のテレビはSMAPに占領されていた。
 私は、その直前までテレビ業界で仕事していたので、あまりテレビを観なくなっていた。裏舞台が想像できちゃうので、つまらなかったのである。もともと、それほどテレビッ子ではなかったし。

 しかし、インフルエンザとの闘いに疲れ果て、布団の中で縮こまる孤独な我が身にとって、テレビだけが唯一の慰めだった。
 そして、ボロボロになった体と虚ろな脳みそに、じんわりと、SMAPの元気な姿が染み込んだのである。
 あのときにやっとSMAPの顔と名前が全部一致したような気がする。(TOKIOの名前を全部覚えたのは、それから4年後くらいだ)

 そして、それ以来、すっかりテレビ好きになって、毎日のようにSMAPの姿を追いかけていた。弱っているときに叩き込んだので、洗脳されちゃったらしいのである。好きな人が大病したら足しげく見舞いに行く作戦は効果的だということが身を持ってわかった。入院患者が看護婦に惚れるキモチもよ〜くわかった。自分が体を起こすのも大儀なときに、元気よく歌ったり踊ったりしている人はなんと輝いて見えたことか。

 あと、あのとき命を助けてくれたパブロンにも感謝していたので、その後、風邪を引いて発熱するたびにはいつも世話になっていた。
 後日談としては、その翌年、私に「医者に行け」と言っていた友達が年末に私と同じような症状に陥った。彼女はすぐさま医者に行こうとしたが、「救急の患者しか診ていないので、風邪の人は遠慮してください」と言われたそうで、とても怒っていた。そんで私が「ほらね、だから言ったじゃん」と言ってしまったもんだから、さらに怒っていた。

 と、長々とインフルエンザの思い出を書いてしまったが、あのときはほんとに辛かったので、それ以来かなり警戒しているので、おかげさまで悪魔の手から逃れてきたが、今年は大丈夫かなあ。せめて旅行に行くまでは私に目をつけないでほしい。
 そーいや、あんときは、熱が下がってからも背中の痛みと頭痛が1週間くらい続いたので、「これは一生治らないのではないか?偏頭痛持ちになってしまったのか?」と不安になったし、あまりにも具合の悪いのが続いたので「元気だったときの自分」がどんなだったか思い出せなくなり、さらに心細くなっていた。
 結局、1月半ばからだんだんと調子が戻ってきて、なんとかインドに旅立つことができたのであった。
1月9日(木)

 B君から今年初電話。
 「今年はどんな年にするつもりなの?」
 という、真っ当な質問をされたので、こちらも真っ当に
 「今年こそ痩せる」
 と言ったら、なんかゴチャゴチャ言っていた。(「全然太ってないじゃないか」等、真っ当な反応)

 結局、1時過ぎまで長電話。
 10数年前、B君が自殺未遂をしたときの話を拝聴した。実はその話を聞くのは2回目だったのだが、水を差すのも悪かったので、黙って聞いていたのだが、長い話が全部終了したところで、
「この話をしたのは、ミヤノさんで3人目だよ」
 というので、
「実は、私は2回目なんだよ」
 と言うと、
「あ、そうだったっけ?ええと、ずいぶん前に、○○っていう奴に話たんだよ。○○って知ってるよね?」
「知らない」
「ほら、Cってゆーアイドルグループっちゅうか、Kと一緒に活動していたやつで、脱退後にディジリドゥー吹いてた・・・」
「ああ、Kとバンドやってた人が友達だっていう話は聞いたことあるような・・・・、その人か」
「そうそう、あいつに話して・・・・・あと、そうか、ミヤノさんに話して・・・・・そんでまたミヤノさんに話したのか」

 「3人目」というのは、「のべ人数」らしい。

 というわけで、やはり私とB君とは「なにげに」親友らしい。 
1月8日(水)

 また会社で出血してしまい、慌てて薬局に走る。
 眠かったので早寝した。
 昨日も今日も酒抜きだった。肝臓が冬休み中。
1月7日(火)

 寝不足&二日酔いという定番の朝。
 そうだよ、昨日は銀行で待たされているときに、ファッション誌をぼんやり眺めていたのだが、最近ほんとにゆっくり買い物もしていないので、「冬のボーナスは手付かずで普通預金におきっぱなしだし、忘年会で賞金も貰ってプチ・リッチだというのに(年末ジャンボ外したので、スーパーリッチにはなれなかった)、服は着古し、靴もボロボロ、髪はボサボサってどういうことよ?」と思い、「私だって、1万円くらいするブラウス買ってもいいくらいの所得があるんだ」と思い、「私だって、丸の内OLみたくビシっとキメて、ヒールの靴なんて履いちゃったっていいじゃん!」などと、ちょっと盛り上がってきたので、「今日こそ買い物してやる!」と思っていたのだが、飲みに行ってしまったのでまた買い物気分が萎えてしまった。

 この、「パンダの発情期」のような気難しい買い物心をなんとかしないと、日本経済はちっともよくならないのではないかと心配である。
 しかし、そうはいっても毎朝着るものに悩んでいるので(数が少なすぎて悩む。ローテーションが一週間持たないし、洗濯をサボるともっと悲惨)、別に巨人みたいにローテーションの穴を埋めるのに数億円投入する必要もないわけだし、今日は帰りに早速、近所の西友に寄ってみる。
 せっかく昨日は「丸ビル攻略法」などをファッション誌で読んで、「そうか、丸ビルに行けば、いまどきのOL風衣装を揃えられるのだな」と学習したのに、水の泡である。まあ、西友で体慣らししておかないと、いきなりデパートに行くと心臓発作起こすかもしれないしな。

 冬ものはすでに投売りされていて、スカートとブラウスと薄手のセーターと、ついでに愛用していたジーンズがボロになってしまったので、ジーンズも試着してみたら西友にあるような「ストレッチ素材のジーンズ」がなかなか履き心地がよかったのでそれも買うことにした。だって1300円なんですよ!(泣きながら笑いたい気分)
 で、4着で総額8500円くらいだった。
 1万円くらいのブラウスを買ってやる、とせっかく意気込んでいたのに、なぜこんな遠くに流れ着いてしまったんだろう。

 女優を夢みて上京してきたのに、気が付いたらコンビニの店長になっていたような心境である。

 ま、それでも、つい先日までの「決算&祖父危篤&葬式」に明け暮れていた余裕の無い日々と比べれば、友達のうちで鍋をしたり、クラブにも行ったり、洋服を買ったり、と、ちょっとは女の子(誰が?)らしい生活に戻ってきたのかもしれない。通勤電車の中で本を読む余裕もできたし。

 とういわけで「平穏な生活」にささやかな喜びを見出しつつある今日この頃ですが、ささやかな喜びといえば、山形さんが雑誌の原稿の中で私のページを紹介しているとのことで、ちょっと自慢したい気分ですが、でもその雑誌って、別冊宝島なんですが、題名が「まれに見るバカ女」なんですね。・・・・・いや、別に私のことを「バカ女」だと攻撃されているわけではないのですが・・・・これは人に自慢するのが大変に難しいかと・・・・・だって、「ねえ、ねえ、この本の中に私の名前も出てるんだよ」と見せたら、

 「あんた、いったい何やったの?」

 と、心配されそーではないですか。
 でも、自分のURLが活字になったのは初めてだったので記念に一冊購入いたしました。

 「まれに見るバカ女」1200円
 西友のバーゲン洋服4着 8500円
 満足している気分 プライスレス・・・・・じゃなくて、それで合計約1万円になったので、まあ1万円のブラウス買う目標からは離れましたけど、いいんじゃないかと。

 丸の内OL系への道は遠い。
 とりあえず、次回の目標は美容院ですが、1月中は香港にも行くし、無理そうだな。香港で美容院に行くという手もあるが(笑)
 そういえば、ここ数日「ああ、あれが食べたい」と思っているのが、昔よく昼食に食べた長寿庵のカレーうどん。
 なんでこんなに根っからのデフレマインドなんだろうか。
1月6日(月)

 4日の初出勤のときより、今日の方がダルかった。
 6時半ごろ、とっとと帰ろうと支度して、コート着てマフラー着て手袋まで着用したところで「飲みに行かない?」と誘われてホイホイついていってしまった。
 年末から毎日のように飲んでいるので、今日は禁酒しようと思ったのに・・・・
 そんで、会社の昔話をいろいろ拝聴して、けっこう勉強になったのだが(飲み会でのそういう情報収集は重要だ。という言い訳である)家に帰ったらもう12時半だった。
 バタンと寝たが、なぜかライオンに追っかけられて高いところに逃げるが、ライオンも登ってくるので、箒やデッキブラシで必死に応戦しているという派手な夢を見た。
1月5日(日)

 昨晩は家に帰ってちんたらと日記を書いていたら、「はじめてのおつかい」が始まったので「うう、これって見ようと思って観たことないんだけど、やってるとついつい観ちゃうんだよね。そんで泣いちゃうんだよね」と思いつつ、食い入るように観てしまいました。また泣けたぜ。
 子供と動物には勝てん。(別に勝負したいわけではないが)

 そんなんで、テレビを観ながらダラダラして、11時半ごろ出動。渋谷のWOMBに行くのだ。
 丁度、大勢の人たちが駅へと向かう時間だったので、流れに逆行して道玄坂を上がり、円山町に突入。
 円山町の目抜き通りは、その昔ON AIRがオープンしてから音楽施設がだんだん増えて、今じゃ「クラブ通り」になっていて、ヒップホップ系のハコの前にも若者が行列していた。
 目指すWOMBは、ON AIR WESTの裏なので、CLUB ASIA の横の道を入るのだが、そこもなんだか人通りが多いので「まさか、みんなWOMBに向かうのか?」と一瞬思ったが、よくよく見れば通行人は皆カップルで入るホテルを探してうろうろしているようで、私の目の前でも何組かがラブホに吸い込まれていった。
 しかし、私のすぐ前を歩いていたのはどうやら女性二人組のようで(冬は後ろ姿で男女の判別が難しい)、「この人たちはお友達かな?」と思って後をついていくと(WOMBに行くのが初めてだったのでちょっと不安だった)、男二人組みや男女数人組みがどんどん吸い込まれていた場所があったので「ここかあ・・・」

 ほんとにホテル街のど真ん中なので、ちょっとドキドキするわ。
 入り口にはどんどん人が並んでいたが、ちょっと奥でIDチェックをしていて、けっこう厳しいようで免許証などを持っていない人は追い返されていて「えー、マジ?」と言っていたが、私のすぐ前の子も入れてもらえなかった。よかったちゃんと保険証持ってきて。最近はどこのクラブもIDチェックが厳しいので、クラブに行くときの必需品だ。

 中に入るとすでにコインロッカーも満杯だったので、諦めて持ってきたビニル袋に荷物をつめて置くことにするが、リキッドなどの慣れた場所だと「荷物置き場」をだいたい決めているのだが、初めて来た場所なのでどの辺に置けば安全なのかよくわからないので、まず探索。
 フロアはすでに人でびっしり。暑い。それでも頑張って一番奥の方に行ってスピーカーの横の隙間に荷物を押し込む。
 身軽になったところで、上の階も探索。2階がフロアで3階、4階がラウンジだが、フロアは4階までの吹き抜けになっており、ラウンジからはガラス越しにフロアが見渡せるし、フロアと同じ音がモニターされているようだ。

 またフロアに戻って、奥の方に陣取り壁によりかかっていると、タマちゃんと会った。年末のリッチー&スベンの話を拝聴する。「リッチーがリッチーぽくなくなった」という話は、Eちゃんからも聴いていて、Eちゃんの説も「スベンが・・・・・」であったが、タマちゃんも「あれは、絶対にスベンが・・・・」
 清く正しかったリッチーをスベンが堕落させたとのもっぱらの噂(笑)
 そんでついでにタマちゃんから、MHちゃん情報→MG氏経由のY君の近況を知ったのだが、どこまで本当なのかよーわからん。
 タマちゃんが「年末も混んでいたけど、あのときは入場者数を限定してたし、今日はまだまだ人が入ってきそうだから、もっと混むかもね」と言うのでちと不安になったが、奥の方はそれほど押し合いへし合いではなかったので、頑張ってそこに陣どっていた。1時前くらいに、壁に「SASHA」の文字が現れ、いよいよ「最後の大物」(?)であるSASHA登場。
 WOMBはあまり音のいいハコではないようで、それでもタマちゃんは「前はもっとショボかったけど、12月くらいにPA入れ替えてかなりマシになった。それに、まだ音量押さえてるよ」たしかに、フロアの隅でこれだけ普通に会話ができるくらいの音量だった。
 でも、SASHAが始まっても、それほど音量上がった気もしなくて、でもフロアの中ほどに入るとそれなりの音だったが、真中はギュウギュウなので、ついつい端に寄ってしまう。
 1時間くらい朝10時くらいの山手線程度の混雑の中、ヨタヨタと体を揺らしていたが、あまり音もシャキっとしないし、足が疲れてきたので、上のラウンジで一休みしようとフロアの雑踏を抜けると、「あ、いた」とEちゃんに声を掛けられる。「おめでと」と簡単に挨拶してから「わたしゃ、疲れたから座るとこ探す」とバイバイ。
 階段のところは涼しかったが、そこに座っていると見回りに来る店員に「座らないでください」と注意されてしまうので、3階のラウンジに行くが、そこでも踊っている人やドリンクに列を作る人でごった返していて、とても腰を降ろせそうにもなかったので、4階に行くと、絨毯敷きのラウンジはそれほど混雑していなくて、隅っこのほうに腰をおろして足を伸ばしてストレッチしていた。

 音もフロアと同じ音が出ていたし、あまり音質は良くないが、それでもガラス越しに見えるライティングを眺めながらフロアと同じ音が聞けて、温度も涼しく絨毯の上で座っていられるので、ぼんやりと照明を見ていたのだが、これが上から見下ろすとなかなかすばらしかった。
 「ここは、音響よりも、照明に力(というか金)入れているんだな」
 と納得。
 レーザーなどを絡めた実に多彩なパターンがあって見飽きない。一昔前だったら、ピンクフロイドのコンサートなどが「レーザーショー」と揶揄されたが(ロジャー・ウォーターズ脱退後のピンクフロイドはかなり商業的な公演を重ねていた)、スタジアムクラスのコンサートなどでしかお目にかかれなかったようなコンピュータ制御のすごい照明設備がここには備えられているらしい。

 私と同じように、フロアに見入っている青年に「ここって特等席だよね」と声をかけたら、それがなかなか感じの良い青年で「 年末のリッチーには行ったの?」とかちょこちょこっと話して、最後に彼が「じゃあ、楽しもうね」と爽やかに言ってくれたので、気分がよくなる。こんな若者もまだいたのね。(オバサンくさい感想だ)

 しばらくラウンジで広々と踊っていたが、やはりフロアの音が聞きたくなり、2時半ころにはフロアに復帰。かなりフロアの人ごみもほどけていて、なんとか踊れるかんじになっていた。
 そのあたりから、やっとSASHAは本気出し始めたのか、音の切れがよくなってきて、疲れを知らない客も熱く盛り上がっていた。いい雰囲気になってきた、と私もガシガシ踊る。フロアから照明を見上げるのもなかなか乙なもの。
 3時半くらいまで夢中で踊っていたが、さすがに疲れてきて、またラウンジに戻ってビール飲みながら休憩して、フロアに戻ったが、4時になったらもう音に集中できなくなってきたので「年寄りは引き際が肝心」と、さっくりと外に出て、すぐにタクシーを拾って5時には家に到着。
 うん、近い場所だと、疲れきる前にこうやって帰れるからいいよね。タクシー代はたったの1300円だったし。(1500円出して「釣りはいらない」と言おうかと思ったが、トンボ帰りしてふてくされていたガルニエの時と違って、今日はご機嫌だったのでちゃんと釣りを貰った)

 SASHAのDJはそれなりに良かったが、やはりガルニエの方が好きだなあ、色気があって。でもまあ、久々にクラブに行けて満足だったし、あれだけの人ごみでも4時間くらいは耐えられることが判明したので「自分の力試し」にもなった。

 帰宅してからしばらく「動物のお医者さん」を読みながらお茶を飲んでダラダラしていたが、布団に入るとすぐに眠ってしまったようだ。一回電話が鳴ったが、無視して留守電対応。また寝ていたら、電話が鳴ったので「もう、昼くらいかな」と思って電話に出るとS君だった。12時過ぎくらい。
 なにやら長電話をしていたのだが、どうもS君は夕飯のお誘いをしたくて電話してきたらしい。
 結局、一旦電話を切ってから、またうつらうつらとしていたら、夕方また電話があり「やっぱ、ご飯食べよう」ということになって、下北で待ち合わせ。お肌にダメージのある夜遊びしたし、「麻」でビタミンを摂取しようと思ったが、今日まで正月休みだったので、タイ料理屋を目指したら、そっちも開いてないようだったが、シャッターが閉まっていたのでそばに行ってみると「貸し店舗」の張り紙が!

 「うわ!つぶれたよ」
 「いい店だったのに、美味しかったし・・・・いい店ほど、すぐになくなるんだよね」
 と二人でがっかりする。下北在住のMちゃんとも一緒に行ったことがあって、Mちゃんも気に入ってくれたのに・・・・下北ってわりとエスニック料理屋が薄いから貴重なお店だったのだ。ほんとに残念。

 結局また下北をグルっと一周して、ベトナム料理屋に入った。レモングラス・チャーハンが絶品だった。
 そのあと、ドトールでコーヒー飲んで、家に帰ったのが10時半くらい。すぐに支度して銭湯にGO。家のお風呂は寒くて入る気がしないのだ。
 銭湯でまた熱い湯につかって、水風呂と交互に入って、芯まで温まり、ポカポカで帰宅。

 さて、世間的にも正月はお終い。明日からは通常モード。
 なんだか、年末年始はあっという間だった。
 でも、銭湯で体重計に載ったら、しっかり体重は増えていたことが「あっという間の正月だったが、それなりのことはしたらしい」(食べる飲む食べる食べる飲む食べる食べる食べる)ということの証明であろう。体重で立証したくないけどさっ。 
1月4日(土)

 初出勤。
 卓上カレンダーを新しくしたので、戯れに「一般企業は今年何日出勤するのだろうか?」と勘定してみた。
 243日だった。(土日祝日&年末年始が普通に休みだとして)
 うちの会社は23日×12ヶ月で276日。
 ゲゲゲ・・・・・33日も多いのか・・・・・有給と連続休暇を全部使用しても追いつかない。

 また暗い気持ちになったが、頑張って仕事した。あまりペースがあがらなかったが、来週は他部署の応援に駆り出されちゃうし、少しでも仕事を片付けようと頑張った。

 帰りの東急田園都市線で、ふと読んでいた本(まだ「コモンズ」3分の1)から目線を上げると、菊川怜の広告が目に入った。視線を横にずらすと、また菊川怜だった。「さすが売れっ子。CMの女王だもんな」と思ってよくよく社内広告を見渡すと、「げ、全部、菊川怜?」

 他の路線はよくわからないが、東急線はこういう企画広告をよくやるのだが、これは菊川怜を起用している3社(DVDと保険とチューハイ)が共同で、「怜ちゃん電車」にしたらしい。

 お正月ずっとテレビを観ていたので、「エグゼと妻」とかいう、大型テレビの前で着物を着た菊川怜が刺繍をしているCMをよく観たが、菊川怜の和装はなかなか良いですな。ポヤっとした顔立ちが引き立っていた。
 しかし、あのCMを観て「こりゃあ、古風というよりもSFだな」と思った。和装で刺繍なんかしている妻よりも、正座して刺繍しているアシモのほうがリアルだと思う。つうか、メーテルよりもリアリティがないわさ。

 CMといえば、ジーンズの広告で、ブラピが階段をサーフボードで降りてくるCMがむちゃ可愛いかった。妹も「このCMのブラピかわいー」と言っていた。(妹はブラピのことをCMで知ったそうだ。「えー?なんか映画で観なかったの?」と言ったら「セブンだけは観たけど・・・・」)
 それで思ったのだけれども、顔立ちだけで判断するなら、ベッカムのほうが確かに美形である。趣味もあるかもしれないが、私はそう思う。役者でもサッカー選手でもない二人を並べたら「ベッカムのほうがハンサム」だと思う。
 でも、CMに出ているベッカムを観ると「やっぱ、ただのサッカー選手なんだよな」と思う。もちろん、あれだけのギャラの人物を撮影するのだから、撮影スタッフも相当優秀なはずなので、シロートなりに上手く撮ってはいるが、「画面での自分の見せ方」は上手くないので限界がある。
 しかし、やはりブラピは短いショットの中に自分の魅力を凝縮できる技を持っていると思うのだ。それは、ベッカムはコーナーからダイレクトでシュートできるけど、ブラピにはそれができないのと同じことだろう。

 さて、話は戻るが、現在CMの女王である菊川怜は、CMの中では魅力全開だが、ドラマなどではどうなんだろう?そういえば、ちゃんと演技しているのを観た記憶がない。
 私は、CMに出ている藤原紀香は好きだけど、彼女がドラマでセリフを言っているのがどうしてもダメだ。同じように、金城武も顔は大好きだが、セリフを言うともうダメ。
 同じようにセリフ回しがかなり気色悪くても、トヨエツはOKなのだが、あれも当たり外れが大きい。演出家の腕や脚本にもよるのだろう。だが、トヨエツくらい強烈に変だと、それが個性として受け入れられる場合もあるが、藤原紀香や金城武の場合には「単なる大根」にしか思えないのでダメなのである。
 それでも、田辺誠一のように「ガラスの仮面」の「紫のバラの人」みたいに、そのクサい演技が逆にずっぱまる場合もあるが、普通の役をやっていると冷や冷やしてしまうのだ。
 だが、それは日本語に限られるようで、金城君が香港映画などで中国語(広東語だか、共通語だか知らんが)を喋っていれば全く気にならなかったし、キアヌのセリフ回しが海外のメディアでボロクソに叩かれていても、私には関係ない。多少、変だな、ちょっと舌回ってないな、くらいはわかるのだが、「この喋り方ぜったいダメ」というほどのもんでもない。

 と、また話は逸れたが、菊川怜もちょっと舌足らずだが、松嶋菜々子も、ちょっとお嬢様っぽい舌足らずで乗り切っているので(あれは、それほどイヤじゃない)あの路線でいければそこそこになれるのかな?
 そういえば、正月は妹とテレビ観てくっちゃべってばかりいたので、いろいろ話たのだが、妹は松浦あやがいいと言っていた。紅白観ながら、あまり「あやや」だか「およよ」だか知らないが、その他大勢と見分けがついていない姉は(姉と妹はずいぶん守備範囲が違うもんだ。妹は洋画スターには疎い)、「ふーん、そうかね」と思って観ていたのだが、妹の解説(?)を聴きながら観てみると、たしかに松浦あやは私が中学生くらいのころのアイドルっぽい雰囲気というか、あのころのプロ根性を持った女の子っぽく思えた。
 しばらく考えてみて、「この子ってアイドルだったころのキョンキョンっぽい。なんかこの割り切った雰囲気が」と思った。妹も「それ言えてる〜」「でも、キョンキョンより歌は比べ物にならないくら上手いね」「そうでしょ?こんなアイドルアイドルしていてこれだけ歌える子いないよ」たしかにそうかも。

 紅白でも何組か「歌謡ラップグループ」が出ていて、母は「こんなのどこがいいのかわからない」と言うので「うちらだって全然いいと思わないよ。歌詞も大したことないし、音も大したことないし、だいたい、スチャダラを超えたこういうラップグループっていないよね」
 母は「だいたい、歌詞だって何言ってるかわからないじゃない?」と言うが、アメリカのラップだって歌詞はネイティブでも聞き取りにくいと言う噂だったが、けっこうサビのアジテーションがビシっと決まっていて、なんだかわからないが「にが〜〜〜にが〜〜〜」と繰り返されると、それなりに圧倒されたし、なによりもバックの音楽のグルーブだけでけっこう聴けたのだが、今の日本のさわやかへなちょこラップにはそういうインパクトも無い。それにスチャダラみたいに笑えないし、セリフの一部流用をする気も起こらない。スチャダラの決めゼリフはけっこう乱用したもんだ。「オレってなんにも言ってねー」とか「暖かいところにいきたいなり〜」とか。内輪ノリだったが。

 和製ラップの悪口を言っていたら、妹が「そういえば、なんて名前だっけ、あの俳優の息子がやっていた・・・・」「えーと、えーと、古谷一行でしょ?」「そう、その息子」
 妹が言いたかったのは、あの子たちも元々は和製ラップだったが最近はけっこうロック系になったということで、それは私も気が付いていたが、でも、とうとうそのバンド名を思い出せず。いまだに思い出せない。
 調べる気にもならないだけだが。
 ちなみに妹は「エアロスミス」をどうしても思い出せず(ベストヒットUSAを観ていたときに「去年もヒットを飛ばしたあの老人バンド」と思い出したようで)、「あの、けっこうグラマラス系のヘビメタ系バンド」とか「ディープ・パープルくらい有名」とか「ボーカルの顔が濃い」とか言うので、「ハノイ・ロックス?キッスじゃないよね?う〜〜〜〜〜んと、ヴァン・ヘイレンか?」と夜通し考えたがわからず、翌日、帰省している妹の同居人にメールしてやっとわかった。

1月3日(金)

 寒い。無茶苦茶寒い。たった今、実家から帰宅し、頭を解凍中です。

 ええと、まだ半冷凍状態ですが、とりあえず、明けましておめでとうございます。

 喪中らしいので、あまりお祝い事に参加してはいけないらしいのだが、何を控えればいいのかよくわかっていない我が実家は、フツーにおせち料理を食べたが、いつもより料理数が少ないような気もしたが、それは年々質素になっているためであって、喪中だからという理由でもないような。
 そんで、初詣にも行きました。だって退屈なんだもん(笑)それに、少し動かないと、食べ過ぎでもたれるんだもん。

 一応、大晦日の晩から、今日までの実家での行動記録。
 特筆すべきことは何もないが、どこの家でもこんなもんだろう。
 「いつもと変わらぬ正月だった」という記録である。
 いつもと変わらず「食べて食べて食べぬいた」ようだ。

 大晦日。
 6時半ごろ実家に到着。父がぼんやりとラジオを聞きながら新聞を読んでいた。
 母と妹は買出しに出かけたらしい。母は年末に投売りされる生鮮食品をゲットするのが年末の習慣になっており、今年は妹が戦力に加わったようだ。
 7時になったので、「明日、雪らしいね」と天気予報などを見ながら、母たちの帰宅を待つが、私は家でロクなもん食っていなかったのでお腹がすいてきた。どうせ、母がしこたま買い込んできた半額の鮨パックなどが大量に並ぶはずなので、それを期待していたのだが、待てども待てども帰ってこない。
 「丸井は何時までやってんの?」「さあ?7時だろ?お腹すいたのなら、饅頭があるぞ」
 しょうがないから、あまり好きではない饅頭をモソモソ食べるが、空腹感を増長させるだけだった。

 「こうなったら、こんなの見ちゃうもんね」
 紅白の裏番組として、早い時間から始まっている「ラーメン屋ベスト99」にチャンネルをあわせる。
 「お腹空いてるときに見るとキョーレツ!」
 と、自虐的な喜びにふける36歳の娘に、父は「冷蔵庫に食バンがあるぞ」
 「いいの、好きでやってるんだから」

 しばらく、悶々として次から次へと紹介されるラーメンの映像を食い入るように見ていると、8時近くなってやっと母と妹帰宅。
 2000円の鮨パックが半額になった瞬間に、半額シールを持っている定員に詰め寄って、場外乱闘の末に獲得してきたとか、いい牛肉も半額にしてきたとか、戦利品を目の前にして二人とも興奮気味で「この部屋、暑いよ」と暖房を切ってしまうほどエキサイトしていた。
 君たちいつから「似たもの母娘になっちまったんだい?」とバーゲン嫌いの「橋の下」娘は思ったが、妹は母よりも「半額だといつも買わない値段のものが買える」というやや高級品指向らしく、その妹が見つくろった「極上トロも入っている鮨パック」は、さすがに美味しかった。
 それ以外にも、ちらし寿司や、母が好きな太巻きなどもあり、紅白を見ながら家族4人で仲良くパック寿司を食べていた。
 弟は、妻の実家に行って正月を迎えて、そのまま妻と生まれたばかりの娘をいよいよ東京(というか千葉)に移送するはずだったらしいが、どうも長野に着いたら大風邪をひいて発熱して寝込んでいるらしく「あちらもお正月で大変だっていうのに、病人が行ったら単なる邪魔なんじゃ」と母が心配していたが、「でも、こっちは弟一家がいなくてラクねえ」
 弟の嫁は気を遣わない人だが、それでも滞在されると母は胃が痛くなるらしい。

 紅白が終わると、豚とホウレンソウで簡単な豚しゃぶ鍋を作り、それを食べていたら「もう、蕎麦はいらない」と満腹になったので、交代でお風呂に入って、私はどうしても観たかった「お笑いバトル総集編」をがんばって観ていたのだが、3時くらいにリタイアして寝た。

 元旦。
 昼頃起きて、簡素なおせち料理で乾杯してから、お雑煮も食べて、「お祖母さんのところ(老人ホーム)に行くか、それとも初詣に行くか」という家族会議の末に、初詣に行くことになり「モノレールに乗って、高幡不動に行こう」ということになった。
 立川から南北に伸びて、南は多摩センターまでアクセスしているモノレールに私は乗ったことがなかったので、立川駅で母が「こっち側に行くと、富士山がきれいだ」と言い出し、北側方面に乗るが残念ながら富士山は雲の中。
 それでも、モノレールはかなり高いところを走っているので、風景を観ているだけでも飽きず、北側の終点駅まで行って、そこで一番前の特等席を占拠し、高幡不動まで行った。
 けっこう混雑していたが、なんとか本堂まで歩いてお参りして、奥の院も外から眺めていたが、来年は新撰組が大河ドラマなので、ここもさらに混雑するんじゃないかなあ?

 4時前にまた駅まで戻ってお茶でもしようと思ったが、どこも混雑しているので諦めてまたモノレールに乗ったが、妹が「この先の動物園の方も森がうっそうとしてていいよ」と言うので、また反対方向に乗って暮れなずむ景色を楽しむ。私はそこで初めて知ったが「野猿」っていうのは地名だったんですね。帝京大のあたりの(笑)
 母が言うには、昔はこのあたりはハイキング・コースとしてメジャーで、母の娘時代に友達とハイキングしていたら(そーゆー時代)、大規模な工事が始まるところで「こんな山奥に動物園造成中?」と思ったそうで、それが今の多摩動物園だそうだ。

 そして多摩センターでそのまま引き返して立川に戻ろうとしたら社内アナウンス。
 「人身事故のため、中央線は上下ともストップしています」
 でた〜〜〜〜〜〜〜、中央線名物。
 「どうする?京王線で府中まで行ってバスで帰る?」と言うが、立川までは30分くらいかかるし、そこでお茶してれば動きだすのでは?と私が言うと、中央線沿線住民である妹が「おねーちゃんは、中央線の本当の恐ろしさを知らない」と言われる。電車が動き出してからダイヤの乱れが延々と続くらしいのだ。「でも、正月だし、いつもよりゆるいでしょ」とか言っていたのだが、はやり立川についてからマックでコーヒーを飲んでいるときに父に駅まで偵察に行かせたら、「もう動き出すようだった」そうで、それから30分くらいして、とろとろと駅に向かうと、まあまあの間隔で動いているらしかったが、電車が来るまで寒い中15分くらい待たされた。中央線の「本当の恐ろしさ」を垣間見た。ビジネスアワーだとほんとに大変だろう。
 「まったく、正月から勘弁してほしいよね」と家族一同ブータレていたが、そういえばモノレールの中でも「せめて、そーゆーのは二日からにしてほしい」と文句を言っている客がいて、「でも、そうすると松の内はやめろ、とか初出勤のときもやめろという話になっちゃうよね」と笑ってしまった。

 しっかし、こっちは文句言ってれば済むが、スタッフの皆様(?)は本当にお気の毒。中央線は、どこか外部にコンサルしてもらって「飛び込む気がなくなる路線作り」を目指したほうがいいのでは?と思う
 そういえば、途中の西国分寺駅はホームにある階段が黄色と青に色分けされており、どうも出口や乗り換えによって使用する階段が違うので、初心者にもわかりやすいように色分けしているようだが、それでも「階段を全部まっ黄色に塗る必要あんの?」と思ってそれを口にすると、母が「このあたりも飛び込む人多いから、すこしでもあかるくしようとしてんじゃない?」と言ったが、ほんとうか?(口からでまかせ体質は遺伝らしいと気が付いた)
 やっと7時前に帰宅。歩いた距離はそれほどでもなかったが、結局、あのモノレールを全線乗ったとこになったので、けっこう疲れた。年末に買った牛肉ですき焼きして、私は深夜のベストヒットUSAを観て「やはりホール&オーツはよかった」と思ったが、妹は「セイ・セイ・セイ」のころのマイケル・ジャクソンを観て「このころは、ほんとにマイケルが大好きだったのに・・・・」とポツリ。たしかに今観ても、とてもチャーミング。今のバケモノぶりを知っているだけに感慨深かった。「なぜマイケルはあのままでいられなかったのだろう?」と妹と語り合いながら酒を飲んでいた。

 2日。
 さて、今日こそ、祖母の見舞い。
 元旦の雪の予報は外れたのに、今朝は庭にうっすらと雪が積もっていた。
 祖母がいる老人ホーム最寄の西武線の駅は、駅前に広大な空き地が広がっていて、ほんとに何もない。
 目前に白い富士がそびえていて、かなり絶景である。
 富士山を目指すようにトボトボと歩く。父は、会社に新年の挨拶に行っていたので、現地で合流予定だったが、母が「たっぷり15分は歩く」と言っていたが、体感時間としては30分くらい歩いてやっとホームに到着。

 すでに父は到着していて、祖母は「せっかく来てくれたのに、目が見えないから」とブツクサ言っているが、相変わらず頭もはっきりしていて元気そう。「目が見えなくてよかったよ。うちらがフケたのもわからないじゃん」と前に長野のホームに行ったときと同じセリフを言ってしまった。
 しかし、老人ホームはさすがに全館暖房でポッカポカ。
 母は「正月だけでも帰宅してみる?」と祖母に言ってみたようだが「ぜったいに嫌」と断ったらしいが、外に出たくない気持ちはわかるし、それに実家は暖房もなまくらだし、廊下やトイレや風呂は激サムで、トイレに行くときには狭い廊下(居間のドアからトイレまでは歩いて3歩くらい)をついついダッシュしてしまい、手を洗うのも面倒なのだ。
 だから、老人ホームと東京都下の安普請一軒家では、暖房環境はほんとに「天国と地獄」である。
 私もそれが許されるのであれば、春が来るまであそこでじっとしていたかった。

 「う、ずっとここにいたい」と思っても帰らないといけないので、今度は別の駅に向かってトボトボ歩く。途中でタクシーを見かけたら拾おうとしたが、けっきょく、父の会社が経営するホテルまで歩いてしまった。最上階のラウンジで、ケーキセットを食した。帰り際に富士山の見える窓の前に立つと、富士山のシルエットがくっきりと見えた。今日は朝から夜までしっかりと「富士山びより」だったらしい。

 そこのラウンジで仕事後に一杯引っ掛けようとしていた父の部下に挨拶されて「お嬢さん二人いらっしゃるんでか、いいですねえ、うちの娘なんで全然一緒に出歩いてくれませんよ」とお世辞を言われたが、彼は父の娘が二人ともオーバー30なことに気がついてなかったと思われる。あの口ぶりだと彼の娘は高校生か大学生なのだろう。私も妹もスキー帽目深にかぶったラフな服装だったので、他人から見れば「大きいお嬢さん」だったのかもしれないな。ハハハハ(ヤケクソ笑い)
 ほんとは、孫の一人や二人もぶら下げて歩いてないと他人に見せびらかすような「幸せなご家族の正月の光景」にはならないのだよ。

 7時前には帰宅して、すき焼きの残りの肉と、豚しゃぶの残りの肉で簡単なシャブシャブ。
 肉ばっか食ってないか?
 いや、シャブシャブの締めはウドンでも雑炊でもなくて、食べずに残っていた「年越しソバ」でした。けっこうイケました。
 今夜の深夜の目玉は「復活、ボキャブラ天国」
 妹と「過去の傑作集だけにしろー」とぼやきながら、それでも名作を観て大笑いしつつ、日本酒を飲んで寝た。

 というわけで、今日のお昼は「昨日のシャブシャブの残りスープで雑煮」でおいしゅうございました。
 ほんとに、食べてばかりの正月だった。ほんとは昨晩あたりで退散しようと思っていたのだが、寒くてめんどくさくなったのだが、今日になったら本格的に雪が降っていて、「駅伝で走っている人はともかく、ギャラリーとスタッフが」と心配していたのだが、午後になって「帰るわ」と外に出たときにはそれほどでもなかったが、歩きはじめるとほんとに鼻が凍りそうだ。

 寒いったら、寒い。やはり春が来るまで、老人ホームにぶち込まれたい。

 ああ、明日は会社なのだ。寒いと外出るのが嫌だなあ。

 そういえば「喪中」のどさくさに紛れて、今年は「お年玉」が支給されなかった。
 別に期待していたわけでもないが、密かにギネスブック入りを狙っていたので残念だ。

 年賀状もけっこう来ていた。私はここ数年、「年賀状業界」からはリタイアしているのであった。よって「喪中はがき」も出さず。めったに会わない他人に親類が亡くなったことを宣伝するのは悪趣味だと思っている、というへ理屈を振り回しておりますんで・・・・。すんません。返事も出しません。
 今年の「赤ちゃん年賀状」は弟から来たものだけだった。私の周りではベビーブームは終わったらしい。そろそろ「お受験」な年齢になったのかもしれないなあ。

 そーいや、3日間も実家に滞在するのも久々だったが、母の関心は「自分の兄弟」というか特に母に憎しみをぶつける兄のことで悩んでいるので、うちら(私と妹)の独身問題は脚光を浴びなかったのでやれやれ。弟の子供とも、いつ会えるのであろうか?両親も妹もまだ誰もご対面していないのであった。姉は現在、小金がうなっているので、出産祝いはずんじゃおーと上機嫌なのだが。
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