可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください

12月15日(日)

 土曜日はやはり出血多量のため全然テンションがあがらず「掃除洗濯がしたい死体」に成り下がっていたが、夕方になって無理やり起き上がって祖母宅へ。
 着いたのが6時半くらいで、丁度祖母はヘルパーさんが作ってくれた夕食を食べ終わったときだった。電話が鳴ったのでとってみると父で、すでに酔っ払っているようで、「電話があったみたいだけど、お母さんは?」「私も今着いたところでわかんないんだけど・・・」とヘルパーさんに「うちの母来てましたよね?」と聞くと「30分ほど前に外から電話があってご長男(祖母と同居している伯父)に出ていただいたのですが・・・」

 父は「こっちはまだ終わらないから」と言っていたので電話を切り、なにがなんだかよくわからないが、とりあえず伯父の部屋に行って「おかーさんから電話なかった?なんか言ってた?」と言っても「知らん」
 もー、兄妹が仲良くないから情報がちゃんと伝わらなくて困るのよね。伯父は憮然として「だいたい、なんで携帯に電話しないんだ」と言うので、「だって、あたし携帯持ってないもん」とこっちも憮然として答えると「なんで?」「嫌いなんだもん」「ハハハ、オレと同じだ。でもいまどき珍しいって言われるだろ」「珍しいのが好きなの。まあ、こういう時にはやっぱ無いと不便なんだけどね」

 7時を過ぎても母からは連絡がなかったので、近所のスーパーに行って出来合いの食材を買って帰ると、丁度帰ってきた母と叔母と途中で会った。二人で麻布十番の中華料理屋に行っていたようで、そのお誘いで電話してくれたのに私の到着が遅かったので間に合わなかったようだ。

 その後、母と叔母の「香典返し選び」の経過報告と結果を厳かに拝聴して、それから納骨の予定の話をしたり、正月にはいつも少ない親族でこの家に集合していたが、今年はどうするか、とか、せっかくだから集まって、来年の祖母の介護当番を決めたらいいのでは、などの話を横で聞いてときどき「うん、いいんじゃない」などと上の空で返事していた。
 叔母が9時ごろ帰り、母も帰るとのことだったが、叔母の欠席裁判がなかなか済まず、別に悪口を言っているわけでもないのだが、なにか話を聞いてほしかったようなので、「これじゃ、お祖母さんの介護じゃなくて、お母さんのコンパニオンじゃん」と、体調不良で不機嫌だったので、ちょっとうんざりしていたのだが、そんなこんなで11時くらいになってしまったので母も帰るの面倒くさそうだったが、昨晩は叔母と一緒に「香典リストの最終確認」を夜中の3時までやっていてここに宿泊していたので「今日は帰らないといけないかしら」と父に電話して「これから帰るから、チェーンは開けておいてね」と言うと父が「もう遅いし、ミヤノだけ一人でそこに泊まるのは心配だからついていてあげなさい」ということで「やっぱ私も泊まるわ」

 だったら私がわざわざ宿泊する意味ないじゃん・・・・・と思ったが、世界の平和はまず家族円満から、と思いとどまった。
 「お父さんたら、ミヤノ一人じゃ心配だって言うけど、じゃあ一人暮らししていることはどう思っているのかしら?」
 って言われても、家を出たのはもう十数年前ですし、「そういう治安的な意味じゃなくて、風呂の使い方とか戸締りや元栓の仕舞い方がわからないだろうって意味じゃないの?それに、治安的なことだったら階下にいる伯父さんの立場ないじゃん」
 「そういうこと?」
 いや、知りませんよ、わたしゃ。(不機嫌)

 で、母も宿泊することにどっぷり甘えて、ほんとは朝8時ころ来る、「朝起こしてくれる介護士」を玄関の鍵を開けてお迎えするのがまず最初の仕事だったが、それは母に任せて、母が起きてきた祖母に朝食を食べさせているときにノコノコと起きあがると、埼玉の叔母から電話が入り、「納骨は22日にしようって」。
 すぐに階下で電話が鳴る音がして、それからまた2階の電話が鳴って「伯父さんもOKだから22日で決定だって」

 情報化社会だと言っても、人間関係がスムーズに行かないと、デジタル/アナログがどうのという問題以前の状態になるので、めんどくさくってしょうがない。埼玉の叔父が、麻布の一階に住む伯父と2階にいる母に交互に電話かけてんのだ。

 昼前に母は帰宅し、いよいよ私一人で祖母にエサやりをしないといけないので、またスーパーに買出し。今日の昼食と夕食と明日の朝昼食を用意するのが日曜当番の仕事。
 祖母はいろいろ喋るようにはなったし、昨日は私の顔を凝視して「あんたは向こうのお婆ちゃんに似てベッピンさんだね。私に似なくてよかったよ」と元気だったころによくリフレインしていたセリフを言ったので、私が誰か漠然とわかっているらしい。でも、もっとリフレインしていた「築地にいる印刷屋の息子がまだ独身で・・・・」というのは、脳血栓で倒れて下半身がマヒして以降一度も言ったことがないので、ホッとする反面ちょっと寂しくもある。

 しかし、祖母と二人っきりの日曜日はなかなかキツかった。
 12時半くらいに、焼きうどんの昼食を出したが(でも、この家は大きなフライパンが無いことが判明したので、野菜と肉だけ小さなフライパンで炒めてから煮込み用の鍋に移して、うどんと絡ませたので、「水の少ないうどん」に成り果てたが、祖母は「おいしい」と言ってペロリと平らげた。なんでも食うので手間はかからない。量を出しすぎないようにするのを注意するだけだ)、食べ終わるともうやることがない。
 祖母は眠そうにしているし、話し掛けてもこっくりしはじめたし、「まだお昼を食べてない」とか「おやつはまだか」と言い出すので、とにかく意識のあるときにはひたすら食べることしか関心がないので、うざいから昼寝させる。一人で祖母を寝かすのもはじめてだったが、車椅子からベッドへはスムーズに移すことができた。

 しばらく居間のこたつで、読書していたが、なんとなく集中できない。弟が中古で両親に買い与えたらしいノートパソコンでひたすらフリーセルをやってみるが、「ああ、こんな暇あったら自分のうちの掃除洗濯が・・・」と悲しさ倍増。
 暇を持て余したので、夕食に買った大根を煮込むことにした。祖母は歯がほとんど無いが、なんでも飲み込んでしまう状態なので、野菜はなるべく煮込んだほうが栄養効率はいいのである。

 ちまちまと大根を切っていたら、伯父が上に上がってきた。どうも母がいないのを確認したようだ。顔を合わせないようにしているのである。
 伯父が「夕飯作ってくれてるのか?」と言うので、「でも、この包丁全然切れないよ。研がないとダメかも。」と言うと、「そうか・・・・」と言って下に降りてからしばらくしてから、簡易研ぎ機を持ってきた。ずいぶん年季の入ったやつで、それはひょっとしたら20年以上前に離婚した伯母が買ったものかもしれない。
 伯父はそれで一生懸命包丁を研いでくれて、おかげで少し切れるようになった。
 母とは口もききたくないらしい伯父だが、毎週交互に誰かがやってくる日曜日のことをわりと楽しみにしている雰囲気が伝わってきた。ポツリポツリと祖母の介護のことも話すので、「日曜当番は祖母のためというよりも、伯父のためなんだよな」と初心を思い出す。

 その後も伯父は、「ミヤノは象を集めてるんだって?」とまたやってきたので「うん、昨日もおかーさんが近所の大学のバザーで買ったぬいぐるみをくれたけど・・・・」と言うと、伯父の事務所に置いてあったハガキホルダー用らしき象の陶器をくれたので、ありがたく受取ると、今度はヤフーオークションで今出品されている象のぬいぐるみのページを印刷してきて「欲しいか?300円なんだけど、でも送料が別なんだよな」

 伯父がヤフオクにはまっているという情報は、祖父の入院中にずっとこの家にいた母が「ひっきりなしに宅配便屋がやってきていた」ということから知っていたのだが、伯父自らヤフオクの魅力を延々と語りだしたので「あちゃー、これは重症だ」と思ったのであるが、埼玉の叔父はここんとこ近所のスーパーの半額セールに燃えているらしいという愚痴を昨晩叔母から聞かされたので「この兄弟はいったい、いい年して何やってんだ?」と思うが、伯父は私が読んでいた本に興味を示し、「なんだ、これは買ったのか?ヤフオクだと本も安いし、ブックオフだともっと安い」と言うので、「いいの、私も貧乏なころは図書館や古本屋ばっかだったけど、今は小金があるから好きな作家の本は買ってるし、それで読み終わったらゴミに出してるの」

 なんだか吸い込まれるような、死の雰囲気。
 祖母はすでに、食べ物以外に興味を示さないし、もうあれ以上元気になる見込みもない。
 ゆるやかに死んでいるのだが、ゆるやか過ぎるので、いつ死ぬかわからない。
 介護する人が大変なので、あまり沢山食べさせないようにしているのだが、放っておくと冷蔵庫を開けて漁ってしまう。足が悪いのが幸いなのかもしれない。
 一日中、祖母と一緒にいると、生と死の隙間のその永遠の長さの中に引きずり込まれそうな心地になる。
 ご飯食べるときしか生きてないのだ。
 食べてるときは嬉しそうだけど、食べるとすぐに食べたこと忘れるので、けっこう辛いのである。
 食事と食事の間の時間をどうやってもたせるのかが問題なのだが、どうにも間が埋まらないのだ。
 昼寝してもらうしかない。
 寝て食って、食ったこと忘れてまた寝て起きて食って・・・・
 「生きるって何?」という命題をこれほどまでに鮮やかに突きつけられても、それを受け止めるだけの度量がこっちには無いんですけどぉ。
 「生きるって何か他にも、なんかなかったっけ?」と思うのだが、あまりにも相手がシンプルかつプリミティブなので、自分なりに見出していたはずの「生きる意味」を全部忘れちゃうって、「こっちが正しいのかも」と勝手に反省してしまうのです。

 伯父はその「永遠の食事の隙間」から逃れるために、ネットオークションに精を出しているかのよう。
 それはそれで「終わっている」が、でもまだ嬉しそうにしているだけマシだし、誰かと喋りたいようなオーラをビシバシ感じたので、夜になって「寝かしてくれる介護士」が来てくれたあとに、伯父にコーヒーをごちそうになりながら、延々とオークションやオークションで知り合ったオーディオマニアや山の話を拝聴した。

 人間って年をとってくるとだんだんと自分の興味に特化されていくというか、自分が60歳になったときにはどうなっているのか想像するだに恐ろしいが、家族はその恐ろしさをそれぞれの個性を持って私に知らしめてくれるという貴重な機会を与えてくれるが、しかしそれを十分に受け止めて自分のパワーアップに役立てたいとは思えども、これがなかなかキツいっすね。
 帰りにはフラフラになり「風邪ひいたかも」と思ったが、ああ、また明日は会社で消耗しちゃうのか。
 基本的に根アカな性格なので「まあ、これも経験ちゅうことで」と思えるのだが、もう少しくたびれていたら、ほんとに消耗しそうだ。
 来週は、土曜日出勤、日曜日納骨(その後、墓地からそれほど遠くない父方の祖父のいる老人ホームを見舞う計画も浮上)、で月曜日はまた早朝出勤の仕事であるわけで、また週末らしからぬ週末を送ってのクリスマス突入になるらしい。
 クリスマスイブに休みとって、フテ寝してやろーか、という自虐的なキモチになりましたです。

 発泡酒の値段が倍になってもいいから、もっと老人ホーム作ってほしいです。
 やっぱ、あの状態の老人を間近で観察していると、自分の老後もリアルに想像できちゃうので・・・・・
 今日こそ、祖母のおシメを換えてみようかと思ったんだけど、やっぱ勇気がなくて出来ませんでした。そのうち挑戦してみたい。

 とにかく、体調もドヨ〜ンだったが、精神的にもドヨンドヨ〜ンな週末であったと日記には書いておこう。
12月13日(金)

 金曜日に真っ直ぐ帰宅するのも久しぶり。社長はどこかの忘年会に行ってしまったので、総務部の社員は7時前にはほとんど姿を消していました。私も7時くらいで引き上げました。今日は出血がひどくてダルかったのだ。
 前回は祖父の葬儀のときだったので、「はあ、もうそんなに時間が経ったのか」と、己の体内暦で時の流れに思いを馳せるのは風雅なことである。

 しかし、ガルニエにも行けず(日曜日にどこかのアフターアワーズでプレイするかもしれないという未確認情報もあったが、日曜日は祖母の介護当番だし)、リッチーにも行けないだろうし、愛しのブケム様は私がまた早朝出動しないとならない日の前日にイエローでプレイすることが判明したので、「憂さ晴らしをしたいのに、スケジュールが合わない」という悲しさよで、ほんとになんだかわからないが「夜遊び復活」を強い力で阻止されているような悲しさで、「こうなったら、いっちょ、今日の幕張(エレクトラグライド。なぜかメインアクトがクラフトワーク)でも行ってやるか」と思っていたのだが、この寒さの中、出血中の身でそんなとこに行ったら絶対に風邪ひくし(生理中は抵抗力が弱まるらしい)、そもそもダルすぎで幕張まで行く気力は無いので、泣く泣く断念。

 そういえば、今年は午年で自分は年女であったことを「羊の絵が入っている年賀状の見本」を見て思い出したのであるが、お正月に「午詣で」をして以降、これといって馬に関連したことはなにもなかった。干支なんてほんとに正月にしか思い出さないよな。

 なので「馬の思い出話」を書き殴ってみました。
12月12日(木)

 12月になると、学校の先生達が一斉に「私も走り回って・・・」とかなんとか日記に書くそうだが、今朝の起きぬけ(起きて目覚ましを消してまた布団に入って、いつ布団から抜けられるか自らと戦う時間)に「めざましテレビ」をみていたら、「本上まなみと鶴田真由が結婚」という言葉が聞こえたので、「いくらなんでも、日本はそこまでススんでないだろう」と寝ぼけた頭の中で一瞬本気で思ったのであるが、その芸能ニュースをぼんやりと聞きながら、「取り残されたようなキモチ」になり、そんで「取り残されるもなにも、そもそも同ラインにいなかっただろう」と自分につっこみを入れながら爽やかに目覚めたのであった。

 などと書いている30代独身女性はやはり「師走だから私も走ります」という先生よりは少ないのかもしれない、ということを書きたかっただけす。

 それは置いておいても、女優さんがダンナに選ぶ人材は、その昔は「青年実業家」が主流だったそうだが(最近でも梅宮アンナがそういうのと結婚してなかったか?)最近は「アーティスト指向」だそうで、そんなことはどうでもいいが、「青年実業家」ちゅうのも変な言葉だよな。
 うちの亡くなった祖父は、奉公先の印刷屋に出資してもらって自分で小さな印刷屋を開いたが、たぶん「青年実業家」と呼ばれたことはなかっただろうし、「実業家」と称されたこともなかったと思う。
 「商売人」イコール「実業家」ではないとすると、その差はなんなんだろう?
 外車に乗っていると「実業家」で、ワゴン車に乗っているとただの「商売人」なんだろうか?
 そんで、喫茶店を一店だけ経営しているのが「喫茶店のマスター」で、2店舗以上経営していて、自分でこだわりのネルドリップコーヒーを淹れたりしないで、バイトにやらせていると「実業家」で、その経営者が35歳くらいだと「青年実業家」なのだろうか?

 うーん、違いがよくわからん。
 ひとつだけわかるのは、女優と結婚する「青年実業家」というのは、ほんとはどんな実業をしているのかよくわかんないってことだ。それで女優本人もそのことに後で気が付くようなので、離婚する場合が多いような気がする。
 だって、その昔に「青年実業家」と結婚したけど、今でもまだ結婚していて、ダンナが立派な「実業家」になっている女優さんなんて一人も思い浮かばない。

 母から電話があって、私が今度の日曜日に祖母の介護当番であることの確認であったが、母と叔母(母にとっては弟の嫁)が香典返しの品選びで論争中であるらしい。母のほうはどうでもよくなっているようだ。不祝儀ものであるから、あれこれ工夫して「気の利いたもの」を選ぶのも面倒だろう。だから、私も会社や個人でよく香典返しを受取るが、たいていタオルだったりするわけで、それはそれでいいのだと思う。
 で、香典返しのタオルはけっこう品が良いので長持ちするので、私が自宅でいまだに使用している顔拭きタオルやバスタオルの多くは香典返し出身だと記憶している。
 ま、商品券でも別にいいんだけどさ。

 そういえば、昔勤めていた会社で社長宛ての贈答品の中に「和光の商品券」があって、それが金額の記載の無い商品券だったので「なんですの?これは?」と思ったのだが、和光の商品券というのはそういうものである、と教わった。「電話して聞くと金額を教えてくれるはず」と古参社員が言うので、ためしに電話してみたら「5万円です」と快く教えてくれた。たしか、金や銀の色分けがされていて、金だと10万、銀だと5万とからしくて、「金のエンゼル、銀のエンゼル?」とその場に居合わせた全員がそう思った。
 知ってる人になら何の問題もないが、知らない人があれを受取ったらかなり戸惑うと思う。
 金額が記載されているものなんてはしたないということなんだろうか?日本の贈答文化はわけわからん。 
12月11日(水)

 会社に着くと、私より先に出社していた同僚が「大丈夫?」と声をかけてくれたので、「う〜ん、まあ、大丈夫なんだけど・・・この書類の山を見たら、また具合悪くなってきた」
 一日休むとこれだもんな。びっしりと書類が載っている。

 どよ〜んと机を凝視する私に向かって同僚が、
 「そうだ、チョコがあるよ」
 と、お歳暮でいただいたらしいゴディバの箱を見せてくれた。ちょっと元気になった。
 「うん、ゴディバでも食ってがんばるよ」
 「冷蔵庫に野菜ジュースもあるよ。ビタミンとりなよ」
 「うん、ありがと」

 同僚の優しい心遣いに感謝しつつ、ちんたら仕事し始めるが、昨日休んでしまったので、まず昨日提出する予定だった請求書の作成とデータ作成にとりかかるが、ここんとこ余裕持って仕事してなかったので、なかなかデータと請求金額が合わず、あちこちいじってやっと直してから、また巨大なエクセルの表をドガガガっとコピーしようとしたのだが、どうもエクセルの動きが怪しい。
 「重すぎるのかな?」
 と思って、不要な部分を削って少し軽くしてみたが、それでも操作に時間がかかるのであれこれやっていたら、夕方になってしまい、やっとコピーが完成したと思ったら、今度はLOOKUPが機能しない。
 「なんで、なんで、なんでなの?」
 と、キーっとなっていろいろやってみたが、とうとう諦めて、新しいファイルにコピーし直したら、やっとLOOKUPが使えるようになった。いったい何が原因だかわからないのでキモチ悪い。

 というわけで、2時くらいには完了するだろうと見込んでいた仕事が終わったのが、6時過ぎだった。データも揃ったので、請求書を出力して、添付の明細書をコピーして、すべてが終わったのが7時だった。
 というわけで、ほんとは今日の夕方3時間くらい使ってやろうと思っていた支払い集計の仕事が全然できず。明日だけでは終わりそうもなかったので、8時過ぎまでちょこちょこまとめていたのだが、だんだん目がシバシバしてきたので断念。
 まあ、あと1時間くらいやってもよかったのだが、夕方戻ってきたお隣の部署のT部長が、ずっと昼寝していたので、彼が目を覚まして「大変だね」と声なんか掛けてきたら、今日こそ自分を律する自信が無いと思ったので(殴るとか蹴るとかしそう)、困ったおじさんが寝ている隙に帰宅。

 きょうみさんに「1月に香港に行く」とメールしていたのだが、「京劇とか観に行くんなら切符とるけど、スケジュール決まった?」というメールが来たので、「まだ航空券手配してないし・・・今、ちょっとテンションあがんない」と昼休みに返事を書いたのだが、午後になって「だいたいなんで私ばっかりこんなに忙しいのよ!」という怒りが込み上げてきたので、速攻で航空券を手配して、「休暇願い」を上司に差し出しハンコを貰って、休暇の手配は完了した。
 旅行会社の人に「安い切符だけど、そのかわり変更すると高くつきますから」と言われたが、変更なんかするもんか!
 ぜってー休むんだから!

 会社のメールをチェックする暇もなくガシガシ仕事していたのだが、帰り際にメール開けたら、親会社の経理主任からメールが来ていて、「来週の月曜日に○○税理士が来社するので、○○(私が帳簿作成している別会社)の帳簿のデータを渡したいのですが、何月分まで可能ですか?」

 たしか、文化の日に出勤して、9月分までは入力したのだが、そのあと、なーんにもやっていない。
 支払業務はやっているが、その伝票は机の引出しに積み上げられており、すでに開け閉めが困難な状況になっている。なにせ2カ月分溜め込んでいるわけだし。
 それに、ただでさえ決算で忙しく、毎日残業してるっていうのに、休日のイベントの外仕事も割り振られているので、それでくたびれきって結局2日くらいロスしてしまうし、決算終わっても、まだ通常業務が自分の見積もりでは3日分くらい遅れていて、それを取り戻すためにサービス残業の日々だというのに、さらに別会社の仕事をするゆとりが無い。

 うーん、1月に休暇をとるためには、年末年始をかなり削らないといけないだろうなあ。
 どーせ、喪中だしよ。
 喪中だから、やっぱクリスマスも無しかしら。

 やはりこれは、なんとか経理の人員を増やしてもらわないと、ほんとに首が回らなくなってきたようだ。
 上司は派遣を雇ってもいいと言っていたが、この状況が長期的なものになるのなら、派遣よりも社員採ったほうがいいと思うんだけどなあ。たとえ社内異動させたとしても、経理として使えるようになるまでには時間がかかるし、どの仕事でもそうだろうけど、一人前になるのには3年くらいかかるのだ。

 どっちにしろ、もっとゆとりを持って仕事がしたいんだけどなあ。

 それにしても、田中さんもダンスくらい踊ってみりゃいいのになあ。
 私が奥さんだったら「こんな機会はもう一生無い」とか言って無理やり引きずっていくのだが。
 燕尾服着ちゃった時点で、「もうどうにでもして」だろうから、「やるならとことんやっちまえ」と思うのだが、まあいいや、ノーベル賞晩餐会のあの北欧系ハンサム給仕がズラーっと並ぶ映像観ただけで癒されましたわ(笑)てゆーか、客の人数も凄いが、給仕の人数の多さに笑ってしまったのであった。

 今日もまた仕事の愚痴を書き連ねてしまったが、昨日と今日の午前中はほんとにかなりの「出社拒否症」になっていて、かなり落ちてしまったので、怒りをぶちまけることによって必死であげているのでござんした。
 背中を向けるよりは、正面向いてコブシを振り上げようという作戦。
 セコいやり方だが、どっちにしろ働かないと生きていけないわけで、嫌だ嫌だと言いながらやっているのも嫌なので、せめて自分の描いたイメージに近づけるよう努力はしないといけない。
 イメージを強く持った者が最後には勝つのだと信じたい。
12月10日(火)

 起きたらまた寒かった。
 テレビをつけてワイドショーで血圧を上げようとするが(笑えるネタがあると上がる程度の低血圧症)、全然血圧上がらないようで、起き上がれない。これは、血圧の問題ではなく、気力の問題だろう。

 「どうしよう。なんか疲れが溜まっているようだし、休んじゃおうかな」と思った瞬間、頭痛がしてくるから不思議(笑)。それになんだか熱っぽいような気がする、と仮病の典型の症状が出揃ったので「自分の気持ちに素直になろう」と判断して、会社には「寒いから風邪ひいたらしいです」と、これまたストレートな言い訳をかまして昼過ぎまでうつらうつらと寝ていた。

 どうやら天気がまあまあのようなので、夕方に渋々洗濯。生きるって大変だ。
 そんで夜になってやっとコンビニに出かけて、食料を調達。生きるって大変だ。
 そしたら、コンビニで「ブラックタピオカ入りミルクティ」を発見。台北に行ったときには、屋台のジュース屋でこればっかり飲んでしまい、お腹がいっぱいになって、ロクなもん食ってこなかったという私の大好物である。「日本でもポピュラーになってくれないかな。そのうち鈴木兄弟(サザビーズでスタバ)がなんとかしてくれるにちがいない」と思っていたが、「安曇野食品」という聞いたこともない長野の会社が作っている。生きててよかった。(かどうかは飲んでから決めるべきだと思うが)

 あまりにもシャキっとしないので、夜になって銭湯に行って、熱い湯冷たい水交互入りを繰り返したら、やっと元気になってきた。生きるのにはこういうチマチマした技術が必要である。やってることは東京湾でエサをとって、帷子川で日向ぼっこしているらしいタマちゃんとあまり変わらないというか、あっちのほうが技術的には優れているのだろうけど。貨幣経済に依存して生きているので、その仕組みから排除されてしまったら逞しく生きる自信がないが、そうなったらそうなったで、ザリガニの蒸焼きとか平気で食べているのかもしれない。

 蒸焼きはお向かいに住んでいたタっちゃんの得意料理だった。彼は「マイ鍋」を持っていた。たぶん、最初にトカゲかなんかを蒸焼きにしたときに勝手に台所から持ち出した鍋を彼のお母さんがその後それで料理する気になれなくて、彼のおもちゃとして与えたのだろうけど、とにかく近所で焚き火をしているとタっちゃんは捕まえてきた虫や爬虫類やザリガニを鍋に生きたまま入れて料理するのが好きだった。誰も食べなかったけどね。ザリガニとかは、けっこうイケたのではないかと今にして思うが、どんなドブ川で捕獲しているか知ってるだけに、食べる気にはなれなかった。

 郊外の住宅地だったけど、まだ今ほど住宅が密集してなくて、空き地が多かったころは、年末になると各家では焚き火をしていた。ゴミの収集が28日くらいで終わってしまうので、そのあと大掃除で出た可燃ゴミを燃やしていたのだ。それ以外にも、落ち葉を燃やしたりしていたっけ。

 子供は焚き火が大好きだったので、焚き火をしているうちに集合するので、気の利いた家では焚き火にアルミホイルで包んだ芋を焼いてくれたりした。アルミホイルでみかんを包んで焼いてみたが、それはあまり美味しくなかった。
 この間、会社で大量の書類をシュレッダーしてたら静電気でにっちもさっちも行かなくなっていたら、同僚が「もっと大型のシュレッダー買ってもらえば?」と言ってくれたのだが、「いや、私の欲しいのは焼却炉だ!てゆーか、焚き火して不要書類をガンガン燃やしたい」と言った。

 焚き火では可燃ゴミだけでなく、ビニール系のものも燃やしていて、当時も公害問題はとりざたされていたので「有害ガスが出るかな」と大人も冗談まじりに言っていたが、タっちゃんはプラモデルを燃やすのも好きだった。
 せっかく作った戦闘機と、戦闘員の小さな模型を火の側に置いて「おお!溶けていく!」と喜んでた。マッカーサー司令官の高さ3センチくらいの人形(でもサングラスしてパイプをちゃんと加えていた)も溶かされてたのをよく憶えている。プラスチックを火にくべると、これまた怪しげな黒煙が出て、盛り上がった。
 私は発砲スチロールが火に近づけると、しゅわわわと溶けるのが大好きだった。

 たぶん、あのころ有害物質を死ぬほど吸い込んだので、ロクな大人にならなかったに違いない

 などと、焚き火の思い出をうだうだと書き連ねているのは、たぶん、今日が可燃物の収集日だったのにゴミが出せなかったので(低血圧で寝てたから)、今現在、台所にそのゴミがたくさん転がっているので、「だれか燃やしてよ」と思っているからだと思われ。
12月9日(月)

 起きたらやっぱ雪だった。
 絶対に転びそうな予感がしたので、いつもより早めに家を出たら、9時半には会社に着いてしまった。いつも10時くらいに出勤しているのに、雪に浮かれている人のようだ。
 寒いと不機嫌になるし、ただでさえ重い月曜日であるから、ちんたら仕事する。
 雪はなかなか止まなかったが、夕方には雨になって道路には積もらなかったようだ。車の上には積もっていたけど、さすがヒートアイランド。

 今日は残業しないでさっさと帰ってきた。そんで、日記を金曜日から遡って書いているわけだが、しかし、ここんとこ「やっと決算業務が終わった」とは言え、通常業務が溜まりっぱなしで、かなりうんざりしているのだが、そんなときに気になった記事。

 「あんたは橋の下で拾ってきたのよ」という親のセリフはなぜ決まって「橋の下」なのか、誰か学術的に解明した人はいるのか知りたいが、それはいいとして、このニュースを見た瞬間、「そうか、私は両親の本当の子供じゃなくて、ここんちの子供だったのだ!」と、思った・・・・・・思いたかった。

 ほんとうのお父さんお母さん、早く迎えに来てください。私は書類の山に埋もれて泣いてます。今日も2回も書類雪崩を起こしてしまいました。

 あと、これも興味深かったのだが・・・・

 ふきふきAIBO

 開けてみてがっかりした。
 「なんだ、AIBOが自発的に『ふきふき』してくれるんじゃないのか・・・・」
 私の夢である、「床掃除してくれるペットロボット」がとうとう開発されたのかと思ったのだ。
 自分で「ふきふき」するなら雑巾でいいよ。
12月8日(日)

 真夜中に虚ろなドライブをしてしまった悔しさで家に帰ってもなかなか寝付けず、ぼんやりとテレビを観ていたのだが、あまり面白くなかったので、教育テレビでアーティストの制作現場などのドキュメンタリーを観ていたら、宮島達男が出てきたので、その新作の制作風景をぼんやり見てしまった。再放送だろうから、いつ収録したものかわからなかったが、今度の数字は白いらしい。白い発光ダイオードが量産できるようになったらしいが、ああいうアートってほんとに「工業技術」なんですね。宮島作品を支える町工場のおじさんも出てきて「芸術関係パーティーなどに招かれると、他のお客さんから『あなたがあの○○さんですか』と言われたりするので嬉しい」と誇らしそうに喋っていた。

 昼頃起きて、支度して、今日は渋谷のブックファーストにて「コモンズ」発売記念のレッシグ教授のトークショー&サイン会。
 整理券を見たら「地下一階の特設会場」となっていたので、真っ先に地下に行くが、うろうろしてもそんなスペースは無い。仕方ないから店員に尋ねると「あそこなんですが、一階の階段から並んでください」と踊り場を指差す先にはパーテーションの壁。
 「え?やっぱ、あそこなの?」
 さっき見たときは「これなのかな?でも、ここってただの踊り場でしょ?」と思ったのであるが、一階に戻ってから階段の入り口に行くと、係員が誘導してくれて、踊り場に折り畳み椅子がびっしり詰まっていた。
 「う〜ん。すごい特設会場だ」
 と感心。
 大学のころ、演劇サークルがサークル棟の狭いロビーをベニヤ板で仕切って上演したりしていたが、そんな光景を思い出す。
 前のほうに座ると、レッシグ教授と目が合ってしまいそうだったので、控えめに後ろのほうに陣取った。うしろのほうって言ってもたかが知れてるけど。(トークショーは限定40名)

 さて、時間になってレッシグ教授と山形さんが登場して、トークが始まるが、覚悟はしていたが、英語さっぱりわかりません。
 いや、レッシグ氏の英語はかなり聴きやすかったと思う。発音も明瞭だったし、かなりゆっくり話してくれた。後半は飛ばしてたけど前半はかなり押さえていたんだと思う。「コミケの話」などはちゃんと聞き取れたので、もっと普通の話題だったら通訳無しでも半分くらい理解できたことでしょう。
 しかし、私はこういうお話に慣れていないので、単語が分解できても、文章までオッつかない悲しさよ。
 でも、一生懸命聞いていれば、そのうちわかってくるのではないかと思って、一生懸命聞いていると、今度は山形氏が日本語で訳してくれるので、頭を日本語モードに切り替えると、また英語になり・・・・

 どっちかに集中すれば、ちゅうか、最初から英語は諦めて日本語だけ聴いてればよかったんだけど、意地っ張りだから両方聴いてやろうと意気込んでしまい、結局両方ともわけわからなくなってしまった。
 しかも、踊り場だから寒い。地下2階からゆっくりと上がってくる冷気が私の下半身を直撃してしまいました。頭も寒いし、足も寒くて、すっかり凍えていました。

 しょーがないから、「ああ、レッシグ先生は手がきれいだわ」とか「やっぱ、あの生おでこが近くで拝見できただけで幸せ」とか「思ってたより髪の毛の色が濃い」「舞台演出家みたいな服の趣味」という、どうでもいいことに意識が舞ってしまいました。
 その後、サイン会だったのですが、なにか話し掛けようと思っても頭凍ってて何も思い浮かばす、しょうがないから「犬並み英語力保持者の最終兵器」である、「とにかく目を見てニッコリ微笑む」作戦に出たら、ちゃんとニッコリと握手していただけました。サンタクロースの若いころのようなしっとりとした優しい手でした。(ってサンタさんと握手したことあるのか?)

 あとで「おでこに触ってこなかったの?」といわれたが、そんな余裕なかったわい。

 つーわけで、またその後、飲み会に行って、終電帰宅。ほんとうに寒い一日であったが、三茶に着くと雨がみぞれになっていた。こりゃ、雪になるかも、と思った。
12月7日(土)

 稲本ギャル3号である、たにせさん制作の「飛ぶ劇場」の舞台を観に池袋。
 去年の2月にも東京公演があって、観にいったのだが、あれからもう2年近く経っているのだな。
 そのときの演目である「ジ・エンド・オブ・エイジア」がかなり面白かったので、今回もけっこう期待してました。
 前のときにも思ったんだけど、セットがいいんですよね。幕が無いので、客席に座って開演まで、ボンヤリとセットを眺めていたのですが、チラシを真面目に読んでなかったので、どういうあらすじだかチェックしていなかったので「いったいこの部屋はなんだろう?」と考えていました。
 古びた建物の一部屋がセットなのですが、どうやら廊下もあるみたいだし、部屋には続き部屋があるみたいで、そこには「編集室」と書いてある。そして、部屋には簡単な椅子とテーブルを囲むように、びっしりとガラクタが置いてあるのです。そのガラクタが支離滅裂で、車のバンパーが置いてあるかと思えば、ドラッグストアに置いてあるような高さ50センチくらいある「雪肌精」の瓶の模型や、ミロのビーナスのデッサン用彫塑には「クビレ」とか書いてあるし、「なんじゃこりゃ?」と思っていたのですが、舞台が始まってわかりました。「大学の映画研究会」の部室だったのです。

 私も高校、大学とずっと「部室」に巣くってましたので、あの寄せ集めの雰囲気は懐かしく思いました。
 そんで、舞台の途中で時々廊下を「セクトな人々」らしいのが通るので、それもなんか懐かしかった。うちの大学も学生運動の残党が部室棟を仕切っていて、ヘルメットかぶった人たちとすれ違ったもんな。文化祭のときには最上階だけバリケード張ってたしな。なんのためなのかよくかわらなかったのですが、「あれが、あのサークル(?)の発表なんだろう」と勝手に解釈してました。机を組み合わせたバリケードの向こうはどうなっているのかな、と覗き込むと、真面目な顔して番しているお兄さんに叱られたけど。

 と、舞台設定はなかなか親近感が沸きましたが、お話は夏目漱石の「こころ」を題材にしたという「ドロドロ恋愛もの」で、もちろん笑いの部分も多かったのですが、けっこうエグい結末というか、殺したり自殺したりという世界に突入してましたけど、だからと行ってシリアスものかっていうと違うような気もするし、私は特に彼氏の浮気に悩む女子学生がはまってしまった信仰宗教の人たちのやりとりが一番笑えたかな。

 最近はあまり演劇を観なくなってしまったのですが、でもこの劇団はテーマにそれほど入れ込まないというか、なんか醒めたところがあって、わざとユルくしているようなかんじもあるし、だからと言ってユルいわけでもないし・・・・って何を言いたいのかわかりませんが、また他の作品も観たくなる劇団です。もっと東京公演やってくれればいいのにな。
 ついでに、劇中で企画として出てくる「宇宙植物ラフレシアン」というクレイアニメも上映してほしかった(笑)

 芝居が引けたあとも外に出ると冷たい雨が降っていたのですが、そのまま他のお客さんと飲みに行っちゃって結局、5時半くらいから10時くらいまで飲んでた。
 家に帰ったら11時。どうしようかな、と思ったが、一応かみちゃんに電話してみると「雨降ってるから、どうしよっかなあ」
 今夜、イエローでガルニエが回すので「行こうよ」と誘われていたのである。ガルニエは絶対に観たかったが、土曜日は芝居観にいくし、日曜も午後から用事があったので「ちょっとキツい」と言っていたのであるが、「来週水曜日に元ケイヴでも回す」と聞いて木曜に休みをとってそっちに行こうと思ってたら、木曜日の総務部は研修だの医者に行くのなんだので休みや終日外出の人が多くてどうしても休めず、「う〜〜〜ん、土曜の夜、気が向いたら」と言っていたのだ。
 イエローだったらタクシーで行ってもよかったので、かみちゃんは行きそうにもなかったが、「2時間くらいで帰ってくればいいや」と思って、1時までウダウダしてからタクシーで西麻布まで馳せ参じてみた。ここんとこ、全然遊んでなかったので、今週末はハジけてやれと半ばヤケっぱちの行動である。

 イエローに着いて、一階の入り口のドアを開けたらびっくり。1時半だというのに、まだ行列している。エントランスは地下1階なのだが、下を覗いてみるとそこも人でびっしり。少なく見積もっても100人は並んでいた。しばらく並んで列の進み具合を確かめようとしたが、次から次へと人が入ってきて、表に出ないように店員に押し込められている状態だった。
 ちょっと悩んだが、この行列を考えると中はまたガス室より酷い状態に違いない。ガルニエがイエローでプレイして、ガス室じゃなかったことは一度も無いのだが、今日は天気悪いので少しは緩和されると読んで無理してやってきたのだが・・・・・・

 それに入場するのに1時間くらいかかりそうだし、そうなるともう2時過ぎてしまうし、「サクっと帰ろう」と思って行ったので、あまり疲れるようなこともしなくなかったので、諦めてまた外に出て、タクシー拾って帰った。往復のタクシー代が約5000円。金をドブに捨てるとはまさにこういうこと。ムシャクシャしたので、帰りのタクシーでは「釣りはいらない」と言って150円くらい多く払ってやったわさ。運転手さんは大変喜んでいた。(と、思う。「え?あ?ありがとうございまっす」と言う声がうわずってたもん。まあね、ブスっとして乗っていた私が急にそんなこと言ったからビックリしたんだと思う。)

 ところで、腹たちついでにもう一つ、かみちゃんが「リッチーが年末に来るみたい」と言っていたので、「どこでやるのかなあ」と思っていたのだが、なんと渋谷のWOMB(ウームと読むらしい)、また狭いじゃないかよー。しかも、スベン・バースが対バン?それは、金を払って地獄詣で(大晦日だし)ということか?

 つーわけで、せっかくわたくしがご老体に鞭打って夜遊びしようとしているのに、場所の悪さに阻止されているようだ。「若者に来てもらいたい店は坂の上に作れ」というマーケティング理論だかなんかがあるようで、渋谷の公園通りなどはその典型例らしいが、「年寄りに来てもらいたくない」という場合は、年寄りが行きたがらないところに作ればいいらしいのだが、それと同じ理屈なのかもしれないと思うと、大変腹ただしいのである。 
12月6日(金)

●花の金曜日と無縁坂

 夕方になって、急に上司が「今日、総務部の忘年会やろうか?」と言い出した。
 同僚K(部長の物忘れが多くなった対策として「首からメモをぶら下げる」という案を提案している人)がすかさず、「ええ?今日?急に?なんで?」と言うので、O部長が「いや、なんとなく・・・・今日、暇だし、金曜日だし・・・・皆の予定が開いてればの話だけど・・・・で?Kはどう?」

K「・・・・・・大丈夫だけど・・・・・」
O「ほらな?」
K「でも、他の人は?金曜日だし」
O「みやのさんは?」
私「・・・・・・特に予定はありません・・・・・」
O「Tは?」

 私の直属の後輩である、Tさんは社長の電話を取り次ごうと立ち上がったところを呼び止められて「はあ、大丈夫ですけど・・・・あ!」

 なにか急に予定を思い出したのかと思いきや、「名前忘れた・・・・どうしよう・・・・」
 どこからかかってきた電話だったのか忘れてしまって困っていた。ありがちなことである。

 K課長に予定を聞くと、予想通りに「子供を風呂に入れないと」とはぐらかしたが、子供が産まれたばかりで、毎日いそいそと帰宅しているので、めったに夜の予定は入れない人であるから強制的にOK。
 あとは、そのとき階下のプリンタールームで年賀状の宛名印刷をしているMさんの予定がOKなら、「花の金曜日だというのに、急に忘年会開催が可能」ということになってしまった。
 いや、別に構わないのだが、しかし、私を頭に4人の独身女性(24歳〜36歳)が揃いも揃って「金曜日に予定無し」というのもちょっとなあ。
 K課長が「なんだ、誰も予定ないの?」と笑うので、「今日はたまたまなんですっ!」と反論した。

 結局、しばらくして、Mさんが戻ってきて「今日はダメ〜」と言ったので、なんとなくホっとしたのであった。
 しかし、6時すぎに社長がまた「そろそろ帰るぞ」(「飲みに行くぞ」の符丁)と言い出したので、すでに「予定無し」を表明してしまった私とKさんとTさんが連行されてしばいました。
 で、結局、2次会のホテルのバーまで行ってそこで他部署の部長たちと合流して「山崎」をしこたま飲み、タクシーで帰らせてもらった。

 最近、毎週金曜日は社長と飲んでいるような気がするのだが、おかげで「ホワイトハウス」をしばらく観てない。
12月5日(木)

 目覚ましで起きたはずだが、気が付いたらもう9時だった。いつもだと家を出ている時間。
 そのまま寝ていたかったので「休んじゃおうかな。有給いっぱいあるし」と思ったのだが、でも、今日休むと来週がきついし・・・と未来の自分の身を案じて渋々出勤。11時半になってしまった。たまにはダレたっていいだろう。そもそも、今週は日曜日から外で10時間労働というスタートだったのだ。今日あたりが一番きつい。

 精神的にも肉体的にも疲労が溜まっていたので「こういうときは、これがある」と、香港みやげの「亀ゼリー」を会社に持って行って、午後にまず3分の1食べてみる。30分くらいしたら、なんとなく体が軽くなって、少し仕事ができるようになったので、夕方またチャージして、なんとか頑張った。亀ゼリーはやっぱり「くたびれきったOL」には効くらしい。

 ところで、会社でくたばれきっている最中に、bk1から新刊案内のメールが来て、よくアマゾンからも来る「客が買った本のジャンルのお勧め新刊をお知らせメール」らしくて、たしかにアマゾンで洋書の「シャーロットのおくりもの」を買って以降、お勧め英語児童書の案内がよく送られてくるのであるが、bk1からのメールはそのタイトルが「巨象も踊る」だったので、いきなり「子象の行進」が頭の中に鳴り響き「え?なんでbk1は私が象マニアだってことに気がついたの?なんか象の本買ったっけ?買ったか・・・・でも「象の耳はなぜ大きい」を買った人が象好きとも限らないだろう」と思っていたら・・・・

 『巨象も踊る』

 な−んだ。がっかり。巨大な象がダンスしている映像を練り上げてうっとりしていたのにさ。でも、おかげで一瞬だけ血圧が上昇したので、亀ゼリーの効果もあがったのかもね。  
12月4日(水)

 税理士と打ち合わせして、書類を渡して、とりあえず一段落。
 さーて!これで、後は税理士がチェックして修正したりするだけだ!あと、いろいろ質疑応答はあるだろうけど、それはそんなに大変ではないわけだし、ああ、やっと残業から開放される・・・・
 と、思ったが、甘かった。これも例年のことだが、決算業務に集中していたために、通常業務が滞っているのである。
 でも、絶対に今週末は休みたいので、がんばって通常業務のスケジュールに追いつかなければならない。

 あーもー、生真面目な自分が憎らしいが、しょうがないので、せっせとやっていたのだが、やっぱ8時までかかってしまった。
 家に帰っても気合が乗らず、「そうだ、久々にMちゃんに電話してカツ入れてもらおう」と思って電話したら「ちょうどよかったよ。昨日はシンガポールから朝帰ってきて、夜はトヨタカップに行ってたから」・・・・・・・ああ、そう。いいわね。
 無職の友人の優雅な日々の話を拝聴したが、その中でも最も面白い話は「成田空港でクリントン元大統領と遭遇」であった。握手もしたそうだ。ちょうど、ディカプリオのお迎え集団もいたのだが、彼女たちもクリントンを見て「キャー!」と黄色い歓声を上げていたそうだ。「やっぱ、さすがアメリカの大統領だと思ったよ。誰でも顔を知ってるんだよね」

 などなど、またいろいろ喋っていたら、3時になってしまった。
12月3日(火)

 税理士に渡す書類や帳簿の整理。
 もう不要な書類はシュレッダーをかけるのだが、ドカドカと書類をつっこんでいると、静電気で紙吹雪がカッター部分にまとわりついてしまい、それをいちいち取り除くのが面倒になったので、「こうなったら、決算業務のストレスをこいつらにブツけてやる!」とばかりに、バリバリと手で引き裂いて分断した。
 上司はどんな書類でも絶対にシュレッダーにかける人なので、上司が目の前にいるときには出来ない所業である。
 まあ、でも、いちおう、引き裂いたあとに、給湯室の生ゴミ箱(コーヒー殻とか、タバコの吸殻、お茶がらがぶち込まれている)に入れてかき混ぜておきましたけど。

 そんなことやってたので、夕方には肩や背中がバリバリになり、家に帰ってもグッタリしてしまい、早く寝てしまった。 
12月2日(月)

 昨晩はアルプス一磐石な(発音するとけっこういけるけど文字だとイマイチ)体制で寝ようと準備していて、最後の仕上げにビールでプハーっとやっていたときに電話が鳴った。B君だった。(なんか、「プロジェクトX」みたい)
 また離婚話の続編を聞かされたのだが、私も疲れていて不機嫌だったので、ビシバシと言いたいことを言ってしまったら、「あんたなんか結婚してないだろ?結婚してから言ってほしいよ」と反論されて、「だったら結婚してる人に話せばいいじゃん!」と反発しているうちに泥沼にはまり、結局12時過ぎまで話し込んでしまった。

 なんか命を削ってしまったような気がする。
 私はただ、トクホンの匂いに包まれて優雅に睡眠したかっただけなのに。
 まあでも、私にそんな話する人もする人だが、それをしっかり打ち返してしまう私も私である。
 いつも反省するのだが、眠たいのならガチャンと電話を切ってしまえばいいのに、それができないから苦労するのである。
 しかも、そういう愚痴をこういうところに書き殴ってしまうのもなあ・・・・

 というわけで、10時間労働に加えて重たい話の長電話によって、今日はボロボロだった。
 でも、今日のお仕事は「帳票出力」だったので、それをちんたらとやっていた。別に大した仕事ではないのだが、プリンターがガシャンガシャンと派手に音を鳴らしてくれるし、用紙の補給などで歩き回っていたので、頭死んでる状態の私にはちょうどよかった。周囲の人たちは「今日もなんか大変そうだね」と言ってくれたので、それなりに仕事しているように見えたのだろう。

 しかし、出力が済んでしまい、「さて、じゃあいつもの仕事するか」と取り掛かってみたが、全然頭が働かないのでボンヤリしてたら夕方4時くらいに地獄の底に引っ張られるような強烈な眠気が襲ってきた。

 眠い
 眠い
 眠い
 宝くじが当たらなくてもいいから
 いつか王子様が迎えに来なくてもいいから
 世界が平和じゃなくてもいいから
 明日、この世界が滅びてもいいから
 だから
 だから
 今この瞬間に布団に入って熟睡してそのまま永遠の眠りについてもいいから
 だから
 お願いだから
 私を寝かせてくれ

 でも定時まで頑張って椅子に座っていました。大人です。

 しかし、自分で勝手に「このまま永遠に眠りたい」などと考えてしまったので、「待てよ、その前にやりたいことがあったじゃないか」と一念発起して、帰りに食材を買って参りました。やっと念願の料理ができると思った瞬間、眠気も覚めたさ。

 で、それほどまでの想いが込められている料理とは何かというと、



 ただのトマトスープではありません。ミネストローネです。それも「鍋で暖めるだけ」のインスタント・スープだ。
 ほんとはスープもちゃんと作りたかったのだが、そこまでやる気力はありませんでした。

 で、「鍋で暖めるインスタント・スープ」が私の「最後の晩餐」か?
 というと、これが違うんですね。ふぉふぉふぉ

 具に一工夫あるんですよ。


 この写真では小さくてよくわからないと思いますので、拡大画像はこちら

12月1日(日)

 ぶはー
 やっぱ、7時集合、5時解散の立ち仕事は疲れる。
 雨だったし寒かった。
 背中も腰も肩もガチガチ。
 脳みそもガチガチで、半年間冷蔵庫に放置しておいた梅干みたいになっている。
 帰宅したら速攻で銭湯に行き、熱い湯につかって筋肉の緊張をほぐし、家に帰ると、体中にトクホンを貼った。40枚入りの箱を買ったのだが、半分つかってしまった。風呂上りにトクホンを貼っておくと、翌日の筋肉疲労が違うということをクラブ遊びで習得したのである。
 今月はもう一回この仕事があるのだが、次回はもっとラクな会場に割り振って欲しいと切に願う。ラクなところだと、午後2時前には開放されるのだ。
表紙に戻る / 過去の日記を読む