可燃物な日々

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11月30日(土)

 飲みすぎのせいで、朝8時に目が覚めてしまい、起き上がって水分補給したり放出したりしてから、また10時に同じことを繰り返して、だんだんと体が浄化されたようで、11時過ぎにはぐっすりと気持ち良く眠れたのだが・・・・この時間に熟睡できてもさー
 結局、なんとか1時には起き上がり、洗濯機を回しながらまたうつらうつらして、2時には洗濯を干してパソコンに向かいながら、昨日の飲み会で上司に『みやのさんって何かが違うというか・・・いや、悪い意味ではなくて、いい意味で、なんか違うんですよ。なんか不思議ってゆーか・・・』などと言われたけど、なんでそんな話になったのだろう?と考えていたのだが、全然思い出せず。なんでそんな「あなたは宇宙人でしょう?」みたいなことを言われたのだろうか?

 今日はS君と夕飯を食べながら、S君が香港に行ったときに、きょうみさんから渡された私へのお土産の受け渡し。
 待望の亀ゼリー他、いろいろ頂いた。ありがとう。
 S君が香港で買った東京のガイドブックを眺めていたら、どうやら広東語ではホテルのことを「酒店」と言うらしい。北京語だと「飯店」なので、微妙に違うな。

 さて、他にもいろいろ書きたいこと、やりたいことがあるのだが(やっとネット通販で買った品物が届いたし)、明日はまたイベントの仕事で5時起床で7時集合なのだ。
 外に立つ仕事だから、お天気が気になるが、雨の予報なんだよなー。まだ決算業務が終了してないので、風邪ひかないようにしないとな。とりあえず、「貼るカイロ」は買った。必需品。
   つーわけで、今日は早寝。

 あ、本屋に寄るのを忘れた。あ、チケット買うのも忘れた。明日はできるかな?(多分、仕事終了後はくたびれきって何もできないと思うが)
11月29日(金)

 雑誌「Voice」はどうやら文藝春秋とかのある棚にあるような雑誌らしい。(沢山のご指摘ありがとうございました)
 よって、TSUTAYAでそれを探したこと自体が間違っていたことが判明しました。あそこは、ビデオ・CD・ゲームソフトなどに混じって「売れ筋の雑誌や書籍」が並んでいるところなので、若者受けしないようなもんは置いてないはずです。

 今日はいよいよ決算業務の最終段階。上司が各科目の明細と元帳を最終チェックして、まだ合っていないところを訂正したりしていたが、私はすでに11月の伝票入力にとりかかっていた。
 しかし、月末ゆえに、急な振込み依頼とか現金の出金があいつぎ、午前中からドタバタしてしまい、昼にお弁当を食べようと思ったら、味噌汁をキーボードの上にこぼしてしまった。慌てて処理するが、やはりお亡くなりになってしまい、渋々システム部に行ったら、ちょうど私のお気に入りの若手君がいたので、
 「すいません、キーボードが死にました」
 と言うと、「再起動してもダメですか?」と言うので、「いや・・・・実は味噌汁ぶっかけました」「ハハハ!そーゆーこと!」と彼はすぐに代わりのキーボードを持って来てくれた。Y君はいつも爽やかに対処してくれるので助かります。(人によっては、面倒くさそうにしたり、嫌味のひとつも言ってくれたりするのだが)

 今日は6時には仕事も終了。あとは、来週に帳票をどわわわわっと出力して、税理士に書類をまとめて渡すだけとなった。
 そしたら社長が「やっと終わったのか、じゃあ、お祝いするか」と言って来たので、7人くらいでまた社長の馴染みの寿司屋に行ったのだが、なんかやっぱ疲れていたのか酒の回りが早かった。
 なかなか飲み会がお開きにならなかったので、先に退散して電車で帰ったのだが、東横線で渋谷についたときには寝入っていたようで、誰か親切な人が背中をポンと叩いて起こしてくれた。ありがとー    
11月28日(木)

●「V」な一日(ピンチョンとは全く何の関係もございません)

 だから、山を越えたとはいえ、まだまだ忙しいのであるが、今日は上司が「ボクがやる分は、ほぼ終わったんだけど、あとなんかある?」と聞いてきたので「売掛金残が合いましぇん」と言って、その数字を見せると「うーん、これは許容範囲を超えてるなあ。もうひと頑張りして原因究明してください」と言うので、しぇええええっとまた昨日に引き続き原因救急究明病棟ERな状態に突入。

 しょーがないから、蟻の巣を穿り返して蟻さんの数を数えるような、気の遠くなるような作業を繰り返していくうちに、異分子を何件か発見。しかし、それは、売上を集計している上司のミスであった。「値引き」を計算してない月が5ヶ月くらいあったのだ。あとは「返品」も抜けていた。
 それがわかるまで3時間くらい画面見つめっぱなしだった。

 その後また、売上計上の修正をして、最後の最後で合わない数字も「決算修正」の大義名分の元にざっくりと直して修正完了。フーっと一息ついていたら、上司が、「あのさあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と話しかけてきたので、なに?まだなんかあるの?と身構えたら、

 「メールを返信するときにさ、アールイーって出るじゃん。あれって何の意味だっけ?」

 あーるいー?
 RE
 ああ、「Re:」のことか・・・・

私 「えっと・・・・リプライのことでは?」
上司「あ、そっか。ありがと」

 横でそのやり取りを傍聴していた同僚が「Oさん、大丈夫?ボケてきたんじゃない?」と笑っていたので、

私 「あの、えっと、FWはなんだかわかってます?」
上司「それはわかるよ。フォワードでしょ?」
私 「よかった。まだボケてないようでした(笑)」

 などと話していて、いきなり思い出した。去年もこんなやり取りをちょうど同じような時期にしたのだ。
 笑いそうになって、上司にその「V事件」のことを話すと、
 「ああ、そうだったっけ?そういえば、そんなこと言ったような・・・この時期はいつもそうなんだよ、季節の変わり目というか・・・」
 と、ブツブツ言っているので「決算だし、(いつも12月第一週目にある)某イベントのことで、ボロボロですもんね」と、さりげなくフォローしてあげたつもりだったが・・・・

 「あれ?で、ヴってどうやって出すんだっけ?」

 また同僚がバカ受けし、後輩も笑いをこらえながら「Vですよね?」と言うので、「ああ、そうだった思い出した」
 ほんとに愛すべきO部長である。どうやら「ヴ」を入力することが本当に滅多にないらしい。
 そういう私も、考えてみれば仕事で「ヴ」を入力するのって、借上げ社宅の「ヴィルヌーブ○○」くらいだけどさ。考えてみれば、「セブン・スター」だし、「バカンス」だし、「バリュー」だし、「ヴ」ってそんなに使わないよな、フツー。

 そんなわけで、O部長の天然ボケで和やかに時間はすぎ、今日は久々に7時前に退社。
 三茶でブラブラと冬服を物色した後(見ただけ)、「そうだ、本屋も久々に寄ろう」と、キャロットタワーのTSUTAYAに寄ってみた。CDも視聴してみたさ。ファットボーイ先生のライブ盤が出てた。リンダルイスをサンプリングした冒頭からイケイケ。ほんとにゲイ・テイスト満載だったが、今の私には眩しすぎるので保留。

 で、「そうだ、雑誌を探さないといけないんだ」と思い出し、「えっとなんて名前の雑誌だったっけ?」
 最近は滅多に雑誌を買わないので、雑誌名についていけないのである。ついていけないと言えば、モー娘も「ゴマキ」と「カゴちゃん」しかわからんし、年ねー。
 えーと、で、なんて雑誌なんだっけ?
 そうだ、たしか「Voice」という雑誌だ。それに山形さんのインタビューが載っているそうなのでチェック(立ち読み)しないとな。最近はそういう情報があっても、なかなか本屋に立ち寄らないので、週刊誌などはもう次の号になってたりしたのだ。今日という善き日(残業で疲れきってない)に思い出したので、これはぜひとも探さないと・・・・

 しかし、ほんとに雑誌に疎くなっているので、いったいその雑誌がどのジャンルかなのがわからない。でも、どっかで見たことあるような、無いような・・・・
 しらみつぶしにウロウロするが発見できず。頭の中で「Vo」「Vo」と探していたら、「あ、これだ!」というのを発見。
 思わず手にとるが、この雑誌見覚えがある。前にきょうみさんが南の島に旅行するときに「免税店でさらに割引が効くから、化粧品買ってきてあげるよ」と言われたので、「よっし、最新の美容液でも買ってきてもらおうっと。で、何が最新なのか研究しなくちゃ」と超久々に買った女性誌というか「コスメ専門誌」である。私の天敵である「FRAU」(いつ立ち読みしてもムカツク)の姉妹誌らしい。
 目次をチェックしたが、どうやらこの「Voce」ではないらしい。そりゃそうだよな。

 うーん、たしか「V」がついた雑誌なのだが、「Vogue」でもないし「ヴァンサンカン」でもないし・・・・そうだよだから「Voice」なんだってさ。
 しかし、とうとう「Studio Voice」しか発見できなかった。
 店員に聞くのもなんだし。

 というわけで、上司の「V事件」を蒸し返した報いとして「Vのつく雑誌」をかたっぱしから漁るはめになってしまったようなのであった。
 全然関係ないが、学生時代の先輩で「ブランド音痴」として名高かったサホさんのことを思い出した。サホさんは「あの、VVVVVVっていうのは何?」と平然と質問して「こいつはヴァレンチノを知らない!」と尊敬された人物である。最近は「ヴァレンチノ」って何しているのか知らないが、あの当時はDCブランド全盛期でもあったのでモード系の人は「コム・デ・ギャルソン、ヨージ、ニコル」であったが、ルイ・ヴィトンなどはコンサバ女子大生などに大ブームを巻き起こした時期であった。あとはクレージュとかね。懐かしいなあ〜。プラダなんて誰も知らなかったあのころ・・・・グッチもマイナーだったな。ラルフ・ローレンとかがメジャーだったっけ?そしてなぜか皆「KENZO」のハンカチを一枚くらい所持していたような気がする。
 サホさんは、小柄で華奢で性格の明るい美人だったが、今でもその「ブランド音痴魂」を貫き通しているのであろうか?
11月27日(水)

 山を越えたとはいえ、今日も忙しかったのだが(売掛金の集計と元帳が合わず、じっと画面を見つめていただけだけど)、そんな疲れきった極東職業婦人の心をイロハ坂の紅葉のように(最近あそこは紅葉よりも、猿の襲撃のほうが名物らしいけど)染めてくれたニュース。
「ニコラス・ケイジがプレスリーの娘と4ヶ月スピード離婚」
 やった!

 これで野望に一歩近づいた。
 野望と言っても、私がパトリシア・アークウェット(あれ?こっちでよかったっけ?どっちが姉だか妹だか混乱)、プレスリー娘につづいて、ケイジ氏の三番目の妻にまんまと収まるということではない。
 数ヶ月前に、たぶんサマソニに行った後、Tさんと打ち上げしたときじゃないかなと思うのだが、Tさんと「ニコラス・ケイジがプレスリーの娘と結婚したね」という話をしたのだ。

私 「マイケル・ジャクソンのあとに、ニコラス・ケイジっつうのもなんとも・・・・」
T 「たぶん、あのプレスリーの娘って、マキコさん(田中真紀子)と同じで『自分の父親を尊敬する人しか受け付けない』タイプなんだろうね」
私 「ああ、そういうもんだろうね。そのキモチはなんとなくわかるが、それがはっきりわかるセレクトだもんね。偉大なる父を持つとそれだけコンプレックスも強いだろうなあ」
T 「マイケルの前のダンナも歌手だったし」
私 「このまま、その路線を突き進むと思うけど、じゃあ次は誰だろう?ビートルズのメンバーとか?もうあまり現存してないか(笑)」
T 「いや、それを言うなら、我らがモリッシーでしょう」
私 「ドワッハハハハ!それいい!それ、絶対にやってもらいたい!」
T 「でも、リサ・マリーはモリッシーのことなんて知らないだろうから、ちょっと無理かもねえ」
私 「うーん、でも、何回も離婚を繰り返せばそのうちに行き着くかもしれないぞ」

 つーわけで、このペースで年に一回くらい離婚と結婚を繰り返してもらえれば、私の野望も夢ではなくなるのかもしれない。
 がんばれ、モリッシー!プレスリーの義理の息子を目指すのだ!
 君の息子がプレスリーの孫になるんだよ!

 と、こんなところでこっそりと、けしかけておこう。

 で、結局また8時まで残業して頑張ったのだが、売掛金残が合わない原因は究明できず。キッパリ諦めた。

 ビッグバー度100%になったイチョウ並木は、とうとう落葉が始まって、金色の葉っぱがハラハラと風に舞う風景は、急の振込みでドタバタとオフィス用サンダルのままで走る我が身に染み入る美しさで、そんな時のイチョウ・シャワーはなんとなくルナティックな幻想というかなんというか、トンネル採掘現場で壁から小判が噴出してきたような感動を覚え、故岡本太郎氏の「芸術はバクハツだ」ポーズをして「たりらりら〜ん」と並木道を闊歩したいという衝動にとりつかれたが、「2時までに振込み」しなければならなかったので、ちゃんと銀行に行きましたとも。
11月26日(火)

 昨日は同僚がまとめてい業務のる売掛金の集計が終わらなかったので、早めに切り上げて帰ったのだが、同僚は昨日も10時過ぎまでそれをやっていて、「なんだか頭がこんがらがちゃったから諦めて帰ったの〜」だそうだが、今日の午前中にやっと「合ったーっ!」そうで、それを売掛と前受に分離してもらったらもう6時過ぎだった。
 私もなんとかそれを合わせてしまいたかったので、それから一緒に売上修正だなんだで、あれこれ作業して、2時間かかって「おお!ぴったり!これで気持ち良く帰れるね!」と大喜びして、それから売掛金の一覧を作り、やっと9時前には会社を出た。

 疲れていたけれど、これでやっと最後の山は超えた。あとは、それを表にまとめるだけである。やーれやれ。今年もなんとかなりました。
 お昼の後はなんにも食べてなかったので、さすがにお腹がすいたので、三茶に戻るとまた「長崎ちゃんぽん」を食べて帰るともう10時過ぎてたが、「ああ、なんかまた風呂につかりたい」と思って、帰るとそのまま銭湯に行く支度をしていたら、留守電が点滅しているのに気が付く。

 昨晩あたり、またB君から電話があるのではと、ちょっとビクビクしていたのだが、幸い電話はなかったので「今週の上京は無くなったのかな?」と思っていたのだが、彼のことだから今日になって突然「今から行く」と言い出すかもしれないので、その電話かも・・・・・どうしよう。
 でも、決算業務の目処がたった爽快感もあったので「逃げててもいかんな」と思い直し、留守電を再生。

 「今日も泊めてもらいたいなと思ったのですが・・・・先日のミヤノさんの助言を受け入れて、行かないことにしました」

 おお友よ!わかってくれたか!ありがとーよ!
 と正直ほんとに、ほっとしたので、「これで心おきなくお風呂に漬かれるわ」と意気揚揚と銭湯へ。
 一日中細かい作業で頭を使っていたので、血液が首から上に集まっているような心地がしたので、熱い湯船に漬かって血液を全身に巡らせるつもりでゆっくりと入っていた。20代の二人組みがいて「あー、キモチいいね」「うん、こんなんでいいんだよね」「400円で癒されるなんて安いね」と語り合っていたのが微笑ましかった。

 大好きな「熱いお風呂と水風呂を交互に入る」のを5回くらいやったら頭もすっきり。自律神経の安定に効果のある技だと信じているのである。(時間に余裕のあるときは、サウナ&水風呂もイケるけど)

 つーわけで、ちょっと人生上向いてきたかと思われる・・・ってゆーほど下向いてもなかったけどさ。

 亀ゼリーも無事日本に着いたみたいだ。きょうみさん&運び屋さん(たまたま香港に旅行した人)、ありがとー
11月25日(月)

 さすがに土日を通じて寝すぎたらしく、日曜の夜はなかなか寝付けなかった。
 それでも私なりに精神的に参っているので(他人から見れば大したことないのだろうけど)、布団の中でぼんやりと半覚醒状態を漂いながらも2時すぎくらいには眠れたようである。

 今日は2ヶ月に一度の通称「鍵当番」。セキュリティーの解除をしなくてはいけないので、8時40分には会社に着いたが、やはり誰かに先を越された。何度も書いているが、私はまだセキュリティーを解除したことがない。早く出勤して早く帰る社員が必ずいるのだ。(フレックス制だから)
 だから、いつも空しい鍵当番なのである。かと言って、自発的に8時ごろ出社している人に「毎日が鍵当番」を命ずるわけにもいかないのだが、でも、一番早くに出勤した人が解除すりゃあいいじゃんね?

 というわけで、寝不足でご機嫌ナナメだったが、土曜日は意地でも休んだため、得意先への請求書を今日中に送る仕事があるのだ。溜まっている請求明細を得意先別に仕訳するだけでも時間がかかったが、なんとか昼前には入力を終わらせ、食事したあとに最終チェックして、出力してハンコ押して完了。9時前から仕事しているから、なんだか捗っているように思える。
 午後からは、まだ完了してない決算業務をチマチマとやって、ちょこちょこと伝票を修正して、仮払いや仮受けなどをきれいにして、あとは売掛金の集計だけなんだが、これがちょっと複雑で、その業務の担当者がまだ手間取っているので今日は保留。

 手が空いたので、税理士が打ち合わせに来たときに確認する事項をまとめて、証拠書類(請求書や領収書)をコピーしてまとめてファイルして・・・・。
 今日はまた他部署の応援に駆り出されてしまった上司と明日また詰めないといけないな。

 フー、しかし、なんとなく終わりが見えてきたので、あとは売掛金の集計と最終調整してから12月になってすぐに税理士に丸投げするので、あとは税理士の質問に答えたり、修正伝票打つだけだ。税理士に沢山修正されると、またヘコむけどさー。

 と、またダラダラと業務日誌を「来年の自分のために」書いていたら、眠くなってきた。眠い眠い病に罹ってしまったらしい。
 ところで、土日にぼんやり観ていたなんかの番組で「不況でも元気な独身OL」というような取材をしていて、「エグいゼリーナ」じゃなくて(悪意による故意の間違い)「エグゼリーナ」とかが登場していたが、それほど稼いでなくてもパラサイトなシングルOLな方々の「クリスマスだし、頑張って働いている自分にご褒美」の平均価格は5万円くらいだそうだ。(ちなみに、彼氏などへのプレゼントの平均価格はその2分の1だそうだ)

 独身OLのキーワードはその「自分へのご褒美」だそうで、私もこんなにズタボロに働いている自分にご褒美をつかわすのは、まことに本望なのであるが、「はて、なにをご褒美にお出ししましょうか?」と自らに問い掛けてみても、ここんとこデパートにもレコード屋にも足を運んでいないが、そういえば火葬場には行ったな、というまさに浮世離れした生活を送っているために、「ご褒美」がこれと言って思いつかなかったのであるが、今日になって、
 「そーいや、祖父さんの見舞いに阻止されて、せっかく裏情報を得たのにレッシグ教授のサインを貰いに行けなかった」
という遺恨を思い出し、今日はまんまとサイン会の整理券をゲットした。当然のことながら、本も買ったのだが、3000円でおつりがきてしまった。

 頑張って働いている独身OLの皆さんの「自分へのご褒美」の平均価格を大きく下げてしまったのではないかと心配である。

 あ、そうだ。もう一つご褒美買ったんだ。読者の方(こう書くと「エっヘン」って感じ)からメールで心躍る素敵なパスタを紹介してもらったのだ。「これは買うだしょう!」と思いつつ、時間が経ってしまったのだが、今日やっと購入手続きしました。品切れじゃないネット輸入食材店を発見したので、そこで品切れでなければそのうち届くでしょう。届いたらお料理して写真撮りますね。ありがとうございました。
 ちなみにそっちは20袋入りで4000円くらいだった。(送料込み)そんなにあっても食べきれないから、上司や同僚に歳暮かわりに配ろうと思う。
 自分へのご褒美平均値への道は遠い。
 偏差値20ってかんじだ。
11月24日(日)

 昨日あんなに寝たのに、今日も目が覚めたら9時で、当然まだ寝たりなくて、11時半ごろやっと起床。
 ヨロヨロと起き上がって、洗濯に取り掛かる。洗濯機2回回した。
 他に何もやる気なし。ぼええええって感じだ。

 ぼえええええええ
 ぼえええええええ
 ぼえええええええ

 こんな状態なのに、先週は無事帰宅したB君からお礼の電話があり、そこでまたちょっと話をしたら、なんと彼は「調停中」らしい。「え?調停中って?」と思わず聞き返したら「知らない?離婚調停っつうのがあるんだよ」
 そんくらい知ってるよ。
 びっくりしたのは、「別居中」っていうことは聞いたけど、「離婚の申し立てされてる」なんて言わなかったじゃん!
 まあ、嫁さんの実家がB君のことを最初から気に入ってなかったので、駆け落ち同然のように結婚したらしいが、それで子供が生まれてみると、奥さんはちょっと守りに入ったようで、夢追い人のB君ともギクシャクしてしまったし、B君も「これが最後の勝負」だと思って奥さんを一旦実家に返した、という説明はされていて、その話も多分あっち側には違う物語になっているのだろうな、とは思っていたが、「調停」に入ったとなると・・・・

 前にも電話で私の友達の離婚訴訟の話しで大揉めしたことがあったのだが、そのときもB君は「離婚なんて女の我がまま。しかも、子供のいる夫婦は絶対に離婚すべきではない。子供のために辛抱できるはずだ」という持論を振りかざして、私の逆鱗に触れたのだが、B君もそのことを憶えていたらしく、私には言いにくかったようだけど、でもやはり「子供のためにも離婚すべきではないと思って逆に夫婦円満申請(?)出したら、向こうが申し立てを却下したんで調停がストップしている」とのこと。

 それって、向こうは「調停」をあきらめて、訴訟に持ち込もうとしているのでは?B君曰く「向こうも変な入れ知恵する奴がいるらしくて、弁護人とかたててきたよ」ということだが「入れ知恵」なくても弁護士くらい立てるでしょ。あたしだって、B君とちゃんと喋るのには苦労しているんだし、それが敵対関係だったら絶対弁護士つけるわよ(笑)

 現実的な私は、とっさにB君を宿泊させたことを心配した。相手は手段を選ばないだろう。それだけの金も権力もあるご家庭らしいし、B君に探偵つけるくらいやるだろう。
 そんなこともおかまいなしに、B君は「で、来週もまた東京に行くんだけど、泊めてもらえるかなあ?」と言ってきたので、
 「でも、調停中って聞いて、ちょっと心配になってきた」
 と、「東京妻」と疑われたらたまらんと言うと、
 「みやのさん、そういうのに巻き込まれない、ちゃんとした人じゃん?」

 誤解しては困る。私がそういうゴタゴタに巻き込まれないで済んできたのは「人徳」ではなくて、「危険防止能力」が人より強いので揉め事周辺には深くかかわらないように気をつけているのだ。
 そもそも、これは私がちゃんとしているかどうかの問題じゃなくて、あんたの問題でしょ?
 とりあえず、「まあ、じゃあ一泊くらいならしょうがないけど、私も忙しいんだし、とにかく巻き込まれるのはゴメンだから」と言って電話を切ったが、その後よくよく考えてみたら、私はB君の立場を心配しているのではなくて「とにかく絶対に離婚はしない」と言い張る彼に対して恐怖心が芽生えたのだ。

 友達の離婚問題でも、「とにかく離婚はしない」と言い張る人がとても恐ろしかった。
 もちろん彼らにもそれぞれ言い分があるのだろうけど、その言い分には相手に対する思いやりが感じられなくて、ただ自分の道義を押し通そうという強い意志だけが感じられて、その雰囲気が怖かったのだ。

 それに、そういう過去の事例から、離婚で揉めているカップルが異性に相談すると話しがややこしくなることもよく知っている。だから以前、私の男友達が女友達の離婚に口を出そうとしたときに(弁護士を紹介するとかなんとか)、必死で止めたのだ。

 さて、このことをB君にどうやって説明しよう。B君はまた「ミヤノさんはそうやってすぐ理屈でものを考える」とか言うだろうけど、これは「理屈」ではなく「生理的」に嫌なのだ。ああ、また怒鳴らないとわかってくれそうもないなあ。どうも私ってそういう感情部分を剥き出しにするのが苦手なようで、一生懸命「感情」を説明しようとすると、相手は「理屈」だと思うみたいで、最後は怒鳴り散らさないとわかってくれないのだ。
 でも、ここんとこくたびれてるから怒鳴る気力もないのよー。

 というわけで、大切な友達であるが、それとこれとは別だよなあ。と大いに悩んでブルーになっているところに、今度はしばらく音沙汰なかったF君からメールが来て「関内で働いているから、ランチがディナーでもどう?」
 ああ、この人はいつもとてもタイミングが悪い。
 私の男性不信が絶好調のときに・・・・・

 しかも、東京の友人たちにはいつも説教しているのだが、「新横浜」と「横浜」や「関内」や「桜木町」はけっこう離れているのである。しかも横浜は通り道ではないのだ。ランチでも、と言われてもよー。
 とにかく、とてもじゃないが英文で返事書くような気力がないので、「ああ、また無視するしかないのか・・・・ごめんね」と、ここで謝っておこう。だって「決算で忙しいのです」の「決算」って英語で何て言うのかわかんないしー(調べる気力も無し)

 それよりも、今は女友達とダベりたいのだが、「仕事が一段落したら愚痴聞いてね〜」と言って友達が「食事でも」と言ってきてくれたのを全部保留にしちょるのだよ。
 というわけで、いろいろとブルーなのだが、仕事はたぶん12月に入れば本当に一段落するはずなので、12月は思いっきり遊びたいと思う。

 などと、ウダウダ書いていたら電話が鳴った。KM君だった。どうも何度か電話していたのは彼らしい。
 すっかり男嫌いになっているが、KM君は中身は女の子なので許す(笑)
 ついでだから、ガーーーーーっとB君に対する愚痴を聞かせてしまった。

 長電話が終わってから、気を取り直して風呂に入った。昨日も一昨日もお風呂に入ってないし。前に友達がお土産にくれた温泉の元を入れて、じっくりと湯船につかり、ついでにガシガシと韓国垢すりタオルで体中こすった。
 風呂から出て、鏡を見ると、子供みたいにキョトンとしてツルンとした顔をしていた。
 笑いそうになる。
 こんなに頭の中がグチャグチャなのに、それがちっとも顔に出てない!
 どうして、あんたはそんな菩薩のように微笑んでいられんのかね?
 いや、垢すりで業を落としちゃったのかもしれないな。

 どっちにしろ、「まあ、あたしったら、やっぱ、ちょっとやそっとの奴じゃあないみたいね」と、深い自己満足を覚えたのであった。
 ご機嫌がかなり回復したので、(日記に書き殴ったのもよかったのかも。やっぱ役に立つわね)優雅にアロマポットでローズマリーの香りを燻らせながら、プリファブ・スプラウトのCDなんて聴いちゃうのだ。お手軽〜〜〜

 まあ、よく考えてみれば、私の今の問題は「決算業務をなんとか終了させる」ことだけであって、他のことはどうでもいいのだ。
 他人が手助けを求めているのなら、できるだけなんとかしてあげたいが「できないときは、できません」でいいのではないか?
 てゆーか、菩薩様だって別に一人一人を助けているわけではない。ただ見守っているだけだ。それは言い換えれば「ただ衆生を眺めているだけ」とも言える。
 そーいや、祖父の初七日(火葬が済んでからすぐに行うのが東京風だが、地方でも今はそうなっているのかな?)での坊さんの説法で、どうも浄土真宗はナムアミダブツで「阿弥陀如来」信仰らしいのだが、阿弥陀様のあの線は光だというのを聞いて、あらためて「ただ永遠に光っているだけなのか?」と思った。

 というわけで、この解釈でいいのかどうか知らんが、「いつでも菩薩スマイル&阿弥陀様のように『今の君はピカピカに光って』」を座右の銘にして、仏の道を邁進するしかないでしょーなー。

 と、よくわからんことを書いているのは、風呂あがりにビールを飲んでいるからだったりするところが、あまり「仏の道」ではないのだが、ふん、どうせわたしゃ人からよく「顔が菩薩系」と言われるのですよ。
 なので基本的には慈悲深いのだが、「でも結局、私には関係ないじゃん」と割り切るのも早いのだ。

 と、自分にいい聞かせて今週を乗り切ろう。

 そういえば、昨日はジャイアントコーンしか食べてなくて、今日はゼリー飲料とコーヒーとビールだけである。少しは痩せたかな。(煩悩が多すぎるぞ)
11月23日(土)

 電話が鳴って目が覚めた。電話は留守電応対させたが(土日の昼間はセールスが多いから)相手は切ってしまったので、「何時だ?」と時計を見ると12時半だった。10時間寝たらしい。でも、昨日の飲みすぎのために二日酔い気味。てゆーか、どうも疲労が一気に噴出したようで、もうダルさの極みである。

 また寝なおし、次に目が覚めたら2時半。「12時間も寝たわけだし、さて起きるかな」と思って立ち上がり、コーヒーを飲むが、やはりダルい。それに寒いのでまた布団が恋しくなって、モゾモゾとまた布団に戻る。そしたらまた眠くなった。
 「もう、こうなったら気が済むまで寝よう」
 と決意。

 5時前くらいにまた目が覚めるが、トイレに行ってからまた布団に直帰。眠気が覚める気配もなし、こんなに寝つづけられるのも久々だが、「疲れると沢山眠れる」というこの体質ゆえに「超健康体」を維持していると信じているので、欲望の赴くままに寝抜いてやろう。

 で、8時になったらさすがに寝飽きてきて、ぼんやりとテレビを見てた。NHKのドラマを見て(「精霊流し」も市川森一脚本だったが、「風の盆」というドラマも彼が脚本だった)、TBSでブロードキャスターを観て、なんだかまた眠たくなってきたので、12時前にはまた布団に入った。

 いったい何時間寝たんだろう?
 これこそまさに「充電期間」だな。

11月22日(金)

 決算業務も大詰め。上司の質問に答えたり(定額法と定率法の違いとか・・・・でも私の答えでは納得できなかったらしく、「ごめん、一応確認していい?」と言って税理士に電話してたけど)、それで減価償却にもいろいろ追加変更があったので、表をガシガシと直していたら、元帳と合わなくなってしまったので、「むううううう」と表と元帳を見比べて「おお、これだ」と訂正したら、夕方になってまた訂正が入ったりして、夕方過ぎにはすでに電池切れした頭を無理やり働かして頑張っていたのだが、7時半に社長が「ビール飲みに行くぞー」と言い出したころには、もう相当へばっていたので、仕事を強制終了して飲みに行ってしまった。

 結局「ビール」で済むはずもなく、日本酒バカスカ飲んでいたらすっかり酔っ払い、11時前くらいには店を出て、数人は二次会に行ったようだが、私はそのまま帰宅。「ホワイトハウス」に間に合わなかったが、さだまさしの自伝をドラマ化したらしい「精霊流し」の再放送を見て、その後「人間ドキュメント」で田中さんの姿をぼんやり見ていたら2時過ぎてしまったので、そのままバタンと寝た。
11月21日(木)

 疲れすぎでまた神経が高ぶってしまったのか、昨日は日記を書いてからすぐに寝たのに、怖い夢を見て(内容忘れたけど、猟奇殺人事件とかが頻発していたような)部屋に誰かが侵入してきたような感覚に怯えて何度も目が覚めてしまった。
 まあ、そんなかんじで、昨日は旧友の悪いことばかり書きなぐってしまったが、「いいところ」はちゃんと本人に言ったので、日記の記述は「それだけでは気がすまないのでバランスをとった」ということなわけです。(言い訳がましい)

 しかし、ある友人(フランス人と結婚した某A嬢)が「仕事はハードだし、家に帰ってもプライベートがないので疲れる」とこぼしていたが、たしかにB君とはそーゆー関係ではないにせよ、部屋に他人がずっといるのってやっぱ疲れる。
 昔はよく女友達が2泊くらいしていったもんだが、そんときは失業中だったりしたし、仕事しているときでも、女友達だとお互い好き勝手にゴロゴロしてればいいし、お喋りしてても気を使わないし、それどころか、ストレス発散になったりするものだが、友達とはいえ、男だと疲れるわー。
 まあ、それに、信用しているとはいえ、やはり気を抜くと襲ってくるんじゃないかと構えてしまうので、必要以上にツンケンしてしまうのだが・・・・・ああ、だからよく、男友達に「どうしてそんなにツンケンしてるんだ?」と説教されるのか(笑)

 まあ、いいや。うっかり結婚することになったら、夫にはぜひ愛人を30人ほど作ってもらって、毎日違う愛人宅に宿泊するという計画を持ちかけてみよう。小の月(30日しかない月)には夫に会わないときもあるという仕組み。そんくらいでいいや。そうすりゃ、年に11回くらいしか会わないわけだし、それって今だと「かなり仲の良い友達」くらいの頻度だと思う。昔はもっと会っていた友達でも、今じゃ数ヶ月会わないし電話もしないなんて普通だし。

 と、また持ち芸の「縁遠い発言」はおいといて、昨日はそれなりに寝られたので、今日はやっと頭が働いて決算業務も捗った。これで明日も頑張れば、土日は休めるかな。土曜日は出勤しようかとも思ったが、休めるものなら休みたい。いろいろドタバタしたので、ここらでキチっと休んだほうが、後々の効率がいいと思われる。
 休む休む休む休む絶対休むぞ、と自己洗脳しておこう。
 ワーカホリックはやはり性に合わない。
 でも、今日は思いがけず仕事が捗ったので「やっぱ私ってすごいじゃん!」と唸っておりました。

 有能なのは自慢なのだが、仕事に人生かける気もしないのであった。
 そういえば、B君にもそんな自慢話をしていたら、教育関係の仕事で一旗あげようとしている彼は、「どうしたら日本の教育をなんとかできるか」ということについて考えているらしく、「そうやって、自分に自信を持って生きているミヤノさんは、どういう育ち方や教育を受けたのか?」と根堀葉堀聞いてきたので、答えるのが面倒になって(語るほどのネタもない郊外のサラリーマン家庭育ち。高度成長期に毎晩深夜に帰宅する父親の泥酔状態を散々観察したのにもかかわらず、自分もしっかり酒飲みになったのでそれなりに父のことを尊敬しているにちがいない)

 「遺伝じゃない?」

 と答えておいた。

 さて、やはりくたびれているので、いつもは15日で日記のページを変えるのだが、そんな気力もないままに21日か。あと一週間は正念場なのである。
11月20日(水)

 日曜日の夜に友達と少し長電話してから、12時くらいに「もう寝る」とやっと電話を切って、寝支度してバタンと寝て「さあ、明日から仕事の山だ」と張り切って寝た甲斐があって、いつもより寝つきがよかったのだが、また電話が鳴った。
 なんだなんだ、親か?日曜日の深夜によー、でも長電話してたから繋がらなかったのか・・・・と思いながら電話をとったら、デカい声で「すまん!もう寝とったか?」
 三重のB君だった。
 はー、ちょっとそのテンションに付き合える状態じゃないわと思って、「うん、寝てた」ときっぱり言ったら、「悪い悪い。そんで、ちょっと申し訳ないんだけど、明日東京に出るから、泊めてもらえる?」

 ええと、今日も掃除しなかったので、部屋は散らかり放題だし、そもそも今月に入ってから一度も掃除してないような惨状である。体調的にもくたびれきっているし、仕事も忙しいし、はっきり言って大いに迷惑なお願いであったが、きっぱりお断りする気力もなく(突然のことで虚をつかれた)「まあ、いいけど、私、一昨日が祖父の葬式で疲れているし、今週は仕事も決算が佳境で忙しいんだけどさ」と一応言うだけ言ってみけど、「ベンチャー事業で一山当てたいと夢見る地方の青年」にそんな弱々しい自己主張が通用するわけもなく、「でさ、できたら2泊させてもらえるかな?」あー、もー好きにしてくれ、ってかんじで快く了承。いざというときには気が弱いな、あたしって。

 つーわけで、月曜日は残業もそこそこにして帰宅し、なんとか9時ちょっとに家に着き、着替える暇もなく掃除洗濯にとりかかる。ミポリンのドラマが終わるころにはなんとか掃除機をかけられるところまで行ったのだが、奴は「11時過ぎか、もっと遅くなるかも」と言っていたので「遅い分にはいいけど、あまり早く来ないでほしい」と言っておいたのに、10時前くらいに「今、渋谷だけど、何線に乗るんだっけ?」と電話してきたので「ぎゃああ、まだ洗濯干してないし、積んであった洗濯済みの洋服も片付けてない!」という状態で、よっぽど「井の頭線」とか大嘘をついてしまおうかと思ったのだが、そうもいかずに「田園都市線」と素直に教えてあげた。

 「ああ、私ったら、なんの因果でこんな目に」
 と嘆きながら洗濯物を片つけて、やっとコンビニで買ってきたおにぎりと味噌汁で遅い夕食を食べていたら、B君が到着。前に上京してきたときも一度泊めてあげたのだが、道を全然覚えてなかったみたいで、かなり迷ったらしい。山ほどビールとお菓子を買ってきてくれたが「こんな金あるんならカプセルホテルに泊まれよ」と言う言葉をぐっと飲み込む。

 「今やっとご飯食べてたとこ」と言うと、貧相な食卓を見て「え?いつもこんなもん食ってんの?ミヤノさん、前はちゃんと自炊してたじゃん」
 「あのね、今日は9時すぎにやっと帰ってきて、食事するよりも先に掃除してたのよ。それに最近は残業ばかりで夜は外食が多いの」
 「ああ、そうなんだ。」

 うーん、相変わらずマイペースな人である。なんだかイライラするが、まあしょうがない。そんで、しょうがないと思いながら、二人で缶ビールを飲みながら夜中の2時まで語り合っておりました。B君の話はいつも要点をえないので、というか本人が関心のあるところと他人が関心を持つところがずれているのだが、やっと1時間くらい話ししてたら奥さん&子供と別居中であることが判明。
 「いったいなんで?」
 そんでまた、その経緯を話すのにあっち行ったりこっち行ったりしながら1時間。無茶苦茶疲れた。

 火曜の朝、B君を叩き起こしてなんとか10時半には出社。眠くて仕事にならない。またスタミナドリンクでドーピングしてなんとかやりたかった仕事は片付けて、7時には退社。
 そうそう、昨日B君が来てから伯父から電話があり、祖母の介護計画の一環として、毎週日曜日に誰か手伝いに行くということになって当番を決めたのだが、伯父は「でも、日曜よりも土曜日のほうが出かけることが多いんだ」と言う。「お母さんに直接言いにくいことがあったら私に話してね」と言った手前、丁寧に拝聴したのだが、今日家に帰ると早速そのことを母に連絡して、また今週当番だった弟にも連絡。

 電話の合間にB君が到着して、今日は「あまり長い時間飲んでらんないから」と向こうもかなりくたびれている模様なのだが、「ビールでちんたら」ではなく「ウィスキーでガツンと」作戦になったらしく、ジャック・ダニエルとか買ってくるし・・・・だから、こんな金があるんなら・・・・

 しかし、酒を見るとついつい飲んでしまう悲しいサーガよ、でウィスキーをストレートでぐいぐい飲みながら、今日は主にB君のお仕事の話を拝聴したのだが、「オレはこの企画でぜったいに上場する」と意気込みは立派だが、なんでそんなに上場したいのか謎である。「ぜったいに26歳までに結婚する」と意気込んでいる若い女性みたい。だと思った。もう少し具体的に話してくれれば、その仕事の内容もわかるのだが、なにせ説明下手なので、
 「田舎ちゅうのは、思想を同じにした人間じゃないとすごく警戒するというか排除しようとして、要するに自民党を支持してないと話にならないわけよ」
 B君がどうも嫁さんの親族に盗聴器を仕掛けられたらしいというので「なんで?」と言ったらこういう説明。
 結局、「自民党」が悪いのなんのの話を聞かされたので、
 「ああ、要するにBちゃんはアカだと思われたわけだ」
 と言ったら「そうそう、そうなんだよ。あんたさすがに頭いいね」と褒められたが・・・・・「盗聴器」と言えば「アカ」に決まってるでしょうが。

 B君と話してて、辛くなるのは、彼の話の後ろには「この世にはオレを受け入れない人間がいて、それは大きな組織にくるまれている奴ら」という、やや電波系な香りがするのと、「この世には濡れ手に粟で成功した人間が沢山いる」というのを信じているあたりかな。で、ヤクザや自民党を批判しているけれども、実はそういう権力にあこがれているのだ。「金の亡者」は批判するけれど、自分は「金よりも社会的意義だ。自分の仕事がどう社会のためになるのかが第一だ」と言っても、だったらなんで「上場」とか「ストック・オプション」にこだわるのか、それをどこで自分なりにつじつま合わせているのかがよくわからない。
 そういう意味では最も話が合わないタイプなのだし、B君が私の本棚を見回して「あれ?ミヤノさん建築関係の本って読むの?」「まあ、一般教養程度には。けっこう好きだけど」と言うと、「じゃあ、今度来たときに○○建設の娘さん紹介するよ。50歳くらいのオバサンだけど、きっと話合うよ」
 ええと、老舗ゼネコンのお嬢様紹介してもらって、私は何をすればいいのでしょう?(苦笑)

 というわけで、火曜日の夜はウィスキーを5分の4空け(朝になってそれに気が付き唖然とした)、二人ともさすがに寝不足で11時くらいにはバタンと死んだように眠った。

 で、今朝も私はなかなか起きられなかったが、なんとか8時半には起きて自分の支度を済ませてからB君を起こしたが、向こうも疲れが溜まっているらしく、なかなか起き上がってくれなくて、やっと起きたら「背中が痛い」「だから、早く自分ちに帰って休んだほうがいいよ」と言ったが、今日は東京にいる従兄弟と会ってから夜行バスで帰る予定らしい。

 また、来週くらいに東京に出てくるらしいが、今度はちゃんとしたところに宿泊してほしいもんである。
 自分に余裕があるときだったら、ああいう話もたまには面白いのだが、自分のことで精一杯のときにはやっぱきつかったな。
 つーわけで、今日はやっと安眠できるのであった。

 B君は「やっぱ東京で暮らすなら、ルームメイトいたほうがいいな」と言っていたが、わたしゃゴメンです。「東京がどうのじゃなくて、あんたが寂しがり屋なだけじゃん。あたしはそうじゃないから10年以上一人暮らしなのよ」と言ってやったら黙ってました。
11月17日(日)

 目が覚めたら12時くらいだった。10時間はたっぷり寝たことになる。
 掃除洗濯でもしようと思っていたのだが、外の天気がどんよりしていたので、ヤル気がなくなる。
 パソコンを立ち上げて、デジカメ用のドライバをやっとインストールして、葬式の時に撮った写真を眺めてみた。他に写真を撮っていた人がいないので、これをプリントしたほうがいいのだろうか。でも、デジカメ画像をプリントしたことがないので、めんどくさい。それに、妹に「ちゃんとプリントできるサイズで撮影してる?」と聞かれてから、いつもの日記用サイズになっていることに気が付いて途中でサイズをあげたので、前半に写したものはパソコン上では問題ないが、プリントすると粗くなってしまうだろう。(弟の結婚式のときの写真がそうだった。プリントするつもりがなかったのだが、妹が自分の写真を焼いてくれというので、面倒だからフロッピーに落としてあげたのだが、やはりプリントしたら使い物にならなかったらしい)

 3時ごろに、また眠くなってきたので布団に入ってしまった。
 変な夢を見ながら、うつらうつらと気持ち良く眠り、気が付いたらもう7時近かった。
 なんだか、もっと寝ていたかったが、起き上がって風呂に入る。
 なんかもー、電池切れってかんじ。

 祖父さんの遺骨みたいに、真っ白になったような気分だが、明日からはまた、そこに無理やり血や肉をつけて、本格的に決算業務にとりかからないとな。

 それにしてもいくら寝ても眠いことよ。
11月16日(土)

 やっと葬儀終了。  昨日は通夜だったが、予想以上の弔問客で、受付は祖父の甥と印刷屋関係のオジさん2名の計3名を受付に立たせて、私と従姉妹のSちゃんが後ろで「香典袋集計係り」になり、私が「総務部OLの知恵」を就職浪人中のSちゃんに即効で叩き込んで香典袋開けさせて、私が弟から借りたノートPCで名前や住所や金額を打ち込んだのだが、マウスが無いので操作に慣れるのに手間取り、焼香が済んでからは「あの中(精進落としの会場)コワいよ。全員酔っ払い」と言って受付に逃げてきた弟に「あたしゃもう、目がシバシバしてるんだけど、手伝いたい?」と言って残り30件くらいの入力を任せ、「喉が渇いたから、ちょっと水分補給してくるわ」と中に入って、ビールを1杯だけ飲んで戻ると全部入力が済んでいて、オートサムでガっと集計して、「おお!ドンピシャ」で無事終了。

 もっと、弔問客少ないと思っていたので、予想していたよりも受付業務が忙しくて、遺族というより「手伝いスタッフ」として機能してしまったが、休む暇もなくエクセルに入力している合間に祭壇のお花を出してくれた親族や関係者が「お花代支払う」と言い出すので、それも集金していたりしていたので、祭壇のほうに行ったのは焼香するときだけだった。それも、親族用の前の方の焼香ではなくて、弔問客用の後ろの方で。でも、ずっと座ってお経聞いているのも退屈そうなので、受付のほうが居心地良かったのだが。

 やっと、お食事を食べられて、親類のおじさんたちの酔っ払いトークに付き合いながら、弟にお酌に来た人から、代わりに杯を受けたりしてた。9時過ぎに終了して、その後、うちの家族だけ後に残ってお茶飲んでいたが、10時には会館を出ないといけないので、そこに宿泊する弟だけ残して、両親は祖父母宅へ、妹も「明日起きるの面倒だから、麻布に泊まる」と言うので、私一人でタクシーで帰る。母が祖父のお金からタクシー代を出してくれると言うので、安めに「3000円」と言ったつもりだったが、まだ深夜料金になる前だったので、思っていたよりも安く、2200円くらいで着いてしまった。おつりは労働の対価としてありがたく受取っておこう。

 家に帰ったら、すぐに電話が鳴ったので「母かな?」と思って出たら、なんと元職場(六本木の番組制作会社)のプロデューサーからだった。酔っ払っているようで、「この間、電話番号の整理してたら、お前の電話番号が出てきたんで、まだそこにいるのかなあと思って電話してみたんだ」とのこと。「しばらく、ドタバタしてるけど、12月になったら落ち着くと思うんで、お食事でもしましょう」ということになった。なんか、こういうタイミングで久しぶりの人から電話があるというのもなんだかな。

 「ホワイトハウス」と見ながら、焼酎の梅干割を飲んで、12時には就寝した。

 今日は8時に起きて、支度して9時に家を出て、喫茶店でモーニングセットを食べ(午後2時くらいまで食事できないので、いつもは食べない朝食をかっこむ)10時に式場に到着。昨日から、また「アレ」になってしまい、今日はちょっと辛そうだったので、腰に使い捨てカイロを貼っておく。

 今日は、そんなに香典持ってくる人いないだろうと思っていたのだが、来られない人から預かったものなどを含め、30件弱あったのだが、式開始が11時で11時半には受付も片付けて、お金も合わせてから焼香して、叔父が立派な弔辞を読み上げるのを後ろのほうで立って拝聴し、その後は、出棺の準備で、祖父の亡骸とやっとご対面。

 顔を見たら、また泣けてきたが、同じくハンカチで目を拭いながらの妹が「でも、なんか顔色いいんだけど、なんか化粧してるのかな?」と言い出すので、またマジマジと見てみたが「でも、ファンデとか塗ったらわかるし、シミはそのまま残っているけど、でも確かになんか透明感あるよね」「でしょ?あんなにきれいなもん?」「ナチュラルメイクなのかな?」と涙流しながら笑ってしまったのだが、それを横で聞いていた弟が「じゃあ、葬儀屋さんに聞いてくる」と言って、ほんとに聞いてきて、「スッピンだって」「へー、やっぱそうなんだ」
 なにやっとんじゃ、うちの兄弟ってかんじだが、棺の中には母が用意した祖父の一番いい背広とシャツとネクタイに、帽子と靴とカバンと杖が入れられていて、それを見たらまた泣けてきたのであった。祖父はとてもオシャレさんだった。自分が身に付けるものは全部自分で買っていたし。

 話は飛ぶが、「棺に入れたいものがあったら持って来なさい」と言われても、私には特に思いつくものはなかったのだが、とっさに思いついたのは「おじいさん、鉢植えの花を育てるのが趣味だったから、お花かな・・・でも花は沢山いれてもらえるだろうし・・・・だったら金魚?」

 祖父の自作の池には巨大化した金魚が沢山いるので、あれを「副葬品」としたらどうだろう?と思ったのだが、それを妹に言ったら、「それじゃあ、生贄じゃん」「まあ、たしかに、そうだな。だったら、折り紙で金魚でも作ってやったらよかったかしら、ほら、ハニワみたいな雰囲気で」などと、こんなときにもバカなことを言わないと気がすまない姉に対して妹は、「でも、形見分けするんなら、私、あの金魚を何匹かもらって家で飼おうかなと思ったんだ」
 「でも、環境変わるとすぐに死んじゃいそうだよね、あっという間に・・・・そしたら、私が提案している金魚を副葬品案と結局同じことになっちゃうじゃん」
 「たしかに〜(笑)」

 そんなバカ話もしていたが、妹は祖母の車椅子を押したりしていたし、姉と従姉妹は受付でパソコンをカタカタ操り、親戚の老人たちに感心され、弟と従兄弟は二人とも身長180センチを越える長身で見栄えがいいので、「お孫さんもみんな立派で」と評判良かったらしい。

 告別式も終わって、出棺してからバス2台と車椅子の祖母のために呼んだ福祉キャブの計3台で桐ヶ谷斎場へ向かう。そこで遺体を焼くのである。前にも手伝いで行ったことがあるが、桐ヶ谷斎場っていうのは、巨大な葬儀場で、今日も外の出ている看板を見ると葬儀が6件あるらしい。
 バスを降りると喪服姿の人たちがあっちにゾロゾロ、こっちにゾロゾロで、「ああ、毎日こんなに大勢の人が死んでるんだ」と実感できる。なんだが、あそこにいるだけで、妙にハイになる不思議な空間である。雰囲気としては中野サンプラザの結婚式場みたいなのだ。礼服を着た人たちがすれ違うのは同じなのだが、違うのは「○○家」という表記が単独なことと(結婚式だと○○家 ○○家と併記されるのに)、花嫁花婿ではなくて遺影と位牌が先頭を切るということくらいかな。

 で、私は「焼き場」に入るのは生まれて初めてだったのだが、桐ヶ谷の焼き場がすごかった。
 写真撮影禁止なのが惜しかったが、(インドのバラナシでもそういえば死体焼き場は撮影禁止だったな、とか思い出してみたりした)、ガランと広い部屋の壁に、エレベーターのドアのように窯の入り口が8コくらい並んでいて、常に3家族くらいがそこに集合しているのである。斎場を使用する人以外にも、ここに「焼きに来るだけ」の人が沢山来るらしいのだ。

 ゴーーーーっと、燃える音がかすかに反響して、あっちでもこっちでも窯に入れる前に坊さんがお経を唱えているし、その後ろには喪服の人たちが「最後のお別れ」をしていたりして、なんだかとってもにぎやかで、「こ、ここは、ボーリング場か?」という、独特の雰囲気の空間であった。

 休憩室でしばらく待機。妹が「親族が悲しんでいる暇もないね」と言っていたが、たしかに、なにか巨大な組織の一部にとりこまれたような気になる空間である。
 1時間くらい雑談していたが、係りの人が呼びに来て、また同じところに戻る。先にお隣の窯から、ガラっと遺骨が出てきたのが見えて「うおぉお!ああなるんだ!」と感嘆。なにせ、初めて見るもんで、すっかりテンション上がる。
 うちの祖父のもすぐにガーっと出てきて、「おお、骨だ、骨だ」と喜ぶ(?)暇もなく、台車に乗せたまま、続きの間に引っ張っていき、そこで骨壷に納めるらしい。間違って違う家の骨拾わないように、ちゃんと我が家の「喪服ゾロゾロ」に着いていかないといけない。私でも頭混乱するのだから、葬儀屋さんも自分が仕切る家の人たちを正しく誘導するのに忙しい。頭の回転が遅くなった老人が多いわけだし、大変そうだなあ。

 焼き場担当の係りの人が、骨をササっと分けて、なにやらよさげなところを別に置いていたので、どうやらあの辺を後に入れたいのだろう。
 「それでは、二人づつ骨壷に納めてください」と言われて、「これが、例の二人箸ってやつか!」と初体験した骨拾い。真っ白くて大変きれいな骨であった。粉々になった骨を最後に係りの人が骨壷に納めると、骨壷はほぼ一杯になる。「あの、小柄なじいさんでこれじゃあ、もっと大きい人は納まり切らないじゃない?」と誰かが言ったので、「たしかに、Sちゃんなんかだと、あの倍はありそうだよね」などと話していたのだが、それから係員の説明が始まった。
 「骨がとてもたくさん残っていましたね」うちらは比較のしようがないが、どうも普通の老人より多かったらしい。それに形に残っている骨も多かったようで、係員が最初に取り分けた骨をみんなの前で丁寧に説明してくれて「これが喉仏の骨です。この形が仏様に似ています。合掌しているお姿です。ここまできれいに残っているというのも珍しいのですが・・・・。ここが頭蓋骨の横の骨。これが耳の穴です。こちらはすこしお形がくずれてますが、反対側の耳のところです」

 ほーーーー、こうして説明してくれるのか。みんなで覗き込みながら真剣に拝聴する。なんか理科の実験で先生に説明してもらってるみたい。この人たちは、一日に何回もこうして骨格の説明をしているのだろうなあ。なんか不思議な仕事だ。でも、ここまで来ると遺族たちも「ほーーー」とか「へーーー」とか神妙に拝聴するのみ。なんか骨見ても「これがさっきまでお祖父さんの亡骸だった」という実感が無い。

 そしてまたバタバタとバスに乗り込み、西麻布の斎場に戻って遺骨を前にして初七日の法要。ここで私は初めてちゃんとお経を拝聴する。長い。浄土真宗のお経は長いんだそうだ。
 そして、用意されたお弁当を食べて、3時半に終了。斎場では、もう今夜のお通夜の準備が始まっている。ああ、こうして毎日誰かが死んでいるんだ。葬儀の仕事をしている人にとっては、私にとっての「伝票入力」みたいなもんだろう。

 でも、若い葬儀屋さんは、きちんと進行してくれてとても感じが良かった。何回も言うが「プロねー」と感心。昨日は、母と葬儀屋さんが雑談していたのに割って入ったのだが、うちの遺族も「誰が葬儀委員長?」というかんじで、遺影や位牌を持つ人も決まってなくて、その都度手が空いている人が「え、わたし?」って感じて持っていたような状態だが、「他のご家族でも、もっと揉めているところもありますしね」と、言っていたが、ドタバタした雰囲気の中で、押し付けがましくなくスムーズに運営していく仕事って大変だよな。

 斎場から、ほとんどの親族や関係者はそのまま帰宅したが、祖父の新潟の甥たちが一旦家に寄るというので、タクシー4台に分乗して帰宅。しかし、狭い家だし、孫たちは居場所が無くなって、ずっと階下の伯父の仕事場で溜まっていた。
 客はなかなか帰る気配もなく、「なんか、コーヒー飲みたい」ということになり、「スタバに寄ってくればよかった」「あそこのドトールって土曜日やってたっけ?」「日曜はやってないけど、土曜の夕方までは開いていたような・・・」と話していたら、弟が「じゃあ、従姉妹の分だけ買ってこよう」と言うので、「じゃあ、下から出入りして上には内緒でここでみんなで飲もう」と買いに行かせたのだが、ちょうど甥兄弟の現存する長男たちが帰るところと鉢合わせして「あ、バレてしまった」と思う間もなく、新潟組に続いて帰ろうとしていた、群馬のおじさんが「ここに来る途中のタクシーに喪服置いて降りてしまった」ことに気がつき、慌ててタクシー会社に電話するが、領収書はとってあったのだが、どのタクシーだかわからず、かたっぱしから電話したりしてまたドタバタし、結局「出てきたら宅配便で送ります」ということで、おじさんには帰ってもらうことになった。

 「はあ、なんかいろいろあって大変ね」と思っていたら、そのおじさんが帰った直後にタクシーの運転手さんが「本部から連絡がありまして」と喪服を入れた衣装ケースを持ってきてくれた。父が応対したが、私が横から「ほら、チップ」と言って、千円出して「少ないけどタバコ代にでも」と渡してもらって、あとで葬儀費用を全部持っている母に清算してもらった。
 そして、すぐにコンビニに行って、宅配便で送る手配をしてから戻ると、なんだかまたゴタゴタ話している。

 叔父は葬儀は仕切ったが、これから仕事が忙しくなるので、もうこの後のことはやれないと宣言。そして、後は、祖父がいないあとに祖母の世話をどうするか、伯父が介護保険を使ってヘルパーさんは呼んでいるが、日曜日は食事介護の人が来なかったりするし、家を開けっ放しにするわけにもいかず、日曜日だけは誰かが来ないといけないので、とりあえず年内の「日曜当番」を決めたり、「遺産相続はどうなるんだ?」とか「公共料金の引き落としは祖父の預金口座からだったが、今度はそれを祖母の口座にしないと」などの事務的なことなど・・・・・・母と兄弟のコミュニケーションがとれていない状態で、それも全員が疲れきっている状態だし、「納骨の日取りは?」「墓地に連絡したり、石屋さんのスケジュールを確認したり・・・」「香典返しは?」と、まだまだやることいっぱいあるみたいだけど、なんだかみんなでワーワーと喋っていて疲れた。

 祖母のことは現在、複数のホームに申し込みをしているので、いずれはどこかに入れてもらうしかないが、それがいつになるのかわからない。今まではずっと祖父が世話していたが、伯父に同じことをやれというのも酷だし、伯父と母がまともに会話できる状態ではないので、ほんとなら母が頻繁に世話に行ってもいいのだが、伯父と衝突してしまうのでスムーズに行かないし、他の人は平日は仕事しているので手伝えないし、日曜日だってけっこう辛いのだが、とりあえずしばらくは「当番制」になり、まとまったのか、まとまらないのかわからないが、当面の事務手続きは母がやることになったので、叔父一家も帰宅し、妹も帰り、残った両親と私で軽い夕食を食べながら父とまたビールを飲んで私も「もー疲れたから、明日は爆睡する」と言って帰ってきた。

 帰り際に伯父にも挨拶して「まあ、仲良くやってよ」「やだね。オレはもう話し合いには参加しない」と言うのを「まあ、お母さんに直接言いにくいこともあるだろうから、そういうときは私に言ってよ」などとなだめてから帰った。みんなそれなりに年をとって頑固になってきたので、ほんとうに扱いにくくて困るわね。
 母とは喋りたくない伯父だが、私には「ミヤノにも迷惑かけて悪いな」とか言うので、まあ伝令役というか、ソフトに仲介役していくしかないな。まあ、どこの兄弟も年とるといろいろ確執が出てくるようで、なんか今まではできていた我慢というか辛抱ができなくなるらしいといのは、祖父の甥兄弟の様子を見ていてもわかってきたし、そんなもんなんだろうな。

 親類の現在の姿は、きっと自分の未来の姿なんだ、とありがたく観察させてもらうことにした。後学のために、きちんと参考にさせていただかないとね。(一応、前向きだが、あー面倒)
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