可燃物な日々

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11月15日(金)

 昼前に起きて、シャワー浴びて、頭乾かして、マニキュア塗って(ヌードカラーね)、喪服着たけど時間が余ってしまった。喪服のまま掃除をするのもなんだし、今夜は日記書けそうもないから、昼間から書いてますが、昨日書き忘れたことがあったので、心残りなので書いておく。

 ♪ blog blog blog blog ゲゲゲゲゲゲゲゲ ブロッ ブロッ ブロッ ♪

 とうわけで、昨晩この「ブロッグの唄」が頭の中でヘビーローテーション(ベビーローションではない)していたのでした。テーマソングが決まったので、私なりにblogに対する愛がちょっと芽生えました。

 もひとつ寝しなに考えたのは、「うぇぶの神」問題です。(「問題」なのか?)
 やはり、その神様は「蜘蛛」のお姿をしていたほうがいいでしょう。
 ちょうど、「千本の足を持つ土蜘蛛」が祭られている(?)ところがあるみたいなので、ここをご本尊にしたら流行るかもしれないな。全国から「自分のページを人気ページにしたい」とか「ネット販売の業績をあげたい」という人たちが押し寄せるかも。なんなら土蜘蛛の装束着て、巫女さんやってあげてもいいわよ。

 あ、そろそろ化粧もしなくちゃ。
 祖父の通夜に出かける前だというのに孫はいったいなにやってんでしょう。
11月14日(木)

 blogというものについて語るのが流行しているらしい。
 それが新しいダイエットフードとかだったら、私も興味を持つのだろうけど、どうもそれが何の役にたつのかさっぱりわからないし、とりあえず私が持って(?)なくても困らないものである、ということだけはわかったので「ふーん」と思っただけなのだが、昨晩も電話してきた人がネチネチとその話題を持ち出すので、思いっきり不機嫌になってしまい、しまいには「あたしが今、そんなことに興味を持てる精神状態じゃないってわかんないの?」と怒鳴りつけてしまったことよ。

 しかし、今日はわりと仕事もゆとりがあったので(今週はもう自分の仕事をする気力がない+ゴルフに行った人多数で人が少ない)、昼休みやお茶の時間(勝手に設定している休憩時間)に徘徊してみたら、あちこちでblogについて書いていることがわかり「ふーん」

 というわけで、一応、blogについて私も書いてみました。終わり。
 それに関しては全く何もわからないので、何の意見も無いのだが、みんな(って誰よ)がblog blog と書いているのを見て、ちょっと羨ましくなった。創生期だか黎明期だか知らないが、なにやら盛り上がっているようなので、「私のビッグバー度も、創生期ってことにしよーかなー」と思っただけである。

 いや、別に「ビッグバー度」じゃなくてもいいんですが、bとgがそろっているし(こじつけ)、八百万の神様の新参者として「うぇぶの神」もおわすだろうから、blogと3回書いたら、その3回目には必ず「ビッグバー度」も書かないといけないようにしてくださいと、お祈りしてみましょう。
 そうしたら、きっと連呼してもらえるので、数年後には「季語辞典」にいれてもらえるようになるかもしれない。
 でも「字余り」だ。どうしよう。

 話は戻るが、どうも「Web日記文化」云々みたいな記述もどこかで見たが、こいつは文化なんですかね?
 自分では書いているが、文化活動に加担しているという気はまったくなくて、じゃあ、別に公開しなくたっていいじゃん、と言われたら言い訳に困るが、まあ、なんというか、未亡人の老婦人が毎日決まったコースをお散歩するようなもんかな。「ああ、今日も同じ時間に、あのお祖母さん歩いているわ」と思われていると思っているので、一日でもサボると「死んだか?」と思われるんじゃないかと思って雨が降ってても意地でも散歩しているっていうようなもんかもしれない。

 でも、これって、そういう小さな自己アピールがあるのも否定しないが、書いているととても便利なのだ。うちの母が10年くらい前から「10年日記帖」にハマっていたのだが、あれは毎年同じ日に同じページに日記を書く仕組みなのだが、数年分並べると「風邪をひいた」という記述の日が全く同じ日になったりするそうだし、「ミヤノの誕生日には去年は一緒にご飯を食べたんだ」などと思い出し「他になんにも予定がないなら、ご飯でも食べに行く?」という妙齢の娘をどん底に突き落とすようなセリフは、10年日記の記述を元に形成されているらしい。

 で、私も3年ばかし書いていてわかったのだが、「去年の自分は何していたか」というのが微細にわたって書いてあると、いろいろと参考になるのである。特に去年の今ごろの決算業務の進行状態などを読み返すと大変参考になるのだ。たぶん、来年は「そうか、去年は祖父さんの入院でドタバタしたが、今年はそれがないからラクだな」と思えるだろう。(ちなみに去年の「黒猫の呪い」を読むと、「ああ、去年はアレで大変だったが、その後、派遣の人があの仕事をルーティンにしてうまくこなしてくれているので、今年はラクだったな」と思えるのである)

 というわけで、私の日記に関していえば、「世界に発信」しているわけではなく、「未来の自分に発信」しているわけです。
 だから、祖父の病状についてもなるべく詳しく書いたつもりだし、日常の些細なことでも書いておくと、後で自分がそれを読んで楽しかったりするわけです。
 書いておかないと、どんどん忘れちゃうしね。

 そういえば、今日は私の上司が「ほら、昨日確認しようとしたことなんだけど・・・」と言われて「最近物忘れが激しいから、すぐに忘れちゃうんだよ。なんだったけ?」と会話していたら、総務の同僚が「Oさん、忘れるんだったら、札に書いて首からぶら下げておく?」というから、上司O部長は、

 「やだよ、そんなの。うちの子に『お父さん、それなに?』って言われちゃうじゃないか!」
 と、笑いながら怒っていたが、私が、
 「それって、まるで住所とか書いてある札をぶら下げている徘徊ボケ老人じゃないですか〜〜〜」
 と言ったら、
 「じゃあ、それぶら下げて、外を歩いてやる」
 「それは、やめてください!」
 「な、恥ずかしいだろう」
 「てゆーか、ぶら下げてる札が多すぎて、首が絞まってしまいそうな・・・・」
 総務部長なので、社員が次から次へといろんな用事で相談や確認に来るので、みんなが札をぶらさげたり、ひっぱったりしたら窒息しそうだなと思って言ったのだが、同僚はそれがツボにはまったようで、
 「じゃあ、窒息しないように、ゴムひもでぶら下げてあげるよーーーーーー!」
 「ば、ばか!お前、憶えてろよ!」

 みんなでしばらくヒーヒーと笑っていた。今日はゴルフチームが全員いなかったので、ゴルフに参加しないヤギさんチーム(上司 は雀さんチームなのだが)でのんびりしていたのであった。と、日記には書いておこう。 
11月13日(水)

 出勤。  上司に「大丈夫なの?」と言われたが、「通夜が金曜なんでそれまでやることないんです」と返事。
 でも、ここんとこ会社が休みでも見舞いだなんだと外出していて、ちゃんとした休みが全然とれていないことに昨晩気が付き、今日は休もうかな〜有給もたくさんあるし〜と思ったのだが、でも休んでも自分の仕事を誰かがやってくれるわけでもないので、後で大変なのは自分だし・・・・と考えて、頑張って出勤したのだ。
 しかし、今日明日くらいが葬儀になるのかと思ったから、月曜日に頑張って支払いをまとめてしまったので、ちょっと気が抜けてしまっているのであった。あーあ、なんかやっぱ葬儀終わんないとまた馬車馬モードには戻れないわねえ。決算業務もまだ3分の1も終わっていないので、焦る気持ちもあるが、まあしゃーない。

 しかし、私がそんな秋の空のように突き抜ける諦念の世界に突入してても、仕事は次から次へと容赦なくやってくるので、机の上に体積していく書類を眺めながら思った。

 「自分のクローン人間が欲しい・・・・・いや、クローンじゃ、ちょっと高級技術っぽいので(試験管とか必要そうだし)、脳がアメーバ状態の私としては、原始的に細胞分裂でもいいかも」

 うにゅーーーーーーー(念力で細胞分裂を試みる)

 よっし。

 「ミヤノで〜す」
 「私もミヤノで〜す」

 「私、昼寝してるから、あなたが仕事してね」
 「私も昼寝したいから、あなたこそ仕事したら?」

 「う、せっかく分裂したのに・・・・・役立たず」
 「ほんと、結局、どっちも仕事したくないんじゃない」

 「こうなったら・・・・うにゅーーーーーー」
 「こうなったら・・・・うにゅーーーーーー」

 「これで昼寝できるかなあ。4人もいるからねえ」
 「これで昼寝できるかなあ。4人もいるからねえ」
 「これで昼寝できるかなあ。4人もいるからねえ」
 「これで昼寝できるかなあ。4人もいるからねえ」

 「ぐあああ、分裂しても誰も役に立たないじゃん!」
 「ぐあああ、分裂しても誰も役に立たないじゃん!」
 「ぐあああ、分裂しても誰も役に立たないじゃん!」
 「ぐあああ、分裂しても誰も役に立たないじゃん!」

 「いや、突然変異ということもあるかもしれない」
 「そうだ、突然変異ということもあるかもしれない」
 「たしかに、突然変異ということもあるかもしれない」
 「もしかすると、突然変異ということもあるかもしれない」

 「うにゅーーーーーーーーー」
 「うにゅーーーーーーーーー」
 「うにゅーーーーーーーーー」
 「うにゅーーーーーーーーー」

 「突然変異の人いる?」
 「そう言われても困るなあ」
 「どうやったら突然変異だってわかるの?」
 「とりあえず、私は昼寝がしたいんだけど」
 「わたしもー」
 「わたしは家に帰って真剣に寝たいな」
 「じゃあ、あんたが突然変異じゃない?」
 「あ、でも私も家に帰りたーい!」

 ちゅうわけで、どうやら細胞分裂しても状況は変わらないようだし、時間の無駄だということがわかったので、あきらめて一人で仕事しました。
11月12日(火)

 午前中、とりあえず祖父母宅に寄ってみることにした。10時過ぎくらいに家に着くと、母と叔父夫妻が葬儀屋さんと打ち合わせ中であった。
 葬儀の日程を聞くと、「斎場が空いてなかったので、15日がお通夜」とのこと。え・・・・っと、それって・・・・今日が12日で火曜日で「金曜日?」
 そりゃまた、ずいぶん中途半端にゆとりがあるなと思いながら、「今日はどうなってんの?」と確認すると、「これから病院で解剖の結果をお医者さんが説明してから、簡単なセレモニーを霊安室でやって、お祖父さんが家に帰ってくる」とのことで、それに参加することにした。

 案の定、葬儀屋との打ち合わせは、次男である母の弟のT叔父が渋々仕切っている。母は「私はよくわかならないし」とほとんど席をはずしている。長男であるK伯父は2階に上がってこないで、なにやら下の階で電話などをしているようだった。
 T叔父はずっと中学教員であったので、人柄はいいのだが、世間慣れしていないというか、そういう行事を仕切るタイプではなく、以前私のお見合いをセッティングしてくれたときにそれがはっきりわかったので、「霊柩車はどうしましょう?」「お弁当は?」と葬儀屋がいろいろカタログを見せて丁寧に説明してくれても、テキパキと決められないでいて、気の毒だった。

 叔父の立場にすれば、長男は式典嫌いで「オレは坊さんには挨拶しないからな」という人だし、しかも現在、その長男と私の母は顔も合わせられないほどお互いを敬遠している状態で、しかたないから渋々担当しているのだが、その母も「Tったら、なんで急に『世間体』だの『人並み』だの言い出したのかしら?」と、叔父がいないとき叔父の妻であるS叔母と私に言うもんだから、あとで「叔父さんだってよくわからないでやっているんだから、せめて普通にって言うしかないじゃん。それをわかってあげないと可哀想だよ」と意見したのだが、とにかくこの兄弟、誰もリーダーシップとろうとしないので、ちょっと心配だったので、霊柩車選びでも「あ、こっちの普通のやつのほうがカッコいいよ、ぜったいこっち」とか遺影の写真選びでも「ぜったいこれ」と、私の趣味を主張してしまいました。
 だって、そうしておいて、あとで「ミヤノがそう口出して言い張るから」と言われたほうが、波風たたないだろうし。ふー、なんか気を使うぞ。

 病院から12時に来るようにと電話が入ったので、叔父と叔母と、昼前に到着した私の父との4人で歩いて病院に向かう。
 初めて足を踏み入れる病院の地下室。考えてみれば霊安室に入るのも初めてだ。ドキドキ。
 ドアを開けると、ガランとした事務所みたいに明るい部屋だった。水色のカーテンがかかっていて、椅子が並んでいて、壁際に祖父の亡骸が布をかけられて横たわっていた。
 顔を拝見させていただく。「なんか出っ歯になっているんだ」と誰かが言ったが、どうも亡くなってから母と妹で入れ歯を押し込んだのだが、うまく口が閉じなかったらしい。だから、歯を食いしばっているようにも見えるが、でもかなり安らかな顔である。顔見たら、また涙が止まらなくなってしまった。
 しばらくそこで担当医が来るのを待っていたら、お昼に抜け出てきた弟登場。5人でポソポソ喋っていたら、霊安室担当の葬儀屋さんが「最初、1時からの予定になっておりまして、医師がまだ来れないようですので、どうしましょう?」と言うので、そこでずっと待っているのも息苦しいので、喫茶室で待っていることにした。

 それほど寒くもなかったので、喫茶室の外の中庭のベンチに座って、弟の「めでたい」出産話に花が咲く。

 しばらく雑談していたら「医師の用意ができました」とのことで、またゾロゾロと霊安室に戻る。
 そこで担当医が解剖の結果を説明してくれた。
 解剖前の医師の予想では、「20年前に手術した胃がんが再発して転移」だったらしいが、胃はそのままきれいに残っていたらしい。そうなると、どこがガンの元だかよくわからないそうで、副腎の疑いもあったが、大きな腫瘍の裏にはきちんと副腎もあったらしい。専門用語もあったので忘れたが、要するに「何ガンと断定できないが、ガン性腹膜炎」という診断。ガンの発生源がわからないケースは2、3割あるのだそうだ。
 まあ、どこからガンが転移していったかなんて、いまさらどうでもいいのだが・・・・

 医師の説明のあと、担当看護師も来てくれて焼香(というか、線香焚けないのでチーンとやって合掌)。婦長が「大切なお体を検査させていただいてありがとうございました」と香典をわざわざ下さったが、そういうもんなのか?まあ、解剖いやがる人も多いと言うしな。うちの家族、全員「NHKの科学ドキュメンタリー」なマインドなので、そういうのに抵抗ある人がいないだけかもしれない。
 婦長が「学生も焼香させていただいてよろしいでしょうか?」というので、「どうぞ、ぜひ」と言って、看護学生のTさんもきちんと焼香してくれた。あとで弟に「メンソレータムみたいで可愛いでしょ?」と言ったのだが、娘生まれたばかりの弟は「ああ、そう?」とそっけない。(笑)

 祖父を葬儀屋が車に乗せて、裏口から出発。叔父が同乗したが、残り4人はまたあたふたと歩いて追っかける。「近いと便利だね」
 家につくと、祖父はきちんと部屋に寝かされていた。葬儀屋さんがドライアイスを祖父に抱かせたりしたあとに、なにやら祖父の顔をもぞもぞいじくって、出っ歯をきちんと納めてくれて目もきちんとつぶらせてくれた。さすがプロだ。祖父の顔は「安らかさ6割増」になった。感激しました。その後、葬儀屋は「なにかお花を置いてあげてください」と言って、「今日も葬儀を抱えておりまして、また詳しい打ち合わせは明日の午後」と帰ってしまった。

 とりあえず殺風景なので「じゃあ、私、お花買ってくる」と言ったのだが、私以外の全員は枕花というのがピンと来ないみたいだった。花屋に言って1万円で作ってもらったら、持つのが重いくらいのができあがってしまい、タクシー拾って帰ってきてしまったが、その甲斐あって、「あら、お花あると違うわね」「だから、言ったじゃ〜ん!」

 夕方から、父がお見舞いに来てくれた親類を中心に「昨日亡くなりました」と電話連絡。母が電話すると長くなるから、という理由で父に電話させたのだが、相手が喋りまくるので一つの電話にずいぶん時間がかかる。
 当初の予定よりも参列する親族が増えそうなので、「精進落としの人数だいじょうぶかなあ」と叔父がブツブツ言い始めるので、「そんなもん当日の昼過ぎでも大丈夫だし、足りなくなったら孫たちは街に繰り出して食べるから大丈夫だよ」となだめたりしていたのだが、みんなが余裕のないときにとうとう、母がK伯父と大喧嘩。幸い、母たちの従兄弟である兄妹が来ていたので、二人が間に入ってなだめてくれたが、それにしても、子供のころ兄弟喧嘩すると母から「喧嘩は戦争の始まり」と説教されたのだが、60歳からみの兄妹の喧嘩をどう仲裁したら良いものか・・・・。

 「ほら、お母さんこんなときにヤメようよ。伯父さんも、もうちょっと我慢して優しくしてよ。伯父さんはもっと優しい人のはずじゃない」と、私までビービー泣きながら仲裁に入ってしまいましたことよ。祖父さんのために流した涙より分量多いぞ、まったくもー。
 このまま、無事葬儀が執り行えるのか心配になってきた。T叔父も少しピリピリしているようで、「葬儀のことはなんとかするけど、香典返しのことなんて僕はできないからね!」と主張するし、もー、みんな大人なんだからさー。

 というわけで、私はすっかりシンクロしてオロオロしていたが、そういう意味で鈍感なんだか冷静なんだかわからないが、淡々と親類に電話する父がなにげに頼もしく見える。父は総務畑だし、ずっと会社勤め人だからそういうの慣れているのだろう。私も葬儀の手伝いは何度もやったし、たぶん今まで手伝った葬儀よりも今回のはずっと小規模なので、大丈夫だろうと思うのだが、肝心の祖父の子供たちが「初めての葬儀」でかなりナーバスになっているのもわかるし、お互いの不安をかばいあうだけの度量を今現在発揮できていないので、それも親を亡くしたばかりで仕方ないとは思うが、葬儀屋さんは家族の足並みが揃わないなんてこと慣れてるだろうから、傍で見てても「やっぱ、プロは違うわ」と感心。

 夜になって、祖父の仕事上の知人と、叔父の同級生が急にやってきたりして、あわただしくなり、結局祖父宅を出られたのが11時過ぎ。ずっと喋っていたので疲れた。

 母からは聞いていたが、祖母の頭の調子がほんとにかなり良くなっている。皆が準備の相談で「ここの住所はえっと、2−○の、えーっと」などと言っていたら「2−○の5」ときっぱりとた口調で言ったり、「○○さんって、どこの人だっけ?」と言うと、「あれは○○のところの若い子よ」などと即答するし、私が話し掛けても私が誰だかはっきりはわからないようだけど、でも親類だということはなんとなくわかるらしくて、私が子供のころに会ったことがある曾祖母さん(祖母の母)の話をふったら「あんたは、わたしのうちに来たことあったっけ?」と言うので「ほら、小学生のときにお婆ちゃんが連れてってくれたじゃない。ほら、髪結いさんの家(祖母の弟の妻が美容院をやっていた)にも泊まったじゃない」と言ったら「あら、そうだったかねえ」と返事。

 母曰く「お祖父さんのことで、バタバタしているのがわかって、なんかシャンとしてきたんじゃ」だったが、母が食事介護に来ているヘルパーさんにそう言うと、「食事のせいでしょ」と言われたそうだ。
 たしかに、祖父が祖母の世話をしていたときは、祖父が偏食で少食であっさりしたものしか食べなかったから、それと同じものを食べていた祖母には栄養不足だったのかも、ヘルパーさんが作る栄養価の高い食事で、すこし血の巡りがよくなったのかもなあ、と納得。
11月11日(月)

 昨晩は、先週から何回か電話を掛け合っていたのだが、ずっとすれ違っていたMちゃんからやっと電話があり、Mちゃんが仕事でマンチェスターに行って「なんだか栄えていてビックリ。ユニクロもあったよ」などという話を聞いて「へえ、それは私が10年前に行ったマンチェとは別の国だねえ」と話が盛り上がった。

 今回は珍しく入国のときにネチネチ質問されたらしく、いつもは「クーリエ」と言えばパスするらしいのだが、乗り継ぎだったので面倒だから「観光です」と言ったら、「何をするんだ?」と聞かれたので、「え?観光って普通そんなに明確な目的があるもんだっけ?えーと、えーと」と、とっさに自分の行き先がマンチェなことに気が付いて、「アイ ライク フットボール!」と言ってみたら、係官の顔がぱっと輝いて「そうか!フットボールか!で、どの選手が好きなんだ?」

 ほんとにサッカー好きなMちゃんはとっさに「ロビー・キーン」とか言おうとしたらしいが、それだとちょっと乱暴者に思われて入国拒否されてしまうかも、と頭を回転させて、なぜか一周してしまったらしく「ここは無難なジャパニーズ・ギャルを装わないとな」と思って、「ベッカム」と言ったとたん恥ずかしくなったらしいのだが、係官はそんな彼女の複雑な心境を知るよしもなく、「オオ!ベッカム!」と大受けして通してくれたそうだ。

 係官があまりにも大声で「ベッカムが好きなんだ!」と言うので、周囲の目を気にしてしまったらしいが、たまたま側にいたやはりマンチェに乗り換える日本人駐在員がそれを聞きつけたらしく「マンチェスターUの試合観に行くんですか?」と声をかけてきたので、かなり恥ずかしかったとか・・・・
 マンチェスターUのチケットはほんとにまともにはゲットできないそうなので、「日本から一人で観にくるなんてすごい」と思われたのかも。

 そんな話とあとはお決まりの仕事の愚痴を聞いてもらっていたら、12時になってしまったので「わたしゃ、昨日も今日も仕事で明日も当然仕事なの〜」と電話を切り上げた。

 出社して、昨日は自宅でパソコンを立ち上げなかったので、メールチェックしてみたら、妹が昨晩メールしてくれていて(電話しても話中だったので、母がメールしろと指令を送ったのかも)昨日やっと弟の子供が誕生したことを知る。
 一応、祖父には伝えたそうなのだが「理解しているかどうかは微妙。話し掛けると返事はするが」という状態らしい。

 まあ、でも、これで一瞬だが家族が一人増えたわけだ。やれやれ、と思って、でもいつどうなるのかわからないから、またガシガシと伝票打っていたら、昼過ぎに母から電話。
 「今日いっぱいかも、とお医者さんに言われたので・・・と、言ってもお祖父さんのことだからどうなるかわからないけど、会社帰りに寄れるなら来なさい」

 ううむ、今日は自分の仕事も忙しいのだが、他の社員がほぼ全員他部署の応援に行ってしまっているので、人がいないのだ。他に人がいれば早引けしたいところだが・・・・でも、それに、ほんとに今日亡くなってしまうとしたら、今やっている仕事の目処をつけておかないと・・・誰もいないから引継ぎもできんじゃないか!

 というわけで、午後も頑張るが、月曜日だし、そういうときに限っていろいろ急な仕事が入って、6時になっても帰れそうにもない。とにかく、急いで片付けるが、なんだか後から後からいろいろ起こるので、やっと全てが片付いたのが8時。もークタクタ。

 「これじゃあ、今から行っても遅くなるし、明日の朝にしておこうかな」と思って、とりあえず家に帰り、妹の携帯に電話したらすぐに出て、「5時45分に亡くなりました」
 そっか、どっちにしろ、6時に会社出ても間に合わなかったのね。まあ、それもしょうがないと思ってできるだけ悔いの無いように見舞いに行ったし、今日はもう意識なかったらしいし。
 明日は解剖があるようなので「対面するなら今夜中じゃないと、明日のスケジュールはよくわからない」と言われたが、でも、もう死んじゃったもんを見に行くのもなんだし、と思って今夜は自宅待機にして、明日また考えることにした。

 と、妹も私もフツーに会話していたのだが、「じゃあ、ご苦労様でした」と言って電話切ったとたんに、涙がドワワとこぼれてきたのであった。
 今まで友人や知人の死は体験したことがあるが、身近な親類が亡くなるは、初めてなのである。
 祖父に対する想いもいろいろあるが、今はただ冥福を祈りたい。

 気を紛らわすために、昨日の分の日記も書いてしまった。
 というわけで、葬儀の予定がどうなるのか未定なのだが(多分、明後日になるのかな。親族だけで質素にやる予定らしいのだが、いざとなるとどうなるのかもわからない)、近所なので泊まりではなく通いになるかもしれないので、また気を紛らわすために日記書くかもしれないし、書く暇ないのかもしれない。手伝いの経験は多いが、自分の親族の葬式はなにせ初めてなので、どうなるのかよくわからん。
 とりあえず、家族が一人増えたと思ったら、翌日また減ってしまった。
 こういうもんなのかな、っとなんだか達観。 
11月10日(日)

 出勤。
 誰もいないフロアで、静けさや壁に染み入るキーの音・・・・・状態だったが、なんとか親会社への請求書を完成させ、エクセルのデータも昼過ぎには終了。3663行もあるエクセルの表を上から下まで、ゴゴゴゴーーーーーっとコピーする作業を繰り返しているうちに、ふと考えた。

 セルの高さが5mmくらいだとして・・・・いったい縦何メートルになるのだろう?天井はブチ抜くだろうな。

 さっそく定規で測ってみたら、ほんとにセルの高さは5mmでドンピシャだった。で・・・

 5mm×3663=18315mm
 ・・・・・って、何メートル?慌てて100で割ってしまい、「え?183メートル?」とビビってしまったが、そうか1m=1000mmだよな・・・・・

 つーことは、約18メートルか。縦18メートルってどのくらいだろう?会社の天井の高さがちょうど4メートルくらいなのかしら・・・・・そしたら、ちょうど4階部分になるのだろうか?するってえと、このエクセルの表の底辺部は現在、地上1階くらいになるのだろうか?

 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・と、セルをドラッグしてコピーしている動作は、1階と4階をエレベーターで往復しているようなもんなのか・・・・・ゴゴゴゴゴ・・・・・・

 壮大なセル空間を動いているのか、それとも所詮、社内の上下で済んでしまっているのか判断に困るな。

11月9日(土)

 出勤。
 二日酔いに負けてたまるかと、スタミナドリンク2本飲んでドカドカと入力したのだが、予定の3分の2しか終わらないまま7時になり、眼精疲労極まって強制終了。ブルーベリー飴の効果も限界だ。
 こ、これは、明日も出勤しろっちゅうことなんですかねえ。
 あー、なんかもーやだ、こんな生活。

 トボトボと寒い中帰宅する途中、空にまばらに散らばる星を眺めていた。(目が霞んでいるので遠くを見ようと思ってさ)

 あー、あれがウルトラの星かしら、巨人の星でもいいけど、巨人の星は重いコンダラだからやだな。今よりも激務が予想される。きっと「経理ウーマン養成ギプス」をはめられて、失明するまで伝票入力させられるんだわ。やっぱ、ウルトラの星よね。

 なんだか「シュワッチ」とコブシを掲げて叫びたくなったのだが、人目を気にして 「しゅわっち」 と小さく呟きながら魂だけウルトラの星へジャーンプ。

 でも、ウルトラ一族も多忙そうだよな。でも、労働時間短かったよな?3分間で敵を倒すのも毎回ごくろうであったが、でも労働時間は決まっていたほうがケジメがつくし、いいのではないかと思う。
 でも待てよ・・・・? なんで3分間だったんだろう?
 ウルトラ労働基準法で定められていたとか?
 でも、あの人たち、人間の姿をしていたときにはけっこう勤務超過してそうだしなあ・・・・

 ああ、そうか・・・・「人間だと残業させられる」のか。
 そーか、そーか、なぜ急に「しゅわっち」と言いたくなったのか謎だったが、自分がそういう心境になった理由がきちんとわかったので、ちょっと満足したのであった。

 私も頭の上にカラータイマー置いて、ピコピコさせたい。
 ちゅうか、「ウルトラの母」になって、タローが困ったときだけお仕事したいなあ。暇なときは、着ぐるみのファスナーでもつけかえたり、破れたところを直したりしてさあ。「ウルトラの父」は愛人が沢山いそうだから(←根拠なし。女の勘ってやつ)、あんまし帰ってこないだろうし、ラクチンそうだ。

 おいおい、こーいうときは「もう結婚しよーかな」と「結婚逃げ」に走るものではないのですか?君はなんで「ウルトラ逃げ」しているのだ。と自分で自分に突っ込んでおく。

11月8日(金)

 昨晩は早く寝たのだが、どうやら珍しく神経がピリピリしているらしく、なかなか寝付けなかった。
 疲れてて眠かったので、布団乾燥機を寝しなにかけてポカポカにしておいたのに、血のめぐりがよくなったら急激に肩が凝り始めて頭痛はしてくるし、そうなると脳みその中の神経がいっせいに開放されたかのように電流流れまくりで辛かった。
 ときどき興奮して眠れなくなることはあるが(遠足の前とか、飲み会で旧友に会って大はしゃぎしちゃったときとか)、仕事疲れでこういうことになるのも珍しい。
 先日も友人から「疲れがピークで夜眠れず、とうとうまた睡眠薬処方してもらいました」というメールが来たが、こういう状態が続くとそりゃ辛いだろうな。

 今日も残業していたのだが、社長のなじみの寿司屋に「いいマグロが入った」とのことで、10人くらいで飲みに行く。トロが旨かったです〜〜〜〜。安眠できないくらいズタボロに働いているのだから、本マグロを死ぬほど食す権利はあるさ。(あれ?この間はフグだったな。なんか贅沢してるってかんじだが、残業手当が無いのであまりペイしてない)
 しかし、「ミヤノさん、珍しく顔が赤い」と言われてしまった。私は酒飲んでもあまり赤くならないのだが、ときどき真っ赤になるらしい。なんでだかわからないが、とりあえず、

 「激務なんで、体調が悪いのでしょー、シクシク」
 と答えておいた。

 ここんとこ飲み会でよくごいっしょするシステム部の社員Tさんは、私よりも10歳年上なのに「なんか、ミヤノさんの話聞いてると、同世代って気がすんだよね?年齢詐称してない?」と酔うといつも突っ込んでくるので、「そんなはずはない!」と反論しているのだが、反論すればするほどドツボにはまるので、その様子を傍から見ると「二人は話も合うし、いいんじゃない?」ということに毎回なり(全員、酔っ払いだから仕方あるまい)、今日も私の隣にいた半分くらいしか意識ない人が「もう、こうなったらまとまってしまえ!」と断言するので、

 「私を嫁に貰うには、O部長のハンコがいるんですよ!」(O部長=直属の上司。今日は急な残業で欠席)
 と言ったら、相手は意識朦朧としているくせに、

 「いや、大丈夫。Oは仕事辞めなければ嫁にやってもいいと言っていた」

 と、ほんとのことを憶えてやがった。ムカツクー

 つうわけで、私を嫁に欲しい人は、O部長に「ミヤノさん購入申請書」を提出しないといけない。使用目的は「酒飲み時の話し相手」でもなんでもいいが、「設置場所」は自宅ではなくて会社にしないといけないらしいです。

 ちなみに今期も利益が出るのが必須なので、社員一同すっかり「宴会ムード」なのだが、「交際費の出費は経費にならないので、キャッシュフローが悪くなるのよー!(支出+法人税がかかる)」と教育的指導しておいたほうがよいのだろうか?
11月7日(木)

 出勤。机の上にドカドカと書類が置いてあってがっかり。
 もー、なんだか忙しいし、寒いしで、体感温度じゃなくて「体感人生度」が「シベリアで強制労働」ってかんじだ。
 支払の請求書もどんどん溜まっていくので、とうとう引き出しが閉まらなくなってしまった。炭鉱で水が出たのをくみ出しているような気分満喫。炭鉱節でも唄ってやろーか、まったくもー。

 と、ブチブチ文句言いながら仕事していたが、銀行に行く途中にあるイチョウ並木を見たら、いきなり「ビッグバー度」が進んでいた。ところで、この「ビックバー度」であるが、去年も提唱していたのだが、たわむれに検索してみたら他に誰もそんなこと言っていないらしいことに気が付く。

 孤独だ・・・・・・。秋ねえ。

 ああ、そろそろ冬服を出さないとなあ。面倒。
 その前に、この仕事量、どうなるのだろうか?考えると胃が痛くなるような気がしなくもないのだが、根が楽観的なせいか、ちっとも胃が悪くならないのが悲しい。ストレス溜まると太るタイプなのである。
 今日も7時過ぎまで残業してたら、飲みに誘われたが、飲みに行くとまた明日辛いのでパス。祖父がまたカウントダウン状態なので、なるべく仕事を済ませておかないとならない現状ゆえ。

 そういえば、祖父はもう痛み止め投与されてないらしい。あそこまでいっちゃうと、もう痛みも感じないのかな?たしかに、足や手をさすってあげても無反応だった。医者によると「このまま眠るように・・・・」という予測だそうだが、でも一回けっこう元気になっちゃって医者の予想を裏切ったので、医者もなんとも言えないようだ。

 そういえば、昨日祖父が時間を聞くので「6時半だ」と告げると「そんなわけはない」と否定するので、「いや、嘘ついてないから」と説得すると「そうか、もうそんな時間か・・・・テレビをつけないと」とか言うので、「テレビで何観るの?ニュース?」と話をあわせてみたら・・・・・

 「ピンポン・・・がむにゃむにゃ・・・・」(よく聞き取れず)
 「おじーちゃん!ピンポンがいったいどうしたの?なんでボーリングじゃなくて、ピンポンなの!?」
 返事なし。
 ピンポンがいったいどうしたのだ!テレビ中継といえば野球か駅伝かボーリングだろう・・・・謎だ。

 ところで、祖父が重態なのに不謹慎な発言ですが、祖父の入院している病院には研修医が沢山いて、若くてハンサムな先生が多いような気がするのは気のせいなのでしょうか?ナースステーションがテレビドラマのセットの中かと思うくらいです。看護師も美人が多いし、看護実習生はかわいいし、若い人職員にブサイクが全くいないのはなぜ?顔で選んでいるのか?それとも白衣着ると誰でも美しくなれるのか?(たしかにブサイクな花嫁はあまりいない)
 てゆーか、祖父の担当医師もたぶん私と年ほどんど変わらないし、明らかに40代以上のスタッフを見かけないのがとても不思議なのであった。大病院ってそういうもんなのだろうか?自分があまり病院に行かないので、よくわからない。

 それとも患者がみんなくたびれているので、相対的に若くて健康なスタッフが輝いて見えるだけだろうか?
11月6日(水)

 日・月と休日に働いて平日休む作戦を組んだのでお休み。
 「ゴジラと科学展」にでも行ってから、祖父さんの見舞いに行くか・・・・とか、一応プランはあったのだが、昨日飲んでしまったので起きたのが昼過ぎ。ここんとこ寒かったから、洗濯をサボっていたので、ちまちまと洗濯機を回していたら電話が鳴り、平日の昼の電話など受ける気がないので留守電応答させたら、母上だったので慌ててとる。

 「会社に電話したら休みだって言うから・・・」

 あちゃー、会社の後輩はきっと祖父の容態がまた悪化したのだと思うだろうなあ。たしかに日に日に悪化しているらしいけど。
 そんでもって、やはり用件は「先生がね、今週いっぱいかもしれないっておっしゃるのよ。だから、今のうちにと思って・・・・」

 ヤバい、ヤバい、と言いつつ、すでに一ヶ月になろうとしているので、そのセリフもミヤノ家ではすでに陳腐化しているのだが、まあ休みだし、どうせ寄ろうかと思っていたので、「じゃあ洗濯終わったら、行くよ」と言って電話を切る。
 洗濯機が回っている間に昨日の分の日記でも書こうかと、マシンを立ち上げメールチェックしたら、内偵を命じていた者から「レッシグ教授とのお食事会の場所」が送られて来た。飛び入り参加してもいいらしい。う〜む、別に参加したいわけではないが(英語の壁があるのでイジけそう)、祖父が入院している病院の面会時間は8時までだし、それから向かったら地下鉄で一本で行けるし、ちょうど宴もたけなわで、ドサクサに紛れてサインくらい貰ってもいいだろう、と思って、あのブ厚い「CODE」をリュックに詰め、ついでだから一応、デジカメも持って出発。

 病院に着くと、母と祖父の姪であるSさんがいた。
 先週見舞いに行ったときには、痛み止めの効きすぎで起き上がったりわけわかんないこと言っていた祖父であったが、今日はすでに起き上がれる状態でもないようで、朦朧とした雰囲気で寝ていた。「耳元で名前言わないと聴こえないわよ」と母が言うので、「おじーちゃん、ミヤノだよ、お見舞いに来たよ」と叫ぶと、「〜〜〜〜〜?」と意味不明の言葉が返ってくる。

 ほんとだ、こりゃもうダメだわ、と思ったが、よくよく確認すると入れ歯が入ってないので、うまく発音できないらしい。話かけると、それなりに反応があるので意識不明ではないのだが、何言っているのかイマイチよくわからない。
 一時外れていた、酸素吸入器(鼻にくっついてる)もまた復活していて、呼吸も浅く速く、少し喋ると呼吸が速くなるので、話かけるのが気の毒になる。

 Sさんが帰ったあと、母から祖父のここ最近の様子などを聞いていたら、背後に黒い影が・・・・・弟S君登場。
 私の会社にも電話したように、弟の会社にも電話したらしい。ちょうど会議中だったらしいが、会社の同僚たちは弟がプライベートで一大事なのを知っていたので、わざわざ呼び出してくれたそうだ。
 「生まれたの?」
 「いや、そっちじゃなくて、じーさんだった」

 弟の妻は出産のために長野の実家に帰っており、予定日が近いらしく「いつ休むかわかりません。どっちが先だかわかりませんが」と会社にも言ってあるそうなのだが、休んだら休んだで、どこでも仕事できるような環境を作らなければならないので、モバイル手放せない状況らしい。
 「あー私もねえ、うっかり上司にそう言っちゃったら、休む前にってドカドカ仕事させられてさー」
 36歳で近頃サラリーマン化が激しい姉、33歳サラリーマンの弟の置かれた状況が他人ごとではない。

 母が弟に状況を説明していると、今度はひょっこりと妹が現れる。「なんだ、みんな来てたの?」新宿で派遣で働いている妹は、ときどき寄っているようなのだ。
 というわけで、別に仲が悪いわけでもないが、お互い好き勝手に生活しているので、ほとんど顔を合わせないミヤノ兄弟集合。
 前回集合したのは、正月かもしれない。
 いや、私以外はときどき集合しているらしいのだが、私がいつも顔を出さないだけかもしれないけど(笑)。
 病院の夕食時間は6時で、それが済むと他の病室もなんとなく静かになってしまうし、祖父のいる病室は病状の重い人しかいないのでただでさえ静かなのだが、それでも見舞いに来ている人がだんだんいなくなると、母+娘+息子+娘の4人組がひそひそ話しているだけでも騒がしくなってしまうので、兄弟3人でテレビのあるスペースに行って妹が差し入れで持ってきたパンを食べながら雑談してた。

 8時になったので、そろそろ帰らなければならないのだが、母は「もう少しいたい」と言うが「でも、みんな来たんだし、ご飯でも」としきりに夕飯の心配するので「いいから、別にご飯食べに来たんじゃないから、それにY(妹)はもう帰るって言ってるし」となだめて3人だけで病院を出た。

 時刻はもう8時半。「で、Y子は帰るんだって?でも、S郎は食べて帰るでしょ?」と言ったら、弟が「なんならオゴるよ」と言い出す。そしたら妹が「え?Sちゃんのオゴり?だったら食べてく」。
 麻布十番で何か食べようと思ったが、妹が前から行きたがっていた六本木のインド料理屋に行くことになり、六本木まで歩く。芋洗坂下の再開発区域もずいぶん形になった。そーいえば、スウェーデン大使館はどこに行ってしまったんだろう?

 六本木交差点に近づくと弟が「昔は月に二回くらい、ここらへんで夜遊びしたよな」としみじみ。「へー、そーなんだー」と自分も死ぬほどここら辺で遊んだくせにそれは言わない(笑)。まあ、どっちかっつうと六本木は私にとって「元遊び場」ではなくて「元職場」なのだ。
 交差点を越えて乃木坂方面に歩くと、弟が「ああ、この辺ヤバいなあ」とか言い出すので、「あー、たしかに、この辺は・・・・」男性向け客引きが多い区域である。東欧系の黒服も多い。弟の夜遊びはそっち方面だったのね(笑)。
 で、目指すインド料理屋は、弟がよく通ったキャバクラと同じビル内だったのである。
 「なんだ、もっと早く教えてあげればよかったね。ここ美味しいんだよ」「いや、飲みに行く前の腹ごしらえと言えば『ジョジョ苑』(←漢字どれだっけ?「叙」かな?)だよ」そりゃそーだ。
 うちの弟、ほんとに保守的でおもしろいわ。(姉バカ)

 つーわけで、なぜか店内は外人ばかりでけっこう混んでいる中、3人でもっさりとすわり、姉と妹がビールをオーダーする中、弟はマンゴーラッシーとか飲んでるし、弟はときどき奥さんと近所のインド料理屋に行くそうなので、「じゃあ、帰ってきたら、奥さんのMちゃんも連れてきてあげよう」と和やかに会話しながら、絶品のホウレン草カレーなどを食した。

 母とその兄弟は親の死に際問題で、現在ちょっとゴタゴタしているのだが、うちらはそういう事態に陥るのはまだ先だろうが、いつかはそういうこともあるはずなので、今のうちに親交を深めておかないと・・・・。

 食事が終わったら、もう10時半。あー、せっかく本背負って出てきたのに、結局サイン貰いに行けなかった。血は水よりも濃いと言うし。 
11月5日(火)

 朝出社したら、私のフロアにいる部長4名が全員揃っていたので「どうしたんですか?」と聞くと、理由はそれぞれ(郵便局に行く用事があった。免許の更新だった。子供が熱を出して早朝から病院に連れて行った、等)だったが、夕方になったら二人は外出し、定時になると2人は帰ってしまった。
 他の社員も6時半くらいにはいなくなってしまったが、経理の私と後輩二人だけで、ちまちまと仕事をしていて、後輩が管理している小口金庫の残高がなかなか合わなくて、確認作業をしていたら、親会社の会議に出ていた社長が戻ってきて、「誰もいないなあ」と言うので、放っておいたら、すぐに副社長も来て、「飲みに行きたいんだけどなあ」と言うので、さらに放っておいたのだが、副社長がメンツを集めたので、結局私も飲みに行くことになり、終電ギリギリまで飲んでいた。焼酎ボトル3本が空いた。6人いたので、私も半分くらいは飲んだのかな?
 フグ鍋だったのだが、イマイチだった。

11月4日(月)

 昨日は記憶の奥底から「サーキットの狼」をひきずり出せたので、かなりご満悦だったのだが、夜寝てから、ふと気が付いた。

 パフィのヒット曲「サーキットの娘」はひょっとして、「サーキットの狼」のわかりにくいダジャレ?

 さっそく検索かけてみたら、やはりそうだったか!(狼→娘→浪と続くらしい
 自力でその秘密を解読した自分を誉めてあげたいが(単に奥田民生と同世代なだけだが)、今ごろ気が付くとは、なんとも時流に乗り遅れているなあ。

 それで思い出したのだが(例によって記憶というものは芋蔓式が公式なのである)、その昔、テレビ番組制作会社で経理やってたときに、スタジオに見学に行ったときのエピソード。たしか、野村宏信が出演していたので、生野村君を拝見しに行ってみたのである。うちの会社は中高年向けのドラマばかり作っていたので、私がスタジオに見学に行ったのは、そのときと、あと三上博史を観にいったくらいだった。
 ちなみに「見学」じゃなくて「おつかい」でCM撮影現場に行ったら、まだ少女だったゴクミがちょこんと立ってて、めちゃくちゃかわいくて見とれてしまった。その美少女オーラに圧倒されたのは私だけではなく、制作助手(ADみたいなもん)で現場を仕切っていた他の女子社員もしばらく「クミコちゃん、クミコちゃん・・・・」とうわ言のように繰り返していたっけな。

 「きれいな子」なんてその辺に沢山転がっているが、やはりテレビでもてはやされる「美少女」というのは、なんだか半径5メートルくらいが、しっとりと濡れているような、なんかまとわりつくような空気をまとっているということを知った。他にも沢山タレントは間近で見たけれども、私にあれだけの衝撃を与えたのは彼女だけだ。ちょっと疲れ気味だったようで、トロ〜ンとしていたので、余計にオーラが増していたのかもしれないが。

 話が逸れたが、緑山スタジオのスッタフルームにいたプロデューサーに挨拶して、そこにいるADたちに「今日は、うちの怖いお姉さんたちが来たから、スッタフどもは善きにはからうように。おめーらの経費清算は全部この人たちが仕切ってるんだぞー」とカマシてもらってから、堂々とスタジオ入り。まあ、どうせ、このスタジオ費も機材費も美術費も出演者のギャラもスタッフのギャラもぜ〜んぶ私が払ってるんですからね〜。振込み手続きしているだけだけど(笑)
 収録スタジオに向かう廊下で、演出家とADたちが打ち合わせを終えてゾロゾロと歩いて来るのに合流したので、「見学に来ましたのでヨロシク」と挨拶をしたのだが、演出家は私たちの顔を一瞥するように軽く会釈をしただけで、なにやら機嫌悪いのか撮影の合間なのでピリピリしているのか、周りにいるADたちに向かって大きな声で、

 「なんだよ、この『オーギをあける○○』っていうのは・・・・Kだろ?まったくあいつは・・・・」

 とボヤいていた。「○○」というのは野村君の役名。Kというのはうちの会社の社員であるADであった。
 「オーギをあける」という謎の言葉と「K」という名前を私の頭のスーパーコンピューターに差し込むと、瞬時に答えが出てきた。

 「扇をあける○○」→「扉を開ける○○」

 たぶん、現場でちょっとした台本変更があったので、それをK君に手書きで訂正させて、スタッフと出演者にコピーして配ったのだが、監督がよくよく見てみると「扉」が「扇」になっていたらしいのだ。

 K君は、どこの制作会社にも一人はいる「失敗談の塊」のような青年で、彼の名声が業界中に響き渡ったのは、某大女優が事務所に訪ねてきたときに、誰が見てもその人以外にありえないような大女優がわざわざ「○○ですが、社長とお約束したので」と入り口で名乗ったのに、わざわざ「どちらの○○さんでしょうか?」と確認したというエピソードである。(社長が気が付いて奥から飛んできたとか、こなかったとか・・・とにかく、その後また某大物俳優が訪問する予定が入ったときには、社長が冗談で「今日はKを隠しておけ」と言ったとか、言わなかったとか)

 というわけで、K君は「どちらの○○様事件」でその名声を獲得しているので、「扉」→「扇」くらいでは誰も驚かないのだが、そのくせ「扇」と漢字で書けるくらいの知能を持っているので、よけいに始末に終えなかったのである。

 話は長くなったが、「狼」→「娘」で、「扉」→「扇」のK君を思い出して、「彼ももう30代後半・・・元気でやっているのかな」と思い出しただけである。
 K君は根が悪い人ではなかったのだが、なんとなく全般的にピントがズレており、あるときに、なぜだか忘れたが「行きつけの飲み屋」の話になり、多分、若者だけで飲みに行くときにK君も誘ったら「今日は、他に行くところがあるから」と言うので、「ああ、予定があるんだ」と言ったら、「予定でもないんだけど、たまに一人で飲みに行く店があって、ときどき顔出さないとね」と気取って言うので、「へー、一人で飲みに行くんだ、カッコいいね」とか返事していたのだが、後になってKの直属の上司にその話をしたら「あいつは、今、キャバクラに貢いでるんだ」「え?キャバクラに行ってるって言い方じゃなかったですよ?」「あいつぁー全然わかってないんだよ」

 そーいえば、一度だけ社員旅行のときにK君の車の助手席に座ったが、ラックに入っているCDが「ザッツ・ユーロビート」が数枚と「CMヒットソング集」だけだったのが印象に残っている。「なにこれ?」と私がブータレても、彼は私が何に対して怒っているのか、全く理解してくれなかったなあ。 
11月3日(日)

 朝起きたら、まだ当然のことながら腰は痛かったけど、昨日すぐにアイシングしたのがよかったのか、前みたいに「立ち上がるのも大変」というほどではなかった。
 でも、休めるものなら休みたかった。
 でも、今日休んじゃうと、せっかく来てくれる手伝いの人にまた来てもらえるのがいつになるかわからないし、と思って頑張って起き上がってみたが、やはり腰が不安。
 しばらくまたアイシングして寝転がる。
 30分くらいうつらうつらして目が覚めたら、かなり状態が良くなったので、Uさんに電話して「なんとか大丈夫そうなんで、お願いします」と言うと「ほんとに、大丈夫なんですか?無理しないでください」と言われた。

 昨日は靴下を履くときにグキっと来たので、今日は着替えに神経を使い、なるべく片足で立たないよう椅子に座ってスカートを履いたり、ストッキングを履いたりした。
 背中を丸める動作ができないので、昨日は当然お風呂には入れなかったのであるが、今朝もダメそう。どうせ会社にはあまり人がいないだろうし、と香水を振り掛けて匂いをごまかす。一昨日の夜もお風呂をサボっているのである。(休みだし、明日入ればいいやと思っていたらこういうことになった)

 昨日は歯は磨けたが、顔が洗えなかったので、なんだかガサついているが、なんとか膝を曲げて洗面台に近づき、恐る恐る洗顔。髪の毛も洗ってないからボサボサだが、仕方ない。私の髪型なんて誰も注目してないだろう。いつもだいたいボサボサだしよ。

 しかし、こんな状態で仕事に行こうとしているなんて、まるで「仕事の鬼」だわ(笑)

 テーマソングはこれだな。(「フニクリフニクラ」の曲で唄ってください)

 ♪鬼〜のパンツは いいパンツ
 ♪つよいぞ〜
 ♪つよいぞ〜
 ♪百年はいても 破れない
 ♪つよいぞ〜
 ♪つよいぞ〜

 よっし。今日も爽やかに壊れているぞ。

 というわけで、なにげに絶好調のまま出社。お昼頃、Uさんが到着し、たった二人でちまちま仕事。一人で会社にいると、逆に集中できなかったりするが、適度にお喋りできたので、けっこう捗った。

 7時まで仕事したが、外は冬のように寒く、家に帰る前に味噌ラーメン食べてしまった。三茶にある「味噌一」というラーメン屋は「味噌は身素・美素」と謳っているので、「今の私に必要なのは良質のアミノ酸かも」と思ったのと、とにかく辛いものが食べたかったのである。
 「激辛」のワンランク下の「火吹」を食べたら体も温まってごきげんだし、唐辛子でちょっとハイになったので、

 「仕事の鬼」というのも、なんだし、もっといいキャッチフレーズはないだろうか?
 と考えて、「巨人の星」にあやかって「仕事の星」ちゅうのもなんだし、あとはえーとえーと「リングの虎」で「仕事の虎」って言っても私が「虎」になるとしたら多分酒飲んだときだろうし、えーとえーと、「サーキット」にいたのはなんだったかな?

 サーキットの・・・・
 サーキットの・・・・
 サーキットの・・・・



 狼だ!

 すげえ、今日の私、頭の回転速いじゃん!(←標準速度がかなり遅いので80キロくらい出るとかなり早く感じる)

 ところで、時系列が滅茶苦茶だが、日曜日だというのに郵便屋さんが速達を持ってきた。そしたら、「あ、書留もありました、ハンコください」というのでハンコ押して受取ったら・・・・

 あんだけ苦労して出した「内容証明」がやっぱ「転居先不明」で戻ってきたのであった。

 激しい脱力感に襲われると同時に、なんだか楽しくなってきて(壊れていると得ね)、

 ロケンロール!

 と心の中で叫んだ。

 いろいろあった日曜日、いつのまにか腰の調子は良くなっていた。
 「これはきっと気合で直したのだな」
 と思ったのだが、限りある大切な「気合」をこんなことに使っていてよいのだろうかと、秋風にボヤく文化の日。

 そのうち、どこかに(南極上空?)ポッカリと「気合ホール」が空くに違いない。
11月2日(土)

 今日はお休みなので、いつものように昼までゴロゴロしてから、午後遅くに「さて、久々にスポーツクラブにでも行ってみるか」と思って支度していたら、背骨のあたりに鋭い痛み・・・・うああ、またやっちゃったかな。
 どうして、いつも、こう些細な動作で「ギックリ」してしまうのだろう。前回は便座カバーを交換するときで、今回は片足を上げて靴下を履こうとしただけだ。便座カバーと靴下は形状がかなり似ているのだが、それにしても「たいしたことない、日常的な動作」である。

 すぐに冷蔵庫からアイスパットを取り出して、ヨロヨロと布団に戻り、背中を丸めて横になってアイシングする。
 長年の経験から、ギクっとした直後はそんなに痛くないのだが、一晩寝ると悪化していて立ち上がるのも大変になっていたりするのだ。下手すると丸二日間くらい「トイレに行くのも大変」な状態になる。
 とにかく、今日はアイシングしてじっとしているしかない。

 明日、明後日は出勤して、知人をバイトに呼んだので、いろいろ指示しながら仕事しようと思っていたのだが、さっき電話して「申し訳ないけど、こういうわけなんで、明日の朝またお電話します」
 あーあ、せっかく2日間で新規業務の9月分は終わらせようと思ったのに、こんな大事な時期に腰痛とは・・・・祖父の病状を「爆弾」として抱えてはいたが、自分の体のほうが先に爆発してしまった。

 こーゆーのを「自爆」って言うんですかね?
11月1日(金)

 幼なじみの家のすぐ側に小さな個人経営の保育園があり、夕方の帰宅の時間になると園児たちは、

 ♪おもしろかった、おもしろかった、おもしろかった〜ぁありがとぉ〜♪

 という唄を強制的に歌わせられていたが、私はときどきそのメロディーで

 ♪いそがしかった、いそがしかった、いそがしかった〜ぁありがたくないよぉ〜♪

 と心の中で唄っている。(「サカナの唄」の替え歌で「♪仕事仕事しごと〜、仕事がふえ〜ると〜♪」もけっこうイケる。)
 今日も忙しかったのだが、なんだかあちこちから問い合わせがあり、一辺に三つくらい質問されたのを順番に回答していくのだが、それを回答している間にまた調べ物・・・・・という調子で、午後になったらすっかり「聖徳太子モード」にトリップ(=悪酔い)してしまったようで、「ああ、もう3時か」と思った次の瞬間には6時になっていた。

 決算期なので、売上計上のモレはないか、とか在庫棚卸とか、いろいろ社員にお触れを出しているため、「あれの売上ってもう上げたっけ?」「最後に請求したのっていつだっけ?」「今年仕入れた分の明細全部ファイルでくれる?」という問い合わせが雨あられなのは覚悟していたが、中には「2年前の売上を確認してくれ」とかいう過去に遡る問い合わせもあって、会計ソフトで帳簿をダダダっと前期を見たり前々期を見たり、今期に戻ってきたり、別の会社を見たり、とあちゃこちゃ飛んでいたら、なにがなんだかわからなくなってしまったが、人間って不思議なもので、そういう状況になると、なんだかハイになってきて、問い合わせの数々がレーザー光線のように思え、「レーザーの攻撃を精神波ではねかえっす!」とかやって遊んでた。

 いや、これはレーザー攻撃ではなくて、さまざまな時間の流れが直線で流れているものの中心に私がいて、その交差を見守っているのだ。そう考えると、「流れ」をコントロールしているのは私である。「今日は忙しいから、明後日調べます」と流れを止めたり、先に流れていたものをさえぎって、流れやすいものを流してやったり・・・・と、妄想というか「豊かな想像力」を精一杯駆使すれば、私は「仕事に追われる決算期の経理のおねーさん」ではなく「タイムコントローラー」なのだ!
 などと、遊んでないで、さっさと仕事すべきなのだが、ほら、心の余裕って大切でしょ?(笑)

 しかし、本人はこうして「余裕かましている」つもりだが、私の後ろに座っている同僚は、昨日から私が爆裂してく様子を見守っているので、私の言葉がだんだん「べらんめえ」になっていき、言葉数も増えて「そんなこといちいち聞いてくんな、自分で考えろ!」とかデカい独り言言っているのに丁寧につっこんでくれるので助かっているのだが、彼女に「ここんとこ、ミヤノさんの言動おもしろいよ」と言われたときには「しまった」と思ったが、まあ、他人が笑える程度なら立派なもんだろう、と前向きに解釈。

 話は変わるが、昨晩友達が電話してきて「某教授とのお食事会があるみたい。参加しようかな」とか自慢するので、「そう、いいわね、私はそんなもんに行っても、英語も喋れんし、そもそもIT系の単語もわからんし・・・」と、そもそも呼ばれていないのに「フン!」と思って憎まれ口を叩いていたのだが、そのときにふと「わたしゃ、どーせ、プロトコルもなんだかわかんないですよ」ということを思いついたときに、自分にとって「プロトコル」がどういうものか、瞬時に理解した。(普段、会話で「プロトコル」と言うことがないので今まで気が付かなかった)

 「プロトコル」は私の脳内では、こう因数分解されていた。「プロテイン」「トコロテン」「肩が凝る」

 こういうのは「因数分解」とは言わない、と思う方は黙っていてださい。

 で、その「プロトコル」と一番イメージ的に近いところにいるのが「鳥の軟骨」であった。アレ、大好きなんです〜。コリコリしてて、なんだかカルシウムもコラーゲンもたっぷりそうだし・・・・・
 「プロっとコル」ってかんじですか?(〜〜〜〜〜〜一人で爆笑。疲れているから自分のつまらないギャグでツボにハマる)

 話は戻るが、その「某教授とのお食事会」という話を聞いて、いちおうその人の著作も持っている私としては大変面白くなく、友達にも「そんな野郎ばかり集めてる暇があったら、私が遊んであげるのに。そっちのほうが楽しいよ」とうそぶく。

 「教授となにして遊んであげるの?」  「ぐ・・・・・、『ゴジラ展』に連れていってあげるとか・・・」(自分が行きたいだけである)
 しかし、それを言った後に思いついた。
 「ディズニーランドに一緒に行くというのはどうだろう?」
 「教授は奥さんいるらしいよ」

 別に教授と結婚したいわけではない。

 「いや、違う、教授と一緒にミッキーマウスと写真を撮るんだ!」

 〜〜〜〜〜〜〜〜(また一人で笑いのツボに突入。だから疲れているんですってば)

 某教授が誰だかわからない人には申し訳ないが、私はまた妄想に浸ってしまいました。
 某教授とミッキーを挟んで写真を撮り、ピースとかしちゃうの。
 そんでもって、「FREE MICKY!」なんて書いたプラカードかなんか掲げちゃってさあ・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜(笑ってる。でも、私でも思いつくんだから、もう誰かが先にやっているだろう)

 あ、これでもいいや

 WITH OR WITHOUT MICKY MOUSE, I CAN LIVE

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(笑)  いや、某教授の提言とは全くかけ離れているのですが、単なる私の意見です。(TDLに行ったことが無い)
 自分が単にディズニーキャラに貢いだことがないだけで、ミッフィーはオランダ産だし、ババールはフランス産だし、パディントンはイギリス産だし、ヨーロッパ系キャラ志向なだけです。

 あれ?「ひとまねこざるのジョージ」はどこ産だ?(「ジョージ」のぬいぐるみが欲しくなったことがあった)

 とりあえず、他人にはなにが面白いのかさっぱりわからないかもしれませんが、私が一人で自分の世界のギャグに浸ってしまうような今日このごろでありました。と、日記には書いておこう。(後で読み返して、「こんなにボロボロだったのね」と自分で自分に同情するために)

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