可燃物な日々

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5月31日(金)

 さあ、W杯開幕だ!!!!!

 朝のワイドショー(コステロの主題歌に操をたてていつもフジテレビの「とくだね」を観ているのである)では、韓国に派遣された大村アナが昨日の前夜祭で浮かれまくっていたのだが、そのあと自慢気に今日の開幕戦のフランス・セネガル戦のチケットを見せびらかしていた。もはや仕事している人の顔ではなかった。東京のスタジオでも冷やかされていて「大村君の心はもうここにはないね」と言われていたのだが、それをがっちりと真正面に受け止めるような、満面の笑顔。ニっと現れた歯がまぶしい。

 白い歯が笑顔を引き立てるのではなく、あのような笑顔が歯を白く見せるのだということに気が付いた。
 キュートな笑顔に、一瞬惚れそうになったが、次の瞬間「大村アナの韓国取材は有給休暇扱いにしてほしい」と思ったのであった。

 いいな、いいな、やっぱ私もチケットとればよかったかな、韓国ではまだ余っているみたいだが・・・・・
 でも、自分が「W杯でしかときめかないインチキ・サッカー・ファン」なのもよくわかっているので、自制したのである。なんでW杯にはこんなに惹き付けられるのだろう?
 10年以上前のJリーグ発足前にW杯を観る人はとても限られていた。そもそもあまりテレビでは放映していなかったように思う。
 弟がサッカー少年だったので、それでも我家はわりと限られた放送でも観ていたほうだと思うけど、あまりちゃんと観た記憶がない。でも、普段、日本でときどき放映される試合に比べると「さすがに、すごいな」とは思っていた。
 
 私が働き始めたころだから、多分3大会前・・・・ということは12年前、当時、会社に出入りしていたというか、ほぼ「下請け」状態だった車両会社の男の子(のちに私の同僚と結婚した)が、F1好きが昂じて、衛星放送を観られる環境を家に構築していた。椅子はボディソニックで、なかなか金かかっていた。(彼と付き合っていた同僚曰く「あの人、趣味には金を惜しまないから」)
 そのK君が、「今さ〜、ワールド・カップの全試合やってるけど、これがなかなか面白いんだわ」と言うので、会社の若者たちはちょっと羨ましくなり、「録画してよ」と頼んだら、さっそく毎日のように録画してきてくれて、会社の暇な時間にみんなでテレビで観ていた。

 番組制作会社だったから、テレビはいいのが置いてあったし、仕事中にテレビをつけているのは普通だった。私が当時所属していたのはCM制作部門で、忙しいときと暇なときの落差が大きかったのだが、暇なときには、みんなでのんびりW杯鑑賞していたのである。一般人は「セリエA」などという言葉も知らなかったが、それでも台頭してきたアフリカ勢の個人技がすごいなあ、くらいはわかった。

 その次の大会があの「ドーハの悲劇」になるのかな?W杯とオリンピックが交互にやるので、記憶が曖昧だ。でもJリーグが盛り上がっていたので、一般人にもサッカー熱が浸透してきたころだろう。友達のMちゃんが急に「フッボール!!」と騒ぎ出したのもあの頃だったか?勉強熱心な彼女は貪欲に学習していて、戦術云々を熱心に語るようになった。

 そして前回のフランス大会が開催されたころ、私は失業中だった。他にやることなかったので、いつも午前3時に起きて鑑賞していた。丁度、パソコンを買ってインターネットに繋がったので、試合を観ながらチャットもロムっていて、他の人たちがゴチャゴチャと素人談義を交わすのをぼんやり観ていたのだが、あとになって電話代の請求が10000円を超えていて、「収入ないのに」と後悔したのをよく憶えている。

 あれから4年・・・・・・・苦労の末に職を見つけて、ちゃんと働いてます。
 でも、今日は仕事しながらも「はあ、いよいよ始まるんだわ」と思ってぼんやりしてしまいました。なんか先輩に片思いしている高校生の女の子のようなこの気持。あまりサッカーに興味のない私がこんな状態なのですから、真のサッカー・ファンの方々の狂いようは慮れます。

 というわけで、定時きっかりに会社を出て、途中で食材とビールを買って帰るとまだ7時半。時間があるから洗濯を済ませ、8時半のキックオオフを待つ。
 NHKは開幕戦にキムタクを起用していた。なかなか手堅い人選だ。途中でNHKのアナウンサーに「木村さんは、今日の日本選手の様子もご存知ですよね?」と言われて、中田と電話で話したことを明かした。あまり言いふらしたくないけど、聞かれたから渋々話すが、自分が中田とプライベートで付き合っているから、ここに呼ばれたのかもしれないが、あまりそれを全面に出すのもなんだが、まあしょうがないというかんじで、そのあたりの押え方がやはりキムタクである。(キムタクがジタンと同じ年というのは初めて知った)

 開会式はVIPのスピーチばかりでつまらなかったので、12チャンネルで可愛いペットを観て暇を潰した。
 さあ、いよいよ開幕戦だ。
 フランスは敗れてしまったが、セネガルはなかなかすごかった。岡ちゃんがベタボメなのもわかる。波乱の予感と、今回もアフリカ・チームの活躍が期待できる試合であった。でも、サッカー自体について語るつもりもないので、

●W杯メモ

 セネガルのフランス人監督は、「日本人が心に思い描くフランス人芸術家」の見本品のようだった。

 アンリのもみあげは要注目

 以上。

 そういえば、昨日「韓国で初めて日本語の唄が公式に歌われた」らしい、ケミストリーや韓国の人気歌手が一緒に歌う楽曲は、サビはなかなかいいと思うのだが、日本語の歌詞がよく聴き取れない。サッカーのテーマ曲ってもっと「♪オーレーオレオレオレー」とか「♪アレアレアレ」なわかりやすいサビじゃないとね。
 あの曲も大瀧栄一や山下達郎が関わればもっと良くなったのにと残念に思う。もうちょっとってかんじ。(個人的な趣味ですが)

 そういえば(また話が逸れる)、昔、友達の男の子で熱狂的な達郎ファンがいた。
 ある日、私は某大物歌手の「芸能生活うん十年記念パーティー」の裏方でお手伝いをしていた。(裏でご祝儀のとりまとめ)
 そのときに客として、山下達郎と竹内まりや夫妻が来たのである。私も偶然間近で目撃して大感激してた。そして、入り口に飾ってある花を見たら、山下夫妻からお花が出ていることがわかったのであった。「これは、S君にあげたら喜ぶかもしれない」と思って密かに狙っていた。
 そういうパーティーでは、会場に飾られた生花や、届けられたロビー祝い花は終了時にホテルのスタッフがまとめて、帰り際の客に持って帰っていただいたりする。私はその作業が始まったとたんに、顔なじみだったホテルのバンケット責任のところに近寄ると、「ああ、花持って帰ってね」とすかさず言われたのだが、「あの〜花も持って帰りますが、それよりも札が欲しいんですけど〜」と「山下達郎・竹内まりや」と書いてある木札を指差すと「ああ、どうせ処分するからいいよ、持ってかえんな」と言ってくれたので、そっと抜いてホテルの紙袋に入れて帰った。

 丁度その晩に、S君が他の友達と小さなDJバーでDJしていたのである。
 「これで笑えるお土産ができた」
 と思って、持っていって、「変なお土産があるんだけど・・・・まあ、入らなかったら捨ててよ。どうせゴミだから」と言っておずおずと渡すと、S君は「なにこれ?え?マジ?すげえ!!!!「」と私の予想を上回る大喜びだった。「部屋に飾るよ!これは家宝だ!」とまで言った。「それほどのもんでも・・・・・・」と思ったが、他人に物をあげてあんなに喜んでもらったことはなかった。いいことをしたと私も満足したのであった。

 音楽といえば、今朝のワイドショーでやっていたのだが、「スカパラ」こと「東京スカパラダイスオーケストラ」のアルバムがチャートで1位になったそうだ。初めてらしい。私の大好きな(声が)、谷中さんの姿を久々にテレビで観た。ちょっと地味になっていた。 今は亡き(脳腫瘍で亡くなった)、ギムラと谷中さんをやはり今は亡き六本木WAVEのJAZZコーナーで目撃し、しばらく側を離れられなかったのも懐かしい思い出である。レコードをサクサクするふりをしながら(うちにはレコードプレーヤーがない)、二人の素のJAZZ談義にずっと耳を傾けていた。

●W杯テレビ観戦の負け惜しみ

 日本の会場ではビールは売られるが、「一人一回一杯まで」という規定があるらしい。(M&T談話より)
 「ビールくらい飲みたいよねえ」な彼女たちは「ビール買う時間」も考慮しないといけないと話し合っていた。

 家でテレビ観賞してると、好きなだけ飲めるよ〜〜〜〜〜ん。
 明日はアイルランド・カメルーン戦を観たあと、友達と飲み会なので、新潟でビールの行列に並んでいるであろう二人にあまり対抗できないが。

●W杯の犠牲者

 すっかり音沙汰のなかったのであきらめたのかと思っていたF君だが、また「○日はどうですか?」とメールが入る。「その日は出勤なのでダメです。それに、6月は私はテレビの前から離れません」と返事した。

 テレビ放映スケジュールをプリントアウトして、うっかり人と約束しないようにしているのであった。



5月30日(木)

 業務連絡「ドイツ特派員様。カエルの合唱のドイツ語歌詞はこちらです。楽譜もあります(歌詞はエスペラント語らしい)んで、ちゃんと練習して、がんばってあと97人にリサーチしてください」
 楽譜と歌詞を探してくださった方、ご協力感謝いたします。

 今日も駅には、例の黒いニーチャン達(顔はそれほど黒くもないが、服が黒い)がいた。今日は2名だった。昨日は4人揃っていたような気がするが、それがシフト制というか、「何名かで交代して配置されている」のか「同じニーチャンが常勤」なのかはわからない。昨日4人揃っているのをまた目撃したときに、「そのうち見張ってやろう」と思いつつも一度もそうしたことがない理由がわかった。黒いスーツは目立つが、顔が大したことないというか、かなりレベルが低かったからである。つまり、興味深くはあるものの、じっと見つめるに値しないと判断していた模様。
 まあ、私が観察してもしなくても、にーちゃんたちにはなんの利害も及ぼさないのがちと悔しいという気がしなくもないが。(完全に無視されているのがちょっと面白くないらしい。乙女心は複雑である)

 人間の男をすっかり拒絶しているので、またハスキー犬と愛の日々を送ることにして、久々ジローをゴシゴシ撫でた。この陽気ゆえに、あの毛並みをゴシゴシしていると、ぷ〜んと犬臭い。昔知人が飼ってたオールドイングリッシュ・シープドッグもかなり臭かったが、あの犬はもっと甘ったるい匂いがした。犬種によって匂いも違うのだろうか?
 前にテレビで、「犬の鼻を舐めるだけで犬種を当てられる人」というのが紹介されてて、「すごいけど、真似したくないな」と思ったのだが、目の前にハスキー犬と柴犬が揃っていると(見知らぬ他人の飼い犬だが)、ちょっと試してみてもいいかな・・・・と、心が動いたが、心が動いただけで口は開かなかった。

 「ああ、臭いなあ」と思いながらも、しつこくゴシゴシ撫でていたのだが、ああいう匂いはそれほど嫌いではない。かといって特に好きだとも言えないし、よく犬と一緒に寝る人がいるが「臭くないのだろうか?」とも思うが、たしかにああいう匂いって、なんとなく心が安らぐような気がしなくもない。深読みすれば、昨今の人間様は脱臭に情熱を注ぎすぎているので、「生き物本来の香り」を失ってしまったようにも思えるので、ああいう「多少シャンプーしようが、やっぱり臭いもの」というか「臭くてもいいもの」にちょっと憧れたりしないだろうか?

 それに、人は騒音にはストレスを感じるが、全く無音な場所に置かれるともっとストレスを感じるらしい。だからある程度の雑音が必要だという。それが「f/1ゆらぎ」だったかなんだか忘れたが、一時期流行った「α波」を引き出すような「自然のそよぎ」みたいなのだといいらしい。するってえと、「ちょっと臭い犬の匂い」というのも、自然のゆらぎを持った匂いなのかもしれない。雨上がりの土の匂いや、干したあとの布団の匂いなんかと同じなのかも。

 自分がわりと「匂い好き」なので、香りを題材にした小説も大好きだった。「香水」も「香水ジルバ」も堪能した。両方とも香りに掛ける情熱が半端じゃないのだが(「香水」は香りのために殺人を犯す話。これがまたぶっとんでるんだわさ)、そのくらい人間にとって匂いというのは重要なんだと思う。最近は「体臭=悪」な構図がまかりとおっているような気もするので淋しいかぎりである。かといってあまりにも臭いのもやはり嫌だけどさ。冬などはよく浮浪者が電車に乗り込んで来るようだが、あれが面白いのは「香れども姿が見えず」な状態になることが多いので、みんな電車に乗り込んで座ったとたんに鼻をヒクヒクさせるのだ。

 ああいう場所での浮浪者の匂いって、社内にまんべんなく漂うのではなくて、煙みたいにムラがあるようで、急に「あれ?なんだ?」と何が不快感を感じたので、それを確認するためにヒクヒクするようである。そして中にはまるで「臭いのは絶対オレじゃないからな」と主張するかのように、ずーーーっと「ヒクヒク」と音をたてている人もいる。「そんな無理して嗅がなくても・・・・」と思う。(それほどあからさまに臭いときではなくても、ちょっと汗臭い人が満員列車で隣に立ったときに、ずっとフンフンと鼻を鳴らす人がいるが、あれもやはり「俺じゃないぞ」というアピールだと思うのだが・・・・)

 そして、みんな「匂いの発生源はどこだ?」と社内をじっと見渡す。でもあからさまにキョロキョロする人は少なくて、目がゆっくりと動くのだが、少し混雑した車内だと見通しが悪いので、発生源が見つからない場合も多い。そして我慢できる人やあまりそういうのに敏感ではない人はそのまま座っているが、耐えられない人は、停車駅で降りて車両を移動したり、もっとはっきりとした態度を表明する人は電車が動いている間にも隣の車両に移動してしまう。その各自の行動を観察するのがおもしろくて、臭くてもしばらく我慢してしまったりするのだ。

 しかし、前から思っていたのだが、「他人の嗅覚」を知ることはできないので、自分の「匂い好き」がどの程度のものなのか客観的に判断することはできないのだけれど、もしかしたら、私がそれほど嗅覚に優れているわけでもないが、わりと「匂いでいろいろ考える」のはひょっとして、目が悪いせいなのかもしれない・・・・犬みたいに・・・・・
 昔、とても目のいい友達と話していたら、彼女は「これ以上視力が良くても東京だったら不要」と言っていた。たぶん、視界に入るものの距離が近いので、アフリカの狩猟民族みたいな視力があっても資源の無駄だという意味だったのだろう。そう言い切れるということは、日常生活で目を凝らして「あれはなんだろう?」ということがほとんどないのだろう。たしかに、ハチ公前の待ち合わせで、100メートル先まで見える視力は不要だ。でも、私は5メートルくらいまで近寄らないと人間の識別ができないのである。

 たぶん、彼女と私とでは見えているものが相当違うはずだ。前にも書いたがやはり視力が良すぎて遠視気味の母は「ゴッホも目がよかったに違いない。だから遠くのほうまでびっしり描いちゃうのよね。わかるわ〜」と言っていた。母は水彩画教室で細かく筆を入れすぎだと指導されていたのだが「でも、見えちゃうからつい描いちゃうのよ」と困っていた。逆に私は、モネの画を「そのまんまじゃないか」と思っていたので、遠視の母と近視の私とではゴッホとモネくらい違う風景を見ているということであろう。

 それでも、私は30メートル先にいる友達を見つけることができる。それは「姿形」を見ているのではなくて、「服装や雰囲気」「歩き方」「所持しているバッグ」で見分けているらしい。「らしい」というのは、自分ではちゃんと見えていて識別しているつもりだからである。しかし、そうではないことに気が付いたのは、高校時代に駅から学校までの道は生徒がぞろぞろ歩いているので、友達を前方に見つけると駆け寄って「オハヨー」などと声をかけていたのだが、ある日、いつも声をかけている仲の良い友達を追い越してしまった。追い越すときに喋り声で気が付いたので、「あれ?なんでわからなかったのだろう?」と考える間もなく、友達がおにニューのカバンをぶら下げているのに気が付いたのであった。「私・・・・カバンで識別していたのか」とちょっと悲しくなった。

 近視の利点としては、人を顔で記憶するのではなく、話し方や雰囲気で記憶するようなので、一度会話した人のことはわりと憶えていたりする。そういや、それが裏目に出た出来事もやはり高校時代に体験した。
 同学年に一卵性双生児の姉妹がいて、姉が私のクラスにいて、隣のクラスに妹がいたのだが、妹とはほとんど交流がなかったので、「双子でもあんまり瓜ふたつってわけでもないな」と思っていた。しかし、芸術の授業は隣のクラスと合同で「美術」と「音楽」とあとはなんだったか忘れたが、とにかく選択ごとに振り分けられて、あるとき音楽の授業が自習だったので、妹のほうが、美術教室で絵を描いている姉のところに遊びに来ていた。
 私は二人に背を向けて絵を描いていたのだが、ふと背後の二人の会話の様子が気にかかったので、意識をそっちに向けた。私が違和感を覚えた理由はすぐにわかった。二人の喋り方と声がそっくりだったので、まるで大きな声で独り言を言っているような会話になっていたのである。

 「へえ、そんなに似てない双子だと思ったけど、やっぱりそっくりなんだな」
 と感心した。
 ところが、それ以来、私は姉妹の区別がつかなくなってしまったのである。妹の方とも、その美術の授業のおかげで顔見知りになってしまったので、廊下ですれ違うと挨拶してくれるようになってしまい、その雰囲気もそっくりだったので、「今のは姉だったのか?妹だったのか?」と混乱した。

 それ以降、私は「双子を見分ける」ことに著しく自信を喪失してしまい、「自分が産んだ子が双子だったらどうしよう」と、ときどき思い悩んで遊んでいたのであった。(どーでもいいことを思い悩むのが好き)

 ちなみに未だにオアシスのギャラガー兄弟のどっちがノエルでどっちがリアムで、どっちが兄でどっちが弟なのか未だに判別できていない。(彼らは単なる兄弟であって双子ではない)
 だが、それは「近視」とはまた別の問題なのはわかってますって。(ちなみに「ギャラガー」でよかったんだっけ?と心配になり検索してみたら、「世界ダメ人間列伝」というのがひっかかってきた。KLFも?100万ポンド焼却騒動か・・・・懐かしい。その映画観てないんだけど、MG氏が観たそうで、内容を話してくれて「もうこんなこと二度とごめんだ」と二人とも半ベソかいてたとか・・・・ほんとに燃やしたのかねえ?)



5月29日(水)

 ガーン・・・・
 ドイツ特派員(勝手に命名。ドイツ在住の読者とも言う)から「ドイツ人3人に聞いてみたところ、誰もカエルの歌を知らなかった」との報告が・・・・
 特派員はミュンヘン在住なのだが、するってえと、私が心に思い描いていた「ミュンヘンのビア・ホールで、カエルの歌を輪唱する」という夢は成り立たないのか? しかし、ドイツ特派員が人並み外れた音痴で、唄って聞かせてもなんの曲かドイツ人にわからなかったという可能性もある。でも、カエルの歌は多少音程が狂っていても通用すると思われるので、やはりドイツではメジャーな楽曲ではないのかもしれない。「フランダースの犬」がベルギーでは全くマイナーなように。

 す、するってえと、もしかして「蛍の光」もスコットランドで歌っても誰も知らなかったりするのか?(スコットランドで何かトラブルに巻き込まれたら、あれを歌えば許してもらえると思っていたのだが)
 もしかしたら、カエルの歌は、地方限定ものなのかもしれない。こうなったら、W杯のドイツ戦の会場入り口に張り込んで、「♪クワックワックワックワ ケケケケケケケケ クワックワックワ♪」と唄いつづけて反応を確かめるしかないだろうか?思わず調べるドイツ戦の日程。お、ひょっとして、M&TコンビはドイツVSアイルランドを観に行くのかな?(アイルランドサポーターらしいから)茨城には行くと言っていたが、もし、ドイツ戦観に行ったら、「カエルの合唱」を唄ってみてください、とお願いしておこう。

 うーん、しかし、日本とドイツが対戦する可能性はほとんどないだろうけど、もし実現したら、みんなで輪唱したら楽しいぞ〜すげえ盛り上がるじゃん!、と思ったのだが、ドイツでメジャーではないのなら、それも無理か。

 ところで、「めざましテレビ」では毎日そういう素朴な疑問を解明しているらしく、今日は「テニスの硬式ボールは空気穴がない?」というのをやっていた。あれは窒素ガスを充填しているようで、時間がたつと空気が抜けてしまうのだそうだ。だからあんな缶に入っているのだという。ガーン!(こればっか)
 私はウィンブルドンで雨の中行列したことがあるくらいのテニスファンだが、そんなの初めて知った。高校の体育の授業と、避暑地でのお遊びでしか硬式テニスをやったことがないので仕方ないのだが、それにしても好きな競技のことなのに全然知らなかったというのも悔しい。

 テニスを何回かやってみて、どうしても真剣にやる気になれなかったのは、昔から熱心に世界のトッププロの試合だけを観ていたので、そのリズムだけは頭に叩き込まれており、自分でやるとそのリズムが全く作れないから気持悪くてしょうがなかったのである。高校生のときにも「頭ではマッケンローのつもりになっているので、パシっとサーブしたら、ササっとネットについてボレーを決めたい」と思っているのに、クラスメートのサーブは当然「下手打ち」であるから、ひょろひょろと飛んできて、打球の速度が遅いから「ライジング」(というだったっけ?)で打ち返すわけにもいかず、球が地面に弾んで一回沈んでから打つことになるのだが、自分ではすっかりマッケンローなので、無理にライジング打ちしようと思って空振りの連続だった。テニス部の級友に「どうしても体がライジング打ちをしようとしてしまう。そもそも芝じゃないから(ただの土のコート)タイミングが掴めない」と語ったら、思い切り笑われた。

 昔の古物商などが、奉公人を目利きに育てるために、「最初から本物しか見せなければ、すぐに贋物を見破るようになる」という理屈で、丁稚奉公に来た少年にも最高級品だけをわざと見せる、という話を聞いたことがあるが、草野球は鑑賞したことがあるが、草テニスはほとんど観たことがなく、最初から「トッププロ」の試合のみを観ていた私も「本物しか受け付けない」人になってしまい、自分のへっぽこプレーが許せないのだと、勝手に理屈をつけていたのだが、「サーブもできない人がなに言ってんの?」と真っ当な批判を受けたのであった。

 水泳は子供のころに習得したので、「変だ。なぜ、イアン・ソープのように泳げないのだろう?」と思い悩んだりしない。「あれはあれ、これはこれ」とちゃんと区別できているのである。(威張るようなことではないな。普通みんなそうだろう)
 というわけで、今日は久々に泳ぎに行った。多分、今月初。最近ほんとにサボリ気味。しかし、せっかくまた「スポーツクラブ・モード」になっても、来月はW杯モードになってしまう予定なので、またサボっちゃうだろーなー。

 W杯を迎えるにあたり、私が最も警戒しているのはフーリガンではない。(ちなみに競技場のお膝元にあるうちの会社では開催日に徹夜で番する担当が割り振られた。なにかあったら通報する役らしい。W杯を迎えるにあたっての総務部長のお言葉「みなさん、開催日にもしなにかあったら、とにかく逃げてください。命が大事です」)
 私が警戒しているのは「村上龍」である。この間もエラソーに「ヒデは、ヒデは」と語っていて、大変イライラした。ほんとはどこかに監禁しておきたいのだが、まあ、あれを好きだという人も多いのだろうか?その昔もときどきバカなテレビ局がテニスの中継の解説に龍を呼んでしまい、「僕もこういうときには悩むんですよ。なかなかこんな思い切ったサーブはできないなあ」などと語られ、「てめえの草テニスと一緒にすんな!」と怒りまくった。小説家としてはどうだかしらんが、あの人にスポーツ解説をさせてはいけない。自分のことばかり喋るから。
 
 うちのテレビに龍が喋りだしたら、顔は我慢するから音声を消してくれるようなフィルタリング機能があればいいのに・・・・
 ああ、でもまた民放なんかは、わけわかんないタレント揃えたりするんだろうなあ。明石家さんまだとイライラしないんだけどなあ。 



5月28日(火)

 携帯不所持人間なので、あまりよくわかってないのだが、ときどき見かける「携帯電話を首からぶら下げている人」がどうにもこうにも理解不能である。
 だって、あれって、「鎖につながれた犬」っぽくないですか?
 やってる本人は鏡に映った自分の姿を見て空しくなったりしないのだろうか?

 「首からぶらさげ族」のほとんどが男性みたいだ、男性の場合、胸ポケットにいれておいて、トイレで落っことしたなんて話もよく聞いたから、あれは多分機能性を重視したものなのであろう。女性と違ってカバンを持たない人も多いから、ああしてぶら下げておいたほうがラクなのかもしれないし。
 
 うちの会社にも一人いて、その人は外出時にはカバンに入れているみたいだが、社内ではよくぶらさげて歩いている。携帯に電話してくる得意先も多いみたいだから、うっかり机の上に置いて他のフロアで話し込んだりしないようにしているのだろう。
 でも、彼は、昼に食事に出るときにも「食事に出るけど、なにかあったら携帯に電話してね」と言うのだ。
 
 まあ、そう言うのは勝手だし、本人は丁寧で親切なつもりなのかもしれないが、でも今時みんな携帯持っているので、そんなこと言われなくたって
 ほんとに緊急のときには電話するが、それでも外出の目的が昼食だけなら、電話応対した人だって「昼食に出ています」と言えば済むだろう。そりゃあ、それで済まない用事だってあるかもしれないが、常に「緊急事態」を想定して仕事するのって嫌じゃないですか?

 どうも世の中が携帯を中心に回るようになってから、「いつでもどこでもすぐに連絡がとれる」ということが普通になってしまったので、携帯に電話しても繋がらないと皆ストレスを感じるようになってしまったようだ。「電源切れてる!」と怒ったって、打ち合わせ中のときもあるだろうし、電車に乗っている場合だってあるはずだ。
 それに私は話をしている相手が途中で携帯に出ると、なんかとても失礼なことをされているような気がしてしまう。私がカルロス・ゴーン氏だったら、商談相手はちゃんと電源をオフにするだろう。

 オフィス内だけではなくて、プライベートなときでも、食事中にテーブルに携帯置く友達もいるが、あれもかなり不愉快だ。人と会っているときには電源切っておけと思うのは私だけだろうか?
 だから昼休みに携帯を持って出かける人というのも理解不能なのだ。昼休みなんだから電話に出ないくらいの心のゆとりが欲しいと思う。

 それに、あの得意先ともダイレクトに携帯でやりとりするのって、すごく非効率的だと思うのです。
 せめて会社の電話番の子に「すぐに連絡とらせます」とワンクッション置かせればいいのに、得意先はいつでもどこでもくだらない用事で電話かけてくるから、その応対をするために、今やっている仕事を中断することになる。そう。携帯は「居留守」を使いづらいのである。

 会社でも、ちゃんとわかっている人は外部にはあまり教えないようにして、緊急ではない電話に対しては「4時ごろ戻りますから折り返しご連絡させます」と電話番に対応させて、緊急だったら、電話番がその人の携帯に電話して「急ぎらしい」と言えば、彼が電話できる落ち着いた状態のときにかければいいわけだ。そのやり方のほうが、効率がいいと思う。

 結局、常に電話が繋がっていないと不安なだけなんだろうか?
 もっとも、個人で仕事をしている人はオフィスで電話をとってくれる人がいないから仕方あるまい。昔はそのために家族に電話番をさせたり、電話番のためだけに人を雇っていた人にとっては経費節減になっているのだろう

 でも、そうではない人間が嬉々として「首輪」をしているのは、やっぱりなんだか「SMプレイ」を連想させてしまうのだ。電話に縛られるのが好きってかんじ。
 それで、私が携帯を持たないのは、「手続きが面倒だから」「どの機種を持てばいいのかわからないから」というのも大きな理由だが、自分もあっさりと「緊縛嗜好」になってしまいそうな気がするので、それがどーしても嫌なのである。

 なんだかあの「勝手にいつも繋がっている」かんじがダメだ。
 前にも友達と「AOLメッセンジャー」で盛り上がったことがあったが、あれも私は機能がわかっていなくて、当時はダイアルアップだったのだが、メールを送ろうとしてネットに接続したら、友達から「おかえり〜」とメッセージが入り、えらくビビった。

 私が偏屈なだけかもしれないが、自分の孤独を選びたい。まあ、上手く使えばいいだけなのだろうけど、あまり上手く使っている人が少ないので、自分も上手く使えないのでは?と思ってしまうのであった。
 そういや、前にとある人が私に電話をかけてきて、どうやら私の友達の携帯にも何回も電話したのだが「あの人、いっつも電源切ってて繋がらない」と怒っていた。私はよく知っているのだが、その友人は「待ち合わせなどで外出するときにしか持たないし、家では電源切っている。買い物などで一人で外出するときは家に置いておく。電源切ったまま(笑)」そうなのである。親しい友人は自宅の電話にかけてくるので、「別に電話かけてほしくない相手」には「携帯番号」だけを教えているらしい。
 あれは上手い使い方だと思った。

 普通の電話は生まれたときからあったので、何の違和感もないが、電話の無い時代に生まれた人には「電話嫌い」もいるみたいだが、その気持が今になってよくわかる。そういやタモリも電話嫌いで「あの人の都合も考えずに突然鳴るのが嫌だ。電話するなら、先に電話しますと電話してほしい」とか言っていた。

 携帯電話がなんとなくしっくり来ないのは、人によって「携帯電話に対する距離」が違うからのような気もする。常に繋がっている人と、「自分がかけたいときだけ公衆電話代わりに使う」人や、自分の生活に合わせて電源切っちゃう人(寝るときには切るそうだ)もいる。
 普通の電話も今では留守電は当たり前だし、かけてきた人がわかる機能もあるが、あれは「在宅してても、不在でも鳴る」し、留守電応答したら「居留守使ってるな」とはそうそう思わないので、「不在なんだな」と納得できるからシンプルだけど、携帯が留守電になっていると「お取り込み中(芝居観てるとか)かな?」と思ってしまうし、「電波の届かないところにいるか、電源が切られてます」と言われると「地下鉄に乗っているのか、建物の中にいるのか、山の中にいるのか」などと考えてしまう。

 あー、そんであれもヤダな。友達の携帯に電話すると、なんか騒がしくて「ごめん、今電車の中だから、またかける」とか言われるの。
 「別に大した用でもなかったので、移動中にかけてすいません」と思ってしまう。家にかけて留守だったら、そんな「すいません」な気分に陥らなくても済むものを。

 私の友達はまだ一人暮らしでも「家の電話」を持っているので、普通に「最近どお?」という用件のときには、まず家の電話にかけて、留守電に「また電話します」とメッセージを残しておく。向こうが暇で私と話したかったらかけてくれるはずだ。
 でも、最近は一人暮らしを始めても家に電話を引かない人も多いので、そういう人に「どうよ?」と電話かけにくくなってしまった。

 そうだよな、私が知りたいのは友達が家にいるか、いないかであって、いるのなら多分、わりと寛いでいてテレビでも観ている可能性が高いので、じっくり話しができるかも、と思って「ちゃんと話がしたいから」電話するのであって、「どこにいるのかわからない人」と話をしたいわけではない。それに友達が今どこで何をしているのか知りたいとも思わない。

 などとボヤく、すっかり旧世代の人だが、いずれそのうち、パリに行ってもインドに行っても「もしもし?え?ああ、今パリでエッフェル塔登ろうとして並んでるんだけど、何?暇だから大丈夫だよ?」なんて会話しながら歩いている人を見かけるようになるんだろう。やだなーそれ。

 そういえば、「普通の電話も嫌い。昔は手紙を書いたもんだが」などという私よりも2世代(もしくは3世代?)上の人たちに捧げる話。
 インドで会った旅行者に聞いたのだが、その人が会った「奥地が大好きな旅の達人」に聞いたらしい話。

 旅人が、ネパールの奥地である家庭にお世話になった。そこを旅立つときに世話になった家族に「きっと手紙を書きますよ」と言ったら、「なんで、手紙なんて書くんだ?」と不思議がられたそうだ。
 その家族曰く「手紙よりも会いに行ったほうが、会って話したほうがいいじゃないか」
 旅人は「でも、なかなか会えない遠くにいたら、手紙で連絡とるしかないじゃないですか」
 家族曰く「なにか話しがあるのなら、会いに行けばいい。私たちはたとえ何日かかろうと、何週間かかろうと、話がしたかったら会いに行くよ」

 息子は元気でやっているかな?と思ったら、3日かけて町まで訪ねていけばいい。親戚のおばさん元気かな?と思ったら、2週間かけて歩いて行けばいい。
 そういう考え方らしい。手紙なんて信用していないし、そんなもんコミュニケーションだと思っていなかったらしい。最も文章を書くのが苦手というか、識字率が低いのかもしれないと言えばそれまでだし、「電話」があればその人たちだって電話に頼るに決まっているが、「手軽にコミュニケーション」に慣れきった頭には「話をしたければ会いにいけばいいのに」というシンプルなご意見には「そのとーりでございます」と素直に感激したのであった。

 と言っても、日曜日の昼下がりにうちの母上が「話があるから遊びに来たわよ〜」といきなり玄関の外に立ってたら、嫌ですけどね。
 明治時代の小説などを読んでいると(漱石とか)、けっこう人は気軽に「ノーアポイントメント」で訪ねて来てますよね。「ちょっと近くに用があったもんで」と。
 あの時代には「家族が全員不在」ということはあまりなかったらしい。主婦があまり気軽に外出できなかった時代だったのだろうし、毎週末に行楽に出かけるという習慣もなかったのだろう。う
 ちの祖母などは「家を留守にして鍵をかけて外出」というのをとても大事のように考えていた。(今はもう半分ボケちゃったが、数年前までは)あれは、きっとそういう「ノーアポ」な来客が来るということを想定していたに違いない。
 私が育ったベッドタウンでも、当時は専業主婦ばかりで、「平日一日中誰もいないご家庭」という存在は特殊だった。お隣が一部上場企業の役員さんのお家で、高校生の娘は帰宅が夕方遅くなるし、そこの奥さんもゴルフだなんだで外出が多かったので、うちがお隣に届く「宅配便」の預かり所になっていた。お中元やお歳暮の時期には玄関がいっぱいになるくらい預かったもんだ。お隣も悪いと思ったらしく、ときどきおすそ分けをしてくれたけど。
 今でも憶えているが、海外からすごく大きな木箱が届いた。たまたま家にいた私が受け取ったが、それはウェッジウッドの食器セットらしかった。「ひええ、こんなもんまで贈ってくるの?」と思ったが、どうやら欧州旅行に行ったときに「安いから」と現地で買って船便で送ったものらしかった。さすがにあれはおすそ分けしてくれなかった。

 話は逸れてしまったが、「宅配便の荷物を近所が預かる」というのも最近は廃れてしまいましたね。
 あの隣のうちの「荷物預かり所」もたまたま、うちの下町育ちの母もそんなの当たり前だと思ってたし、子供たちも「それが当然」だと思っていたので、誰も何の疑問も抱かずにただ受け取って玄関に置いておくと、夜になって隣の奥さんが「すいませーん」とやってきて、持っていったが、もしうちが、「もっと捻くれた、性格の悪い家族」だったら、かなりムカついてたと思うなあ。

 まあ、一応、「鈴木さん(実名)ちは、いいな〜たくさんお歳暮が来て」と羨ましがっていたが、母が「でもお礼状書いたり、お返ししたりが大変よきっと」というので「そりゃそうだ」と納得していたのであった。

 そーいえば(話どんどん逸れる)、その20年後、うちの父が勤めていた会社を追い出されて子会社の取締役に就任してしまったら、「就任祝い」がすごくて、しかも父が財務部の長みたいになっていたらしく、銀行や証券会社がドカドカと豪華な品物を送ってきて、母はかなり参っていた。「こういうのって貰いっぱなしでいいのかしら?うちはサラリーマンの親戚がいないから、相談する人もいない」
 娘は別の意味で嘆いていた。「なんだ、この○○証券って潰れそうなくせして、こんな高級そうなワインを送ってきやがって!あ、○○銀行、貴様、接待癖がちっも直っていないじゃないか!」無駄金遣ってないで(うちの父はワインには興味がない。喜んで持って帰るのはどこの会社から贈られたの知りもしない娘であった)ちゃんと仕事しろ!

 なぜか「シャツのお仕立て券」がたくさん集まって、母曰く「おとーさん、ヨーカドーので充分だから。それにデパートで仕立てたワイシャツってアイロンがけが面倒。スーパーで買ったほうが、形状記憶繊維でアイロン不要なのよ」だったので、研究熱心な母がいろいろ調べたら「お仕立て券」は現金にはならないが「商品券」には換えられたので、あの当時我家は「商品券成金」と化していた。でも、うちの母はスーパーは大好きだが、デパートに買い物に行くという習慣を持っていなかったので長らく放置されていた。娘はそのおすそ分けというか、かなりの金額をせしめて、再就職活動に必要なスーツを伊勢丹で購入することができたのでした。

 で、サラリーマンの悲しさよ、で、取締役を解任されたら、見事に贈答品は来なくなったのであった。あんだけ沢山あったワインも全部飲んでしまったはず。(主に私が。だって母は下戸だし、父は安い焼酎しか飲まないんだもん)
 で、娘も当時は「なにこれ?1万円の商品券10枚なんて使いにくいじゃん」と言いつつも、無理やりデパートで買い物していたのだが(タワシを三越で買っていたりした。おつりの出るやつと出ないやつの区別がかなりつくようになっていたが、もう全部忘れた)、その資源が枯渇すると、西友でことが足りる人にあっさり戻ってしまったのであった。母は「デパート嫌い」を貫き通して、商品券はほとんど使ってなくて、ずっとヨーカドーに操をたてていた。ほんとに堅実な一家であった。

 そーいや、思い出した!その父の会社に出入りしていた弱小証券会社が私を雇おうとしたこともあったんだよな。
 あれはうちの母が「おとーさん、娘が失業中なんだから、地位があるうちになんとかしなさい!」と言ったからなんだろうけど、父から急に「○○証券で人を募集しているそうだ」と連絡があって、「それって、見え見えの政略就職(?)じゃん!」と思ったのだが、母が怖かったので、先方に連絡してみたのだが、向こうは「時給2500円くらいでどうですか?いつからでもいいですよ?」という対応で、どうやら派遣社員にやらせていた仕事なので、派遣会社に支払っていた時給くらいは丸々払っても向こうは損しないし、娘抱き込めば、父が勤めている会社の投資事業を一手にできるとホクホクなのも見え見えだった。

 あんときだけは「ドブ板お嬢様」の気分をじっくり堪能させてもらいました。おかげでムキになって自分で就職先を見つけたので、なんとか難を免れました。だって「父のご威光」が一瞬なのもわかっていたので、父が退職したあともそこで厚遇されるわけはないとわかっていたから、「そんなスポーツ推薦で大学に入学したものの、故障で活躍できなかった選手のような不遇な思いはしたくない!」の一心だったのでありました。



5月27日(月)

 朝起きたら腰が痛かった。どうやら昨日の映画二本立てがいけなかったらしい。あの映画館は大好きなのだが、椅子が古いのでスプリングもボコボコだから腰にはあまり良くないのであった。
 しかし、また鍵当番だったので、朝8時半には会社にたどり着く。しかし、また負けた。いつも鍵を開けられない悲しい鍵当番である。存在の耐えられない軽さとでも言おうか。

 それでは唐突ですが、「カエルの合唱」を声に出して唄ってみてください。(今朝の「めざましテレビ」を7時半ごろ観た人以外)

 ♪カエルの歌が〜 聴こえてくるよ〜

 この続きをあなたはどう歌ってますか?
 

 たぶん「めざましテレビ」で、「かえるの合唱」の謎について究明していた。あの唄のサビ(サビもへったくりもない短い楽曲であるが)をある兄弟の兄は「♪ゲゲゲゲゲゲゲ、グワッグワッグワッ」と唄い、弟は「♪ゲロゲロゲロゲロ、グワッグワッグワッ」と唄う。「どっちが正しいの?」というわけで、さっそく街頭でリサーチ。見事に「ゲゲゲ」と「ゲロゲロ」に分かれたが、どうやら若い人が「ゲロゲロ」で年配の人は「ゲゲゲゲ」だった。

 その時点で私は自分がどっちだかわからなくなったが、たぶん私は「ゲゲゲ」派だと思う。

 「カエルの合唱」がドイツ民謡だというのを初めて知った。ドイツ人が「♪シュルデンハイネンシュトルシュテン〜」(デタラメです)と「カエルの合唱」を唄うのはなにやら奇妙だったが、問題のサビの部分をドイツ人は「♪ケケケケケケケケ、クワックワックワッ」と唄った。
 そして取材班が調べたところ、音楽の教科書に載っている歌詞は最初は「ケケケ」だったが、後に「ケロケロ」になっているらしい。それが世代の差になったらしいのだ・・・・・が?あれ?教科書では「ケケケ」で「ケロケロ」なのに、みんななぜ「ゲゲゲ」に「ゲロゲロ」なの?というわけでどこかの大学の先生に伺いに行ったら、「強い音を出そうとすると濁音になりやすい」とかなんとか・・・・・の、ところで私は出発しなければならず、断腸の思い(おおげさ)でテレビを消した。

 う〜〜〜〜む。奥が深いぞ「カエルの合唱」
 しかし、これを観てしまったあとで「さて、自分もほんとにゲゲゲ派だったのか?」と考えても、もうわからない。最初に3分くらい時間をもらってマッサラな自分のままで唄ってみたかった。残念。

 あ、もしかしたら、これを読んだ人もそう思うかもしれないので、冒頭に加筆しておこう。(青字部分)

 会社の帰りにまた鍼灸院に寄って、先生にその話をしたら、先生も「え?どうだったっけ?」と言っていたが、どうやら「ゲロゲロ」派らしかった。でも、それは私が先に「ゲゲゲですか?ゲロゲロですか?」と言ってしまったので、ほんとうにそうだかわからなくなってしまったようだ。「たしかに、ケロケロと習ったような気もする」
 ほら、みんな先に言われるとわかんなくなっちゃうんだよな。それも不思議と言えば不思議だ。今度友達に会ったら、とにかく何も言わないで唄ってもらおう。

 ついでに先生は「♪ブンブンブン 蜂が飛ぶ」のエコーがけ唱法を披露してくれた。なんか私が子供のころにも流行ったような気がするが、私は習得していない技だ。

 ま、そんな無駄話をしつつ、腰に重点的にお灸をしてもらい、帰り道はなんとか軽やかに歩いて帰ることができた。
 今度ドイツ人と会う機会があったらビールを飲みながら「カエルの合唱」を輪唱しようっと。

 早起きしたので猛烈に眠いのであった。早寝しようっと。



5月26日(日)

 そうそう、昨日は「ゲイン」が「穀物」と結びつくということは、ひょっとしたら「私も共感覚者のはしくれ?」(共感覚者についてよくわかってないが、味と形が一緒になってたり、匂いを色で感じてたりするらしい。頭の中で「ゲイン」と唱えた瞬間に麻袋に詰まって運搬されている穀物を思い浮かべたんで・・・・)と思って、必死に考えていたのに、つまらない落ちになってしまったので、ガックリきていたのでした。

 そんで「キャタピラー」な話で思い出したのだが(これも前に書いたかも)、昔、母と祖父の家を訪ねたときに、祖父が大事にしている鉢植えが「どうやら虫に食われているのだが、その虫が発見できない」ようで、目の良さでは自信のある母が(落としたコンタクトレンズを発見するのが得意)と共にベランダに出て、その被害者の鉢を見てみると、たしかに葉っぱがかなり食い荒らされており、その下にはパラパラと黒いフンが落ちていたので、毛虫嫌いの私はその鉢に近寄るのも嫌で3歩ほど離れたところで成り行きを見守っていた。

 「たしかに、こういう虫って擬態しているから見つけにくいのよねえ」と言いながら、母はじっくりと目を凝らして敵を探していた。
 しかし、なかなか発見できない。「な?見つからないだろう?」と祖父。

 それほど大きな鉢植えでもないのに、敵はほんとに上手く擬態しているらしい。落とされたフンの様子から察するに「これはさっきまでバリバリ食べてたわね。人の気配がしたから、今はビシっと動かないで葉っぱのふりしているのよ」と母もムキになっていたが、なかなか見つからない。
 祖父と母が腰をかがめてしばらく鉢植えを睨んでいたが、ぜんぜん見つからないので、私も「そんなに擬態が上手いのか?」と思って、思わず探し始めてしまった。「ほら、こういうのって嫌いな人のほうが見つけるじゃん」

 第六感にも「女の勘」にも無縁な人生を送ってきたが、何度か「この道はなにか嫌なオーラがある」と思って歩いていたら、道の真中をキャタピラ君が横断中だったということが何回かあって、「キャタピラに関しては勘が働くらしい」という不思議体験をしていたのであった。
 そして、私が鉢植えに近づいたとたん、なにかピリピリと手先に感じるものがあった。そして、その指先の近くを凝視すると・・・・・・・

 「・・・・・・いた。ほんとに葉っぱに化けている」
 「あら、あんた凄いわね。どこ、どこ?」
 「ほら、ここ」
 「え、どこ?」

 こわごわと指を指しても母が気が付かないほど葉っぱそっくりだったが、私には「それは葉っぱではない」とわかっていた。
 母もやっと気がついて、「あらあ、ほんとに、すっかりおスマシしちゃって、これじゃわかんないわー」と感心していた。
 「見つかったか?どこだ?ちょっと待ってろ」と祖父が部屋に引っ込んだと思ったら、植木用のハサミを持って出てきた。

 「ぎゃあ!おじーちゃん、それで処刑すんの?」
 「うわ、お父さん、それうちらが帰ってからにしてちょうだい。もう帰るところだったから・・・・・」
 と母子は「爺さんが大切にしている鉢植えを台無しにした犯人」の処刑を見たくなかたったので、慌てて支度して帰ってしまったのであった。

 あのときに指先に感じた「ピリピリ感」はほんとに不思議だった。まあ、指先だけで感じたのではなくて、先に目がそれをとらえて「なにかが違う」と思った信号が送られたのだと思うが。でも、キャタピラ発見超能力なんてあまり欲しくないのだけど・・・・

 昼すぎに目が覚めて2時までごろごろしていて、昨日読み終えたけど、斜め読みしすぎと酒飲みながらだったので、ラストの法廷シーンのからくりがイマイチよくわからなかったので「真夜中は別の顔」を読み直してみた。

 しかし、これでわかりました。NHKのドラマのジェームズ三木脚本にいちゃもんつけていたが、撤回します。ジェームズさんは偉大でした。あの薄っぺらい原作をちゃんとしたドラマに仕立て直していたのですね。かなり苦労したというのがよーーーーーーくわかりました。あたしがあの原作を「日本人が演じられる脚本にしてください」と言われたら、途方に暮れるわ。

 そんで夕方になってから、「さあ、映画でも観に行くか」と思っていたら、いきなり夕立。雷も鳴っていて、外出するのを迷うが、でも三茶の映画館の上映スケジュールは1週間ごとに変わってしまうので、今日観に行かないとならないので、がんばって外に出た。
 雨はけっこう降っていたが、雷はかなりおさまっていた。空はかなり明るくなっていて、西のほうから差す日差しを傘で避けるようにして、早足で歩いていると、東のほうに大きな虹がかかっていて、道行く人たちも見とれていた。あんなに立派な虹を見るのも久しぶりだったかもしれない。お天気雨は「狐の嫁入り」と言われるが、えらく派手は嫁入りだった。さぞかしゴージャスな狐が嫁いだのだろう。(尻尾が7本あるとか)

 さて、最初に観たのは「耳に残るは君の声」で、クリスティーナ・リッチがロシアのユダヤ人難民の子供を演じていた。まあまあの佳作。いろいろな歌が挿入されて、選曲はなかなかよかった。ちょびっと泣けた。クリスティーナ・リッチのあのギリギリの美しさをカメラがちゃんと捉えていて、その演出は見事であった。
 しかし、私の心を捉えたのは「白馬にまたがりパリの街を走り回るジョニー・デップ」であった。笑えた。

 まあ、なかなか良い映画だったので、そこそこ楽しめたのだが、次に上映された「ムーラン・ルージュ」のほうがぶっとんだ。
 すごい、こんなパワフルな映画だったのか!
 映像もCGを駆使したもので、かなりサイケというか「なんか悪いもの食ったのか?」(毒きのことか)ってかんじの悪乗りしてたが、いきなりユアンが朗々と唄いだす「サウンド・オブ・ミュージック」で爆笑。場内にやたらと大声で笑う男性二人組みがいたので余計に盛り上がり、私もゲハゲハと声出して笑った。

 その後も、続々と飛び出す「すげえアレンジのヒット曲たち」で、「ダイアモンドは女性のベストフレンド〜♪」でニコールが華麗に登場する「これぞムーラン・ルージュ」なシーンでは、なぜかさりげなくニルバーナの「10代の魂の匂い」が挿入され「それは、ねーだろーガハハハ」と笑ってしまった。「マテリアル・ガール」もちょびっと挿入。この映画は誰でもそれなりに楽しいとは思うが、ある程度「洋楽ヒット曲」を押えている人というか、私みたいに「カラオケで洋楽歌いたがる人」のほうが楽しめると思う。(「マテリアル・ガール」は私のカラオケ得意曲である)

 だって、パトロンの公爵にムーラン・ルージュのオーナーが言い訳をしていて、なぜかというと来るはずのニコールが来ないから、なんとか釈明しないといけないのだが、字幕では「彼女は今、教会にいって自分の過去の罪を洗い流して、あなたの前にヴァージンとして現れようとしているのです」と苦しい説明しているのだが、字幕では普通の会話になっているが、英語の会話が「touched for the very first time」とか言い始め、「あれ?この言葉はなんか・・・・」と思っていたら、
セリフがそのまんま「Lile a virgin」になってきたと思ったら、いきなり始まる「男ばかりでライク・ア・バージン」で、これがもう最高。

 そんで、ニコールがやはり公爵に身を任せないと芝居が上演できなくて、それに耐えられないと思っている恋人のユアンに向かって、役者が「金で身を売る女に恋なんかしちゃいけない」と一席ぶつシーンでは、アルゼンチン・タンゴの調べが始まったと思ったら、「♪ロ〜〜〜クサ〜ヌ」とダミ声で唄い始め、「おいおい、ポリスのRoxaneってそのままじゃん!」と爆笑。♪You don´t have to sell your body to the night... ♪ですからねえ。

 そのほかにも、恋を唄った名曲たちが、ドンピシャに使われていて、ゲラゲラ笑いまくりの楽しい時間が過ごせた。「あなたは原曲がどのくらいわかりますか?」でも楽しめた。でも、アレンジはかなりのもんで、その構成力には脱帽。
 ニコールが美しいのは定説としても、ユアン君も「シリアスよりも、やはりこーゆー役のほうが絶対合っていると思ってたわよ」な、ドン臭いが生真面目な青年役がマッチしていた。ユアン君は存在自体がやや「押し付けがましい」のであまり好きな役者ではなかったのだが、今回はいい味出していた。

 でも私の好みは「おまえはリッチー・ホウティンか?」な劇中劇の「音楽監督」君でした。ズキン・ヘッドに変な眼鏡。なぜか、他の音楽関係者もだんだん彼と同じルックスになっていき、「わー、リッチーがいっぱい」とよろこんでいたのでした。いや、別にスキン・ヘッドが好きなわけではなくて、「リッチーだからいい」のであって・・・・基本的にロン毛好きです。

 というわけで、ほんとは「耳に残るは君の声」をお目当てに行ったのですが、「ムーラン・ルージュ」にすっかりやられてしまったのでした。たまにはこういう「楽しいだけの映画」もいいですよね。一応ラストはシリアスなんですが、ほとんどコメディーでした。 



5月25日(土)

 出勤。例によって静かすぎで仕事はあまりはかどらなかったが、邪魔されることもないので単純入力をさっさと片付けた。

●前から気になっていること

 三茶の駅の改札付近にときどき「スーツ着たニーサン」が立っている。待ち合わせの人ではないと思う。だって待ち合わせの人はもっと端に寄ってるもん。ニーサンたち(たいてい二人組み)は、通路の真中でぼんやり立っている。
 ところが、ここ最近は人数が増えて、今週一回みかけたときには4人組になっていた。

 黒っぽくて、テカったスーツを着たDA PAMPを洗濯機で洗って、そのまま干さずに3時間ほど放置してから電子レンジで無理やり乾かしたような(ってどんなよ)「三茶がいくらプチ繁華街だといっても、こういう人たちを見かけることは少ない」4人組が、横に並んでいて、しかも一人は肘を隣のニーサンの肩に置いている。ポーズだけはロック雑誌のグラビアみたいなんだけど・・・・・たぶん、あの雰囲気はなにかのスカウトかキャッチ・セールスなんだろうけど、未だに一回も誰かに声をかけている現場を押えていないので断定できないが、いったい何を求めて三茶駅で張っているのだろうか?

 私はすごく気になっているのだが、彼らは私のことが全然気にならないようなので目も合わないのであった。
 そのうち、「待ち合わせ」の振りして張り込んで現場を押えたいと思う。

●月は東に日も東に

 6時には会社を出たので、まだ明るかった。今日はこんなに天気が良かったのに、布団も干せず残念。明日は晴れてくれるだろうか?休日にパーっと天気がいいと少しは気分が上昇すると思うのだが・・・・などと、思いつつ電車に乗っていたら、前方にポッカリと白い月。ほぼ満月らしい。
 ぼんやりと月に見とれていたら、いきなりオレンジ色の光が目に飛び込んできた。
 向かい側の窓に夕日がくっきりと映ったのである。
 短い時間だったが、白い月と赤く燃ゆる夕日が同時に鑑賞できたのであった。
 「超個人的な天体ショー」にちょっとご機嫌になる。

 ふと考えた。夕暮れの薄墨色の空に浮かぶ白い月の光は私の背後に今まさに沈まんとしている太陽の光を反射しているだけだ。そして、電車の窓ガラスに映った夕日の映像も同じ太陽から発せられた光が反射して私の目に届いたわけだ。
 するってえと・・・・・ええと・・・・・月のほうが遠いから(笑)、今私が並列して悦にいっている二つの「輝けるもの」のその輝きというか光が旅してきた距離はずいぶん違うわけだ。ええと・・・・するってえと、今この瞬間に巨大な錦鯉が太陽をパクっと食べちゃうとか、カッパーフィールドが太陽を消しちゃうと、先に夕日が消えて、その一瞬後に月が消えるわけだな。ん?太陽が消えると、地球も真っ暗か・・・・・ああ、でも電車の灯りはついてるかもしれないが・・・・するってえと・・・・と、じっと頭の中でシミュレーションしてたりして、なんかやっぱ疲れてんな。

●キャピタル・ゲインの謎

 土曜日出勤で、あまり真面目に仕事する気もなくて、またネットを徘徊していたのだが、「そういや、前に観たときに長そうだったから読まなかったんで」と思ってHot Wiredに連載されている稲葉振一郎の「地図と磁石」をぼんやり読んでいたのだが、その中に「キャピタル・ゲイン」という言葉の説明が載っていて「株式や土地が値上がったときの儲け」と説明されていた。

 いきなり気が付く。「私は35年間の人生の中でキャピタル・ゲインの意味を考えたことがもしかして一度もなかった?」
 でも、とてもよく耳にし目にする単語である。いったい、今まで私は「キャピタル・ゲイン」が何者だと思っていたのだろう?

 ちなみに「キャピタル」が「首都」という意味は知っていたが「資本」や「元金」を意味するということは今日の今日まで知らなかった。「ゲイン」なんてスペルも思い浮かばなかったくらいだ。gain・・・・利益、儲け
 なるほど、海外旅行に行って、「家賃」を聞かれたことはあっても「資本」を尋ねられることは無いし、ましてやホテルのフロントで「おたくの資本はいくら?」なんて聞く必要に迫られたことはないし、「勤めている会社には従業員が何人いるか」という質問はメジャーだが、「で、資本金は?」などと聞かれたことなんて・・・・・たぶん、ないと思う。たぶん。(質問されても意味がわからなかった可能性はある)
 私が大阪出身だったら、英語を学び始めた中学生のころに「儲かりまっか?」は英語ではどう言えばいいのか調べたかもしれない。

 でも、これまで「キャピタル・ゲイン」と言う言葉を目にしても何の違和感も抱かなかったので、なにか自分なりに意味がわかっているつもりだったと思われるのだが、本当の意味を知ってしまった後では、それを思い出すのは困難である。
 だが、少なくとも「株売って儲ける」という意味にはとっていなかった。

 じゃあ、なんだったんだろう?
 失われた記憶を求めていろいろ彷徨ってみたが、どうやら「指数」かなんかだと思っていたようである。投資関係にはいろいろ意味のわからない英単語が登場するので、「ダウ平均」の「ダウ」がなんだか知らなくてもいいと思っているから、その類だと思っていたのか?

 いや、でも、よーく考えると、どうやら私の中で「ゲイン」というのは穀物と近い場所に置かれている。なので、穀物の先物かなんかの指標かと思っていたらしい。「首都」で「穀物」っていうのも意味不明だが、「首都」というのはデーンとした中心というイメージがあるので、「穀物の巨大な備蓄倉庫」のようなイメージを持っていたらしい。

 でも、なんで「ゲイン」で穀物なんだろう?よく考えるとわからない。「語感」で頭に収めるクセがあることは知っていたが、他にゲインに似た語感のもので、しかも穀物ってなんだ?オーツ麦でもなく、ライ麦でもなく、全粒粉でもなくて、グラニュー糖はちょっと近いがそれも違うな。穀物ではないし・・・・・grindは「粉をひく」だが、その単語はどっちかというと自分的にはもっと暴力的なイメージだ。粉々にするってかんじ。

 と、英和辞典で「G」のところをパラパラめくっていたら・・・・・・

 GRAIN ・・・・・ 穀物

 どわわわわ。そのまんまやないか!
 穀物が「グレイン」だというのも今初めて気が付いたつもりになっているが、多分、どこかで学習していたのだろう。シリアルの名前かなんかで(カントリー・グレインなんて名前のシリアルありそうだし)。それが頭の底にこびりついていて「ゲイン」と「グレイン」がごっちゃになっていたのか?

 バカすぎ。

 つうか、今この過程(「ゲイン」と「グレイン」がどうして一緒になってしまうのか?と書いてから、ほんとに辞書で調べていた)を読んでいる人で、普通の英単語力のある人には「なんでgainで穀物を思い浮かべちゃうの?」という時点で「grainと混同してんだろーがボケ!」とわかってしまったのではないか?

 ちっ、またバカを晒してしまった。
 まあ、しかし、いい勉強になった。これで、もう「キャピタル・ゲイン」と目が合っても安心である。だが、目にするたびに「穀物・・・・」とフラッシュ・バックに苦しむことであろう。

 うーん、でもこれじゃなんか悔しいから、「マイ・フェア・レディ」のイライザの「コックニー訛り克服作戦」で使用した文章は「The rain in spain falls mainly on the plain」だったから、私も「I  gain mainly by grain in spain」とか言って対抗するしか・・・・(それが何の対抗になっているのかはこれから考える)

 コックニー訛りと言えば、JAPANの連中がラジオに出演したときに(20年ほど前のお・は・な・し)、ちょうど高橋幸宏が誕生日だったので、「Happy birthday to you♪」と唄ってくれたのだが、それがわざとらしく訛っていて、「はっびばーすだい」になっており、幸宏氏も「すごい発音ですね」と苦笑していたが、高校生だった私には「birth die」と聴こえ、「誕生と死?死産かよ」と思ったのも懐かしい思い出です。

 トルシエが「応援してくださーい」とサポーターに日本語でスピーチしてた。どうしたんだろ?ご機嫌がいいとかえって不気味。

 ま、でもさ、(スェーデン戦が終了したのでいきなり話が戻る)日本語化している英単語で、実は意味がよくわかってないっていうのはもっとたくさんあると思うんですよね。
 アメニティも最初のころはなんだかよくわからなかたし(アムネスティの仲間かと思ってた)、ユーティリティとかソルーションも最近になってやっと意味がわかったし、「インフラ」だって正式な英語知らないもんねー「イントラ」も同じ。読めない漢字が多少あっても新聞読めるし、意味のわからないカタカナ英語もテキトーに読み飛ばしてしまっているのだということがつくづくよくわかったのでした。

 あ、そっかぁ。だから「ベンチャー・キャピタル」って言うんだ。全然わかってなかったな。キャピキャピぃ
 全然関係ないが、昔「セサミストリート」で、「芋虫」がキャタピラーと言うことを知ったので、「毛虫」とか「芋虫」というのを口にするのもおぞましい私は、実家の玄関でそれを目撃したときに、父を呼んで、(最初、母に訴えたのだが「そーゆーのはお父さんに言いなさい」と断られた)

 「おどーさん、玄関にキャタピラーが!私の靴に近づいている!キャタピラーが!」

 と必死で救援を求めたのだが、父はなかなか出てきてくれなくて、やっと出てきたと思ったら、「なんだ?何騒いでるの?」というので、「だから、このキャタピラーをどうにかしてほしい」と訴えたのだが、私には巨大に見えたそれも、父には小さく見えたようなので、なかなか反応してくれなかったのだと思っていたのだが、もしかしたら単に英語が通じなかっただけだったのかもしれない。



5月24日(金)

 今さら読んでいるのも恥ずかしいが、それについて語るのはもっと恥ずかしい「真夜中は別の顔」ですが、ちょびっと読んでみて恥ずかしささらに倍増。
 
 「いったいこれはなんなんだ?」と思って早速ネット調べてみましたところ、どうやらシドニー・シェルダンを「超訳」で読むのは間違っていたようです。一応「ふふん。私って普通の人より毛が三本多いのよ」と思っているが「しょせん毛が三本」な人でも、読んでいいいのは「英語版」らしいです。
 なぜなら、かなり平易な英語で書かれているので、高校の英語の教科書がなんとか読めるレベルの人が挑戦する長編英文としてはかなりオススメらしいのです。要するに「ほとんど中身がない小説だが、英語に慣れるのには、難しい文章でもないし、センテンスも短いし、登場人物も単純なわりにはストーリーが波乱万丈なので読みやすい」ということらしいです。

 ということは、「やあ、ジャックさん。元気ですか?」「あら、メアリーさん。私は元気です。あなたは?」というようなもんを読まされているらしいのです。
 たしかに、ちょろっと冒頭を読んでみましたが、「斜め読み」がこれほどまでに有効な小説もまずないでしょう。「斜め」は大げさとしても、「10行おきに1行読んでも充分」なようです。
 まあ、要するに「昼メロ」みたいなもんで、「週に2回くらい見れば充分だが、ちょっと目を離すと、主人公の身の上が劇的に変化していたりするので、なんだかんだいいながらも毎日観てしまう」ようなもんなんでしょう。さて、これを読むという苦行にどこまで耐えられるか・・・・がんばろ

 カメルーン代表はやっと到着したらしい。

 なんだか頭の働きが鈍い。いつも鈍いけど、ここんとこかなりぼんやりしている。天気のせいかもしれない。5月病というのは気候のせいも大きいのかも。この微妙な湿気がアンニュイ。
 そういえば、日本人には評判の悪い「梅雨」だが、友達が欧州人と話していたら「日本は梅雨とかあるし、湿気がないから小じわが寄らなくていいわよね」と言っていたそうで、「そうか、この湿気は美容にはいいのだな」と思って少し前向きになった。 

 いかん。日付がカウントダウンしていた。修正。


5月23日(木)

 夕方から異常に眠くなってきたので、今日はとっとと定時帰社。
 たまには部屋を片付けようと思うが、なんかやる気しない。カメルーンは着いたかなあ。(逃避中。でもテレビつけるのも面倒なので、思わず2chの「ニュース実況スレ」を見に行ってしまうあたりが・・・・)

 早くも健康診断の結果が郵送されてきた。やっぱどこも悪くなかった。去年は「胃炎」と診断されてびっくらしたが、やはり少し前にひいた「胃にくる風邪」のせいだったようだ。しかし、あいかわらず、「HDLコレステロール」の値が正常値をぶっち抜いているので、そこだけ涙の「B判定」になっていて、総合判定も「わずかに異常をみとめますが」になっている。でも、去年の人間ドックのときは「たしかにコレステロール値は高いのですが、これは動脈硬化を防ぐコレステロールなので大丈夫です」と言われたので、「だったらB判定にすんな!」と思うが、機械が診断しちゃうから小回りきかないのはしゃーねーか。

 去年から仕事も忙しく、あまりスポーツクラブにも行かなくなったし、食生活もそうとう荒れているので、「少しは影響でてるかな?」と思ったのだが、一年くらい不摂生したくらいではこの「超健康体」は敗れないのであろう。
 でも、こんだけ酒飲んでても、健康診断には何の影響も無いというのはやはり遺伝的なものなのだろうか?そういや親戚には高血圧とかいないしなあ。動脈瘤なども聞いたことないなあ。まあ、親戚少ないからサンプルがあまり揃わないのだが、ああでも、祖母さんは軽い脳血栓だかになったんだよな。でも、あの母方の祖母さんの遺伝子を私はあまり受け継いでいないような気がする。見かけも性格も明らかに父方の祖母系だ。目が悪いだけであとはどこも悪くないのであった。(私も全く同じ)老人ホームでミニマルな日々を送っている。

 そういえば、あまり親戚付き合いをしないのでよく知らないのだが、母方の親戚は「まっとうな田舎者」というか「大地に足をつけた元農村の住民達」が多いので、あまり特異なエピソードがないのだが、父方のほうは、「寺」と「インテリ志向」が混ざった家系のようで、高等教育を受けた人も多いのだが、その分変人も多かったようだ。そんで「秀才」と言われた人でまともな人生を送った人が少ないのが特徴。秀才としてはイマイチなにかが抜けていたのか、定年までサラリーマンをやっていた父はその中でもかなりふんばったほうである。放浪癖のある人などもいたようだ。それとは対照に、そっちの一族では学の無い人のほうが、出世していたりするらしい。

 そういえば、母の両親は健在なので、母が双方の性質をきっちりと受け継いでiいるのがよくわかって面白いが、父の父親は私と入れ替わるように亡くなっているので、会ったこともないし、それに祖母と父はあまりお喋りではないので情報が少ない。お喋りな母も、結婚してすぐに亡くなってしまった人だし、結婚式のときにはすでに病魔と戦っていたので(ガンでした)、素がどんなだったかよく知らないみたいなので、語ろうにもやはり情報が少ないようだ。

 ただ勤め人ではなかったようで、なにか細々と自営業をしていたらしいのだが、それも流行に敏感すぎて「あれが儲かる」というと飛びついてしまうタイプの「地に足がついてない」商売人だったようだけど、詳細はわからない。「なんたら彗星が地球に近づいたときに、ガスで覆われるので、呼吸ができないかもしれない」というデマが飛んだときに、「空気貯蔵用」のために自転車のタイヤがいいということになったようで、普通の落ち着いた人なら「そんなんじゃ間に合わないだろう」と思っただろうけど、まんまとデマに乗ってそれでひと儲けしようともくろんで、自転車のタイヤを買い占めてしまい、あとで大損こいたという話をどっかで聞いたような気がしたが、あれはもしかしたら死んだ爺さんの話?

 というわけで、久々に早く家に帰ったのに、健康診断の結果に見入ってしまって掃除に身が入らない。(言い訳にもならない)
 帰り道で、いつも通る古本屋さんの店先にある「100円コーナー」にふと目線を飛ばしたら、ビビビっと来てしまった。そこには「真夜中は別の顔」の上下巻が並んでいたのである。こんなもんでビビビとしている場合ではないだろう(笑)

 でもせっかく出会ってしまったので、購入することにした。図書館で借りようと思ったが、200円ならいいや。
 登場人物紹介によると、原作の主役はドラマでは小雪が演じた真面目な女性の方なの?まあ、いいや、まさか今ごろになってシドニー・シェルダンの本を手にするとは思わなかったが、これもジェームス三木のせいである。最近あんまし本も読んでないので、これにいちゃもんでも着けて勢いをつけよう・・・・・とか、言ってて、「シェルダンのお作を全部読破!」とかになるほどハマっちゃっても、友達でいてくれる?(「私が貧乏になっても、友達でいてね」と言って私を困らせたNちゃんに、今度会ったらこう切り替えしてやろっと。私が「高村薫はおもしろいよ」と言っても「ミステリーは読まないの」とか言ってたからね。なんてたって「マルグリットといったら私にはユルスナールであってデュラスではない。なんでデュラスが人気があるのかわからない。」と言った人だから)

 というわけで、眠いから早く寝たいのだが、11時からNHKの「真夜中は別の顔」が最終回なので、がんばっているのであった。明日も再放送するのだが、明日なにがあるかわからないし。(つまらないといいながら入れ込んでいる)
 でも昨日みたいなことにならないだろうなあ。カメルーン・チームの入国を生中継しだしたらどうしよう。

 というわけで、ちょっと暇なので、「真夜中は別の顔」を開いてみる。ドキドキ。「英語版だけでも1000万部」というのがほんとかどうかはわからんが(疑り深い性格)ともかく、こんなベストセラーを読む機会も滅多にない。10年以上遅れているが・・・・これが面白かったら10年後に飯島愛の本も100円で買ってもいい。いっぱい売れた本とかCDは絶対につまんない、という思い込みがあるのだが、ほんとにそうなんだろうか?まあ、しかし、「新宿鮫」はけっこう好きだし、「リンク」もけっこうはまったからな。fでも、「なぜ心臓発作が起こるのか」のシーンに怒りまくったけど。(前にも書いたが「マークスの山」にはまって朝まで読んでたときに「リンク」のあのシーンとクリソツな状態になっており、鏡を見てほんとにショック死にそうになったのであった。あれは私の「間抜け自慢話」なので、それをマジにやられてもねえ)

 ところで今更口にするのも恥ずかしいが「超訳」ってなんだったんだろう?英意意訳と日本語文章を別の人が担当しているようだ。つうことは、「英語はわかるんだけど、おれって日本語の文章書けないからさあ」という人と「文章書くのは得意だけど英語読めないからさあ」な二人の共同作業っつうことなんすかね?
 昔、題名も忘れたが「今時のフランスの若者の恋愛映画」みたいなのを上映していて、その字幕監修をなぜだか田中康男が担当していた。初日だったからなのか、上映前に簡単なトークショーがあり、「田中さんが担当しているから、字幕も今風になっているんですよ。そこにも注目してください」というので、いちおー注目してみたのだが、注目するまでもなく・・・・・だって、最初のシーンで主人公は怪しげな「街頭アンケート」のバイトをしていて、道行く男性に「私といいことしない?」などと話し掛けてその反応をみるというようなもんだったと記憶しているが、字幕では「私とペログリしない?」になっていたのであった。当時、その言葉はまだ一般に馴染みがなく「なんじゃこりゃ?」と思ったのである。他にもそういう「田中語」がちりばめられ、「ちっとも意味がわからんじゃないか!しかも、パリな雰囲気が台無し」とがっかりした。

 日本語吹き替えを有名俳優にやらせるのはいいし、翻訳でもときどき有名小説家の名前を使ったりするが(エリクソンの島田雅彦訳などが有名)、字幕はやめようよー。と思ったが、「超訳」もそんなだとうざそうだな。

 などとブツクサ書いているうちにドラマが時間どおりに始まったが・・・・・なんじゃこの結末は!
 うーん、しかし、こういうふうに誰にも全然感情移入できないドラマというのがけっこう好きだったりするんだよな。昔の大映ドラマしかり。
 そーいえば、今週になって初めて月9のキムタク主演のやつを観てみたのだが、あれもかなりつまらなかったなあ。しかし、あれでいきなりコステロ様がブレイクしてるしなあ。来日するらしいが、客層が凄そうだ。硬派なコステロ様がぁ。と私が嘆いてもしょうがないか。いいものが売れるのはやぶさかではない。個人的にはちょっと「ふられた思い出」にコステロが絡むので複雑なのですが、それはまた別の話。フジテレビは朝のワイドショーでもコステロ使ってるが。まあいいや、「真夜中は別の顔」が終ってしまうと淋しくなるので、来週からは月9にしよ。

 文句ばっか言ってるくせに、結局観てるんだよな。バカだね。さ、眠いから寝よ。


5月22日(水)

 そいうえば、先日なにげなく書いた「仙台市民はサントリー製品を飲まないらしい」という話には数件の「こういう理由だったはず」とのメールをいただきありがとうございました。話を総合すると、どうやら「遷都」で盛り上がっていて「仙台なんかどうかな?」というときに、サントリーの社長が「仙台なんか」と暴言を吐いたのが鯨飲・・・・・ちがう。自分の発音で入力すると時々こうなるゲーインかゲイインと言ってるもんで・・・・原因だそうで、そういや、先日テレビを観ていたら(最近、私生活がまったりとしているのでテレビねたばっか)、石原都知事が「遷都反対」とか書いてある鉢巻して決起集会(?)でスピーチしてました。

 ずいぶん昔から、ときどき「遷都」が話題になりますが、ちっとも進行してないように思えるのですが、実際のところはどうなんでしょうか?調査会社などを儲けさせているだけのような気がするのだが。
 それで、都知事のあの剣幕を見ると「東京都民は勢院・・・・・ためしに発音で入力してみたらこうなった。ゼーインかゼイインだよな・・・・・全員、遷都に猛反対」しているみたいだけど、実際にはどうなんだろう?

 東京都の経済がどの程度「首都機能」に依存しているのかわからないけど、私は個人的には「エミシでもクマソでもいいから、どっかに持ってってもいいよ」と思ってます。そもそも「首都機能」ってなんだ?

 国会議事堂・・・・・東京にあるから、「青山の高級マンションを事務所ということにして実際は家族で住んでた」などということが問題になったりするが、あれがエゾ地の野原の一軒家だったら、そんなこと誰も問題にしないと思う。議員さんたちも事務所代が節約できるではないか。
 そもそも、国会議員が東京に集結していても都民にはあまりメリットがないように思われる。議員さんがいなくなっちゃうと「料亭」がどうなるのか心配だが、私にはあまり用のあるところじゃないのであっても無くてもあまり関係がない。

 霞ヶ関の官庁街・・・・・省庁に用事が無いので、なくても別に構わない。庶民が用のあるのは、「市役所」や「区役所」なので、そもそも「県庁」というのも用がなく、ただどうやら「パスポート交付」だけは県庁の近くにあるということはわかっている。住民票も出してくれないし、婚姻届も盗難届も受け付けてくれない「お役所」は別にクマソの地にあってもかまわないような気がする。

 でも、「首都機能」が移転しちゃうと外国の大使館もそれにくっついていってしまうのだろうか?そうなると、ビザを申請するのに地方まで行かないとならないのかなあ。それはちょっと困るかも。
 しかし「遷都」と言われても、具体的になにがどうなるのかよくわからないが、あれだけ揉めた「都庁の移転」にしたって、やってしまえばどうってことなかったような気がしなくもない。たしかにお役所相手に商売していた人たちは一瞬困るだろうが、それでも自動車工場の「場下町」が「工場閉鎖」の憂き目に遭うことを考えれば、どっちが大変かよくわからないし、「役所移転」のほうが、空いた土地にまたなにか入ってくればそれで潤うわけだし・・・・・

 でもなんちゃら機密費で派手に遊ぶ役人もいなくなっちゃうと確かに一瞬景気は冷え込むのかもしれないが、でもあの人たちは多分東京に別邸をキープして遊びにきてくれるから大丈夫だと思う。
 そもそも「首都機能」があるからこそ地方からわざわざその用事で来る人たちに「宿泊したら税金とるからね」などという都市からは、即座に首都機能を奪ってしまったほうがいい。ディズニーランドに遊びに来る客に「あれは千葉にあるから、東京にお金落ちないんで税金払ってね」というのなら誰も文句言わないだろう。文句言う人には大人しく浦安のホテルに泊まっていただこう。

 でも、「遷都」にはそれなりにお金がかかるだろうし、「新たな首都」に任命されたら、建設業界も潤うだろうから、あっちこっちで争奪戦のようだから、いっそのこと「首都機能を巡業させる」ことにしたらどうだろう?相撲みたいに、場所ごとに移動するのは無理だとしても、4年ごとに移動させるとか。まあ、普通に考えたらそっちのほうがお金かかるか。

 どっちにしても、「田舎者の集まり」である東京都民に「首都としてのプライド」なんてもんがあるとは思わないし、ましてや「首都機能」に愛着のある人なんてほとんどいないだろう。少なくとも私には全然ないんですが・・・・う〜ん、それでも何か「首都」に住んでいることで恩恵を受けているのかなあ・・・・・やっぱインドのビザを取るときにラクだった(三茶から九段下までは乗り換え無し)くらいしか思い浮かばないなあ。地方在住者は旅行会社に手数料を支払ってビザ申請してるのでしょうか?

 テレビは「北朝鮮亡命家族の移動」で大騒ぎだ。「真夜中は別の顔」がなかなか始まらないのでヤキモキしてしまった。吉川晃司が殺されちゃったみたいだが、このままなんのどんでん返しもないまま明日で最終回なんだろうか?納得いかんぞ!あまりにもつまらないから原作が読みたくなってきてしまった。それともドラマが「超訳」をさらに超なんたらしていたのだろうか?(ジェームス三木だし) 



5月21日(火)

 やはりW杯は「間抜けなエピソード」に事欠かないようだ。さすが、世界最大のスポーツの祭典である。前哨戦ですでにかなり楽しい。
 中津江村にはなかなかカメルーン代表が到着しないし、どこかの田舎のおばあちゃんは単なるアルゼンチン・サポーターを「フーリガンだ」と通報しちゃうし、これは笑い事じゃないけど過労で自殺しちゃう公務員は出るわで、みんな盛り上げてるなあ。

 今日は会社の人が先週内輪で結婚式をしたので、その2次会という名目の宴会であった。
 その帰りの電車の中でサラリーマン2名が「でも、あの通訳なんて、トルシエがいなくなっちゃったら仕事なんてないだろう」と語っていた。ダバディ君は、通訳が本業ではないので、トルシエがいなくなっても別に困らんと思うけど・・・・トルシエよりもずっとおぼっちゃんなんだけどなあ・・・・
 少し酒が入っていたので、ちょっとそのリーマン二人組みに絡みたくなったが、やめといた。まだ一応恥じらいというものがあるみたいだ。あと10年くらいしたら自信がない。

 絡みたくなったサラリーマンはもう一組いて、そっちは「謎の言語」を話していたスーツした外人二人組みだった。話に夢中になっていて、金髪のほうが私の足を踏んでしまい「すいません」と言ってニッコリ微笑んだので、私もニッコリと笑顔で応えつつ「あやまってくれなくてもいいから何語なのか教えてほしい」と思った。フランス語とドイツ語とイタリア語を足して3で割ったような言葉だった。でも、金髪じゃないほうの顔立ちがややイタリアンな黒髪が「ヤー、ヤー」と相槌を打っていたのだが・・・・そんでじっと盗み聞きしていたが「インターネット」と言うのがわかったくらいであった。

 30歳もとうに過ぎで、昔にくらべるとかなり「恥じらい」を失ったが、それでも見ず知らずの他人に割って入るのには抵抗がある。この間も地下鉄のホームのベンチで隣に座っていた初老のおっさんがタバコを吸い始めたので、

 「おとーさん、地下鉄はずいぶん前に禁煙になったんですが、ご存知ですか?」

 と言ってみたかったのだが、やはり言えなかった。
 前の会社の同僚で気さくな性格の大酒のみの女の子がいて、彼女は一緒に飲みに言っても他の客にも軽やかに「おとーさん」「おかーさん」と呼びかけていて大変感じがよくて、彼女と一緒にいると、「おとーさん」たちが奢ってくれたりしたもんだが、ああいうのにはちょっと憧れるが、なかなかできない。

 私はどっちかというと「蟻地獄タイプ」で、自分ではあまり動かないが、うっかり足を踏み入れると中から「こんにちわ〜お待ちしておりました」と顔を出すのである。(食べませんよ)
 若いときには、周囲の「蝶のように軽やかに飛び回る」ことができる人が羨ましくてしょうがかなったが、そのうち「これはこれで私のスタイルであるからして・・・」と無理やり納得して現在に至る。

 できないことを無理にやろうとしないで、できることを精一杯やろう。

 今朝、テレビのCMを観ていてふと思ったこと。
 女性ギタリストが「私が上手に弾くと父が嬉しそうにするから、それが励みになりました」とか喋っているCMは何度か目にしていたが、今日になってそれが「マクセルのDVD」のCMだと気が付いた。DVDって録画できるDVDのことなのだろうか?
 私が学生のころまでは、よく「生テープ」のCMをやっていた。レコードやCDをみんなカセットテープに落として、ウォークマンなどで聴いていたし、エアチェックなども一般的だったし、各メーカーは「自社のカセットテープがいかに高品質か」を宣伝していたように思う。

 でも時代が、デジタルになっちゃってからは、「どこのMDがいいか」というようなことは一般には語られなくなったような気がする。昔は「ソニー派」や「TDK派」に「メタルテープがいい」とかいろいろあったような気がしたが、デジタル録音の時代にはそういう風潮はあるのだろうか?そもそも、フロッピーディスクの良し悪しなんて聴いたことがないし、生CD(?)にこだわりなんてあるのだろうか?

 自分がそうやって、コピーしたものをやりとりしなくなってしまっただけなのかもしれないけど、昔は自分が買ったレコード(町田町蔵とうか町田康風に言うとエルピーってやつ)を友達に「録音してよ。テープ代出すからさあ」といわれると真っ先に「どこのメーカーがいいとか指定ある?」って確認してたけどなあ。

 そういえば、今日、若者向けのアンケート資料を見てて、「好きな音楽のジャンルは?」というのの「ジャンル分け」が「ポップス」「ロック」「洋楽」になっていたのでびっくりした。私のころは「ポップス」と「ロック」というものは「洋楽」に含まれていたはずである。「日本のロックとはなんぞや」と皆が試行錯誤していた時代があったのだが、ほんとに昔話になってしまったのだな。



5月20日(月)

 ダルいが仕事は沢山あるのであった。でも、デスクワークちゃんとやる集中力もかったし、それほど急ぎの仕事もなかったから、ときどき棚の整理をしていた。ファイルが収まらなくなっているというのに、「10年前の見積書」のファイルが残っているのであった。全部捨てる。ついでに金庫室にある謎のファイルも全部捨ててやろうと思って取り出したら、埃だらけになったのでいきなりヤル気を失う。
 「お?なんか張り切って片付けてるね」と同僚に言われたが、「いや、たった今、飽きたのでやめた」と言ってさっさと帰った。

 土曜日に書いた「バリウム話」の反響。
 「あんなこと書くと年取ってから後悔するわよ」(←男性より電話でのコメント)
 回答「だって、もう年とってるもん」

 今日は久しぶりに鍼灸院に行ったが、先生が「日記読みましたよ。大変でしたねえ。でも勇気ありますよ」というので「いやあ、だって、ああするしか他にやりようが・・・・」と答えたのだが「まあ、でも、名前は伏せてあるからいいのか」と言うので、「箸でかき混ぜたこと」を「勇気ある行動」と称えられたのではなく、「それを書く勇気」のことだったらしい。

 いや・・・・・私が心配していたのは自分の名誉ではなくて、「味噌汁を飲みながら読んでいる人がいたらどうしよう」ということだったんですが。

 ちなみにメールを頂いたので書いておきますが「俊輔の落選は顔がトルシエ好みではなかったのが原因」と述べたのは私ではなくて、真性サッカーオタクの友人2名です。私は俊輔はどうでもよくって(顔が好みじゃないから)、どちらかというと「そうか、W杯が終ったらトルシエは速攻クビだろうな・・・だとすると、もうダバディ君のお姿が拝めなくなるんだ」とちょっと淋しく思ってます。念のため解説しておくと、「ダバディ君」とはトルシエにいつもぴったり張り付いている通訳です。シドニー五輪のときに「もらい泣き」してから、なんとなく「魂の友」になったまま、それを覆すようなことをしないので、なんとなく維持されてます。

 昨日はNHKの「古都物語」とかいうドキュメンタリーでイスファハンが紹介されてたのですが、途中から観たので「イスファハンってどこにあるんだろう」と地図帳を広げてみたのですが見当たらず、「でも、そこそこの都市みたいなんだけどなあ」と思って、ネットで検索してみたら「イラン中部の都市」と書いてあるので、もう一回イランのあたりをじっくり見てみたら「エスファハン」になってました。表記はなるべく統一してほしいと思います。

 街は美しくて「一度行ってみたいなあ」と思ったのでした。イスラム建築のあのタイル模様は大好きですが、ちゃんと間近で観察したことがないのでした。タイの寺院もけっこうモザイクだったので喜んでましたけど、イスタンブールとか行ってみたいです。
 でも、その番組で登場する庶民の多くはさっぱり職に就けないらしくて、子供に靴磨きをさせて生計を立てている一家のお父さんの情けなさといったらもー。その子供がモスクの修理をしている老タイル職人と出会って「やる気があるなら弟子にしてやってもいい」と言われていて、子供もその仕事にとても憧れているようなんですが、その父は「でも、私は年をとってるからどこも雇ってくれないし、子供が働いてくれないと困る。それにあの子はまだ小さいからタイル職人の仕事なんてできないだろう」とのたまうので、あの瞬間、多くの視聴者が「てめーが靴磨きやれ!」と思ったことでしょう。私はテレビの向こうにうちの玄関に転がっている革靴を3足(で、全部なんだけど)を投げつけて、その親父に磨かせてから千円札でも投げつけてやろうかと思いました。

 まあでも、ああいう土地で「仕事が無い」というのは本当に無いんだろうしなあ。あの家族はアフガン難民だったから仕方ないとしても、他の一家も父親は職が無く母親が絨毯を織って生計たててたし。そんな街だから、ちょっとお金のある人は子供を全員アメリカの大学にやったら、「誰も帰って来ない。みんな向こうで就職してアメリカ人と結婚してしまった」とか言ってるし、「おいおい、この古都だいじょぶか?」と思いましたです。

 でも靴磨きの少年が大人びてしまった顔しながら「それでもここには自由があるから好きだ」と言うのを観て、「掃除をしなくてもいい自由」などというものを満喫しちゃっている我が身を反省いたしました。

 でも「必要とされていない人間」が纏うオーラって万国共通なんだなと、つくづく思った。
 失業中の父ちゃんたちの「ぼよ〜ん」とした感じは、自分のかつての失業中の気分をリアルに思い起こさせてくれました。

 まあそれで「やっぱ、仕事しないとな」と思うのが普通ですが、「はあ〜あたしもしばらく家に篭っていたい」(3週間くらい)と、「ぼよ〜ん」な父ちゃんたちがちょっと羨ましくなってしまったのでした。う〜ん、でも靴磨きさせる息子も、絨毯織る嫁もいないしな・・・・・しょーがないかな。今から息子産んでも靴磨きできるくたらいまで育てるほうが大変だしなあ。自分のために絨毯織るしかないよなあ。

 というわけで明日も頑張って会社で絨毯織りすることにしました。アッラーの神を信じていても信じてなくても、「顔がどんなだかわかんないものに入れ込めないよ」でも、人間のやってることなんてあまり変わりはないようです。



5月19日(日)

 だりぃ。今日こそ掃除するぞと思っていたのだが、やる気ゼロ。「旅行なんて行きたいところに行けばいい」→「掃除なんてやりたいときにやればいい」ということにしておく。なにやら「主張に一貫性がある」ように思えるではないか、ハッハハハッ(やけ笑い)

 ま、そんでトドみたいにゴロゴロしてるが、「少しは優雅な演出をしないとな」と思って、ローズ・ティーなんか飲んじゃったりしとる。マグカップで。
 つーわけで、「脳みそ完全休養日」でした。眠い。



5月18日(土)

 注:いきなりスカトロ系な話題ですので、お食事中の方やそういう話に弱い方は読まないように。

 お昼前に目が覚めて、コーヒーを飲んでまたゴロゴロしていたら、お腹が張ってきた。
 「そういえば、一昨日はバリウム飲んだから、大腸をスルーしていたが、その反動か昨日は出してなかったな」
 と思いつつ、トイレに行くと、「ムム・・・・」

 ううう。まだバリウムが腸内にかなり残っていたようで、えらく硬い。ちょっと涙目になりながらもなんとか産み落とす。「バリウムにおカマ掘られてしまったぜ」と思いつつ、どんな様子かと「物体」を観察してみると、やはりかなり白い。昨日も、下剤飲んでおくべきだったと反省。
 それで、フラッシュしたのだが、・・・・・・・流れない。

 最近の水洗トイレはかなりパワーがあるが、うちは築20年くらいのアパートなので、そのくらい古いものらしく、昔ながらの「水の勢いだけで流すタイプ」なので、「質量のある物体」の場合にはときどきてこずるのだ。
 「これは困った。どうしよう」と何回か流してみたのだが、さっぱりである。バリウム含有量が高いし、かなり硬くなっているので、重くて流れないのだ。これが単なる「3日間の便秘の末に形成されてしまった密度の高い物体」だったら、少し放置しておいてふやけるのを待てばいいが、果たしてバリウムはふやけるのだろうか?

 ためしにお湯を投入してみたが、あまり効果がないようだ。う〜ん、これは流すのはあきらめて、ゴミ袋に移して処分するしかないのだろうか?なんかそれもちょっとやりたくない作業である。
 いろいろ悩んだ結果、とりあえず物理的な作業に挑戦してみることにした。割り箸を使ってほぐしてみようとしたのである。それで感触を確かめ、あまりに硬いようだったら、ゴミ袋に回収するという作業をするつもりだった。
 箸でつつくと、それほど硬くはなかったが、バリウムが固まって粘土状になってしまったらしい。悲しい気分になりながら、便器の前に腰掛けて、グリグリと箸を動かして、かなり分解したので「これでどうかな?」とまた流してみた。かなり形は崩れたが、まだ白いものが底に残っている。

 それから約30分間、ほぐしては流し、ほぐしては流しを繰り返すが、どうしても重そうなところが残ってしまう。「このくらいになったら、もう諦めて、回収するか」とも思ったが、でもこうなったら意地でもなんとか全部流したい。

 そうこうしているうちにタイム・アップで支度して外出。友達がネットで見つけた「エスニック料理の会」主催の「ワールド・カップ参加国の料理を食べる会」に参加。今日はヨーロッパ小国特集で、アイリッシュ・パブでクロアチアとかスロベニアという「どこにあるの?」な国の料理なのだった。
 ビールが一杯無料なので、最初は基本のギネスを1パイント(ほんとに1パイントだった)を飲んでから、大好きなBassのエール・ビールも1パイント飲んでしまったので、けっこうガボガボ。

 8時前には終ったので、Mちゃん&Tさんとお茶できるところを探したら、ジョナサンがあったのでそこでドリンク・バーでソフト・ドリンクを飲み放題をオーダーして、ひたすら喋りまくっていた。
 彼らはW杯を4試合も観に行くのである。生チケットも受け渡していて拝見させてもらった。4枚で総額いくらなんだろう?(そういえば、記名式のことを確認するのを忘れた。そんなの書いてあったっけ?韓国での試合のチケットはハングル語だったけど)

 そんでほとんどサッカー話になった。なにしろ二人はかなり盛り上がっているのだ(笑)
 どんな内容だったかな?私は生半可なサッカーファンなのであまりついていけなかったのだが、それでも聞いてておかしかったのだが・・・・・

 俊輔の代表落ちが話題だが、みんななぜ俊輔をかっこいいというのだろう?
 (たしかにちっとも顔がよくないと私も同感)
 トルシエが日本に帰ってきて、記者に囲まれて「なぜ中村を落としたのか?」といわれたら、堂々と「」と答えてほしい。
 だから、俊輔はさっさと整形すればよかったんだよ。トルシエのタイプは「ぽっちゃりとしてかわいい→稲本など」と「がっちり→秋田など」なわけだから、代表になりたかったのなら、「トルシエ好み」に変身しないと残れないってことはわかっていたはずだ。
 それにテレビでは中村落選は騒ぎになっているが、周りでそんなこと言う人はいないと思っていたら、父親が「サントスだとショート・コーナーばかりでつまらない。中村みたいに一発で入るかもしれないという方が面白い」などとのたまっていたので「お父さん、サッカーではそんなにセット・プレーのチャンスは多くないんですよ」と指導した。

 イタリアの試合を観たいと全然思わない。なんでなんだろう?ふつう、二人のサッカーファンがW杯観戦計画を練っていたら、どっちか片方は見たがるはずだが・・・・
 (そもそも、Tさんはイタリアという国自体に興味がないということが判明。それに、イタリアの選手のジゴロ臭さがどうもダメみたいだ。それにイタリアはW杯慣れしているので予選では手を抜きまくるし、あの「フッ」ってかんじが気に入らないとのこと)

 昔のW杯の試合をDVDで観まくっていたのだが、ジーコが日本では「日本サッカーに貢献した神様クラスの名選手」という扱いであるのはいいとして、過去のW杯の試合を鑑みると、リトバルスキーだってかなりの名プレーヤーだった。それなのに、リッティはなぜあんなに軽い扱いだったんだろう?彼が日本に来たときには本国で「日本に行くな」という運動まで巻き起こったというのに・・・・それにしては日本では「神様度」が低かった。
 日本語が上手すぎたのがいけなかったのか?

 リッティについては私もそう思っていた。サッカー少年だった弟が部屋にでかいリッティのポスターを貼っていたので、かなりのスター選手なのだと思っていたのだが、気が付いたらテレビでちゃんと笑いをとれるくらいに日本語が堪能になっており、「本国では2流だったが日本では活躍したラモス」とその語学力が互角だったために、「本国では英雄だった」ということがあまり知られていないというか、そんなことみんな忘れてしまったのではないか?

 ま、シーコはけっこういろいろな選手をJリーグに引っ張ってきたけど、リッティはそういうことしなかったし、日本人を嫁にしちゃったしね。
 「トルシエもちっとも日本語できないままだね」「あれはわざとでしょ」

 ちなみにTさんは「アイルランドのサポーター」らしい(笑)
 Mちゃんは毎回W杯で必ず出てくる「まぬけなエピソード」の収集に余念がなくて、今回もまずチェックしたのは「メキシコチームが福井でキャンプ地入りしたのだが、トルティーヤが不足しているので不満らしい。でも、福井のその町は福井県人に聞いたところ、福井でも最も海産物の美味しい町なのだが・・・・メキシコ人はトルティーヤとチーズがないとねえ(笑)」

 あと、宮城の会場の側の農家の主婦がテレビ局にインタビューされて、「W杯に来る外人は犬を食べるという話なので、うちも犬を飼っているから心配だ」という謎のコメントをしたらしい。
 「いったい、どういうパラダイム・シフトが起こると、韓国で犬食が禁止されそうな勢いというニュースとフーリガンが危険というニュースがそういう結論を導くわけ?」「田舎の人って、そういう変なつなぎ方するからねえ・・・・」

 Tさんは、すでにかなり「W杯の美男を探せ」を勧めているらしく、「国名と選手名をメールしてくれ」とお願いする。だって名前覚えられないんだもん。
 前回、日本女性の心をつかんだイングランドの新星ウェインも、私がこの間観たら、ほやほやっとした雰囲気から「大人の男」らしく、引き締まった美男子になっていたので、今回も要注目なのだが、Tさん曰く「今年いっぱいの命だろうから(美男子としては)、もう22歳だし、そろそろもっと角張ってしまうだろう」との予測。イギリス人美男を観察しつづけて四半世紀(笑)のTさんの言うことはいつも正しいので、きっとそうなんだろう。

 そういえば、チャンピオンズ・カップの決勝を私もMちゃんも観ていなかったのだが、Tさんは「帰宅して、観なくちゃとテレビつけたら、プロクレイマーズが唄っていて、のけぞった」らしい。プロクレイマーズ?あの双子デュオ?まだ活動してたんか?「どうも、地元スコットランドでは中堅どころらしいよ。でも、日本の解説者も当然知らないみたいだし、あれを観ていた日本人で、プロクレイマーズがわかった人は少なかったはずだよね」「シドニー五輪でミッドナイト・オイルが登場したときは好事家の間ではそこそこ衝撃が走ったが、プロクレイマーズはそもそもマイナーだよな。アズテック・カメラならまだしも(笑)」

 つうことは、日本でのW杯オープニングでは、「狩人」あたりに唄を歌ってもらったほうがいいのでは?

 ちなみにノーマン・クックはイングランド・チームにあわせて日本来日スケジュールを組んだらしい。すごいことするなあ。
 「オアシスは?」「オアシスは、どうもレコード会社にプロモーションのスケジュール入れられちゃったらしくて、来られないみたい」

 というわけで、たっぷりとW杯の前情報を拝聴して、3時間も居座ってしまった。
 W杯と関係ないが、Tさんが「この間、『新潮45』をなにげなく読んでいたら、デジャビュを感じたのでなにかと思ったら『宝島30』とクリソツになっていた」と言うので、「そういや私もこの間、ひさびさに『サイゾー』を読んでたら、『サイゾー』が『ロッキン・オン』みたくなってたので驚いた。」いやほんとに、今のロッキン・オンはあまり読んでないのだが、「昔のロッキン・オンの後半半分(音楽以外の記事のあたり)」みたいだったんだもん。
 Mちゃんは、「噂の真相」の「一行情報」に「ヴェルディの選手Hに薬を使用したレイプ疑惑」という記事を見つけて「ゲゲ?まさか広石?」と思ったのだが(Mちゃんは昔から広石ファン)、「よく考えてみたら、広石は今、横浜だった(笑)」「そもそも、今のヴェルディの選手って誰?」「前園はまだいるみたいだけど」

 「しっかし、今回のW杯メンバー発表でもなんでみんなカズにコメント求めるんだろうね」「カズが最近どこで(どこのチームにいるのか私にはよくわからない)何してんのかわからないけど、奥さんの「りさ子」のほうがいいポジションつかんじゃったよね」「ゴンの奥さんもそうだったしなあ」「あの人最近見なくなったけど、代表入りでまた出てくんのかなあ?」

 つうわけで、「恋」にも「ファッション」にも「美容」にも、当然「ブランド物」にも興味のない、30代中盤女性3人組の話題は自分で言うのも変だが「変」だった。

 家に帰ったら12時を過ぎていたが、母から留守電が入っていたので電話してみたら「格安海外旅行ツアーに○子(妹)が行きたがっているのだが、バンコクと台北のどっちがいいだろう?」という相談。「短い期間だったら台北のほうがオススメだけど、どっちの料理も香菜が入ってるよ」とアドバイス。
 「どっちにしても、行きたいところに行けばあ?」(老い先短いんだからさあ)
 「私がほんとに行きたいのは、モンゴル乗馬ツアーなんだけどね」(う〜ん、それは私に付き合えっていうことなのかなあ。まあモンゴルは一度は行ってみたいんだけどね。ババ付き旅行というのがちょっと・・・・気が向いたら考えますけど・・・・・)

 さて、まだトイレ問題が解決してない。
 かなり溶解したようだが、まだ底にへばりついていた。また箸でかき回してから流す作業を3回やったら、やっと姿が見えなくなった。
 もーバリウムってほんとに嫌い。あんな体に悪そうなもん飲みたくないのだが、「いやです」と言って許されるものなのだろうか?35歳過ぎると受けなくてはならないようなのだが、せめて2年おきとかにしてほしい。これで毎年こんな思いをしても「胃がんが発見されたときは手遅れだった」とかいう事態になったら、割り箸でかき回している自分の姿が走馬灯のように甦って暴れたくなると思うのだが・・・・



5月17日(金)

 私は仕事がら、数字の桁には慣れているので、パっと見て百万と千万と億の区別はつくけど、やはり子供のころは、「なんで1,000というように、3ケタ刻みなんだろう?」と思っていた。4桁で区切ってくれれば、いちいち「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん・・・・せんまん・・・かあ」とやらなくても、1000,0000と表記してくれれば、「すぐに千万だってわかるのに」と思ったのである。一億は1,0000,0000になり、大変わかりやすいではないか。

 我家で一番のインテリである父(日比谷高校卒。東大に2回チャレンジしたらしいが入れてもらえなかったらしい)に、その疑問をぶつけてみたところ、「それは英語に合わせているんだ」とのことであった。なるほど、10,000は10(テン)サウザンドなわけね。それで、賢い私は、「どーりで英語の数字は、どうしてこんなにわかりずらいのだろうと思っていたのだが、そうか、とりまとめる桁が違うんだ」と納得したのであった。

 今でも英語で数字を言うのは超苦手である。もっとも英語自体が上手くもないが、数字を英語で言う機会も少ないし、外国で買い物をする際に、店員が「16ドル25セントです」と言ったって聞き取れないので、レジの数字を見て支払うし、英語が通じないヨーロッパの市場などでは最初からメモ帳を用意して、「クワント?
」とか言いながらメモとペンを差し出して書いてもらっていた。

 それにイタリアやトルコなどは別として、他の外国では私が買い物や宿泊や交通費で扱う数字はせいぜい3桁なので、それ以上の数字を口にする機会はほとんどない。
 でも、そこそこ話などができると、「アパートに住んでるの?家賃はいくら?」などと聞かれることもある。するとまず、頭の中に「80、000」という数字を思い浮かべてから、「エイティ・サウザンド」と言う。だから1000以上の数字を英語で言うときにはかなり目が泳いでしまう。まあ、それでも1万円代のものは多いので、そこそこ慣れたし、月給は「○ハンドレッド・サウザンド」で、年収は「○ミリオン」でいいわけだけど、それ以上になると、やはり一旦紙に「100,000,000」と書いてから、「わんはんどれっど・ミリオン」とか言うのであるが、いかにも自信なさそうに言うので、相手は私のメモ書きをのぞきこんで「へえ、なるほど」と納得する始末。

 日本語も英語も堪能な人って、どういう風に頭の中で変換しているのでしょうか?単純に「億」は「100ミリオン」となっているのか、それともやはり一旦頭の中に数字が浮かんでそれで言い換えるのでしょうか?
 
 今日はちょっと体調不調だったので、久々にちんたらと仕事した。
 たまにはこんな日があってもいい。

 女性の場合には、こういう体のサイクルがあるので、自然と「こういうときは、まったりしよう」と思うだろうけど、男性だとこういう区切りがないからどうしているのでしょうね?

 おかげさまで散漫なのだが、今日のニュースは恒例の「高額納税者」。
 他の人がどう感じているのかはわからないが、私はあれを見ると、「トップ・スターの収入ってこんなもん?」と思ってがっかりする。あと、コムロが日本人からかき集めた金を税金として還付しないのは許せん!とか。

 モー娘全員で「たったの1億数千万円?」
 相当ピンハネされてるよな。まあ、中間マージンをとっている企業がちゃんと税金払っていればいいのだけどさ。

 「ベッカムが自宅で豪華パーティ。費用数千万」などというニュースを見ると、「松井もがんばって酒池肉林を目指せ!」と思います。

 可笑しかったのは、今回の1位だったユニマットの社長が、ここんとこ沖縄に住民票を置いているみたいで、沖縄の離島の村にそういう人が来るだけで、村民費が倍増してしまうらしい。

 地方活性化とか地方自治がなんたらと言っているが、「高額納税者」は政令指定都市に住人票を置いてはいけないという法律を作ってみたらどうだろう?
 そしたら無理やり、公共事業を引っ張ってこなくても、高額納税者が来たほうが村民は働く無くてもいいし(笑)
 そんで、東京に住民票置けるのは貧乏人の証拠。になるのかな。

 他の国がどうだかしらんが、日本の首都圏だと、たとえば私なんかは神奈川で働いているが、住民税は東京で支払っているし、逆に東京で働いている人が神奈川で住民税を払っているほうが多いだろう。
 そんで、うちの会社にしたって、他県の客からの収入に頼っているし、いくら「地方自治」と言っても、首都圏に関していえば、お金の流れがそういう調子なのでやはり一旦中央に集めて分配するしか仕方ないだろう。離島の人がテレビを買っても、そこから生まれる利益はどこか遠い企業にあるわけだし。遠い国からやってきた品物だったら税金かければいいのかもしれないが、国内だとそういうことができないから、そうしてもお金の流れには偏りができてしまう。

 関係ないけど、前にドラマのロケでとある地方に行った社員が話してくれたが、雑貨屋でジュースでも買おうとお金を一万円札で支払ったら、「お客さん、東京の人ですね」と言われたそうだ。なぜかというと、たまたま持っていた新札で支払ったそうなのである。その辺では、銀行に頼んでおかないと新札をおがむことはないのだそうだ。東京だと新札なんて別に珍しくもないのだが。

 たしかに毎日ものすごい量の現金が回る東京と、東京から来た人が落とした現金が内輪で細々と回っていく地方では差がでるのは当たり前だろう。
 そういうや、インドに行ったときにも、地方は流通している現金の総量が圧倒的に少ないと思った。みんなおつりのお金もろくに持ってないんだもん。お札もボロボロだったな。

 そうだ、旅の思い出を書いたらストックしておこうとして、そういう場所を作ったのだが、まだあんまり書いてない。マチリンさんとこで出しているメルマガに「アジアの思い出」というのがあって、そこで原稿依頼があったので書いてみたのだが・・・・・もう読んだ人もいるかもしれないが、急に思い出したので、アップしておこう。「インド編」が2個だけですけど。

 あーなんか、眠くなってきたが、がんばって「真夜中は別の顔」の最後を見届けなくては。



5月16日(木)

 昨日は、某大企業への怒りを綴っていたら、イメルダ君から電話があったので、思いっきりぶちまける。そしたら、「あそこの製品は高いし、そのわりには機能は大したことないので、私も買うことはないと思うけど・・・・」とのこと。そうか、わざわざ私が潰さなくても(?)そのうち勝手に潰れるわね。よかった。(その後、また長電話してたので、また日記書けず)

 でも、ああいう組織的にダメな雰囲気が漂っているところで仕事している人も大変なんだろうな・・・・と優しい私は、私を責め立てた担当者諸君にはやや同情的である。
 だって、普通に余裕のある会社なら、たとえ本部から「おまえの担当先はどうなってるんだ?」と責め立てられたとしても、自分の責任で得意先の状況を判断して、得意先には「すいませんけど、上のほうで不良先リストに揚げられてしまいそうなんで、ちゃんと処理するようにしてください」と説明して、上には適当に理由を言って「今後このようなことがないように、私のほうでも連絡を密にとるようにします」とかなんとか説明しておけば済むはずだ。
 このご時世だから「支払がちゃんとしてない会社は怪しい」と判断するのは正しいと思うけど、あんなに大騒ぎされると逆にこっちが「あの会社、そんなにヤバいの?」と思ってしまうではないか。

 これは私の勝手な想像だが、たぶんあの会社ではそういうトラブルが直接社員の評価に結びつくような査定方式になっているのではないか?私にとっては「たかだか1千万円」だが、そういう中小企業を沢山抱えた部署にしてみれば、それが数億円単位になってしまうのかもしれない。そしてそれを単純に「月集計」でやると、今回のような騒ぎになる。
 だって、うちみたいな小さな会社でも支払が遅い得意先がいた場合には、やはり「未集金」が数字で出てきちゃうので、まず担当者に確認を要請はするが、その作業にしても「ここの会社は毎月20日に支払っているみたいだから、先月は入金がなかったけど、今度の20日まで様子を見てみて、それでも入金がなかったら問い合わせてみましょう」とのんびりしている。担当者が請求書を経理に回してなかったり、紛失してしまったりすることはよくあるし、うちの会社でも支払うべき請求書が無いなんてことは日常茶飯事である。外出が多くて郵送されてきた請求書の封も切らずに放置しまう社員がいるということは、会社勤めの経験のある方ならよくわかるだろう。

 そして、請求書を紛失してしまった得意先に「なんで紛失するんですか?今年で2回目ですよ?」とうちの営業担当が責め立てたら、その得意先担当者はへこんでしまい、「あの会社はうるさいから、他から買おうかな」とか思っちゃうから、うちの担当者としても「いや、経理がどうなってるのかって聞いてきたんで・・・・そうですか、紛失されたんですが、じゃあすぐに再発行しますので、なるべくお早めに処理をお願いいたします」としか言わないだろう。

 そういう、「なあなあ」で済ませるから、日本企業は沈没寸前なのだから、もっとビシバシやらないと、というのもわからなくもないが、確信犯で支払わない得意先だったら別だが、「確信犯か天然ボケか」かは、出入りしている営業担当者にはだいたい判断がつくはずだ。

 そんなことよりも、前にも書いたが、私の友達が派遣の面接で某メーカーの担当者にかなり失礼なことを言われたので「もう、あそこの製品は買わない」と言っていたのを思い出す。
 今の世の中で出回っている製品って、どれもそれほど違いはないので、だからこそイメージが重要なわけで、そうやって「生産者VS消費者」じゃない舞台であっても嫌な思いをした人は、それだけでそのメーカーに不信感を持ってしまう。

 CMに出演させたタレントの不祥事は大問題になるのに、そういう些細なことはあまり問題にならないけど、「消費者」の立場からしてみれば、「好きなタレントがCMをやってる商品」をうっかり買ったりはするけれど、そのタレントが婦女暴行で逮捕されたらかって、「ここの商品は買わないわ」とは思わない。
 例えば、洗濯洗剤などは、店頭に置いてある一番安いものをいつも買っていたりする。それが花王だろうかP&Dだろうがライオンだろうが、あまり気にしてない。そのときたまたま窪塚君が花王のCMやってて、花王とライオンが同じ値段で売られていたら、花王にするかもしれないという程度。

 だが、私が仕事で洗剤メーカーとかかわりがあって、すごく理不尽な思いをしたり、友達が嫌な思いをした話で盛り上がっちゃったあとには、たとえその会社の製品のほうが50円安かったとしても、他社製品を買ってしまうと思う。
 前に仙台出身のプロデューサーがいて、その人は「サントリー製品は飲まない」と言っていた。なんでだか理由は忘れたが、仙台市民はサントリーに恨みを持っていたそうだ。だから彼は、飲みに行ってもサントリー製品はぜったいにボトルキープしなかった。

 そこの製品を選ぶ理由は軟弱でも、選ばない理由は強烈だし、一度そう思ってしまうと皆「なんで恨んでいるのかよくわからなくなった」という状態になっても、なんとなく習慣になってしまうらしいのである。
 だからこそ私の友達が「メーカーの社員はそのことを肝に銘じて、ぜったいにそういう対応をしてはいけない」と息巻いたのだと思う。
 雪印がしょーもないことをやっても、私は「絶対雪印は買わない」と強くは思ってない。けっこう買ったりしている。でも、雪印の担当者が私のプライドをずたずたにするような対応をしたら絶対に許さないと思うのだ。許さないというか、売り場で雪印のマークを見るだけでムカついてしまい、迷わず他社製品に手が伸びるだろう。

 CMタレントのイメージの効果がどのくらいの売上増加を産むのかよくわからないけど、「いい担当者を育てる社風」のだってそれなりの売上を産むのだと思う。友達が楽しそうに働いている会社だったら「ああ、いい会社なんだな」と思うから、そっちのほうが広告より効果が高いように思えるが、総合的にはどうだかわからないし、今のような厳しい経済状況では、そういうのも難しいのだろうけどさ。

 と、個人的な憤りで話を広げてしまうのは悪い癖かもしれないから、このへんでやめとこ。

 今日は健康診断だった。
 またバリウムを飲まされた。去年も経験していたので、今年は「はい、右側をちょっと上げて〜」という「赤揚げて、白あっげて」なゲームもちょっと上手くやれたと思う。
 
 でも、やはり下剤は強力で、バリウム飲んだ2時間後くらいから、10分おきにトイレ駆け込み状態。
 今日は、休みをとって午後は美容院に行こうと予約をしていたのだが、「こんなトイレ依存状態でどうしよう」と思ったが、美容院に着いたころにはお腹の調子もやや落ち着いた。おかげさまで、原生林のようだった頭髪(去年の7月末に行ったきり放置)もまたなんとか治まることができた。
 2時に美容院に行って、終ったのが6時半。なんだか疲れた。今日こそ早く寝るべし。


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