可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください


3月15日(金)

 今日の帰りもなんだかラーメンが食べたくなり、前からネットのあちこちで風評が目に入っていて気にはなっていたのだが、ちょっと遠かったので行ったことのなかった「波里」という店に行ってみる。
 「化学調味料を使用していない」というのが売りの店のようだ。
 そういわれても、普段別に食に対してそれほどこだわっているわけでもない一般人としては、いつも食べている食事にどれだけの化学調味料が使用されているのかも漠然としているのでよくわからない。

 ワンタン麺を注文してみる。ここのは、東京風というのか「中華そば」という醤油味。スープをススってみると、「はあ、化学調味料無しってゆーのはこーゆーことか」といきなり納得。
 それほど「ジャンク」に毒されていない私でも「あれ?味がない?」と一瞬思う。塩気も控えめで、うっすらとダシの味がするが「なんのダシ」かはわからない。最近のラーメンの主流は「とんこつ」だったりするので、あの脂ギトギト感に慣れた舌にはあまりにも質素な風味。

 この世には毎日ラーメンを食べて、「ラーメン日記」を書いている人がたくさんいることに最近気がついた。(「カレー日記」も多い)
 ここのラーメンはそういうラーメンを常食にしている人や、それに近い人が「でも、こんなに体によさそうなラーメンだってあるんだ」と自分に言い訳するためにあるのではないかと勝手に憶測する。そう「食材」ではなくて「贖罪の味」がするのだ。

 それでも食べているうちにだんだんとその薄味の味がわかってきて、麺を食べ終えてからスープをすくって飲んでいたら、だんだんと旨みを感じるようになった。「贖罪の味でリハビリ」というところか。
 などと得意げに書いていると、この日記も立派な「ラーメン日記」になってしまいそうだ。今はショック状態なので正気を失っているのです。なにごとも「色恋沙汰」に例えて語るのが好きという本領を発揮すれば、

 「付き合ってた彼氏が突然なんの前触れもなく蒸発してしまい、ショックのあまり欲望の赴くままに男あさり」

 という状態なのである。そのうち落ち着くはずです。でも明日は、もし体調がよければ、六本木に行くかもしれないので「例のカウンターが仕切られているという九州系ラーメン屋でも・・・・」と密かにあたりをつけていたりする。
 「波里」に行く途中で、「ピザ・レストラン」の旗がかかっている駐車場があった。しかし、前を通っても店が見当たらない。ラーメン食べた後にまた通りがかったので、その駐車場の脇に階段を降りてみて、道路より低いところに小さな公園があって、そこを通りぬけると駐車場の裏側に機械室のような小さな建物があった。そこにレストランの看板が出ていた。しかし、その建物は、学校の屋外プールに設置されている水の浄化装置があるような小さな一間くらいの建物なので、店は多分その地下にあるのではないかと思う。微妙に怪しい風情だ。今度挑戦してみよう。

 この調子でいくと「三軒茶屋レストランガイド」が作成できるかもしれない。
 家にたどり着く直前に、今年の初カエルを目撃。感激して、素手でつついてみた。むっちりと硬く身も締まっている。というか、冬眠明けでまだ体が硬いのか?
 「おっし、写真とるぞ〜」
 と慌てて部屋に戻り、デジカメを取り出したら・・・・しばらく放置してあったので電池切れだった。残念。また遊びに来てください。(部屋に持ち込もうかとちょっとだけ考えたのであるが、飼える環境でもないし、それに放し飼いにしたら寝返りうったときに踏んでしまいそうだから断念)



3月14日(木)

 昨日は張り切っていたので元気だったが、今日はやはり仕事するのがダルくなる。夕方になって上司が外出してしまい、他の社員も会議でほとんど席にいなかったので静けさが眠気を増長するので、仕事から逃避して「社内便用封筒」をせっせと作った。私のところにはいろいろな書類がやってくるのだが、会社の封筒に書類を入れてくる「地球にやさしくない人」が多い。別にエコロジストを気取りたいわけでもないが、そうやって集まった封筒を捨てるのがとてももったいない。エコロジストというよりもエコノミストの立場で言えば「この封筒の単価いくらだと思ってんだ?」だし、総務なので、そうやって封筒が無駄に使われてあっという間になくなると、また発注かけるのがめんどうなのだ。

 帰りにお腹が空いたので、近所のラーメン屋に寄り道しようとしたら、「あれ?また休業?最近、臨時休業が多いな・・・・」と思って張り紙を見たら、「都合により閉店いたします」
 ガガーン!あまり流行っていないのはわかっていたが、半年で閉店とは!けっこう気に入って何度も行っていたのに・・・・・「まあまあ、美味しいし、近所の店としては上等」だと思っていたのだが、閉店したとなると物凄く美味しかったような気がしてきて、ただただ残念である。
 残念がってても空腹は収まらないので、別の場所を探す。ふと、「長崎ちゃんぽん」が食べたくなったが、私の知っている店(映画館のある小道の奥にあるカウンターだけの店だが、けっこう評判もよく、そこそこ有名らしい)まではちょっと遠いし・・・・まあ、なんでもいいや、と思いながら歩いていたら、「そうだ、ここにもちゃんぽん屋があった」と思い出す。

 やはり表通りには面してない小さな店で「来来来」という名なので、中華だと思って近くまで寄ってみたら「長崎ちゃんぽんと皿うどん」と書いてあったので、そのときはあまり「ちゃんぽん」が食べたくなかったので素通りしたが、「ちゃんぽん心」が盛り上がった今こそ入ってみよう!
 そして、メニューを見た瞬間に「私が食べたかったのはちゃんぽんではなくて、皿ウドンだ」ということに気がつき、さっそくオーダー。驚くほどでかい皿にナミナミとあんかけが載っていて、「こんなに食えるかな?」と不安になったが、食べ始めたら、すごく普通に美味しくて、スルスルと胃に収まった。お野菜もたくさん入っていたので、今度また利用しよう。

 「皿うどん」を食べながら思い出した幼い日の記憶。
 小学生の高学年のときに初めて神田の古書店街に行った。父が行くときに多分母が私も連れていけと言ったのであろう。父は古書店よりも、大きな書店(グランデとか三省堂)がお目当てだったようで、父が本を選んでいる間、私は小生意気にも「フランス語入門」などを立ち読みしていた。当時は「ベルサイユのバラ」全盛期で、私は将来フランス語を学んでベルサイユ宮殿に行くのだと張り切っていたのである。

 一通り本屋を回ったあとに、父と小さな中華料理屋に入った。中華屋というよりも「中華定食屋」で、私には父と二人だけで外食というのも珍しかったし、それに小学生以下の子供を3人も抱えた郊外の家庭では、あまりそういう「独身男性いっぱい」なお店に入ることもなかったので、ちょっと大人になった気分がしたような記憶がある。子供心にも「神田の書店めぐり&定食屋」というのは、「学生さんっぽい」わけで、「大学生」がオジサンにしか見えなかった当時だから「大人の気分。しかもちょっと知的な体験」だったのでR。

 メニューを見て、「中華丼」「野菜いため定食」などという見慣れぬものばかりだったが(お嬢様ぶっているわけではない、当時の外食といえば、ハンバーグ・ステークとかスパケティ・ナポリタンとかドリアとか、要するにファミレスの洋食メニューが定番)、中華料理は知らないわけではないので、だいたい想像はつくのだが、中にひとつだけ、「なんだこれ?」というのがあったので、父に聞いてみた。

 「おとーさん、ちからゆうヤキソバって何?」

 父も「は?なんだ?」と言うので、目の前にあったメニューを指差して、「ユーヤキじゃないのかなあ、じゃあユーヤケ?チカラっていうと、お餅が入ってるのかな?」とブツブツ自信がなさそうにつぶやく私が指差したところを見て、父は無表情のままで、

 「それは、かたやきそばだ」

 と言った。「カタ」を漢字だと思って「ちから」「ゆう」と読んでしまったのであった。ありがちな話ではあるが、その後何十年たっても、「カタ焼きそば」を食べるたびに思い出す。あのとき一瞬イメージしたのは「夕焼け色に染まって、モチが入っているラーメン」もしくは「夕焼けのように焼けたモチが入っているラーメン」だった。それが理由なわけでもないが、揚げたソバにアンがかかった「カタ焼きソバ」は大好きで、だから「皿うどん」もけっこう好きなのである。

 ちなみにそれから数年後に、たしか雑誌「ぴあ」の欄外コーナーの「はみだしYOUとぴあ」(あのコーナーのためだけに「ぴあ」を用がなくても毎週買っていた人は私だけではないと思う)に、

 夏休みの宿題で新聞の切り抜きを集めていて、それを夏休みの終わりに整理していたら、「タモリ」と自分の字でメモ書きしている切抜きがあったのだが、その記事を見てもタモリにはなにも関係がない。なんでタモリなんだろうと思っていたら、他にも「タモリ」と書かれた切り抜きが何個か出てきた。そのうち「朝刊」と書いたメモが見つかり、「タモリ」が「夕刊」のことだと気が付いた。

 という投稿があって、「ははは、お友達だ〜」と大笑いした。

 「来来来」はわりと有名な店らしい。検索したらけっこうひっかかってきた。「都内3指に入る」とまで書かれている。それほどのインパクトはないが、近所なのでときどき食べたくなるかも。古くからあるお店だから、そう簡単に閉店したりしないよね。

 そーいえば(腰痛でスポーツクラブに行けないので、日記書きでストレス解消中)、昨日「英検2級」と書いていたので思い出したが、私は就職活動中に履歴書の「資格」欄が空欄というのも淋しいので、「英検2級」と書いていた。運転免許持ってないので他に書けるものがない。秘書検定2級よりはマシだろうとか考えていたが、私が採用担当者だとしたら「英検2級」から得られる情報は「高校では真面目に勉強したんだな」という程度であろう。大学で真面目に勉強したかどうかはわからない。仮に英文科卒とかで「英検2級」とか書いてきたら、「ちょっとトロい人なんだろうな」と思うだろう。
 
 ところが、前にいた会社で社員募集をしたときに、なにせ「テレビ番組&CM制作会社」なので、けっこうな応募があり、沢山の履歴書を整理したのだが、この世にはあの欄に堂々と「英検3級」と書く人がけっこういて驚いた。まあ、善意に解釈すれば私と同様「空欄というのもなんだし」という気持ちでなけなしの資格を書いているのだろうけど、「英検3級」から得られる情報は「中学では真面目に勉強したんだな」というものだけである。「高校では不真面目だったのかも」と私みたいな想像力逞しい人に勝手に判断されたりするので危険だと思う。
 2級だから偉くて3級はダメというわけでもないが、まともな高校の英語の先生だったら、生徒が「英検受けたい」と相談に来て「でも2級(今だと準2級とかいうのもあるらしい)は難しそうだから、最初は3級で試してみようと思って」とか言ったら、「3級を受けるよりも、最初に2級を受けて不合格でも、もう一回2級を受ける練習だというつもりで2級を受けなさい」とアドバイスするような気がする。
 今ではあまりはやらないが、「珠算検定」も履歴書に書いていい最低レベルが「3級」だというし、書道に至っては統一検定がないので「書道1級」と書かれても困るが、そういうのを書くよりも「水泳個人メドレーで県大会で6位入賞」とかのほうが社会人としては役に立ちそうだ。

 話はまた飛ぶが、「資格欄」にはほんとに悩まされたので、大失業中に「いっそ、秘書検定でもとろうか」と思って、2級のテキストを買ってみたのだが、あれは読み物としては面白かった。一般常識問題は、祝儀袋の書き方とかわりとまともなのだが、職務上のいろいろな局面で「どうすべきか」というのが4択問題になっていて、それがけっこう面白い。こんなかんじの問題。もちろん明らかに「これはそうだろう」というものが多いのだが、中には「これは、こうすべき/すべきでないとうよりも、上司の個人的な好みや職場の雰囲気にもかなり左右されるのでは?」という変な例題も多かった。

 「これは、女性誌の占いなどをやるよりも、OL友達と集まったときにクイズ形式でやったら盛り上がりそうだ」と思っていたのだが、探したけどもう捨ててしまったみたいだけど、例えば「上司が具合悪そうなときにどう対処すべきか?」などという例題があって、「早退なさったほうがいい」と秘書が言うのは×らしいけど、秘書というより、人として「もう帰ったほうがいいですよ。あとは私がなんとかしておきますから、大丈夫」と言いたくなる場合だってあるだろう?とか突っ込みたくなってしまう。他にも「よけーなお世話だ、上司だって子供じゃないんだから自分でやれ」な例題続出だった。(あと、後輩のミスをどう注意すべきかなどという設問もあったなあ)

 そういや、友達の友達がとある大企業の秘書室にいたそうだが、その話を聞くと、「そんな心配りができてしまうような人は仕事にならないから秘書には向かない」というほどに、その秘書室は「豪快さん」秘書が揃っていたそうだ。秘書を「保母さん」と勘違いしている職場もあるだろうが、ほんとの秘書はわりと忙しいので、「それはご自分でやってください」とキッパリ言える人ではないと勤まらないという話だったが、私はあまり秘書というのを見たことがないのでよくわからない。

 それにしても、自分も総務関連の仕事をしているので、「秘書っぽい仕事」は嫌でもやるハメになるのだが、一番の仕事は「営業電話から社長をブロック」である。最近の営業電話、特に怪しそうな手形なんちゃらとか先物とかは個人名を名乗るので、いちいち社長に確認せねばならずめんどくさい。逆に、どうして、社長のお友達というのは名前をちゃんと名乗ってくれないのだろう?開口一番「社長いる?」とか言ってくる人が多いので困る。こっちは、相手を確認してから電話を繋いだり、相手が怪しかったら居留守使うことになるので、「いる?」と言われても困るのだ。私が両親と住んでいる友達の家に電話するときだって、ちゃんと真っ先に名前名乗るぞ。一般常識だろうが!
 
 応対する秘書の身の上に立って行動できる人を育てるために「社長のお友達検定試験」もやってほしい。 



3月13日(水)

 昨日はちゃんと昼前に起きたし、散歩もしたし、夜は長電話して、けっこう活動的だったと思うのだが、なぜか夜なかなか寝付けず、2時くらいまで目が醒めていた。それでも、朝なんとか起きて、とぼとぼと会社に行く。まだ腰は本調子ではないが、歩いていて辛いというほどではない。
 会社に着くと、「大丈夫でした?」と皆に言われて、ちょっとテンションあがる。しかし、いい気になっている暇もなく、机の上に山積みになった書類や社内便や郵便の処理に追われる。今日中に支払の集計をしなくてはならないのだが、休みの間に回ってきた請求書もたくさんあったので、午前中はその処理であっという間に過ぎた。

 午後になって、先も見えてきたので、残業してもいいやというつもりでマイペースでやっていたのだが、上司が私とやはり昨日休んでいたらしい同じ部の子を会議室に呼んだので、なんだろうと思ったら、4月の異動についての情報だった。私はそのままだが、けっこうまた大規模な異動になるようなので、4月もいろいろと忙しくなりそうだ。
 先のことをあれこれ考えても仕方ないので、溜まっている仕事を黙々とやっていて、電話をとると、相手は日本人ではない様子・・・・こ、これは!

英会話個人レッスンまでの道! − 今までの経緯

 去年の会社の忘年会に、グループ会社の役員が招待されて出席した。忘年会では毎年、豪華景品のくじ引きがあり、入場時に配られる「座席番号」が抽選券となる。今年もゲーム機や家電製品、商品券にホテルの宿泊券などが、出席者の3割くらいに当たった。1等は一流ホテルの宿泊券で、長年同棲していて去年やっと入籍したという男性社員がそれを当てて、大いに盛り上がった。それで抽選会は終わりのはずだった。私はその前の年は3000円の商品券が当たったのだが、今年はかすりもしなかったのであった。

 ところが段取りの悪いことに、1等が発表された後に、「まだ、賞品がありま〜す」と司会が言い、グループ会社の役員が賞品を用意していなかったのを同じテーブルにいた古株社員になじられ、慌てて用意した賞品が出されると言う。ちなみに二人とも相当酒が入っていた様子。そして、その賞品というのがなんと、そのグループ会社がやっている英会話スクールのネイティブ教師による英会話レッスンだという。会場には笑いが巻き起こる。いかにも酔っ払いがその場しのぎで考えただけのことがある。「そりゃあ、賞品というより、罰ゲームだろう」と誰もが思った。

 私は自分の座席番号をもう一回見直して、「あたしって、こういうのが当たったりしてしまう人なんだよなあ」と漠然と思っていた。そしたら、ほんとに私の番号が高らかに読み上げられた。しかし、私が当たってもあまり盛り上がらない展開である。多くの人は、私にとってそれがいいのか悪いのか見当もつかないだろう。見るからに英語なんて全然だめそうな、腕白そうな男の子社員とか、ダメおやじ系の社員だったら、もっと野次が飛び交うだろうし、会社に2名ほどいる「帰国子女でバイリンガル」な社員に当たってしまうというのも面白かったはずだ。

 とりあえず、当たった人はなにか一言マイクに向かってコメントしなくてはならないので、「大変光栄です、ぜひ、先生は金髪で青い目のとびっきりのハンサムにしてください」とフツーのことを言ってお茶を濁した。しかも、私に手渡されたのは、ボールペンで「ネイティブレッスン3時間」と書かれた割り箸の袋だった。
 散会した後、その役員に一応「当たっちゃいました」と、ご挨拶に行ったのだが、すっかり酔っ払っていて、「金髪がいいんですか?じゃあ、ハンサムガイとお食事でもできるようセッティングしますよ」とか、わけわかんないこと言ってるし、彼をけしかけたうちの社員のおじさんも「ミヤノさんは、趣味がうるさいから、ブラザーのほうがいいんじゃないの?」とか好き勝手言っている始末であった。

 年が明けてすぐに、ちゃんと酔いも覚めたその役員から電話があった。あの話は冗談ではなく本当のようだった。「どうします?食事でもしますか?1人では淋しかったら、他の子も連れてきてもいいですよ」と言われたが、会社で仲のよい友達がいるわけでもないし、それにそんなのに誘ったら、嫌がらせだと思う人は多いだろう。うちは思いっきりドメスな会社なのだ。それに初対面の外人と食事しながらお喋りというのも緊張しそうなので、「普通のレッスンでいいです」と言っておいた。

 それから数日後に、今度はその件で総務担当の女性から電話。再度「まあ、せっかくですから個人レッスン受けてみたいし、そちらの都合のよい方法でやってください」と言う。そのスクールは子供向けの教室なので、基本的には日本人が教えており、外人講師は定期的に教室を回っているらしい。私のために、講師をセッティングするのも、心苦しいので、そちらのスケジュールに合わせますから、と謙虚に申し出る。
 向こうは「どんなレッスンをご希望ですか?」とたずねてくるのだが、そう言われても私にはプランが思い浮かばないと正直に申し出ると、「じゃあ、こちらでプランを何個か用意して、選んでいただくということでどうでしょう」と言うので、「おねがいします」と答えたら、「ひとつ、確認したいんですけど・・・・・・ひょっとして、レッスンが当たってしまって、ご迷惑ということはないですよね?」と言われ、「いえいえ、とんでもございません」と電話だけど、ブルンブルン首を振ってしまった。その女性は、私の上司ともわりと親しいし、うちの会社のこともよくご存知なので、自分の上司にこの話をきいて「こんなことやって嫌がる人だっているだろう」と考えたのだろう。さすが、普通に仕事のできる人は普通に理解しているものだ。

 その後、なんの音沙汰もなく、私もあえて突付かなかったのだが、先日、そこの男性社員A氏より電話。私はその人と話すのは初めてだったが、なにやらキビキビ話す押しの強そうな人である。彼は外人教師の手配などをしている人だろうから、「日本語のまどろっこしさよりも、英語のダイレクトさを好む」ようなタイプみたいで、話していても英語を日本語に置き換えているようなかんじがした。役員→総務→現場と話が伝わっているせいもあり、「そもそもなんでこういうことになったのか」ということがすでに希薄になっている。

A氏 「それで、○○(役員)からは、3時間ときいているのですが、通常のレッスンですと1時間くらいが普通ですので、1時間を3回にしますか?」
私 「え?ええと〜そうなんですか、でも、前に△△さんとお話したときに、外人の先生は常駐ではないとうかがってますので、3回もやっていただくのもごめーわくなんじゃないかと・・・・」
A氏 「そうですか、こちらの事情もくんでくださってありがとうございます。こちらとしても、3時間では短いのでどうレッスンを進めていいのか考えているのですが、ミヤノさんの方ではなにかご希望はありますか?」
私 「ええと〜それも前に△△さんにお話したと思うんですけど・・・・私も個人レッスンというのを受けた経験もないので、よくわからないと言ったら、そちらでプランを何個か用意してくれるというお話になったんですけど・・・・」
A氏 「そうですねえ、でも、3時間と言えば、ほんとになにをどうするという時間でもありませんし、よく駅前留学とか言いますけど、結局3回くらいで辞めてしまう方が多いのですが、それだとはっきり言ってなんの足しにもなりませんからねえ」

 そりゃそのとおりだけどさ・・・・・忘年会の景品なんだから・・・・さ・・・・・

A氏 「ところで、失礼ですが、差し支えなかったらミヤノさんの英会話のレベルをお伺いしたいのですが」
私 「はあ・・・・レベルと言っても・・・・まあ、1人で海外旅行に行っても死なない程度・・・・ホテルの部屋がとれて、電車の切符がとれて、レストランで注文できるくらいが最低できるというか・・・・」
A氏 「最低レベルの上くらいってところですかねえ」

 日本人をランダムに100名集めたら、上位10位に食い込む自信はあるんっすけどねえ。「下の上」か・・・・・

私 「ええと、そうですね、具体的に言うと、高校生のときにとったので今も通用するかわかりませんが、英検2級はとりました」
A氏 「ああ、みなさん、そのくらいはよくお持ちですよね」

 ケンカ売られているのかしら(涙)。あの当時、クラスで10人くらい受けたけど、2次まで残った人は少なかったのよ〜

A氏 「差し支えなければ、教師からミヤノさんに直接お電話して、簡単なレベル判定をしてもらうという方法もありますけど」

 そ、そんな!会社の電話で英語喋るなんて、ぜったいにイヤ〜〜〜〜〜〜〜

私 「い、いえ、まあ、そうしたほうが、きちんとしたレッスンを受けられるんでしょうけど、で、でも、今回は時間も短いし、体験レッスンっていうことで、遊び半分でもいいんですが、事情も事情だし・・・・」
A氏 「そうですか、それでは、具体的にはどういう会話の練習をしたいでしょうか?たとえばビジネス・イングリッシュとか、旅行会話とか」

 うちの会社でビジネス・イングリッシュは使うことはないだろう。外資に買収される可能性も限りなくゼロ。つーか、このAさん、真面目に仕事しすぎだよ。

私 「そうですねえ、まあ、なんて言うんでしょ、お友達と会話するような、パーティートークって言うのかしら、ええとそうですねえ、時事問題みたいなのが少しできるといいかなあ」
A氏 「ご希望は、ビジネストークなんですね?」

 私がそのとき漠然と考えていたのは「オリンピックのあの判定はないよね〜」というような会話である。商談の前口上ではないのだよ(涙)

 ああ、書いていたらまた長くなってしまった。とにかく、なんとなく「ソリが合わない」A氏であったが、電話が終ったあとに考えてみれば、彼も、このどうしていいかわからないレッスンを外人に「ああしろ、こうしろ」とちゃんと説明して、レッスン資料やプランを用意しなければならないわけだから、あまり漠然としていても困るのだろうなあと同情した。そして、いつも後になってから思いつく私は「そうか、W杯も近いし、そういうので日本に来た外国の人とサッカーの話題で盛り上がれるように準備したいといえば、とても具体的な要望だったなあ」と思ったが、それを言うためにわざわざ電話する気にもならなかった。
 なんだかめんどくさくなってきたので、さっさとレッスン受けたかった。私の英語はナマクラだが、話題は豊富なので3時間くらい無駄話で繋げる自信はあるのだよ。過去に何回かそれやって、そのたんびに次の日寝込んだけどね。知恵熱ってやつ。
 一応、そのときに向こうが提示したスケジュールが私の都合と合ったので、3月中旬になるはずだった。

 ところが、また数日たったらA氏から電話がかかってきて、「体験レッスン」の時期なので、講師のスケジュールが埋まっているというので、4月に延期された。 早く消化したいよ、忘年会の景品・・・・・
 しかも、A氏は、「この間、いろいろお話していて、あのあと思ったのですが、ひょっとしたらけっこう英会話は慣れていらっしゃるのではないですか?」

 あ〜慣れてますよ、場数だけは踏んでますとも。インドはずっと英語だったし、イギリスでは天安門事件について語り合ったし、イラン人を水族館に1人で連れていったこともあったし、イギリス人だけど学会員のねーちゃんに「日本では悪く言われているのは知っている」と言われたので、その人がいい人だったから(私が一生懸命話したジョークでちゃんと笑ってくれた)すっご〜く困って「そんなこともない」と嘘八百を並べ立てたこともあったし、パブでギネス飲んでたら、となりいたおじさんに「日本のビール」について質問されて、「日本にはあまりビールの種類がない」と言うときに、a fewを使おうとしたらaが抜けちゃって、「ほんとか?」と目を丸くされたこともあったっけね!英国のミュージシャンの話相手にされたときには、そいつがプラダの財布もってたから「コギャルだ!」と言って、コギャルとは何かを説明したし、DJをレコ屋めぐりに連れて行ったときには、「How many records do you have?」と完璧な英語で質問して「いい質問だ」としばらく笑われたけど、そのあと、「あのビルはなんだ」と言うので、「あれは、トーキョー シティ ガバメントのビル。でも、ウィ コール タックス・タワー」と東京都庁ビルをきちんと正しく説明したらちゃんとウケてくれたわい。

 とも言えなくて(会社だし)、

私 「いえ、まあ、そこそこなんとか話はできる程度ですけど、なにしろ基礎もないし、いいかげんなブロークンなんです」

 と謙虚に答えていたのだった。
 うむ、こんな話で熱くなってしまった。とにもかくにも、こういう過程を経て、なぜか今日という私が病み上がりの体にムチ打ってせっせと仕事している最中、流暢な日本語を操るけど、どう聴いても日本人ではない方から私宛ての電話。

 Aさ〜〜〜〜ん、あんなに語りあったのに・・・
 やっぱり外人教師に私のレベルチェックさせるのね!

 普通の日本人は、人前で下手クソな英語を話すのが死ぬほど恥ずかしいという常識をなぜ知らない!
 やっぱ、あなたは日本人ではないのね(号泣)
 でも、こういう完璧主義は決して嫌いではない。尊敬できますとも。

 でも、でも、でも・・・・・

 あなたの仕事に対するプライドのために、私のプライドがズタボロになってもいいというのね。(しかも、たかだか忘年会の景品のために)

 でも、先生にはちゃんと「W杯の話をしたいです」と伝えました。英語で。なんか「え?そうなんだ?サッカーファンなの?」と言われたが、「それほど熱狂的なファンでもないのですが、開催期間中はそういう話題をする機会もあるかと思って・・・・それに、たとえば道を尋ねてきた人が、どこかの国の応援団だとわかったら、ちょっとはつっこんだ話してみたいじゃないですか」などという英語力はもちろん無い。ノット ソー マッチ とか慌てて言った程度。
 とりあえず、サッカー以外にも、ニュースの話とか・・・そんなシリアスな話ではなくて、グッド・ニュースについてお喋りができれば・・・・と必死に説明したらだいたいわかってくれたみたい。(多分、私の会話レベルも・・・・でも、会社じゃなければ、せめて心の準備ができていれば、もうちょっと上手に話せると思うのだが・・・・)
 
 そんで、向こうが日本語堪能なこともわかったので、最後には大きな声ではっきりと、

 よろしくお願いします

 と日本語で言った。

 電話が終ったあと、「外人教師が直接電話をかけてきた〜〜〜」と騒いだら、周囲の社員も皆聞き耳をたてていたらしく、大ウケしてた。
 冷や汗かいたし、血圧が一気に上昇してしまったので、しばらく呆けてしまい、復活して仕事に戻るのに30分ほどかかってしまったのであった。



3月12日(火)

 だいぶ具合は良くなっていたが、まだ歩行がヨタヨタだし、立ったり座ったりがやや辛いので、今日も仕事はお休み。
 また9時前から工事が始まったが、昨日よりも余裕を持って騒音を聞いていられる。ほんとにバリバリと凄い音なのだが、見えないだけにどんな工事をしているのか好奇心をそそられる。のぞいてみたい。見てみたら、大したことやっていないような気もするが・・・・

 昨日の夜電話してきたイメルダ君が「動けないんだったら食糧でも持っていこうか?」と言っていて、今日も昼に電話を貰ったのだが、少し歩いてリハビリしたかったので、お昼ご飯を外で食べることにした。平日の三茶を歩くのも久しぶりだが、人通りも少なくて、のんびりしている。ピーク時をずらして1時すぎに近所のビストロに入ると、客は誰もいなくて、「オフィスも少ないからランチタイムでもこんなもんか」と思っていたのだが、私たちが座ったあとから客が3組も入ってきて、ウェイター兼シェフのお兄さんはてんてこ舞いだった。他のお店も2時くらいなのにけっこう席が埋まっていて、住宅街のランチタイムは遅めらしい。

 「病気というよりもケガみたいなもんだから、たんぱく質をとらないと」と思い、牛のステーキを食す。デザートも美味しくて、久々にまともなもん食べて満足。
 ポーターがいるので、帰りにスーパーで豆乳や牛乳などの「たんぱく質」にこだわった飲み物を買い込み、帰宅。お昼休みも終了しているので、階上ではドンガラガラが始まっている中、この間、古書店で目に入ったのでつい買ってしまった「もてない男」を読み出す。

 案の定、傍らで少女漫画雑誌を読むイメルダ君が反応してきて、「もてないとか言っておきながら、その著者は結婚したらしい」とか文句を言ってくる。別にいーじゃん、「もてない男」という本を書いたからって本人がもててはいけないということはないだろう。「ダメンズ・ウォーカー」描いている人が、「ダメじゃない男と結婚」しても別に文句言う筋合いではない。「もてない、もてない、と言ってても、実はモテモテだったりするんだ」とイメルダ君は茶々を入れてくるが、「本人がもてないと思っているのだから、それを他人がとやかく言ってもしょーがないじゃん」と諭す。

 そもそも「もてない/もてる」という言葉の定義があまりにも曖昧すぎる。というか、私は具体的に「もてる人」がどんな人だかわからないのである。そりゃ、彼氏や彼女を切らしたことがないという人はいるけど、そういう人たちを「もてる人」とは言えない。一生懸命考えても、かつての火野正平なんかは、芸能界随一の「モテ男」であったようだが、それは火野正平がテレビ画面に出てくるたびに、「この人ってこんな情けない顔だけど、美人女優になぜかモテモテだったのよ」と母が私に語りかけて洗脳したためだろう。母は彼が「モテモテ」だったのが、どうしても納得がいかなかったらしく、「女ってこういうちょっと情けない感じの男に弱いのかもね」と中学生くらいの私に問わず語りしていたのであった。でも、火野正平の場合は「もて男」と呼ぶよりも「女たらし」と言ったほうが雰囲気である。

 「もてる女」になると、全く思い浮かばない。フェロモン系女優やグラビアアイドルなどは、男性の熱い視線を集めるだろうけど、それと「もてる」とは別だと思うし、男性アイドルだってしかり。ああ、でもマドンナからもお誘いを受けたという、ヒュー・グラントなんかは一時期ハリウッドでは「もてた」というのかもしれないけど、しょせんゴシップ紙の世界。じゃあ「もてる」ってなんだ?

 友達のバンドやってる奴とか、あと・・・そうだ!DJはモテるみたいだ。DJの友達も言っていた。なぜか女の子が寄ってくるそうだ。
 友達でも知り合いでもなかったけど、顔も大したことないやつが3人と同時に付き合っているという陰口を聞いたこともあり、「なぜDJだというだけでモテるのか」と考えたこともあった。今だに謎である。タレントと違って、恋愛しているということが減点にならないし、「ちょっと有名で舞台に立っている」けど、ずっと楽屋にいる商売でもないので、ロビーをうろうろしてたりするから女性としても話し掛けやすいだろうし、そいういう「カッコいい職業だけど、遠い存在ではない」あたりの半端さかげんがいいのではないだろうか?ファンが大勢いすぎると、いちいち相手してらんないが、寄ってくるのが数名だときちんと相手できるので、そのあたりが秘訣かも。大物になりすぎると、寄っていく女性も「付き合えるわけじゃないけど」という気持ちで寄っていくだろうから、小物でいるのがモテるコツのような気もする。

 でも、たぶん、小野谷敦が掲げる「もてる」というのは「ちゃんと恋愛ができる」という意味なんだろうけど、学生時代に出会って付き合い始めたガールフレンドと社会人になってもちゃんと交際して25歳で結婚し、そのまま愛を貫いて金婚式まで夫婦円満な男性を「もてる男」とは誰も言わない。「いいですねえ、奥さんにモテモテで」とか言うこともあるのだろうか?

 と、関係ないことを考えながらも、けっこうゲラゲラ笑いながら読んでしまったのでありました。著者も「私怨」と言っているが、たしかに論評読んでいるというかんじではなく、論評っぽいのの間に個人的な愚痴があちこちにちりばめられていて、ついついそういうところだけ拾い読みしてしまうので笑えた。1時間くらいで読んでしまったので、隣でブチブチ言っているイメルダ君に進呈した。

 日記が数日中断していたので、友達に心配されていたらしく「腰痛だったんだ!大丈夫?」との電話をいただく。長電話になってしまい、その後風呂に入っていたらまた電話が鳴っていたので、風呂上りに留守電チェックしたら母上だった。また、じいさん&ばあさんの話をする。私なんかがたまに顔出しても、役にも立たないが、じいさんも自分が大変なのを他の人にわかってもらいたいらしいので、それでいいんなら、できるだけ顔出して、じいさんの愚痴でも拝聴してさしあげましょう。母もかなり前向きに考えているみたいなので、話をきいていてもわりと楽しいし。でも、「あの、家事を全く手伝わなかったおじいさんが、ああやっておばあさんの世話しているのを見ると、あんたも結婚したいと思わない?」と余計なことを言われた。あの光景を見て、「結婚っていいなあ」とか思うもんですかねえ?

 さあて、明日は出社するぞ。仕事が溜まっているのであった。4日間も休んですっかりダラけてしまったというのに。なんとかリセットせねば。



3月11日(月)

 見事に動けず。朝起きて、這うようにしてパソコンに向かい、会社に「腰痛で休みます。明日もダメかも」とメールして、痛い腰を守るため、膝を抱えるようにして横になる。トイレに行くにも、立ち上がるのが大変。立ち上がると激痛が襲うので、トイレまで這っていって、便座に腰を降ろしてから、「さあて、パンツをどう脱ごう」と呆然となる。腰が浮かせない。片手で壁をつかみ、腰を浮かせてもう片方の手でずり降ろす。終ると「さあて、パンツをどう履こう」と悩む。そのままの姿勢で手を伸ばして引っ張った。歯を磨くのも、お辞儀ができないから、片手で体を支えないとならない。なんとかそのままよろよろと腰を曲げながら布団まで歩く姿は、昨日会った、じいさんのようだし、布団のところで膝をつけないので、壁にもたれてゆっくりと身を沈め、やっと膝をついたまではいいが、そこからゴロンと横になるのも時間がかかるし、寝返りうつときが一番ヤバイ。ううう、昨日さんざん見た光景を身を呈しておさらいしてどーする、ってかんじ。

 9時ごろから、上の階で解体作業が始まってしまい、「なにかあってもすぐに逃げられる状態ではないのに・・・・なんだか天井から職人さんが機械ごと落ちてきそうで怖い」くらいに、バリバリゴンゴンガラガラメキメキとものすごい音がする。どうやら床板を剥がしているらしい。
 寝るに寝れない状態なので、テレビでも観て気を紛らわそうとするが、「ああ、そうか、ムネオ君の証人喚問か・・・・そういうの観られる体調じゃないのよね」とチャンネルを換えるが・・・・・なんじゃこりゃ?カメラの角度に差があるとはいえ、全部ムネオかよ!空しくザッピングして、頼みのテレビ東京ですらムネオ君なので、こういうときに絶対に裏切らないNHK教育テレビにする。

 12時になると、やっと「笑っていいとも」などが始まり、ぼんやり観ながら「お腹が空いたなあ」と思えども、冷凍庫に入っている食パンを焼く気力も体力もない。なんとか冷蔵庫から飲み物は出せる状態。たんぱく質をとらないと回復が悪いかもしれないと思い、スライスチーズを横になりながらむしゃむしゃ食べる。正座して座れないのだ。ためしに椅子に座ってみたら、こんどはそこから動けない。

 昼過ぎから夕方がピークで、くしゃみすると、「ギックン」と痛むので、「ハ・・・ックション・・・・ドワアアア!」と叫ばなければならない。出産と腰痛のどっちが痛いか?という論争があるが、私の身近では両方を比較検討する体験をした人がいないので、「腰痛は何度もやったから、いつか出産してみてどっちが痛いか検証してやる」と思っているのだが、でも分娩室で医者も励ましてくれるであろう出産に比べると、腰痛は孤独な痛みである。しかも、ずっと痛いわけでもなく、ちょっと具合がよくなって、ふと寝返りをうとうとすると、ビリビリビリ!っと電気が走り、側に誰もいないのに、「ぐおおおお」とか低い叫び声をあげている自分がたいへんミジメである。

 それでもお腹が空くので、改装工事のご挨拶で大家さんが持ってきてくれたアラレと、先日の葬儀の手伝いのお礼に送られてきたヨックモックのクッキーを交互に布団で寝たまま食べる。マリー・アントワネットの「パンが無いなら、お菓子を食べればいいのに」というお言葉を素直に実践しているのであった。

 夜になって、少し動かしてもビリビリしなくなってきたので、おっかなびっくり背中のストレッチをしてみる。痛いところを庇っているので、周辺部がガチガチになっているのがわかる。調子に乗ってあちこちストレッチしてみたら、体の緊張はかなり緩み、腰の痛みもピークを超えたことがわかる。
 工事は5時には終了したので、その後はうつらうつら眠っていたので、夜になっても寝付けず。
 
 夜になってからも、クシャミをすると激痛が襲ったが、こっちも学習してきたので、クシャミが出そうになると、飛行機の緊急時姿勢みたいに、背中を丸めて両膝を抱えているとクシャミのショックが背骨に響かないことがわかった。それにしても、花粉症じゃなくて助かった。もしそうだったら、ずっとアルマジロのままでいなければならない。



3月10日(日)

 昼前には家を出たいと思ってはいたが、やはり目が覚めたらもう昼。シャワー浴びて支度してから、家を出て、天気が良かったから渋谷まで歩いてそこからバスに乗ると、バスの中はモワっと暑い。暑いという感覚を久しぶりに思い出す。
 じいさんちの前に立つと、ベランダに見覚えのあるシルエットがあり、シャドーゴルフ(ゴルフの素振りのことはそう言わないか・・・・)してる父上だった。母もいるのかと思いきや、父だけが派遣されていた。神田の古書店に行くついでだと言う。
 「今ごろ来て・・・おそいじゃないか」と笑われる。洗濯はすでに父が済ませ、もうそろそろとりこんでもいい頃合。

 「あたしは、早起きができないんですよ。すいませんね〜」と言い訳しながら中に入る。
 じいさんに、また母の話とほぼ同じな愚痴を聞かされる。ばあさんはといえば、私が挨拶すると、「は?どなた?」と言う状態。それでもしばらくいたら、思い出したらしく、私の名前を呼んだので一安心。それに、半分ボケているばあさんだけでなく、父ですら私の名前を呼ぶのに、妹と母の名前を言ってからやっと私の名前にたどりつくようで、「おとーさん!ダイジョーブ?」な状態だ。

 祖母は相変わらず、なんとか四つんばいで移動して、椅子には自分で腰掛けられていたが、足が動かないので介護用ベットの乗り降りには苦労しているようだし、週に2回、区のデイホームから迎えが来るのだが、住居が2階なので、下まで降ろすのが大変らしい。補助をする祖父もなれていないので、どうしていいのかわからないのだが、たまたま母が以前やっていたパートの仕事が、施設への送迎バスの添乗員だったので、足が麻痺した人の階段の昇らせ方などは慣れているので、祖父にもいろいろ教えるようなのだが、祖父だって自分が立って歩くのもやっとの状態なのに、かがんで祖母の足の向きを直してあげたりするのはなかなかうまくできない。
 この間、テレビでやっていた「脳溢血などの後遺症が残った老人に、なんとか日常的な動作だけでもできるようになって退院してもらう」介護方式みたいに、うちの祖母にも、階段の昇降やトイレの使い方やベッドの昇降などの最低の動作を専門家に診てもらって、練習してもらい、どういう介護器具があればその動作の手助けになるかとか助言してもらえればいいのになあ、とつくづく思う。麻痺して腫れ上がった足首をどの程度の強さで動かしていいものやら、そういうのに知識もない私にはうっかり触ることもできない。

 でも、ちょっとおかしかったのは、ばあさんが「右手が麻痺してるから、うどんも手づかみで食べてるのよ」というので、「じゃあ、左でお箸が使えるように練習しなくちゃね」と話していたのだが、その後、おやつかわりに、昨日の残ったお惣菜を出していたら、ばあさんは「そのおかず、おいしいからミヤノ食べなさい」と言うのだが、まだ夕方だったので私は手をつけなかったのだが、ばあさんが急に怒り出し、「おじいさんったら、ほんとに気がきかないんだから!そこにあるとミヤノが食べられないじゃない」と怒鳴るので、そんなに私に食べさせたいのか?まあ、元気なころはアレ食べろコレ食べろ攻撃の人だったから半分ボケてもその性格は健在かと、お皿を手元に寄せて、無理やり一口食べたのだが、そしたらばあさんはお箸を私の目の前まで伸ばしてきて、あっという間に食べてしまった。私に食べさせたかったのではなく、自分が食べたかったらしい(笑)
 それで、ふと気が付けば、右手で見事な箸さばき・・・・・
 「右手でそれだけ箸が使えれば、立派なもんじゃない?」と嫌味っぽく言ったのだが、無反応で黙々と食べていた。

 食欲はあるらしいので、食べ物を遠くに置いておけば、どこまででも動きそうな勢いである。
 もはや周囲の人間にもあまり興味はないようだし、ときおり「もう、こんななっちゃったし、いつ死んでもいいの」とか言うが、あの食欲を見ていると、生きる意欲の究極の姿のような気がして、あれはあれで元気なのかもしれないと思った。

 近所のスーパーに買い物に行って、夕飯の支度(といっても、巻き寿司を買ってきて、あとはホウレンソウのおひたしと、味噌汁だけ)をしてから、私は渋谷に「アメリ」を観に行くつもりだったので、食べずに帰るつもりだった。時間があれば、六本木でラーメンくらい食べられるかもしれない。
 ところが、トイレに入って便座に腰を降ろすと、「う、冷て〜」
 母に「トイレがときどき悲惨なことになっている」と言われていたので覚悟していたのだが、見た目は大丈夫だったが便座カバーが塗れていた。トイレには予備のカバーもぶら下っていたので、「でも、カバーがあるから濡れるのでは・・・・無いほうがいいと思うけどね」と思いながらも、便座カバーを外そうとしたが、湿っているせいもあって、なかなか抜けない。狭いトイレの中で中腰になってググっと引っ張ったら・・・・・・ググっと抜けたのは私の腰だった。
 う・・・・やっちまったかも・・・・・とりあえず、痛みは軽かったので、へっぴり腰状態でもなんとか新しいのに取り替えてから、汚れたカバーを洗面所で洗ってから手絞りして洗濯場に干して、そ知らぬ顔で居間に戻るが、腰がビリビリしてちゃんと座れない。

 祖父に怪しまれないように、知らん顔して、「じゃあ、もう予定があるから」と退去する。
 駅までなんとかトロトロと歩いて、電車に乗って座っても腰が落ち着かない。なんとか家に帰り、湿布して横になるが、どんどん痛くなってきて、前にもやったときには、直後は大丈夫だったが翌日動けなくなったので、不安になるが、持病なんでしょうがない。それにしても、あんな動作でギックリ来るなんて! 



3月9日(土)

 「メールアドレス変更になります」とのお知らせをきっかけに、MZちゃんと会うことになった。約2年ぶりのようだ。最後に会ったのはライフ・フォースに行ったとき。日記で確認したら6月17日だ。
 彼女があまり出てこなくなったので、ときどき「どうしているのかね?」と噂したこともあったのだが、話を聞いてみると、前に会ったときにバイトで通っていた会社でそのまま正社員になって、かなり忙しく働いていたみたいで、そこは退社して、今度は前の会社関係の人に引き抜かれて新しい職場で4月から仕事するのだそうだ。真っ当すぎで気が抜けたが、元気そうでなにより。

 3年ほど前にNYに数ヶ月いたので、9・11はやはりショックだったし、彼女の兄もアメリカ在住の銀行員で、「あれが3年早かったら、兄の会社のオフィスもあそこにあったからゾっとした」と言っていた。そういえば、昔、彼女がパルコの毎年やっている福引でNYに行っていたときに、やはり貿易センターでの爆弾テロがあり、友達の間では「そういえば、今行っているんだよね?」と心配されていたのを思い出した。

 とりとめもなく2年間の空白を埋める勢いで喋っていたのだが、やはり私が最近会っていないIKちゃんの話が出て、IKちゃんとの共通の友人であるY君とバイト仲間の男の子が、窓拭きバイト中に落下事故を起こして、お見舞いに行ったが集中治療室だったそうだ、という話を聞き、「え?てゆーことは、その事故に遭った人は私も知ってる人?」と驚く。MZちゃんは彼とはあまり親しくないので、「命に別状はなかったみたいで、その後、実家に帰ってしまったらしい」との漠然とした話しか知らなかった。

 結局、MZちゃんとは1時半に会って、6時半に別れて家に帰ったのだが、事故の話が気になったので、こんな話で久々に電話かけるのもなんだったが、IKちゃんともほんとに連絡をとりあっていなかったので、思い切って電話してみた。
 「MZちゃんと話していたら、Y君の友達の事故の話になって・・・・それって、もしかしてKG君?」と聞くと、「うわ、いったいいつ頃だったっけ?去年・・・一昨年だよ」と笑われる。集中治療室に入っていたのは、怪我がひどかったことよりも、落下したショックでか喘息の発作が起きて呼吸困難に陥っていたかららしく、事故の後遺症としては片耳の内耳がおかしくなってしまい、聴こえない状態になってしまったらしいし、顔も少しゆがんだらしいが、「ぱっと見てわかるほどではなかった」そうだが、本人のショックも大きかったろうし、それにその事故で「日雇いバイト人生」にも疑問を持ってしまったのがどうかはわからないが、九州に帰ってしまったそうだ。

 その話をきっかけとして、互いの近況を語り合っていたら、あっという間の3時間。
 久しぶりの女友達との会話の一日であった。



3月8日(金)

 ほんとは、またBUZZナイトが最終回らしいので誘われていたのだが、誘った友人が「花粉症がひどくて明日は医者に行く」とのことだし、もう1人は「仕事が多忙で疲労極限状態」だそうなので、お流れになった。
 3月で退職する人の送別会もあったのだが、欠席にしていたので、今日になって予定なくなっちゃったからどうしようっかなあ、と思ったが、今更出席にするのも面倒になったので、「出席できないけど、お餞別かわり」として少しだけお金を渡して勘弁してもらう。

 明日は天気がいいらしいが、予定があるので、今夜のうちに掃除洗濯をしておこうと張り切ってまっすぐ家に帰ったのだが、家に着いたとたん全てのやる気が蒸発してしまったらしく、ただぼんやりとテレビを観てた。テレビ観ながらビール飲んでたら眠くなり、アリーを観終わったら、すぐに寝てしまった。



3月7日(木)

 サンダーバードのフィギュアかあ・・・・いいなあ・・・いや、欲しいわけではなくて、私も作りたいのであった。こんなにすごいやつじゃなくていいんだけど。「型紙がないと作れない〜」と弱音を吐いている場合ではないらしい。まあ、やるときは突然やりだすので、その衝動が訪れるまでのんびり待とう。人生は長いのだ。

 今日もいい天気だったので、浮かれて薄着で出勤。昼間は「外を歩いていると汗をかく」と外出していた人が言っていたくらいだったが、日も暮れると風も吹いてきてそれなりに冷えた。この時期はほんとに服装に困る。
 帰りはスポーツクラブでどっぷり汗をかいて爽快な気分。ところで、スポーツクラブに通っていてとても勉強というか、眼福とも言えるのが、「女性たちは普段どんな下着を着ているのか?」がじっくり観察できるのである。近所の風呂屋でも観察はできるが、年配の方が暖かそうな下着を重ね着していたりするの場合が多い。風呂屋の場合は「帰りに冷えないように」ということなのか、若い人でも下着に気合は入っていない。

 もしかしたら、スポーツクラブの場合は、「今日は帰りに寄るから、いい下着着ていかないと」とわざわざ綺麗な下着を身につけてくるのかもしれないが、それにしても私はあそこに通い始めてから「世の中には、普段もヒモパンツ履いている人がいるんだ!」とわかり感激した。ヒモ・パンツという名称ではないのかもしれないが、男性だったら一度はあれをひっぱってみたいと憧れると思われる、両脇がヒモで結わいてるパンツである。私も引っ張ってみたい。でも、あれって、トイレではどうするのだろうか?ヒモを解いたときにうっかり便器に落ちてしまわないのだろうか。
 他にも、パンツだけで私の全身の衣装が買えそうな美麗下着を多数目撃できるのであった。ああ、女に生まれてよかったと、いつも神様に感謝している。だって、男性のロッカールームだと、きっと、「トランクス派とブリーフ派の割合」がカウントできるくらいでしょ?つまんなそう。

 でも、これも書いたことあるかもしれないが、男性諸君はわりと「トランクスか、ブリーフか?」ということに関心があると思われる。よく、「どっちが好き?」とたずねられるが、悪いけど男の下着なぞに興味は無い。「だって、女性はブリーフはかっこ悪いとか言うじゃない?」とか言われたこともあるが、誰がそんなこと言ったのだろう?ブリーフだろうか、トランクスだろうが、「パンツいっちょの男はたいてい情けない」と思う。パンツいっちょでもカッコいい男は、どっちを履いていてもカッコいいと思う。
 昔、我家で飲み会が開催されたときに、なぜか「男のパンツ」の話題になった。パンクス系の男の子が、「男はやっぱりブリーフだ!」と言ったのが発端だった。女性3名(私も含む)が、その話をあまり興味もなく「ふ〜ん」と拝聴していた。そのとき、他に男性2名がいたのだが、そのうちの1人が失恋したばかりでとても落ち込んでおり、もう1人に愚痴というか泣き言を延々と語っていて、私たちはあまりその話に立ち入らないようにしていた。「彼女のことを愛したことは永遠に僕の胸に残るだろう」とか、かなり深刻というかクサい話になっていたので、放っておいたのである。
 ところが、狭い部屋だし、そのすぐ脇で、パンクス君が「ブリーフだ、ブリーフだ」と騒いでいたので、半ベソ状態で話していた男性がいきなり、「そう言うけど、やっぱトランクスでしょ!」といきなり話に入ってきたので、私たちは「は?」と驚いたのだが、きっと彼も別れた彼女の話に飽きてきたのだろう、それとももしかしたら、彼女にふられたのは「ブリーフ派の男にとられた」のかもしれないというような勢いで、「トランクス派宣言」を語り始めた。

 トランクス派2名VSブリーフ派1名による、ディベート大会がいきなり開催されてしまい、女性3名は唖然としていた。
 そしたらいきなり「せっかくだから、この際、女性の意見も聞きたい」ということになり、私は「えー?別にどっちがいいとか考えたこともないけどなあ、大事なのは中身でしょ」と言った。「何を履こうがいい男だったら構わないだろう」という意味のつもりだったが、男性3名が、グワっと膝を寄せて来て、

「え?中身って?どんな?」

 ・・・・・目が輝いていた。うう・・・・確かに私の言い方が悪うごさいました。中身にもそんなに興味ありませんって!ちゃんと隠しておいてください。 



3月6日(水)

 朝、外に出ると、道路は湿っていたが、雨はもう降っていなかった。空気も冷たさをもう感じない。こういう陽気の日には着ていく服で悩むが、悩むほど数もないし、そもそも春服も出していないし、それにうっかり薄着して夜になって寒くなるのも嫌なので、コートをちゃんと着て出勤。
 昼前になると、空はほんわりと晴れ渡り、ほんとにいい天気だ。上司や同僚との無難な話題は当然「今年は桜の開花が早いそうですね」。そんなありきたりな「お天気の話題」も、こういう陽気の日には心から楽しい。

 桜の話をしていたら、今年は梅丘にある羽根木公園に梅を観に行かなかったことに気が付く。♪梅はもう咲いちゃった〜よ、桜はまだかいなあ〜
 それにしても、ふと思ったのだが、「春を売る」というと不道徳な行為を指すようだが、今日の私のような状態も「春を売る」行為をしているのではないか?
 こんなに、うららかな春の日に、屋内にこもりっきりの座りっきりで仕事しているわけで、「春の一日をお金に換えている」わけだから、「春を売ってお金もらいました」と言い換えてもいいだろう。

 よせばいいのに、またカシオ君に登場願って、計算する。私の春のお値段は・・・・と・・・・(年収を出勤日数と勤務時間で割り、時給をはじき出す)・・・・春のお値段は1時間あたり2300円か。ふ・・・・・春宵一刻値千金とかいう言葉があったような気もするが、春の昼間一時間値金二千三百円也。陽春一坪値マタタビ一匁とかにしたほうが詩的だ。(猫の場合に限る)

 しかし、売っているのは春だけではないが、冬は私にとって価値が低いので売ったうほうがいい。夏は「ああ、こんな日は海に行きたいなあ」とか思うが、首都圏在住の場合、うっかり8月などに海に出かけると、ひどい目に遭う。敷物を敷く隙間もないような砂浜で、まずい海の家のご飯を食べているよりも、冷房の効いたオフィスで海を恋しがっていたほうが幸せだ。「ふるさとはとおくにありて思うもの」らしいが、夏の海も同じだろう。だから、夏も売ってもいいや。

 と、私がつつましく美しい季節を売って日銭を稼いでいるというのに、世の中には「年利20%」などを信じて、カリスマ会長主演の映画に投資することになってしまった人もいるらしい。ニュースによると、ダンナに内緒で貯金を1千万円も投資してしまった主婦もいるそうで、ダンナさんも気の毒に。それにしても、あの会長、すごいなあ。なにをどう育てるとああいう人物が出来上がるのだろうか。そのうちその経歴がいろいろ出てくると思われ、楽しみ。
 しかし、ワイドショーを観ていて、「おお?」と思ったのは、16歳年上の夫に灯油かけて火をつけて「旦那のタバコの不始末による火事」だと言っていた女性が逮捕されたというニュースだった。その女性は私と同じ年であった。ということは、同じ丙午である可能性が高い。「丙午の女の鑑のような人だ」と思ったが、別に見習うつもりはありません。

 などと、朝のワイドショーをついつい真面目に観てしまうのは、目が覚めても起きたくなくて、ダラダラと布団の中でテレビ見ているからなのであった。ああ、ずっと寝ていたい。



3月5日(火)

 昨晩は11時ごろ寝たのだが、やはり前日の寝不足のせいか、沈み込むように眠りにつく・・・・と思ったら、電話が鳴り、「ふゎい?」と出たのだが、よほど眠そうな声だったのだろう、電話の向こうで必死に謝っていた。
 それでも、朝起きたら、まあまあ寝られたような気もしたので、今朝はすっきり。仕事もほどよく暇で、のんびりやる。
 夜は先週はまた休んでしまった筋トレのクラスに参加。初めてやるらしい男の子がいて、かなり辛そうだった。きっと明日は筋肉痛だな(笑)。あのクラス、続けて何回かやらないとキツいのだ。と、人の心配している場合ではないか。張り切ってバシバシとスクワットをやってしまったので、また木曜日に立ち上がれなかったらどうしよう。

 パレスチナもどーしよーもない状態で、ああなると「どっちが悪い」という話でもないが、イスラエルのやり方も「ならず者」と呼ばれてもいいのではないか?ブッシュ君よお、と、アラファト議長のルックスが好き(でも、私よりKM君の好みのタイプかもしれない。お髭が好きらしいから)という、しょーもない理由でそんなこと考えていたのだが、しょせんパレスチナは私の未踏の地なので、あまりドンパチやっていても実感が湧かないのだが、そうこうしているうちに、インドの宗教紛争がまた再燃。
 思い起こせば前回大揉めしてた10年前、私は夏休みを冬にずらせて、10日間ばかしインドでも行って、タージマハールでも見学してくっか、いつか長期で行ってみたいが、その下見・・・・と計画していたのだが、旅行会社に電話してみたら「渡航自粛勧告が出てますが・・・」と言われて、「え?そういえば、そんなニュースやってたけど、地方の話ではないのか?」と思って、同僚の知人で何回かインドに行っていた銀座のママが、同じ時期にインド旅行すると聞いていたので、電話して聞いてみたら、彼女は知り合いのところに遊びに行くらしくて、「向こうに確認してみたら、そのあたりは大丈夫だと言われたので私は行くけれども、状況がどうなるかわからないから一人で行くのは心配よね」と言われたので、親に心配かけてまで、どーしても行きたいというわけでもなかったので、ちょうど予約していた飛行機がバンコク経由だったので、「じゃあ、今更他のところの切符とるのもなんだから、タイに行くか」と2度目のタイに行ったのだった。

 それにしても、自分が全く宗教心に欠けているので、いいかげんなこと書くが、ああして色々な宗教が入り混じってせめぎあっているから、宗教心が維持されているような気もしなくない。ふと、想像してみる。人類が他の惑星に移民するときに、ひとつの宗教の信者だけが選ばれて、地球との国交(?星間交流?)が全くなくなったとしたら(地球が絶滅してしまったりして)、それでもそこの住民は熱心な信者でいられるだろうか?まあ、同じ宗教でもいろいろ派閥はあるので、キリスト教同士でも争ってたりするしなあ。



3月4日(月)

 メルマガで少女漫画のことを書こうとしていたので、ぼんやり本棚を眺めているうちに手にとって読み始めてしまい、しかもお酒を飲みながら、結局夜中の2時くらまで読みふける。
 おかげで、月曜日の朝の辛さが倍楽しめた。しかも、飲みすぎてしまったらしく頭痛がオプション。
 寝不足&二日酔いという、月曜日にふさわしい爽やかな一日であった。目も疲れてショボショボしてた。
 そんなんで仕事してたのだが、あまり忙しくもなかったので、ぼんやりとしていると、寝不足&二日酔いの気分がなかなか浮上せず、浮上しないどころか、久々にどんどん落ちた。
 しかし、くどいようだが、寝不足&二日酔いで血の巡りの悪い脳みそでは「落ち込む」にしても、あまりシャープに落ち込めず、「どーして、あたしは、ブスでデブなんだろう」とか「どーして、こんなにバカなんだろう」とか「バカなくせに、よく考えないで物を言うから、いっつも失敗すんだよなあ」とか、他の人が目の前で呟いてたら、グーで殴りたくなるようなしょーもないようなことで鬱になっている自分があほらしくてさらに落ちる。

 夕方になって「あと2時間で帰れる」というころに、やっと浮上できて、「あたしがブスでも、まあ思わず目をそらしたくなるようなもんでもないだろうし、バカでも仕事はなんとかできているみたいだから、他人に迷惑かからなかったらいいか」というところまで持ってきたのだが、そんな努力も空しく、会社を出たら、きれいさっぱり元気になっていた。仕事するのがよほど嫌だったらしい。

 でも、いまいちシャッキリしないので、帰りに三茶にある前にも何回か行ったカレースタンドに寄る。美味しいのかどうなのかいまひとつはっきり断言できないカレーである。寛平師匠の薄汚れたサイン色紙が片隅に飾ってあるあたりも中途半端だ。狭い店なのだが、中年男性が1人いて、カウンターの中にいるおばちゃんと「人生どうなるかわからないよ」とか喋っているのも中途半端だし、その後に入ってきた若いサラリーマンが、週末の日光旅行の話をおばちゃんと始めたのもなんともいい意味で脱力系である。私のお気に入りの「ほうれん草チキンカレー」は、形がなくなるまで煮込んだほうれん草が入っている。ライスはサフランライスで、カレーは水っぽい。サラダにかかっているドレッシングが懐かしい味だ。私が食べ終わって帰るころに入ってきた若い女性は「ライス大盛り」をオーダーしていた。(料金は同じ)ちなみにデザートに「愛玉子ゼリー」がサービスで付く。これがけっこう美味しい。
 チェーン店では味わうことのできない「ゆるい空気」の中で、「ゆるい味」のカレーを味わって、「シャッキリしない一日」を優雅に〆たなと、けっこう満足。

 しかし、帰り道でいきなりシャッキリしたものを目撃してしまった。通り道にあるお寺の門石の上に、猫がちょこんと座っていたのである。「おや?狛犬さんじゃなくて、狛ネコさんだな?」と思ったのであるが、そいつが人間だったら「アゴが首に埋まっている」と言われるくらいの「デブ」な「ブス猫」で、それなのに、しっかりと「ルーブル美術館にあるエジプト猫」のポーズで座っているのだ。(確認と照合のため、エジプト猫の写真を探したら、ここに大きな写真がありました。下の方です)そして、ルーブルの猫と同じように、しっぽを「三つ指ついてご挨拶」してるみたいにきちんと揃えた前足にちょろっと艶かしく絡ませているのだ!この無意味な色気はなんなんだいったい?

 オバタリアンみたいなオバさんが、「ローマの休日」のヘップバーンの真似をして立っているくらいのインパクトがあった。それにしても、あの自信に満ち溢れた「エジプト猫ぶり」はどうだろう!とにかく、なんだかとっても「人生こうありたい」と思ってしまったことよ。
 実は、朝も別の道で同じポーズの猫を目撃したのだっが。その子もドラ猫なルックスを省みず「ややエジプト猫のポーズ」できめていたのだが、朝の慌しさの中で、「あ、ブスいくせに、あんなにきちんとおすわりしていてかわいい!カメラ持ってたらよかったのに」と思っていたのだった。
 朝と夜に「エジプト猫」に出会えたのは偶然なんだろうか?両猫とも、私が思わずドカドカと近寄ってもピクリとも動かなかった。この春めいてきた時期には猫があのポーズをしたくなるのだろうか?猫があのポーズをするのは珍しくないのだが、それほど意識したこともなかったので、不思議。

 話はカレーに戻るが、私はわりとああいう微妙なカレーが好きである。過去の日記にも記載あるが、新橋の「スマトラ」も近くを通り掛かったときにはついつい寄ってしまうのだが、そういえば、あの近辺で、密かに好きだったのは「日比谷図書館の地下の食堂」であった。10年くらい前にはときどき寄っていたのだが、今でも不味いだろうか?最初に食べたときには、「今どきこんな不味いものを出す食堂があるだろうか?貴重な存在だ」と大感激したのである。どう考えても、チャーハンのご飯があれほどべちょべちょなのはおかしい。ぜったいに故意にやらないと、今どきの炊飯器ではああいうご飯は炊けないと思う。

 きっと美味しく作ってしまうと、近隣のオフィスから人が押し寄せてしまうので、わざと不味く作って、常連客がつかないように操作しているのだと信じていた。あれだったら、図書館に来た客がお腹が空いたので食堂に行って、「なんじゃこりゃ?」と思って2度と来ないだろうし、食堂が流行ったからといって、図書館にはなんのメリットもないし、食堂スタッフも流行ったからと行って給料あがるわけじゃないから、不味い方がいいに決まっている。

 でも、もしかしたら、今は美味しくなってしまったかもしれない。たまにあの気合のまったく入っていなくてメニューも投げやりなあそこに食べに行くのを楽しみにしていたのだが。たしか、昔はラーメンもあって、見るからにいいかげんそうなシロモノだったが、残念ながら食したことがない。今度、機会があったら様子を観に行ってみよう。



3月3日(日)

 雛祭りの日であることを今、日付を書いていて気がついた。
 昼過ぎに起きて、昨日の分の日記を書いたり、めるまがの準備したりして寝間着のままダラダラしていたら、玄関ベルが鳴る。昼前にも1回鳴ったのだが、どうせ宗教関係だろうと思って無視していたのだ。宅配便屋さんは、ちゃんと「お荷物で〜す」とか言うし。
 玄関(兼台所だが)に立って、「はい?」と様子をうかがうと、上の階に住んでいる大家さんだった。来週から上の階を大々的に内装するらしく、「日曜は休みですが平日はかなりうるさくなると思います」とのことで、菓子折りを持って挨拶しに来たのだった。工事は一ヶ月くらいかかるらしく、最初の1週間は解体作業になるのでかなりの騒音が予想される。平日は会社だからいいのだが、土曜日も工事するらしいので、工事の騒音と私の「春眠暁を覚えず」の真剣勝負だ!

 ほんとは2時半くらいから始まる回に行きたかったのだが、ダラダラしているうちに夕方になってしまい、5時くらいに家を出て軽く食事してから、三茶の前にも行った「ストーブのある映画館」に行く。去年の秋に見そびれた「夏至」が観たかったのだ。
 中に入ると、わりとお客さんがいた。座席が3分の1くらい埋まっていたように思えたが、みんな荷物も席に置いているから、実際はもう少し少ないかったかもしれない。

 さて、映画のほうは、いつも思わせぶりな映像の連続なのだが、セリフが少ないので、時々猛烈に眠くなったりするトラン・アン・ユン監督作だが、今回のもストリーとしては平凡だが、静かなシーンが多いのは同じ。ただ、この監督、音楽の使い方が非常に上手い。登場人物が口ずさむベトナムの歌がどれもいい曲ばかりだ。舞台はハノイなのだが、それほど街を描写しないのだが、建物の古さを上手に生かした生活やインテリアを丁寧に描写していた。今の日本での(もしくは世界的?)ベトナム雑貨ブームの一端を担っているのはこの監督だと思うのだが、どうなんだろう?
 三人姉妹の話なので、彼女らが身にまとう、豪華ではない平凡な衣服も、シンプルでめちゃくちゃおシャレだ。

 それにしても、この映画、ちょっとズルいというか、監督の奥さんの美麗セクシーショットだけで成り立ってませんか?「俺って幸せもんだろ?朝、目が覚めると隣でこんないい女が横たわっているんだぜ」と自慢されているような気がしてなりません。
 私の中では、このトラン・ヌ・イエン・ケーはマギー・チャン(花様年華の主演)と並ぶアジアン・ビューティーなわけで、ああいうスタイル抜群、気品たっぷり、お色気ばっちしの美女に生まれ変わって、日がな一日、衣装をとっかえひっかえして「セルフ着せ替えごっこ」に興じてみたいわぁん、とか思いますが、かなわぬ夢でありましょう。でも、もしかしたら、生まれ変われるという可能性もあるので、神様でもなんでもいいのですが、「次に生まれ変わるものを思い浮かべなさい。あなたが思い浮かべたものに生まれ変われます」と言われたときにちゃんと再現しないとならないので、なるべく脳裏に焼き付いているようにと、じっくりじっくり穴の開くほど画面を見つめてしまいます。

 2本立てだったのですが、「夏至」が終ったのがもう8時半くらいだったので、もう1本は観ないで帰ろうかと思ったのですが、時間を確認すると1時間半で終るみたいだし、ほのぼのとしたラブストーリーみたいだったので、観てみることにしました。「初恋のきた道」という中国映画。
 「夏至」がスーパーモデル級美人女優で監督夫人の「動く写真集」だとしたら、「初恋のきた道」は、新人女優のプロモーション画像「ね?この子って素朴でひたむきなかんじがいいでしょ?」と延々拝見させられました。
 チャン・イー・モウ監督って、「紅いコーリャン」とか「菊豆」とかの監督ですよね?「中国の百恵ちゃん」と呼ばれた、コン・リーを起用してた・・・・「紅夢」は凄い映画だったから記憶に新しいのだが・・・・
 う〜ん、別にけなすつもりもなのですが、あまりにも少女のひたむきな可愛らしさばかり見せられて、ちょっと食傷気味。それに、「純粋な愛」というのもけっこうですが、あそこまで行くと、愛というより「執着心」みたいで、ちょっと怖い。一歩間違えたらストーカーでしょう。ラストの葬列のあたりはよかったんだけどなあ。

 まあ、単に私が捻くれているだけかもしれません。
 この映画の舞台は40年前の中国の田舎の村で、電気も水道も当然通っていない。そこに初めて学校ができて、町から赴任してきた若い教師と村の娘との恋物語です。少女は目の不自由な母と二人暮らし。毎日井戸に水を汲みに行き、野草やキノコを摘みに出かけます。その生活ぶりは多分、日本の40年前というよりも(40年前っていえば、私の母の青春時代だ)、祖母の若い頃の生活でしょう。かなり「おしん」なかんじです。
 うちの祖母が語る、当時の農村部の生活は、「おしん」のおかげでかなりバイアスかかってしまいました。「おしん」によって、「私もああだった」と言い張っているうちに、だんだん現実とテレビが混同してしまって、何がほんとだったかわからなくなってしまったようです。
 なので、私がひねくれまくっているので申し訳ないのですが、この「純粋なラブストーリー」も、純粋ながらになかなか情熱的に展開しとりましたが、なんとなく「祖母が語る初恋」みたいに、かなり誇張されて美化されてしまったあげくの物語のような胡散臭さを感じてしまったのでした。うちの祖母の恋物語は知りませんが、たとえば「学校まで毎日山道を何キロも歩いた」などという話の「学校までの距離」は年々上昇してました。

 というわけで、なんだか映画を観たというよりも「また、ばーさんのホラ話を延々と聴かされちゃったよ」な気分で家路につきましたが、ふと「40年前の記憶は私にはないが、すでに私の最古の記憶は30年前のものになっている!」ということに気が付き愕然としてしまった。
 私の最古の記憶は、幼稚園に入る前の多分3歳くらいのときに、近所を散歩してたら、変な建物を見たというものです。「なんか、お菓子の家みたい」というようなことを思ったような記憶があるのですが、そのとき一緒にいた親が「来年はここに通うんだよ」と言うので、「なんでこんなへんなところに行くんだろう?なんかやだな」と思ったのをよく憶えています。ちょっと怯えていたのでした。
 幼稚園に入園するときになって、そのときに「変な家」だと思っていたのが、その幼稚園の建物だとわかり、びっくりしたのでした。幼稚園に入った後のことはいろいろ覚えているのですが、その前の記憶はそれしかありません。4歳のときに「ああ、あのときの変なのはこれだったのか」と思い出したので、頭にちゃんと再入力されたので憶えているのでしょう。

 30年前の記憶はそんなかんじで断片的ですが、20年前には中学生だったからわりと生々しく憶えています。でもやはり、古い記憶って後でときどき思い出して、ちゃんと「虫干し」しているようなものだけを憶えているようなので、かなり自分に都合よく憶えているような気もします。
 それでも「生活が便利になったとき」というトピックに関してはわりと憶えていて、冬に顔を洗うのはつらい作業でしたが、ガス湯沸し機がついて、お湯が出るようになったときにはうれしかったし、夏にシャワーが使えるようになったときにも感激しました。それまでは、大きなタライにお湯を入れてもらって簡単に行水しかできなかったのでした。トイレが水洗になったときには、学校から家に帰るといきなり洋式便器になってて驚いたよなあ。でも、しばらくは、あの汲み取り式和式トイレにあった「便器のフタ」がちょっと恋しかった。なぜかというと、あれをいかに優雅に持ち上げて、さりげなく壁に立てかけるという作業を誰も見ていないのに熱心に研究していたのです。たぶん、当時知った「お茶の作法」の湯のみの蓋の取り方というのを便器の蓋をとるときの動作に応用しようという、小学生にしてはなかなか高度な技にチャレンジしていたのでした。

 ああ、また映画と関係の無い世界に跳んでしまったことよ。



3月2日(土)

 出勤。3月の土曜日出勤はこれっきりにしたい。あとは有休を使うぞ。
 昨日発見された仕訳ミスの修正も、会計事務所が午前中に電話をかけてくれたので終了し、あとは2月分の請求書の作成。でもまだ資料が揃っていないので、定額のところと資料があるものだけ作成してた。他に仕事する気もなかったので、あとはダラダラとネットサーフィンして時間を潰す。

 6時くらいに会社を出て、ふと二子玉川で寄り道しようと思いつく。
 三茶の文房具店で、お気に入りだった工作用ボンドが無くなってしまったので、「あ〜、またハンズに探しに行かなくちゃなあ」と思っていたのだが、そういえば東急ハンズの中規模のやつがニコタマにもあるのだ。それに、高島屋に入っている伊東屋はけっこう品揃えもいいし、渋谷に行く前にニコタマで探してみようと思い立つ。渋谷よりニコタマのほうが歩き易いし。

 まず、ハンズに行ってみるが、お目当ては無かった。かなり落胆するが、めげずに駅の反対側の高島屋に行く。そうしたら、たくさん在庫があった。
 うれしくなって沢山購入してしまう。普通の木工用ボンドと、速乾・木工用ボンドも併せて購入。
  子供のころからコニシ製品を愛用しているので、どうしてもこだわってしまう。変なところでブランド志向だ(笑)高島屋を歩いていても服飾関係の店は素通りなのにね。
 買い物してたら(って、ボンド買っただけですが)お腹が空いたので、「バリュー麺」というのを食べてみたが、なかなかさっぱりしていて美味しかった。本店はオシャレな内装みたいだが、駅前バスターミナルにある2号店はセルフサービス方式でメニュー数も少ないみたい。

 家に帰って、ビール飲みながら、テレ朝でやっていた「張り込み」を観る。田辺誠一君が犯人役。登場するのは後半で、途中での登場は「手配写真」ばかり。しかし、セリフもほとんどなかったので安心して観ていられた。ドラマの出来はまあまあ。原作はもっと昔の設定なんだろうけど、刑事が携帯電話持ってたりと、現代の設定にしていたようだ。ただ、そうすると、鶴田真由が演じた「若くて美人なのに、なぜか寝たきり老人もいて、子供も二人もいるような年配の男と結婚して、毎日家事に追われている女」という役柄がちょっと浮いてしまったかも。制作スタッフが昔いた会社でもよく使っていたチームだったので、知ってる名前を久しぶりに大量に見た。ご活躍のようでなにより。 

 母から電話があり、ばーさんちの世話が大変なので、たまには手伝ってほしいと言われた。「手伝ってほしい」ということはメインではなく、母が愚痴りたいだけなのはとてもよくわかるので、延々と拝聴する。でも、洗濯や布団を干したり、掃除するだけでもいいみたいなので、「月に一回くらいでもいいから」と言うし、私も協力しないとなあ。
 しかし、母曰く、「たぶん、他の人の話を聴いても、こういう状態が10年くらい続くらしいのよ」らしいのだが、幸いにも祖父母と同居している伯父は随分前に離婚していて独身なので、彼に妻がいたら大変だっただろう。伯父はあまり積極的に祖父母の世話をしないので、母が週に1回か2回くらい手伝いに行っているのだが、そこに兄嫁がいたら行きにくいだろうし、いろいろ問題が多かったと思う。
 それにしても、そういう伯父だってもう還暦だろうし、「老人問題」は我家にとっても深刻だ。うちも父方の祖母はとうに老人ホームに入れているが、かなり元気らしいのでまだまだ生きそうなのだが、その息子の父もそろそろリタイヤ。どうなるんだろうこれから、と思うと不安だが、そう考えたところで私自身も自分が生活するだけで手一杯なわけで、なにができるわけでもないし、今のところはなんとかなっているのだから、とりあえずできることをやるしかない。

 それにしても、老人ホームにいる祖母を見舞いに行ったときに、祖母は狭い施設のフロア内の移動しかしていなかった。外出なんてしないらしい。弟の結婚式にもとうとう来なかったくらいだから、ほんとに外に出るのが面倒なんだろう。元々、「静かな生活」な人で、部屋から出ないで一日中、テレビかラジオに耳を傾けながら、ときたま裁縫をして、それも大したものを作るわけでもなく、雑巾などを縫っていただけだったが、ホームに入ってもその生活を維持していた。
 「いったいこの人の人生で楽しいことってないのだろうか?」と老人ホームでも思ったが、それはもう何十年も前から思っていたことなので、あれはあれでいいみたいだけど、逆に母方の祖母はわりと社交的で、見栄っ張りで、「じっと座ってられない人」だったのだが、どうやら足が動かなくなってからは、すっかり「ぼんやり」してしまって、一日中座っているらしい。食欲だけが子供みたいになってしまっているらしく、座りっぱなしで食べてばかりいたら、太ってしまってますます動かなくなってしまいそうだが、みんな、もっと「意欲」を見せてほしいし、そういう根性があるのなら周りで世話をする人たちも喜んで協力するのだろうけど、年をとるってことはそういうもんなのかしらと、ちょっと悲しい気持ちになっている今日このごろである。



3月1日(金)

 あ〜もう3月か。
 今週はずっと眠くて日記書いてなかったので、まとめ書き。
 葬儀の手伝いと体調不良が重なって、スポーツクラブにも行けなかったので、今日はやっと行った。
 気候が急に穏やかになってきたせいか、ものすごくぼんやりしてしまって集中力がない。そろそろ冬眠から覚める動物たちと入れ替わって春眠したい気分である。
 しかし、明日も出勤なのであった。だから「明日ちゃんとやろう」と思って今日はあんまし仕事しなかった。
 しかし、弁護士の先生から「支払調書を送ってください」との連絡が入り、「え?そんなもん、1月に出したよ」と慌てて調べたら、思いっきり抜け落ちていた。源泉の預り金にすべき仕訳が間違っていたのだ。あちゃ〜、やっちゃったよ、と会計事務所に電話したら、「この間も訂正したばかりなんですよね」と言われる。海外居住者の分を分けてなかったので修正したらしい。それは私のミスではなかったのだが。
 支払調書の合計表を訂正するのは簡単なのだが、問題は前期の伝票が間違っていたので、今期でどう修正するかなので、相談したら、会計事務所の担当者が早口でなにやらいろいろ質問してくるので、春ボケの頭ではついていけず。でも、よく考えればあの担当者の早口には年間を通してついていけないし、向こうもそれをよくわかっているので「とりあえず、ファックスで送ってください」と言われたので、何をどう間違ったのか文書で送る。これで向こうも文書で送ってくれるといいのだが、いっつもそうしてくれないから、向こうの話していることを理解するのが大変なんだよなあ。
 まあ、間違えた私が悪いんで、仕方ない。


表紙に戻る / 過去の日記を読む