可燃物な日々

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10月31日(水)

 深夜2時近くまで電話してしまったので、朝起きるのが辛かった。30分遅れで会社に到着。長電話のために仕事に差し障りがあったら賠償してくれると言っていたので、借金は帳消しにしてもらおう。(この間、飲みにいったときに金持ってなかったら払ってもらってた)

 眠かったが、一日休んだら、やっぱり書類が積まれていた。月末だし。決算だし。11月は気合入れて働きます。後半にまた休み取りたいし。
 
 と思ったら、また電話。昨日と別の友人だったが、いろいろ混乱しているようで、かなり大変そう。がんばれ〜

 と、思っていたら、その友達との話題に上った別の友人から電話・・・・盗聴されたかと思った。ドキドキ。そいつには説教して2時間。
 ああ、明日も寝不足だ。どうして電話はこうも集中するのだろう。



10月30日(火)

 久々に平日に休みをとった。でもその代わりに土曜日働いているのだよ。楽しかったので絵日記にしました



10月29日(月)

 別になにがあったわけでもないのだが、とにかくダラけていたり、夜中に長電話していたりしたので、先週はかなり日記をサボっていた。

 先週、びっくりしたこと。

 1.ユニクロの中吊り広告でホーキング博士がフリース着てにっこりしていた(つもりだと思う)こと。

 ユニクロの広告は、「一般人」と「知るひとぞ知るみたいなマニアックな有名人」と「知名度95%なほんとの有名人」を無造作に混ぜるので、「誰これ?」と思っても、もう一回凝視すると誰だかわかったりするので油断がならないのだが、ロンドン進出記念で、ホーキング博士に白羽の矢が立ったのだろうか?インパクトはあった。

 で、どちらが先に始めたのかは知らないが、「GAP」もそういう広告が好きだ。私の通勤電車はときどき「社内広告が全部GAP」になる。
 毎回感心するのだが、写真のパターンは5名くらいなのだが、いつもその中でひとりくらいしか知っている人がいないのである。ユニクロとちがってGAPは外人を使うのだが、それがモデルなのかミュージシャンなのか俳優なのか作家なのかわからないが、写真の横に名前だけ書いてあるのだ。顔がわからなくても、たしかちょっと前は「ローリン・ヒル」ともちろんローマ字で書いてあったので、「これが今話題のローリン・ヒルか」とか思ったような気がする。ローリン・ヒルじゃなかったかもしれないけれど、そんなかんじのスタンスの人だった。

 今回もパっと見回しても私の知っている人はいなかった。でも、その中にいかにも英国ロックミュージシャンなルックスの少し糖がたった男性二人組みの写真があったので、思わず名前をチェックしたら・・・・

 NICK RHODES & SIMON LEBON

 ・・・・・一瞬、「誰?どこのバンドのメンバー?」とコンマ1秒ほど考えてしまった。で、コンマ2秒目に、

 ニック・ローズとサイモン・ルボン

 と変換することができた。デュラン・デュランである。80年代の洋楽全盛時代は、日本盤のレコードが主流だったので、カタカナ表記のほうがしっくりくる。
 とうわけで、先週、びっくりしたこと。

 2.GAPの中吊り広告でニック・ローズとサイモン・ルボンがTシャツ着て、むっつりしていたこと。

 GAPの広告のセレクトに対して「もう、こういう最先端な人たちがわかんなくなっちゃって・・・・わたしも立派なオバサンねえ」などと思っていたのだが、その考えを修正してもよいみたいだ。あのセレクトはかなりそういう「隙間」を狙っているらしい。でも、毎回一組しかわからないというのは、やはり高度なマーケティングに基づいているのだろうか。

 今日はとうとう、「え〜こんなよくわからない契約書をわたしが作るの〜」と心の中でゴネていたやつを作ることになり、担当者と契約関係に強いとされているらしい某部長と私でミーティング。やはり内容がよくわからない。しかも「包括契約書にして、金額無記載で、無期限にすれば?」という、とんでもない案も飛び出す。
 「わたし、そんな契約書を見たことがないのでよくわかりません」
 と、小さな声で抵抗する。たぶん、「継続的売買契約」みたいなこと言ってるんだろうけどさ〜でも、それとこれは違うじゃん?
 「でも、コンサルタント契約みたいだと、金額書いてなかったりするよ」
 ・・・・そんなの私は見たことないもん。そりゃ、「包括契約」として、ちまちま金額を書かないで「仕事ごとに決めましょう。でも大まかにはこうしましょう」というのならなんとなく雰囲気わかるけどさあ・・・
 とにかく、あまり関わりたくなかったのだが、なにやら説明してくれたので、「でも、これとこれの内容の線引きとかしておかないと、意味ないじゃないですか?それに向こうだって、月極め料金の中で何をして何をしてくれないのかはっきりさせたいのでは?」とか、弱っちく突っ込んだのだが、あまり聞き入れてくれないので、参考にすべき見本契約書を給食で嫌いなおかずをつついている小学生のように、ちまちま突付いてイジケてた。
 「どうですか?」
 と担当者が様子うかがいに来たので、「なんだかまとまりません」とこぼす。それで「もっと、こうしてくれないと契約書としてまとまらないのでは?」と言うと、「まあ、それは本契約のときに」って、だったら本契約のときにもっとちゃんとやって、今回は先方がこちらの提示する金額や内容をどの程度くんでくれるかという状態なんだから、変に詰め込んだ契約書とか持っていかなくてもよさそうなものだが・・・・
 でも、どうしても契約書を提示したいようなので、「う〜ん、でもこのままだと、やたらと金額が並んでいるエゲツない契約書になりますよ?」とゴネていたら、向こうも私の終業時間が迫っているのがわかったのか、それともこれ以上私にウダウダ非難されたくなかったのか、「じゃあ、途中まででいいからファイルください」と言うので、さっさと投げて、帰ってきてしまった。

 「これじゃダメですよ」とは言えても、それが上手く伝わらなかったり、「こうしたほうがいいですよ」とも言えない自分が少し嫌になる。
 「わかりました〜」と言って、お馬鹿なものを平気で作ってしまったほうがまだマシなのか?悩むところだ。

 なんかシャッキリしないなあ。



10月28日(日)

 筋肉痛は横ばい状態。昼前に目が覚めたが、雨もザーザー降っているし、ゴロゴロしていると昼過ぎになる。電話がかかってきたのでとったら、セールス。またかかってきたので無視。もう一本無視。またかかってきたので戯れに出てみたらまたセールス。うざい。・・・けど、丁度電話に出たときに痰がカランだのでガラガラした声になっていた。

セールス電話の鈴のような声のおね〜さん(以下、「鈴」とする) 「もしもし?こちらは○○と申しまして、台所用品についてのアンケート調査をしております」
私 「ゴホっ、カっ(だから痰がからんでる)、はい?」
鈴 「・・・・あの、普段、台所にお立ちの方ですか?」
私 「グホ・・・い、いえ、ぢがいまず。けほ」
鈴 「あの・・・・お母さんとか、おうちの人はいらっしゃいますか?」(病気の子供だと思われたのだろうか?)
私 「ゲホゲホっ・・・・いばせん」
鈴 「・・・・・(ちょっと沈黙)・・・・あ、それでは失礼いたしました」(なんか早口でそう言ったあと間髪いれずに切った。やばそうだと思われたのか?)

 私は身分が高貴すぎて台所には立てません。でも、玄関から部屋までは台所を通らないといけないので、通過はしますが、立ち止まりません。本当です。
 うちにはお母さんもお父さんもおばあさんもいません。本当です。
 真実の言葉が鈴のような声のお姉さんを撃退したのでありました。

 よくそういう電話セールスで「奥様でいらっしゃいますか?」と言われるが、「ちがいます」と答えると「では、お嬢さまですか?」と言われるのだが、それも違うので正直に「ちがいます」と答えると、向こうもかなり困るようだ。世の中には神様でも奥様でもお嬢様でもない人は多いと思うのだが・・・・

 そしたらまた電話が鳴って、「今度は何を売りつけようっちゅんじゃ!」と無言で出てみたら、怪しげなクラシック音楽が流れていたので、思わず身構えたら、S君だった。長電話しているうちに5時になってしまい、図書館が閉まってしまったので、そのままダラダラと「動物のお医者さん」のおさらいをしながら、テレビを観たりしていたが、明日は早起きなので10時には寝た。寝てばかり。



10月27日(土)

 目が覚めたら、金縛りかと思うくらいの筋肉痛。特にふくらはぎが痛いのは、エレベーターが引越しと改装工事のために使えなかったので、階段をドタバタ乱高下したせいか?
 すごく疲れていたが、出勤。
 まだ、パーテーションや配電の工事をしていたので、かなりの騒音の中、「なんで私がこれをせにゃあかんの」という地味な「納品書と請求書の突合せ」をする。土曜日に集中してやれば楽勝かと思われたが、夕方になって半分しか終わっていないことに気が付く。積まれた納品書は厚さ7センチ程度。ああ、あと3センチ!
 だんだん目が霞んできたし、意識もモーローとしてきたが、がんばってやり遂げた。
 でも、これでやっと8月分のチェックが終了。9月分、10月分は誰がやるのかな〜あたしなのかな〜(号泣)
 家に帰ってヤケ酒あおってフテ寝。



10月26日(金)

 昨晩の日記を書いたあと友達と長電話してしまい、アップできず。
 寝不足だったが、会社の引越し。7階から4階に移動。
 思えば2年と10ヶ月ほどまえに、この会社で働き始めたときは、今いるビルから2ブロックほどの距離にある親会社のビルにいた。その後、今のビルの4階に移動してから、7階に移り、また4階に戻った。
 荷物の移動は業者がやってくれて、大学生のバイト君も2名いたのだが、ついつい、ダンボールを自分で持ってしまい、異常に疲れた。



10月25日(木)

 日記を書いてなかった。
 火曜日は、スポーツクラブでまた筋トレをして、家に帰ったら電話してたら1時になってしまったので寝た。
 水曜日は、前日の筋トレのせいで、夕方になったら猛烈な筋肉痛になってきて、とにかく眠くなり、とっとと帰ってとっとと寝た。

 なんかどうもイマイチ調子が悪い。幸いにも風邪はひいていないのだが(うちの会社でも大流行)、肌の調子が悪いし、指先もなにやらガサガサである。
 肌の調子が悪いと、人生なにやってもうまくいかない。逆に肌の調子だけいいと、それだけで気分が良いので、なにやってもいい気分なのである。女性が化粧品に高い金を支払うのは、わりと筋の通った行為なのではないかと思う。
 どうも、内臓が疲労しているような気がしなくもないのだが・・・・仕事のストレスと飲みすぎだろう。

 「うちの会社はこ〜んなことも、こ〜んなこともできますよ〜ん」な企画書を渡されて、「これの契約書を作成してください」・・・・・って、ええと、私はあまりそういう法務関係は得意ではなくて、ただ契約書のファイリングをやっているだけなのだが、最近そういうファイルしてる契約書を適当にアレンジして、新たな業務委託契約書などを作ることもさせられているので、どうせグループ内の契約書だからと思って、のびのびと作っていただけなのだが・・・・

 今度のはグループ外の上場企業相手に、しかも相手は大企業だけに、そういう契約書を作成している専門部署もあるのに、私が「叩き台」を作るハメになりそうなのだ。
 しかも、渡された資料は、うちのプレゼン資料なわけで、それをもとに作れっていわれても・・・・・

 私は契約書というもはこうであらねばいけないということをよく知らないのだが、プレゼン資料というものは「うちは、こんなこともできます。すっごいんですよ!」というのをアピールする文書だが、契約書っつうのは、「この金額でうちができるのはこれだけです。これ以外だったら別料金ね。ついでにこのように責任逃れをいたしますんで、この仕事でもしものことがあったらみんなあんたの責任ね。で、もし揉めたら、裁判所で争いましょう。裁判所はここね」とかとゆーことを明らかにする文書なのではないか?いちおう日本の場合は「お互い誠意を持ってお仕事しましょう。なにかあってもできるだけ話合いましょうね」というどーでもいい条項を挟むらしいが・・・・

 だから、営業の見積書や企画書をいくら積まれても、そこから契約書はできないのよ〜
 しかも、営業の企画段階での話し合いメールを参考のために転送してくれたけど、「もっとITに強いことをアピールしましょう」とか、みんなの夢や理想が書いてあっても、契約書に夢や理想は書かないのですよ、たぶん。まあ、もうちょっと具体的な書類が来るらしいから、それ見てから文句言うけどさ。企画書の「売り口上」と契約書の「逃げ口上」は相反するものであるということをちゃんと理解してくれているかしら?ああ、心配でまた肌がガサガサ。

 ついでにもう一つ仕事の愚痴。納品書が無いものを請求してしまったので、クレームが来ていて、「品物はほんとに届いているのか?」と責められているので、関係部署に調査を依頼しようと思ったのだが、連絡なし。逃げ腰になっているのかもしれない。前にも似たようなことがあり、実はそれもまだ最終的にどう落とし前をつけるのか宙ぶらりんだったのだ。つうか、なんかそれの対処をなにも現場がわかっていない私に押し付けようとしている気配濃厚。それなのにまた新たに問題個所が発見されてしまい、担当者が私と話をするのを避けてしまう気持ちもわかるが、得意先に返事をしなければならない私はどうすりゃいいのだろうか?

 1.請求書からその金額をざっくり外す(「もういいいっす」と開き直り、相手が「それじゃあかわいそうだから・・・」と妥協してくれるのを期待する作戦)

 2.品物は間違いなく届いておりますと言い張る(得意先の支店が発注をしたのはデータで残っている。得意先の本部は支店に確認させても、支店がいちいち発注と納品済みをチェックしたりしてないのをわかっているのでそれは不可能だと言っている。うちも、受注したのは確かだが、納品書が無いので、ほんとうに入れたのかわからない。でも、支店が発注したからにはそれが必要だから発注したわけだし、来てなけりゃ文句言うだろう。納品書がまとめてどこかに紛失しただけに決まってますと言い張る)

 3.クレームをつけてきた得意先がクレームをつけたことを忘れるまで放置しておく(もう支払いは済んでいるのだ)
   「あの件どうなった?」と聞かれても「今、調べているんですけど〜なんかよくわからないみたいで、私も困ってるんです〜」と言ってひたすら逃げる。

 自分がこういう仕事をしていると、世の中でよく「杜撰な対応」といわれるものが、実際どのように杜撰かよくわかる。ひとりひとりは「もっとちゃんとしないと」と思ってはいるのだが、相互連絡の段階でモチベーションが落ちてしまうのだ。私が鬼のようにつついてしまうのも、あまりやりたくないし、かといって私が得意先に対して責任をとることもできない。その部署の責任者に直談判するようなものでもないし、できたらその部署の担当者が責任者に相談して、責任者が得意先と話をしてほしいのだが・・・・・
 人の命がかかっているわけでもないし、たいした金額でもないのだが、それだからこそ、「ううむ、どうしよう。このままうやむやにしちゃおうかな」とも思ってしまうが、そういうことをやっていると、ほんとに重大なときに、重大なことになっちゃうんだよね。だから小さいことでも、政治力を磨いておいてくれたまえ。(←逃げてる担当者に言っている。私の政治力は彼に政治力を発揮してもらうことで発揮されるはず)

 というわけで、それほど大変でもないが、微妙に面倒な仕事の嵐で、また「働きたくない病」が発病しているのだが、それにも増して私のお肌の調子を悪化させているのが、「社内引越し」である。明日、フロアを移動。なんかそれでまたいろいろ面倒なので、よけいに普段の仕事がはかどらないのでイライラしてしまう。今日もダンボールに棚にある書類を詰めながら仕事していたのだが、なんか落ち着かない。
 それで、家に帰ると、こちらは「空き巣がせっかく苦労してカギを開けてうちに侵入したのに、めぼしい金品を発見できず腹いせに荒らしていったのか?」というような状態で、やはり落ち着かない。「女三界に家なし」とはよく言ったものだ。(かなり自分勝手な解釈)



10月22日(月)

 中国のことなのロクに知りもしないのだが、「一応、行ったことはある」という証拠を見せたりしたが、今度はインドである。
 インドといえば、牛が名物だ。牛が街中をうろうろしているということはわかっていても、最初は間近で牛に接するとけっこうビビる。
パハルガンジの牛
 ←インド、ニューデリーの安宿街、パハルガンジーの路地の写真
 奥の方で人が背中を向けているのは、チャイ屋だから、ベンチにひしめいて座っているのだ。そのすぐ奥が私の泊まっていた宿の入り口なので、牛のすぐ後ろにあるのは、外人旅行者のバイク。
 
 郊外では草も食べているのだろうけど、街中の牛は日本のスズメみたいに人間と共存していて、残飯や野菜くずなどを漁っているようだ。(牛は神聖な動物らしいので、たまにご馳走をあげている奇特な方もいるらしい)だから、生ゴミをゴミにすることはない。外人旅行者が食べ残した食事を外のバケツに出しておけば牛がきれいさっぱり食べてくれる。そしてあちこちに糞をするが、その糞を集める人たちもいる。乾燥させて燃料にするらしい。

 道が空いているときはいいのだが、パハルガンジーは目抜き通りが、ほんとに狭くて、人の行き来の多い時間帯だと、リクシャーやバックパックを背負った旅行者が、原宿の竹下通りに混ざっているみたいな状態になる。そして、その中に牛も混ざっているのだ。どんな雑踏でも、牛は「あっちにおいしいものあるかなあ」と思ったら、そっちに向かって歩いていく。皆、上手に牛をよけるので、私は一度「牛の後ろを歩いていけばいいかも」と思ったのだが、糞を落とされたので断念した。
 とにかく雑踏の中でのマイペースの牛はかなり邪魔くさいのだ。好き勝手にのんびり歩き回るし、急に方向転換するし、インド人は慣れているので、「シッ!シッ!」と果敢に追い払うのだが、なんかやっぱツノが尖がってて怖いので、慣れない旅行者としては下手なことして牛のご機嫌を損ねたくないので、「うう、あたし、こっちに行きたいのに、なんで立ちはだかっちゃうの〜」とおろおろして、迂回しようとすると、牛もまた私が避けてほうに移動してきたりして、「あんた、どっちに行くのよ〜さっさと行ってよ〜」と立ちすくんでいると、周囲のインド人に笑われてしまったりする。インドに行くとどこでもそうだが、外人旅行者を観察するのが彼らの最大の娯楽なのではないかと思ってしまう。その次くらいの娯楽がインド映画。

 それに、平気でその辺で寝そべってたりする。それも、3頭くらいで固まって寝そべっていると、かなり場所をとってしまう。「休むんなら、もっと人通りの少ないところのほうが、落ち着くと思うけどなあ」と思うのだが、仕方なく人も車もそれをよけて通らなければならない。牛の休憩所の選択はかなり謎だった。

 と、そんなことを思い出していたら、ふと「今の日本でもそういう光景は珍しくないぞ」と思い出した。
 「ジベタリアン」と呼ばれる人たちである。なんだかしらないけど、道端でべったり座っている。ちょっと先には、そうやって溜まるのによさそうな空間があるのに、わざわざ人の邪魔になりそうなところに座っていたりするから、かなり謎だ。
 ヨーロッパなどでも、若者はよく外で座っているけれども、街の構造的な差もあるが、みんなわりと「居心地のいい空間」を上手に探して座っている。それに、けっこう人目を意識しているのか、みんなカッコつけて座っている。
 日本のジベタリアンの特徴は「カッコ悪い」ことであろう。この間も乗り換え駅の改札の前で、女子高正が車座になっていた。柱の側だったので直接通行の妨げにはなっていなかったが、位置的には「ど真ん中」で6人くらいで、べったり座っていて、道行く人もついつい見てしまうのだ。そこも、すぐ側に駅ビルのロビーや、駅前スーパーの脇の植え込み付近などの、もう少し落ち着いて床に座れそうな場所がいくらでもあるのに、わざわざ目立つところで陣どっている。ああいうのがカッコいいと思っているのか、それとも何も考えていないのかよくわからない。

 うちの近所の下北沢になるともっとひどいらしい。最近、駅前の広場でガスコンロを床に置いて、コンビニで買った一人用の鍋を煮ている集団がいたそうだ。
 下北沢の駅前広場をご存知の方がいたら、想像がつくだろう。あそこは狭いうえに、いつも渋谷のハチ公前広場並に込んでいるのである。待ち合わせならともかく、あそこで鍋パーティーをするのにどんな意味があるのかよくわからない。
 「それが、パンクな行為だと思ってんのかね?」
 「でも、パンクスは人前で物を食べてはいけないでしょう?」
 パンクスは顔に安全ピンを刺したりしてもいいが、買い食いはよくない。シド・ビシャスがタコ焼きを食べてたらカッチョ悪いだろう。

 などと、先日も下北在住の友人らと話していたばかりだったのだが、謎のジベタリアンも「あれは、きっとインドの牛なんだ」と思うとかなり納得がいく。
 座りたいときには、その場で座り、食べたいときにはその場で食べる。どこか他にもっといい場所があるとか考えてないし、ましてや通行人の迷惑も考えていない。人間なんて目に入ってないのである。そして、すぐ脇を車や自転車やバイクが通っていて、埃っぽくて、煩くても気にしないらしい。「なんかここ落ち着かないね」という感覚がないようないらしい、というか、私とはその「落ち着く/落ち着かない」の感覚が異なっているらしい。牛だから、しょうがないと思うと納得できるのだが。

 環境ホルモンのせいだとか、体力低下のせいだとか、モラルの低下だとかいろいろ言われているが、やはり病気だと思わないと合点がいかないので、勝手に「印牛病」(印度の牛の意。インギュービョーと読んでください)と名づけることにした。ジベタリアンだと、なにか主義主張のある行為のように誤解されそうだが、そういうものでもないようだし。それに都市部だけの現象でもなく、全国に流布しているみたいだし、これはなにかやはり伝染病だと考えたほうがわかりやすい。それに「印牛病」呼ばわりされるとなんだかカッコ悪そうだ。
 
 狂牛病がクローズ・アップされているが、印牛病もなにか対策を講じたほうがいいのではないだろうか?

 対策1
 「印牛病は致死率100%!感染力も狂牛病の比ではない」とマスコミに多いに吹聴していただく。そして、専門家に「印牛病の原因は不明だが、空気感染する可能性もある」と吹聴してもらう。それで、「印牛病の初期症状は、聴覚と視覚に異常が生じ、かつ腰の筋肉が衰える」と宣伝しておけば、雑踏の中でも平然としているのは視覚や聴覚が鈍くなっていて、、すぐに座りたがるのは筋力が弱っているわけだから、「ジベタリアン 印牛病が原因か?」(「か?」が重要ね)と夕刊紙の一面を飾ることになり、街から「印牛病、かなり疑陽性」なジベタリアンが一掃されるのではないか。

 ・・・・・対策というより、陰謀だな(笑)

 対策2
 「印牛病は、床から感染する!」
 地べたに座り込むと感染する恐れがある、という説をリークする。
 そして、それを予防するのには「シルクの絨毯が印牛病への殺菌能力を持つ!」
 それで、ペルシャ絨毯屋に客が殺到して、携帯電話屋の横には「携帯絨毯屋」が乱立し、ペルシャ近辺の経済が好転して、アフガニスタン近隣国も労働力不足に陥り、アフガン難民もがんがん受け入れ、日本にも絨毯商人が殺到し、金儲けに走った絨毯屋がとうとう「キティちゃん・お祈り用絨毯」を作り、それがイスラム原理主義者の反感を買い・・・・

 ・・・・・ううむ、長期的なテロ対策(貧困が新たなテロを生む!)にはいいかなと思ったのだが、絨毯しか名産品を思い浮かばないあたりで負けているし、よくよく考えるとかえって逆効果になってしまう可能性が高い。

 こんなデタラエ書いていると、インドでマクドナルド進出に過激に抗議したヒンドゥー教徒に叱られそうだ。
 ちなみに、地面に座る若者をそれほど私は敵視しているわけでもない。ヨーロッパやアジアの街角では、道端で優雅にたむろっている人たちが多くて、そういう光景は好きだ。自分だって、「地面にすわると汚い」という風潮があった当時も、わりとべったり座ることに抵抗はなかった。
 バブルのころみたいに、小金持った若者が高級レストランを荒しまくっていた不自然さに比べれば、若者がコンビニで調達した飲み物を持って、街角で集っているというほうが自然に思える。でも、もうちょっと工夫してくれればいいのになあと思うだけだ。ゴミを置いていかないだけでもかなり印象は違うはずだし、座り位置をあと5メートル移動させれば誰も不愉快に思わないのにと思う。若い子たちが楽しそうに集っている姿は、普通だったら道行く人にも幸福感と安心感を与えるはずなのだ。(ああ、こんな年寄りくさい発言やだけどさ)
 なのに、その光景が荒んで見えるのはなぜなんだろう。

 それとも、そのうちに、「インドの牛」みたいな名物になって、海外のガイドブックに「日本の繁華街ではどこでも若者が横たわってといて、きどき通行の妨げになっているが、彼らは悠然とマイペース。日本人は慣れているのか車も人も知らん振りして上手によけて通る。慣れない旅行者はたまに彼らを蹴ってしまうかもしれないが、それでも彼らは悠然と宴会をしている。」とか書かれることになるのかな?



10月21日(日)

 昨晩は遅くまでメルマガの準備をしてしまったので、寝たのが3時くらいになってしまい、今日も朝寝坊というか昼過ぎに目が覚めるも、体調優れず、3時になってからやっと「図書館に行かねば」と起き上がり外出。

●布団を捨て街に出よう

 それで、なにやっていたのかっつうと・・・「犬の観察」

 お祭り犬・・・2匹見かけたが、どちらも小型犬だった。ハッピを着せられていた。飼い主よ、おまえが着ろ。

 うぐいす犬・・・どこからか、「ほ〜ほけきょ」と口笛なのか声真似なのか、垢抜けない人造のウグイスの鳴き声(江戸屋猫八6級程度)が住宅街に響いていて、姿は塀に隠れて見えなかったが、ワンちゃんがそれにあわせて「ふぅ〜〜んきゃわん!」と一生懸命練習しているのだ。私が歩いている間、その妙なデュエットがずっと続いていた。うぐいすが聴いたら、「おまえら,下手糞!」と怒ったかもしれない。それで、頭にきて、糞を落として攻撃するかもしれない。関係ないが、うぐいすの糞はたしか美容にいいのではなかったか?

 賢犬・・・賢い人を賢人というのなら、まさに賢犬(ケンケン)にめぐり合った。ケンケンは、当然コードレスである。引き綱はケンケンにはふさわしくない。ケンケンの証である。飼い主はふつうの主婦ってかんじだったが、ふとドラッグストアに吸い込まれるように入っていった。ケンケンは飼い主のあとをついていったが、店の前でピタリととまり、まるで訓練された軍隊のように、ビシっと「おすわり」をした。(訓練された軍隊はおすわりはしないか・・・・でも、号令でピシっと動く人みたいなかんじだったのです。「捧げ銃!」「ビシ!」ってかんじ)
 ところが、ドラッグストアはかなり道路側にも商品を置いているので、ケンケンは「店に入ってはいけない」とわかっているのだが、その「おすわり」位置はかなり道路にはみ出していた。狭い商店街の道だし、人込みなのであまり車は通らないのだが、バイクや自転車はよく通るので、あまりよい位置ではない。ケンケンが座っている間にも、バイクの音が「ブルルン」と聞こえてきた。ケンケンはちらりと目線を横にやると、「おすわり」した姿勢のまま、もぞもぞとお尻を地面に擦るように動かして、位置をお店よりに30センチくらい修正していた。
 停車位置を間違えた電車がきまりわるそうに、再度動き出したような、「こっそり移動」であった。

●布団を捨て街に出よう。そして犬と戯れ、本を借りに行こう。

 図書館で、デビッド・ロッジの「胸にこたえる真実」をやっと借りる。ロッジ先生のお作は、私にとっては「ハーレクインロマンス」的なものである。ハッピーエンドが確約されているので安心して読んでいられるのだ。ロッジ先生がハッピーエンドと手を切ったら、抗議のファンレターを送るつもりなのだが、英語でもハッピーエンドと言うのだろうか?よく知らないので、そういう事態にならないように祈る。新刊の「考える・・・」もリクエスト中。

 関係ないが、ふとこのご時世の中で思い出したこと。
 小学生のときに、学級文庫(教室の後ろの棚に置いてあって、誰でも自由に読めた)で流行った本が原爆に関する本だった。まだ「はだしのゲン」などが出る前だったと思う。原爆の体験記を綴った本で内容は小学4年生くらいだったらフツウに読めるものだったと思う。友達のうちにもそれの改訂版(最初の版には、やや悲惨な写真が載せられていたのだが、改訂版からは削られていたのを憶えている)もあったので、当時の「推薦図書」だったのではないだろうか?

 今思うと、当時の私を含めた小学生は「原爆」というものが具体的にどんなもんだかわかってなかった。ただ、昔戦争があって、おじいちゃんも戦争に行っていて、お父さんは疎開していて、東京でも空襲があって、おおぜいの人が死んで、最後に広島、長崎に大きな爆弾が落ちて、たくさんの人が死んで、戦争が終わった。ということだけは、教えられていたのだが、「たくさんの人」というのが具体的にどういうものか、実感が湧いていなかった。小学校はそれなりに新興住宅地にありがちなマンモス校で、ピーク時には6学年×8クラス×40人いたわけだから、2千人弱の全校生徒が校庭で集合したりしていたのだが、わたしらに認識できたのは、その「数千人」程度である。

 その原爆の本は、開いてすぐに「詩」のようなものが書いてあった。多くのガキは内容は読まずに、その「詩」だけを読んでいた。つまり、その本が流行ったのは、内容ではなくて、「詩」のインパクトだったのである。記憶もおぼろだが、非常に簡素な詩だった。

 8月6日 広島に 原爆落ちた 6万人死んだ
 8月9日 長崎に 原爆落ちた 10万人死んだ

 このあと、なんか他にも書いてあったが、出だしはこんなだった。今となってはよく憶えていないが、この2行がガキどもの心をえらく捉えたようなのである。 
 ガキは気に入ると、やたらと反復する習性があるのだが、みんなこの詩を繰り返し読み、暗誦できるようになっていた。それも、なぜかやたらと楽しそうに。日にちと場所と死者数をちゃんと覚えているとエラかった。ポケモンのキャラの名前をたくさん言えるのと同じようなものだったと思う。
 なんか盛り上がっている本だったので、私は内容も読んでみたのだが、それでびっくりした。「6万人死んだ」とか言われても、それがどういう意味なのかよくわかってなかったのだが、中を読んだら、「6万人というのは、私みたいなフツウの人のひとりひとりの集合体である」ということが急にわかったからである。自分の住んでいた市が当時10万人くらいの人口がいたのだが、それが全滅したのだ。
 それがわかってしまった途端に、みんなが面白がってその詩を暗誦することが恐ろしくなり、抗議したような気もするが、あまりわかってもらえなかったと思う。

 ただ、親戚が広島や長崎にいて、原爆記念館に連れていかれて、出たとたん吐いてしまったとかいう経験を持つ子は、やはりどう抵抗していいのかわからないが、その詩が面白いものではないということは、わかっていたので、不愉快には思っていたようだ。
 「いっぱい死んだ」という言葉は子供のテンションを妙にあげるが、その意味を子供はわからないんだな、と後から思った。
 大人でもわからない人は多いだろうし、自分がどの程度わかっているかもよくわからないが。そういう意味で、テレビゲームが普及してなかった時代でも、子供は残酷で傲慢だったよな、という話。その後、「はだしのゲン」が登場したが、子供にとっては「グロテスクな読み物」でしかなくて、作者の意図もあれを推薦した親の意図もぶっとんでしまい、ただキモ試しに読まれていたような気がしなくもない。ショッキングな描写だけでは子供はよろこぶばかりなので、もう少しやり方を考えてほしかった。

 自分が子供だったころの(今でもかなり子供だがそれは置いておいて)、そういう感覚を探るといろいろ面白い。
 たとえば「国際感覚」というか、「外国」に対する感覚もえらく漠然としていた。今みたいにテレビで連日ドキュメンタリーとかやっていなかったし、ニュースもNHKが流す簡素なものばかりだったので、「外人」というものは、「外人」であるが、いったいどこから来たのかあまり考えてなかった。アメリカとヨーロッパの区別なんてしたことなかったし、「すばらしき世界旅行」という秘境のドキュメンタリーはよく観ていたので、秘境のほうが馴染みがあったのだが、「文明の地」と「秘境の地」の分布がよくわかってなかった。

 そのころの自分の「世界観」で思い出すことがある。ずいぶん後になって、事件として有名になった「いじめられて自殺した少年」が朝鮮系だったので、それがいじめの原因になっていたという報道がされたので、「え?」と思ったのだ。
 私が小学生のころ、仲が良かったというか活発でクラスの人気物だった女の子がいた。そのOちゃんの思い出としては、5年生のころ市内の「少年自然の家」にサマーキャンプを一泊するのだが、夜になってOちゃんが突然、「みんな、オメコって知ってる?」といい始め、私はそこで衝撃的な性教育を受けたのである。他の純朴な子たちも「大人になんてなりたくない」と思った微笑ましい一夜であった。
 6年生になったころ、ときどき出る話題としては「進学問題」があった。ほとんどの生徒は、そのまま市立中学に上がるのだが、ほんの数人だけ「あの子は塾に行っていて、東京の私立に行くつもりらしい」と噂が飛んでいた。私立を受験しても不合格になる可能性があるので、受験する子たちの多くは親の思惑もあってそれを隠そうとしていたのである。
 そんなとき、ある友人が「Oちゃんも、同じ中学に行かないかもしれないよ」と教えてくれた。「え?なんで?私立に行っちゃうの?」と思ったら、「Oちゃんは、ほんとは韓国人なんだって。日本名を名乗っているけど、韓国の名前もほんとはあるんだって。それで、韓国の子は、中学からそういう韓国人ばかりの学校に行かなくちゃならないらしいよ」

 びっくりした。「韓国人は韓国人の学校に行く」という意味がよくわからなかったので、さっそく母に聞いてみたら、「東京にはそういう朝鮮人の学校があるけど、別にそこに行くのは強制ではないと思うけど」とのこと。
 それで、そのとき私とその話をした友人で、語り合ったのは「そっか、Oちゃんは日本人ではなかったのか・・・でも、だからって外人ってかんじでもないよね」「うん、うちらとおんなじだもんね。なにが外人なのかよくわかんない」「そんなのどうでもいいけど、Oちゃんも同じ中学校にくればいいのに」「そうだよね、Oちゃんいないとつまんないよね」

 二人とも、いまいち「韓国人」というものが理解できていなかった。韓国がどこにあるかもよくわかってなかったかもしれない。でも、とにかく、最初から彼女が韓国人だとわかっていても、それでなにがどうということもやりようがなかった。だから、後日「韓国人だという理由でいじめられた」というニュースを聞いても、「それは違うだろう?」と思ったのである。
 そのニュースを聞いたときには、私もかなり大きくなっていたので、例えば自分の祖母が娘(私の母)が結婚するときに、相手の素性を一応調べたという話も母から聞かされていた。部落出身じゃないか、朝鮮系ではないかということを調べたそうである。朝鮮系に対する差別が過去にあり、今でもそれが尾を引いているということをそのときは知っていたが、小学生のころはそんなこと知らなかった。韓国人や中国人に対する認識は「外人だけど、喋らないと見分けがつかない」程度で、「在日」みたいに、日本語を同じようにあやつる人をどのように扱うかとかいうことは考えてなかったのである。
 だから子供がそういう状態であるときには、それだけの理由でいじめたりはしないと思った。白人や黒人みたいに見た目が明らかに違うと、それを攻撃することはあるかもしれないが、(アルビノの子供を「がいじ〜ん」と言っていじめたりはした)、見た目が同じものにはそういうわかりやすい攻撃はしなかったと思う。それがいじめに繋がったということは、誰か大人が「あのうちは朝鮮系だからな」と吹き込まなければならない。親がそういう差別意識をとると、子供はそれの本質はわからなくてもネガティブ・ファクターだと敏感にかんじとるので、「それを攻撃の正当性」に簡単にすり替えてしまうと思う。体が弱くて、ときどき授業中に吐いてしまう子とかは「えんがちょ」になってしまったが、「韓国人」もどうやら「えんがちょ」らしいと学んでしまうのだ。

 何を言いたいのかまたわからなくなってきたが、戦争教育から差別問題になってしまったけど、自分が「育ちはまあまま恵まれていたな」と思えるのは、私が育った地域では、そのように、「朝鮮系」を差別する土壌はなかったというか、親の世代がそもそもそのベットタウンに移住してきたわりと根無し草な、中間所得層(子供ができたので、郊外に一戸建てを購入できるレベル。サラリーマン世帯が多かった)だったので、あまり他人の出自や階級にこだわらなかったし、子供にそういう観念を見せてはいかんという教育ができていたのか、具体的な「差別感情」とは無縁に育ったのは、幸せだったのかもしれない。
 
 おかげさまで、中学生のときに島崎藤村の「破戒」を読んで、「これの何が問題なの。なんで部落出身を隠さないといけないの?」と思ってしまいました。関東育ちは全般的に「部落」に疎いらしいが、「部落」というのは「村落」とか「集落」と同等だと思っていたので、「田舎者であることを恥じているのか?」と、マジに思った。
 そういえば、関西出身の子にその話をしたら、「こっちだと、小学生のころに、部落見学とかに連れて行かれるんだよ。関西だって小学生のころは部落差別なんてよくわかってないのに『今の部落はこんなに近代的にフツウの生活しているんですよ』的な教育を受けるんだけど、それやっちゃうと、逆にそれを意識してしまうから、難しいんだけどね」と言っていた。

 戦争のことにしても、そういう差別にしても、子供のような「なにも知らない純真さ」というものは、それでいいのかもしれない。ただ、やはりそのうちいろいろ情報を得てしまうのは避けられないわけで、中途半端に知ってしまうと、「なにもわかってないバカ」になってしまうのかもしれないし、純真と背中合わせの傲慢さというものだけが、クローズアップされてしまうこともある。
 でも、ふとそういう子供時代の感覚を思い起こしてみると、他人についてあれこれ情報がついて回らないので、「この人好き」と「この人なんか嫌い」という、とても直感的な感覚だけで生きていたような気がしなくもない。中途半端に大人になってしまった今は、ついあれこれ考えてしまったあげく、どうしていいのかわからなくなってしまうので、昔の感覚を懐かしく思い出してしまったというわけです。

 もっともこれは、高度成長時代の平和ボケしてた日本の都市部で育った私の「ぼんやりとした世界観」や「階級意識」であるわけで、今だとまたずいぶん違うだろうし、ましてや紛争地域に育っている子供なんかはかなり違う世界観なんだろうな。

 あ〜あ、また掃除から逃避してグダグダ書いてしまっただい。洗濯はいちおう終了した。



10月20日(土)

 新宿で待ち合わせをしたので、少し早目に行って、久しぶりに伊勢丹に行った。あいかわらず混んでいて、「いったい、どこが不況なんだ?」と思う。化粧品売り場は、MACとかNARとかBOBY BROWNなどの、かつては「海外旅行に行くなら買ってきて」系だったブランドがで〜んと構えていた。美容師みたいな店員がいて、その場でしっかりお試しメイクをしてくれるようだ。そういうのが今は流行りなのね。化粧品売り場は待ち構えている美容部員が恐ろしいので、足早に回ったのだが、目当てのH2Oが発見できず、案内嬢に伺ったら、「地下2階でございます」

 地下2階は、なにやら今風のコンセプトで統一されているらしく、自然派化粧品や、おしゃれな生活雑貨などのお店が並ぶ中、代官山のレコード屋(名前知らないが、かなりサバービア系)みたいなのが片隅にあって、その店が流す音楽が、そのフロアのBGMになっているらしい。洗練された空間である。一回りしたらH2Oの店があったが、やはり高い。
 H20は、その昔、私がNYに行ったときには、もっと安かったような気がするのだが、日本でもBOOTSに扱うことになったので見に行ったら、かなり高級感を打ち出していて、値段も高くなっていた。私が気に入ってた香水も、昔はもっとちゃちい瓶に入ってたのになあ。

 というわけで、買うのは保留にしておいて、店内をブラブラ周り、「ハロウィン柄の石鹸」などを冷やかしつつ、時間になったので、待ち合わせ場所に向かった。
 歩道も人で埋まっていて、歩きずらい。
 Mちゃんと、Tさんとで、駅付近の雑踏を抜けて、タイ料理屋に入った。そこも混んでいたが、少し待ったらやっと座れた。今回集合した名目は「フジロック反省会」ということだったが、要は単なる飲み会である。Mちゃんは家も近所なのでときどき会うが、Tさんと会うのはほんとに久しぶりだ。フジロックのときもあまり話もできなかったので、たまには会いましょうというわけで集まったのだが、話はいろいろ跳びまくり。

 ご飯食べ終わってから、軽く飲んで12時ごろ解散。お疲れ様でした。



10月19日(金)

天安門広場でニッコリ  ●前向きな戯言

 あ〜あ、やっぱOLは辞めて、嫁にいこうかな。
 相手に多くは求めません。
 学歴も身長も体重も頭髪も特に規定なし。
 収入は、家賃と生活費を私の分まで払えるのであればよし。生活レベルは今くらいでよし。
 
 それで、料理上手で、洗いものも大好きで、掃除が得意で、洗濯も好きで、洗濯ものをたたんで引き出しに入れるのが大好きで、私がそれをやろうとすると、
 「あ、だめだよ。それは僕の趣味なんだから」
 とか言ってくれる人がいいなあ。
 
 あ、あとアイロンがけも趣味だと尚可。
 ボタンつけも趣味だと、最高。

 ああ、どっかにそういう人いませんかね?

 などと、またくたびれきってしまった会社の帰り道の電車の中でぼんやり考えておりました。
 黒猫の呪いのかかった某宅配便屋の請求書をエクセルに入力してから分類するというベタベタな作業をしなくてはいけないことがわかり、メチャ落ち込んでしまった。
 そんなもん、バイトにやらせればいいのだが、メモ書きから請求項目と分類を決めなくてはならなくて、それはやはり私がやらないとならない。
 せめてもうちょっとデータ化されたものがほしいのだが、そのためには、送り伝票をパソコンで出力するのが一番なのだが、発送を管理している部署では、伝票書きを人海戦術でバイトがやっているので、人手とマシンが足りないらしい。その部署が、とにかく発送作業で手一杯なことは私もよくわかているので、あまり強いことも言えないので、「じゃあ、こっちでなんとかしてみる」と言ってしまったのである。あ〜あ、また仕事増やしちゃったよ。でも、今、派遣の人をなるべくキープしているので、彼女がどの程度手伝ってくれるか(時間と能力的に)も今後のポイントだ。
 
濃霧の万里の長城に出現した「ねずみ男」ブラザーズ
 「天安門事件で多くの学生が殺された」というのは、現在の定説では誤りのようです。
 あの広場で死んだ人はいないというのが、公式発表みたい。でも、広場以外のところで起こった暴動を鎮圧するために、死傷者が出たらしいのですが、正確な人数わからないみたいです。
 もはや10年前のことなので、天安門事件もいったい、なにがなんだったのか、当時もよくわかりませんでしたが、記憶に残っているのはやはり学生たちが居座る広場を駆け回っていた、戦車の映像です。写真上は、95年に北京に行ったときのもの。天安門広場でにっこり。シャッターを押してくれたのは、たぶん中国国内旅行者。言葉通じなかったが、写真くらいみんな撮ってくれる。(あたり前か)

 ただただ広い、天安門広場を斜めに横切って、「いい運動になった」と満足したところで、私のもうひとつのお目当ては、天安門事件の最中、「天安門」という言葉とともに頻出した「北京飯店」でした。
 皇居でいえば帝国ホテルなロケーションにある北京飯店は、取材陣の拠点になっていたみたいです。
 ですから、私にとっては北京飯店も「あのテレビ映像の向こう側」なわけで、「現物見てこなくちゃ」と思ったわけです。特になんのへんてつもなかったけど、広場を横切るのにかなり時間がかかりましたから、北京飯店でお手洗いを借りました。その後、その並びの豪華な新しい外資系ホテルで優雅にアイスコーヒーとか飲んだっけ。
 
 日本では「○○飯店」といえば、中華料理屋ですが、中国では「ホテル」のことであるというのを知ったのは、天安門事件のときかも。

 その後、インドに行ったときに、街中で「HOTEL」という看板がかかっていても、そこは宿ではなくてただのレストランだという驚愕の事実を知りました。一流ホテルは「HOTEL」なんですが、安宿はゲストハウスとか名乗るのでホテルとは呼ばないみたいです。
 なんかそれって、中国の「飯店」と逆なのでは・・・・インド・中国はあまり仲良しではないようですが、こういうところでもそれが窺い知れます。(←ああ、また口からでまかせ)

 しかし、そこに日本をはさむとなんだかいいかんじになることに気が付きました。

 日本では「飯店」はレストラン→「飯店」は中国では「ホテル」→「ホテル」はインドではレストラン→中華レストランは日本では「飯店」→「飯店」は中国のホテル→「ホテル」はインドのレストラン→中華レストランは飯店→飯店はホテル→ホテルはレストラン

 なにがなんだかわからなくなってきますが、なんか結局「世界はひとつ。人類はみな兄弟。食う寝るところをみんなごっちゃにしてるんだ!」

 と、大発見したような気分になりました。
 世界の平和を目指す私も、とうぜんながら、「布団の上でご飯を食べて」おります。ワンルームのお部屋に住んでいる人はたいていそうだと思うけど。

 調子に乗って写真・下は万里の長城で撮影。きょうみさんのご子息とツーショット。
 すごい霧でした。日本から客人が来るといつも長城に案内しているきょうみさんも「こんなに見晴らしが悪いのは初めてだ」と言ってたくらい。
 この写真でも、背景にうっすらと隣の塔が写ってますが、ほんとにあんなかんじで、すぐ隣の塔が霧に埋もれてしまうので、人がいないあたりを歩いていると、「霧の中から蒙古軍が攻めてきたらどうしよう」とタイムスリップしそうで怖かったです。



10月18日(木)

 昨日、寝てから留守電が点滅していることに気が付いたのだが、眠かったので放置しておいた。朝にチェックするのも忘れてしまった。
 今日も忙しかったが、重たい仕事は昼過ぎに片付き、あとはまた資料を集めてからになるので、溜まっていた単純作業と引き出しに溜まっていた未開封の請求書の整理や書類のファイリングを一挙に片付ける。8月に郵送するはずだった検収書なども発掘されたが、知らん振りして送付。よかった、ずいぶん机がきれいになった。

 しかし、なんか気分が冴えなくて、また軽い鬱状態である。会社の机はきれいにしたが、家に帰るとこれがまた地獄のように荒れていて、どこから手をつけていいのかわからないので、放置しておくことにした。うちの部屋の神様はきっと温泉旅行に行ったきりなのだ。・・・ちがうよ、私がこの部屋の神様なの!わたしが温泉旅行に行ってリフレッシュすべきなのだろうか?
 放置してあった留守電を再生してみたら、またAだ。なんで彼女はいつも私の帰宅が遅いときを見計らって電話してくるのだろう。いつもは11時くらいには家にいるのにね。

 というわけで、電話してみたが、相変わらずダルダルだった。
 Aに「昨日は映画観てたから」と言ったら、「あの話、宮崎監督は単に遊郭を描いたつもりなのに、評論家は皆、そんなこと指摘してくれなくて深読みばかりしてるって言ってた」というのだが、そりゃ遊郭をモチーフにはしていて、あの猥雑なかんじはわかったけどさ〜、そんな無茶言われてもねえ。遊郭から花魁抜かれて描かれたら、単なる「温泉宿」になっちゃうじゃないですか?

 そして、やはり超久々に留守電が入っていたO君の元彼女のHちゃんから、Aにも電話があったらしく、かけてみたら、どうやらO君はAの電話番号がわからなくてまずHちゃんにかけてから私に電話していたみたいで、「いやあ、それで、ミヤノさんにも連絡してみようと思って」とかけてくれたらしい。Hちゃんは連絡が途絶えていたKさんと最近会っているようだし、O君のおかげで昔の交友関係(スミス系)が沸騰(笑)。それで、じゃあみんなで「Aを励ます会」でもやろうという話になる。
 
 などと、電話で話していたらちょっと気分が高揚してきた。今夜はベル博士に感謝しつつ眠りましょう。



10月17日(水)

 遅くまで飲みながら電話していたので、朝起きられず。フレックスなので遅刻してもいいのだが、私は職種的にわりときっちり勤務時間を守っている。最近導入されたi-Officeを使って、上司と同僚に「私用のため、出勤は昼頃」と伝言を入れる。なかなか便利だ。
 それで、また横になり、10時過ぎにやっと具合がよくなってきたので、出勤。12時に着いたので、8時まで会社にいればいいのだ。

 災い転じて福となすことにして、港北の映画館のレイトショーに行くことにした。水曜日は女性1000円なので、先週は「ブリジット・ジョーンズの日記」を見たが、「千と千尋の神隠し」は満席になっていたので、レイトショーを狙っていたのだが、なかなか9時まで時間を潰せなかったのである。朝ちゃんと出勤して、8時まで残業しちゃうと疲れて映画観にいくどころではないし、ちょどよかった。

 というわけで、世間に出遅れること甚だしく(わたしっていつも話題のものの話題がすっかり下火になったころにのこのこ出かけているような気がする。気が長いのが長所で短所)、やっと観ました、記録的ヒット作品。でも、そういえば、「もののけ姫」は観てなかったんだ(笑)
 観てないから、なんともいえないが、なんとなく「もののけ姫」は説教臭そうで敬遠していたような気もするので、「千と・・・」のほうが「トトロ」に近いホノボノ系みたいだし、宣伝を見てもなんかそんなかんじであまり重厚そうでないので、今の気分にはちょうど良いかもしれないと思った。仕事に追われて荒んでいる心を癒すために、会社帰りに一人で映画館でジブリ作品を観るOL。なんかとってもフツウっぽいので、なんだかスキップしたくなるぢゃあないですか。

 なるほど、こりゃヒットするわな。「3回観た」とかいう話も聞いたが、たしかに2回くらい立て続けに観たくなるかもしれない。特に疲れている人は。だって、なんだか、観終わったあとに、「あそこから帰りたくないなあ」と思ってしまうもの。平凡な新興住宅地(港北ニュータウン)の夜景がえらくつまらないものに見えてしまった。ただでさえつまんないのに。
 それにしても、かなりディズニー的にぶっとんでたような気がしなくもない。
 その昔、「魔女の宅急便」や「紅の豚」のころは、「空を飛んでみたいなあ」という人が作ったのが宮崎アニメで、「いや〜ぶっとぶと、こうなるんですよ〜」というのを自慢してんのがディズニーアニメだと勝手に分類していたのだが・・・・そういう問題発言はやめといて、絵がやはり圧倒的にきれいで、ほんとに心が洗われたようでした。風景も、絵画のようだったし、千尋がハクにくっついて抜けていくお庭なんて、まさにモネが描いたような、夢のような花園。くるくると万華鏡のように花の色が次から次に画面を横切り、眩暈がしそうだった。それに、なんの変哲もない「青い空」の色がときどき、ゾッとするくらいなにかを思い出させる。色を指定する人が、

 「母が死んだときに、焼き場で煙突から出る煙をぼんやり見ててね・・・・あのときの空の色は忘れられないな・・・・ってかんじの空色」

 とか言って色を決めたのではないかと思ったくらい。ちなみに私は、「幼稚園のころ、父親の会社の運動会に行って、風船を貰ったのだが、帰りにうっかり手を離してしまい、風船が空高く舞い上がっていくのをなすすべもなく見上げていたときの空の色」を思い出してしまった。私はわりと匂いでそういう漠然とした記憶を呼び起こされがちだし、なんかの本で嗅覚は記憶と連携プレーしやすいとか書いてあったような気もしたが、色であれだけかき回されたのを意識したのは初めてだった。いや、絵画でもたまにそういうことは起こるが、あれだけ立て続けに刺激されたことはない。
 空や海や花の色はもちろんのこと、電車の明かりや、遠くに見える街の夜景とか、なんというのだろう、まだそういうものを「美しい風景」とか「旅情を誘う」とかいうものだと意識していないというか、そういう風景を言葉で表現することを知らなくて、ただなんだか悲しくなったり、楽しくなったりしていたころの感覚だけが甦っていた。すごいなあ。

 キャラクターたちは相変わらず、「変だけど、みんないいやつ」で、安心して観ていられる。八百万の神様たちも、この開発の進んだ現代では、身も心も荒んじゃうので、温泉でリフレッシュしちょるのだな・・・・
 マックロクロスケはすっかり働き者になって、石炭運びになっているし。仕事は辛そうだけど、ただのススに戻るのはいやなのか。ううう、泣けるじゃん。それに、真面目に働いていれば、たまにはこうして珍奇な客がきて、楽しいこともあるんだよね。

 「顔なし」というキャラに感心した。特になにかの化け物という、押し付けがましさを極力抑えてあるので、あれに関しては、かなりおおぜいの人が「自分かもしれないし、あの人かもしれない」という身近にいるような、いないような、そういうなにかの複合物であるような、微妙な親近感を得られる。
 だって、いるじゃん、ああいう自分からは何も出来ないで人の顔色ばっかり伺っているやつ。人の輪の中に入れなくていじけているやつ。大人しいくせに、いったん仕切り始めるととまんなくなるやつ。普段無口なのに飲むとベラベラ喋るは殴るは蹴るはの酒癖の悪いやつ。とにかく暗い人。「本当の自分がわからない」とかいう人。
 そして、ぜに婆が「顔なし」に「おまえはここに残って私を手伝うんだよ」という言葉は、多くの人が誰かに言われてみたい言葉ではないだろうか。
 「誰かに必要とされたい」という願いを顔なしは手に入れた。リストラされそうで、濡れ落ち葉一歩手前のおと〜さんならグっとくるのではなかろうか。

 わりと「自然破壊への警告」みたいなところは抑えてあったので、そのあたりも好ましい。得体の知れない神様たちの中で「川の主」だけは、2件ほど登場するが、神様の世話をする労働者の男衆がカエルの化身だったのは、偶然なのか意図的なのかわからないが、自称カエルの守護神(別になにもこれといった活動はしていないが、「神」というものはそういうものであると信じているのでこれでよいのである)としては、「カエルも数が減ってるらしいけど、こういうところで自然に宿る神様の世話をして、自分達の住む環境をなんとか守っているのね」と深読みしてしまいました。

 そんなかんじで、大感激していたのだが、レイトショーだけに終了時間が終電ぎりぎりで、なんとか終電に乗って家に帰ってきたら、もう12時半だった。ああ、やっぱずっとあの街で私もお女中やっていたいわ。



10月16日(火)

 また残業してから、スポーツクラブで久々に筋トレのクラスに出てから帰宅。ひさびさにジローとスキンシップ。やつは涼しくなってからなんとなく凛々しくなってきた。耳もピンと立っている。
 そのあと、酒屋の前で繋がれていた黒いテカテカのリトリバーとも浮気。ついでに酒を買ってしまう。招き猫ならぬ、招き犬か。
 家でちびちびお酒飲んでたら、電話がかかってきて、うっかり2時まで話しこんでしまった。飲みすぎた。


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