可燃物な日々

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3月15日(木)

 友達には恵まれているほうだと思う。この日記だって、いくら私がかなりのナルシストだからといっても、毎日自分のことだけ書いていられるわけでもない。自殺未遂をしたり、夜中に電話してきたり、難病にかかって大学病院に通院してみたり、入院してみたり、失恋してみたり、失業してみたり、不倫してみたり、新しい上司がついこの間別れたばかりの男だったりと、私がなかなか自分では体験できないような素敵な話題を提供してくれる友達がいてこそ、こうやって一年も続けていられるのだと思う。

 今日もつくづくそう思った。
 このところ、季節の変わり目に相応しき精神状態の乱調のままに友人2名と「今度集まろうよ」メールのやりとりをしていたところ、ついつい怪しげなことを書いてしまい、二人を混乱させてしまったので、そのエクスキューズとして、

> ずんまぜん。
> みやのさんは映画「ゆりいか」でちょっと変調をきたしております。
> あの映画は毒ですから見ないほうがいいと思います。

 というメールを書いた。二人に同じ文面つうかCCで。もちろん、この文の後には用件も書いてありました。
 さて、返事その1.

 へー、ゆりいかって、古い映画なの?
 どういう風にやばいのか今度教えてね。

 返事その2

 「ゆりいか」って、どんな映画?
 目玉なめるやつ?

 目玉をなめる映画ってなに?目玉切るのは「アンダルシアの犬」だがよ〜。
 君たちほんとにあたしの友達?
 まあいいや「ゆりいか」とひらがなで書いてしまった私も悪かった。それに、どうやらこの日記は読んでないようなので、書いちゃうもんね。
 (日記に登場したくない友達は、「読んでるよ〜」とマメに意思表示するのがコツ。読んでないとわかると登場させやすくなる)

 さて、昨日あたりが「春なのに〜なんかパっとしない気分〜ちょっと変〜ああ、こういうとき女に生まれてよかったとつくづく思うわ。男だったら下着ドロくらいやってたかもってくらい、ちょっと変〜」のピークでした。
 あまりにもネガティブは春ボケだったので、自分でもなんとかしないと辛いと考え、いろいろ手段を考えました。

 「もっと、楽しいことを考えよう」

 鬱々とした気分を吹き飛ばすような愉快なネタを探して、ちょっとインナートリップしてみましたです。
 そしたら、すごいのを釣ってしまったんです。もう、なんと例えたらいいのか・・・・九十九里で地引き網していたら、シーラカンス揚げてしまったくらいすごいです。

 「みよしえいじ

 どういう字だか一瞬わからなかったのですが、どうやら「三好英二」らしいです。「雨」という曲が唯一のヒット曲のはずです。♪雨に〜ぬれなが〜ら〜佇〜むひとがい〜る〜♪ 一応演歌歌手なんでしょうか?
 この名前って、どのくらいの年齢層に通用するのかわかりませんが、とにかく私は小学校低学年のころ、彼の大ファンでした。彼がテレビで唄っていると、母が「ほら!みよしえいじが出てるわよ!」と呼んでくれるくらい好きでした。

 さて、会社で思い出し笑いを必死でかみ殺しながらも「私って子供のときはどういう趣味だったんだろう?三好英二の顔が見たい!」と必死に検索したんですが、写真は見つかりませんでした。

 しかし、「そうだよ〜あのころは三好英二に夢中だったんだ・・・・・」という想い出は、私をいきなり「本当に春めいたボケボケ」に導いてくれまして、しばし幸せなひとときを過ごすことができました。三好英二は今はなにをしているのでしょうか?ああ、知りたい!

 というわけで、いきなり海底から飛び出して、イスカンダル目指してしまった宇宙戦艦ヤマトのように浮上してしまい、今日の午後は楽しかったのですが、その「しあわせモード」の中で、どうしてもデジカメがないとできない企画を思い付いてしまい、「やっぱデジカメは買おう」と決意。会社帰りに港北SCに寄り、まず靴売り場で靴を一足買い、家具売り場で机を見つつ、電気屋でデジカメを物色。ついでにパソコンもまじまじと見てしまいました。やはり画像を自在に操るとしたら、新しいマシンが欲しくなります。

 その為には置き場を確保しなくてはならない、やはりエレクターか無印良品だろうと、地下のMUJIに行ったときには、かなりの買い物モードになっていましたので、「そうだ、下着を買おうとしてたんだ!」とMUJIの下着をカゴに入れまくっているうちに我を失ってきて、MUJIの化粧品やらなにやら細かいものをカゴに気が済むまで入れて、レジに差し出したら1万7千円でした。

 デジカメは4万円くらいのを買う予定になってます。机と、棚を揃えたら、MDコンポ買って、そんでそんで予算が余ったらやっぱマシンかな・・・・今日はなんだかんだいってもつまりは「生活必需品」しか買ってないわけで(靴とパンツとブラとキャミソール)、このままテンションを高めていってなんとか贅沢品に流れ込みたいところです。
 
 買うぞ買うぞ買うぞ買うぞ絶対買うぞ・・・・・(マインドコントロール中)



3月14日(水)

 昨日のギャグはやっぱりなにも面白くないですよね?今日になって読み直すと、昔流行ったオールナイトニッポンの「悪の十字架」とか「よく出る幽霊がひぃぃという話」とか「犬をバラバラにした話」などを彷彿とさせるのだが、それにしては出来が悪いし、誰もおもしろいと言ってくれなかったので、「実はギャグのセンスが無いのでは?」と自問自答してしまったのだが、よく考えれば、元々それほどのもんでもないので、悩むことでもないのであった。

 さて、そんなこんなで、春の訪れを感じる頭の中であるが、こういうボケボケのときにかぎって、悲しいお知らせがあるものだ。
 呪いがかかったかのように行っていなかったヒップホップのクラスに一ヶ月ぶりに参加してみたら、先生が「私のレッスンは今月で終わりです〜黙っててごめんなさ〜〜〜い!」

 ががーん!苦節2年。やっと、10年前の稲垣吾郎くらいになれたと思っていたのに・・・・
 レッスン後の先生に「残念です〜、しばらく休んでしまって、やっと来れたと思ったら・・・・」と言ったら、
 「そうね。ごめんね〜。やっと慣れてきてくれたのにね〜」
 「そうなんです〜。やっと体が動くようになったかな〜と・・・」
 「そうよね、最初のころは隅っこのほうでこそこそやっていたのに、最近は前のほうにも出て来てくれるようになったのにね」
 心のBGMは当然「あおげば尊し」であろう。しくしく。

 はあ〜春は別れの季節でもあったのだなあ。あと、2回か、がんばるわ。

 悲しいお知らせでもないが、Aの働いていた「アメリカ資本のネットベンチャー」は大口出資者が撤退したので、解散になったそうで・・・・ナスダックがどうのこうのと言ってたが、さすがにアメリカさんは素早いなと感心。Aもほっとしたみたいだ。しばらくバージニアに行っていたK子さんがもう帰ってきたみたいで、今度は暖かいところに行きたくなってるようで、「バリ島に行こう」と二人で盛り上がっているようで、「一緒に行かない?」と言われたが、さてどうしようねえ?

 今の会社で働き始めて早2年。一度も長期休暇をとっていないな。休んでもいいんだけど、休むと稼ぎも減るからね。
 でも、このところ、会社でぼんやりすることが多くなり、まあ慣れてきたせいもあって気が緩んでいのだと思うし、こういうのが「三年目の浮気」というのかどうだか知らないが、「なんか別のところに行きたい」とかふと思ってしまうのであった。職場が嫌だとかそういうんじゃなくて、なんか「ここは本来あたしのいるべきところではない」という感じなのである。昨日のエアポケットもそういうキモチのバリエーションだったのだと思う。
 
 やはり、ここはひとつ南の島に行って、脳みそを沸騰させてきたほうがいいのかもしれない。nonoriko&MY組は現在タイに行ってるしなあ・・・・(イギリス時代の友人の結婚式に出席) 



3月13日(火)

 買い物強化週間であるので、またつい本を買ってしまった。前から気になっていたくもんのペーパークラフト「ブロントザウルスも来た。
 でも、これ・・・完成すると全長1メートルになるらしい。どこに置こうか?天井からぶら下げる?その前に完成させられるかが問題なのだが。

 さて、誰だかはあえて書かないけど、ここんとこ友人が壊れぎみである。それを笑っていた私も、ちょっと壊れてきたみたいだ。友人が壊れてきたのには一応、立派な理由があるのだが、私の「壊れた理由」っていうのは、やはり「あの、セピア色の映画なんだろうか・・・・?」
 さすがの「繊細自慢で感性がウリ」な私でも、30歳を半ばにして、そういう理由で「変になる」というのもちょっとなあと、恥ずかしくなっていたのだが、今日になって、「感受性がするどいごっこ」にも変化が訪れた。

 会社の階段を上っているときに、急にブルーになってきた。なんだかとっても悲しくなってきたのだ。また、「いなくなったあの人」のことを思い出してしまったのかしら・・・・と不安になる。誰もいない階段の踊り場でしばし一人で立ち尽くしていた。
 そして、頭の中から意外なメッセージが流れてきたのである。

 「もう、なんだか、生きているのが嫌になってきた。人生なんて、この先、おもしろいことなんてなにもないだろう・・・・・」

 なぬ?あれほど友達の自殺未遂を罵倒していたわたくしが、このわたくしに、なんと突然、自殺願望?
 しかも、勤務中である。別に上司に叱られたとか、片思いしていた男性社員が結婚するとかそういう事件もなにもない。いつもと変わらぬ、静かな職場であり、今日はいつもよりちょびっとだけ忙しかったので、ほどよく労働していたのに。

 しかし、その0.5秒後に、頭の中を次ぎのメッセージが電光掲示板のように流れた。

 「なんだか死にたくなってきた。ああ、もう死にたい・・・・・ああ、死に体・・・・」

 ・・・・・すごい、つまんないギャグだ。
 どうやら、朝のテレビで見た、国会答弁が潜在意識に残っていて、半日かけて、水面下でこういうわかりにくいギャグを考えたらしい。でも、これ、ほんとに実話で、「なんで突然死にたくなったんだ?」とマジに混乱したのである。

 それにしても、今朝まで私は「死に体」というのは「しにてい」と読むのだとばかり思っていた。「体裁」の「てい」ね。だから、その驚きとともに、森首相の「しにたいしにたいとおっしゃいますが、このとおりのけんこうたいで・・・」とかいうセリフが心に響いていたらしい。
 それにしても、だからって、それに刺激されて、会社の階段の踊り場で死にたくなってうずくまってたOLなんて日本広しといえども私だけだろう。と、なんの自慢にもならないが、要するになにがいいたいかというと、どうやらそのくらい壊れているということだ。
 前もちょっとゴタゴタしていたときに野中幹事長のインタビューで涙ぐむという奇行をしたことが記憶に新しいが、なんで、「永田町」に弱いのだろうか?というか、弱っているときに「永田町」がかなり作用するらしい。

 しかし、永田町でひとり遊びというのは、なんだかとっても楽しくないのですが・・・・・なんでなんだろう?
 
 というわけで、なんか壊れ気味なのは、結局なんでだろう?春だから?
 友達はちゃんと「女の業」ってかんじなのに、なんであたしのは「ヘボいギャグで命懸け」なんだろう?

 やり場のない悲しみが襲ってきたので(大袈裟)、プールで1時間も泳いでしまったことよ。(しにたいじゃなくてけんこうたい)
 



3月12日(月)

 かわりばえしない表現であるが、アンニュイな月曜日。
 しかし、それにも増して、「ユリイカ」の後遺症が残っているので、さらに茫洋。

 もう東京での上映は今月で終わりらしいけれど、ああいう映画は私のような「繊細な感性を持った感受性の強い少女の慣れの果て」には、重たいので、なにか指定してもらったほうが・・・・「感性のするどい方には、不適切な表現が含まれています」とかさあ・・・・

 というわけで、今日もついついいろいろ考えてしまったのだが、一番「おお!わたしってやっぱ感性がすごい!」と思ったのは、あの映画では役所広司がヘビー・スモーカーなんだけど、それは私の感性ではなくて別のところ(脳内のレセプターあたりかな?)をバリバリ刺激してくれたんですが、彼は煙草はやるけど下戸という設定だった。

 そんで、冒頭に出てくる兄妹のパパは、なぜかワンカップ酒を大量に机に並べていたし、昨日も書いたけど、兄妹の従兄弟はひっきりなしにビールを飲んでいたし、役所の兄もビールを飲んでいたし、役所の働く日雇いの事務所にいた女性も缶ビールを明るいうちから飲んでいた。
 でも待てよ、酒を飲んでた人たちは、誰もタバコを吸ってなかったような・・・・
 どうも、ビールを飲んでいるシーンが不自然だなあと気になっていたのだが、そうだよタバコがないんだ。そんで、酒を飲まない役所だけがずっとタバコを吸っているのだ・・・・・うう、きもちわる〜〜〜

 しかも、あれだけ「ここは九州!」と主張しているのに、焼酎は一回も出てこなかったような・・・・噂でしか知らないが、九州の人ってそりゃあビールも飲むだろうけど、焼酎もけっこう飲むのではないのでしょうか?うう、なんかなあ〜〜〜

 と、なにが感性だ、それは単に酒タバコに過剰反応しているだけですね。
 そんでね〜あと、やたら「食事シーン」なんですよ。けっこう「家族」がテーマでもあるようなので、「家族が集まるところ」として食卓を囲むシーンが多いのは仕方ないけど、なんかそれにしても多いぞ〜なんかなあ〜〜〜〜〜

 というわけで、「心の三半規管」が変に揺らされて、悪酔いしたままなのですが、いったいあの映画のどこが「癒し」だったのか、一日経過した今となっては思い出せなくなりそうだ(笑)もちろん、そういう「ぶっきみ〜」な雰囲気にふと「癒し」が挿入されるので感動するんだろうけど、私は特殊体質なのかそれとも元々あまり「癒し」を必要としていない「お気楽極楽」なので、「アンチ癒し」な場面ばかり頭にすりこんでしまったのだろうか?

 それに、私は「捨てられたヌイグルミ」というものを見ると、ものすごく暴れたくなるのだが、青山監督はそれをなぜ知っているのだろうか?
 枕もとに尖ったイガイガみたいな電灯をぶら下げたりぜったいにしないんだけどなあ。
 どうして、牛が放牧されたところでは日向ぼっこまでしたのに、「馬のりば」は通りすぎてしまったんだろうか?馬はきらいなのか?それとも単に有料だからか?
 シーズンオフの海辺に取り残された、閉店しているホットドッグ屋の外にウェットスーツがぶら下がっているのって、むちゃくちゃ怖くないっすか?
 だいたいあの兄妹の住んでる家が外見も変なんだけど、階段の脇の吹き抜けには、妙にすばらしいシャンデリアがぶら下がってて、カントリー風の家のくせになんでなんだろう?
 
 つうわけで怪我もしていないのに包帯を巻いたらかぶれてぐじぐじ膿んできたような気分になってます。やはり、鋭い感受性を持っているといろいろ大変だ。(しつこい)なにかこういう症状を癒すものはないのだろうか?「フロム・ダスク・ティル・ドーン2」かな?(爆笑)あれも「1」は、なんとなく「タランティーノ」だからという気分で見に行ってしまい、「うおお!いったいなんてもんを観てしまったんだ?」と頭を抱えたが、女友達が「最近、おもしろい映画なんかない?」と聞いてきたので、「どういうのが好きなの?」と聞いたら、「去年観たので一番よかったのが、フロム・ダスク・ティル・ドーンかな?」と、本当に真面目に言っていたので、びっくらした。たしか、気に入った理由が「一本の映画なのに二本観たような気分になった」といことだったが。

 さて、今日はとうとう近所の「大型ディスカウント電器店」に行ってみた。
 まず、MDコンポを拝見。おお、いっぱいある。ドキドキ。
 次にパソコンを拝見。やっぱ液晶モニターのデスクトップかなあ。だったら20万とちょっとか。ドキドキ。やっぱり新しいマシンなど買ったら、ついでに光ファイバーもひきたくなってくるじゃありませんか!
 さらに、デジカメも拝見するが、種類が多すぎてなにがなんなのかわからず。ハラハラ。
 DVDセットもいいなあ。ワクワク。
 
 なにせ鋭い感性なので(かなりしつこい)、大量の電化製品の並んでいるのを眺めているだけで、脈が速くなってしまうようだ。吊り橋効果で、店員に恋してしまいそうだったので、なるべく店員からは目をそらす。
 
 そして、その後は地下の生活家電売り場に行って、30分くらい悩んだ末にハンディタイプの小さい掃除機をやっと買う。
 そうそう、こういう小さくて安いものからこなしていかないとね。

 家に帰ると母から電話。「近所のアパートでかなりキレイな洗濯機が粗大ゴミに出ている」とのこと。キープしてもらうように要請した。



3月11日(日)

 ここんとこすっかり映画回帰しているので、浮かれて長編ものにも挑戦してみた。「ユリイカ」である。

 なにせ、3時間半という普通のハリウッド映画の倍の長さだ。最後に見た「長い映画」は「私は20才」とかいうロシア映画@岩波ホールだったと思う。いい映画だったが、後半の詩の朗読の途中で耐えられなくなりロビーで休憩していた。

 さて、長いということを別にしても、久々に「語り甲斐のある映画」を観たなと思った。
 ううむ。しかし、これって「面白い」というのかなんというのか非常に微妙だ。「絶対に観ておいたほうがいいよ!」と叫ぶほどではないが、だからと言ってそういう価値のない映画ということでもないんだけど・・・・難しいなあ。

 まず、全体的に「変なかんじ」の映像なのだ。キューブリックのファンなどにはこういう思わせぶりの画はたまらんだろう。
 セピア色のモノクロ画像なのだが、カメラのピントの合わせ方があきらかにオカシイ。部屋で数人が喋っているのに一番手前の人の指先にピントが合っていたりする。かといって、その指先にすごく意味があるかというと、なくはないのだがそれほどのことでもない。そういう画像を見せられると、観ている客はすご〜〜く不安になるはずだ。
 それに、風景を写していて、カメラが移動するときもわざとピントをずらすのである。目の悪い人はわかるだろうけど、コンタクトがずれたときや、水に濡れてしまったときにああいうぼやけ方をするのだ。なので、私は「ありり?あたしの目が変?」と何度か目をパチクリした。

 そもそも、冒頭のバスジャック事件のシーンが「なんとなくいつのまにか大事になってしまって、なにがどうというものでもないのだが、非常に暴力的」というイタくてかつキモチワルイかんじで、けっこう上手くやっているので、それが効果を生んでいるのか、あとで出てくる「意味ありげな映像」もなにかすごいことになるのではと期待してしまうのだ。

 そういう意味で、主要人物たちが抱える「事件によるショック症状」にわりと似たような感覚を観客も持てるように作ってあるのだと思う。普通の日常がもはや普通ではない感覚というものをカメラのピントやときおり明後日の方向に向いてしまう映像で表現していたのかしら。とかなんとか、そういうのを語るのが好きな人だったら一晩中語れるくらいの要素がぎっしり詰まっている。

 なにせ、役所広司が乗っているバンと路線バスが、なにげなくすれ違うシーンで、「バスだ、バスだ、バスとすれ違ってるよ!」とドキドキしちゃうんですからね。(あたしだけ?でもぜったいにあれは意図的でしょう。他にもなにげなく路線バスが走るシーンは多くて、その後にただの道路が写されてもバスが登場するのではと身構えてしまうのだけど、そういうときにバスは出てこなかったりして、すご〜〜〜く性格の悪い編集をしているはず)
 そういう「計算されつくしたように見える映像」とタイムリーな犯罪からみのストーリーが絡むわけですが、脚本もまあ良くできているとは思うのですが、どうしても映像の強さに関心が行ってしまうので、「重たいテーマ」というのが、その映像を引立てるために借りてきましたという印象を持ってしまった。(考えすぎ?)

 それでもキャスティングとしては文句がなくて、役所広司はやはり素晴らしいし、兄妹もよくやっているし、特に重要な役である妹はなかなかの演技。
 そういえば、カメラのピントだけでなく、録音的にも不安感を煽ることをしていて、雑音を上手に入れてセリフを聴き取りにくくしたり、訛りがわかりずらかったりして、「字幕いれろ〜英語字幕のある日に見に来ればよかったかしら」と思った。セリフがとぎれとぎれだと、なにか重要なことを聞きのがしたような気がしてとても落ち着かないんです。

 なので、「映画をタネに語りたい人」以外の普段はハリウッド映画しか観ていなくて、賞をとった話題の映画だからという理由で見に来た人には長いだけのキツイ映画だったかもしれないが、でもなんだか「怪しげな映像」と「きわどいストーリー」(けっこう後味悪いっつうか)と「素晴らしい阿蘇の風景」でなんとなく観れてしまうかもしれない。

 特に「阿蘇周辺の風景」は、世界に通用する映像になっている。牧草地にまばらにいる牛の画などは、あのど真ん中でU2がプロモビデオを撮っても私は驚きませんぜ。「馬のりば」もけっこうインパクトがあった。(単に私が動物好きなだけだが)ラスト・シーンの場所などは、もし行ったらかなり感激して私も貝をばらまくかもしれない。

 けっこう脇役が効いていて、役所広司の土方仲間とか、親戚に送り込まれてきた兄妹の従兄弟とか、わりと普通の人が逆に「変なキャラ」という雰囲気で登場してきてなごませてくれる。特に従兄弟が「こむずかしいことを言う生意気な大学生だけど見かけはジャニーズ系」という、現実にはいそうでいないキャラ(笑)で、そいつがなぜかチェックのパジャマ姿でゴルフの素振りしてたり、迷彩色のTシャツの上にフリルのエプロンをしていたり、常に缶ビールを飲んでいたりするんだよなあ〜なんだったんだあれ?不思議。

 うう〜ん、とういわけで、いろいろと面白い映画であったが、なんとも表現しにくいというか説明しがたいのだが、「アイズ・ワイド・シャット」を観て「ああいう、全編怪しげなかんじっていうのがいいよ〜」と言っていた友達あたりにはオススメかな。そういえば、「結局、女は強いのね」というあたりが似てるぞ。

 みんなあれを面白いと堂々と言っているのかな?そういう意味では、10年前に流行した「ストレンジャー・ザン・パラダイス」みたいな位置の映画だ。あの映画を
 「感性のリトマス紙」
 と、評した知人がいて、なるほどと思ったが、「ユリイカ」も鼻につくところといったら、なんかそんなかんじで試されているような気がするからだ。たぶん「つまんね〜映画」と評価するのは勇気がいるのだと思う。なので、ヒネクレ者の私などは「つまんねかった」と言ってみたいところであるが、そうでもなかったあたりが中途半端にきもちわる。だからつまりけっこう好きなんだけど、大きな声で「好き!面白かった!」と言いたくない妙な気持。ああ、この不安感も監督の計算のうちなのかと思うとすげえムカツク。

 今回の映画鑑賞は、山形ギャルのぷち・オフ会ということで、ぎょうこさんにお付き合いいただきました。(一緒に裁判に行くつもりだったが、あてが外れてしまったので、穴埋め企画)
 いや〜なんだか「同じ変な趣味」の方とお話すると、自分がとても「フツーの人」になったように錯覚できて、心地よいものです。
 というわけで、次回活動予告はとうぜんのことながら、青山ブックセンターでの3月19日ということになりますでしょう。私はもうサインは持っているので、次なる目標はなんなのでしょうか?ツーショット写真でも狙いましょうかね?ふえっへっへ・・・・ 先に言葉ありき。
 



3月10日(土)

 二日酔いと貧血でだるだるだったが、がんばって布団を干しつつ洗濯機もフル回転させていたら、電話。母上だった。なにやら爺様が「生前贈与」してくれるらしいのだ。数十ZDB(頭陀袋)なので、たいしたことないのだが、パソコンくらいは買えるはず・・・・・いや、別に今使っているので充分なんですが・・・・だいたい、パソコンのスペックと使っている本人のスペックがだいたい一致してるもんな。ハハハハ(自嘲)

 というわけで、小金が入るらしいので、いきなり制作してみる「買い物リスト」

 とりあえず、こんなもんかなあ。あと、そうだ  も欲しいなあ。そうしないと、ミニコンポを買っても置く場所がないのだ。現在、ただのラジオに成り果てているCDラジカセはテレビの上に置いてあるのだが。
 しかし、狭い部屋に家具を増やすのもあまりいいことでもないのだが・・・・と思ってしまうので、家具がなかなか買えない。

 そもそも、家具どころではないぞ!買い物ではないが、これもリストに入れておこう。

 先日、人と話していたときに「美容院でさあ、雑誌を勝手に置いていくのはいいんだけど、コスモポリタンとか置かれると、すっごくへこむんだよねえ」とか喋りつつ、「まてよ・・・そういえばここ数年、美容院に行っていないんだ」と気が付いた。記憶が確かなら、2年は行っていない。
 その間どうしていたのかというと、前髪はときどき自分で切っていて、後ろ髪(?)は結わいているのだが、長くなってきたらやはり自分で切っていたのである。もちろん、上手に切れるわけもないので、たぶんかなりガタガタなのだが、くせ毛が幸いして、左右が数センチ不揃いでもどうってことないのだ。ハハハハ、ざまあみろ(って誰に言っているのだろう)

 「買い物嫌い」もかなり自信があるが、「美容院嫌い」もかなりのレベルだと思う。なにが嫌って、鏡に向かって座っていると、後ろに立った美容師が髪の毛をいじりながら「どうしますか?」って聞いてくると、もう走って逃げたくなるのだけれど、ふつうの人はそんなことはないのだろうか?謎だ。とりあえず、結婚式までには美容院にも行きたいとは思っているけど、まあ私が花嫁なわけでもないので、花婿の姉など多少ぶさいくなほうがいろいろとバランス的には丸く収まるのではないかとへ理屈をつけて逃げようとしているのであるが、さあて。

 変人自慢はこのくらいにしておいて、今日はやっと中野の「アイヌ料理屋」に行く。
 きょうみさんが「かおるちゃんも来るって」とメールしてくれたので、「おお、5年ぶりくらい?」と会うのを楽しみにしていた。きょうみさんが北京にいたときに、同じアパートに住んでいた人で、ご飯を食べに行ったりとか、よく遊んでもらったのである。
 集合時間に中野の改札に着くと、さらにYとM子もいた。総勢5人になった。私以外は全員千葉県民。YやM子とは、いつも私がM子宅やきょうみさん宅に出向いて会っているので、そのメンバーが中野で集合しているというのにはかなりの違和感を憶えた。

 ギョウジャニンニクをはじめ、エゾシカのルイベとか、あとなんかイモの料理とか、名前がいちいち覚えられないのだが、けっこう珍しいけど、素材は素朴なお料理ばかり。なにせ5人もいるからけっこうの皿数が食べられてよかった。きょうみさんも「もっと近くにあれば、もっと来れるのに!」と嘆いていたが、たしかに片道2時間以上かかるのでなかなか来れないよね。

 これで「アイヌ料理」も制覇した。次なる目標は、「いのしし」なのだ。弟が食べたそうで「あれは美味い。なんで豚になっちゃったの?イノシシのままでよかったのに、と思った」とのたまっていた。次のシーズンにはぜひ食べてみたいものである。

 家具や家電製品など「形があって残るもの」は、なかなか買わないくせに、食事やライブや旅行などの「形はないが心に残るもの」(うわ、我ながらクサい表現)には金を惜しまない(比較的)というのは、なかなか風流な人生であるということにしておく。たった今そう決めた。でも、そうは言っても必要なものはちゃんと買わないと・・・・



3月9日(金)

 「今日の乙女座さんはパーフェクトな一日です!元気な挨拶を心がけましょう!」
 朝の星占いのコメントに「そうか、挨拶ね」と意気込んだが、会社に着いたらすっかり忘れてしまい、おかげであまりパーフェクトな一日にはならなかった。
 
 各局競ってやっている朝の星占いはけっこう好きである。ホイチョイ・プロによると、けっこうランク(今日一番ラッキーなのは?ってやつ)は、それぞれ似通っているらしいのだが、ある局のものだけが、かなり外れた評価をしているのだそうだ。
 ネットなどで、毎日それを並列して発表しているサイトとかありそうだなあ。

 というわけで、夕方にはまた体調不良が発覚し、慌てて家路につくという、冴えない一日になってしまった。パラパラもやむなくお休み。
 帰りにアンアンを立ち読みしたが、そこでリストアップされていた「強運」の持ち主というのが、当然、女優だったり歌手だったりするのだが、木村佳乃(よしのってこの字だったかな?)とか篠原涼子って「強運」なんだろうか・・・・・

 しかし、読んでいて、やっとわかったのだが、ここで謳われている「強運」というのは「運を自分で切り開く」という意味らしい。つまり「今日の乙女座さんはパーフェクト」なら、ちゃんと大声で元気よく挨拶して「運を呼びこむ」のが大事らしい。
 だったら「強運」じゃなくて「開運」と書いておいてもらえれば、私も読んでもいないものにグダグダ絡まなくてもよかったのに、と思う。

 ちなみにO型の私と相性が良い男性はB型。友達もB型がよいそうだ。男のB型についてはいろいろ恨みがあるので、あまり書きたくないけれど、前の職場も大学のサークルもなぜか「OB組織」だった。A型の割合が少ないのである。ほんとに10人中一人くらいしかいないのである。「B型のわがままにA型はついていけないので離脱していく」という説がまかり通っていた。たしかに元職場は社長以下、上司が皆Bだった。
「O型はけっきょくB型の奴隷なんだよ」と若いもんで酒を飲みながら、夜通しB型の悪口を語っていたので、どうしてもB型には厳しくなってしまう。

 友達でB型というとMちゃんなのであった。先日も「ハンニバル」の話をちらりとしていたら、
 「トマス・ハリスって結局・・・・・教養の無い人なのね」
 と、きっぱり言い切れるあたりが「ああ、B型だなあ」と思った。私だったらせいぜい「品がない」くらいしか言えないだろう。

 MちゃんのB型話をしようと思ったのではなくて、アンアン的には一番相性のいいはずの友人Mにヤボ用で電話をかけたら、また長電話になってしまい、しかも、また飲みながら喋っていたので、午前3時にはベロベロになっていたはずである。
 朝起きたら、足がふらふらしていた。お腹も痛いので貧血気味のせいもあるだろうけど・・・・



3月8日(木)

 今週はなんだかボケっとしているうちに、もう明日は金曜日なんだ。春だなあ〜と思っていたら、夜になったら雪がちらついていたりして、吐く息も白かった。

 明日発売のアンアンは「血液型」特集らしいが、まあそれはいいんだけど、「強運」つうのは、最近のキーワードなんだろうか?他でも見たような気がするんだけど。
 「強運」ってあまり自分では使わないなあ・・・「クジ運」というのは使うけど・・・・ちなみに私はクジ運が悪い。

 「運がいい人」というのは漠然としたイメージがあるけど、前にも書いたけど、それって結果論なので、「へえ、そりゃあ、よかったねえ、運がいいんだね」という話にはなるが、「じゃあ、私も見習って強運になろう」ということはない。

 そもそも、「強運」って具体的にはどういうことなんだろう?「強運」になって何をしたいのかなあ?だいたい、「この人が強運です」という強運のモデルって誰なんだろう?

 そういえば、昔、「すごい手相の持ち主」にお会いしたことがある。
 「この手相は秀吉と同じなんだ!」とのことで、拝見させていただいたが、中指から手首にかけて、ぶっとい線がまっすぐに下りていた。手首の皺と垂直に交わるような勢いであった。たしかにインパクトはあり、手相に興味のない人でもあれを見たら「立派な手相ですね」と言いたくなるであろう。

 ただ、「秀吉と同じ手相」というのが、いいことなのか悪いことなのか私にはわからなかった。彼が会社経営者だったら、それなりに使い道のある手相だったかもしれないけれど、その人は文筆業だったのである。そもそも、秀吉と同じ手相のくせに、文筆業などをやっていてはいけないのではないのかと思った。

 もしかしたら、彼には全く才能というものがないのに「秀吉並みの強運」だけで、そこまでのぼりつめたのかもしれない。私がお会いしたときには、立派なじいさんだったが、今まで特に生活苦に陥ったこともなさそうだし、二人の息子はすでに所帯を持ち、山歩きが趣味の奥様と悠々自適の老後で、しかも同世代のサラリーマンは皆ほとんど引退生活なのに、彼はバリバリ働いていたのである。

 65歳でも現役で働いていて、しかも好きな仕事をしながら普通のサラリーマンより収入は良く、家内安全。彼が死んだら、周囲の人は皆「いい人生だったね」というだろう。
 でも「強運」だったかというと、どうだったんだろう?

 ああ、そうか・・・わかった。「運のいい人」というと「幸せな人」と言い換えることができるが、「強運の人」っていうのが「超幸せ」かというとあまりそういうかんじがしないということなんだな。私にとっては・・・・だから女性誌の広告にそれが謳われているのに違和感を持ったらしい。

 では、今の世の中で求められている「強運」、そして、女性誌が提唱している「強運」というのは、何を最終目標にしているのだろうか?まっさか「天下をとる!」じゃないよね?



3月7日(水)

 なぜか午前中から目の中がゴロゴロしてきた。右目になにかゴミか睫毛でも入ったかなと、鏡を覗き込んでも原因を発見できず。しかも、使い捨てソフトコンタクトを今日新しいのに替えたばかりなのになぜ?
 保存キットを会社に持ってきていないので、はずすわけにもいかず、数百円を捨てたつもりで片目だけ捨てたら、視力がちんばになってしまうし、両方捨てたら仕事にならないし、ごろごろする目を夕方まで我慢した。夕方になったら涙が止まらなくなり、片目から流れる真珠のような(本人比)涙を「ああ、こういうときに出る涙って、誰もたどり着けない砂漠のオアシスのようだ」と、ハンカチで拭いながら、やっと就業時間。

 というわけで、せっかく久しぶりにヒップホップのクラスに出ようとしていたのにやむなくまたお休み。
 
 昨晩は、「ズタ袋」を連呼して、ブランド物など買えない憂さを晴らしておりましたところ、どうやら「ズタ袋」ではなくて「ズダ袋」が正しいようです。そういえば、そういうふうに発音していたような気もしますが、「ずた」にしているのはきっと私だけじゃないぞと思って、またGoogleで検索してみたら、やはり・・・・とくにここなんて「仏教の言葉です」とまで書いているのに「ずた袋」にしています

 漢字で「頭陀袋」って書くとは、今日の今日まで知りませんでした。なんか「ずたっとしている」からズタ袋なのだと思っていました。
 
 でも、また往生際の悪さを露呈してしてしまうのは、もうやめにして、「いや〜〜ん、そうだったんだ〜。知らなかった〜〜」で済ますことができれば、人生もっと有意義に時間を使えると思うのですが、しかし、どうも、そうもいかないので、やはり、負け惜しみのようなことを言ってしまうのですが、この「頭陀」の語源であるサンスクリット語は「ドゥータ」だと書いてあります。他でもやはり「ドゥータ」と書いてありました。

 するってえと、「ずだ」より「ずた」のほうが「ドゥータ」に音が近くないか?

 はあ、すっきりした。
 しかし、ずだ袋の語源が「頭陀行」だと知ってしまったら、もはや通貨などには使えませんねえ。記号はZDBで、なかなかかっこいいんですが・・・
 
 ところで、「HERMES」ってアメリカなどではどう発音されているのかという疑問にもメールをいただきました。わざわざありがとうございます。
 その方によると、店員さんは「はーみーず」って発音していたそうです。なんかギブミーチョッコレートな雰囲気になってしまいますね。つうか、それってそのまま「みーちゃん、はーちゃん」の「ミーハー」を順番代えただけですね(笑)

 別にエルメスに個人的な恨みはありません。ブランドで私が怨みを持っていたのは「ハンティング・ワールド」です。だって、ブランドのマークが「アフリカ象」で、「ハンティング」だなんて許せん!と、あれが流行していた当時、これ見よがしに持っている友人知人にくどくど説明して嫌がられていました。(象を溺愛しているので・・・・)

 と、横道に外れているうちに頭の中の裏番組で名案が浮かびました。
 多分、この夏、結婚会見のときの松嶋奈々子みたいな「白シャツ」姿の女性達が、この、私には「ずだ袋」にしか見えなかったバッグを肩からぶら下げて歩く姿を多数目にすると思うのです。(HERMESとでかく書いてあるわりには手ごろな値段なので、ギャル達が見逃すわけがない!ちなみに会社の女の子も「わ〜い!なにげに初エルメス?」と大喜びしていました)

 そんな女性(もしくは男子高校生である可能性も高い)とすれちがったら、こう思うことにしましょう。

 「きっとあの頭陀袋の中に入っているものが、あの人の全財産なんだ!」

 衣食住の欲を捨てた、厳しい修行「頭陀行」・・・・・後ろからそっと拝みたくなるはずです。

 それよりも、「あのバッグをドゥータってシリーズで展開したらどうですか?」と、企画したほうが楽しいかな?ほら、あのバッグの中にプチ・ムシロ(?)をくるくる巻いてさしておけば、どこで座りこむときにもオシャレじゃないですか?こじきルックみたいなのは、すでにずいぶんまえに大顰蹙を浴びながらもけっこう流行しましたから、21世紀は「ドゥータ」でしょう!
 
 「全ての欲望をふるい落としたあとに残る、本能が必要とするものだけを身に付ける。それが真の贅沢」
 とかなんとかで・・・・(我ながらヘタクソなコピーだ)けっこうMUJIと近いかもしれないけど、同じ品物でもMUJIを選ぶ人は最高でも2000円しか払いませんが、「ドゥータ」だったら、10倍の値段ですよ!ファッション界に新たな波が!!!

 さて・・・・と・・・・・これだけ、まくしたてれば、そもそも私がまた何を間違ったのかうやむやになるかなと思っただけです。
 



3月6日(火)

 昨日はなぜか、フェミニズムに鋭い切れ込みを入れてしまったが(バターナイフで)、今日はなぜか「経済学」である。

 会社の女の子がパリへ旅行する同僚に買い物を頼んでいた。「買ってきたよ〜」「わ〜い、やっぱかわいいじゃん!ありがと〜、いくらだった?」「カードの引き落としの後じゃないとわかんないけど、多分2万円くらい」

 え?その木綿のズタ袋が2万円?(日本で買うともっと高いようだ)だって、なんかいかにも貧乏な大学生の男の子がぶらさげてそうな・・・・・
 あたし、これを彼氏から誕生日に貰ったら、すっげく機嫌悪くなりそう。(でも、もう値段はわかったので大丈夫です。速攻質屋へGO!)

 ところで、また話しがぶっとびますが、このブランド名って日本だと「えるめす」って読むのが常識で「へるめす」って読むと、かなり馬鹿にされますが、英語圏でも「えるめす」って呼んでるんでしょうか?あれはどう考えても「H」が発音できないフランス人がおかしいのであって、アメリカ人がそれに迎合したりするとは思えないのですが・・・・・ましてやイギリス人が・・・・・

 というわけで、今日は私の頭の中での「通貨」は「ズタ袋」になっておりました。
 まず、最初に思い浮かんでしまったのは、「私が一日鼻水たらして働いても、1ズタ袋にもならない・・・・」という悲しい事実でした。

 ミヤノさんの日給=0.7ズタ袋 (低賃金が恥ずかしいのでやや見栄を張って上乗せしています)
 
 でも、私の得意技はポジティブ・シンキングです。そこで中学生レベルの数学能力を駆使してこう変換しました。

 ズタ袋が二つもゲットできるんだぜ!このさい、2色揃えよう!≒ ミヤノさんの3日分の労働
 
 なんだか、ただでさえヤル気もあまりなく仕事しているのに、さらにヤル気がしなくなり、「また、インドでも行ってこよっかな〜。前回は左回りだったから、今度は右回り」と、意味不明の計画を練ってしまいました。ちなみに前回行ったときには一ヶ月約2〜3ズタ袋くらいの経費がかかりました。

 さらに、部屋に帰ると、

 一ヶ月の家賃 = 4ズタ袋

 今となっては収入にしては割高な家賃なんですが(なにせ転職前よりも年収が100万円ダウンしてるので)それでも、がんばって他を切りつめて、歯を食いしばってなんとか支払っている家賃なんですが・・・・・もうこうなったら、家財道具もなにもかも捨てて、トラピスチヌ修道院に入って、クッキー作りに生涯を捧げようかと・・・・実はあのクッキーが子供のころからの大好物なのです。

 それにしても、ズタ袋で「生活レベル」を考えると、かなり暗澹とした気分になってきました。
 しかし、会社帰りに、ディスカウント電気店に入り、

 掃除機が壊れそうなんで、新しいの欲しいんだけどなあ = 0.4ズタ袋
 
 欲しいと思っていたけど、ちょっと高いかなと思ってたMDコンポ = 2.1ズタ袋

 へええ、液晶テレビってもうこんなに安いんだ。それに画像もきれいだなあ。もう少し我慢すれば、私にも買えるようになりそうだなあ = 7ズタ袋

 おお!ケチで買い物嫌いの私でも「いつも心にズタ袋を」持っていれば、なんだか高価な家電製品もほいほい買うことができそうな気がしてきました。

 それに、今日も帰りにスポーツクラブに寄りましたが、そこの月会費は

 スポーツクラブが一ヶ月行き放題 = たったの0.55ズタ袋

 なんですよ!毎日行ってもその値段なんです!

 そうかあ・・・もし、私がこの先、マンションでも買うことになったら、やはりズタ袋換算しておくと、物事の本質が見えて、冷静に判断できそうな気がします。3000万円のマンションが・・・・・1500ズタ袋・・・・・・???

 「1500ズタ袋」って、「3億光年」くらいわけわかりませんね。
 「3億光年というのは光が3億年かけて進む距離です」って説明されても、「はあ、そりゃ、気が遠くなりそうっすね」ですし、「1500ズタ袋というのは、毎日違うズタ袋で出勤しても5年以上かかる量」っていわれてもねえ(笑)

 というわけで、今日は「資本主義経済の本質をえぐる」つもりでしたが、「算数をする江川卓」程度になってしまいました。(なかなか高品質なダジャレだと思う。自画自賛)

 ちなみに、助手はかしお君でした。このくらいの算数は、かしお君がいなくてもできるようになりたいものです。



3月5日(月)

 AERAでネカマのユカさんという人が写真付きで紹介されていた。
 実は「性別詐称」とか「年齢詐称」とかに、かなり憧れているので、けっこう「別の自分」になって、出没してみようとか考えたこともあったのだが、どうもうまくできなかった。
 「女言葉」を封じると「お役所言葉」のようになってしまうのである。だいたい一人称で悩んでしまうし(私なのか僕なのか・・・)それに、どのへんが「女言葉」なのか書いている途中でわからなくなってしまい、「ですます調」ですら「女々しいかもしれない」などと考えすぎてしまい、書くのが面倒になってしまう。
 年齢詐称はさらに難しく、「どうせ、私の文章なんて、かなりブロークンなんだから、もう一ひねり!」と思っても、やはり本物のギャルの壊れ方にはなかなか勝てない。

 結局、悲しいことに「等身大の自分」でしか勝負できないのである。
 それはいいとしても、女性だけど「ネットでは男性で通している」という人はいないのかな?けっこう難易度高いと思うのですが。
 現実には「おなべ」というのか、テレビで見ていても「え?この人が女なの?」という方はいますよね。あういうのを見ると男性はどう思うのかなあ。でも、「ええ!?このキレイな人が男?あたしより全然いけてるじゃん!」ということはあるので、そういうニューハーフと同じようなものかもしれないですね。

 ええと、まあ、それはいいとして、なにが言いたいかというと、例えば最近行ってないけど「ゲイバー」とかに行くと、おかまさんの喋ってるのを聞いて、「へえ、そうか、あたしってこういうふうに喋ってるんだ」と納得したりする。そして、「溺れる魚」で窪塚君が女装していて、白いファンデーションが浮いていたりすると「そうか、化粧ってこういうもんなんだよな」と思ったりする。

 ううむ。どうもこういう話を文章で書くのは苦手なのだが、男性に模倣されると「女っぽい」というもの全般が「なんてはかない幻想の上にぎりぎりで成り立っているものなんだろう」と実感してしまうのだ。
 そして、「女っぽく」装っても、全く違和感がないとされているのが同じく「はかない存在」といわれるごく少数の選ばれた少年なのでしょう。1万人に一人くらい、10代前半のごくごく短い時期に「フリルのブラウス」を着ても、誰も笑わないという所為美少年がいるものだ。

 ええと、美少年の話をしたいのではなくて、要するに、男性に女性のふりとか真似をされると、「ほお、自分がやっているのはこんなことなのか?」と思うのだが、その逆ってあるのだろうか?
 私の思い付くかぎりでは、そういう例が思い浮かばない。タレントがメンズのスーツを着てきても、別に男性は「そうか、スーツってこういうことなんだな」とは思わないだろう。私が大学のころは自分のことを「僕」と呼ぶ女の子がけっこういたもんだ。あれは何の影響だったんだっけ?「エイリアン・ストリート」じゃないよなあ(笑)まあ、それだけでなく、女の子が「男のような乱暴な言葉を使ってる」というのはホントだろう。

 「だってよー、あのセンコーむかつくじゃん?ちょっとこの話してーから、お茶しよーぜ!」
 
 この例文はすでにかなり古いような気もするが、私の世代ではすでにこのくらいの男言葉は使用していました。
 でも、喫茶店でこんな口調で会話している女の子たちの隣のテーブルで、「はあ、俺の言葉使いってこれなんだよな」と思っている男性がいたとは思えません。

 もちろん、こんなこと考えてるのは自分だけかもしれないのですが、でも、例えば銀座の交差点でミニスカートをはいたオジサンが立っていたら、私だって「いったいなんなんだ?」と振り返るでしょう。でも、どんなブスだろうかデブだろうが、女性がスカートをはいていれば誰も気にしないのに、男だとなぜおかしいのか?その理屈がよくわからないので、「そもそもスカートというものが不審なのではないか?」と考えたくなるということです。しばらく前にコギャルが大きな造花を頭に飾っていて、あれがすごく変だと私は思ってたんですが、あれをもし男子高校生がやっていたら、「うわあ!なにあれ!」と叫びそうですが、要するに「でかい造花」が変だったと私の美的感覚では思ったのです。

 「真吾ママ」が微妙に変なのは、あの服装は女性がやってもかなりグロいはずというか、かなり女性受けしないコスプレなはずなので、それを香取慎吾がやっていると、一瞬女装だから変なんだと思い込んでしまうのですが、そうではないのがすぐにわかるので、ほんとの専業主婦も安心して観られるのではないでしょうか?あれがリアルな奥様の格好で髪型だったら(髪型のほうが嫌みがキツイ)、あまり愛されなかったと思うのですが・・・・

 昔は女性がズボンを履くなんていうのが同じようなインパクトを持っていたのでしょうか?
 そういえば、最近は成人男子もよく短いズボンを履いたりするので、年配の方には評判悪いみたいですが、この調子でいけば、「男性のミニスカ」というのも数十年後には出現するのかもしれません。タンクトップの男性はすでに多いので、「シュミーズ・ドレス」あたりまではもうちょっとでしょう。(書いていて目眩がしてくる・・・・やはりドレスってやつは、それ自体が変なのかもしれない・・・・・)

 会社で若い男性社員が勤務中にマニキュアを塗り直したりしていて、女性上司がそれを愁うくらいの時代になれば、私もこんなことで微妙に悩まなくてもいいのだと思いますが、そういう時代になりそうな気もするし、絶対にならないような気もするし・・・・

 ううむ、やはりこういう話になると歯切れが悪くなるようだ。

 でも女性のファッションの流行って、最初は10代、20代だけだけれど、必ず終盤になると40代くらいにも取り入られて、その後急速に終わるという法則があるけれど、前にも「若い子が飽きてきて、終わりそうだからオバサンが着ても許されるのか、オバサンが着ているのを見て若い子がや〜めたと逃げるのか、どちらなんだろう?」と議論があったような気がします。
 私は後者(おばさんが着てるのを見て若い子が離脱する)を支持したいのですが、だって、あんなに評判悪かった厚底靴がわりと長生きしているのは「年配の人が挑戦しにくい」からだと思ったから・・・・「パステルカラーのモヘアの半袖ニット」などは、この冬すでに50代くらいまでいきましたから、そろそろヤバイはずです。来冬は「お母さんたちの普段着」になっていると予想されます。

 ええと、だからですね。話が全く外れてしまいましたが、私が強烈に気に入らないあの男子高校生がいまだにやっている「制服のズボンずり下げパンツ見せ」も、ぜひ国会あたりで流行してもらえれば、あっという間に若者はそっぽ向くと思うのです。特に森首相あたりにリーダーの資質を発揮してもらいたいですよね。
 あのファッションはもともとスケボーから来ているようですが、本家本元の西海岸だって、一夜にしてやめると思いますね。あの服装になにか意味があるとしたら、ステューシーももうちょっと他で工夫しましょう。
 ついでにチカゲちゃんあたりが、「ルーズソックス」でばっちりキめてくれれば、まだしぶとく残ってりうルーズにもトドメがさされると思います。(ルーズに怨みはないが、夏は暑苦しいから嫌い)

 そのくらいやってくれれば、支持するんだけどなあ。

 ああ、なんでこんな話になってしまったんだ!
 



3月4日(日)

 Aが泊りにくると、ついつい遅くまで話し込んでしまうが、昨晩も3時くらいまで寝ながら話していたと思う。お昼前に起きて、雨なのにがっかりしつつ、3日の日記を書いていたらAも起きてきたので、コーヒー飲みながら、またつらつらと語っていたら、突如Aが変なことを言い出した。

 「なんかさあ。目の端っこのこのあたりに、点滅するパルスが見えるんだよね」
 「なにそれ?」
 「医者に言ったらね。それは視神経の信号なんだって。網膜がだめになっているから、そのパルスがそのままの形で見えてるらしい」
 「うわ!な・・・・なんか・・・・サイバーパンクじゃん!」

 そのパルスは心拍と連動しているらしくて、お風呂に入ると激しく点滅し、静かな音楽を聴くとゆっくりになるらしい。
 なんだかロボコップの視界のようで、ちょっと羨ましい。
 
 「それは、自分の心拍だけじゃなくて、目の前の相手の視神経のパルスを傍受して、自分の視界に投影するとかもできればかなり使えるのにねえ」
 などと、ついつい他人の病気を面白がってしまうのであった。

 そうこうしているうちに雨も上がっていたので、ブツの受け渡しにAを護衛にしたがえ、下北沢へ。
 香港みやげのMonkey Pickの鉄観音を頂戴する。ついでに(笑)4時間も喋っていた。

 話は飛ぶけど(昨日、今日は喋りすぎで加熱気味だ)、先日、読者の方から「持ち蒔きについて陰陽道で解説しているサイト」を教えていただきました。ありがとうございます。
 さっそく「なぜ餅蒔きを行うのか」というくだりを探していたら、その上に「なぜ丙午の迷信はおこったか」という記述を発見する。餅投げも重要ですが、「丙午」はそれ以上に、重要です。なんせ、1966年生まれですからね。生まれつきの丙午なんです。

 そこには、衝撃の事実が・・・・・

 八百屋お七は丙午の女だったのか?

 それで、今日、そのことを4時間喋っていたときにあとの二人に話したら、二人とも「そうだよ」と知っていたのでした。知らなかったのは、当の丙午な私だけだったんですね?もしかしたら、自分にとってあまり愉快な話ではないので、得意の「自分にとって都合の悪いことはきれいさっぱり忘れる」という技を使ったのかもしれません。(ああ、また己の無知を素直に認められない悪い癖・・・・)

 しかも、そこには、

 丙午はまさに火をそのシンボルと致しますので、放火というのは至極当然の帰結かもしれません

 という、まるで人を放火魔と決め付けたようなコメントが・・・・・こうなったら、やはりこの私が清明神社などに火を付けにいかないといけないのでしょうか?

 と、不穏な発言はさておき、「八百屋お七」というのはごく最近私の中で流行したキャラでしたので、なんだかシンクロニシティーだわとか言っている場合ではなくて、 もしかして、ライターでちょこちょこ火を付けていることで、いままでその「放火願望」が封じられていたのであって、このまま「ファイヤ〜〜」な欲望を抑圧していると、そのうちにこの私の手で東京を火の海にしてしまうのかもしれない! 

 そ・・・・そういえば、Mちゃんの今年ひいたおみくじは、「あなたが原因となり世界が火に焼かれる」というような不気味なとこが書いてあったそうで、私はそれを聞いて「Mちゃんの言葉にキムくんが怒ってミサイル攻撃してくるとか?Mちゃんのせいで第3次世界大戦?」と他人事で大いに盛り上がったのですが、ひょっとしたら、火種を作るのはMちゃんかもしれないが、直接火を付けてまわるのは、私なのかもしれない・・・・・・ああ、もうMちゃんとは世界の平和のためにも会わないほうがいいのだろうか・・・・

 というわけで、現在、東京の世田谷区には、「火種」と宣告されたのと「火に飢えているらしい」と自分で思いこんでいるのとで、計2名の大変危険な「丙午の女」が棲息しています。近隣にお住まいの方は、備えあれば憂いなしだと思います。(別に耐火金庫会社とか三角バケツ会社などとは結託したりしてません)

 ちなみに、現実の私はライター程度の小さな火以外、火全般が苦手で、マッチ擦るのも苦手だし、花火は見ているのは好きですが、手で持つのが苦手なくらい、火に対しては臆病です。花火師の家に生まれていたらグレていたと思います。
 キャンプファイヤーなどでも火の粉が風で飛んでくるとダッシュで逃げていました。火の粉が降ってきても平然とフォークダンスを踊っている他の生徒は「そんなに異性の手を握っていたいのか?」と心の中でいわれのない中傷をされていました。

 野外レイブなどでは、けっこうたき火が休憩場所になるのですが、どうしても火の側にいると挙動不審になってしまうし、リラックスできないので、自分では「かなり獣な奴」だと思っていましたし、たて穴式住居の時代に生まれていたらストレスで神経衰弱になっていたかもしれないとか思っていたのですが、それは実は火が怖かったのではなくて「放火魔な本性」が火を見るとムクムクと沸き上ってきて、それに脅えていたのかもしれません。



3月3日(土)

 やっと念願の「あんこう鍋」
 去年くらいから「あたしは、あんこうが食べたい。あんこう。あんこう」とT君に暗示をかけていたら、彼がたまたまテレビを観ていたときに、西麻布の「土火土火」という店が紹介されたそうなので、私もあんこうといえば神田の「いせ源」しか知らなかったので、「じゃあ、せっかくだからオサレに西麻布にしよう!」と決定された。(T君がデートや仕事で使える店を探すのに協力するという使命があるのだ!)

 しかし、彼が市民マラソンに出場するというので、日程がその後ということになり、やっと雛祭りに決定した。
 Aを誘ったが他に用事があるというので、Mちゃんが参加。

 インターネットで調べたら「土火土火」はけっこう有名な店のようだった。びすとろだるぶるの経営だそうで・・・・
 狭い路地にひっそりとある民家のような作りの外観。格子戸を開けておそるおそる入ると、すっかり田舎屋な内装。テーブルにはきちんと白いテーブルクロスがかかり、接客はフレンチ風でちょっと大袈裟だけど、それは私たちが「居酒屋」なものを期待してやって来てしまったので、フレンチだと思えばまあまあ気取りのない普通の接客。

 「な・・・なんか、おしゃれっすね」
 「ふむ・・・・でも、この内装。ぜったい女性うけするでしょう。2階は個室なんですか?」

 個室というほどのものでもないらしいが、一応6名くらいで使えるスペースもあるらしい。
 初めてのお店なので、料理の量もよくわからいので、「あんこう鍋はどのくらいのボリュームなんですか?」と聞いたら、「ええと、あんこうのひれの部分が4切れに・・・・・」説明細かい。聞けば聞くだけ親切に教えてくれるので、けっこう3人でわいわい「これは何?あれは何?」とやっていてやっとメニューが決まった。

 それがね。どれも美味かったんですよ。
 特に絶品だったのが、「牡蠣のピザ」店長さんらしき人が「もう季節も終わりなんだけど、それがお勧めなんですよね〜」とわりと控えめに言うので「ほんと〜だろうな」と彼を試すつもりでオーダーした。ピザ一切れに牡蠣が一個づつ載っているので、とても食べにくかった。私が特攻隊となり最初に「バンザイ」と食べて、「あふふふふふ・・・・・・」

 「熱い?まだ熱いんだ?」 
 「あふいへほ・・・・ほほほほ・・・・ほいひいほ・・・・・・」(熱いけど、美味しいよ)

 あんな美味しい牡蠣はこの冬初めて食べました。他の人たちも「うまい」と絶賛。横でその様子を見ていた店長も「カツオも初鰹より戻り鰹のほうが油がのってますが、牡蠣もこの時期のほうが火を通してもふっくらしているので、加熱する料理だったら今の時期ですよね」などと話してくれたので、ありがたく拝聴する。

 どうもその後、続々やってくる客はカップルが多いので、店長は主にうちのテーブルで講釈をたれていた。まあ、うちらがいろいろ聴きたがっただろうけど・・・・

 あと、自家製パンが美味しくて、それにハーブを加えて加熱したオリーブオイルをつけると、もういくらでも食べられそうでした。

 最後に「あんこう鍋」
 T君もMちゃんも「食べたことがない」そうですが、Mちゃんは昨晩も朝まで飲んでしまって体調がイマイチだったそうで、「今日はやめとこっかな」と思ったみたいなんですが、その飲み会にいた人に「明日、あんこう鍋食べに行く約束をしているんです」と言ったら、けっこうグルメなその女性が「あんこう?いいなあ〜おいしいのよね〜食べたいわ〜」としきりに羨ましがっていたので「彼女がそれほど言うのだから、これは食べておいたほうがいいようだ」と無理して来たようなのです。

 「いせ源」に比べると上品なお鍋でしたが、骨の部分はないし、あん肝も入れてあって、軽く火が通っていて、かなり「女性好み」なお鍋でしたが、やはりあんこうは美味しい。鍋は2人前にしたのですが「ぞうすい」は3人前にして、たっぷり食べました。

 お料理のボリュームは少ないのですが、どれも工夫されているし、静かで落ち着いた雰囲気の店内、ほどよく薄暗い照明、感じのいい接客で、
 「T君、これはぜったいに女の子が喜ぶ店だ!使えるよ!」
 と太鼓版を押しておきました。ちなみに、お会計は3人で18000円くらいでした。ワインを1本飲んでます。

 なんか変なグルメガイドになってしまった。だって、ここんとこあまり外食していなかったので、久々に外で食べたから浮かれているのであった。これで「あんこう」もクリアしたし・・・・・去年の「ジンギスカン」に続き、今年は「あんこう」そして次なる目標は「アイヌ料理」なのであった。(すでに「連れてけ〜」と熱いラブコールを送っている)

 夜は結局、他で飲んでたAがうちにやってきた。
 まだ目のほうは病院を替えて検査中で、医者の会話やカルテを覗きこんでAがいまのところこの病名ではないかと言うのが「黄斑円孔」
 この病名が書かれたメールを見て、「三国志の登場人物のようだ」とつい思ってしまった。
 まだまだ検査結果が出るのは2週間後だそうで、その間にも他の検査もあるようだけど、目の異常のほうは本人もかなり慣れてきたみたいで前のようには気にならなくなってきたようだ。
 要するに見えにくいほうの目を使わないで、見える方をきき目にすることになったようで、でもいまだにそれに慣れないのか「目を使う仕事していると頭痛がしてくる」そうだ。



3月2日(金)

 昨日の夜に、「龍舞」(三茶でもっとも美味いと評判のラーメン屋)の「辛味噌ラーメン」(真っ赤なスープに白髪ネギたっぷり)にニンニクのすりおろしをスプーン3杯入れて平らげたら、朝起きたら、もの凄くニンニク臭かったが、咳はピタリと止まっていた。唐辛子とネギとニンニクの威力は凄い。

 やっと体調がよくなったので、今日こそスポーツクラブ。一週間ぶりだ。まだ筋肉痛なんだけど。
 先週「来週はアニパラでキャッツ・アイです」と予告されていたので、どうしても行きたかったパラパラレッスン。友達が時々カラオケでキャッツ・アイを唄うから、サビの振りだけでも習得しておこうと思ったのである。

 しかし、パラパラの前に股関節の筋トレマシンをちょこっとやったら、筋を違えてしまい(左足の付け根)、しかも左側の腕の付け根も痛い、左側だけボロボロなのはなんでなんだろう?やはり、一生懸命鍛えているつもりでも、どうしてもバランスが悪いのかな。

 それにしても、今日のレッスンの客は女性が私を含めて6人だったのに、男性が10名もいた!だんだん男性客が増えてくる・・・・しかも、自分のことは棚に上げてから異空間に転送してしまうが、金曜の夜にこんなとこでこんなことやっている方々は当然とても個性的な方々で、その方々が10人くらい固まって踊ってる姿は、またまたサイコーのエンターテイメントだ。

 しかし、楽しく踊っていたら、足の具合はかなり悪くなり、ロッカーに戻ると「あ、足が上がらない・・・・」パンツ脱ぐのが大変でした。

 久々のスポーツクラブはなんだか春めいていました。いまごろは新会員が多いし、時期的に学生が多いので、常連の男性達が一生懸命話かけているみたいです。そういう季節なんですね。がんばれ〜(自分の発情期があっという間に終わってしまったので、すでに余裕の他人事)



3月1日(木)

 風邪が全然よくならない。ますます咳がひどくなる。
 隣の課の男性は、ものすごい勢いで一日中洟をかんでいる。「ビーーーーーーーーーー」と一回の音がとても長い。それが3日ほど続いているので、今日はついつい、
 「○○さ〜ん、そんなに勢いよく洟かんでると、脳みそが全部出ちゃいますよ〜
 と声をかけたら、
 「そんなこわいこと言わないでよ〜かんべんしてよ〜」と言われた。おどかすつもりではなかったのですが・・・

 もう3月なのか。
 このページを始めてから、もう1年というかやっと1年になる。
 いつも言っているが、こんなに長きにわたって日記をつけたことは、未だかつてない。最長記録更新中なのである。

 そして、別に最初から日記を書こうと思って作ったHPではないのだけれど、成り行きというかなんとなくこういうことになり、よかったなあと思うのは、こうして日々の出来事とか雑感とかを書き留めてみると、短期的にはたいしたことも起こらないし、かなりミニマルなんだけれども、長期間で観察してみると、けっこう山あり谷ありではないですか。

 よく「年をとると、だんだん一年が短く感じられる」といいます。
 ある人が、「それは1歳の子の1年というのは人生の100%だし、2歳の子の一年は半生だし、10歳のときの1年ていうのは人生の1割だけど、50歳の1年はたったの2%になっちゃうという仕組みなのよ」と言っていて、なるほど1年の長さは若かろうが年取ってようが同じはずだけど、全体に占める割合が違うからなのかと妙に納得しました。年収3000万の人と300万の人では「100万円」という金額の重さが違いますもんね。

 でも、そうは納得しつつも、自分に関していえば、「でも、あっという間の一年と言っても、胸に手をあててゆっくりじっくり考えてみると、けっこういろんなことがあったことを思い出すはずだ」と信じていたのですが、こうして書いて保存しておくと、「やっぱ、なんだかんだいっても、充実していたかどうかはともかく、いろいろあったことは確かだ」と思うわけです。それにだいたい、「充実した一年」なんて送ったことないし、この先送るつもりもないので、これでいいのです。

 ふと、今思い付いたのですが、最近流行の「片づけられない症候群」とかいう、部屋に大量のゴミを放置しておく人が増えているということですが、私もそのケがないとは言えないので、ひょっとしたらあれは「私はこれだけ、飲んで食べて買ったのだ」という証拠を残しておくとなんとなく安心するのかもしれません。生きている証ってやつ?
 ああ、そうか・・・・あたしはここに「廃棄物集積所」と名づけたのでしたっけね(笑)ひとつひとつはホントに「ゴミ」でも、それを集めておくと、それはそれなりに意味を持つと・・・・・

 現実にゴミは溜め込みたくないですが(部屋狭いし・・・)、ふと、こういうのを思いつきました。
 
 まず、ビール会社にスポンサーになってもらって缶ビールを支給してもらい、私が毎日それを飲みます。それで、空き缶をどこかのスペースの壁にびっちり並べる。イメージとしては、ウォーホールの「キャンベル缶」ですね(笑)
 日が経つごとに壁がだんだん埋まっていくんです。私も壁を埋めるために、毎日頑張って飲むわけです。
 飲み甲斐がありそうですねえ・・・・週に一回くらいは、会場に来たお客様と一緒に楽しく飲みながら空缶を増やすという企画もいいですねえ。ただ単に「自分が一年で飲んだ量っていったいどのくらいなんだろう?」と思っただけなんですが・・・・

 あ、一応これは「アートな企画」なんですが、私が思い付くくらいだからもう誰かがやっているかもしれません。
 別にスポンサーはビール会社じゃなくてもいいのですが、やはり缶のほうが並べやすいので、ワインじゃねえ・・・・チューハイなら大丈夫かな?

 もしくは、自分の酒量を細かく記録して、それと同じ量を水槽に入れてその中で泳いでみるとか・・・・まさに「酒に溺れる」。その様子をグリーナウェイに監督してもらってドキュメンタリーにしてもいいですね。(単に「数に溺れて」からの連想である)
 ええと・・・・一日にがんばって1リットルで、1年で365リットルか・・・・そんなもんか・・・・・それじゃあ泳げないですね。365リットルという分量が想像できないのですが、洗濯機が30リットルくらいだから、せいぜい大きな風呂くらいかな?なあんだ、わりと飲んでないもんなんですねえ。安心しました。

 でも、それが一生分だとプールくらいになるものかなあ?
 死んだ後に、天使でも悪魔の使いでもどっちでもいいですが、「ほら、これがあなたが一生に飲んだお酒の量です」って見せてくれないかしら。そうして、その池のほとりに座ってしんみりと人生を振り返っていると、いつのまにか隣に神様だか閻魔様がいて、「生まれ変わったら何になりたいですか?」と聞いくれたら・・・・・うっかり「肝臓が丈夫なら、なんでもいいです」と答えてしまいそうだ。

 なんだかまた話しが外れてしまいました。でも、少し調子は戻ってきたみたいだな。ちなみに本日は休肝日です。


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