平和ツーリズム − 戦争責任を訴え平和を創り出すまちへ

被爆した電車が現役で走る国際平和文化都市広島

「広島」は、何と行っても原爆ドームが有名ですが、平和公園のレストハウスや旧日本銀行広島支店など、被爆建物が保存・活用されています。また、広島電鉄(広電)では、被爆した650系の4車両が今でも活躍しています。ラッシュアワーで、電車やバスの中で被爆した人も多くいました。関係者の必死の努力により、3日後には、天満町・己斐間の運行が再開されました。動き始めた電車の姿は、打ちひしがれた広島市民のこころに希望を与え、市民の足として広島の復興を支えてきました。

1912(大正元)年の開業以来、90年以上の歳月が流れています。1960年代にはモータリゼーションの台頭で、廃止論が高まりましたが、その危機を乗り越え、最近では、環境問題に対する意識の向上で、路面電車が国内外で見直されています。また、観光資源としても着目されています。広電は、「動く電車の博物館」とも言われ、京都や大阪、神戸、福岡で活躍していた車両が、広島で第二の人生を送っています。

 被爆車両

広島市の平和資料館では、インターネットを利用して全国から広島を訪問する学校の平和学習を紹介しています。鶴を折りながら亡くなったサダコの生涯を通して原爆が投下された時代が分かりやすく紹介されています。また、『21世紀サダコストーリー』は、サダコの像を見た現代の女の子がサダコの生涯を疑似体験するものです。サダコの気持ちや平和について考えながら折られた鶴が、学習の一環として全国から広島に届けられます。その折鶴を展示するケースがサダコの像の周囲にできました。

原爆実験のターゲットになった広島の相生橋

戦争では、攻撃目標をターゲットと言い、イラク戦争でも軍事関連施設が集中的に空爆に合いました。広島の原爆ドームの近くに運命的な形状をした相生橋があり、ターゲット(Target)の頭文字であるT字型をしているために、原爆投下のターゲットにされたと言われています。荒井信一著の『原爆投下への道』(東京大学出版会1985年)によると、ドイツという原爆投下の目標を失ったアメリカは、日本の17都市を候補として選びました。絞込みの条件としては、軍需産業が集積していることや、原爆が威力を発揮しやすいように山に囲まれていること、原爆の効果がわかりやすいようにそれまでに空爆をあまり行っていないことなどです。そして、京都、広島、横浜、小倉の4都市に絞られましたが、京都には歴史と文化があることからスチムソン陸軍長官の強い反対で、京都が目標都市から外され、長崎が追加されたそうです。

 広島の原爆ドーム

の歴史を記憶し、平和を創る

第二次世界大戦から約50年後の1990年代に入り、世界各国で新しい動きがでてきました。20世紀イタリアでは、独裁者ムソリーニの故郷であるエミリアロマーニャ州のプレダピオ村では、ファシズムによって自由が制限された歴史的事実を通して、民主主義の大切さを訴えようと、負の歴史的遺産を平和教育に生かす動きあります。一方、極右政党が支持者を増やし、ムソリーニを信奉する多くの旅行者も訪れているそうです。

1993年にスティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』が人気を呼び、1994年3月にチェコのスビタビ市に、ナチスから迫害された1200人のユダヤ人の命を救ったオスカー・シンドラーをたたえる記念碑が生家の前にある公園に建てられました。海外からの旅行者も訪ねるようになったそうですが、地元では、チェコ併合による傷が癒えず、ドイツ人のシンドラーに対する評価は、けっして高くないようです。

1995年10月1日、終戦50周年の年に「岡まさはる記念長崎平和資料館」がオープンしました。その前年に他界した岡正治氏は、1960年代から「日本の戦争責任・加害責任」を訴えた平和活動家です。岡氏の遺志を継いで、主婦、教員や学生、会社員や退職者などがボランティアで集まり運営しています。2003年5月にはNPOの認証が得られました。2000年8月には、中国の南京にある「侵華日軍南京大屠殺偶難同胞記念館」と友好提携し、日本軍による南京大虐殺の歴史を紹介しています。

ドイツのミュンヘンに宮廷ビール醸造所を意味する「ホーフブロイ」というパブがあります。地元の人たちはマイ・ジョッキを傾け、生演奏を聴きながらソーセージをつまみにワイワイ・ガヤガヤ、とても楽しくやっていました。かつて、ヒットラーがしばしばこのビアホールに人を集めて演説を行っていた話は有名です。『わが闘争』によると1919年の秋に、ナチスの前身であるドイツ労働者党の最初の大集会がここで開催されたそうです。

ドイツではネオ・ナチ台頭の動きもあり、加害者としての意識は、時代と共に薄れていきがちです。日本でも負の歴史を見ることを避け勝ちで、人々の関心が日露戦争に集まったり、戦国時代があこがれの時代になったりしています。負の歴史を残しながら、平和を創る活動について考えたり、担ったりする平和ツーリズムに関する検討が必要です。

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