食文化ツーリズム − 農村や漁村の魅力を伝える

日本人の意識改革が待たれるアグリ・ツーリズム

1990年代に入り、バブル経済が崩壊して企業はリストラを進め、地球規模の環境破壊や、人よりも車を優先した都市開発への失望から、なつかしい原風景を希求する動きがでてきました。会社を止めて農業を始めようとする人が話題になり、農業体験によってまちづくりをする取り組みも始まりました。アグリ・ツーリズムは、1962年、ECの共通農業政策の発足により、農業保護の価格政策が限界になり、農業経営を支える副業として取り組みが始まりました。

都市と農村を限りなく近づけ、農業を楽しむバカンスを奨励するものですが、国境を接することによって外国から流入する旅行者も受け入れることによって、洗練されたホスピタリティも培われました。宿泊施設や食事も一流、家族と一緒に最高のクオリティライフを味わいながら長期休暇を楽しめるのがアグリ・ツーリズムです。このツーリズムは、女性が担い手になっていることが特徴で、津端修一は、『現代ヨーロッパ 農村休暇事情 続・生活小国からの脱出法』(はる書房 1994年)の中で、「このシステムは、サービスも施設水準も、清潔で家庭的で、ホテル以上。ルームメーキングも、洗濯も、朝食もいっさいを奥さん、お嫁さん、子供さんで処理して、男性は関係なし。とにかく、女性専業で取り仕切って、雇い人なしが原則です」と述べています。

社団法人日本ツーリズム産業団体連合会は、2002年から「秋休み」を提案しています。なかなか長期休暇を取得することが困難な日本のビジネスマンですが、都市生活者が農業の収穫を楽しみ、農業を支援することによって、国際的に競争力のある農業を再生させることが望まれます。ヨーロッパから30年ほど遅れを取っていますが、アグリ・ツーリズムによって地域が元気になるためには、長期休暇に対する社会システムと意識改革が待たれます。

日本にも根づき始めたワインツーリズム

1980年代初頭に、オーストラリアがいち早くワインと観光を結びつけて観光客の誘致を始めたと言われています。その後、アメリカやニュージーランド、イタリアなどが力を入れ始め、フランスでも南仏を中心に観光客誘致に力を入れるシャトーやドメーヌと呼ばれるワイン製造施設が増えてきています。日本でも観光施設を併設するワイナリーが100以上あり、見学、試飲、お土産物の売店に加え、カフェやレストラン、イベント会場や会議室などを併設している所もあります。

栃木県足利市にある「こころみ学園」のワイン醸造場「ココ・ファーム・ワイナリー」では、知的障害がある人たちが、自然とともに葡萄畑や醸造場で一生懸命働き、品質の高いワインを作っています。昭和33年に葡萄畑を作り始め、昭和44年に知的障害、自閉症、ダウン症などをもつ人を対象に「みんなであつまってやってみよう」という意味から命名された社会福祉法人「こころみ学園」として認可がおりました。こころみ学園園長の川田昇は、『山の学園はワイナリー』(テレビ朝日1999年)の中で、「たとえ障害をもった人でも誰もがもっている力をだしきって精いっぱい生きること、自立して生きること、それが大事です」と述べています。昭和55年に園児たちの経済的自立のために「ココ・ファーム・ワイナリー」が設立され、昭和59年に醸造の許可が下りました。ワインを作ることによって年間を通して収入が得られます。

現在、90人の園生と40人のスタッフで、年間、180,000本のワインを生産しています。発酵したワインの上澄みを取りながら酵母を取り除いたり、本場のシャンペンと同じ方法でスパークリング・ワインを生産したり、手間を惜しまない製造方法によってつくられた上質のワインは、2000年の九州・沖縄サミットの首里城で開催された晩餐会に出されたほどです。カフェでくつろぎながら平均傾斜角38度の山の斜面につくられた葡萄畑を見ていると、ゆっくりとした時間が流れていきます。収穫祭には、15000人の人が集まり、地元の人が結婚式の披露宴会場として使うなど、地元から愛され、誇りにされる施設になっています。もちろん、ワイナリーの見学もできます。

 平均傾斜角38度の葡萄畑

  ワイナリー見学ツアー

心地よい香りに包まれる酒蔵見学

日本の酒祭りや酒づくりを海外に紹介し、日本酒ファンになってもらうべきだと思います。広島県内には、今でも100以上の小さな酒蔵があり、東広島では毎年酒祭りが開催されています。千代乃春は、東広島を代表するブランドの一つで、1749年に創業されました。現在でも江戸時代に造られた建物が残っています。酒づくりの工程が機械化された大手メーカーの工場と違い、お酒ができるまでの過程で「米」がどのようになっていくかが見える酒蔵です。昭和27年に製造された中野式醸造用精米機が今でも稼動していました。米が割れないように時間をかけて研ぐのは大変で、大吟醸を作るためには50%まで研がなければなりません。

仕込みをする建物は、とてもいい香りに包まれていました。水で研いだお米を、蒸して冷やすことから仕込みが始まります。そして麹菌が米の中まで入っていくように木のムシロで寝かします。酒母と呼ばれる部屋で酵母を培養し、初、仲添、止の3回に分けて仕込みます。ろ過をすると淡い琥珀色の原種となり、待ちに待った利き酒をさせてもらいました。少し炭酸が残っているので、ちょっととがった感じですが、最高の気分です。

烏賊様(いかさま)レースによるまちづくり

なまずやカエル、イノブタ、アヒル、豚、カメなど、さまざまな動物を競わせて村おこしに取り組む地域がありますが、青森県風間浦村ではイカを使ったレースが行われています。風間浦村は、津軽海峡に面した3200人余りの漁村で、1990年に過疎地指定を受けました。頼みのコンブ漁も衰退の一途で、取って来たスルメイカで地元の漁師さんたちがレースを楽しんでいました。1994年夏の海峡フロンティアフェスティバルで活イカレースを実施し、その年の秋に「烏賊様レース」というネーミングになったそうです。自分たちが持っているイカという資源を観光資源として活用する発想がユニークです。

7月中旬から10月下旬まで約100レースが1周約20メートルの楕円形の水槽を使って開催されます。水槽が6コースに仕切ってあり、イカはその水流に逆らって泳ぐそうですが、止まるとムチならぬ棒でつつかれます。100円のスルメイカを買うともらえる「勝イカ投票券」で参加できます。「イカさまのおかげで、この不景気でも温泉客は例年並みです」とのことです。ちなみに、ゴール直前で逆転することを「イカ差し」というそうだが、勝っても負けても全選手が旅館でイカ刺しになります。

インターネットを使った実況中継など、告知方法を工夫することによって、新しい展開も可能です。今後、団体旅行が減少し、小グループによる旅行が増加する傾向の中で、レースの開催方法や告知方法を改善したり、旅行客が地元の漁師さんたちと交流や食品加工の体験ができるなどのプログラムを開発することによって、リピーターや知人に宣伝してくれるファンを増やす工夫が大切です。

新しいアグリビジネスに挑戦する農村

1987年、三重県阿山町で養豚農家19人が集まって農事組合法人「伊賀銘柄豚振興組合」ができました。翌年には、ログハウスの「手作りハム工房モクモク」が完成し、「伊賀豚」を原料にした手づくりハムの生産が始まりました。すると、地元の幼稚園のお母さん方から、「ウィンナーづくりを教えて欲しい」という要望がありました。体験していただくと、思っていたよりも簡単においしいウィンナーが出来上り、これをきっかけに、「エプロンツアー」という教室が始まりました。

自分でウィンナーをつくり、出来立てを持ちかえれる感動は、口コミによって広がり、毎日大勢の参加者がつめかけました。そして、「バーベキューもやりたい」という意見を採用したり、「商品も買ってあげるわ」という嬉しい話があったりして、事業が拡大しました。

1994年、農業組合法人「伊賀の里モクモク手づくりファーム」となり、1995年、地ビール工房のある体験公園として「モクモク手づくりファーム」がオープンしました。今では、「手づくりウィンナー教室」に加え、「手づくりパン教室」、「手づくりパスタ教室」、そして「季節限定教室」として、夏は本わらび粉でつくる「わらびもち教室」、冬は安心の伊賀豚肉のあんこでつくる「豚まん教室」も開催されています。

生産、加工、流通まで一貫した事業システムや、直営レストランに挑戦するまでに成長しています。2001年には、「国際食肉組合ハム・ソーセージコンテスト」で金賞5つと銅賞1つを受賞しました。「伊賀の里モクモク手づくりファーム」は、地域活性化、自然と農村文化を守る、環境問題に取り組む、おいしさ安心のモノづくり、感動の共感の事業、活気ある職場づくり、民主的ルールの事業運営という7つのテーゼ(基本理念)で、新しいアグリビジネスに挑戦すると共に、全国の農村を応援しています。

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