人形ツーリズム − 世界をつなぐ人形文化

人形による国際交流(横浜人形の家)

1986年、横浜市中区に石川町の駅から元町ショッピングストリートを抜け、山下公園の手前に横浜人形の家がオープンしました。日本人がまだ海外へ行く機会が少なかったころ、海外の観光地を日本に紹介した兼高かおるさんが館長で、約135カ国から、約9,000体の人形が収集されています。

横浜人形の家では、青い目の人形についても研究されています。大正時代、多くの日本人が太平洋を渡り、アメリカへ移住していきました。しかし、生活習慣の違いや、日本人に仕事を奪われるという不安などから、反日感情が強くなってきました。この危機を日米両国の国民が相互の理解し合うことによって乗り越えようと、宣教師のシドニー・ギュ−リックが、アメリカの子供たちに「人形を贈ろう」と呼びかけました。そして、1927(昭和2)年に、1万2千体あまりの「青い目の人形」が日本各地の小学校や幼稚園へ送られたのです。

これに対して、一流の人形師によって「ミス東京」や「ミス広島」と名づけられた58体の市松人形が制作され、「答礼人形」としてアメリカ各州へ送られました。ところが、第二次世界大戦が始まると、大事にされていた「青い目の人形」たちは、「敵国の人形」として竹やりで突っつかれたり、焼かれたりしました。現在、シドニー・ギュ−リックさんの孫によって、新しい人形による交流が始まっていることを、ボランティア解説員が教えてくれました。現在、約100名がボランティア解説員として登録していて、青い目の人形のコーナーを中心に活躍しています。

京都市内に点在する人形文化

多くの魅力がある京都には、人形関係の名所も多く、それらの名所やイベントを見るテーマ・ツアーの実施や、人形をテーマにした総合的体験型アートフェスティバルの開催も可能であると思います。古くから京都は人形の代表的な産地で、江戸時代には人形製作の頂点を極め、多彩な人形と多くの名工を生み出しました。京人形司十四世面匠の面屋庄甫さんが指導する「あまがつ(天児)会」は、伝統を大切にしながらも、新しい創作活動にも取り組んでいます。

京都市右京区嵯峨にある「さがの人形の家」には、嵯峨人形、御所人形、加茂人形など、20万点を超える人形が所蔵されていて、人形の歴史を概観することができます。また、同じ右京区嵯峨に森小夜子さんが主宰する「人形工房 アイトワ」もあり、庭にも森小夜子さんの人形が展示されています。『森小夜子人形作品集“民族の讃歌”』(遊タイム出版1998年)のあとがきの中で、「今の私は、少数民族の人たちが、目先の物的な豊かさにまどわされず、土に馴染み、野生の小鳥や虫と触れ合い、お互いの違いを認め合い、それを愛(め)で合いながら誇りを保ち、仲良く生きてゆける世の中であってほしいと願い、人形を創り続けていきます」と述べていますが、この考えを具体的にしたような施設がアイトワです。

 人形塚

 さがの人形の家

 人形工房 アイトワ

 

人形の寺として有名な京都の宝鏡寺の人形塚は、人形を弔い供養するために建立されました。毎年10月14日に人形供養祭がこの塚の前で盛大に行われるそうです。また、北区にある「KIドヲル」を始めとするギャラリーでさまざまな人形の企画展が開催されています。人形をテーマにした施設をめぐるルートマップがあれば、京都の旅の魅力が更に増えると思います。

多彩な広島の人形文化

広島観光と言うと、原爆ドームと厳島神社が思い当たりますが、広島市中区紙屋町にある瀬戸内海汽船の「星ビル」は、ヨーロッパのアンティークドールのコレクションで有名です。コレクションは、1840年から1930年にかけて、主にフランスとドイツでつくられたビスクドールで、頭の部分が陶器で作られています。ちなみに「ビスク」とは「ビスケット」と同じ語源で、二度焼きという意味です。

広島県の尾道にも江戸時代に江戸麻布から大阪を経て菊人形の文化が伝えられ定着しました。残念ながら花に関する文化の多様化の中で、「菊人形」のイベントも中止が決定されましたが、尾道には「菊人形」以外にもユニークな人形文化が残っています。その一つに、尾道市久保町1丁目の水尾小路を中心に開催される「水祭り」があります。小路(しょうじ)の両側の軒先に仕掛け人形が展示され、この仕掛け人形から放物線を描いて水が飛び出し、水芸のように涼を誘う様子は大変風流です。

また、尾道市の寺めぐりコースの1番目にある持光寺では、観光客が自分で粘土をにぎって作るオリジナルの「にぎり仏」が人気を呼んでいます。粘土のかたまりに棒を差し込んで、その粘土を握ると、親指と人差し指の間に仏様の丸い顔ができます。指先で粘土をつまみ、眼や耳、鼻をつければ出来上がりです。後は、住職さんが窯で焼いて送ってくれます。他にも、1997年2月22日(にゃん・にゃん・にゃん)の日にオープンしました「招き猫美術館」も有名になりつつあります。

尾道の隣町、福山市松永町に日本郷土玩具博物館があり、古来、日本の地域で作出され、育まれ受け継がれてきた伝統のある玩具が収蔵・展示されています。土人形の産地は、青森から沖縄まで、日本各地に広く分布していますが、広島県では、尾道市をはじめ、三次市、庄原市、沼隈町、三原市が産地です。

広島ゆかりの人形作家に辻村ジュサブローがいます。昭和19(1944)年に、満州から引き揚げてきて、20年の春まで広島市の楠木町で1年ほど暮らしました。その後、母の郷里である三次へ移り、終戦を迎えます。戦後になって訪ねた同級生の女の子とその兄の姿が、原爆の焼け跡のようにしっかりと焼き付き、「ヒロシマより心をこめて」という作品としてつくられした。1965年に開催された朝日新聞主催の現代人形美術展での受賞に当たっては、そのメッセージ性の強さから、審査員の間で物議を醸しました。その中で、堀柳女、鹿児島寿造の両氏が「これかれの人形だと思った」と語ったそうです。現在、「ヒロシマより心をこめて」は、東京の人形町にある「ジュサブロー館」に展示されています。この「ジュサブロー館」は、まさに「人形のために造られた家」といったイメージで、人形好きでない人でも一見の価値があります。

辻村ジュサブローの他にも、最近では、創作人形の分野でも、広島県出身の作家が数多く活躍しています。ぜひ、人形による国際交流で積極的に平和を創って欲しいと思います。

町全体を会場にする国際人形フェスティバル

古来、日本には独特の人形文化があります。信仰の対象や祓い、子供の玩具、美術工芸品など、様々な目的で作られてきました。また、子供の教育用ツールとしても大切な役割を担ってきたと思います。そして、今日、男女を問わず、子供から高齢者までの幅広い層に対して、創作人形やフィギュア、キャラクター人形、ぬいぐるみなど、多種多様な広がりを見せています。

人形は、私たちに「いのち」について考える機会を与えてくれます。現代社会は、毎日のように、殺人やいじめなどの事件があり、「いのち」の大切さを改めて問い直さなければなりません。人形作家や愛好家が国内外から集い、交流することによって「いのち」や平和の大切さを考えるような国際的なコンベンションの開催も可能です。イタリアのヴェネチアで開催されているヴェネチア・ビエンナーレのように、世界各国から参加者が集まるツーリズム型のイベントが望まれます。

町をめぐりながら展示を見学するしくみをつくり、創作人形コンテストや子供から大人まで参加できる体験プログラム、フォーラムやトークショーなど、立体的なプログラムが大事です。イベントの開催に合わせて、地域にある人形関係の博物館や工房の見学や、骨董店めぐり、食事をしながらの人形談義なども組み合わせれば、総合的体験型アートフェスティバルとして、地域の経済の活性化にもつながります。

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