文学ツーリズム − 作家や作品ゆかりの地を訪ねる

旅と日本文学が人気

広島市にある広島女学院大学が大学への評価を高めるため、毎年秋に開催している無料の公開講座の中で、「旅と日本文学」の講座の人気が高かったそうです。大伴家持や紫式部、松尾芭蕉などの作家が取り上げられました。近畿日本ツーリストのクラブツーリズムでも『奥の細道』シリーズと題して奥州街道や北陸など松雄芭蕉の足跡を講師の先生と一緒にたどる旅が人気です。旅に参加してお互いに学び合い、共感しあった仲間が次々と仲間を増やして、新しい旅を楽しむ傾向が強くなってきています。

尾道市は、古寺めぐりコースと共に、文学、映画、絵画の庭を結ぶ散策路の整備を進めています。坂や階段が多く、道が狭いため、大型バスによる団体旅行には不向きの地域であるため、家族や小グループでの散策による観光に力を入れています。中村憲吉、志賀直哉および林芙美子の資料を展示する記念館があり、尾道水道の景観や、お寺をめぐりながら作家の足跡をたどることによって、文学への興味も強くなります。

『放浪記』で有名な林芙美子は、福岡県の門司で生まれ、下関、佐世保などに住んだ後、尾道に移り住みます。上京後も都内を転々とし、現在、林芙美子記念館がある新宿区の中井に落ち着きます。広島の林芙美子ファンが新宿を訪れ、また、東京のファンが尾道を訪れることによって、交流が生まれるようなきっかけづくりが、これからの旅行会社の役割であると考えます。

文学ツーリズムのメッカ「谷根千」

東京都に「谷根千」と呼ばれる地域があります。これは、地域雑誌『谷根千』がカバーする地域で、台東区の谷中、文京区の千駄木と根津を中心にした地域で、荒川区の西日暮里も含めて一つの生活文化圏を形成しています。このエリアは震災や戦災にも耐えて残った数多くの分化遺産があり、文人が足跡を残し、文学作品にも多く登場します。また、江戸事態から由緒ある寺が多く、竹細工やベッコウ細工、象牙細工などの伝統工芸も残されています。明治に入ってから上野に東京音楽学校や美術学校ができたため、江戸の職人が楽器や額縁、洋筆、美術品を入れる桐箱の製造にも携わってきたそうです。

谷中には川端康成や幸田露伴などの文人がいたところで、谷中墓地には、徳川慶喜、横山大観、長谷川一夫などの墓があることで有名です。千駄木は、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎、宮本百合子などの文人がいたところです。『谷根千』其の五十二鴎外特集第二段を見ながら、千代田線の根津駅から根津神社に向かい、仁王門左手にある水のみ場を確認すると、裏に森林太郎の名前がありました。根津うらもん坂に出て、明治23年に鴎外が借りて1年あまり住んでいた漱石の「猫の家」跡に建てられている碑を確認すると、建物は愛知県犬山市にある明治村に保存されているとのことです。明治36年から39年まで住み、『我輩は猫である』を発表して注目を浴び、『坊ちゃん』や『草枕』も書きました。少し引き返して汐見坂を上がるとだんだん見晴らしが良くなり、鴎外記念本郷図書館の裏門にでました。「観潮楼」という名前は東京湾が眺望できたことから名付けられたそうで驚きです。鴎外記念室には多くの資料が残されています。鴎外の『青年』や漱石の『三四郎』が書かれた時代を想像しながら団子坂を下ると千駄木駅にたどり着きました。

 森林太郎の名前が読み取れる水飲み場

国際的なツーリズムの資源になる『源氏物語』

国文博士の小山敦子先生 は、「楽しい源氏物語」と題したワークショップを東京と広島で交互に開催しています。その一環で、源氏香の体験会や、紫式部ゆかりの地を訪ねるツアーも企画されました。1996年に実施されたツアーで、小山敦子先生と一緒に宇治十条の舞台となった平等院を初めに訪ねました。そして、『源氏物語』に登場する「北山」や北山の「なにがし寺」のモデルになった場所として有力視されている岩倉へ行きました。京都は現在も周辺の山を漠然と東山、北山、西山と呼ばれています。バスの中で先生の解説を聞きながら山の中に実際に入って千年も昔の時代に心を馳せました。

その後、京都から福井県の武生市へ向かいました。武生市は、当時、越前国府があり、紫式部が父親と一緒に生涯でたった一度、京の都を離れて住んだ場所です。1996年は、紫式部がこの武生市を訪れてから千年目にあたることから「式部千年祭」が開催されました。源氏物語をモチーフにした和紙人形で有名な作家の近藤洋子さんとの楽しく話しをすることもでました。源氏物語は海外からも多くのファンを呼べるツーリズムの資源ですから、英語による解説書づくりや、ガイドの養成が望まれます。

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