もっと… (1)
 毎年訪れる彼の誕生日。
 アンジェリークは、今年もプレゼントを悩んでいた。
「経済的に裕福な方にプレゼントするのって、ほんと困るのよね〜」
 今まで小さなアクセサリーを贈っていたが、毎回アクセサリーというのも芸が無い。自分を求めてくるのは当
然の成り行きとして、彼に喜んでもらえるものは何だろう…。

 彼の好きなもの。ヴィシソワーズ、ライチ、アイリッシュカフェ、白檀の香り。
「お酒…でもいいんだけど、まだ私、未成年よね。試飲が出来ないのに、お酒を贈るのも、いかにも背伸びして
ます!って感じでやだし…」

 アンジェリークの選ぶものなら何でも喜ぶはずだ。だが、背伸びした言動や行動はあまり好きではないらし
い。いつか似合う時が来るのだからと、いつもありのままの自分を受け入れてくれる。そういうところが大人の
余裕なのだろうか。

「ん〜と、じゃあ白檀の香りの入ったトワレ…かな。お香とかは、時々焚いていらっしゃるし。うん。そうしよっと」
 アンジェリークは、フレグランスショップに向かった。

 落ち着いた店内のフレグランスショップ。アンジェリークは、ちょっぴり緊張していた。ファンシーショップでコロ
ンを買うことはあるが、“香水”と呼ばれるほど香料の割合の高いものを買ったことは無い。

「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
 女性店員に声を掛けられて、アンジェリークは驚いた。
「あ、えっと…」
 緊張しているアンジェリークに、店員は優しく微笑む。
「そんなに緊張されなくてもいいですよ。ご自分でお使いになるのか、プレゼントされるのかを先に決めると選
びやすいですよ」

「有難うございます。実は、彼にプレゼントしようと思ってるんです」
「男性用のオードトワレですね。どういったイメージの方ですか?お好きな香りとか…」
「え?彼のイメージ?…えっと、落ち着いた大人の男の人です。好きな香りは、白檀とかラベンダーとか…」
 アンジェリークは、彼の部屋を思い浮かべながら答える。
フゼア系オリエンタル系ですね。それでしたら、本日入荷した新商品をお試しになりませんか?こちらの紙
に香りを移してありますので、どうぞ」

 ムエット(試香紙)を受け取って、顔の前で2、3度振ってみる。
 ふわりとラベンダーの香り。そして、お香のような落ち着いた香り。それにどこか甘い香りもブレンドされてい
るようだ。

「香りは、香り立ちといって3段階に分かれるんですよ。始めはトップノート。これは付けてから5分から10分前
後の香り。次はミドルノートで、30分から2時間くらい。最後がラストノートで2時間以降から香る香りです。こ
ちらのトワレは、トップにラベンダーとライチ。ミドルに白檀とシダーウッド。ラストがムスクとクチナシになってい
ます」

 アンジェリークは香料の名前を聞いて、即決した。
「じゃあそれにします。彼、ライチも好きなので」
 彼の好きなライチも入ってるのなら、好みにかなり近いかもしれない。
「かしこまりました。ではこちら、“ウィスパー”をお包みしますね」
“ウィスパー”という名のオードトワレは、深い紫色のガラスの小瓶に入っていた。香水瓶も彼のイメージカラー
にピッタリだ。

「はい。お願いします」
 アンジェリークが答えると、店員はにこやかに笑って、プレゼント包装をするために奥へ入っていった。
「すぐにピッタリのが見付かって良かった〜」
 上機嫌で、その香水のセールスポイントを見る。
“ウィスパー”は、爽やかなライチと心を落ち着かせるラベンダーで異性を惹きつけ、シダーウッドの深い沈静
作用と白檀のエキゾチックな香りで官能へと誘い、ムスクとクチナシの甘い香りで放さない。“囁き”という名の
ように、優しく誘惑し、抗えないセクシーさで異性を魅了する媚薬のような香水。

「え?これって…」
 アンジェリークは絶句してしまった。早まったかもしれない…。
「お待たせいたしました。こちらです」
「ありがとうございました!」
 頬が少し赤くなってしまったのを気付かれたくなくて、アンジェリークは受け取るとすぐに店を出た。
「…クラヴィス様のイメージピッタリだと思ったら…」
 オードトワレを付けなくてもセクシーなのに、コレ付けて貰ったら…。
「…どーしよー」
 誘ってるように思われるかもしれない。
 彼の私邸に行くことは暗黙の了解だし、断るつもりは無いのだが…。

 一晩悩んで、結局プレゼントを持って来たアンジェリークは、昼休みになるのを待っていた。今年の彼の誕生
日は金の曜日なのだ。夜にプレゼントを渡して緊張するより、早めに渡してリラックスした気分でいたい。

「どうしたの?アンジェリーク。朝からそわそわしてるようだけど」
 女王陛下であるロザリアは、仕事をしながらも落ち着きの無い様子のアンジェリークに問いかけた。
「あ、いえ、何でもないの」
 アンジェリークは慌てて両手を振って否定する。
「…いいわよ、もう休憩にしても。今日は特別な日だし」
 ロザリアは、アンジェリークにウィンクしてみせる。
「え?」
「行ってらっしゃいな。今日は彼の誕生日でしょ?」
 アンジェリークは気付かれないようにしていたのだが、ロザリアにはお見通しだった。
「いいの?」
「ええ。ごゆっくり」
「ありがとう!」
 女王陛下の許可を貰ったアンジェリークは、プレゼントを持ってクラヴィスの執務室へ向かった。

 コンコン。
 ノックして、扉を開ける。静かな室内に淡い明かり。クラヴィスの居る空間はいつも落ち着いた雰囲気で迎え
てくれる。

「こんにちは。クラヴィス様、いらっしゃいます?」
「…ああ、お前か。入るといい」
 クラヴィスは笑顔で迎え、奥の間のソファへと案内する。
「あの、お誕生日、おめでとうございます!これ、プレゼントです!」
 昼間に執務室へプレゼントを渡しに来るのは珍しい。クラヴィスは、一瞬目を見開いて驚いた。
「ありがとう。どうしたのだ?今日は…。今晩、予定でも入っているのか?」
 プレゼントを受け取ると同時に抱き締めて、落ち着いた声で問う。
「いえ、それは大丈夫です。プレゼント、先に渡しておかないと落ち着かなくて…」
 それほど早く渡したかったのだろうか?
「…開けても良いのか?」
 渡しに来たのだから、駄目とは言えない。
「え?あ、…はい」
 緊張した顔で答えると、クラヴィスはアンジェリークを両腕から解放した。
 紺青の包装紙を丁寧に開いて、箱を開ける。
「香水?…オードトワレか」
 クラヴィスは、意味が分かってフッと笑った。
 それで…か。
「いつも何が欲しいのか訊いても答えて下さらないから、今回はトワレにしてみました。お香でも良かったんで
すけど、お部屋に焚いていらっしゃること多いから別のものの方がいいかと思って。クラヴィス様のお好きな白
檀とラベンダー、ライチの香りが香料として使われてるそうですよ」

 アンジェリークは自分を落ち着かせるように、ゆっくり言って微笑んだ。
「お前が選んだのなら、良い香りなのだろう。そこに座るといい。飲み物を用意させよう」
 美しい微笑みを見せ、執務室の方へと歩み去る。
「…緊張した…」
 小声で呟きながら、ソファに腰掛けた。クラヴィスは人に無関心なようで居て、結構よく見ているのだ。
「気付かれてなければいいけど…」
 アンジェリークよりも人生経験の長い彼には、すぐに見抜かれてしまう。それが嬉しいときもあるが、困ること
もある。

「アンジェリーク。ミルクティーで良かったのか?」
「あ、はい。有難うございます」
 クラヴィスと、世話係の女性が一緒に現れた。背の高い彼の横に立つその女性はアンジェリークより背が高
く、スレンダーな美人だった。大人っぽく見えるが、20歳くらいだろうか。クラヴィスと並んでも引けを取らないく
らい美人だ。

「いらっしゃいませ。アンジェリークさん。今日は少し肌寒いので、ホットにさせて頂きましたが、よろしいです
か?」

 アンジェリークの目の前に、ティーカップとポットに入れた紅茶、温めたミルクが置かれた。美人だと思ってい
たら、声も綺麗だ。

「有難うございます。嬉しいです」
 笑顔を返すと、彼女は会釈をして部屋を出て行った。
「どうした?彼女がどうかしたのか?」
 アンジェリークが世話係の女性を気にしているのを不思議に思い、クラヴィスは問いかけた。
「いえ、ただ綺麗な人だなって思って。スタイルいいし、大人っぽいし」
「そうだったか?」
 クラヴィスは世話係が出て行ったドアを見つめた。きっといつも綺麗な人たちを見過ぎてて気付かないのだろ
う。

「…妬いてくれているのか?」
 アンジェリークの顔を覗き込んで、からかうような笑みを見せる。
「…知りません!」
 何だか怒るのもバカみたいだ。
 その時、ふわっとラベンダーの香りがした。
「?」
 顔を上げたアンジェリークを、クラヴィスは優しく抱き締める。
「…お前の選んだ香りだ」
 囁く声に、ドキンと胸が鳴る。
「え、いつ?」
 心臓が飛び出しそうなほどドキドキしているのを気付かれたくなくて、クラヴィスの腕の中で出来るだけ離れ
ようとする。

「ついさっき…な」
 そう言って、耳元に近い髪の毛にキスをする。くすぐったくて身を竦ませると、クラヴィスは抱き締める手に力
をこめた。

「せっかくだから、つけた直後から消えるまで共に楽しむのも良いかと思った」
「でもまだ執務が…っ」
 続く言葉を唇で塞ぎ、言葉を発せないように舌を絡めて、抵抗出来ないように優しくアンジェリークの意識を
奪っていく。

 長い口付けから解放されても、熱く潤んだ瞳でクラヴィスを見つめる。まだ夢の中に居るような熱さと心地良
さに包まれているようだ。

「これから私の私邸へ向かおう」
「…私邸?」
「…陛下には私から伝えておく」
「…陛下…?」
 アンジェリークは、“陛下”という言葉に反応してクラヴィスの顔を見つめた。
「クラヴィス様、陛下のご厚意を裏切ることは出来ません」
 きっぱり言うアンジェリークにため息をつき、クラヴィスは立ち上がった。
 ホッとして立ち上がったアンジェリークは、クラヴィスに両手で抱きかかえられた。
「キャッ」
 ビックリしてクラヴィスを見るが、どうも下ろす気は無いらしい。
下手に暴れると落ちるし…。
アンジェリークが考えを巡らせている間に、クラヴィスは執務室へと戻っていた。
「クラヴィス様、補佐官様がどうかされましたか?」
 守護聖の補佐官の男性が、驚いて訊いてくる。
「…どうも体調がすぐれぬ様だ。私の私邸で休ませるので、馬車の用意を。それから、補佐官殿と、私の“半
日有休”の届けを出しておけ」

「え?“半日有休”ですか?」
「私も、彼女の看病のために帰宅する」
「は、はぁ…分かりました」
 とりあえず返事をした補佐官は、首を捻る。
「“半日有休”って、何だろう?
蒼月華のトップへ もっと…(2)へ