MISTRAL

出逢い編


三月の最終日。
 ようやく春になったと実感出来るようになった今日この頃。
「ねえロザリア。こっちとこっち、どっちが可愛い?」
 街角の雑貨屋で、少女二人はショッピング中だった。金の髪の少女は、赤いチェックのペンケースとピンクのチェックのペンケースを見比べている。
「アンジェリーク、あなたまだ悩んでるの?色が違うだけじゃない」
 ロザリアは、淡い紫の髪を揺らして振り返る。
「色だけじゃないの。ほら、ここ。ファスナーの飾りが違うでしょ?赤がリボンで、ピンクがクマさん。ん〜悩むなー」
 アンジェリークはどうやら本気で悩んでるらしい。
「あのね、明日から私たちは高校生なの!いつまで中学生気分でいるの?」
 アンジェリークは、きょとんとしてロザリアを見つめる。
「え?明日はまだ春休みでしょ?始業式は7日だから、それまではまだ中学生だと思うんだけど…」
「…呆れた。先生の話、聞いてなかったわね?『三月までは中学生ですが、四月になったら高校生になります。各自、自覚をして責任を持った行動を心掛けて下さい』って、そうおっしゃったでしょ?」
「んー、言われてみればそうおっしゃったような気もする…。よし、じゃあリボンの付いた赤いペンケースにしよう!」
「…なにが『よし!』なんだか…ほんとにアンタって子は…」
 ロザリアは溜め息を付いて、レジへと向かう親友を見送る。何だかんだ言っても、つい構ってしまいたくなるのは彼女の人柄だろう。
「お待たせー。次はノートよね。ルーズリーフで良いのかな?どう思う?」
「そうね。普通のノートと両方持ってた方がいいと思うわよ。ルーズリーフ、嫌がる先生もいらっしゃると思うし」
「そっかー。じゃあ、普通の大学ノートとルーズリーフと…あ、シャーペンでもいいのよね?高等部は。じゃあ、さっきのペンケースと同じリボンの付いたシャーペン探さなきゃ」
 アンジェリークの買い物は、ロザリアの倍近くの時間が掛かる。昼に待ち合わせをして、新学期の買い物を済ませると、もう夕方になっていた。
「今日は有り難う、ロザリア。付き合って貰って、楽しかった。ロザリアも、買ったの?」
「…ええ。その為に行ったんだもの」
「良かった。私の買い物に付き合ってばかりで、買って無いのかと思ったー。遅くまでごめんね」
「いいわよ。いつものことだし。それより、入学式の日、遅れて来ないこと!時間厳守は基本ですからね!」
「はい…って、ロザリア、先生みたーい」
「入学式の日から悪いイメージ持たれたくないでしょ?スモルニィ高等部の生活指導の先生、厳しいって有名なんだから」
「そうなの?分かった。頑張る!」
 アンジェリークは両手に拳を作り、両肘を曲げた。『頑張るポーズ』らしい。
「分かったのならいいわ。それじゃあね。私、これから家族でディナーなの」
「うん、また入学式の日にねー」

 ロザリアと別れて、アンジェリークはいつも遊んでいた公園の前を通り掛かった。ちょうど太陽が沈む所で、オレンジ色の夕日が美しい。
「あ、夕日!」
 アンジェリークはいきなり走り出し、公園のベンチに手荷物を置くと、ジャングルジムに手を掛けた。
 小学生の頃からお転婆だったアンジェリークは、木登りをしたり、ジャングルジムに登ったりして、よく怒られていた。中学生になってからは、スカートのままで登るのはさすがに恥ずかしくて出来なかったが、今は周りに人気が無い。
「中学生最後の日だし、周りに人もいないし大丈夫よね?」
 いつも、夕日をジャングルジムの一番上から見るのが好きなアンジェリークは、久し振りに登ってみる事にした。
「昔は、一生懸命登ったけど、今登ってみると案外簡単なのね」
 一番上でも、地上三メートル弱。今でも自分の身長よりは遥かに高いが、小学生の頃は空にいるような気分だった。
「ここからの夕日は変わらないわねー」
 アンジェリークはジャングルジムの一番上に座り、夕日を見てしみじみと言った。
 公園の方は昔と少し変わっていて、ジャングルジムの下の地面は砂だったのに、いつの間にかマットのようなものが敷かれている。そして、ジャングルジムの横には”遊ぶ時は、保護者と一緒にね”と振り仮名付きで書かれた立て看板まである。
「よくここから落ちたけど、大怪我はしなかったなー、そういえば。今は、怪我をする子が多いのかしら」
 安全対策といって、危険を伴う遊具は撤去されることが多くなっている。どんな遊具も、使い方によっては危ないものに変わる。そうやって全部撤去していくと、子供の遊び道具は無くなってしまうのではないだろうか。
「ま、いっか。私が考えても仕方ない事よね。夕日は綺麗だし。可愛い文房具も買えたし。明日からは高校生だし。うん。頑張ろう!」
 アンジェリークは、両足首を器用に鉄の棒に引っ掛けたまま、両手を上にあげた。
「…人が…いるのか?」
 声が、しかも低い男の人の声が聞こえて、アンジェリークは慌てて下を見た。
「え?え?キャッ!」
 スカートを押さえようか、下に降りようかとあたふたして、バランスを崩した。
「危ない!」
 鉄の棒に掛けていた手が離れたのと、青年が咄嗟に少女の身体を支えたのは同時だった。
「大丈夫か?」
「はい。すみません、えっと…」
 アンジェリークは、鉄の棒に足を掛けて、片手だけ棒を掴み、重心が後ろにあるという不安定な体勢で、青年の肩に寄り掛かっていた。
「…小鳥を乗せた事はあるが、人を乗せたのは初めてだな」
 青年の言ってる意味が一瞬分からずに、下を向く。彼の微笑を見て、自分が肩に乗っている事に気付いた。「え?あ、ごめんなさい、すぐ降ります!」
 気を取り直して、アンジェリークはジャングルジムに掴まり直した。下の段に足を掛け、どこか違和感があるのに気付く。ゆっくり体重を掛けると、痛みが走る。どこかで捻ったのだろうか?
「怪我をしてるのか?」
 後ろを向いているので、表情は見えないはずなのだが彼はそう聞いてきた。
「あ、いえ。大丈夫です」
 アンジェリークは、これ以上迷惑を掛けられないと思い、我慢して地面に下り立った。体重を余り掛けなければ、何とか歩けそうだ。
「そうか?それならばよいが…歩いてみろ」
「え?」
 不意を突かれた言葉に立ち尽くしていたが、歩いて見せないと解放してくれそうにない。仕方なく、一歩、二歩と歩いた。
「ほら、大丈夫ですよ?」
 ニコッと笑って見せるが、青年は笑っていなかった。いきなりアンジェリークを両手で抱き抱えると、近くのベンチに座らせる。
「…捻挫だな。きちんと手当てをしておかぬと、癖になるぞ」
 少女の左足首に触れ、腫れている所を的確に探り当てる。
「ここが痛むか?」
 腫れている所を優しくさすり、青年が見上げる。
「はい」
 初めて間近に彼の顔を見て、アンジェリークは驚いた。長い黒髪、深い紫色の瞳。ダークグレーのスーツを着ているが、サラリーマンとはちょっと違う雰囲気を持つ美しい青年…。
「ここで少し待っていろ。応急処置をせねばなるまい」
 青年は、アンジェリークの返事も待たずに身を翻した。アンジェリークも、声を掛けられずにただ見送ってしまう。
「綺麗な人…。声があんなに低くなければ、女の人に見えるかも」
 そう呟いて、アンジェリークはさっきの出来事を思い出す。
「あ、私ってば、スカートでジャングルジムに登ってたから、下から見えたかもー。それに、降りようとして手が滑って肩の上に座っちゃうし、足まで触られて…」
 言ってるうちに段々恥ずかしくなってきた。これで本当に明日から高校生だと言えるのだろうか。
 アンジェリークは、真っ赤になった顔を両手で冷やしながら、じっとしていた。
 美しい青年は、手に何か小さな箱を持って戻ってきた。
「…ここでは、簡単な応急処置しか出来ぬが、しないよりはいい」
 黒髪の青年は、小箱をベンチに置き、蓋を開けた。救急箱らしいが、普通の家庭にあるようなものでは無かった。その箱の中には、注射器やアンプルのようなものまである。
「あの、もしかして、お医者様なんですか?」
「?ああ。言わなかったか?」
「聞いてませんー、お名前も教えて頂いていないし」
「私も、名前を聞いていないと思うが?」
「あ、そうでした。私、アンジェリークです。アンジェリーク・リモージュ」
「私はクラヴィス。医者だ。専門は外科。見せてみろ」
 クラヴィスは、アンジェリークの左足首を押さえ、靴下を脱がせた。
「やはり、腫れているな。それにしても器用だな。あの体勢でどうやったら捻挫出来るのだ?」
「私も不思議ですー。でもクラヴィス先生が声を掛けなかったら、落ちたりしませんでしたよ」
「それはすまないことをした。ベンチで本を読んでいたのだが、夕日が何かに遮られていたのでな。何があるのかと、影を辿ってきたらお前がいた」
 クラヴィスは、少女の足首に冷湿布を当てて包帯を巻きながら顔を上げた。
「あ!」
 いきなりその時の事を思い出し、アンジェリークは視線を逸らした。
「クラヴィス先生、見たでしょ?」
「ん?」
「だからっ、その、スカートの…」
「ああ、私のいた場所は逆光になっていたからな。光に透けていたお前の金色の髪しか見えなかったが…」
「そうですか、良かった。もう、高校生だっていうのにあんなとこに登って、恥ずかしいとこばっかり見られて…」
「…中学生…ではないのか?」
 アンジェリークは、明らかにムッとして答えた。
「今日までは中学生ですけど、明日からは高校生なんです!もう立派に大人の仲間入りなんですからねっ」
「そうか」
 包帯を巻き終えたクラヴィスは、少女の頭にポンと手を乗せた。子供をあやしてるようだ。
「子供扱いしてるでしょ?もうっ。でも、手当てして頂いて有り難うございました。これなら歩けそうです」
 立ち上がって、ペコッとお辞儀をする。
「一応、病院に行った方が良い」
「はい。それなら、クラヴィス先生の病院、教えて下さい」
「…それは難しいな。私は明日から病院勤務ではないのでな。代わりといっては何だが、家まで送ろう。そこに私の車がある」
 見ると、近くに黒い高級車が停めてある。車に疎いアンジェリークには車種が良く分らないが、高そうな事だけは分った。
「有り難うございます。それじゃ、お言葉に甘えます」

 車のエンジンを掛けて、クラヴィスがふと少女の方を向いた。
「これからは、むやみに男の車に乗らぬ方が良い」
「?」
 無邪気に首を傾げるアンジェリークは、言ってる意味が分らないようだ。
「どこに連れて行かれるか、分らぬからな」
 差し障りのない程度に忠告し、車を発進させる。
「ここから自宅まで、そんなに遠くないんですよ?クラヴィス先生は信用出来る方だから、大丈夫です!」
 分ってるのか、分ってないのか…。
 クラヴィスはアンジェリークに気付かれないように溜め息を付く。
 どこを見て、信用出来ると言い切るのだろうか?
「…全く」
『目の離せない子だ…』
「あ、先生。次の角を右です!」
 突然思い出したように少女が前を指差す。
「…道は早めに教えるように。急には曲がれぬぞ」
「…すいません…」
 信号待ちがあったので何とか間に合ったが、下手すると車線変更禁止の道の上だ。
「右に曲がったら、二つ目の角です」
「…わかった」
 静かに車が発進し、道案内通りに目的地に到着する。
「…有り難うございました。おかげで助かりました」
 少女が案内したのは、スモルニィ学園の高等部の女子寮前。
「…ここは…?」
 不思議そうに女子寮を見上げるクラヴィスに、アンジェリークはにっこり微笑む。
「はい。明日から私。スモルニィ学園の高等部に入学します」
「…そうか」
『また…会う事になりそうだ』
 言葉にはせず、クラヴィスは背を向けた。
「では…な。無理はせぬ事だ」
「はい!有り難うございます」
 アンジェリークは深々とお辞儀をして、車が走り去るのを見送った。
「素敵な人だったなー。なんか大人で。私を子供扱いするのは嫌だけど、綺麗な瞳で、指先も長くて。同級生の男の子みたいに、すぐ怒ったりしなくて。彼とデートしたら、とっても素敵な一日が過ごせそう」
 そこまで空想して、ふと気が付く。
「あ、私、彼の連絡先、聞いてないじゃないー。もうっ、私のバカバカ〜」
 アンジェリークはこの時まだ、彼と再会する事を知らなかった…。


桜屋響様によるイメージイラスト♪
 桜屋響さんにお願いしたイメージイラストです。コレ
を描いて頂いたのは、イベントにコピー本を持っていく
ためだったのですが、きちんとオフセにするときにも載せ
ますのでお楽しみに。
 桜屋さんの描かれる絵で学園ものが見れるのが嬉
しいですv
 まだはっきりとしたイメージをお伝えしてない時に描い
て頂いていたのですが、白衣のクラ様はやっぱり素敵
です。今回は出会い編ですが、本編ではクラ様に眼
鏡を着用してもらう予定です。
 色が着いたのも見てみたいな〜と思ってます。桜屋
さんのサイトにカラーのアップをして頂けないかお願い
してみようかな〜。
 桜屋さん。有難うございました。