Chapter 4

 サイキッカーの摘発捜査に常道というものは確立されていない。
 唯一、明確な判断基準といえるのはPF(サイキック・フォース)波長の測定だが、それに反応が出てない以上、ブラド・キルステンを深追いするのは捜査を踏み外すことになるだけかも知れない。 
 ミューラーはブラドの住むアパートを見上げた。3階……めざす部屋の明かりは点いている。
 これ以上はただの個人的好奇心に過ぎないのだろうか。
 自分でもそう思わずにはいられない。が、どうせ常道はないのだと開き直っている部分もある。ただ。ブラドという青年が気になっている理由を「刑事の勘」という言葉で済ませることだけはしたくなかった。それが生み出すのは魔女狩りだ。
 ならば、好奇心であっても、目的は彼の話の続きを確認するだけでもいい。
 ゆっくり階段を上がりながら、そう己の心を納得させた。 

 インターホンに出たブラドに、任意協力で構わないので話を聞かせてもらいたいと告げたところ、あっさりと招き入れられたことにミューラーは拍子抜けした気分だった。
 扉を開けたブラドは何故かシクラメンの鉢を抱えている。
「……お邪魔だったかな?」
「あ、これですか? いえ、あの、さっき帰ってきたところで鉢を入れていたもので…ええと、ちょっと掛けて待っていてもらえますか」
 ──それくらい置いてきてからでいいのになあ。
 中に通されたミューラーが、部屋の中央に置かれたテーブルに着いて待つ横で、ブラドは慌ただしく植木を片付けるとコーヒーを淹れている。
 そう広くない、いかにも安アパートといった部屋だが整然としている。そこかしこに観葉植物が目に付くが彼の趣味だろうか。
「一人暮らしですからね。気を紛らわせる相手が欲しいと思って…。植物もちゃんと育てると応えてくれるんですよ」
 コーヒーを出してくれたブラドに何気なく尋ねると、彼はそう答えた。
「そう寂しいという訳でもないんですけど。──でも、こうして誰かと話が出来るのもなんとなくうれしいんです」
 それが自宅まで訪ねてきた自分にあっさり応じた理由だろうか。
 考えてみればこの部屋には客用の椅子はないようだ。テーブルに設えられた椅子はひとつきりで、ブラドは机用の事務椅子を出してきて掛けている。一人暮らしということで別段不思議にも思わなかったが。
「でも、捜査で根ほり葉ほり聞かれるなんていい気はしないだろう?」
「いえ、先日は突然で驚いただけですから。……それに、今まで僕に自分から接してきた人なんてほとんどいなかったから」
「!?」
 ミューラーは思わずカップを口元に運ぶ手を止めた。
「こんな身体ですからね…。僕は親にさえ憎まれて育った」
 突き放すような口調だった。
 こんな身体? それは。
 ミューラーは一旦躊躇した。言わずもがなのことなのだろう。だが、ブラドに先を続けさせるためにも喉につかえた言葉を解放した。
「──身体って、その…白子(アルビノ)ということで…?」
 ブラドの口元に自嘲的な笑みが浮かぶ。その目は長く伸ばされた前髪によってわずかに顔を俯かせただけで覆い隠されているが、今どんな表情が浮かんでいるのだろうか。
「父なんて僕のことを…そう、『白い悪魔』なんて罵りましたよ」

 白い悪魔。

 またこの言葉だ。
 これは偶然なのか。
 そうだ。自分で認めてはいなかったが、この青年に拘っていた理由。
 それは最初から、アルビノの青年に『白い悪魔』という言葉を連想させられたからなのではなかったか。

 息を呑むミューラーに向かってブラドは続けた。
「僕を産んだときに母は亡くなっているんです。しかも生まれてきた子供はこんな身体で。父にしてみれば、僕が母を殺したんです。『お前が生まれてきたせいだ、この白い悪魔め』。そう言っていました。──そう言われた記憶しか、ないんです…」
 その父親も幼いうちに死んだのだとブラドは語った。酒浸りだった父親は、それが元で身体を壊したのか、それとも何かの事故に遭ったのか、まだ3、4歳だったブラドは父の死についてはよく覚えていないのだという。そもそも、幼い子供に死が理解できたか。
「ちょうどあの頃、特にこっちは不安定な時代だったから、ハンディを持った子供を引き取ろうなんて親類もいなくて。まあ無理もないんですが」
「君は確か23だったね。──そうだろうな、あの時期は…」
 約20年前。ミューラーにしても子供だったその当時の記憶はおぼろげで、また西の比較的裕福な家庭に育った自分には到底解らないのかもしれないが、社会情勢の変動で大きく混乱した東の事情は当然知っている。壁が崩れる以前から、旧東独の市民は国境を越えオーストリアを経由して西へ脱出し、既に社会は崩壊していた。
 ブラドの親戚達も、両親を失った幼い彼を施設に預けると西側へ行き、それきり音信もないという。
 ただ独り残され孤児院で育ったブラドは、社会制度に助けられて寄宿学校へと進んだが、集団生活の中で──いや集団の中だからこそ、避けられ、なにかと虐められてきたのだと語った。
 まるで他人事のような淡々とした調子だった。
「そんな、理不尽な…」
 思わず苦々しげに呟いたミューラーにブラドは言った。
「ミューラーさんは西の出身ですね」
「あ、ああ……」
「今どきはもう、そんなこともあまりなくなりましたが……昔の体制のせいなんですかね、東の方はやっぱり違うんですよ。もっとも、今にしてもスキンヘッドの連中にとっては、僕みたいなのは『優秀な民族』を汚す存在なんでしょうね」
 赤い瞳がミューラーを見た。署での取調の際には極度の緊張か動揺のためかと思ったが、どうやら彼の震える瞳は生来のものらしい。
「そんなんで、子供の頃からあまりいい思い出はないのか…よく覚えていないんです」
「じゃあ、記憶が途切れるというのは──昔から度々あると言っていたけれど、その頃から?」
「ええ……思い出したくもないことばかりだったんでしょうね。だから、自分で嫌な思い出を消してしまったんだと思います…」
 そう言った顔はどことなく悲しげに微笑っていた。
 だからなのだろうか。不遇な生い立ちを人事のように語るのは。
「それは…今でも度々起こる訳か?」
「いえ──僕がこの遺伝子工学の仕事に就いたのは、“劣性遺伝”のために遺伝に興味を持ったからなんですが、ラボの皆はさすがに理解してくれていますから、嫌な思いをすることもないんですよ。ただ…」
 ミューラーの問いにブラドは心持ち晴れやかな顔を見せたが、それもミューラーには気に掛かる。
 “劣性遺伝”とそう言った。確かにアルビノは劣性遺伝、あるいは突然変異による遺伝障害だ。自分から平然と口にしたブラドは、それを気にしていないというよりも、強く意識しているからこそ殊更に自然さを演じようとしているように感じられる。
 だが、言葉を切ったブラドの表情が翳った。
「ただ、どうも今でも気が付くと別の場所に居たり、何時間も経っていることがあるんです」
「それが丁度、この前事件が起きていた時という訳か…」
「それは……! もしかしたら、僕がその記憶のない間に、人を殺してしまっているなんてことが──」
「いや……君は恐ろしい記憶を頭の中から消してしまったんだろう? だったら、事件を目撃してしまったために前後の記憶が抜け落ちてしまったとも考えられるんじゃないのかな。もしそうなら、そこが思い出せるのなら重要な証言が得られる可能性もあるのだし」
 宥め諭すミューラーの言葉にも、ブラドの表情から翳りは消えなかった。

 ミューラーを送り出した後も、ブラドは玄関口に立ち尽くしていた。
 自分の白い手をじっと見つめる。その掌の上にまざまざと思い浮かぶ赤。赤黒い──血。
(でも、気が付いたとき僕は……僕の手は──)
(言えない……!)
(だけど、そうだ、ミューラーさんの言うように現場を見てしまっただけなのかもしれない)

 ミューラーの言葉を信じたがっているブラドに対し、ミューラーは自分で挙げた見解をそう信じてはいない。ただ、あの犯行が仮にブラドのよるものとしたところで、過去の怨恨の線はないとは踏んでいる。
 ブラドの口から聞いた『白い悪魔』という言葉に少なからぬ衝撃を受けたが、しかしそれは身内から出た心ない言葉であって、現在、世間を騒がす流言とは別の物だ。妻を失った父親の目でもない限り、あの大人しい青年に『悪魔』という言葉を思わせる要素は見出せない。
 だが、『5人の中の1人のアリス』の事例と符合が──。過去に虐待を受けた子供が成長して暴力性を強めることはあるという。彼の過去を当たってみた方がいいのだろうか。
 繋がるような繋げられないような。帰途の車中でずっと浮かんでくる疑念を抱えて署に戻ったミューラーの元に、情報担当のクルト・バウアーからの通信が届いた。頼んでいたブラドのプロフィールデータだろうか。
「ハインツ! ブラド・キルステンは孤児院の出身だが」
 回線を開くなり息せき切って喋る様子は、この日頃冷静な同僚には珍しい。
「ああ、今しがたその話をキルステン本人から聞いてきたところだよ」
「クサい点があるんだよ…。彼は一度、別の孤児院から移されている」
 やはり、過去に何かが?
「どういうことだ? 何があった!」
「落ち着けよ、今から説明する」
 自分のことは棚に上げているようだ。いいかよく聞くんだ、と一呼吸置いて続けた。
「彼が元々預けられていた孤児院は一時閉鎖されて、その際に当時居た子供は全員余所に移されたんだ」
「一時閉鎖?」
「ある職員の事故死──いや、謎の惨殺事件で、児童への精神的影響を考慮してな」
「────!」


Chapter 5 comming soon...

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ここまでが上巻です。
この章にあたるブラドとミューラーの会話は、
心情描写を完全にすっとばして描いているので、
小説版はこの場面のために書きたかったというのが第一なのです。
念のため言っておきますけど、ブラドの過去は
私が年代に合わせて考えたまったくのでっちあげですので。
ブラドが1986年のドイツ生まれという設定に説得力を感じたから
この話思いついたんですってば。
でも、この設定が成立するか資料的裏付けを取るのに苦労することに。