(前略) 私にできることといったら患者を診察するしか能がないのだから、本を書
いたり、講演をしたり、そういうことばかりする水俣病問題のいわゆる大家になってし
まって、水俣に行かなくなり、患者を診察しなくなったら、私は私でなくなるとも考え
た。
それに私には石牟礼道子氏のような感動的な文章もかけず、字井純氏みたいに明確な
資料の分析や理論の展開もできない。せいぜい私にできることは、患者の実態を通じて
医学を語るしかない。水俣病は私たちに医学の存在理由をも問いかけているのであり、
それに答えることしかない。しかし、そのことは、私自身をも告発することにもつなが
る苦しい作業であることも否めない。あれやこれや迷っているうちに一年経ってしまっ
た。それでも、結果的には執筆をはじめたのは、水俣で学んだ教訓――それは実に多く
の高価な犠牲の上に学び得たものであった――があまりにも今日活かされていないとい
う悲しい結論に達したからである。カネミ油症、森永砒素ミルク中毒、土呂久病(宮崎
県)、四日市ゼンソク、イタイイタイ病、スモン病等々、あげればきりがない多くの病
気と水俣病とは、その発生や対策、実態において何と多くの共通点があることだろう。
(後略)
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