実は前のエピソードでこの退屈な駄文を完結させ、ネコのネの字も出てこない不健康な小説でも書いてやろうと目論んでいたのだが、そんな野望を打ち砕くような事件が起こってしまって、やむなく続きを書く羽目に陥ってしまった。が、その事件の前に、それまでと大きく環境が変わってしまったので、まずそれを説明しておかねばならない。
まず、引っ越した。それまで住んでいた昭島と都心からの距離は大差ないが、今度は里山を切り開いた新興の団地街だ。周囲に畑がなく、多摩川から遠離ったのは残念だが、かわりに里山の景観を残した公園を整備しているのがうれしい。広い歩道が駅まで整備され、様々な街路樹が目を楽しませてくれる。そういう場所に移り住んで自身の意識も変わった。車通勤をやめたのは、1人で渋滞の中運転する孤独に堪えられなかったからかもしれない。それにもまして限りある化石燃料を無駄に消費している罪悪感があった。そこで電車通勤に切り替えたのだがこれが正解だった。なにしろ朝の早い生活は変わらないから大体座って都心まで出れる。その間に不足している睡眠時間を補えるのだ。また、駅まで出るのにマウンテンバイクなど買ってワイフに怒られたのだが、草木の季節のうつろいを肌で感じるのが心地よい。運動不足解消にも役立ち一石二鳥だ。
やってみて気付いたのは、案外こういう生活を待ち望んでいたのではないかという事だ。環境さえ整えば、以前の部屋でも車を使わず木々を愛でるような暮らしをしていたのかもしれない。ここでいう環境というのは、住環境のみならず、精神面も含む。家賃が下がって経済的に余裕ができたが、それに伴う精神的なゆとりが大きいのだろう。ゆとりのない生活をしていると、つい合理的に物事を考え過ぎて、ちょっとした気遣いを忘れてしまいがちだ。地球人類のすべてが、これに気付けば、この星はもっと住みやすくなるのだろう。連日のニュースを見ていると、これはとても望めそうにないのだが、僕らは僕らで、できる範囲の事をやっていくだけだ。大地に、自然に少しでも優しくありたい、そう考えるようになったのは、やはり周囲を武蔵野の面影を持つ雑木林に囲まれているからに違いない。
ネコ?。ハナミズは相変わらず女王として君臨している。日がな一日ゴロゴロ寝転がり、思い付くと人でもネコでも殴り満足している。ミミゾウもいまだアイドルで、ワイフのひいきもあって1人食卓に上がる事を許されている。あまえっ子だ。そしてポンちゃんも、タマをなくして多少体重が増したが、わけが分からないままだ。要するにあまり変わっていないって事だ。
その電話がY山さんからと知ったのは翌日の朝の事で、僕は布団にくるまって狸寝入りしていた。なにしろ夜中の12時半の事で、こんな非常識な電話はシカトするよりほかない。5時には起きて仕事に行かなければならないのだが、あいかわらず朝は弱い。だからこんな電話は腹立たしくてしかたないのだ。実家からの緊急の用事だとしても、どうせこんな時間に九州に帰る術もないのだ。とにかく朝は早い、だから朝に電話をしてくれればいいのだ。
そのやかましい電話は、電車の中の僕を急襲した。うっかり電源を切りそびれていた。次の駅で降りてリダイヤルし、ようやく電話の主が分かったという訳だ。だが、その内容を聞いて、火急の用事だと分かった。
Y山さんは僕が電車通勤に切り替えた事を知らなかったのだろう。職場に着くと、車を借りて高輪の彼女の自宅に向かった。段ボールに捨てられていた子ネコ。もうネコの保護は出来ないだろうと考えていたが、狡猾な彼女は、僕を行動させるツボを心得ているようだ。引き取り手がいなければ保健所に連れていくと言われれば、僕が行くよりないと言ってしまう性分だから。いや、彼女が死んだゴロのかわりに育てればいいと誰もが思うだろう、実際Y山さん自身もそう家族に訴えたそうだが、今この家は介護の必要な御老人がいるそうなのだ。人間よりネコが優先するのは僕の家ぐらいで、良識のある普通の家なら当然の事だろう。貸しビルを兼ねたY山宅に着いた時には彼女はすでに出勤した後で、エレベーターホールを覗き込むとそいつはいた。少し薄汚れている、モルモット大の大きさの、痩せたミケの子ネコだった。モルモットという言葉を使ったが、細長い尻尾がねずみのように先細りしている。狭いホールをよたよたとよろけるように走り回るのだが、簡単に捕まえる事ができた。それをダウンジャケットの胸に抱え込んで車に飛び乗った。友人宅のビルとはいえ、朝から不審な行動をとっている事が何となく気恥ずかしかったし、通報でもされたら事だ。これから仕事なのだ。とりあえず、車の中でおとなしくしていてくれたのは助かった。怯えてるようすでもなかったが、抵抗できない程衰弱してる訳でもなかった。それがそうと分かったのは、職場に連れ帰ってからの騒ぎようだった。部屋の隅に段ボール箱をおき、簡易サークルにしていたがあっという間に脱走、デスクの下に手をのばして捕まえ、段ボールにネットでふたをすると、その日の夕刻までずっと鳴き通しだった。いろいろ不満はあったろう。特に、排せつの始末を考えて食事は与えなかったから、そうとうに空腹だった事だろう。そんな状態で様子を見れば、意志がくじけて何か与えてしまうだろう。そう考えると顔を覗き込む事など出来なかった。その日1日、同僚たちはやたらと気にかけてくれたようだが、僕自身よく顔すら見ていなかった。
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その日は仕事がおして、少し帰りが遅くなった。予想外の手荷物に車を確保したかったが、それを立川までとりにいかなければならなかった。幸い三鷹までの便があり、それに便乗できそうだ。ネコを担いだまま帰宅ラッシュの電車に乗るのには抵抗があった。かといって置いておく訳にもいかず、小振りな段ボールを選んで、手製のキャリーバッグをこしらえた。おっと、ワイフにメールを打っておかねばならない。事情を話せば理解してもらえるだろう。彼女だって鬼じゃないんだ。マウンテンバイクやマッキントッシュを買って帰った時ほどには怒られないだろう。
三鷹から立川までの電車代は160円だったろうか。駅員にネコを乗せると言って段ボールを見せたら360円だった。なんだか納得のいかない金額だが、駅員ともめるような面倒は避けたかった。黙って乗せたところで、子ネコが鳴き声を上げる事は十分に考えられるからだ。電車は比較的すいていて、座席に座る事さえできたが、手許の段ボールはそれと悟られないようさり気なく床に置いた。それでも目ざとい人もいて、あっという間に中身がネコだと勘付かれたようだ。気恥ずかしさと、優越感の入り交じったくすぐったい思いだった。
家に着いたのは、もう11時近かったろう。ネコも空腹を抱えたままよく頑張った。水だけは与えたが、途中粗相する事もなかった。ワイフと、ネコたちと、そして僕自身も改めて御対面となった。なにしろ朝からロクに顔も見てないのだ。ちょっと待った。外から連れてきた子ネコは灰色に汚れている。ノミでもうつされてはたまらないのだ。ここ数年のノミ駆除の努力をフイにしたくはない。子ネコを洗うリスクは承知で、洗うよりない。様は湯冷めさせないように手早く乾かして暖めてあげればいいのだ。さいわいとでもいうか、1月前にハナミズが風邪をひいて以来部屋は常に暖房をきかせているのだ。光熱費は痛いところなのだが…。
子ネコは疲れていたのかお湯をかけられてもおとなしくしていた。ユニットバスの排水溝には、びっくりするほど汚れた水が流れた。ネコを捨てると言う事は、本当に罪だ。心が痛む。だが、手早くドライヤーをかけ、皮毛がふんわりと乾いてくると、予想よりはるかにきれいな三毛柄になった。鼻の形に黒い模様があり、個性的でもある。いくらか痩せているが、つくりはかわいらしい丸顔らしい。客観的に見て、美形と呼んで差し支えない。この美しいシンデレラにあらためて一同御対面となった。ミミゾウは逃げ出しポンちゃんは唸り、ハナミズは狸寝入りだ。感動が薄い。
この新入りにのりたまと名付けた事を、Y山さんからもワイフからも批難された。鼻筋の黒い柄と、三毛柄がなんとなくこんなイメージだったのだが、何とも評判が悪かった。まぁ名前はよしとして、この新入り、なかなか社交的な性格の持ち主のようだ。連れ帰った日には気付かなかったが、まったく人見知りしない。僕やワイフにベタベタ。夜はハナミズの指定席である、まくらをちゃっかり押さえている。それでいて先住ネコとトラブルを起すでもない。ミミゾウはあいかわらず逃げ回っているようだが、それも数日で収まった。ポンちゃんはうるさく思っているようだが、のりたまは構わずじゃれかかる、子供のやる事で罪がないとでも思っているのだろう。少し諦めているようにも見える。夜中にはどたどた音を立てて部屋中を駆け回り、僕らのストレスが増えた。ありがたい事に、トイレもすぐに覚えた。当初はコンピューターの下で粗相する事もあった。そのために、フクちゃんの思い出のビデオテープを一本ダメにしたが、そのコピーはすでにY岡家に渡してある。のりたまの罪ではない。子ネコとはそういう生き物だと割り切った。
異変にはすぐには気付かなかった。ポンちゃんは普段からボーっとしてると思われている。ところが、食欲がないのは明らかに体調の悪い事のサインだ。丸まってうつらうつらしているだけで、何も食べてないのに気付いたのは、翌日のりたまを病院で診てもらおうと思っていたその日で幸いだった。翌日にはのりたまとポンちゃんを車に乗せて病院へ行った。
正直なところ、獣医の先生から言われるまでまったく気付かなかった。まったくあさはかとしか言い様がない。先生は苦笑いしていたが、内心僕らの愚行に怒りすら覚えていたかもしれない。ポンちゃんはのりたまから風邪をうつされた可能性が高い。戸外に出ていたのりたまが、どんな病気を家に持ち込んだか分からないが、今のところは風邪の症状しか見られないのは不幸中の幸いだったのかもしれない。ネコエイズ、白血病、ネコを取り巻く戸外の環境はよろしくない。サスケの死で、痛い程味わった悲しみをすっかり忘れていた。まったくうかつだった。下手すると、家のネコたちが皆死んでしまう事態だってあり得るのだ。今まで何匹ものノラを保護し、ノミぐらいしか気にもかけた事がなかったが、これが現実なのである。
痛い注射を打ってもらい、ポンちゃんは回復したが、まだどんな病気を抱えているか分からない。かといって今さら隔離する事も出来なくなってしまった。それが取り返しのつかないものでなければいいのだが、いずれにしても家のネコたちはすでに接触してしまった後だった。
のりたまに関して言えば、保護した時から里子に出すつもりでいた。これ以上ネコを増やす余裕はないし、まず環境が許されなかった。いい人にもらわれてくれればいいのだが、それを探すのがどれだけ骨の折れる事か、骨身にしみていた。だが、あの頃と大きく違う物がある。インターネットの普及だ。のりたまを連れてきた直後に、普段持ち歩いているパワーブックで検索してみると、里親探しのサイトが意外に多いのに驚いた。それでも半信半疑でメールを送ってみると、夜になって携帯に返事が来た。彼等はネコたちの保護に活動している方々だが、直接里親の仲介をやっている訳じゃない。しかし豊富な知識と深いネコたちへの愛情を持ち、親身になってアドバイスしてくれた。三毛の子ネコは人気があって、簡単に里親が見つかるでしょうと心強い言葉をもらった。あとは里親探しのサイトの掲示板に写真つきで書き込んでみるといい、という事だった。探してみると、そういったサイトも掲示板もいくらでもあった。逆に、子ネコが欲しい人が書き込む掲示板もあり、意外にもネコが欲しい人が世間に多い事に驚かされた。東京中の動物病院に電話を掛けて回った過去には信じられない事だった。ところが、里親希望と称して子ネコを受け取り、残酷な目にあわせている人間もいるのだともアドバイスを受けた。悲しい事である。
翌日には早速メールを受けた。それは里親希望者ではなく、協力を申し出た方だった。保護場所が自宅に近かったから力になれる事があればという内容だったが、生憎連れ帰ったのは東京の外れだ。だが、世間は思っていたよりはるかに善意に包まれている事を感じ、強く希望が持てた。この人もまた、ネコの保護のために活動されている方で、その中身も僕らの物とは規模が違う。ネコの数も多く、広範囲に活動し、広いネットワークと、協力者を持ち、金銭や物資による寄付によって運営されている。いつも行き当たりばったりでなんとかやっている僕らと比べて実にシステマティックだ。これも経験によって構築してきたシステムに違いはないのだが、僕のこれまでの行動が幼稚なまでに思えてくる。僕らの努力なんてまだまだなのだ。
週末になってようやく、ぼちぼち反応が出てきた。まっさきにメールをもらったのは、千葉に住む男性からだった。この時はさすがに遠いなと感じて断わろうかと思っていた。実は直後に、本命と思える人からメールが届いていたのだ。その人は子ネコ探しの掲示板に書き込んでいたのだが、ネコと暮らせるマンションに転居する予定の若い女性だった。比較的近くで、まさに待ち望んでいた人だったのだ。里子が決まったという事で諦めていた時に突然きたのだ。早速返信し、話を詰めていき、ほぼ決定と思われたが、意外な展開を迎えた。一度のりたまとお見合いをしようと段取り、連れていこうと申し出たが、逆に来てくれると言い出した。まぁ、顔見せだからと承諾して日取りを決めた直後、遠くて行けないからと、一方的に断わられてしまった。理解に苦しんだ。僕らとしても、こんな不審な人物に渡すのは願い下げだ。顔の見えないコミュニケーションの難しさを感じたが、これはまだ序の口であったと、この時はまだ知る由もなかった。
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僕らが里親に求める条件は、まず家に誰かが常にいる事だった。ネコと暮らせるマンションで、すでに先住ネコがいる事が理想だ。相手は子ネコだし、孤独な思いをさせず、経験豊富な人にのりたまを預けるのが望ましい。その後も何人かの問い合わせを受けたが、そういう意味で皆今一つ決め手に欠けていた。写真を見て欲しいと思うのは構わないが、最期まで面倒を見てくれるのかというその責任が、メールの文面からは読み取れないのだ。消去方で絞っていくと、結局最初にメールをくれた千葉のTさんだけが残ってしまった。一戸建てというのが気になったが、自宅には常に家族がいるという。彼のメールは堅苦しい感じはあったが、誠意は感じられた。さっそくTさんに連絡をとり、取合えず1週間、試しに預かってもらう事になった。少なくともネコを虐待するような悪い人ではない。この人で問題はないと思いつつ、何故か不安を感じていた。
ちょうど年末の忙しい時期で、Tさんはなかなか時間がとれなかった。結局夜に自宅に伺う事になったが、その日にしてもやっと時間を作ってくれたという感じだった。その日の夕刻になって、すっかり情がうつってしまったのりたまを、ケージに詰めようとしたその時だ、突然ポンちゃんが大声を張り上げて鳴いた。いったい何があったのか分からないが、あののりたまを煙たがっていたポンちゃんが、僕とワイフを痛烈に批難するようなヒステリックな声を上げたのだ。今にして思えば、このにぶいと思われているネコにも、不吉な予兆を感じる物があったのかもしれない。もちろん僕らも後ろ髪をひかれる思いだが、約束は約束なのだ。
のりたまを乗せた車は都心の渋滞を抜けて、千葉の郊外の閑静な住宅地へ予定通り着いた。
迎えてくれたTさんは、想像した通りの、良識のある青年といった感じだった。自宅には御両親がいるようだが、のりたまを渡す際には姿を見せなかった。ワイフも不安を感じ始めたのだろう。必要以上と思える程、ネコの扱い方を逐一、執拗に説明していた。僕はと言うと、不安を言い出したら切りがないのだと自身に言い聞かせていたから、このワイフの行動はでしゃばり過ぎで、Tさんに不快な思いをさせるのではないかと思っていた。Tさんは多分、ワイフの必死な思いを解したのだろう。ちゃんと最期まで聞いて、2、3の質問もかわした。彼は善意でのりたまを引き取ってくれるのだ。ひとまず信じてみようじゃないか。ネコと暮らすのは初めて?、僕らにも初めての時があったはずだ…。
相手にしてみれば何気ない一言だったのかも知れないが、ワイフにとって、もちろん僕にもそうだが、それは信じがたい現実だった。その後ワイフは気掛かりなのか連日のようにTさんに電話をしていたが、その日初めてお母さんと話して、それ程関心がないと言った言葉を聞かされたのだ。Tさん自身がどれだけかわいがっていても、家族の同意がないのでは引き渡す訳にはいかない。ちょうど約束の1週間だ。連れ戻すつもりでTさんに連絡をとった。その電話の最中だった。電話の向こうで何か異変が起きたらしい。かなり混乱しているようだが、どうものりたまがいなくなったようだ。僕とワイフはきっとどこかに隠れているんだろうと楽観していたが、これ以上Tさん宅に置いておくのは我慢がならなかった。夜の湾岸道路を飛ばしてTさん宅へと急いだ。
Tさんの説明によると、電話に出るために2階から降りた際、窓が少し開いていて、そこからベランダに出て落ちたのではないかという事だ。これがワイフが恐れていた初心者の油断だ。僕らなら僅かな隙間をネコはすり抜ける事をよく知っている。何年一緒にいても、知らぬ間に風呂や隣室に閉じ込めてしまう事が時々ある。だから、のりたまはTさんと一緒に部屋を出て、広い一戸建ての中を彷徨っている可能性だってあるはずだ。だから、Tさんの家族にはもう一度家の中を探してもらい、僕とワイフは懐中電灯を手に庭を探した。
それからと言うもの、ワイフは仕事を休んで連日千葉まで出かけてのりたまの行方を探した。僕は僕で、里親探しでお世話になった人から、近くで保護活動されてる方を紹介してもらい、何かと助言を得た。そして休みには1日かけて捜索範囲を広げてみた。チラシを刷り、一件ずつ配って回った。もちろん、Tさんも家族で近所中を探している。厳格そうなお父さんは、まっ先に保健所などに問い合わせてくれたらしい。お母さんも責任を感じているのだろう、一緒に足を棒にしてくれている。多分控えめな方なので、のりたまに関心がないような返事をしてしまったのだろう。実に優しい方だった。一家は庭にバードフィーダーを作り、子イヌを保護する心優しい人たちだ。その子イヌも、最期まで面倒を見ていたらしい。のりたまにとって、悪い環境ではなかったかもしれない。だが、Tさんは大きな過ちをおかしていた。彼は一旦自分の部屋に閉じ込めておき、慣れたら家中歩きまわれるようにするつもりだったらしい。それではいけないのだ。早い内に、家族全員に愛されてる事を認識させるべきだったのだ。いろいろ事情はあるだろうが、子ネコの気持ちは二の次にされてしまった。僕らが望んだのは、家族の一員として迎えてくれる里親で、ペットの飼い主などではないのだ。もっとも、それを見抜けなかった僕らにこそ、問題があったのかもしれない。
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その後もワイフの千葉通いが続いたが、残念ながら、まったく足取りがつかめないままだ。長い移動時間も、迷いネコを探す為の本で研究していた。その頃僕は仕事中にもかかわらず、のりたまの事を考えてはため息を吐き、ない知恵を絞る。そして、一つアイデアが出た。実行するには財布を握っているワイフの承諾が必要だ。そのワイフから、逆に電話がかかってきた。彼女が読んでいる本の作者、白澤実氏は以前お世話になった事もある、高円寺に事務所を構える動物専門の探偵なのだ。ネコ探しのプロに依頼するしかない、2人とも同時に同じ事を考えたようだ。
夜の10時、僕の帰宅より遅く、白澤さんはこんな田舎にまで来てくれた。遅くなったのは、その日仕事で山梨まで行っていた為で、とにかく多忙な方なのだ。ペット探偵のパイオニアとして、TVや雑誌に取り上げられ、最近は海外からも依頼が来るような有名人である。家の粗末なリビングに向かい合うと、TVで見た印象より優しそうなおじさんという印象を受けた。そしてその最初の言葉は、「人間は嘘をつく」だった。知られたくない事情や、見栄の為に、行方不明になったと嘘をつく人間はいる、それを何度も体験している人の言葉だ。ただ、今回の件に関してはそれは考えにくい事は説明したが、やはり動物の失踪の原因は人間が原因なのだ。人間の為に動物たちは苦難を強いられているからこそ、彼のような人間が必要なのだろう。
探偵とは言っても、地道な聞き込みや追跡調査をするだけのプロという事ではない。動物行動学の専門家と考えるといいだろう。科学的な裏づけによって、捜し出すのだ。Tさん宅で、白澤さんの信頼する担当者が捜査に乗り出して、僕らが気付きもしなかった子ネコの足跡を捜し出した。さい先のいいスタートだ。少なくとも、のりたまは戸外に出ている可能性が高まった。周辺地域の緻密な調査と同時に、効果的なコピーに替えた新しいポスターを近所の学校などに貼らせてもらう事になった。プロの仕事である。手際がいい。あとはお任せするしかないだろう。
3日の調査期間が終了し、僕らの元に調査報告書が送られてきた。そこには、おそらく地元の人も知らないような30数匹の外ネコの、色や大きさ、行動パターンなどの事細かな報告が書き込まれていた。だが、肝心ののりたまを捜し出すには至らなかった。報告書は、すでに第三者の手で保護されているか、身動きがとれない危機的状況にあると結論付けてあった。もう、これ以上の手立ては考えられなかった。小さな命を救い出そうと、多くの善意が働いた。なのに、運命の川の流れを変える事は叶わなかったのだ。神がいるとすれば、それは酷く残酷な存在である。ただ一つ救いがあるとすれば、Tさんのお母さんが気に病んで成田山に救いを求めた際、すでに誰かの腕に抱かれているのが見えたそうだ。今は皆、それにすがるよりなかった。
のりたまの一件の心の整理がつかない内に、またしても僕らを陥れるような事件が起きた。この数日、やけにハナミズが痩せたように見えていたが、どうやらドライフードをまったく食べていないようだった。毛艶がなく、どことなく動きも鈍い、いや、動く事がなくなったのだ。病院へ連れていったが、脱水症状を起しているらしく、すぐに点滴を受けた。トレードマークのハナ水さえも乾いているのだ。ポンちゃんの時は風邪という診断だったが、ハナ水が垂れてない以上、同じだとは考えにくい。先生は別の原因を考えていた。ハナミズはもはや高齢の域にある。そうでなくとも、色々と病気を抱えた身で、身体にもだいぶくたびれた箇所があって然るべきなのだ。事、腎臓は老ネコのウィークポイントらしい。ここがうまく機能しない為に、脱水症状が起きているのかも知れない。もし、そうだとすれば、連日のように病院に通い、点滴を打ち続けなければならない。ハナミズ自身にも、僕らにも相当な負担だが、やむを得ない…。が、ここはひとまず様子を見ようという事になり、一旦引き下がった。
だが、その夜も回復する事はなく、ますます悪化しているようにも見える。缶詰めを与えても、匂いを嗅ぐだけですぐに立ち去り、結局ミミゾウとポンちゃんに食べられてしまうありさまだ。翌日、また点滴を打ちにいった。そこで血液検査を受けて、腎臓に問題がない事が分かり、ひとまずホッとしたが、それで症状が改善される事はなかった。夜になって、起き上がる事の出来ないハナミズが酷く呼吸を乱して、体が小刻みに震えていた。今まで病気と戦いながら生き続けてきたハナミズだが、今度ばかりはダメかも知れない。いずれはこういう日がやって来るのだ。むしろ病気を抱えたハナミズは長生きした方だ。彼女にその日が来る時には、よく頑張ったと笑って送ってやれるように心の準備をしておこう…。もし苦痛が伴うのなら、尊厳のある最期を与えてやろう。プライドの高い彼女らしい死を与えてあげる事が、僕らにできるせめてもの愛情だと思う。
翌朝、出勤前に、どうせ食べもしないドライフードを皿に盛った。もう何年も繰り替えしている習慣だから仕方がない。ところが、ハナミズはちゃんと起きて、足をふらつかせながら皿に頭を突っ込んだのだ。いや、食べた訳じゃない。だが、匂いを嗅ぎ、何とか口に含もうとしていた。それを見た瞬間、僕の体に電気が走り、自らのあさはかさを恥じた。ハナミズは必死に生きようとしている。懸命に、胃に何か入れようとしているのだ。僕は愚か者だ。簡単に諦めて、それを尊厳やプライドと言う言葉で誤摩化していた。彼女は今、生きるために戦っている。それは病気と戦いながら生きてきた彼女の生きざまそのものじゃないか。辛い出来事が続いて気弱になっていたのかも知れない。だが、ハナミズに生きる意志がある限り、決して諦めてはならないのだ。毎日病院に通い、点滴を打っても、それを苦に思ってはならないのだ。
病院で再度血液検査を行ない、先生はポンちゃんと同じ風邪だろうと結論づけた。恐らくハナ水も乾いてしまう程に脱水症状が進んでいたのだろう。内蔵には特に問題はなかったが、さすがに免疫機能だけは低下していた。そこで数年ぶりにインターフェロンを注射してもらった。初めて打ったあの時に比べて普及したのだろう、だいぶ安くなっていた。効果はすぐにあらわれて、ハナミズは急速に回復してきた。もう2度と、見捨てるようなまねはしない、そう心に誓った。
2002年、春、ハナミズはまだ生きている。
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つづく
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