相変わらず荒んでいた。今あるのは、不安と無気力と憎悪しかなかった。そんな自分自身が悲しく、なんとか抜け出したかったが、その方法が見つからなかった。ホームに立ち、電車に向かって飛び込めば楽になるだろうと考える事もあったが、今一つ踏み切れないでいる。ワイフやネコたちが路頭に迷うような結果は残したくなかった。偽善者ではあるが、悪人にはなりたくないのだ。それが重荷となって、僕の毎日にプレッシャーをかけていた。死を選ぶ自由すら持つ事が許されないのだ。
とにかく会話が億劫だ。誰と喋っていても、表面を取り繕うので精一杯なのだ。愛想笑いでごまかす機会が増え、それで何とか仕事に支障を与えなかったろう。だが、もはや限界が見えていた。逃げ出したかった。それも、周りに知る人が誰もいない、隔絶された世界を望んだ。一つ候補地があった。それは、秀でた才能を有しながら、生涯画壇に立つ事なく、生前評価されることなく果てたある日本画家の果てた南の島だ。僕には死後評価されるような才能などは持ち合わせないが、世捨て人になる事はできる。誰も知らぬ南の島でワイフとネコたちと慎ましやかに暮らす事が望みだ。というより、それ以外の展望は見いだせなかった。ワイフだって終の住処を南の島と決めている。それが少し早くなるだけだ。ハナミズだって暖かい方が体調がいいのだ。躊躇する理由はなかった。
そうは言っても移住となると何かと面倒だ。現地で職を探し、住居を探さねばならない。引っ越す費用はどうするのか。いや、すべてを捨てていくのだから、身一つあれば事足りる。田舎ならネコと暮らせる一軒家だって借りれるだろう。仕事だって選ばなければいくらだってあるはずだ。肉体労働の方がむいているかも知れない。今はいい時代だ。こんな南の果てでもインターネットを駆使すれば都会なみに情報を手に入れる事ができる。とにかく行くだけ行ってみよう。そしてワイフを連れ出して小さな飛行機に乗り込んだのだ。
それは予想を上回る美しい島だった。澄んだ海に深い森。芸術家であれば創作意欲を揺り起こすようなワイルドな魅力に溢れている。東京の生活では考えも及ばないような大自然が目の前に、手の届く所にあるのだ。そして、知人が誰1人いない孤独があった。
透通った波が打ちつける波止場に立ち、ワイフがふと問い掛けてきた。本当にこの島で生きていけるのかと。僕は、返す言葉が見つからず、ただ打ちつける波を見ていた。結局なんの返答も思い浮かばなかったのだ。
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東京の南側、特に品川区大田区といった場所はどうにも苦手だ。埃っぽい乾いた空気が淀んでいるような気がする。実際、京浜工業地帯を貫く道路を、トラックが黒煙を吐きながら24時間休む事なく走り回っているのだから、空気がいい訳がない。貧弱な街路樹も痩せ衰えて、更にビル群が光合成に必要な日光を遮っているのだ。五反田の辺りなら、目黒川という名ばかりのドブが異臭を放ち、コンクリに固められた護岸の半分程の高さまで黒い汚泥が堆積しているようだ。投げ込まれたゴミから、誰もこの川を愛してない事が分かる。僕はこの川を渡って通勤している。この川で唯一の自然といえば、ゴミを漁りに来てるのだろうか、ユリカモメの群れだろうか。人を恐れる事なく橋の欄干に当たり前のようにたたずんでいる。鳥は好きだが、このユリカモメという鳥だけはあまり好きになれない。あの赤く血走ったような鋭い目つきが、都会に生きるために人の隙を常に狙っているような、狡猾な卑しい人間の目つきを思わせるのだ。カラス程の愛嬌も感じない、感情の希薄な目だ。誰も信じない、平気で嘘をつく、人を傷つける事を厭わない、そんな誰もが嫌悪を感じるような人間のイメージだ。そしてそれは、今の僕自身の姿のようでもある。今はまだ化けの皮をかぶったままなのだろうが、もう時間の問題だ。そう、僕の人間不信は相変わらず治る事がなかった。そして、そんな自分自身に嫌悪感をもって、また自分自身が嫌になっている。もう泥沼の状態なのだろう。心が荒んでいるのだ。そんな僕にはきっとこの淀んだ東京の南部の空気が似合っているのかもしれない。
大崎の駅前に出た。ここも巨大な再開発ビル群が立ち並ぶ、コンクリートの世界だ。事前の介在するゆとりはどこにもない、冷たい街だと思う。だが、その痩せた街路樹に飛び交う1羽のスズメが目に止まった。どうという事のない光景だが、やけに気にかかる。あのスズメに仲間はいないのか、孤独なのか。遠くに飛び立とうという気配はない。巨大な都市の中で、僅かな、潤った世界がそこにあるのだろうか。そこから離れる事は、大海に漂流するような、いや、東京を砂漠と称した作詞家は誰だったろう。別に自分自身を投影するとか、何かを悟ったとかそういう事ではないのだか、何ぜだかずっとそこに立ち止まり、仕事も忘れて見つめていた。なぜだろう、なぜか癒されるものを感じていたのは確かだ。
それからまもなく、職場を移った。今度は都心ながら、周囲をマンションの木立に囲まれた、鳥たちの集まる場所にあった。仕事の合間を見ては集まる鳥たちを見る機会が増えた。そんな些細な事で、それまでの苦痛は不思議とやわらいでいったのも不思議な話だ…。
その晩家に帰ると、またしてもワイフが何かを拾ってきたような後ろ姿をしていた。もうその背中で分かるのだ。だが、いつもと多少様子が違うのもすぐに気付いた。何といっても、子ネコの姿が見当たらないのだ。床にしゃがんでいるワイフの目の前には見慣れたキャリーバッグが置かれていて、それが何かは話を聞くまで思いつきもしなかったのだ。
ワイフのバイト先で前の日に産まれた子ネコのうち、1匹が育児放棄されたらしい。ワイフは早々に仕事を切り上げて、いつもの動物病院に駆け込んだ。とはいえ昨日産まれたばかりで、まだ生きているが多少衰弱しているらしい。いろいろアドバイスをもらったが、回復させるのは難しいだろうという言葉ももらった。家に戻ってすぐに、助言通りに子ネコがひえないように知恵を絞った。それがこのキャリーバッグだった。お湯を入れたペットボトルをタオルで巻いた、いわゆる湯たんぽに、何層にもタオルを敷き、ドーム状の透明のふたを閉じたお手製の保育器である。覗き込むと、毛の生え揃わない痩せたネズミのような生き物が眠っていた。ひっくり返って出しているお腹にはまだへその緒が生々しく残り、呼吸とともに動いていた。とはいえ、かろうじて生きている印象は拭えない。僕とワイフの思いつめたような表情を察したのか、ネコたちも不思議とおとなしくしていた。ハナミズなら何とかしてくれそうな気もしたが、彼女の母性は人間たちのエゴによって奪われて久しいのだった。そして翌朝、先に起きた僕がへその緒ちゃんの2日の生涯が終えた事に気付いたのだった。
翌日、へその緒ちゃんのささやかな葬儀を執り行なった。僕の借りている駐車場の片隅、夏にオレンジ色の花の咲く植え込みに真新しいタオルに包んで埋めた。おかえりなさい…。他人の土地だし、本来こういった事をやってはいけないのだろうが、虫のように小さな体はすぐに土に還るに違いない。そして来年の夏、オレンジ色の花になるのだろうか。その時までは生まれ変わりなんて信じたくないと思っていた。弱気になった人間が自ら命を断つ言い訳になるようで嫌だったのだ。だが、こういう生まれ変わりならそれも悪くない。そしていつの日か、その魂と再会したいものだ。僕にそう思わせた事でへその緒ちゃんの2日の生涯にも意味があったかもしれない。僕はあいも変わらず事故の後遺症を引きずって今だに他人の目を見る事が出来ないが、あの死んだネコの魂の存在を信じる事で救われるような気がした。
へその緒ちゃんを埋めた次の日、九州の義弟夫婦に子供が産まれたと連絡が入った。ワイフもきっと僕と同じ事を考えたようだ。
秋晴れの気持ちのいい朝にその事件は起こった。僕は仕事をさぼって駐車場でバードウォッチングにふけっていたが、その静寂を破るようにタイヤの軋む音が響いた。車はシルバーのメルセデス、それも近年のモデルで、ドライバーの懐具合がすぐにうかがえた。駐車場の出入り口をふさぐように止めたのはこの界隈に多い、不必要に着飾った御婦人だった。彼女は慌てて車を降りていきなり「ボルゾイ見なかった!」と、叫んだ。唐突にだ。「えっ、ボルゾイ?」僕にはすぐにその姿が想像できた。長い顔に垂れた耳、しなやかな体を覆う美しい皮毛、長く伸びた四肢、ロシアでは狼狩りに使われる大型犬。そんなイヌがいればすぐに分かるはずだ。御婦人は僕の答えも聞かず、駐車場の奥まで走り込んで、塀によじ登って愛犬の名を叫んだ。その声に応答がないと分かると、またメルセデスに乗り込んで走り去った。あっと言う間の出来事だった。その直後、檻を積んだバンが目の前を通り、事情は飲み込めた。あの御婦人の愛犬が姿を消し、界隈に大型犬がうろついていると通報があったのだろう。ポメラニアンやパグ犬ならともかく、ボルゾイが1匹でうろついていたらやはり恐いものだ。通報した人の気持ちはよく分かる。それにしても、こんな東京のまん中に、今だに野犬狩りのような仕事をしてる人がいるのにも驚いた。あの人たちは普段どんな仕事をしているのか興味がある。だが、同僚たちの興味は僕がなぜボルゾイなどと聞いた事もない犬種を知っていたいたかのようだ。確かに知名度の高いイヌではない。御近所で頻繁に見かけるような流行りのイヌなどではないのだ。そして今後流行る可能性も低いだろう。こいつとともに生きるためには、経済、環境、体力にかなり高い水準を要すると見ている。ただかわいいからという理由で手を出すべきイヌではないだろう。そんな訳で僕らはあきらめている訳だ。逆に言えば、僕らに手に入れる資格さえ備わっていれば間違いなく愛犬としているはずだ。名前もぼるぞう決めている。まぁ将来チャンスがあればという所だ。だが、それにしても東京のような過密都市で養うのはそうとうに骨の折れる事だろう。あれだけの大型犬の運動量を考えれば、たとえ体力に自信があったとしても辛い事だろう。広い場所で、リードを放す事が出来なければ、ボルゾイにストレスを与えるだけだ。残念ながら、都心部にそんな環境があるとは思えない。リードを放せば通報されるのがオチだ。あの御婦人は、いったいどういう環境にいるのだろうか?。そう考えると、逃げ出した理由をあれこれと余計なお世話だが想像してしまうのだった。
数日後だが、その御婦人がボルゾイを連れて繁華街を散歩しているのを見かけた。本当に余計なお世話だったようだ。
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友人のY岡さんが中米に行ってる間、フクちゃんとジムシーは久留米の実家に預かってもらっていたのだが、そこでフクちゃんが車にはねられて死んだと聞いたのは事故からだいぶたってからだった。
僕らがネコは室内でと言っている一番の理由が、こういった事故をさけるためである。この場合事故とは車に限らず、外ネコとの接触による傷害沙汰、そして病気など様々の、ネコ自身を傷つける事例をいう。それでもネコがかわいそうだという人には、愛してやまない家族が不慮の事故に傷付き、障害を持つ悲しみを想像できないのだろうか。ネコの側に立てばと人は言うが、外の世界を最初から知らなければ、別段家の中でも不幸と思う事はないのではないか。こういう意識は都市生活者の中には常識となりかけてはいるが、残念な事に地方ではまだ浸透していないように思う。イヌもネコも戸外で飼うものという古い常識がまかり通っているのだろう。
しかし、これはやはり僕の一方的な理想に過ぎない。一度外の世界を知ってしまったネコを、室内に閉じ込めてしまうのも酷な話だというのも理解できる。僕が許せないのは、それを逆手にとって、トイレの躾の義務を怠っている輩がいるということだ。そんな無責任な事を堂々とテレビで喋っている頭の悪い文筆家を見かけて、ブラウン管に食って掛かった事がある。ふざけるな!、と。ウンコの始末を近所の方々にさせておいて自分は遊ぶだけなのに、愛猫家をきどっているのだ。名前を醒えていたらきっとここで公表しただろう。自身の無責任振りを自慢気に語る愚か者とだけ言っておこう。
フクちゃんはまだY岡家にいた頃にベランダから落ちたと聞いているから、まったく外の世界を知らない訳ではない。そこに持ってきて、まだ安全な九州の地方都市の中でたまたま戸外に出る事故があっても、この実家の人たちを責める事はできない。まして僕はまったくの他人で、Y岡家の実家の実情を知らないのだ。フクちゃんの死は悲しい事だが、外の世界を知り、自由に振る舞っての最後だから不幸ではなかった、そう考えた方がよさそうだ。また、そう考える事で、彼女とかかわった人たちの喪失感も埋められるのではないだろうか。もっとも、もっと間近にいた人たちの悲しみは想像に耐えない、今ここで僕は傍観者でしかない。僕らの部屋で、ハナミズやミミゾウと戯れていた思い出は、遥か昔の事のような気がする。冥福を祈る、それだけだ。
僕が書くのは差し出がましいが、Y岡家では近年お父様を亡くされ、お母様がお一人でいらっしゃるとか。今ジムシーは大事な家族としてかわいがられているそうだ。
相変わらずの多忙だ。睡眠時間は重要なのだ。それなのに、枕元に荒い息遣いが聞こえる。枕元というより、頭の上からだ。息遣いだけではない、髪の毛を弄ばれているようだ。引っ張られるというより、髪の束を噛まれている。痛い訳ではないが、あまり心地よい感醒ではないな。息遣いの主はどうやらポンちゃんらしい。寝ぼけ眼にも白い尻尾が動くのが見えた。それにしてもこれはどういう行動なのだろうか。
もともと奇行の多いポンちゃんだから、今さら何を始めようと驚きはしない。僕らを仰天させるならば、所謂ネコらしいしぐさかもしれない。あいも変わらず構造が分からないほど体を捩って眠り、人を見れば頭突きをかまし、夜にチャネリングしている。これもその行動の一環なのだろうか。ま、実害もないし放っておこう。髪を噛まれる感触も、スキンシップの一つと割り切れば決して不快じゃない。
原因は案外簡単に分かった。ワイフが言うには、最近ポンちゃんが壁や柱にスプレーしているらしい。分かりやすく言えばオシッコの事。普通の排尿とは方法も意味も違うが、出ているものにあまり変りはないと思う。普通オシッコはトイレにしゃがんでやるものだが、スプレーの場合立ったまま目標物にお尻を向けて少量をかける。ようするに匂いをつけて縄張りを作っている訳だ。イヌのオシッコと同じ理由である。この行動はネコ科の動物にはよく見られる自然な行為なので、時折動物園で驚かされる事もある。以前羽村動物園でもぞもぞと尻を持ち上げるヒョウを見て、とっさに逃げた事がある。案の定檻の外に向かってシュッと出してくれた。あの時はスプレーの知識がなければマトモにくらって縄張りにされていたかもしれない。まぁ健康なネコ科のオスならあたりまえの行動という事なのだ。問題は、このあたりまえの行動を、あたりまえじゃないネコ(らしい)ポンちゃんがやっている事が驚きなのだ。
匂いをつけて縄張りを誇示するのは発情期の行為と考えていいだろう。ポンちゃんにもそんなネコのような時期があったのだ。あの苦みばしったしかめっ面の奥底に、満たされない不安な気持ちが沸き上がっているのだろう。髪を噛む奇行も、そんな気持ちを噛み殺そうとしているような気もする。なんとかしないとかわいそうだが、そういう行動が面白いのでそのままにしている。僕らはまったく酷い人間だな。そうこうしているうちに、発情期も治まった。だが、ポンちゃんを手術する日は決して遠くないだろう。今は、もうちょっと楽しませてもらおうか…。
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あらかじめ断わっておかねばならない。ここに書き出している駄文は、いちおうエンターテインメントである。エピソードは事実だが、多少の演出がある事は否定しない。こと、時間の経過については記憶の不確かな部分もあって前後している所もある。これから書く事も、実は後述するエピソードより後の話なのだが、ポンちゃんの手術の話も出たついでに書き出しておこう、と、前置きを入れておけばいいだろう。と、いうよりそんな事を気にかける人もいないだろうな…。いつ頃の事かといえば、20世紀最後の天才マンガ家であるねこぢるさんが謎の死を遂げた頃だろう。彼女を天才と呼ぶ事に異論があるだろうか。巨匠、手塚治虫の魅力は計算された構成力と思うが、それと対極にある、感性で書くタイプのマンガ家だろう。だから初期の作品が面白い。ネコを去勢する話は名作としか言い様がない。だから我が家では、去勢手術を「しりつ」動物病院を「うどん屋」というスラングがまかり通っている。
そういう訳でポンちゃんを「うどん屋」、もとい動物病院へと連れ出した。ミミゾウを去勢した時の経験もあり、僕らも手馴れたものだ。前日から他のネコと一緒に絶食させ、朝一番に病院に行き、手術承諾書にサラサラとサイン。どうせ夕方までやる事もないので、家に帰ってハナミズとミミゾウに食事を与える。たっぷり食べておかないと、ポンちゃんが帰ったらまた絶食なのだ。そして、ごく普通の休日のように外出し、買い物をしてお茶を飲み、夕刻を待った。
約束の時間だ。ミミゾウの時は、痲酔が醒めたばかりのボーっとした状態の所を受け取った。だが今回は、まだ痲酔が醒めてないという理由で引き渡してもらえなかった。事の重大さに気付くのが遅れたのは、ポンちゃんだからだったかもしれない。痲酔とはいっても歯医者で使うような局部痲酔とは違う事に。人間の手術なら術中専門の痲酔医が立ち会う全身痲酔なのだ。そんな人間の手術でさえ、痲酔による事故は皆無ではないらしい。まして小さなポンちゃんの体ではちょっとした痲酔の量の間違いで簡単に死に至るはずだ。そう気付いた途端、強烈な不安に襲われた。かといって、素人の僕らになにかできる訳もない。病院の待合室はあまり広くない。また外に出たほうがよさそうだ。目が醒めたら携帯に電話をもらう事になった。「このまま目が醒めなかったら」そんな不安ばかりが頭をよぎった。あのマンガのオチはブラックなものだったが、現実にはどうなのだろう。承諾書の内容もロクに見ないでサインした事を悔やんだ。いや、もしもの時、カネで解決して済むのか。そうこうしてるうち、やっと連絡が来た。寝ぼけ眼のポンちゃんをこれ程愛おしく思った事はなかった。その一方で、なかなか目を醒さないのをポンちゃんらしいとも思ったものだ。
同僚で友人のY山さんからビデオカメラを貸してほしいと申し出があった。断わる理由もないのだが、躊躇したのには訳がある。それはミミゾウが家に来て間もない頃、海外旅行に行くという別の友人からも同様の申し出があった。せいぜい1週間や10日だろうし、土産を条件に快諾したが、1ヶ月も2ヶ月も帰ってこなかった。しびれを切らして電話すると、現地のホテルで従業員がうっかり床におとして壊れたらしい。それで修理に入れている最中だというのだ。僕は彼の非常識ぶりに呆れ果てた。壊れたのは事故だ、仕方がない。それを黙っておいて、直ってから何事もなかったように振る舞おうという魂胆が見えた。保険が使えると聞いて、新しいのを買って返せとも言える状況だったかも知れないが、もう十数年来の友人だし、ここは大人になってグッと堪えた。ただ、この事件のためにかわいい盛りのミミゾウの動く映像を残せなかった事が悔やまれた。だがこれはY山さんにはまったく無関係な事件だったし、彼女は借りる理由から僕が断われない性分だと分かっていたのだ。
彼女の家にはもう十何年ともに暮らしていたネコがいる。名はゴロというメスらしい。さすがに高齢で、時折病院に通ったり、歯がすべて抜け落ちたというような話を聞いていた。このゴロの死期が近い事を感じた彼女は、せめて最後に動く姿を記録しておきたいと思った。これはネコとともに暮らす人間として当然の欲求だろう。写真はいくら撮ってもスチールでしかない。皆が岩合光昭のような写真を撮れる訳じゃないのだ。あの暖かい手触り、毛皮の質感を表現するのは難しい。だがビデオならある程度のリアリティを素人でも再現できる。動く映像のインパクトはやはりスチールとは違うのだ。絶滅したタスマニアタイガーのフィルムを見た人は多いだろう。セピア色にくすんでいるあの動く動物が、もうこの世界に存在しないと考えた時の刹那さは、他の絶滅動物のそれとはかなり感慨が違う。リアルなのだ。だからこそこの記録は重要で、野生動物の保護を直接視覚に訴える貴重な教材となっているのだ。問題がない訳ではない。これを個人に置き換えた場合、残されたY山さんが視聴に堪えられるのか。記録は記録でいいが、これからは悲しみ以外生み出されない。画面の中のリアルはバーチャルなものでしかないのだ。もう存在しない事実だけを強く感じるだけだろう。それでも僕らはビデオを回しつづける。記録は記録として残しておきたいのだ。そして記憶が薄れた時、テープの封印を解けばいい。そう思うと、ますますミミゾウの記録が惜しくなった。
それから間もなくゴロは死んだらしい。天寿をまっとうした大往生だ。すばらしい最期である。
サスケが死んだ。サスケとは、ハナミズの子供でM田さんに里子に出した黒ネコだ。白血病だったそうだが、皮肉な事にハナミズに最初に疑った猫エイズをも患っていたそうだ。その年の正月にもらった年賀状で、サスケの闘病を知り、慌てて送った電子メールの返事でその死を知らせてくれたのだ。今ここでネコを外に出す事の是非を論議するつもりはない。子ネコの頃に何度か写真をもらったが、無責任に追い出している様子は感じられなかった。M田さんは年末からサスケを連れて病院に通い続け、連日輸血を受けさせていた。若い女性がクリスマスも返上でだ。その苦悩が年賀状の簡潔な文章の行間に読み取れて、受け取った僕らも心苦しかった。彼女の愛情に包まれて、サスケは安らかに天に召されたと信じよう。そして恐らくM田さんは激しいペットロス症候群におそわれるだろうが、またいつの日か、サスケのように愛情を注げるネコと暮らしてほしい。サスケを保護した人間として、そう願わずにいられない。
子供より長生きしてしまった病身のネコのハナミズだが、そんな悲しい出来事などまるで気付きもせず、相変わらず家の女王として君臨している。ミミゾウもポンちゃんも彼女にだけは力でかなわないのだ。そんなハナミズだが最近妙に感じる所がある。なんだか口の周りが黒く汚れ、ドライフードを食べ辛そうにしている。左上の牙は以前から先が欠けているが、反対の牙が妙に長いような気がした。抜けかかっていると理解したのはそれから間もなくの事だ。ぐらぐらと揺れ、時には妙な方向に曲がっている。それが痛むのだろう。食べ辛そうにするのだが、ドライフードをふやかしてあげてみても手をつけない。あくまで硬い食事しか口にしないのだ。まったくの頑固ものだ。そういえば、野田知佑の愛犬ガクは、死ぬ前に毛皮と牙を椎名誠と形見わけする事を約束していたそうだ。さすがに毛皮は気が引けるが、牙を残すのは何となくハナミズらしい気がした。大事にとっておこうと思い、抜けるその日を待ったが一向にその気配はない。そんなある朝、食事をとるハナミズの口元に牙がなくなっているのに気付いた。ハナミズが何事もなかったようにバリバリと音を立てているその周囲を探したが、牙は見つからない。飲み込んだのだ。そう気付いた瞬間に青ざめた。あんな物が体内に入って消化器官を傷つけたりしないのか。ミミゾウは毛玉で腸を傷つけ血便を出した事がある。牙はどうでもいい、病院に連れていく前にできる事はないか、いつもの医者に電話した。牙に着いた歯垢で下痢をするぐらいで心配はいらないと聞き、ホッとした。そんな事があってから、ハナミズの牙は1本ずつ抜けていった。このネコにも間違いなく最期の時は近付いている。そう思えばこそ、愛おしく思えるのだ。と、背中を撫でたら奥歯できつく噛まれた。
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つづく
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