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僕らはひどくうちひしがれていた。子ネコが死んだショック以上に子ネコを死なせたショックが大きかった。これまで、なんとか子ネコたちを里子に出してきたその自信が音を立てて崩れていた。僕らは無力だった事に気付かずにいたのだ。最初から衰弱していた、所詮長生き出来なかった、多くの慰めの言葉がそのまま僕らを傷つけた。なにより、保護に骨を折ってくれたN村さんに申し訳がなかった…。
一つ困った事が起きた。子ネコを弔おうにも名前がないのだ。僕らは子ネコを保護する際には情がうつらないように名前を付けないように努めているのは前述の通りだが、それが裏目に出てしまった。大きな過ちだった。たとえわずかな間でも名前を呼んでコミュニケーションすべきだったと。そう、それでネコが人間に慣れてくれれば、里子に出すときも都合がいいではないか。ましてこんな悲しい時には…。さっそく残った子ネコに名前を付けた。いや、僕もワイフも内心準備していた名前があったのだ。常に里親が見つからない事態に備えているのだ。気が強く神経質な富士額には、カイゼル髭と言わないまでもチョビ髭のブチがあり、20世紀の誇ったアーティストの名を借りてダリ。おっとりした下顎の白いのはツキノワグマの模様を連想するのでクマと名付けた。名付けのセンスは素晴しいとしか言いようがない。
不思議なもので名前を呼ぶようになると、急速に僕らに慣れてきた。牙を剥いて威嚇する事もなく、普通に触らせてくれるようにもなった。最初からこうすればよかったのだ。この珍客の存在にミミゾウは落ち着かないようだが、ハナミズは例によって無関心なのも助かる。少し寂しい気もするのだが…。
この頃になると、2匹の健康に不安はなくなっていた。元々他の個体よりも生命力が強かったのだろう。そろそろ里親探しにも本腰を入れねばならない時期にあった。だが、僕らは互いに厚かましい野望が芽生え出した。兄弟まとめて面倒みてくれる人に譲りたいと。これ以上兄弟が離れ離れになるのは耐え難かったのが半分。里親探しの労力を削りたかったのも半分だった事は少々後ろめたい。そんな時N村さんから吉報が飛び込んだ。彼女もまた、子ネコの行く末を案じ、色々と骨を折ってくれていたのである。同僚に引き取ってもいいというありがたい方を探してくれたのだ。それも望み通り兄弟で引き取ってくれるというのだ。この申し出を断われる筈もなく、ダリとクマは新しい家族とともに暮す事となった。こと、クマという名前が気に入ってもらえたらしく、その後もその名を通しているらしい。
後日、N村さんからハナミズのダイエットフードを頂いた。感謝の意という事らしいが1匹を死なせた事が申し訳なく思えた。
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ミミゾウはきょうもハナミズにいいようにあしらわれている。まずは鋭い目つきで睨み付けると、ミミゾウは耳を後にそって警戒する。圧倒的に威圧されているのだろう。逃げる事もままならない様子だ。そして素早く引き倒し、背後から鋭い爪で掴まれ、キックの連打。これが常套手段だ。両足での強力な蹴りを受ける度、爪が深く食い込んで、僕らが腕にやられるときもそうとうに痛い。そんな荒技をミミゾウは子ネコの時分から容赦なく受けてきている。いつのまにか体はハナミズを上回る大きさに育っていたが、今だに抵抗する力はない。過保護に育てたせいもあるかもしれないが、なんとも弱々しい。ハナミズに睨まれるだけですくんでしまうし、叱ると悲しそうな顔で見つめる。そんな事だから僕もワイフもついつい甘やかせてしまっているのかもしれない。
先住ネコに遠慮してるのだろうか。ミミゾウは甘えてくる時にもハナミズのように我が物顔という事もない。ごろごろ寝そべっている僕らの背中やお腹にハナミズは堂々と乗り上がり、寝食を提供している僕らを足蹴にしてだ、その上であたりまえのようにくつろいでいる。ミミゾウにはそれが出来ないのだ。必ず一度、僕らの顔を覗き込むのだ。それを奥ゆかしいともいうが、なにも考えずただただ甘えてくる無邪気さがほしいものだ。その表情の一つ一つはいとおしいのだが…。それともハナミズが大胆過ぎるだけなのか…。
そんな弱気な子分を得て、ハナミズの傍若無人ぶりは度をましてきている。目の前を歩く人間の足に向かって殴りかかり、気に入らない事があればミミゾウに当たり散らす。最近は僕らの布団で枕を使って寝る始末だ。皿にドライフードが少なければ、僕らをきつく睨み上げ「少ないわよ…」と目で訴える。逆らえないのは人間も同じだ。
だが、そんなある日事件は起った。僕らが気付いた時にはハナミズとミミゾウは睨みあっていて互いに牽制しあうように両耳を後へとそらしていた。ミミゾウの前足はゆっくりと振り上げると、恐怖に腰が引けたまま少しづつハナミズの顔をめがけて伸びてゆく。そして丸く柔らかい足先が、目をつり上げているハナミズの額に触れた。恐らく、肉球の合間からはみ出ている毛が触れる程度の破壊力しかなかったろう、だが、ミミゾウがハナミズにはなったパンチには違いなかった。放ったのはその1発のみで、ミミゾウはあっという間に床にねじ伏せられ、いつも通り背中にキックの連打を浴び、悲鳴を震わせた。
生来の気の弱さは変わることはないだろう。でも、それが魅力だったりする。体ばかりは大きくなったが、たぶん政権交代の日はないだろう…。そんなミミゾウを僕もワイフも愛してやまないのだ。
今さら言うのもなんだが、とにかくタバコを吸う連中のマナーは悪い。町中のそこいらに平気で投げ捨てている。僕自身1日1箱近く消費している愛煙家の一人だが、自分の吸った吸い殻の処理ぐらいは気をつけているつもりだ。やはりタバコも免許制度を導入し、購入の際に免許証が必要なぐらいの法改正が必要だろう。灰にならなかったタバコの葉が有害なのは誰もが知っている事だ。好奇心旺盛な子供が口に入れてもしものことがあったら、それは愛煙家の責任である。事故ではない、過失致死なのだ。家の中においても、好奇心の塊であるミミゾウが色々と匂いを嗅ぎ、時には口に入れて確かめようとしているのを見て、有害なものが落ちていないかハラハラする事だってあるのだ。
そんな訳で、僕は家で肩身の狭い思いをしている。キッチンの大型換気煽の下がこの所の定位置になっている。煙が有害なのも承知している。この煙は夕飯の匂い同様、廊下に流れるので、それはそれで隣家の住人方にも迷惑をかけている訳だ。ベランダで吸うのは構わない、はずだった。天気一つで出るのが億劫になり、火の始末も心配になって結局室内で吸うようになってしまった。ほんの数分の事とはいえ、キッチンを占拠してしまうので、ワイフからは文字どおり煙たがられている。
ちょっとコガネができて、海外に旅行する機会を得た。普段はケントなど吸っていたが、日差しの強さに耐え兼ねてメンソールを吸う事にした。やはりマールボロは避けてとおれない。だが、現地でワイフが体調を崩すと、僕も喉に少しばかり違和感を感じ始めた。もっとも、たいして気にもかけなかったので、ガラムを吸い始めた事に大した理由もなかった。折角だから地元のタバコを吸いたかったし、あのクローブの香りは嫌いじゃない。だが、帰国と同時に酷い風邪を引き、タバコがうまくなくなってしまった。ガラムの、歯医者が沈痛剤として使うクローブの香りが酷く喉にまとわりつく、苦い味わいになって、煙を吸い込むのが苦痛になり、結局タバコをやめてしまった。実に簡単にやめられたのだ。以前、あれだけチャレンジしてなしえなかった事なのに、追い込まれると人間なんでも出来るものだ。タバコをやめたい人は、一度病気になってみるといい。こんなひょんな事から、まぁおおっぴらに話せる事ではないが、高校時代からやっていたタバコをあっさりやめることが出来た。結構な事じゃないか。それからというもの、特別タバコを吸いたいと思った事もなく、健康を取り戻せるし、1日タバコ1箱分の経済的余裕ができた。残念なのは、このゆとりのほとんどがネコのために消えている事だろうか…。
ミミゾウが賢くないという事は僕とワイフの一致した意見だ。去勢した後も布団にオシッコをするし、トイレからお尻をはみ出したままウンコを床にこぼし、砂をかけずに懸命にトイレの縁を磨いている。食事時にはテーブルに上がり、サカナをねだる。それも、僕らが口に入れたものと取り分けた物が同じサカナであることを理解できない。ワイフに言わせれば、ノーミソにしわがなく、豆腐でも入っているそうだ。それなのに、不必要に見ためが高貴そうなので、始末が悪い。そうなのだ、フォーンと呼ばれる淡いクリーム色にたてがみのように立派に生えそろった首周りの毛。太いがっしりとした四肢はまるでミニチュアのライオンのようだ。外見上のコンプレックスは左右に曲がった短い尻尾ぐらいで、テーブルの上からキラキラと輝く澄んだ瞳で見つめる様は、百獣の王族の威厳をたたえている。これがサカナをねだる仕草でなければ真に王子様と呼んでも差し支えないはずなのだが…。悲しいかな今は豆腐王子でしかない。まるで赤塚富士夫のマンガのようなネーミングが妙に的をえている。しかしテーブルマナーについては、間違いなく僕とワイフの責任でしかない。ついつい甘やかせてしまった事に、今さら後悔しているのだ。本来ならまずテーブルに上がらないように躾なければならないのだ。今さら駄目だと叱ってもミミゾウも納得いかないだろう。そして、いつもの悲しげな表情で見つめられて、僕らはまた最後だからと甘やかせてしまうに違いない。しかも始末に負えない事に、その仕種がどうにも愛らしい。澄んだ潤んだ瞳で見つめながら、ひっくり返り、ふわふわの柔らかそうな胸毛を見せて、そしてサカナをねだるのだ。僕もワイフも簡単に負けてしまう。食卓の上のサカナだけならまだ構わない。いや、実際構うのだが、最近ではキッチンのグリルから香ばしい匂いを上げて出されてくる事を学習してしまった。こうなってくると躾以前の問題で、火傷でもしかねないだろう。案の定ミミゾウはシンクの横につかまり立ちしてグリルの扉が開くのを今かと待っている。見るからに危険な習慣が出来てしまった。ワイフはやむを得ず料理中は付きっきりとなり、近寄ってくるミミゾウを蹴っ飛ばしてる始末だ。しかし、足蹴にされるのも躊躇わず、果敢に摺よってくる所をみると、よっぽど食い意地がはってるか、頭が悪いのかの何れかである。近ごろはワイフより僕の方がガードが甘い事を覚えたようだ。サカナがグリルから出されると僕に摺よってくる。そしてお腹を見せて…。一連の行動を見てると、逆にしたたかに感じるものだ。案外悪知恵が働くのかもしれない。とはいえその潤んだ瞳で見つめられる度に、そんな想像は消し飛んでしまうから親バカなんて悲しいものだ。
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この昭島という町は、東京の他の場所より水道料金が高いらしい。何でもこの町の上水道は地下水を使っているらしく、他所のように川の水を引いてないそうだ。これは以前に聞いた話なので確かではないが、他の自治体では、川の水やダムの水を各々引いて、平均化された不味い水を公平に分配しているそうだ。以前に住んでいた高円寺のある杉並区でも、地下水を汲み上げているらしいが水は決して旨くはなかった。ところが、家の水道水が旨いのか不味いのか、まるで判断がつかなかった。なにしろ、この部屋に越して来た時は新築の物件だった。消毒用のカルキの匂いがかなりきつかったのだ。これが新築だからなのか、水道水そのものの匂いなのか分からない。地下水とはいえ、水道水は消毒が義務付けられているそうなので、まったく見当がつかないのだ。おそらく両方なのだろうと思うのだが…。
それでもハナミズにとってはかなり安全な水だとも言える。高円寺にいた頃には彼女は水を選ぶ事など出来なかった。そこに水があれば雨水だろうとなんだろうと飲まなければ生きていけなかった。ワイフの話だと、隣家のおばさんが掃除に使っていたバケツの水を飲んでいるのを見たそうだ。これを見てワイフはハナミズも保護すべき対象だと確信したのだそうだ。そう言う意味で、ハナミズは今、安全な環境にいる。安全、それ以上のことはない。ハナミズならば多少消毒臭くても平気で口にするだろう。だが…。
僕もワイフも比較的水事情のいい田舎でそだったので、水道水が飲めないというのは何とも我慢がならないのだ。高い水道代を払っているが、僕らに飲める水はちゃんと確保したい。消毒した水が本当に安全なのかも正直分からない。それなら、本当に安全な水を、多少お金を払っても確保したいものだ。僕も、ワイフも、ネコたちにも、である。市販のミネラルウォーターが本当に安全かどうか分からないが、消毒臭い水道水よりはいくらかマシだろう。田舎にいた頃には想像もつかなったが、水を買って飲むという、外国のような現実がここにはあるのだ。
それにしても水は高い。ただの水のくせにガソリンよりも高いのは納得いかない。こうなったら大量のペットボトルを仕入れて自分で汲みに行くかとも思うが、そういう水は長持ちしない。すぐに不味くなってしまう。という事は、市販のミネラルウォーターも、保存料はないとしても、消毒ぐらいはしてあるという事だろうか。ああ、僕らはいったいどの水を飲めばいいんだ…。
これはワイフの言い分にそって書いているので、現実にその場にいなかった僕は真相は知らない。ただ、ワイフの名誉の為に言わせてもらえば、彼女は正義感があり、理に外れた行為には厳しい。だからゴミは分別し、公共料金は滞納せず、ドン◯ホーテで買い物しない。だからネコが家までついて来たというのを疑わないで欲しい。だが、その夜家にいた生き物が本当にネコかどうか自信がなかった。いや、確かにネコらしいのだが、これまでに見た事のない容姿をしていた。丸い顔を被う白く先の黒い皮毛に、小さな耳が埋もれている。中途半端な長さの毛並みに、妙に細長く、先だけボリュームのあるしっぽを持っている。少し中央に寄った顔のパーツは張り出した頬と額に埋もれがちだが、青く澄んだ瞳だけは異様に大きく見える。子ネコほどの大きさなのに、太い四肢は伸びきったようにも見える。そして頭の上には2本、まるでアンテナのように毛が逆立っている。そんな不思議な生き物が、「フワッ」という聞いた事もない鳴き声を上げて部屋を走り回り、床にしゃがんでいるワイフの体に体当たりしてるのだった。一種異様な光景だった。ミミゾウは怯えて姿を隠しているし、ハナミズは例によって無関心だ。ワイフはワイフで、拳を突き出して、頭からぶつかってくるネコのような生き物との遊戯を楽しんでいる。いったいこれは何なのだろう。
思うに、これはペルシャネコなのではなかろうか。タプタプの皮毛が刈られ、サマーカットされた姿かもしれない。となると、当然こいつは誰かの家で可愛がられていたに違いない。これだけ人に馴れているのもうなずける。じっくり観察すると、こいつの行動にはまとまりがない、というか思想も思索もない。何だか訳も分からず動いているようだ。だから見ていても考えている事が読めないし、かといって複雑な思考があるとはとても思えない。僕とワイフの推理は、外に自由に出れる環境にいたこの生き物は道に迷ってふらついている時に、ネコ好きらしい人間を見かけてフラフラついてきた、そんなところだ。おそらくこいつの主人は足を棒にして探しているに違いない。そう思って取り急ぎ写真入りのポスターを作った。
数日を経た。何の音沙汰もなく、この地域に無料配付されるミニコミ紙にもネコを探しているといった情報はなかった。その間にこのネコは、まるで自宅のように振る舞い、人を見ては頭突きし、骨がないかのように捻れながら寝て、不思議な声で鳴き、ハナミズに殴られながら僕らの笑いを誘った。こんな面白い生き物を手放すのが惜しくなって、ついにポンちゃんと呼ぶようになってしまった。だから誤解のないように何度も言うが、さらってきた訳じゃない。勝手にやってきたのだ。
僕には記憶がないのだが、まだ九州の山奥の田舎町に住んでいた幼少の頃一度行方不明になったらしい。周囲の人たちやおまわりさんにも大変な迷惑をかけたそうだが、この出来事だけは記憶の断片すら持ち合わせていないのだ。両親が笑い飛ばすような過去の恥のほとんどには欠片程度の記憶があるのにだ。が、同時にこの頃の記憶に、常識では考えられない不思議な映像があったりする。普段見上げている山の山腹に赤く光る物体が降りるのを高い所から見下ろしていたり、空の端から端まで軌跡を残して強い光が横切ったり、まぁ夢に見た出来事なのだろうが、奇妙なリアリティがあったりもする。最近のテレビ番組で、宇宙人に連れ去られて記憶を消されたなんて番組もやっていたから、僕も案外レントゲンで覗き込むと頭に謎に金属片が見つかるかも知れない。そして偶然だが、誕生日はUFOの日なのだそうだ。
ポンちゃんは相変わらず体を捩りながら寝て、不思議な鳴き声あげ、人間を見ると頭をぶつけにくる。大きく黒目がちで少しつり上がった目を見つめて不意に思った。似てる、一般に宇宙人と言われているグレイという生き物に。いや、グレイが生き物かどうか知らないが、低い鼻や黒い大きな瞳、何を考えているか分からない表情。何となく弱々しいくせに奇妙に力が入っているのも難解だ。何より、見た目以上に軽い体重には、持ち上げてみてあらためて驚く。風に吹かれて飛ばされるという言葉が比喩にならない気さえしてくる。
そもそも宇宙人が本当にいるのなら、いったい何を目的に来てるのだろう。地球人を連れ出して人体実験?、今さら何の実験なのか。それとも侵略のための準備なのか。ちょうど僕とワイフの好きなティムバートン監督の「マーズアタック」なる映画をやっている。あの、ちょっとユーモラスな火星人は、何となくポンちゃんに通ずるものがある。が、残虐な火星人と比べると、ポンちゃんは何とも情けない。同じ火星人でも、後ろ足の肉球が頭の上にくる程捩じれる様子は、大昔にイメージされたタコのような火星人のほうがイメージしやすいかもしれない。そして人なつっこく、誰彼構わず頭突きする、訳の分からない侵略者だ。そして、よくハナミズの怒りに触れて殴られる。それでも、屈辱のような感情がないのか、何も考えてないのか、あまり気にする様子はない。それどころか、ハナミズにしつこく付いて回っているような状態だ。
それにしても、乱暴者のドラネコに、このへんてこな宇宙人の侵略から地球が守られてるかと思うと何ともやりきれない気持ちだ。
ところで今の僕は、UFOだの幽霊だの超能力だのにまったく縁のない、ただの俗人となっているのである。
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暮れに近付いてくると、やはり肌寒く感じるようになり、この郊外の片田舎から見える山並みも何となくどんよりとしている。やはり、都心に比べれば気温は低く、通勤の時間差に自分の格好が先に冬物となっている事に気付く。やはり通勤は辛い。ぽんちゃんはというと、白い毛がだいぶ伸びて、ペルシャのように優雅な感じになってきた。気品はあるのだ。行動が伴わない。だがまぁ、機敏さや野生味とは全く無縁の血統だから、おっとりしてるといえば、それに相応しい分かり易いかもしれない。更に個性をたずねられたら、そこで鈍いとはじめて答えあげればいいだろう。
この季節にも日当たりのいい出窓は暖かく、ハナミズとミミゾウは好んで日光浴している。床からの高さは約1mほどか。ハナミズにもミミゾウにも軽々と飛び乗れる高さだが、これをポンちゃんは上る事が出来ないのだ。それどころか、50センチ程の高さのベンチに飛び上がろうとして失敗する事も時折ある。また、そのベンチの上で寝ていて、落っこちる場面を何度か目撃した。およそネコらしくない。幸いなのは、こんな失敗をしても、本人はさして気にとめていない事だろう。ミミゾウなら奇声を発して逃げるように走り去っていくところなのに。
鼻がムズムズする。風邪気味らしい。ひどいクシャミが出た。「フワァ!」奇妙な声を張り上げてポンちゃんが足元から逃げ出した。クシャミが嫌いと言うよりも、大きい音が恐いらしい。それと思わせる場面に幾度も出くわしている。地球人の攻撃と思っているのかもしれない。
ある日の事、唐突にポンちゃんは牙をむき出して僕を威嚇した。特別怒らせるような事をした覚えもなかったし、何が原因なのかまったく理解できなかった。折り畳みの椅子を片付けていただけである。そして、牙をむいて怒っているポンちゃんに何よりも驚いたのだ。ワイフはそれを何度か体験していた。掃除機のホースを手にしていたり、ベンチを持ち上げたりした時、ようは、細長い物体を手にしている時に怒りをあらわにするらしい。また、これだけ人に慣れていながら、抱き上げると体を捩って嫌がるのも解せない。僕らに悲しい想像が過った。虐待…。棒のようなもので殴られたり、羽交い締めにされたり、何も考えていないようで、記憶の奥底で蠢いている忌まわしい過去が蘇るのかも知れない。いや、あくまで推理だ。こんな愉快な生き物に手をあげるなど、良識のある人間なら考えも及ばないはずだ。だからこれは、単純に長い物、大きい物が恐いだけなのだろうと考える事にした。何せ家に来た時には、サマーカットされ、きちんと爪も切られていたのだ。
ポンちゃんは家に来た当初からあまり手がかからなかった。トイレは勝手に覚えたようだし、壁や家具で爪を研ぐような事はしない。いや、正確に書こう。トイレには入るがお尻が外にはみ出している。爪研ぎの場所は、テーブルの足の目立たない所に決めている。インパクトが小さいだけで、気にならないだけなのだ。以前の躾がよかったからかも知れない。ただ、テーブルに上がる事には寛容だったようだ。サカナをねだるミミゾウを追い掛けるように、何とかテーブルによじ登って、その夜のメニューを物色した。僕らは特別気にもとめず、ミミゾウにサカナを小分けして与えていたが、つぎの瞬間事件が起きた。皿に盛られていた煮物の、タマネギの欠片、それもワイフの手抜きした(本人はこれが標準サイズだと思っているが)4分の1個ほどの芯の部分が残った塊を、ポンちゃんが小さな口にくわえ込んでいた。なんて事だ、タマネギがネコにとって危険な食品だと言う事は、これまでに何度も説明してきた。それよりも、流浪の生活をしてきたポンちゃんがこんなにも不用心である事が信じられなかった。とにかくタマネギを食べさせる訳にはいかない。あの白い危険物が咽を通るまでに何とかしなければならない。慌てて後ろ足を掴み、逆さに振った。そばにいたワイフも何があったのか分からず驚いている。2、3度振って、床に白い塊が転がった。僕はホッと安心したが、ポンちゃんはパニック状態で走り去っていった。よかれと思ってやった事だが、やられた方は虐待と感じてもしかたがないだろう。まして、隣でミミゾウが無条件にサカナをもらっていたそのすぐ側での出来事だから、なおさらだろう。
食後、恐る恐る呼び出したら、幸いな事にポンちゃんは先ほどの恐怖体験も忘れて頭突きして遊んでくれた。正直なところ安心した。ひとつ屋根の下で生活する以上は、やはり信頼されたい。懸命に首や顎の下をさすって御機嫌をとった。ポンちゃんも床に転がりお腹を見せた。単純なヤツだ。
その後、ポンちゃんは食事時にテーブルに上がらなくなった。忘れているようで、何か心に引っ掛かる所があるのかも知れない。うまく躾けたと考えれば気も楽だが、そう素直に喜べない。フェアプレイとは言い難いのだ。たまにはテーブルに上がって人間の食べ物に興味を示す方が健康的な気もする。そう言う意味で、少々寂しさを感じている。
あの事件以来ポンちゃんはドライフード以外食べる事はなくなった。本当に手のかからないネコになってしまった。ついでに、余計な物を食べないおかげで健康も維持できる訳だし、まぁ言う事なし、そう言う事にしておくか…。
つづく
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