ニンプとアレルギー

 ワイフは朝から両目が腫れ上がり別人のような凄い顔をしていた。遮光器土偶に似ていると思ったが、とても口に出せる状況ではない。かわいそうに、これから仕事なのだ。
「にゃんこを部屋に上げたでしょう!」
身に覚えはあるが、シラを切った。ネコは上がってきたのであって、上げた訳じゃない。そんな屁理屈の以前に、凄惨な状態のワイフにとても「私が上げました」などと恐ろしくて言えなかった。
 ワイフの名誉のために予め書いておくが、彼女はネコが嫌いな訳じゃない。実家でイヌをはじめ、ウサギ、小鳥などを飼っていた。もちろんネコも好きなのだが、体が受け付けなかった。噂に聞くネコアレルギーだが、普通はくしゃみなどの症状を連想するが、目が腫れる事もあるのだ。この発見は驚きだ。
 このアパートの一室の、このベッドの上で、前日寛いでいたネコはワイフもよく知っている筈だ。ふたりでママニャンコと呼んでいた雌の和猫である。一度、背中についたトリモチを二人で洗った事がある。その名の由来はその大きなお腹。太ってるというには明らかに不自然なのだ。顔はすっきりとクール、白みの多いブチで、尻尾がスラッと伸びていた。ただ、お腹だけが地面につきそうなぐらいに膨らんでいた。
 だらだらと窓を開け放して昼寝を決め込んでいた僕の目を盗んでわが家に上がり込んできたそいつは、ふてぶてしく床に横たわっている。追い出すことは簡単だが、何となく、見て見ぬふりをしていた。間近に見るニンプである。その興味の対象に逃げられないように気遣い、刺激しないよう観察する事にした。そして、些か期待する所もある。もし、ここで産まれてしまえば…。
 音を立てぬよう一眼レフを出した。フィルムもOK。50ミリ標準レンズを向けた…。その途端、期待は不安に変わった。ママのお腹がボコボコと動いている。映画のグレムリンの分裂のようだ。もし、ここで産まれてしまえば…。このアパートは勿論ペットの飼育は出来ない。里親を探すにしても、容易く見つかるとも思えない。それにネコは多産だろうし…。期待と不安が入り乱れながら、何の手出しも出来ず、ただニンプを見ていた。そのうち退屈そうに窓から出ていくまで時間にして1時間もいたろうか。

 それから間もなく、ワイフは庭でかわいい子猫を目撃し、同じ棟の二室隣の住人とともにママニャンコは姿を消した。その住人の転居した理由は何だろうか。それは勇気ある決断だったのか。もし、そうなら少し妬ましく思うのだ。なぜなら、僕らはネコと暮らす事が出来ないのだから…。
 だが今ここで目を腫らしているワイフも数年後には通算十数匹の子ネコを保護する事になる。運命とはわからないものだ…。

ちょっとひとやすみ
 

  窓の外のくしゃみ

 なんとなく眩しい朝だ。まだ初夏というには肌寒いが、さわやかなのは間違いない。その心地よさで、まだまだ寝足りない思いだ。僕の横でワイフは窓をわずかに開けて、何かに声をかけている。そう、窓の向こうにいる何かの気配には僕も気付いていた。そのうちそいつは激しいくしゃみを繰り返しだす。激しいが、小さな音で、小動物だと分かる。狸寝入りしていたが、どうにも気にかかる。布団から首を出してその姿を拝むことにした。網戸に飛んだ鼻水がキラキラ朝日に輝いて、その眩さの中にネコがいた。
「なんて汚らしいんだ…」そんな第一印象だったろう。折れ曲がったカギ尻尾。枯れ草のような色の縞の三毛。鼻水やよだれでぐしゃぐしゃの顔から、激しいくしゃみが途切れることなく続いた。
−ネコエイズ−、咄嗟にこの言葉が浮かんだ。
 当時覚えたばかりのこの病名、人間のそれとは違うらしいが、エイズという言葉のインパクトは大きい。新高円寺もネコの多い街だが、駅の近くの空き地に近所のネコ好きの好意で餌が与えられ、雨風凌ぐために段ボールが重ねられてあった。この通称ネコマンションに住む一家は皆、よだれを、鼻を垂らしている。思うにこれが、その病気であろう。衛生的に環境は劣悪で病院で診てもらう事もなく、間違いなく死を待つだけの小さな家族であった。そもそもその空き地は道路拡張予定地で、死なないまでも安住の地を追われる運命にはあった。
 この頃僕はノラネコとは元々野性のネコが都市に棲み着いた、もしくはネコの棲む土地に人間が棲み着いたと思っていた。周囲にごく普通に見掛けるので、ピンとこないが、日本原産のネコというのは現在2種類しかいないらしい。都市部で普通に見掛けるネコというのはネズミから農産物を守るために輸入された家畜だと知ったのもこの頃であった。

 その日の夜、仕事を終えて駅を出た僕は段ボールマンションを覗いて見たが、あいにく誰もいなかった。まだ生きているのか、不安になる。いや、ネコエイズとは早合点で杞憂であればよい。だが、家畜として海を渡ったネコが、如何な理由で捨てられ、疎まれながら救われることがないのは何とも不憫だ。段ボールを用意し、餌を与える事で償えないだろうな、などと考えながらアパートへと急いだ。
 窓の外ではまだネコがくしゃみをしている。窓を開けて見ると、宵闇に黒目を丸々と広げてハナミズネコがこちらを見上げている。こんな日に限ってワイフがメザシを買っていたのは偶然ではないだろう。むやみに餌を与えるべきでないとは思ってはいるが、こいつももう長くは生きられないだろう…。狭い部屋に香ばしいかおりが漂った。

 

  憧れはノルウェーの森

 それは暑い夏の昼下がり。バターの如く体が溶け出すような思いに何もやる気が起きず、只々惰眠を貪っていた。それは隣で半分溶けかかっているワイフも同じ。エアコンはあるが冷風のカビ臭さに耐え兼ねて、窓を開け放している。風が吹けばいくらかいいのだが、汗だくで横たわっている二つの肉塊は近寄るだけで不快感を感じた。少し離れればいいものを、その熱っぽい皮膚を引き離すのも億劫だった。その時、2人が同時に気付いた。ベッドの片隅で丸まって、じっとこっちを見つめている薄汚れた白ネコ。声も出ない程に驚いた。
 このネコは以前から知っていた。この界隈のボスなのだろう。よく塀の上にドッシリ構え、浅はかな人間の営みを見下していた。ボスとしての威厳をもっていた。鋭い眼光で威圧する迫力があった。それが今、部屋のベッドの片隅に丸まっている。案外お茶目な奴だ。
 そういえばこのアパートの回りも個性的なネコが多く徘徊している。カン高い声で鳴き、住人にすりよって餌をねだるシロちゃん。妙におっとりして、合わないカツラのような柄がおかしいカッパちゃん。前述のハナミズネコ等々。どれも個性的で魅力的だが、僕とワイフには飼うならこれと決めたネコがいた。
 それは図書館で借りた、ネコの本に載っていた。正直、人目惚れだった。ノーブルな顔立ちに逞しい肢体。ワイルドで品がある。長毛のサバトラに顎の下と手足の先が白い。この界隈のネコとは次元の違う生き物のようで、名をノルウェジァンフォレストキャットと言う。つまり、ノルウェーの森のネコだ。
 巷では村上春樹の小説が評判になっており、その内容とは直接関係のないが、北欧への憧れがあった。ただし、一枚のネコの写真に心ひかれたのは事実。さらに突き進めて、その歴史や伝説、事、北欧神話との関連には興味を抱かずにはいられなかった。
 夢物語である。アパートではノルェージァンフォレストキャットはおろか近所のノラでさえ飼うことは出来ないのだ。それにワイフのアレルギーもある。いずれ、これらの諸問題を克服して、ネコを飼えるその日がくるまで、この憧れの北欧ネコは本の中のペットにしておこう。

 白いボスはいつの間にか日の陰り出した外へ去っていった。塀の向こうには未舗装の駐車場がバブルの洗礼を免れ、ポッカリと住宅街に空間を作っている。端には栗の木が涼しげな木陰を作っていた。暑い昼下がりに、僕とワイフはこの奇妙な事件に唖然としていた。

あこがれの…
 

  花園に白いドクダミの花

 窓に気配を感じて、いや、くしゃみと粗い鼻息でアイツが来たのが分かる。ワイフは魚を焼き、窓を開ける。ハナミズネコは魚を見て丸い目を真っ黒に見開いた。いったいいつまで生きるんだろう…。
「あー、収穫しなくちゃ…」
今年も庭一面ドクダミが繁っている。青々とした葉に白い清楚な花が咲いていた。毎年、大家さんが奇麗に刈り取るのに、この雑草の生命力はもの凄い。煎じて飲むと体にいいのも納得だが、あの匂いはどうも苦手だ。それにしてもこの庭は壮観だ。何しろ足の踏み場もない一面のドクダミだもの。
 詳しくはないが植物は好きだ。中学の時に縁日で吊りポトスを買った。育て方を知らず日に当ててすぐに枯らせてしまったが、その後一人暮しを始めたアパートでもテレビより先にポトスを買った。今はテーブルヤシを育てているが、ここは手近に緑があって気持ちがいい。庭の向こうは未舗装の駐車場で、新宿の新都心からわずかの距離にバブルの洗礼を免れた空間がポッカリ空いている。その端には栗の木立があり涼しげな木陰を作っている。付け加えれば、すぐ近くに厄除けで有名な寺があり、墓地も含めてかなりの緑地が広がっている。歴史ある寺なので境内の木々も威厳に満ちた老木も多い。
 植物が好きと言うより、植物のある空間が好きなんだろう。本当はパームツリーにフェニックスのような南方のヤシ類が好きだ。そして南の島の景色。眩しい太陽に白い砂浜の海岸。背後には深い熱帯雨林。そんな異世界への憧れが手近な草木を介して広がる。勿論、そういう木々とは全く異質な植物ではあるが…。
 前の住人が置いていったのだろう、庭に出るのにちょうどよいブロックに下りて眺めて見るとドクダミの花の咲く庭も案外風情があるもの。匂いを気にかけなければ、手元の小さなジャングルで南への思いを馳せるのも悪くない。何せその生命力は熱帯雨林の木にも負けてないのだ。
 カサカサと葉音を立てて、小さなジャングルをトラならぬハナミズがやってくる。その生命力を試すように葉を踏みしめて、僕の南への思いなどお構いなしにドクダミをなぎ倒して、太々しい態度で転がっている。ハナを垂らしてはいても、体調はよさそうだ。これもドクダミの効能なのか。そしてこの頃になると妙に下腹が目立ち始めていた。
 さて、この有り余るドクダミ、誰一人収穫している様子がない。このアパートの住民は、ネコ達の排泄物が肥料である事を知っているからだろうか…。

 

  残りもののフク

 最近ワイフはやたらとネコの話をするようになった。川崎に住む友人のY岡夫妻が飼い始めた子ネコが気に入ったらしい。アパートに集まるネコ等は、皆成長した大人ネコで、子ネコを見る機会は滅多にないのだ。そのかわいさを伝える言葉の端々に、自らも飼いたい思いが見え隠れしている。アレルギーは大丈夫なのか…。
 後日、僕自身もその子ネコ、フクちゃんに会うチャンスがあった。
「神経質そうな子ネコ…」
それが僕の第一印象だ。丸顔のネコを見慣れたせいか、妙に痩せて見え、片目の瞬膜が出かかっている。ひいき目に見ても器量がいいとは言い難かった。
「売れ残ってたんだよ!」
Y岡さんは苦笑い。兄弟たちは早々に里親に引き取られていたらしい。器量よりも、痩せて病気がちに見えるその雰囲気が理由だろうと思う。
 見てると、フクちゃんはその小さなサバトラのブチをY岡さんに頻繁にすり寄せている。気付くと、膝の上に丸くなっているといった感じで。人間たちに弄ばれながら、それでも構って欲しくて、またじゃれてくる。そんな愛らしい仕草を見ていると、器量など大した問題でない事に気付いた。いや、器量が悪く感じたのは、僕自身がネコを飼えない事をひがんでいただけかもしれない。

 売れ残りと聞いて不意に沸き起こった疑問がある。この所、毎朝晩やってくるあのハナミズネコ。彼女はどこから来たのか。写真の整理をしていて出てきたママニャンコの一枚。その太々しい丸顔が不思議に似ているのだ。この界隈を取り仕切るボスネコが長年にわたって健在であるだけに、血縁があっても不思議はない。時間は親子であっても何ら不思議はない程に経過している。ハナミズの枯れ草のような柄と中途半端に曲がったカギ尻尾。こいつもまた売れ残りなのか…。真相を知る、ママと一緒に姿を消した住人はもういない。いずれにしても、ハナミズが捨てられてノラとなった事に変わりはないのだが…。
 ハナミズのお腹もだいぶ膨らんでいる。もう産まれるのも時間の問題だろう。ここで誰も手を下さなければノラを増やすだけだ。ハナミズの病気を思えば、成獣になる事も難しいだろう。
 それと比ぶれば、売れ残っても結果、いい里親に恵まれたフクちゃんは幸福だろう。

 ただ一つ、もう時効だから書いてしまうが、Y岡夫妻は許可を得てネコを飼っている訳ではないという事。その気になれば、そういう非合法な手段だってとれるのだ。但し僕等には越えねばならないハードルがまだまだある…。

 

うにゃー

  9月15日の出来事

 いったいどれだけの英語に不得手な日本人が気付かずいたのだろう。アースウィンドアンドファイアーの名曲、『セプテンバー』が12月の歌だという事を…。確かに出だしは、ドゥユーリメンバーで始まっている。何となしにモーリス=ホワイトの声に、9月の澄んだ青空を連想させてしまうんだろうか。とにかく、いい天気だ。ベッドの上でまどろみながら、ブラインド越しにそれがよく分かる。実家のある九州では、毎年この日に秋祭がある。数百年の歴史ある祭だそうだが、酒に酔わせた馬を引き回して町中を駆け抜け神社に奉納する、かなり荒っぽい祭だ。馬に蹴られて重傷を負う人も時折いるそうだ。僕の記憶の範疇では、この祭に雨が降った事がない。今日はそんな日だ。
 ハナミズネコはこのところ、朝と夜の2回、魚を貰いに来ている。ワイフが準備し、僕が出勤前に与えるのが日課になっていて、割と時間には正確だった。今日は僕だけが休みで、のんびりハナミズを待っていたのだが、一向に来る気配がない。休みと言っても、書きかけの原稿の締切が近く、外に出かける余裕はないので、今日は気長に待とう。
 1人ワープロに向かいながら、打ち込む文字も浮かばず暫く考えこむと、もう何年も実家に帰ってない事に気付いた。今ごろは市街地を皆汗だくで駆け抜け、派手に飾り付けられた馬が追い回されている事だろう。この馬、以前なら農耕馬であったろう。現代は食肉馬なのだ。そう、馬肉を食べる食文化があるのだ。そうと聞いて嫌悪する人もあるだろうが、言い出せば牛も豚も食べれなくなる。僕にとっての問題は、酒に酔わされ街中を引きずり回されている馬たちの過酷な運命にある。綺麗に飾り付けられようと、群衆からどれだけの歓声を受けようとも、それは全て人間の身勝手。彼等はいずれ、死んで食われてしまうのだ。

 午後の3時を回って、そろそろハナミズの事が心配になってきた。いくらなんでも遅すぎる。事故でもあったのか、それとも…。窓に気配を感じたのは、そんな時だ。開けて見ると、いつものもの欲しそうな目つきで、見上げていた。様子が違う。いつもの息苦しい鼻息ではなく、疲れて息が粗いといった様子だ。そして何より、昨日まで大きく膨らんでいたお腹がしぼんでいる。
「やられた…」
確証はないが状況から間違いないだろう。この近くで、望まれない命が誕生したに違いない。僕を見上げるハナミズは、全身がしっとりと湿り、高い体温に湯気を上げているような気がした。その顔は不思議に事をやり遂げた達成感を漂っているようでもあった。

 今年の9月15日も、外は気持ち良く晴れていた。

 

 

ぐぐっ

  苦いビール

 出来る事なら関わりあいにはなりたくない。同情はするが、手出しする事には躊躇するところがある。その夜、アパートの近くに死んでいたのは、見慣れない茶のブチの白いネコだった。はねた運転手だろうか、申し訳程度に缶ジュースを死体に添えていた。もう夜だし、仕事帰りで疲れていた。悪いけどかわいそうだと思う事しか今は出来ない。
 非情だと思われても仕方がないだろう。でも、ネコの死体を処分するのはいい気分ではない。以前、近所で死んでいたネコを見掛けた時だ。あれはノラだったと思うが、確信はなかった。イヌと違い首輪などしないネコはペットとノラを見極めるのが困難だ。もしも飼いネコなら大変な事だが、見るに耐えず区役所に電話を入れた。まぁ、人間のように手厚く葬ってくれるなんて思ってないが、役人にとってはただの廃棄物でしかないのだろう。都だ区だと道路の管理者をめぐり電話はたらい回し。次第に腹が立った。それに、もし飼いネコならという疑問に、好意でやった事が重く背中にのしかかった。
 ワイフはネコの死体には気付かなかったようだ。食事時でもあり、話題にする事もなかった。そんな時、アパートの隣人が尋ねてきた。彼女もかなりの動物好きらしく、ワイフとよくハナミズの事など話題にしている。その彼女が、あれはシロちゃんだと言い出した。
 薄暗い街灯に照らされたその肉塊は、確かに白いネコだった。茶のブチに見えたものはこびりついた血痕だったのだ。申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。関わりあいになる事を怖れて目を閉ざしていたのだ。いや、本当は気付いていたのかも知れない。仕事で疲れていた。見て見ぬ振りをしていただけだったのかもしれない。そんな事を悔やんだところで、もうシロちゃんは帰ってこないのだ。
 カン高い声で鳴きながら、アパートの住人を見つけては足にすりよってきたシロちゃん。最近はしつこくつきまとい、住人等から煙たがられていたが、それでも時折ハムやベーコンを貰っていた。彼女はいつも道路を渡ってきた。隣人の目撃では、走っている車のタイヤにぶつかっていった事もあったそうだ。いずれはこうなる運命だったのかも知れなかった。

 洗いたての白いタオルに包まれたシロちゃんの体に土がかけられていく。皆口数が少ない。やりきれない思いでいっぱいだ。普段は晩酌などしないが、その夜は飲まずにいれなかった。悲しみより、自分自身の腑甲斐なさが腹立たしかった。

 

  高円寺サプライズ

 ハナミズが出産したであろう日から、かれこれひと月程たつが、一向に子供の姿を見ないでいた。その間も、ハナミズは平然と朝晩の食事に来ていた。何せ2メートル近い塀を乗り越えて来るものだから、追いかける事もままならず、追いかけようものなら町内ひと区画を大回りしなければならないのだ。数ヵ月の付き合いだが、未だハナミズの生活は謎のまま。子ネコがいる事も想像のまま、むしろ、すでにこの世にいないのではないかと思いつつあった。悲しい想像だが、ハナミズの病気を思えば、十分に考え付く結末である。
 その頃、ワイフが見た怖い夢は、ハナミズの子供たちを見つけたが、皆目が潰れていたというものだった。これは案外リアルな話に思える。以前、子ネコの死体に群がるカラスが目玉を突ついていたと聞いた事がある。子ネコの澄んだ青い目は、光物の好きなカラスにも魅力だろう。サカナだって目玉は美味しいのだ。
 ともかく、そんな悪夢を見てか、ワイフは気掛かりになり、ある日ハナミズを追掛けた。ひと区画を全力で走り抜け、駐車場へとたどり着いた。夏に涼しい木陰を提供していた栗の木の下、一段下がった食品工場との間はちょっとした窪地となり、マナーの悪い人達が段ボールやトロ箱を捨てていた。これが彼女らの住処になっていたのだ。彼女ら?、そう、いたのである。無邪気に転がり回るやらかく丸い小さないきもの。チャトラ、サバトラに黒が2匹。ワイフはその顔を覗き込み、愕然とした。うち数匹の腫れぼったい目は、固くまぶたを閉ざしている。あの夢の状況にきわめて近い。
 ワイフから咄嗟に出た考えは、障害を持ったあのネコたちが里子にもらわれるとは思えないだろう、そんな思いだった。とはいえ、ノラとして放っておくのは無責任すぎる。ハナミズの病気を思えば、おそらく冬を越す事はできないだろう。この時点でワイフは腹をくくったようだ。いざとなったら自分で育てる。今のアパートがダメなら飼える所へ越せばいいじゃないか。アレルギーの事はすでに忘れていた。

 翌週、僕の休みにあわせてワイフも休みをとった。軍手、段ボール箱、洗濯ネット。捕獲の道具は揃った。さらに動物病院の手配も済んでいる。手際がいい。ワイフの計画は、食事に来たハナミズを捕える間に、子ネコをもう1人が捕まえるというもの。時間差で診察してもらい、ハナミズを解放した後、子ネコを川崎のY岡夫妻宅に移送する。果たしてうまくいくのか、僕は正直半信半疑だが、今はもはや、やるしかないのだった。

ごろごろ
 

  高円寺サプライズPart2

 栗の木の下は木漏れ日がさし込み、風もなく穏やかな朝。これが新都心からわずかに離れた住宅街かと目を疑うほどに静かだ。意外にも堂々と、子ネコたちが駐車場で遊んでいるのを遠巻きに確認した。アパートではワイフがハナミズを取り押さえている頃だろう。落葉を踏みしめる音を忍ばせて近付く。木陰の小さないきものも気付いたようだ。転げ落ちるように窪地に飛び降りた。子ネコらはパニック。逃げようにも逃げ場が分からない。そこを軍手で掴み、脇に抱えた段ボールに投げ込む。1匹、2匹…。黒が1匹足元から工場の塀の穴に逃げ込んだ。あっという間だったが、暗い倉庫に逃げ込まれては打つ手がない。とにかく3匹は保護できたのだが。

 すぐに運びこんだ病院。気掛かりはやはり目の事だが、医者は意外にも冷静である。
「栄養をとれば大丈夫」
気休めに聞こえて逆に不安だ。この行き場のない小さないきものの目は潰れているように見えるのだ。体重を測り、尻の汚れ具合を見て医者は問題ないと診察した。本当にこのネコたちは大丈夫なのだろうか。
 入れ替わりに洗濯ネットの虜になったハナミズを診てもらった。やはり、酷い鼻炎を指摘されたが、他は特に問題はないらしい。一安心だ。差し当たって彼女は問題ないだろう。一度解放しないと、逃げたもう1匹が飢え死にしてしまう。
 車を飛ばして川崎に向かう途中、ようやく3匹の見分けがついてきた。黒は比較的元気で、きちんと両目が開いている。サバと茶が各々片目ずつ閉じている。子ネコと同様、人間もパニックだったのだ。今の今まで気付かなかった。
 Y岡宅では3匹は歓迎されなかったようだ。フクちゃんは自分より小さなこの3匹に威嚇してくるのだ。だが、近寄ることもなくおよび腰だ。そんなフクちゃんを嘲笑いながら、Y岡さんとワイフは子ネコを洗う。小さな柔らかい毛の塊がしっとりと濡れてさらに小さくなり、そして目に張り付いた、固まった目ヤニが端から剥がれ始めた。ふやかしては剥ぎ、ふやかしては剥ぎ、青く澄んだ目が頼りなげに開いた。少し充血したまぶたを塞ぎ気味ではあるが、確かに両目を開けている。しかも、和ネコらしい丸い顔立ちの、人好きのする子ネコだ。掌にドライフードをのせて茶トラに上げると、その産まれたての鋭い牙が皮を貫いて赤い血が流れた。痛い、が、きっと大丈夫。もう、この子ネコたちに心配はいらない。人を噛む力があるから。フクちゃんはY岡さんにベッタリ甘えて、まだ子ネコに鼻息を荒げていた。

 

つづく
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