2001年 スロット祭り C−Car 12時間耐久
”お馬鹿な耐久レース”
2001年11月3日午前0時から午後0時にかけて、つまり12時間ぶっとおしでMサーキットでスロットカーによる耐久レースが行われました時のレポートです。
レース開催に当たって競技委員長の沖本さんから次のようなinformationが宣言されていました。
この度の『C−Car12時間お馬鹿な耐久レース』に参加される皆様へ
”強制的に12時間を走りきれ”と言うのではなく、
決まった日時にあなたの都合や仕事、体調を調整して参加して頂きたいレースなのです。
運悪く都合が悪くなったり、仕事が入ったり、体調が悪かったりしたら、
自分の判断でどうするかを考えてほしいのです。
M.CIRCUITで行う長時間(12時間以上)の耐久はこれからも開催致しますので、
「次回こそは完走だ」とか、「次回は仕事の都合をつけて参加しよう」とか
いろいろ策を練って頂きたい。
そんな人生のドラマのようなレースにして行きたいと思っています。
今回は時間がなく、フルコースにしたいため、1人チームが多いですが、
次回は多人数のチームの参加に期待します。
私が思うにレースとは、『勝つための努力』『自分の実力の確認』『レースに出るための準備』など
それらを完璧に近づける事だと思います。
レギュレーションやレース運営で乱されたりすることがありますが、
できるだけ早く解釈(シミュレーション)して準備しておいてください。
スロットレーシングは趣味だからそこまでしなくてもと思われると思いますが、
そこをないがしろにする傾向があるように思えます。
毎週のレースはシリーズ戦なので和気藹々も良いのですが、
スペシャルレースはそこら辺のことも楽しみましょう。
ペーパーベースのレポートを多少改筆しています。
スロットカーによる長時間の耐久レースについては、2、3年前のモデルカーズにドイツで開催された記事がありましたが、国内でそのようなスペシャルレースが開催されたことは最近では聞いたことがありませんでした。
沖本さんからレース要領が送られてきたのが丁度1週間前の10月26日。
もともとハードな走りが売り(本当です!)のMサーキットなので前々から薄々予想はしていましたが、遂にここまで来てしまったかと言うのが最初の感想でした。
次にたった1週間しかないのにどうやって車を間に合わせるのか。
それより参加するしないをどうするか?見た瞬間参加に決まっておりました。
翌日、模型店巡りをしてタミヤのザウバーC9を調達。突貫作業の末、1週間で仕上げました。
レース開始は2001年11月2日(金)24:00、要するに11月3日(土)0:00ですので2日の17:30に職場を飛びだし、大急ぎで帰宅、入浴、夕食後、松山観光港19:40呉港21:35着のフェリーで一路呉へ。
船中で横になって寝ようとしますがあれこれレースをシミュレーションして、結局眠れませんでした。
予 選
呉港で沖本・鈴木両氏に迎えていただきサーキットへ、車中ではどのチームに入るかの話になり小松さんとチームを組ませてもらうことに決定しました。(その時点で参加予定者が7名であったため)
サーキットに到着してみると、正木さんが既にセッティング中。
再会を喜びつつ、こっちもC9を取り出しシェイクダウンとなりました。何せ、ちゃんと出来たのが前日でしたからモーターもシャシーも全くの新品。暫く走っては微調整の繰り返しですが、Mサーキットのメンバーがラップ7.0秒〜7.2秒のところ7.6秒程度でやはりホームのメンバーにかなう筈もありませんでした。
そうこうするうちに23:30頃から正式タイムアタックとなり4レーンで小松さんと組んでスタートすることになりました。この時点で来てない佐伯さんに2レーンが割当られ、1レーン空くことになりました。(これが後々大変なことになる原因とは思いもよらぬことでした。)
前半戦
壁の時計が12時を回るのに合わせて最初のヒート6時間がスタートしました。第一ドライバーを小松さんに頼んでまず1時間程度の観戦。
レースの様子を見てみますともろにスプリントのペースで皆いつものペースで7.1〜7.3秒のペースでさかんにやりあっております。C−Carでのスプリントであり、やはりエース鈴木選手がジワジワとリードを広げていきます。2位正木、以下沖本、堂野崎、小松の順であったような…
0:45頃、小松さんと交代し、我がC9が走り出しました。直前まで調整した結果何とかウルサイ走行音も無くなり、遅いけれど外れない車になったので、兎に角、自分で外さない、貰い事故に巻き込まれないことに意識を集中させました。
小松さんの走りを見ていると5コース鈴木選手にコーナーで弾かれていたので、鈴木選手に意趣はないんでしょうが、鈴木選手が悪いとは言いませんが(エッ、ウルサイ?エエーイ、お前が悪いんじゃ!)追いつかれたら徹底的に引くことにしました。
1:40頃そろそろ周回数も700周を越えノーミスだ(実際1時間1回もコースアウトしませんでした。!)
そろそろ小松さん代わってって!?
ちょっ、ちょっと何よニコニコしながら2レーンに行くってどうゆうこと?佐伯さんが来ないので今の周回数を引継いでフルグリッドで耐久レースを展開することになり、後に堂野崎さんと曽根田さんがチームになりましたが、その時点で全6レーン1人チームとなり、人間の耐久レースにもなりました。
描いていたレース構想がガラガラと崩れる。心の動揺と今後どんなスケジュールでやるか頭の中はグルグル回る。
普通のスロットレースだったら一人の人間が連続で1時間も走ったらレースなんかとっくの昔に終わってお釣がきてますが、これでまだ1/6も終わっていません。
果たしてお昼の12時にどんな運命が待っているのでしょうか?
眩暈がする。・・人差し指がつる。・・上腕ニ頭筋もつる。・・肩腰背中が痛いのは当たり前。
40分に1回ぐらい休憩。コントロール前でストップしてピットに車を回収して扇風機でモーターを冷却し、人間はアクエリヤスで水分補給、2回に1回はエスカップC1000で体の覚醒を図る。サンテFX(目薬)を指し、経皮鎮痛剤(ボルタゲン←なんじゃそれ?)を痛いところに擦りこむ。最終兵器は経口の解熱鎮痛剤を6時間経過後に服用。
スロットレースにドーピング検査があったらアウトだろうなあ。
長時間なので椅子に座ってやっても良いことになっていましたが、目線の位置が違うのと緊張感が維持できないので座りませんでした。
2時過ぎに次々と皆さん最初の1000周をクリアしてカードにチェックマークを記入(カウンターが0に戻るので)、3〜5時頃が一番疲れて苦しかったのですが後で見てみると周回ペースは快調でした。
4:00堂野崎さんが帰宅、連日の仕事の疲れとご家庭の事情によるとのことでした。4:30頃沖本さんも自ピットでたまらず仮眠。コース上は正木さん、小松さん、山口、鈴木選手でそれぞれが短時間の休みをとるのでコース上は2車になることもありました。
そうこうするうちに前半の6時間が終了し、各自周回数を書き込み後半6時間がスタート
後半戦
後半戦、スタート直後に鈴木選手と山口はピットインして休憩に。7時頃になると窓の外は明るくなり身体もこの過酷な状況に慣れてきましたがペースは明かにダウンし、なかなか後半最初の1000周のチェックマークがカードに入れられず、鈴木選手と嘆き合いました。
7:30頃、小松さんが後半300周を記録して「仕事ですので」と言うことで帰っていかれました。そうだったんですか。ご苦労さまです。でも仕事になるんでしょうか?
レースのほうですが、私と全く逆のスタンスで取り組んでいたのが正木さんでした。2車体制でモーターも5、6個用意し大物量作戦。シャシーセッティングも完璧ならモーターもドーピング。直線でもコーナーでも競り合う間もなく抜かれていきました。が、約1時間おきにモータートラブル、煙を吐いてコース上にストップする。スロットカーが実車みたいに本当に薄茶色の煙を上げてコース上に停止するのを初めて見ました。ウーン、これぞ耐久です!(その時の画像が取れなかったのが残念です!)私の徹底的に消耗を押さえる作戦とどっちに軍配が上がるのでしょうか?
8:00に堂野崎さんが復帰 「何、皆寝てないん。バカじゃアンタら死ぬよ!」
バカは承知の上、ちゃんとレースにもお馬鹿なって冠されています。「ササッ、私の持ってきた快適椅子にお座りなさい。即快眠できますよ!」
オオッと危ないその手には乗れません。
10:00曽根田さんが参加し堂野崎さんと交代。レースも残るところ2時間、後半の周回もバラけてこのままでもチンタラ走れば2位だなあと思っていた10:30突然C9が最終コーナーでストップ、同時にコントローラから焦げ臭い匂いがキャーッ断線じゃ!何でもいいからコントローラ貸して貸して!でも原因はモーターでした。1個だけ持参した中古フォックスにリード線を取替えて焦り捲くって冷や汗だらけになってやっとの思いでコース復帰。この間に一気に正木さんに差を詰められて20周差ほどになっていました。
11:00堂野崎さんが仕事の都合で再び戦線離脱。
鈴木選手が後半やっと2個目の1000周マーク。11:40山口もギリギリで2個目のチェックマーク
1000周のマーク入れる時のえも言われぬ快感。スロッターの至福の瞬間であります。
最後の10分はやっぱり何とも言えない感慨がありました。泣くなんて気分とは無縁ですが、走りきった満足感。ただ、これに共感してもらえる人って日本全国に何人いるんでしょうか?
大きさは1/24でも時間の流れは1/1にするのはとても面白いです。
からだの辛さが本物のルマン24時間の1/24ぐらい伝わってきます。
今回は個人戦でしたが次回からチーム戦によりより戦略性を高めてMサーキットの伝説を作りましょう
最終結果は鈴木4,815周、山口4,499周、正木4.279周、沖本4,201周、堂野崎&曽根田3,309周、小松2,012周でした。
結局次の年はもっと過激に12時間スプリントになってしまうのですが、詳しくは2002DTM12時間耐久レポートを見てください。
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