002DTM
                    12時間耐久レース解説
      2002.11.2-3 Mサーキット

《今回の12時間レースの概要》
 第2回のスロットカーによる12時間耐久レースが呉Mサーキットで開催された。11月2日の午後11時から3日午前11時過ぎまでの12時間。昨年はCカーだったが今年は2000DTM車両とし、ヘッド2、テール2のランプ点灯、ホイルおよびフロントタイヤはキットのゴムタイヤを使用、室内のロールゲージも必須としたリアリティーを重視したスケール指向の車両で行うこととなった。

《参加者と車両》
参加者と車両は
正木   オペルアストラ
小松   オペルアストラ
沖本   D2ベンツ
堂野崎  オリギナルタイレ ベンツ19
山口   オリギナルタイレ ベンツ18
鈴木竹内 ワルシュタイナー ベンツ

                     

いずれもタミヤ1/24、エクセルシャシー、フォックス、高輝度ダイオードと名古屋から調達したライト点灯回路搭載、ただ私山口が搭載した回路は渡辺さんから調達したものでトイスタジオ製のため他のメンバーとは多少仕様が異なり蓄電コンデンサーが小型、この為軽量であるが蓄電発光時間は短くコンパクトで軽量であった。殆どの車が200c超のなか山口だけ182cであったが軽量のメリットはアウェーのデメリットで相殺され予選では一番遅かった。

≪予   選≫
 予選は事前には車種自由のラビット車で行うメールを受けていたのでロータスエスプリを持参したが、鈴木車が直前までダイオードのライトを搭載する作業にかかっていたので本選車両で行われた。私的には突然の変更にパニック状態でDTMのタイヤが細いのでエスプリのタイヤに交換したが予選タイムは最下位であった。予選順に希望のコース選択となり1コース堂野崎さん、2コース正木さん、3コース山口、4コース鈴木竹内組、5コース沖本さん、6コース小松さんとなった。

≪前 半 戦≫
 11月2日午後11時にスタート。最初の30分はやはり操縦能力の高い鈴木選手のリードで始まったが沖本さんが今回好調で殆ど遜色の無いラップで追走しこれにやや遅れて小松さん、山口と続いた。堂野崎さんと正木さんは車両の調整が上手くいかなかったようでコースアウトが多く最初の1時間でトップと100周以上の大差となってしまった。
 1時間経過前に鈴木車に大トラブル。予選直前に組み込んだライトアップ回路との結線がショートしたらしくモーターブロー。ガイドの一部もショートによって溶けピットイン修理となった。この間も沖本さんが好調で差はドンドン開いていった。
 11月3日午前0時30分からセミナイト走行に突入部屋の照明を多少落とした状態になった。鈴木車が復帰したがライトは点灯しておらず、本人が色々聞いてくるが各自自分の走行に専念しているのでなし崩し的に黙認。
 この時、ライト回路を外し代わりのウェイトが搭載されていた模様。そんなことは走っているのでメンバーには解らない。
 午前1時30分からナイト走行に突入、ここに到って鈴木車のライト無しが問題になる。
 ワルシュタイナーベンツは真っ黒な上に明らかに3コース山口よりも速くまた5コース沖本さんにも競り合った時に問題があり、最終的にムギ球でも付けてもらうことになり1灯だけ付けることになった。他車の高輝度LEDの白い光のなかで1車ほんのりと柔らかい電球光。しかも1灯、ザクのモノアイかはたまた江戸時代の堤燈か。1灯のみの発光では抜かれる者としては後からオートバイがやってくるような感覚でもあった。
 鈴木組は適当に竹内氏と交代したが、隣のコースでありながら自分の走行に集中していたので明確に竹内氏の走行時間帯は記憶できておらず時間を間違えているかもしれないが、ナイト走行からセミナイトに戻した2時から3時の間にバンクから飛び出す大クラッシュ。ルーフも潰れシャシーも歪む程のダメージらしかったがこれも当事者ではないので確認はできず。鈴木竹内の両名による必死のピット作業で復帰した。
 他車では堂野崎さんは最初のコースアウト癖から何とか抜け出せたようだったが、ナイト明けのセミナイトの時間帯で不調、正木さんについても走行不調であったが仕事の疲れからか午前4時頃から仮眠に突入。小松さんもラビット車での6コースとDTMフォックス車では勝手が違ったようで、またある程度の休憩も取ったので前半終了時点で私山口と60周差であった。私のDTMも都度重なるクラッシュでフロント部の接着が外れ分解。部品を拾いながらテープで止め原型を維持しなければならなかった。
 前半終了直前、明らかにスピードダウン、随分と使い込んだフォックスなので寿命が尽きるのを覚悟で接点復活剤のお世話になってみた。スヒ゜―ト゛は見事に回復したが効果は100周前後、この後何回か定期的に吹付けた。午前5時に前半戦終了、その時点でトップは沖本さんであったがピット作業で復帰した鈴木車は部品欠落の軽量車でグングン追い上げており沖本さんとは200周近くあった差が38周にまで縮小、私山口は一時は2位であったが11周差で3位であった。

≪後 半 戦≫
 前半の後半、沖本さんから鈴木車にクレームが付けられた、第2ヒートまでの5分の間に車重計量がなされた。鈴木車は10c減であった。午前5時5分頃後半戦スタート。明らかに速い鈴木車がトータル周回数で沖本さんを後半1時間程度経過時点で逆転、周回数だけで見るとトップに踊り出た。
 私山口の車も前半部分をマスキングテープで繋ぎとめた状態なので鈴木車を批判する事もできないなあと思いながら淡々と走行をこなす。やがて外れた部品がタイヤや路面と接触してなんでもないのにコーナーで突然コースアウトするようになりペースはダウン加えてCカーマウントとゴムが剥がれてテープ止めとなってしまった。ループはこれ以上は無理と言うスピードでゆっくり回る走行になった。
 やがて8時前に正木さんが仮眠から復帰。ラップチャートによれば鈴木車の後半戦開始直後のラップが異常に良く、私山口との差はアッと言う間に開いていった。騙し騙し走っていた我がオリギナルタイレであったが午前9時過ぎにバックストレート下で静かに停止した。去年も同じだったので直ぐモーター寿命が尽きたものと直感したが、念の為復活剤を吹いてテスト台でテスト。後輪はピクとも動かずやはり完全にモーターは死んでいた。ピットでモーターを交換、"ライトの結線も繋いでと…慌てるな!、それにしても面倒くせえなぁ"…約3分程度の作業で復帰、去年の経験からそれ程のパニックにはならなかった。
 去年も後半は前半よりラップが落ちるので後半2000周出来るか不安であったが10時30分頃達成しトータルで4000周を越えることが出来た。今回、堂野崎さんと小松さんは初12時間フル走行であった。コースアウトさえなければ堂野崎さんもトップ争いに絡んでいたと思われるし、小松さんもラップの速さは遜色の無いものであったがコース選択が悪かったように見て取れた。正木さんは遠来の山口に譲ってくれたのではないかと思われた。ロスタイムの5分程度を加えて午前11時5分頃競技が終了した。
            
            
≪レース結果 裁 定≫
 周回数は鈴木竹内組4589周、沖本4508周、山口4333周、小松4000周、堂野崎3770周、正木1886周であった。山口以下の順位については誰も文句はなかったが、今回1位と2位の判定は微妙なものになった。
 絶対周回数、修理の度のお伺い、競技運営上部品脱落時の修理・現状復帰の基準が無いことを主張する鈴木側。今回の耐久はスケール重視でありライト回路も省略しリヤウィンド・ドライバーも無しで1時間以上走った事は競技の趣旨から外れるとする沖本側。
 裁定は正木さんに…"でも寝てたからねぇ"…"じゃ81周差はその修理と修理後遅くなる分と見てソルトレークオリンピックのペアフィギィアと同じく二人金メダルってことにしんさい。"
 ということでチョッピリホロ苦い決着に。

≪今後の12時間耐久の方向性≫
 12時間耐久には12時間耐久にふさわしい車種があることが良く解った大会だった。少なくともDTMは非常に不向きな車種であったように見て取れた。なぜなら12時間も走れば必ずコースアウトがあり多少なりともダメージが出る。DTMはキットの構造上修理現状復帰が極めて難しいものだった。従って来年はまたCカーに戻しライト点灯はあるもののスクリーンは塗り潰しても良い事にしようと言うことになった。
 また、車両規程だけでなくレース運営規程の整備も重要な事が浮き彫りになった。今大会は今後12時間耐久を続けていく上で重要な示唆に富んだ大会であったと思われた。

                           
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