玉川電気鉄道が改軌し都電との相互乗り入れを果した、大正9年(1920年)に登場した1形電車には連結器が無く、それまでのように旅客電車と無蓋貨車の混結編成をやめ、貨物列車と旅客電車を分離しました。
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大正9年に登場した1〜15号は、1732oゲージへの改軌時に新造された車両で、全て名古屋電車製作所で製造されました。車体は鮮やかな橙色の塗装でした。 |
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昭和に入り塗装は緑とクリームのツートンカラーになりました。この1形は昭和11年から廃車が始まり、昭和16年には玉電から姿を消しました。一部の車両は旧満州の新京交通へ譲渡されました。 |
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昭和8年に3〜5号は扉取り付け工事を受け、砧線で活躍しました。この1形の台車はブリル21-E形、主電動機は26.8kwTDK9-D形を2台、制御装置は東洋電機製、集電装置はダブルポールを採用しました。 |