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大正14年に製造された31〜35号です。31・32号は日本車輌で製造されました。こちらは日本車輌製の31号です。31・32号は昭和2年にホイッスル、昭和10年に尾灯を設置しました。 |
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こちらも大正14年に田中車輌で製造された33〜35号です。日本車輌との違いは正面幕部分とデッキ上部などです。主電動機はTDK-524形2機、車輪軽は710_になりました。 |
尾灯が設置されたのは31・32号だけと資料(東急電車形式3)に書かれていましたが、昭和13年の35号の写真には尾灯があるので一応つけてみました。
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昭和14年に玉川電気鉄道の31〜35号の近代的鋼製車として、昭和14年に川崎車両で鋼製化され71〜75号に改番されました。このころの集電装置はポールです。 |
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昭和24年に間接制御化し、連結器を取り付け、台車・主電動機を40形と交換し、ブレーキ装置もSME形に変更されました。 |
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とりあえず、多形式も昭和20年代後、車体上部分も緑色に塗装されていたので作ってみました。 |
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昭和32年に両端扉を移設し、2枚引き戸に変更しました。集電装置もパンタグラフに変更し、昭和39年に砧線連結運転用に61〜64号に密着連結器が取り付けられました。 |
65号は玉川線・砧線廃止前に花電車になりました。玉川線・砧線廃止後全車廃車になりましたが、『こどもの国』でレールが敷かれしばらく保存されていましたが、その後解体されました。