![]() ![]() ![]() | 大正11年に枝光鉄工所で製造されたオープンデッキの22〜24号です。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和13年に22号は車体延長工事と扉取り付け工事を受けました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和17年の東急化により一斉改番で22号はデハ7号となりました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和24年に集電装置のビューゲル化により従来のポールからビューゲルに換わりました。 |
![]() ![]() ![]() | 写真などから昭和27年前後の塗装です。扉部分にも塗装が施されています。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和28年の塗装です。この年、車体の銅体化工事が行われデハ80形のデハ99号になりました。 |
![]() ![]() ![]() | オープンデッキのままだった旧23・24号は、デハ8・9号となりました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和24年に集電装置ビューゲル化し、その後昭和27年秋に銅体化工事を受けデハ90・91号になりました。また8号などの一部の車両は前面広告車になりました。 |
![]() ![]() ![]() | 大正12年に蒲田車輌製作所で25号を、鶴見木工で26・27号、翌年に28〜30号を蒲田車輌製作所で製造されました。いずれもオープンデッキでした。こちらは25号の東横時代です。 |
![]() ![]() ![]() | 28〜30号は25号と同じ蒲田車輌製作所で製造されましたが屋根上の形・数、明り取り窓など多少の違いがありました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和13年に28〜30号は22号と同様、扉取り付け工事を受けました。大橋工場で工事が行われ汽車会社が担当しました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和17年に旧25号がデハ10号に、26・27号はデハ11・12号に改番されました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和24年に集電装置をポールからビューゲルに換わりました。デハ10〜12号はオープンデッキのままでした。またこの頃に正面窓上の方向幕が埋められました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和27年ごろの塗装です。他の形式でも窓枠・扉などのニス塗り部分が塗装を施されるようになりました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和27年に11・12号は先に銅体化された1〜6号の古い車体と交換しました。11号は4号と12号は6号と交換しましたが半年ほどで銅体化されました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和17年に旧28号〜30号はデハ13〜15号に改番されました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和24年に集電装置をポールからビューゲルに換わりました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和27年ごろの姿です。扉や窓枠などのニス塗り部分に塗装が施され、正面窓上の方向幕が埋められました。 |
![]() ![]() ![]() | 昭和28年から窓上にも緑色の帯が塗られました。このころから銅体化が始まりました。 |
この玉川電気鉄道・東横電鉄時代の22〜30号は側面窓の形状から大きく二つに分けられます。ひとつは22〜24号の2枚ずつ窓が分けられているグループと、3枚・4枚・3枚に分けられたグループです。またそれぞれのグループで扉を取り付けれた車両と、オープンデッキのままの車両がありました。
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