旅日記5 前編 東京の夜探検2
さあて、谷中の墓地の入り口から。ここは昔は交番があったのですが、なくなったようだ。確かに奇妙な所にあると思ってはいったが。都内の墓地といのうは、都内の土地と同じに「高級住宅(?)地」だ。有名な人がいっぱいらしいが、江戸幕府のお偉方とかその子孫位しか分からない。
旧交番跡のメインストリートをどんどん進んでいく。さすが夜間照明はない。まっくら。当然誰もいない。墓地は四角い領域に区分され「東○乙○番・・」みたいな白いポールがたっている。お墓も東京の町名のように、区画整理されたのだろう。
「そういえば、天国や地獄にも住所とか番地あるのかな?」と、またくだらない思考が沸き上がって来る。お釈迦様が蜘蛛の糸たらしている所が「蓮池3丁目一号」とか「えんま様が住んでいる所」が地獄の「千代田区隼人町」なのかね・・(ちなみに隼人町は最高裁のある所)・・・
さて、こんな区分のある墓地団地から、離れて柵にかこまれた広い一画がある。なにやらでかい墓石があるのだが、葵の木がぞひえていたりするから、「徳川○○」のようなどえらい人の墓なのだろうが、墓あばき専門の歴史家でないのでよくは分からない。
墓石というのも古くなると風化していく。もう子孫もいなくなると、ぞんざいに転がされ、何時の日か区画整理の時に、一カ所に積み上げられて、やがて地下の遺跡になっていくのだろう。「墓石なんか、でかくても融けちゃう時には、みんなとけちゃうよ。」とか、そのどでかい墓石に言ってやった。夜の歩行はどんどん気を大きくさせる。
夜中に墓地探検をする事を、昔知人に話したら、「怖くないの、僕はできない」とか良い歳して言っていたが、逆に墓地が怖いという感覚が自分には理解出来ない。死人が埋まっているのが怖いのだろうか。そんな事いったら東京のあらゆる所は怖いはずなのだが。仕事で死体を沢山運んだりしたから慣れたのだろうか。いや、確かに子供の頃は怖かった気がするが、二十歳もすぎれば怖い人なんていないと思うが。まあ、死人より、墓地で夜中に生きた人が出でくると確かに怖い、というより危険だ。・・・しかし、自分と同じように夜の探検をしている人にとってこちらが怖い存在なのだろううか・・・というより、そんな人には、まだ出会ってはいないが。
さらに進むと、道は下り坂になって本当に真っ暗になる。一体どこにいくやら。異次元空間へのブラックホールだったりしたら、面白そうなのでなおも進む。真っ暗な方向に進む習性でもあるらしい。ふっと暗闇を突き抜けると、断崖のようになっていて、狭い橋がかかっている。山手線の跨線橋に出てしまった。京浜東北線のだだっ広い沢山の線路の上を渡っていく。階段を下りると、そこは鶯谷の根岸あたりだった。ワープしたように雰囲気が、東京下町商工業地帯に変わる。
上野の特長は、線路を隔てて、格調高い日本文化の中心地みたいな地帯と、下町庶民文化地帯が並んでいる事だ。跨線橋ひとつ渡って、その地帯きてしまった。「こんな所に来て、どこへいこうかな? コース変更して浅草とか山谷のドヤ街とかいって様子でも見てこようかな?」とか一瞬おもったが、なんかくたびれて来ていて、東京中心コースにする事にして、上野に引き返す事にした。若いお巡りさんが、四人、自転車で隊列を組んで通り過ぎていき、これも正体不明。
お墓をまた通るのもなんなので、上野駅に向かう。鶯谷のラブホテル街を通り過ぎていく。ここは、渋谷あたりの同種の地帯とちがって、戦後からの暗いイメージを引きずっているようだ。路地の入り口あたりに正真正銘の「娼婦・・・」という古典的な響きがぴったりの、おねえさんだかおばさんだが立っていたりする。数十メートル離れれば、静かに庶民が寝息を立てている木造家屋の町なのだが。東京は数十メートルの単位で、町の組織構造が変わっていく。例のスピードで突ききっていく。
上野から、また芸大の所を通って、ふと思い出して、東京大学に向かった。不忍池からはすぐなのだ。また、夜の研究室の灯りをみてみたくなったのだ。大学病院もあり、東大は徒歩ならいつでも入場フリーである。そういえば、ここの大学病院のレンガの建物の裏手にいくと、「霊安室」書かれた入り口があって普段はしまっている。あの看板はそのままだろうか。東大病院で死んで、ここから葬儀屋の車で運ばれ、やがて谷中の名門寺院で葬式をして、谷中の墓地に埋まれば、かなり名門コースの死に方だ。死に方に名門も何もないか。墓地でうけた精神的影響が残っている・・・・
ここから、病院のバス停の方から、理学部の方に回っていく。理系の建物の窓には、どんな夜にきても灯りがともっている。若い連中が徹夜で実験をしていたりするのだ。いつも、旧色町の猥雑な灯りからここに来るとほっとする。なんか懐かしいような、自分がその灯りのなかにとけ込みたいと思える灯りは、この研究室の窓の灯りだ。東京の町を少し高台からみる。無数の灯りがみえる。繁華街の看板の光。オフィスの光。寝静まる下町の街路灯。大学の研究室の光。光ひとつひとつに、夜の人生がある。人によって、どの光に懐かしさや、安堵感を覚えるかは違うのだろうけど。ラットの培養細胞の顕微鏡写真をとっていたりするのか。マイクロマシンを操作しているのか。数式を解いているのか。ただ、帰れなくなって研究室の机で寝ているのか。ここは自分にとって違和感を覚えない、懐かしいかい空間なのだ。今の自分には遠い世界になってしまったが。
文学部とかは、真っ暗だ。そそくさあるいて、門から出て、もうただただ歩く。色々な町の区切りを過ぎていく。東京の町は、こうして夜歩くと、人の体の中のようだ。いろいろな臓器があって、色々な体液や、神経情報が流れていく。歩きながら、そのつながりを夢想していくときりがない。そう、東大の連中が卒業して、流れていく行き先のひとつににでもいってみるか。日本の中央指令地帯に向かった。裁判所やら、国会やら遠くに眺めて、霞ヶ関の各省の建物を通り過ぎる。財務省とかどこの庁舎も完全に眠っているのは見た事がない。なにやら、どこかの窓に灯りがともり、残業やらしているらしい。東大の灯りも、霞ヶ関の灯りも、何か共通の光を放っている。
人は、これらの町の光から光りへ、移動していく。東大の灯りから、霞ヶ関の灯りに移り、それは時々、銀座の灯りや、赤坂の灯りを移動したり、する。どこかのマンション地帯の灯りに安住して、あらゆる光をとおり抜けながら、谷中の墓地に埋まるのだろうか。そんな、絵に描いたようなのはないとは知りつつ、こうして夜中に出逢った灯りを結びつけてしまうのだ。上野の灯りのない森に埋まって、寝静まっている人達は、どう流れてきて、最後はどこにいきつくのか。町のひとつひとつの灯りと、それがまとまる、町そのもののような大きな光。こうして夜、町の光の中を彷徨うと、不思議な悟りのような瞬間がある。
町全体を、ひとつに受けとめて、そして同時に、その夜見たあるゆる映像がフラッシュバックするような。そして、町の全ての人が愛おしく思えるような気分になる。・・・「いけない、夜の彷徨の お馬鹿症状だ。」と、はっと気づいた。
身体の痛みに対抗するために出される神経物質のせいなのか、夜の探検では、一度はこんな瞬間がある。気を確かにもって、こういうのとは戦わないと、何も分かっていないのに分かった気になってしまう。戦うべき、精神症状なのだ。インチキ宗教やら、なんとか研修とやらではこんなの利用して、初心者騙すのだが、どんな身体状況でも、ひとつひとつを見つめる瞳を失わないようにしないと、世界を正確に把握する事はできない。
まあ、こんな事していると、夜の探検も修行にはなるのかなあ〜・・とか考えたが、やはり、ただの愚行に過ぎない。 ツインタワーを過ぎて、坂を上っていくと六本木にでる。この時間なのにまだ、人だらけ。ここに夜中にくると必ず立ち寄る本屋にいく。ここは、朝の五時まで営業していて、そしてそんな時間まで、客がいっぱいいる。デザインとか、いわゆるクリエーター御用達のような品揃えなのだが、夜更かしクリエーター達には、限りなく有り難い場所だろう。ただ立っているのも足が痛い状態だか、何やら本を何冊も眺めはじめてしまった。
ここで、手にした一冊が、後の旅を決めた。「日本ばちかん巡り」みたいな題だったが、いわゆる宗教ルポルタージュのような本だかふむふむと読んでいった。ほとんど知っている内容だが、「こことここはまだ見た事ないな」とか考えているうちに、「そうだ、今年の旅のテーマはこれにするか。」と言うことで近畿、山陰方面、教団本部探検の旅が決定した。そのほか、旅の案内など見始めたのはそれからである。そして、トンパ文字だの、マヤ文字だの、線形文字だの、文字の本を眺めて出てきた。
相変わらず、六本木の町は、人々が騒ぎ続けている。もう足が痛くてしかたないので、ビルの植え込みの縁に座り込んで、休む。ただ、あまり休み過ぎると、再度歩き始める時に痛くて歩けなくなるので、足の冷えないうちにまた歩きはじめた。もうこうなると、どこをどう歩いているか不明だ。交差点にくると適当に左右を決めて歩き続ける。
それにしても風がない。暑い。コンビニを見つけると、適当に入って涼む。500ミリリットルのパックのお茶をかって、ペットボトルに継ぎ足す。これが一番安い。本日何本目だろう。ふらふらすると、公園が見えてきた。有栖川公園に来てしまった。都立中央図書館とかある、昔の侯爵様の邸宅が公園になったものだが、水飲み場をみつけた。水をだして、顔を洗って、手をあらって、足を冷やして、タオルを洗って、・・・ここら辺はほとんど戸外生活者の生活行動に近い。公園に住み着く理由は、水とトイレにあるのだ。ここにはそういう人はいないが。
ついに空が白くなりはじめた。さらに、ふらふら歩くと、また六本木のあたりにきてしまった。同じ所を廻り始めると、頭がいかれて来た証拠である。しかし、六本木は、・・ま〜だ、騒いでいる。最近は朝になっても騒いでいるらしい。
「朝はどこで迎えるかな。六本木で酔っぱらいに混じって倒れているのはやだし、朝らしい所はないかな?」と東京タワーを目にして思った。
「そうだ、朝はお寺がよろしい。」
という事で、増上寺に行く事に決定。朝寝の場には良いはずだ。工事中の冬季用タワーの坂を下り、増上寺に到着。錆びたベンチに腰掛け、寝るつもりになるが、朝になると体内時計のバイオリズムで、寝ていないのに「目覚めて」来て、なんかさわやかな朝の体調になる。少し離れてた所で、頭をまるめた少年達が、なにやら武道の練習をはじめた。「なんとか拳」なのだろうが、お寺で合宿してるどこかの部活か? 作務衣姿の若いぼうさんが、太いひもを抱えて出てきて、鐘のところにいって一礼してから突き始めた。朝五時である。
後ろの小さなお堂から、読経の声が聞こえてきた。本堂いってみるかと気まぐれがはたらく。椅子があって数人腰掛けている。朝のおつとめでもあるのかな。と思っていると、正装した坊さんに続いて、五・六人の僧侶がぞろぞろ出てきて、鐘をたたいて朝の勤行を始めた。かなりちゃんとしていて、本山らしき雰囲気だ。朝の散歩姿の年輩の人達が集まりはじめて、10人位にはなったか。正装の坊さんが、ささっと「はたき」(法子というのだ)で仏像の方をはらってから、急にくるっとこちらに振り向いて、突然「みなさんお早うございます。」とか言って、話しはじめた。「そう言えば、増上寺は毎日、朝の法話みたいな事やってるって聞いたけど、朝の散歩と組み合わせて、毎日来ている人もいるのかな。」とか思った。
話は「宇多田ひかるちゃん(確かにちゃんと呼んでいた)が、病気をして、治った時に健康がこんな幸せな事とやって分かったと言ったそうだ。若くてお金もあるのだろうけど、慢心しないで一流になるだろう。これも如来様のおかげです、今日も一日元気に過ごしましょう〜。」
みたいな短い話をして、短い勤行後ささっと仏像の後ろに消えた。
「はあ〜っ。ありがたいやら、面白いやら」
朝の散歩の年輩の人達と見比べながら、
「はあ、なんだろう ?」
と感じたねぼけ頭の編集長であった。かなり高位の僧侶なのだろうが、いかにも旧仏教系の本山の雰囲気である。朝の町の寺院を廻ると、時々この種のものに出会える。夜探検の後には良いものかも知れない。
さてすっかり、起きてしまった編集長はこのあと、電車に乗り、神田にいって喫茶店ルノアールで、モーニングサービスとともに、1時間ほど眠りこけてから、古本屋巡りを開始するのだが、良く体がもつものだ。でも、この程度の体力がないと、全国旅行には出られないのだ。
東京の夜探検は、お気軽に(?)できるので、お勧めである。他にもたくさんコースがあるので、また御紹介したい。続き→
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