編集長の旅日記 京都の夜と比叡山
旅日記の続きです。前回は2回ほど東京夜探検が挿入されましたが、関西方面の旅は、生駒山で「遭難」しそうになった(?)所で終わっていました。
青春18切符を最大に活かすために、大阪から、くたびれたまま京都までやってきました。ついたのは10時過ぎ。電車の動いているうちに、できるだけ移動しておくのが、青春18切符の旅です。そうすると、どうしても、街につくのは10時だ11だと、終電車の時刻で滑り込む事になります。なわけで、旅館について、ゆっくり食事して・・・という旅にはなりません。
編集長の旅では、どんな具合に夜をすごすが。パターンのいくつかを紹介しましょう。ひとつは、銭湯を探して、ゆっくり入る事です。銭湯そのものが好きですし、銭湯めぐりの小旅行もあります。目的地不定の旅でも、みつければ、町の銭湯やら田舎の「健康センター」みたいなのに立ち寄ります。
まあ、夏の旅では、これなしに野宿を続けては、体が壊れます。また、その地方で、銭湯にいき、そこの普通の暮らしを垣間見るには銭湯が一番なのです。営業時間ぎりぎりまでいて、牛乳でも飲ん出てきます。しかし、見ず知らずの人が自分の町に来て、銭湯に出逢う確率を考えてもらえば分かると思いますが、かなりラッキーな状況です。
それからどこかの深夜営業の食堂で食べたり、適当にうろつくうちに、安全な場所を発見すると、野外で寝てしまいます。公園で、ベンチでもあれば最適ですが、リュックを枕に、上着を頭にかぶって寝るだけです。蚊とか、イヌとか、お巡りさんとかに襲われない場所というのは、長年の経験で分かります。夜の過ごし方はこんなパターンです。
少し思った事ですが、「そろそろ金出して、泊まるかな。」と。長旅では、途中一回くらいは、宿泊する事もあるのですが、どうも「もったいない」のです。青春18切符の値段が、価値の基準となっていますから、一泊に二日も電車の乗り続けられるような金額を出すのが惜しいのです。いや、いざとなれば、一流ホテルでもカード一枚で泊まれますけど。まあ、そこら辺が完全な浮浪の旅とは違うのですが・・・
とにかく、京都の町で、銭湯さがしを試みましたが、無茶でした。京風銭湯でもあるかなと思いましたが、知らぬ人が東京駅近くで公共銭湯を探すようなものです。(東京駅内に銭湯あります。)そんで・・うろうろろ、京都駅の付近って殺風景なんですよね。(後で判明したですが、京都タワー内に銭湯があるそうです。)
だいたい京都の町って、お金を使う観光客には親切に出来ているのでしょうが、こういう怪しい無銭旅行者には冷い町です。脚が疲れて歩けなくなっても、座る場所もあまり、ありません。そんで、またうろうろうろうろ。くたびれると思考力がなくなり、判断力も決断力も低下して、ただ脚の惰性のみで、しかたなく歩いていると言う状態です。
そして、極め付悪い事には、ここは京都。御存知「碁盤目」の街。碁盤目の草分けというか、「元祖碁盤目」の街です。碁盤目の街の区画整理は、合理的なようで、人を迷わせる可能性が大なる構造なのです。特に方向音痴というか、短期記憶力低下状態の者にとっては困りものです。真っ直ぐな道を進むと、必ず交差点に来ます。○○通り、何条なんて合理的な座標系など、地図もない浮浪者には用に立ちません。
仕方なく交差点では、適当に左右を決めます。そして、次ぎの交差点でも、適当に左右を決めます。・・こういう事を繰り返すとどうなるか・・ある確率で、同じ所を『回転」する事になります。さらに、人間には「決め癖」というのがあるらしく、左右の決定に偏りがあるのです。右ばかり選べばどうなるか、当然右回転します。結果は、「あれ、さっき見た事のあるような・・・」。しかも、碁盤目構造にはまる四角いビルばかりで、似たような風景が続いています。
ひどい時には、同じ所を回っているという認識すらなく、「草むらを迷い続ける一匹の蟻」状態になってしまうのです。そんな状況に完全にはまり込みながら、なんとかコンビニで、水分と多少の糖分だけを調達しましたが。もうなんたか、何をやってんだが、分からない状態になってきました。
本当に京都自体は、うるおいのない街です。「美しい京都」は庭園とか寺院なので、みな塀に囲まれて閉鎖されてます。街路に憩いのある街ではありません。なんだか、羅生門の「下人」の気分になってきました。
同じ古都でも、奈良は浮浪者にもやさしい街でした。公園が多くて、ちょつとした街はずれに、水飲み場のある公園があって、だあれもいません。手足を洗い、顔をあらい、最後に石鹸で頭まで洗ってしまったりできました。まあ、こういう人種が増えると、町の人は困るでしょうが。
そして、何と言っても京都の夏は「暑い・猛烈に」。むしむしむしむし、風がないのです。京都の無風は有名です。なんだか、ふらふら最後は、なんとか座り込める場所探しになってしまいました。夜も更けて、「ここはどこだ ? 今どこにいる ? 」状態になった頃、なんというない小さなビルの入り口が、座り心地良さそうにみえました。
少しへこんでいて、古風な石造りの丸みのある階段です。よろよろと座り込んで、しばらくぼっとして、手足から、痛みが消えるのをまってました。少し正気になって、ふと会社のネームプレートをみました。金色のネームプレートに「中西印刷」とあるではないですか。
あの「中西印刷株式会社」です。8月19日号に書いた、「多文字印刷の中西印刷」です。少し前に外語大での展覧会で、みた「中西コレクション」の「中西氏」創設の会社です。ぼけた頭にも、「ありゃまあ、不思議な事もあるもんだ。」ちょいと感心してました。
中西氏の書物で、世界の文字の楽しさを開眼した編集長なので、まあ京都にでもいったら、そばを通ってみるか位に思っていましたが、住所も何も知りませんでした。ふらふらと、座り込んだら、そこが中西印刷だったので、「編集長もあるけば、印刷屋にあたる」のだと・・・・もっとも、こんな夜中に来てもしかたないのですが。
看板の下をみると、日本言語学会・日本○○学会・・・と文系の学会としては、そうそうたる組織の名が並んでいます。複雑な文やら記号が関係する、学会の学術誌発行代理の仕事などをしているのでしょう。朝まで、ここで寝込んで、会社の人にたたき起こされては、悲しいので、ふらふらと会社のまわりを一周しました。白い小さな町工場といった感じの会社で、ここで一流の文字に関する仕事がなされているとは、誰も気づかないような所です。
さあて、朝までどうしようと、少し歩くと、なんとか小さな公園をみつけました。砂場と、ベンチかふたつあるだけの、石庭のような乾ききった公園です。リュックを地面に下ろして、靴を枕に寝てしまいました。もう倒れるように寝たのでしょうか。気がつくと完全に朝でした。
なんだか、体が乾ききっている気がしましたが、何か食料でもと歩きはじめました。靴をはくだけで、出発の用意はできてしまいます。どこに行こう? 「だいたい、ここは何処?」状態ですから、仕切直しをしないと、ますます方向音痴の迷路にはまりこみます。
どこへ行こう?そうだ、ここは京都。京都と言えば、お寺。そして、朝。朝のお寺といえば、朝の勤行だか、法話だか。東京の増上寺での「宇多田ヒカル『ちゃん』」説教を思い出して、京都にも、ああゆう、とぼけたのがあるかも知らんと考えました。そして、おもいついたのが「知恩院」一度来た事があって、そこからの地理関係は、頭に入っています。確か増上寺と同じ宗派で、似たような事やってるだろうと、とにかく行き先を決めたのでした。
地図も何もないので、貧乏旅行の途中にいきなり繰り出す、「ひとときの贅沢」を発動しタクシーに乗りました。「知恩院」と一言告げて、真っ白なシートが眩しい後部座席に座りこみました。編集長が朝一番の客だとおもいます。知恩院まではいくら、なんでもそんな離れてはいないだろうとの推測です。
すると、座席で一大事が起きました。・・・蟻・・アリ・・です。白い広大な後部座席に、大量のアリが広がっていくではありませんか。何でアリ・・・数秒後に、その原因が、自分、自分の体と、荷物である事が判明しました。靴のあたりと、リュックの下部から、大量の蟻が吹き出してきているではありませんか。どうやら、夜中に寝ている間に、公園で大量の蟻がリュックと、我が体のどこかにもぐりこんで、そのまま、タクシーに乗り込んでしまったようです。
あわてて、ばたばたとシートを払う小生。どうすべきか、朝のねぼけた頭が回らないうちに、タクシーは目的地に着いたようです。
なにやら、ばたばたしている小生と、多少は数の減った蟻をみつけた運転手さんも、ふりむいて何も言わずに、蟻をはたいています。二人とも無言で、一瞬見つめ合った後、しばらくして運転手さんは八百何円ですと料金を告げ、編集長は無言で1000円札をだし、無言でおつりをくれ、「ありがとうごさいます」の声に、無言で降車したのでした。
あの後、どこか別の所で停車したタクシーは、羽はたきでも出して、蟻退治に取りかかったのでしょうか。それとも、そのまま車内に潜伏した蟻は、その日一日、多くの乗客に乗り移っていったのでしょうか。それとも、あの運転手さんの冷静さから見て、京都では良くある出来事なのでしょうか ? 少なくとも、車内に残った蟻の数は百より少ない事はない筈です・・・・。
良く良く観察すると、蟻は靴のあたに一群、主たる群は、リュックのポケットから、まだまだ出てきます。なにやら、リュックのポケットに残る食べかすに、きっと夜中の内に行列が出来て、編集長の朝のめざめと共に故郷より分断されて、別世界に運ばれる事になったのでょう。静かな朝の知恩院に、体じゅうをばたばたと叩く音を響かせながら、本堂のほうに進んでいきました。
そんで、探したのは、水。手洗い場をみつけて、手を洗い顔を洗い、蟻を完全に追い払い、なんとか着替えをして、身繕いをしたのでした。だいたい水場がみつけられない時は、神社かお寺にいくと大体はあるものです。
あのちょこちょこって、お参りの前に手だか口を濯ぐやつとか。まあ、あれで頭洗うと怒られるとはおもうけど。でも、あの水と柄杓のくみあわせ、本来はかなり実用的ななものだと思います。徒歩で、巡礼とかしていた時代には、お寺につく頃には、かなり体中が泥だらけになっていて、そのままお寺に上がっては、畳が汚れるような状態だったものを、本当に体を「清める」ものだったはずです。
そして寺社が水を提供する事は、かなり重要な任務だったはずです。こんな事、蟻だらけになったりしないと分からない歴史の事実です・・・?・・
そおんで、朝一番に寺にのりこんで、しばらくうとうとしていると、始まりました。朝の勤行らしきもの。鉦の音がして来たのので、本堂にいくと、かなり本格的な法式が始まっています。
京都らしく、畳にちゃんと正座して、さすが国宝の建物だあ〜とか、きょろきょろしながら、法式の進行を見てました。こういう事には詳しいので、だいたい分かります。
さて、くるっと振り向いて、先頭の僧侶が法話でも始めるかと思ってたら、前の方に座っていた別の「ひなびた」坊さんが、話を始めました。中身は・・う〜ん。なんとも巨大伝統教団の内輪話で・・なんだか地位は高い人らしいですが。
ちゃんと出してくれた座布団を、どこかの講の人に返して、なんとか会館の喫茶店で、朝ご飯だか、朝喫茶だかして、京都駅まで、バスに乗りました。
途中には、色々色々・・・名所の数々があるのですが、「夏の京都は暑くてやだ。」とか言いつつ、途中下車する事はありませんでした。
昼頃から、京都駅から、バスに乗って、比叡山延暦寺にいきました。色々みて、ケーブルカーで下りてきたのが、5時頃でしょうか。
・・おいっ・・うだうだと蟻の話なんか書いておきながら、メインの観光地を、何も書かずに手抜きだ〜。と仰るかもしれませんが、いや比叡山延暦寺ねえ・・、つまらない訳ではありません。それなりに、根本中堂とか、不滅の灯明とか・・面白いと言えば面白いのですが、別にここでどうこう書かずとも、観光案内やら、仏教美術の本を見てもらった方かよろしいという事で、省略です。バスの観光コースに乗ってしまうと、あんまり感慨が湧かないという実例でしょうか。
・・・あっ、ひとつだけ可笑しいと思った事をかいておきましょうか。まあ、比叡山の天台宗は、今でも気位の高さは変わらないようです。法然、日蓮、親鸞、道元・・その後の日本仏教の天才達も、天台宗にとっては、「元生徒」の扱いらしくて、ここで学んだ諸宗の元祖達の800年忌だかを記念するそれらの大きな絵がたくさん並んでいました。可笑しいのは、それらの絵の中には、真言宗の空海のものはなく、最澄 vs 空海の大喧嘩が千年以上たっても、いまだ尾をひいているのかと思いました。可笑しくない・・歴史の好きでない人には可笑しくないです。日本仏教史をご参照ください。
本当はひとつだけ行きたかった所がありました。それは「千日回峰行」で行者がたどる山道を、一度歩いてみたかったのです。その位置は確認しましたが時間もなく、生駒山でくたびれた脚のまま、地図もなく、また山道なんか入り込んだら、それこそ千日回峰行になりかねないので、止めました。生駒の山とスケールが違いますから。
京都の町に戻って、の行動と、旅の続きはまた次回にでも。本日はうだうだした話ばかりでした。旅がうだうだしていたので、うだうだした話なのです。
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