旅日記4 前編 東京の夜探索1
さて、旅日記は、時間を戻して、全国旅行の前編となる東京の夜探検をご報告しましょう。 編集長は、もう十数年前から、東京の夜探検という定例行事を一人で敢行しているのです。ただ、ただ、ひたすら夜中に東京の町中を歩き回ります。「ただの夜遊びじゃん。」と思うと大間違い。それは、学術調査なのだか、修行なのだか、小型放浪遍歴なのだか、取材なんだか、正体不明。
起源は、「夜の山手線徒歩一周」です。昔(今もあるかな?)、集団をつくっていわゆるウォーキングラリーを夜中にやっていた団体がありました。編集長も一人で敢行してみようと、新宿から渋谷に向かって始めたのですが、途中ですぐに迷ってしまい、なんだかとんでもない方向に進み、結局、青山だの国会周辺だの神田の方までうろつく羽目になり、と
ころが意外と、山手線一周より面白い事が判明して、以後コースを決めずにうろつき回る事になったのです。
自転車だったり、多少交通機関を用いる事もありますが、基本的に歩きつづけます。あまりお休みしません。何かを「見て」歩くというより、町を「感じて」通り抜けていく、あくまでも「旅」です。大抵は夏です。別に季節は問わないのですが。
回を重ねて、あらゆるコースを辿りましたが、一例を挙げてみましょう。
新宿駅→高層ビルの展望台→思いで横町→花園神社→代々木→明治神宮→渋谷道玄坂→広尾のマンション地帯→青山墓地→六本木→国会周辺→日比谷→佃島→東京駅から帰宅
なかなかハードスケジュールでしょう。一晩にこれ位は歩けます。
もうひとつ例、下町コースです。
東京駅→霞ヶ関→皇居→神保町→湯島→東京大学→上野公園→浅草→向島→堤(山谷のドヤ街)→荒川に辿りついて朝
その他、池袋から上野まで山手線の北部を廻るコース、お気軽な所として皇居の回りから千代田区を一周するコース、渋谷から港区、中央区を回る港湾コース、練馬だ杉並だ世田谷だと東京の「田舎」を回るコースとか、様々ありますが、田舎コースはただただ、くたびれるばかりです。
基本的に一人で、小型リュックひとつであるきますが、数回だけ人を案内して歩いた事があます。その時でも、横に並んで歩いたりして会話しながら歩いては駄目で、縦に並んで前だけみて、ひたすら歩きます。東京の夜のことで、食料は持参せずとも事欠く事はないのだけど、あまりレストランとかは入りません。着席して食事などすると、朝まで寝てしまう事もあるからです。
さあて、今回の夜探検は、全国旅行の前に足慣らしに、東京にやってきました。普通は夜の十時過ぎから始めるのですが、今回はその前に府中の東京外語大学に「アジア文字曼陀羅・インド系文字の旅」ってのを見に行ったのです。編集長は言語学、特に文法とそれから「世界中の文字」が大好きですから、展覧会を見に行ったのです。
ひとつだけ紹介しておきたい事があります。「中西コレクション」って知ってますか。まあこんなもマイナーな話題は、知っている人は少ないでしょうが、中西印刷という京都の印刷屋のおやじが、世界中の文字に関するもの、世界のあらゆる新聞とか、古代文字の印刷されている雑多なものをコレクションしていたのです。印刷屋のおやじさんが、世界の印刷物集めるのは当たり前みたいにも思えますが、学術的価値の高い高度なコレクションです。今でも中西印刷は「多文字印刷の中西」と呼ばれて、言語学関係では有名な会社です。殆ど崩壊しそうなまで古びているインドの経典に描かれている文字などは、極めて美しいものです。
後で気がついたのですが、編集長が世界の文字に惹かれたのは、古本屋でみつけた「世界の文字」という一冊の本でした。それが、この今西社長との出会いで、著者だったのです。どんな人かもしらず、印刷屋で研究のために作っているのかな位にしか思っていなかったのですが、今回の展示で全貌がわかりました。家業の傍ら趣味として世界を回り、あらゆる印刷に関するものを集めて来たのです。かなりしゃれた人のようで、京都の人らしいなかなかの通人のようです。だいたい社長もお金が出来ると、何かコレクションを始める人が多いのですが、大抵は焼き物だのの書画骨董に走っていくのが普通で、あまり文化的に生産性のある事はしてません。でも、中西コレクションは、どこにでもあるような新聞だの印刷物をしつかりとこの日本に集めた物で学術的な価値も高いものです。1994年に亡くなり、コレクションは国立民族学博物館に寄贈されて、中西コレクションとして保存されています。これが今回、ここに来ているというわけです。・・・・で、何、旅の関係ないこと書いて・・と、後で、これを書きたかった理由をお話します。
さて、今回の東京夜探検をはじめまししよう。以下、文体を変えます。「ですます」より「である」体の方が好ましいのです。・・・・
今回の探検は、秋葉原から始まった。とう言うより昼間の用事が秋葉原で終わったということだ。今はもうすぐ十時というとろ。探検開始には早いが、なんとなく秋葉原から北にむかった。一時の雨を避けて秋葉原の「ルノアール」でお休みしていたから、疲れてはいない。ただ今回は、昼からの連続なので、本格的な探検ではなく、「休み休みにしよう」とは考えている。あてどもなく、とぼとぼ歩くと、上野広小路に来てしまった。しょうがない、下町コース系、上野公園方面から始めるかと、適当に道を右にきった。
で、・・鈴本の先の路地に入った。気がつくと「大歓楽街」。名前は忘れてしまったが、東京にはいくつか、江戸の町から歴史を引きずった、その種の商売が群を作っている地帯がいくつかある。飲み屋だの風俗営業だのラブホテルだのが複合された「特定産業群落」の地域なのだが、ここも湯島と組合わさった、そういう地帯の端である。
踏み込んでから思い出したが、こういう地帯を歩く時には、ゆっくり歩いてはいけない。ちっとでも「そぞろ歩き」になったら、「お兄さん、安くしとくよ。」とかいう手合いの猛攻撃を受ける事になる。夜の探検は、当然こういう地帯も突き抜ける場合が多いので、これをくぐり抜ける基本を心得ておく必要がある。ゆっくり歩かず、まっすぐ先をみて、いかにも用事がある近くの町の住民のように態度で、どんどん突き切るのである。横をふりむこうものなら、最後には大喧嘩でもしかねない事態になる。夜の「研究調査」なので、こういう所で、すごしたら別種の「夜の探検」になってしまう。
だいたい編集長は「禁酒禁煙禁珈琲禁賭博」とかなので、こういう所は嫌いなのだ。でも、突き抜けて町の様子を観察するのはとても面白い。お仕事の「おねえさん達」の様子、酔っぱらい客の生態、ちんぴらどもの会話、それに混じるその町の一般住民、そんな空気を短時間に観察して突ききっていく。ゆっくり観察みたいな態度をとる事は、ここでは極めて危険である。
しかし、よほど今は不景気なのだろう。一昔前は、専門が分かれていて、客引きの男達だけが街頭にいたものだが、最近は街が店のような感じで、「おねえさん達」が外にあふれている。「街がだんだん軽薄化しているな?」とか思ったが、こんな所で思ってもしょうがない。それに、外国の人がどんどん増えている。他の地でも同様だが、「マッサージいかがです。。」と声をかける中国人のおねえさん達がもの凄く増加している。こちらは、ほとんど体当たりでもかけるごとく突進してくるので、さらにスピードを上げて、振り切らないと、突ききる事ができなくなる。しかし、口調も、手口もどこも同じなので、背後に組織と訓練が存在するのだろうか。
猛スピードで、その街を突ききり、ぽっと出たのが「不忍池」である。なんだか急に暗くなるのだが、派手な色の角張った提灯がずっとぶら下がっている。「不忍池保存会○○」みたいな文字でいっぱいだ。「広告ないと随分きれいなのにと」資本の論理を透徹する現代では望み得ない事を考えて、どんどん進む。蓮の花が咲いて、いや夜なのでつぼんでいる。今年は案外見事に蓮も育っている。
以前は蓮池のベンチに「臨時居宅」を構えて寝ている人が多かったのだが、今回はいない。まことに静かな不忍池なのである。「手入れ」でもあったのだろうか。しかし、暗い風景に、提灯が並ぶと、どういう訳か「狐のお面をした人達」が出てくる気がしてならないのだ。黒澤明の「夢」みたいなイメージだが。不忍池一帯の夜にはそんな「気」がただよう。「気」の発信地なのだろうか、池の中の神社を過ぎると、この暑い中「おでん屋」が一軒営業している。「不忍池と言えばおでん」なのだが、こんな夏まで営業しているとは不思議だ。そして誰も客がいない。やけで一皿食そうとおもったが、気がつくと狐の木の葉だったりしそうなのでやめた。
上野公園への階段を上る。不忍池の照明は上からの提灯だが、公園への道沿いは下からの照明だ。植え込みに仕込まれたライトが足下から照らす。どういう訳か、足下がぼっと白く明るいと、なんだか天国への道を歩いているような気がしてしまうのだ。星明かりの山中の白い道やこんな街を歩いたりすると、ここが天国なのか、地獄なのか、自分が生きているのか死んでいるのかふと分からなくなる時がある。別に眠くて意識朦朧としている訳ではない。意識明確でも、歩くという行為を続けると、時にこんな感覚がやってくる。夜中歩くと、こんな瞬間があるのだが、「夜探検」がなんだが修行に似ているところだろう。
気がつくと、上野公園の桜並木である。広い道はあまり歩いていない。当然だが。桜の下の花壇みたいな所に、ぽつりぽつりと「カップル」がいる。話をしている者は少なく、いわゆる「夜の公園の二人」の行動なのだが。夜の探検では、当然こういう所も「突き切って」いく。ここでも立ち止まってはいけない。ここで、立ち止まって、うろうろ観察などしたら「ただの覗きのおっさん」に間違えられる。まあ、その種のプロ集団もいて、「覗き」を「覗く」という高度な社会観察も可能なのだが、今回はどんどん先に進んだ。
交番のある動物園の入り口方向への中央の場を越えると、大噴水。オートバイを止めて、少し暴走族風の者達が飲み食いをしているが、少し離れて「ちょいと一休み」。やっと座ったのて足が痛まないようにする。なんだから手が浮腫んで大きくなっている。ごしごし、擦って血液を循環させる。
「どうしようかな。」と考えつつ、離れた木陰をみると、青いビニールシートのテント。「上野の路上生活者」(浮浪者というのは間違い、あまり浮浪していない。路上でもないので本当は戸外生活者なのだが。)はどうしているだろうと、芸大の方向に歩いていく。木陰にテントか並ぶが、もの音ひとつしない。もうみんなねいっているのだろうか。まあみんな朝は早いから。というより、明るくなっても寝ていると、ひどい目に遭うはずだ。
ひとりだけ、広場に近い所で、テントもなく、暖ポールもなく、大量の新聞だけを抱えた人が、紙をごそごそしていた。先ほどの雨で新聞は濡れて、ぼろぼろになっている。そんな紙でもなんとか巻き付けるようにして寝ようとしているらしい。戸外生活者の中には、雨を予測し、少しは先の事を考えて工夫して生きていける「失業者群」もいれば、そんなエネルギーもなく、すり切れた足の傷に、ビニールの切れ端を巻き付けているような「真性」の戸外生活者もいる。先の事など考えられないのだ。いろんな人がいるのだ。ひとまとめにはできない。・・・・戸外をうろつく者に、一番つらいのは雨なのだ。休む場所をすべて奪う。
さあて、「上野の森林」も突き抜けて、やってきたのは、国立博物館。独立行政法人とかになったけど、巨大な国家の施設である事には今も本質的に変わりはない。数年前の「国宝展」以来しばらく来ていないが、どういうわけか夜に来る事は多い。まあいいか。「そうだ、久しぶりに裏の谷中墓地でも行ってみるか。」と思い立ち、博物館の柵の回りを歩き出す。歩いても歩いても博物館の敷地は広い。
歩きながら、「ここの地下倉庫には、国宝だの重要文化財だのごろごろしまってあるのだな。」とか考えた。柵の向こうにみえるセンサーらしきものをながら、どうやったら夜中に忍び込んで、「鳥獣戯画」とか盗み出して、「あっかんべー」とかしたウサギの絵と取り替えてきてしまう事が出来るのだろうと考え始めた。夜中に歩いていると、推理小説が数本書けそうな位、奇妙な妄想が沸いてくるのだ。だけど、どのように検討しても、この柵を越えて、センサーをかいくぐり、地下倉庫に忍び込むのは困難そうだ。だいたい、今ここで柵を越えて、ルパンよろしく、地下倉庫突入をはかったら、どれほどのパトカーと警察官が集まってくるのだろう。皇居だの国会だの千代田区、台東区にはそんな国家権力の象徴というより、国家権力の実体そのものみたいな施設がたくさんある。博物館の回りはなんだか、えんえんと遠い。その足の疲労感に裏打ちされた、距離感の国家権力の大きさを実感するのだった。
・・・ふと、足下をみると、随分大きな種類不明のカエルが、博物館の敷地から、のそのそ跳びだしてきた。カエルのは国家権力の結界など関係ないのだろうか「こんな方に跳びだしてきたら、明日には車につぶされるか、乾燥カエルになってしまうのだろうに。」と奇妙にカエルに同情した。博物館の敷地は深い森になっているようだ。カエルもたくさん生息しているのだろう。
どこまでも柵にそって歩きながら、ほんの近くにいる新聞をいじっていた戸外生活の人と、この大きな博物館の敷地とを比べていた。なんだか、「羅生門」を思い出していた。巨大な国家の威信をかけたような建造物が朽ちていって、そこで「下人」が実存的な瞬間を過ごすあの時代。東京の町と、国家が壊れ始めていたあの時となんとなく重なって思えてきたのは、浮腫んでいる手足のせいか、脳もむくんだか。
そんな事考えて、方向感覚を失い、なんと回りを一周して、元地下鉄の出口だった所にきてしまった。「墓地は反対だ。」と思ったが、あまり考えもなくふらふら歩く。芸大の前を通り過ぎていく。どちらかが「音楽学部」で、どちらかが「美術学部」なのだが、いつ来てもどっちだか分からない。国立の施設というのはどこも「柵」ばかり続いて、あまり高い特徴的な建物はないからか。どこかのビール会社の本社のように、巨大オブジェでも美術学部の方に建てておけば良いのにとか、夜は意味不明の事ばかり思いつく。
どんどん歩く。このままでは、また不忍池に戻ってしまうので、適当に方向を変えた。下町の住宅街からまた、山に来て谷中方面に来たようだ。途中に普通の民家だが「金箔製造」と看板をだした所があった。どうして、こんな所に金箔屋がと思ったが、多分芸大御用達あるいは、寺町あたりの修復用なのだろうか。
東京の町に歩くと、巨大設備の近くに、必ず零細の「御用達企業」がある。東大医学部御用達の刃物職人とか湯島にいたり、ここら辺の下町はそういう町なのだ。そんな妄想的な「産業連関分析」を始めてしまうのも夜探検の時の、頭脳状態である。さらに「産業連関分析」はすすみ、「芸大で生み出された作品のどれだけが、将来あの「国立博物館」に収められるのだろう。」そんな、どうでも良い事ばかり考えたりする。まあ、東京の町の「産業連関分析」は、別の町探検紹介で、書こうか。とぼとぼ歩いて、谷中の墓地にたどりついた。
さて、長く書いたので、くたびれた。町を歩くより原稿書く方が時間がかかるのはどうしてだろう。その後の、続きのお墓探検詳細は、また明日にでも。
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