旅日記3 生駒山で遭難か?
新津を朝一番にでで、倉敷方面へ。そして早朝ついたのが「金光町」?。「名所の倉敷をとばして、どうしてそんな所へ?」とお思いでしょうが、金光教の本部の探検です。金光教は「教派神道系」に分類される明治初期からの安定期にある教団です。小生の分類で「のほほん系教団」です。天理教やPL教団のような「お人好し系」宗派といったら怒られるでしょうか。
「で、なんでそんな事詳しいの?」と言われそうですが、大学生の頃より、「宗教社会学」みたいな事をかじっていまして、あらゆる日本の宗教団体を公平な学問的視点で、研究しているのです。少しづつですが、各教団の経典とか資料とか、関連グッズとか収集しているのです。
朝早く着きすぎて、金光町のいわゆる門前町は、閑散としています。一応、土産物屋とか店をあけはじめましたが、参拝客はだれもいません。神殿にいきましたが、あまり人が少ないと、よそ者が目立つので、少し町を散歩してから、見学しました。古い木造神殿もありますが、本殿はコンクリートの大きなものです。神道系、特に、教派系の神殿には、何もないのが特徴です。何もないといっても、祭壇はありますが、密教系とかに比べたら、殆ど何もないようで、建物だけです。
広大な畳で数人の信者がお祈りしてます。ここの礼式は一礼四拍、あまり派手な事はしません。黒の紋付きの人がずっと静かに座っています。祭壇の横に、机があってそこに、ひとりで座っているのです。なんか受付の人みたいですが・・・実はその人が「教主様」なのです。朝五時から昼の三時までずっと「取り次ぎ」と言われる、早く言えば人生相談みたいな事をしているのです。受付の机みたいなのは「結界」と言って、神様と人間界の境界でしょうか。そこに教主が座って、神と人を取り次ぐというのが、ここの宗派の基本的な宗教儀礼です。神様の受付の机といっても外れてはいないのでしょうか。
あまり知らない異教徒がつまみ出されないうちにと、地階の休憩所にいきました。遠くから来た信徒なんでしょうか、床で寝ていたりします。畳に小生も寝ころんで、きのうから良くは寝ていないので、ぐうすか眠りはじめてしまいました。
しばらくすると、掃除をしていた職員の声が聞こえてきました。
「ぎゃ、ヤスデ〜気持ち悪い・・」
と女性職員が言って退治しようとすると、男性の職員が
「ここは神様のいる所だから・・・」
みたいな事をいいますが、
「そんなのいいの、まあなんとかして・・」
ってやりとりがあって結局ヤスデはつぶされたのでしょうか。上の階にいる教主様は何とおっしゃるのでしようか。まあ、神道系には仏教のような「殺生戒」はありませんが、どうなんでしょう。
まあ、その教団の教理や幹部の思考とは別にして、末端信徒との行動のズレとかも研究するのが宗教社会学的見方ではありますが。編集長は、どこでも詰まらない事ばかり見てくるのです。特に、各教団の職員の対応とか訓練されている程度とか見てくるのは興味深いものです。
教団を「饅頭あり教団」と「饅頭なし」教団に分類する事ができます。いわゆる門前町があって「○○饅頭」があるのは「饅頭あり」です。金光教は「金光饅頭」があるので、「饅頭あり教団」です。つまり活動が数世代に渡り、ある程度の世俗化もされ、外郭の諸団体が出来ているような教団です。在る程度社会認知を受けているという事です。「饅頭あり教団」になると、教団職員の中にもある程度の教理からの逸脱が見られるようになります。金光教は高校や病院など諸付属団体ももっていますから、かなり安定期に入っている教団でしょう。
宗教教団は、狂気発生期、進展期、安定期、官僚化期、腐敗期、衰退期、復興期、など順次経ていくのが通例です。まあ、編集長の怪しい学説ですから、気にしないでください。
本殿の回りの奥津城とか奥の教学研究所とか見学してから、門の外に出て、付属出版社にいきました。どの宗派も大抵は出版社をもっています。そこで経典とか諸出版物をみて来るのが、編集長の研究調査なのです。新聞とかいくつか貰ってきました。ただ重いのはもって帰れないので、今回はパス。
だいたい出版社というのは、今の大手でも大抵はこの種の教団付属や政治団体から始まったのが多いのです。大きくなると世俗化して、薄められてしまいますが。本を出すという行為の原動力のひとつに宗教的理念がある事が多いのです。あっ、ミクロコスモス出版は、アカデミズム風ですから、公平、客観的で学問的な知識への態度をとってす。・・
出版部で購入した本に「サトウサンペイさん」の本があります。かの有名なマンガ家ですが、親の代からの金光教徒です。あの「のほほん」とした雰囲気が、確かに教団の「のほほん系」とあっています。サンペイさんの本によると、「なんでも『おかげさま』と考えて行動していると物事うまく行く」というのが金光教のようです。・・
さあて、出版部の次は本部にいきました。どの教団も古くなるとビルがあって、教団テクノクラートと言われる官僚組織を抱えています。そちらは知り合いはいないので、図書館にいきました。立派な図書館をもっていて、地域の人は誰でも利用できます。一般書も豊富で、宗教関係も普通の公立の図書館同様の普遍的な品揃えです。もちろん金光教関係は莫大にあります。教学関係の研究書とか、しばらく読んでいましたが、旅の途中なので、次にいく事にしました。
帰り道の金光饅頭のお店で、おみやげなど調べていたら、面白いものを発見しまた。例の「少肉多菜・・・」とかいう健康十訓が印刷された手ぬぐいを発見したのです。「金光教が発信源・・?」とか思いましたが、後でいった永平寺の売店等でも売っていましたから、どうも起源がわかりません。自然生活系の思想だとは思うのですが、発信源調査は今度また。
さあて、山陽本線にのって大阪方面に向かいました。一度乗り換えはありましたが、山陽本線は本数も多く、普通電車も高速運転です。途中から快速に乗り換えたら、特急並につき進み、神戸、明石、宝塚と、どんどん進行します。どこも降りたくてしょうがない土地だし、また降りても構わない旅なのですが、なんだ外が暑そうなので、結局大阪まで来てしまいました。ここら辺はまたのチャンスに。残念ではあります。
大阪の町へ。今回は通り抜けるだけです。ぞれじゃつまらないとう読者のために過去の大阪見物の思い出をちよっとだけ書きましょう。
大阪で一番大阪らしい所はどこかと言えば「法善寺横町」でしよう。通天閣やら大阪城とかありますけど、最近のつくりものです。それは現代的なアーケードの町をわずかにそれて存在する小さな異次元空間です。
よく町内にひとつある、お稲荷さんだか、お地蔵さんだかがあってお賽銭が積もっていたりしますよね。あんな感じです。一応「みずかけ不動」ということでお寺なんでしょうけど、いわゆる「神仏混淆」形態の「町の神様仏様」といった所でしょうか。苔むしたお不動さんに水をかけてお参りするので、なんかみずみずしい感じです。都会の精神的なオアシスといった所です。水商売のおかみさんが、エプロンで手をふきてき夕べにちよっとお参りに来るといった風景の似合う、大阪の中の大阪です。
そばに夫婦善哉で有名な善哉屋さんかあって二人前500円です。カップルで食べるのでしょうが、一人用もあります。大阪初心者が、短時間に大阪のエッセンスを呼吸したいなら、通りをちょいと歩いて、「けつねうどん」をいっぱいすすって、法善寺にいって善哉を食べて帰るといつたコースがお勧めです。
さあて、今回の旅に戻って、大阪の本屋でちょいと地図を調べて次は生駒山にいく事にしました。大阪と奈良の県境にある小高い山が生駒山です。大阪が後ろに背負った山が生駒山です。大阪の文化のキーワードが「ごたまぜ」「玉石混淆」なんですが、生駒の山もそんな所です。ここには中小あわせて千に近い不思議な神様達が生息しているのです。密教系なのやら山岳系なのやら神社なのやら仏様なのやら正体不明の不思議としか言いようのないものが生息しているのです。
各国の神様も集まっているようでインドの神様やら、朝鮮系のシャーマン達も集う所です。で、今回は全山を調査しようなかと思って山頂からだんだん降りて来ようと思ったのが間違いでした。とりあえず、奈良側からケーブルカーに乗り、山腹の宝山寺で降ります。ケーブルカーの傾斜がそのまま路地になったような急坂に門前の宿が並びます。「お客さんなんかいるんだろうか?」そんな雰囲気で、誰もいません。例えば江ノ島の宿屋に感じる謎でみたいなものでしょうか。「昔はいざしらず今となって誰が・・・」まあ需用はあるので存続している筈ですが。
宝山寺は密教のお寺ですが、これまた現世利益ばりばりの商魂のかたまりみたいなお寺です。参道には「○○▽△金百万円」というような寄付金学を彫った石塔がびっしりと並んでいます。この額をそのまま足したら膨大になるので掛け値なんでしょうが、とにかく太いのでは「金一千万円」とかあるので、どうなんでしょうか。「○○講」といういわゆる信者組織のものも多いので、どこかの地域の信仰対象なのでしょう。
本堂の上に岩肌をみせる山がそびえています。そこに仏像が彫られていて、多分そちらが本尊なのでしょうか。山岳信仰の修行地だったのです。まあ、日本中に良くある雰囲気なので、すぐにまたケーブルカーの駅に向かいました。途中に色々、小宗教教団の本部かあります。半分商売のような、何か健康食品だか、○○薬だか売りさばいていそうな宗教法人です。「○○断食道場」みたいな所もあります。ターバンをまいたインド人が車を運転して、山を登っていきました。
そそくさと、またケーブルカーの駅から山頂に向かいます。このケーブルカーというのがなんとも「ゆるい」キャラクターで、飾られていて「犬の○○ちゃんと・・」みたいな事になっているのです。山頂にたどりついて分かったのですが、山頂は遊園地。スピーカーから音楽にのってアニメ声が四方にとびちっていのます。案外と人も多くて、子供がいっぱい。おばあちゃんのお参りと孫の遊びをいっしょにするんでしょうか。
で、とっとと下山する事にしましたが、ケーブルカーの時刻まで、まだあるし、ちと探検と、「その思いつきが、あなたを危険にさらす。」のいつものパターンにはまり始めたと気づくのは後からです。「どこか怪しいものはないかな。」とことこ坂を下がっていくと、一カ所だけ怪しい神社はあるものの、後は何もない舗装道路。面倒なので、近道をと、山道に入りました。ここら辺から、だんだん登山の雰囲気になってきます。
途中「←宝山寺・○○神社→」という看板で、いつもの「寄り道本能」が出てしまいました。旅の安全は「元に戻る事」が原則なのですが、「こちらからいけないかな?」遭難者のパターンになっている事に、くたびれて気がつかない。なんとか名前も不明の神社にたどり着きました。「どうしてこんな場所に神社なんかあるの?」とんでもない山中です。もちろん無人で、何もありません。水もありません。
「戻るべきか」と思いましたが、くたびれた足は、登りを拒否しているようです。降りる道を探すと、ある事にはあるのですが、もう道というより川底。ここ数年、人が足を踏み入れた形跡のなさそうな所です。「小さな生駒山、どこかに出るだろう。」とまた下がりはじめました。だいたい、山の頂上付近で道を違えると、巨大な結果の違いを生むのです。富士山のてっぺんで、道を間違えると山梨に行くはずが、静岡に行くようなものです。富士山なら見晴らしがききますが、森林を歩く時には、しばしばこういう巨大な失敗をするものです。
降りても降りても、山は深くなるばかり。足下の石はどんどん大きくなるし、蜘蛛の巣ばかり顔にひっつくし、足はがたがた笑い始めるし、食料はないし・・・。だいたい妖怪の出そうな生駒山だし、風もふかずに暑いばかりで、・・。蜘蛛の巣をタオルでひっぱだきながら、もうやけくそで、ひたすら降りていきました。蚊が猛攻撃してきて、半袖の手が数カ所ふくれてきて、顔も食われて、もうタオルだけしか武器がありません。
・・どの位歩いたでしょうか、突然森が開けて、そこにあったのは「ため池」そして、小さな田圃。「どこへ出たの?」ふもとの農業地帯のようです。農家もありました。人もいました。怪訝な顔でこちらをみるおばあさんの前をとっとと歩いて、どんどん降りました。
視界が開けたので、分かりましたが、ちと45度ばかり方向が違っていたようです。ケーブルカーに乗るには一度また登る必要があります。だいたい旅先で不幸な目にあうと、さらに不幸を重ねる方向に決定を下すという自虐的な本能が出てくるのです。「・・・・迷い続け、それで良い、この美しい夏の朝に・・」って詩をいつも思い出すのですが、「迷いつづけ、この暑くてたまらない夏の夕方に・・」という境地です・・・。
どんどん道を降りていくと、なんだか高級住宅が出現してきました。町名が「軽井沢・・・」なにやら生駒山の中腹は、東京の成城あたりのお金持ちの住宅地帯のようです。裕福にテレビをみている住民を横目に見て、もうただ降りていきます。で、・・ここでも発見したのですが、怪しい宗教団体なんだか、個人の家なんだか、赤い鉄板に囲まれて、庭に異様なオブジェの並ぶインドの修行者でも居そうな住居があります。「警報機あり、立ち入り禁止」とか書いてあります。
通り過ぎると、すぐにまた高級住宅街です。・・それも過ぎて、なんとか平地に近づいてきました。それにしてもこんな急坂にどうしてお金持ちが住むのでしょうか。ふもとに近づくと急に風景がかわり、猥雑な下町風になります。生駒の山は、山岳地帯から、農村地帯、高級住宅地帯、下町が密集して並んでいるのですね。これだけの知識が得られただけで、ついにケーブルカーの下りは足で降りて来てしまいました。
「またやってしまった。旅の大馬鹿だ〜。」
地図も、資料もない旅は、こんなものです。まあ生駒山なんかで遭難しなくて良かったというだけです。アルプスで遭難すれば悲劇の主人公ですが、生駒山では笑いの種です。で、次の目的地探検は無理そうです。次は「石切神社」の予定なのですが。関西の異次元空間と言えば「石切」という事でしたが、夜になって時間不足。次回の旅でにもう一度調査の上、ご報告と言うことで、お許しください。
大阪は飛ばして、まだ電車の使えるうちにと京都までいきました。 京都の事はまた次回。 続きへ→
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