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名演2008年6月例会 トム・プロジェクト公演 

作・演出/水谷龍二

嫁も姑も皆幽霊
6月9日(月)6時30分
  11日(水)1時30分
        6時30分
  12日(木)1時30分
 
アートピアホール(名古屋市青少年文化センター)          地図
解説
キャスト・スタッフ
関連サイトリンク
会費 月額一般 2600円 22歳以下 2000円  
   高校生以下 1300円
入会金  一般  2900円 22歳以下 2300円    
高校生以下 1600円
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解 説

 私は風間杜夫が大好きだ。特に舞台の上の彼に限りなく魅力を感じる。彼の芝居には、人生の喜怒哀楽がすべて凝縮され、男の色気をかもし出し、実に品に溢れている。ある役者が風間さんを「感動する芝居ができる人」と評していたが、まさに彼が舞台に立つと、空気の流れが変わるのを感じる。その風間さんが、「日本の面影」(1993年5月例会)以来15年ぶりに、名演に来る。東京にて本公演を演じた直後に、鑑賞会としては、一番乗りの一人芝居の新作を引っさげて!まさに名演が風間杜夫を「一人占め」する!!

 1997年、風間杜夫の一人芝居「旅の空」が始まった。はじめは観客の視線が怖くてたまらなかった一人芝居ではあったが、2000年「カラオケマン」をスペイン公演で立ち上げ、日本各地、そして中国公演まで行っていくうち、孤独であった一人芝居がさびしくなくなり、舞台にいない共演者が見えてきていた。そして2003年、新作「一人」を加え、3時間を越えるひとり芝居三部作一挙上演を実現したのであった。

 団塊の世代の象徴のような主人公のサラリーマン牛山明、カラオケで身を守り生きてきたが、ある日突然記憶がなくなり、家族も仕事も何一つ思い出せないまま、子供時代に好きだったことを頼りに頑張り始める…そして今回続編として、4部「コーヒーをもう一杯」、5部「霧のかなたに」が上演されるのである。

 観客の拍手声援「一人占め」の快感をパワーに、衰えを知らない精神と体力と演技力を駆使して演じ続ける風間杜夫!楽しみである。


「私、多分、間モナク、死ニマス」と、穏やかなようすで彼は言った。「大キナ心ノ川ニモドルノデス。私、死ニマストモ、泣ク、決シテイケマセン。私ノ骨・・・田舎ノ淋シイオ寺ニ埋メテクダサイ。モシ、人ガ尋ネマシタナラバ、ハア、アレハ先頃亡クナリマシタ・・・」
 そうして、風間杜夫は私の前から姿を消した。

 そのとき彼は、小泉八雲だった。山田太一作『日本の面影』の最終章である。「泣ク、決シテイケマセン」といわれ、再会を待ち続けて15年。
 彼が名演の舞台に戻ってくる。今度は牛山明となって。一人で。

 もっとも、今度の彼、牛山明は自分の名前を忘れている。心因性ストレスで記憶をなくしてしまったのだ。30年間の記憶が抜け落ちて、青年からいきなり50歳の中年、しかも気がついたときにはサウナの水風呂の中だった。
 私たちは、彼の空白の30年間が、仕事に追われ、カラオケマンと揶揄されつつ接待に気を使い、妻子、恋人の顔色をうかがう小市民的な生活だったことを知っている。
 その記憶が全く抜けてしまったのだから、恐い。しかし、何だか救われもする。
 彼は子供の頃の夢だった役者になる。といっても、旅回りの一座の、セリフが数行しかない端役だけれど。
 そこへ尋ねてきた息子。母親から預かったという封書は、離婚届だった。

 と、ここまでが、前回のひとり芝居3部作である。今回は、この続編であり、完結編となる。

 さて、どうなるか。台本は第一稿があがったばかりで公開されていない(4月現在)。それなら勝手な予測をしてみよう。

 恋人はこの2年のあいだに結婚してしまった。妻に離婚届を渡し、彼は旅回りの一座に戻る。記憶はじつは今回ようやく戻るのだが、戻らないふりをして・・・。

 ひとり芝居には名舞台が多い。以下、名演での上演をあげる。

渡辺美佐子『化粧』 1983年

小沢昭一『芭蕉通夜舟』1983年 『唐来参和』 1990年1994年

春風ひとみ『壁の中の妖精』 1995年、2003年

中西和久『しのだづま考』 1999年

加藤健一『審判』 2005年

 過去に上演された作品で、思い出せないものが数あるなかで、ひとり芝居は、違う。ある場面を鮮明に思い出すことができる。好き嫌いはあるにせよ、緊密な時空を役者ひとりが占有する舞台は、いつまでも記憶に喰いついて離れない。

 最初、ひとり芝居の企画を持ちかけられたとき、風間杜夫は「恐い」といって断ったそうだ。芝居としては異端であるし、観客の視線が恐い、と。
 ところが、考えてみると、子供の頃はよくひとりで遊んでいた。ひとりで遊べて、客に楽しんでもらえればそれもいいではないか、と思い、引き受けた、ということである。(同じ頃、落語家の役で『野ざらし』を演じたことがきっかけで、最近では高座にあがる機会も増えている)

 あんなに恐かったひとり芝居が、登場人物の相手の顔が見える頃から孤独感がなくなり、自在に演じられるようになった、おもしろさがわかり、欲が出てきた、と彼はいう。
 しかし、今でも開演前は、恐い、その緊張と終わったときの解放感との落差、それが演じることの醍醐味、ということだ。

 前回3部作のうちの『カラオケマン』は、海外でも上演され、絶賛された。ここ10年ほどは落語と海外公演とで、着実に演技に磨きをかけてきた。
 喉の強さはそうとうなもので、声が枯れるとカラオケを歌いに行き、それで喉の調子を取り戻すという。
 「カラオケはそんなに好きじゃない」とは彼の弁。「でも、ひとたびマイクを握ったら、つづけて7曲くらいは歌ってしまう一番嫌われるタイプ」
 ・・・このあたり、役と彼自身との境が見定めがたい。

 小学生の頃、風間杜夫は名子役として名を馳せた。その後、いったん役者をやめて学校に戻った。それが大きな役者になるためのプロセスだった。
 学生演劇のラディカルさに惹かれて早稲田に入学。以後、つかこうへいとの出会いによって、風間杜夫の資質が開花していく。
 つか芝居の頃のテンションの高さは、やがて『蒲田行進曲』に見られるような振幅の大きい演技表現の基礎となり、それは小泉八雲のような静かな役のなかにも、心の深み、その宇宙を表現する最大の道具となっている。
 抑制の効いた演技は、何より器と資質の大きさを必要とする。

つかこうへいは言う。
 「セリフは稽古でいくらでもうまくなる。しかし、色気は天性のもので、いくら努力しても無いやつには無い。その意味で風間は生まれつきの役者なのである」
 そういえば、名演での『朝・江戸の酔醒』の風間は当時35歳。夢の構造でできていたと記憶しているあの錦絵のような鮮烈な印象は、彼の色気のせいだったのか。

 還暦を来年に控えた風間杜夫の、さらなる表現の深みに立ち会えるのを、楽しみに待ちたい。(N・O)


<キャスト> 

牛山 明

<スタッフ> 

作・演出
水谷 龍二
美 術
松野  潤
照 明
五十嵐正夫
音 響
原島 正治
衣 裳
木場絵理香
舞台監督
松本 仁志
イラスト
留守  晃
宣伝写真
塩谷 安弘
宣伝美術
中塚 健仁
プロデューサー
岡田  潔
企画制作
トム・プロジェクト
協 力
オフィスカザマ


関連サイト

トム・プロジェクトウェブサイト
http://www.tomproject.com/

風間杜夫非公認ページ 「風の杜」
http://moriofan.sakura.ne.jp/


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最終更新日 2008/06/07