3月14日(水)6時30分 名古屋市民会館中ホール
15日(木)1時30分 名古屋市民会館中ホール
16日(金)6時30分 愛知県勤労会館
若さあふれるイアーゴー、その情熱を象徴するフラメンコの響き 平版『オセロー』は見どころがいっぱい
ひょんな事からお鉢が回ってきた。名演歴2年の新参者に。シェイクスピアの四大悲劇に『ロミオとジュリエット』は入ってる? そんな演劇の常識も知らない私が、この度無謀にも『オセロー』の紹介を書かせていただくこととなりました。
お借りしたパンフレットと台本に大慌てで目を通し、あとはネットで情報入手。最初は書く為の勉強といったところでしたが、驚くことに今ではすっかり『オセロー』に夢中です。
折角なので比較の為にもとオペラの『オテロ』(監督=フランコ・ゼッフィレッリ 主演=プラシド・ドミンゴ)も観てきました。
そんなこんなで今回『オセロー』観賞は楽しみが二倍、いや十倍になった気がします。
思い返してみますと、今までの演劇鑑賞といったら予習はおろか、当日も早めに席に着いて資料に目を通すなんてことは皆無。毎回時間との戦い、仕事に追われ時間ギリギリ会場に駆け込む始末です。
今回の体験は私に、ひとつひとつの作品に深く向き合う事を教えてくれました。とは言え、素人の付け焼刃な知識と情報にはなりますが、ここで私流『平版・オセロー』の《チェックポイント》をいくつか紹介したいと思います。
一、フラメンコ
オープニングでイアーゴーがいきなりフラメンコを踊りだすので、ちょっと驚くかたもいらっしゃるかも知れません。でもイアーゴーという名前が本来スペイン語なので、音楽はフラメンコだと演出家・平幹二朗は考えたのです。
このシーンを作るためにイアーゴー役の平岳大は、フラメンコ舞踊家の小島章司先生のもとで1年半もの間、フラメンコのレッスンに励んで芝居に臨んでいます。
『オセロー』の劇場空間でどんなフラメンコが披露されるのか存分にお楽しみ下さい。
二、若いイアーゴー
今回の平演出は、28歳と指定されているイアーゴーを5、6歳若くし、その名前から類推してスペイン人として描いています。
演劇界ではお馴染みの演目ですが、今回の若いイアーゴーは、青春をもてあましている若者として登場し、彼のなす悪事も若さゆえの鬱屈の捌け口とされているようです。
言葉の力こそがシェイクスピアですが、若々しく、純粋な外見をもつ平岳大の熱弁がより人々の心をとらえることでしょう。
三、親子共演
『オセロー』は、主役であるオセローとイアーゴーとの戦いの芝居です。ゆえにイアーゴーの扱い方が重要であり、演じ方によっては主役のオセローが〔ただの道化〕になりかねません。
今回の平演出ではその難題をみごとクリアー。オセロー(幹二朗)の愛と嫉妬に狂う壮烈な演技と、若さを思い切りぶつけ挑んだイアーゴー(岳大)の演技は、バランスの保たれた素晴らしい舞台との評判です。
キーワードは嫉妬、ハンカチはその種
嫉妬
この嫉妬という文字には、二つの女ヘンがつくことから嫉妬には女のニオイがつきまといますが、これは言うまでもなく男にもある感情です。
今回の『オセロー』でも多くの嫉妬が描かれています。
妻の愛情をめぐる嫉妬。地位、立場への競争からくる嫉妬。人種と階級にたいする嫉妬。『オセロー』のキーワードは間違いなく〔嫉妬〕です。
かつて黄色いハンカチが幸せを呼び、昨夏は青いハンカチで大騒ぎ、
そして『オセロー』でもハンカチは要チェック
さて、〔嫉妬〕のポイントとなるのがハンカチ。オセローが夫人のデズデモーナにハンカチの所在を厳しく問いただし、これが嫉妬の種となり、疑心暗鬼にとらわれ、愚かにも罠にはまっていく。
このハンカチとは汗を拭いたりするという程度のものではなく、ルネサンス時代のイタリアにおいては、婦人のハンカチとは肌着と同じという感覚だったようです。ある花嫁の結婚式で、その花嫁のハンカチを奪い取った男が追放になったなどというエピソードがあるくらいです。
シェイクスピアは癒される
シェイクスピアを読むと元気になると言われています。イギリス人に言わせるとヒーリング・パワーつまり《癒す力》だそうです。
これはなぜかというと、シェイクスピアの時代の劇作家というのは、オックスフォードかケンブリッジを出た知的エリート。だから観客に向かって人生はこう生きていかねばならないというような「教える態度」。ところがシェイクスピアの場合はそうじゃない。大学を出ていない彼は、いつも観客と同じ目線で同じように悩み、悲しみ、喜ぶ。
だからシェイクスピアの作品を観た観客は「ああ、私もそうだ」「やっぱりそうだ」と共感できるのかもしれません。
日々お疲れの皆様もシェイクスピアで癒されてみませんか!(A.K)
ハンカチ1枚で妻の不倫を疑ったオセローと、
「あるある・」をみて納豆を買いに走った人たち
2月1日、シェイクスピア上演史を研究する小林かおりさんを講師に〈『オセロー』の面白さ〉と題して学習会が開かれた。
同じテキスト(台本)を使用しても、役の解釈の仕方、時代の状況によっていろいろな形があること。また登場人物のうちの誰に焦点を当てるかでも、随分いろいろな物語ができる可能性がある、ということなどを、これまで上演されてきたいくつかの舞台や映画のビデオを使いながら、紹介してもらった。
このオセローという男、イアーゴーにいとも簡単に騙されるのだが、その簡単に騙されてしまう理由について、オセローがムーア人であることのコンプレックスであったり、中世から近代への転換期のなかで目に見える証拠を欲しがった。そこをイアーゴにつかれ簡単に騙されてしまうことになる。……そんな話を聞きながら、少し前ならこれは芝居だからとあっさり片付けていたのだが、「納豆騒ぎ」の顛末をみたりすると、オセローのことを愚か者と蔑んでばかりもいられない。そんなことを考えていたら、『オセロー』の物語が、遠い昔の遠い国のできごとではなくなってきた。(あつお)
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