No.3 『ダイ・ハード』日本公開10周年

 たまには映画の話でもという事で、今回は「ダイ・ハード」です。今年('99)が日本公開から10周年でもあり、期限切れにならないうちに取り上げます。この映画は、非常に伏線がうまく張られたアクション傑作、という評価が一般的なところです。でも果してそれだけでしょうか?というのが本稿の趣旨であります。
 この映画が公開されたのは'89年の2月。所謂正月映画第二弾というやつであり、この事からみても当時の扱いが分かります。当然クリスマス云々なんて事も宣伝では強調されておらず、私は運のよい事に、高層ビルを舞台にしたらしいアクション映画、その程度の予備知識でこの映画に接する事が出来たのです。
 冒頭、飛行機がLAに着いて、B・ウィリスがデカいクマのぬいぐるみを抱えて、「クリスマス・・・」といったセリフが飛び交う辺りで私は「!?」となります。そして迎えのリムジンの中で黒人の運転手がラジオを付けると、RUN D.M.C.のクリスマスソングが流れます。これがクリスマスソングとは知らないB・ウィリスは、「おいおい、今日はクリスマスだぜ」、運転手は(当然分かってますから)「これはクリスマスソングですよ!」と答えます。ただの白人・黒人のかみ合わない会話と言ってしまえばそれまでですが、この時私が考えていたのは別の事でした。
 それは、この映画はクラレンス・カーターの「バック・ドア・サンタ」に思い入れのあるヤツ(又は世代の連中)が作っているに違いない、という事です。「バック・ドア・サンタ」は、'68年の曲で、イントロがRUN D.M.C.のこの曲のバックトラックに使われています。問題は何故このイントロから始まるような使い方をしたかという所であり、このリフは後でも出てきますし、会話の食い違いを狙うだけならラップの部分から始めれば充分です。何もイントロの部分から始める必要はありません。私はこのブラスのイントロを聴いた時、作り手側の「これはこの曲が大好きだった俺達の世代が作るクリスマスムービーだ」的宣言のファンファーレのように感じました。
 クラレンス・カーターの「バック・ドア・サンタ」、これをそのまま使おうと思っても、必ず映画会社上層部のNGが出ます。「そんな曲知らん」と。しかしRUN D.M.C.であれば、「これが今一番流行りのヒップホップってやつです。これを使えばツカミはバッチリです。」とか言ってあっさりOK。黒人層へのウケも良くなるし、黒人音楽を知らなそうな(本人は詳しい人ですけどね、そこまで計算していたかもしれません)B・ウィリスとの会話への展開もスムーズ、と良い事ずくめです。しかし、あのイントロの16小節の間にこういった事が、ガーッと私の頭の中を回っていたんですから、全くクリスマスソング好きの業たるや、と今更ながらに思ってしまいます。
 ではその他はどうなんだ、という話に当然なります。確かにクリスマスソングのモチーフや「第九」が音楽で使われたり、ラストのクレジット・タイトルで “Let It Snow”が流れるけど、そんなにクリスマスを殊更に強調しているようには見えないのではと。しかし、ある1点から見るとこの映画の様相は変わってきます。
 この映画の舞台はLAのナカトミ・ビルですが、これはどうしてもLAでなければいけませんでした。それは、私に言わせれば『ダイ・ハード』は、「ホワイト・クリスマスなどありえないはずのLAのナカトミ・ビルで、クリスマスの夜に雪が降りました。しかし、その雪は本物ではありませんでした。それは・・」という半ばホラ話を活劇仕立てで撮った映画、であるからです。
 ジャズのスタンダード曲にヴァースという部分があるのを、皆さんご存知だと思います。前説というか、前口上のような歌の導入部で、歌われる事もあれば歌われない事もあります。で、あまり歌われませんが「ホワイト・クリスマス」にもヴァースがあるんですね。
The sun is shining,the grass is green
The orange and palm tree sway
There's never been such a day
In Beverly Hills,L.A.
But it's December the twentyfourth
And I am longing to be up north
といった歌詞がそれで、この後に“I'm dreaming of a White Christmas”と1番に入ります。このヴァースまで歌っているレコード、CDはあまりなくて、私が持っているのではB・ストライザンドとメル・トーメ、あとダーレン・ラヴが間奏で語りとして入れている位です。ヴァースを入れると、この曲が持つある種の普遍性が損なわれる為だと思いますが、上記の録音は逆にヴァースを入れる効果を狙った作りになっています。
 『ダイ・ハード』、まるで「ホワイト・クリスマス」のヴァースを逆手に取ったような設定ではありませんか。脚本上の伏線の巧みさがとかく評判になった映画でしたが、最も大きな伏線はこの事だったような気すらします。
 こう考えた場合には、最後のヴォーン・モンローの“Let It Snow”が、ハッピーエンドのクリスマス・イメージソングというより、ニセの雪が降り注ぐラストにかぶるホラ話のオチ的な曲として生きてきます。ですから、この『ダイ・ハード』1作目はきわめて特殊なクリスマス・ムービーだったと言ってもよく、日付の設定だけを借りてもう1本作ろうとしても、どうしても無理が生じます。『ダイ・ハード2』の弱点はここにある訳で、フィンランド出身のレニー・ハーリンが監督だったせいか、音楽にシベリウスの「フィンランディア」を使ってましたが、それ以外にはこれといった工夫は見られませんでした。『ダイ・ハード2』という映画は、本来なら『ダイ・ハード3』のようなストーリーの形で作るべきだったと、今でも私は思っております。
今回はクリスマスソング好きの単なる妄想として読み流して下さいませ。押忍。


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