カサブタ状の「藻?」とVibrio vulnificus 

メインタンク内に、今まで経験したことのない「藻」のような物が出るようになってから、ミドリイシ、ハナヤサイなどのSPSが調子を崩しました。数コロニーは死滅し、残ったSPSは成長を止めています。「藻」自体はそれほどの量が水槽内で目立つわけでないのですが、その増減にSPSの状態が比例しますので、何らかの影響物質(毒素)を出しているように思われます。なお、LPS、ソフトコーラルには影響がありません。

この「藻」のような物は、傷ついたサンゴの先端や、水流のある岩先など光や水流が強いところにまばらに生えます。表面はぬるぬるした感じですが、肉眼印象とは異なり、全体としてはある堅さを持ち、水流で飛ばされるような事はありません。ピンセットで摘むとちょうど「カサブタ」のようにペリペリと剥げます。

この正体不明の「カサブタ藻」を検鏡、培養など調べてみました。

肉眼像です。サンゴが擦ったりして傷ついたところに発生し、周囲の共肉を退縮させます。
この写真はやや薄めの「藻」です、他はもっと厚みが感じられます。
上で書いたように、つまむとカサブタのように剥げてきます。(同じ場所にはすぐ再生しますが)

当初、珪素の多い天然海水を足したとき増殖しましたので、珪藻かと思ったのですが、珪藻はそれほど多くありません。
(中央の両端が糸状に伸びたものが珪藻です)
また、表面付近は「ユレモ」のような藻類でした。ヌルヌル感はこれのためだと思います。
(太くて長く、内部に仕切があるのがユレモのような藻類です)

ところ、どころに繊維状の集合があり、その内部に球形藻類がつまっていました。
ただ、ある一種の藻類が多数を占めるということはなく、場所により様々な藻類がいます。

結晶や沈殿物も引っかかっていました。
なお、それをつなぎ止めているのは真菌(カビ)の菌糸のようだとの事でした。


このカサブタ状の「藻」を細菌及び真菌培養してみました。

結果:

Vibrio vulnificus (細菌)

1+

Trichosporon pullulans(真菌)

少数

糸状菌(真菌)

少数


他の培養では、Bacillus spが出ました。
Bacillus属は土壌細菌として有名ですが、今回は種名が分からず、その性質も不明です。


考察:
どうも単独の生物がはびこっているのではなく、真菌等を中心としたネットに細菌や藻類が付き、マット状になって増殖しているのがこの「カサブタ」の正体のようです。
ちょうど陸上の生物では、藻類真菌類の共生である地衣類のようなものの海水版のようです。
しかし、どれが毒素産生を行っている主体なのか分かりません。カリブ海ではアフリカから風に乗ってやってくるアスペルギルスの仲間のカビがサンゴに病原性を示すそうですが、上記の真菌がそうであるかどうかは不明です。

細菌のVibrio vulnificusは人体に対しては病原性を持ちますが、サンゴに対してはどうか不明です。RTNVibrio属の菌で引き起こされますから、可能性はあると思います。(ただし今回はRTNではありません、まったく症状が異なります)

対処:
この数ヶ月種々試してみましたが、どれも奏功しませんでした。「水槽初期化」以外には無いかも知れません

補遺:
AquaristとしてVibrio vulnificusの人間への病原性を触れておかなければならないでしょう。
Vibrio vulnificusは日和見感染を起こします。日和見感染とは健常者には病原性を示さないが、免疫力が落ちた人を冒す感染症です。今まで症例報告されているものでは肝硬変や糖尿病の人が海産物の生食(サシミ)や海での創傷部から感染し、壊死性筋膜炎から敗血症ショックを発症し、死に至るというもので、死亡率は大変高く、70%に登ります。

Vibrio vulnificusはグラム陰性桿菌で0.5〜8%の海水濃度、20℃以上の水温下でのみ増殖します。そのため、自然界から人間への感染は7月から9月までとなっていますが、水槽では周年感染のリスクがあるでしょう。
この細菌は3価の鉄をキレートするSiderphoreをもっているので血清鉄の高い肝硬変、輸血者、鉄剤投与中の人、ヘモクロマト−シスの患者が高リスクとなります。また、患者数も多いことより、糖尿病を基礎疾患とする人が21%を占めます。(肝硬変の方は71%)

Vibrio vulnificusは腸炎を起こすことの多いVibrio属ですが、消化器症状を示すより、創傷感染や敗血症がメインとなります。
症状は疼痛と発熱で始まって、皮膚の浮腫状紅斑、紫斑、水泡から壊死性筋膜炎に至り、その壊死は数時間で広がり感染四肢は蜂窩織炎ように発赤、腫脹します。
やがて、敗血症からDIC(播種性血管内凝固症候群)、腎不全、呼吸器不全など他臓器不全を起こし、死に至ります。
これらの経過はきわめて早く、発症から3日以内の死亡者が55%です。

治療は、基礎疾患と病歴よりこの疾患が疑われたら、培養験体採取後、ただちに抗生剤(薬剤感受性は広いがエンドトキシンの放出が少ないカルバペネム系のイミペネムが望ましい)を投与します。
壊死性筋膜炎(レントゲン撮影によりガス壊疽を鑑別診断)に対しては減張切開(筋膜を切り開き、腫脹圧をとる)を行い、DIC、敗血症ショックを起こしていればその加療となります。

この細菌感染症はここ20年で100例と珍しい病気ですが、25℃のMarine Aquariumには多分珍しくない細菌であり、水槽掃除などで、手に微少な傷を負うことの多いAquaristは一般の人より感染機会がはるかに高いと思われます。

ただ、最初に述べたように、健常者ではこのような感染に至ることはありませんので、あまり御心配されずに。しかし、肝硬変、コントロールの不良な糖尿病、他の免疫不全をもたらす疾患にお罹りの方は、お気の毒ですがMarine Aquariumはおやめになるのが賢明です。また、この方々はお刺身などの海産物の生食もお避けになるべきでしょう。

なお、慢性肝炎の方のほとんどは問題ありません。肝機能、免疫力がそれほど落ちていない方がほとんどですので。肝機能の程度、あるいは肝硬変に至っているかはかかりつけ医にお尋ね下さい。
また、コントロール良好の糖尿病の方も御心配なさることはありません。 

参照文献
1)北浦敏行:臨床と細菌、8:98,1981
2)伊藤秀夫:感染症誌、60:695-700、1986
3)田辺一郎:感染症誌、69:170-174、1995
4)古城八寿子:皮膚科の臨床、41(6)特:39;977〜984、1999

 

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