修羅の一族
MAHIRO MEMORIES
「お化け屋敷事件」の巻
この物語の主人公は、
あの事件の当事者でもあった、彼です。

S君。

そうです。彼が起した事件はアレだけではなかったのです。

彼はまさに、修羅の星の下に生まれついた男。
彼の生き様を、ここに再び――。
県の森こども祭
松本駅から駅前通りをまっすぐ東に行くと、
旧制松高があります。

この学校には作家の北杜夫や漫画家の白土三平などが通いました。
現在は県の重要文化財として「県の森」(あがたのもり)の名で市民に親しまれています。
ここの広場では、「ザ・ベストテン」の収録や、「ポケットビスケッツ」のコンサートなどが行われ、イベント会場としてもたびたび使用されております。

今回の舞台は、その「県の森」です。

小学校6年の夏休み。
つまり、小学校生活最後の夏休み。
私、マヒロとS君と、S君の兄弟J君は8月31日に行われる『「県の森」こども祭』の準備事務局を訪れました。
その『「県の森」こども祭』には「お化け屋敷」が開設され、それがその祭りのメインイベントとなる予定でした。私達三人はその「お化け屋敷」イベントスタッフとして登録していたのです。

初顔合わせでは皆、自己紹介をして、そこにさまざまな立場の人間がいることを知りました。
信州大学教育学部の学生さんを事務長として、高校生、中学生、小学生など男女20人ほどおり、それはそのイベントが子供の暇つぶしの遊びなどではなく、正式な、真剣なモノであることを物語っていました。

私とS君とJ君はほぼ毎日、プールの帰りなどにその準備が行われている「県の森」の建物の一室に通い、企画内容について皆と相談したり、小道具を製作したり多忙な日々を送りました。
小学校生活最後の夏休みのほとんどが「お化け屋敷」製作に費やされたといっても過言ではありません。
毎日毎日、絵の具だらけになりながら「御墓」をダンボールで造ったり、新聞紙で人形を造ったりしました。

イベント前日にはそのお化け屋敷の舞台となる、県の森大講堂にお化け屋敷の迷路を組み始めました。

県の森大講堂

バレーボールのコートなら二面とれるような広い構内に迷路を造るのは容易な事ではありません。
竹を組んで枠を作りそれに暗幕を張って迷路を仕切る壁にしました。
そしてその壁は迷路という都合上、全て離れない様に針金で連結されたのです。


そして当日――。

スタッフは皆「お化け屋敷」開始前に講堂控え室に集合し、それぞれが特殊メイクを施し、衣裳を着込んで「お化け屋敷」開始に備えました。
講堂の外には、お化け屋敷を楽しみにしてきた少年少女達やその保護者達が集まっています。
そして、ついに、お化け屋敷が開場されました
これからが本番です。

この為に全てを用意してきたのです。



開始10分。

S君は墓を倒す係でした。


彼が御墓のうしろから、客を驚かそうとして墓を倒そうとした瞬間――、



S君は足を滑らせて――、
そのまま前に倒れ込み――






その時
一緒に暗幕を張った壁も倒してしまったのです。





ドシンという音と共にその場の壁が倒れ、イベントスタッフのお兄さんの「明かりつけて!」という声が構内に響き渡りました。





ここで思い出してください。





全ての壁が
針金で連結されているという事実を――。








壁が一つ倒れるという事の先に待っている惨劇。




察しの良い方ならばもうお分かりでしょう。





そうです。






全ての壁が、
とてつもない轟音を立てて
倒れていったのです。








ドリフのコントの大オチを
まさか現実に見る事になるとは思いませんでした。





現場は
まさに阿鼻驚嘆の場と化しました。






怪我人が出なかった事だけが不幸中の幸い。


そしてそのお化け屋敷は即刻中止されたのです。




時間をかけて用意した小道具

ダンボールのお墓

特殊メイク

衣裳

製作途中に差し入れを下さった方々。

一緒に汗だくになって頑張った、スタッフ達。

夏休みをこれにかけた少年少女達。

集まってくださったお客様

etc






県の森こども祭
メインイベント「お化け屋敷」





その結果がドリフの大オチとは。





結局
どんな頑張りも
修羅の星の下に生まれついた男の宿命には
勝てなかった。






イベントスタッフのお姉さんが無表情でS君に

「君のせいじゃないから気にしないで。
…でも、今度から気をつけてね」

と、何度も繰り返し言っていたのが


その「お化け屋敷」で
一番怖かった事です。