背徳の花(前編)


作・taka様


九月の暑い日だった。
この時期になるとそろそろ涼しくなりそうなものだが、残暑というものはなかなか終わらないものだ。こういうことになると人生を長く積んでいる大人より、子供のほうが暑さに強いというのは、なかなか興味深いものである。

夏休みが終わり、三日ほど前から学校が始まった野口由美(のぐちゆみ)と板尾美香(いたおみか)は、小学校から帰る際にいつも使っている近道に入った。その近道とは道路から少し外れた森のことで、すこし険しい階段を昇り降りしなければならないが、もう五年生の二人は慣れっこで、しかも生い茂る木々が日の光をさえぎってくれるので、この辺りの子供は皆この道を使っている。

「でも美香ちゃん、本当にここ使っていいのかな?」

由美が不安そうに尋ねる。それもそうだろう、ここ数日で五人の子供がこの森で行方不明になっていると、母親から知らされていたからだ。
しかも行方不明といっても何とも奇妙な事件で、皆森の真ん中に持ち物や衣服が残されているのである。まるで肉体だけが突然消えたみたいに。

「大丈夫!皆森の真ん中でいなくなってるんでしょ?うちらそこ行かないわけだし、消えることなんかないって」

「でも・・・」

「由美は臆病なんだから。大丈夫、何も起きないよ」不安げな由美を慰めつつ、美香も一抹の不安は抱いていた。
しかし、人が消えている場所に行かなければ問題ないと、ある意味開き直ってもいた。

その時・・・

(来なさい・・・私のもとに・・・)

「ねぇ美香ちゃん、今何か聞こえなかった?」

「聞こえた!まるで、頭の中に直接響いたような・・・」

(さぁ、来なさい・・・森の真ん中で待っています・・・)

二人の足は、まるで導かれているように森の真ん中に向かい始めた。
二人に不安がないわけではなかったが、声の主を知りたいという興味が、それを上回ったのだ。

やがて二人は森の中心に到達した。
そこで二人が目にしたのは、黄金に輝く蘭のような美しい花だった。

「うわぁ・・・」
「きれい・・・」
二人は思わず見惚れた。

(よく来てくれました・・・待っていましたよ・・・)

「え?もしかして・・・」
「花が喋りかけてる!?」

そのときだった。蘭の中央から金色の花粉が放たれ、二人を包み込んだのである。

(うっ・・・あれ?なんだろう、この感じ・・・)
(いい匂い・・・なんか、頭ぼーっとしてきた・・・)

不思議な香りの花粉に、二人は心を奪われた。

(さぁ、その命、私に捧げなさい・・・)

「はい。私たちは、この命を捧げます・・・」
二人はぼーっとする頭で、うつろな目で、しかし声をそろえて花に言った。
すると細い蔓のような触手がするすると伸び、二人の首に絡みついた。そして、二人の生命エネルギーを吸い始めた。

「うぅっ・・・あぁ・・・」
「うーん、あ、あぁ・・・」
二人の少女は声にならない声を上げた。
しかしそれは苦しみ故ではなく、かといって快楽でもない、何とも言えぬ感覚に襲われてのことだった。

やがて二人の体は金色の粒子状になり、花に吸い取られていった。
生命エネルギーを吸われ続け、肉体が維持できなくなったのだ。
花は二人が姿を変えた粒子を残らず吸い尽くし、その場には二人の衣服と背負っていたランドセルだけが残された。

(もうすぐ・・・覚醒の時は近い・・・)

二人が姿を消してから数日後の夜。
森を通りかかる一人の女がいた。
彼女の名は志島冴子(しじまさえこ)32歳。
町のバレエ教室の教師をしていた。
帰り道にこの森を使おうとした時、彼女の頭の中に声が響いた。

(来なさい・・・私のもとに・・・)

「誰?誰なの?」

(来なさい・・・私は待っています・・・)

声に抗えず、冴子は森の中心に足を踏み入れた。
そこで目にしたのは、二人の少女を吸収した時より大きく、そしてより妖しい美しさを放つ黄金の蘭だった。

(わぁ・・・綺麗・・・)

冴子は一瞬で心を奪われた。
確か森の中心で何人も行方不明になったと聞いたが、今の彼女はそんなことお構いなしだった。
そして彼女の心を見透かしたように、蘭は花粉を彼女に向けて放出した。

(あぁ・・・いい匂い・・・)

すると、冴子の頭に声が響いた。

(いよいよ覚醒の時が近づいてきました。
そのためには器が必要です。あなたをその栄誉ある器に選びます。その身を捧げなさい・・・)

何を言ってるのかはわからなかったが、冴子はぼーっとする頭で答えた。

「はい・・・この身を捧げます・・・」

花は一瞬笑ったような声を上げた。
そして、その身を金色の粒子に変え、冴子の目、鼻、口、耳といった穴から彼女の体に入っていった。

「ああっ!あ・・・ああああぁぁぁぁぁっ!」
冴子はまるで獣のように吼えた。
そして、粒子が完全に冴子の体に入り込んだとき、冴子は冴子でなくなっていた。

冴子という器と同化した蘭は、冴子の顔でニヤッと笑った。


後編へ続く