背徳の花(後編)


作・taka様


 志島バレエスタジオ。ここは、志島冴子の母の代から続くバレエ教室である。
冴子の母である志島深雪(しじまみゆき)は日本を代表するバレリーナだったが、冴子が二十歳の時に交通事故でこの世を去った。
母からバレエを習っていた冴子は、母の遺志を継いで後進を育成するため、この教室を継いだのである。

 今日レッスンを受けるのは、中学生コースの少女たち七人。
この教室では曜日と時間の組み合わせでレッスンを受ける年代が違い、中学生コースは水曜と金曜の18時から二時間のレッスンだった。

点呼を終えた後、冴子は自分の机の前に着座した七人の生徒に言った。

「今日は、特別スケジュールでいきます」
生徒たちは顔を見合わせた。困惑の声をあげる者もいた。

「先生、特別スケジュールってなんですか?」
みんなのまとめ役である澤上りなが尋ねる。

「今日この日、あなたたちは特別な栄誉を与えられたのです。その栄誉とは・・・」
冴子の冷たい目が生徒たちを見回した。「私の覚醒の贄となる栄誉」

言うが早いか、冴子は口を大きく開き、そこから金色の花粉を放出した。

「げほっげほっ・・・あ、なに・・・」
「いい香り・・・あぁ・・・」
「なんか・・・頭ぼーっとしてきた・・・いい匂い・・・」

七人の少女たちは花粉をもろに吸い込み、その香りに心を奪われた。

「さぁ、私にその命を捧げなさい。あなたたちの命が、私を完全な姿とするのです」
冴子は言った。

「はい・・・この命を捧げます・・・」
少女たちは一斉に応えた。
それに満足した冴子は笑みを浮かべると、その姿を異形のものに変えていった。
それはつるつるの白い体に太い緑の蔓が絡みついたような姿をし、顔に当たる部分に、まだ開ききっていない黄金の蘭の花がある怪物だった。

怪物は少女たちのうち六人に、肩から伸ばした蔓状の触手を絡みつけた。
花粉に毒された少女たちは逃げることなく、怪物の蔓を受け入れた。

「うぅっ・・・あぁ・・・」
「ひゃっ、ああっ」
生命エネルギーを吸収され、少女たちが声にならない声を上げる。
そして、一人ずつその姿が金色の粒子に分解され、怪物の花の部分に吸収されていった。彼女らが立っていたところに、中身を失ったバレエレオタードがぱさっ、ぱさっと落ちていく。

「あ、あぁ・・・」
最後に残ったりなも、レオタードを遺して完全に怪物に吸収された。
怪物はあえて吸収しなかった生徒・岩崎千尋(いわさきちひろ)に向き直り言った。

「あなたを新たな器とします。さぁ、その身を捧げなさい」

「はい、この身を捧げます・・・」
うつろな声で千尋は答えた。

怪物はその姿を再び金の粒子に変え、千尋の目、鼻、口などから彼女の中に入り込んでいった。

「うああぁぁぁっ!あ、あああぁぁぁ・・・」
叫び声をあげる千尋。
そして粒子が完全に千尋の中に入り、怪物に同化された千尋は荷物をまとめ、悠々と帰路に就いた・・・


「手遅れだったみたいだな、鋼牙」
それから数時間後。白服をまとった一人の青年が、バレエスタジオを訪れていた。その指には、奇妙な指輪がはめられている。

「ホラーの仕業であることは間違いない。が、痕跡を残すとは少し変わったホラーだな」

青年の名は冴島鋼牙(さえじまこうが)。古より人間界に現れ、人間に憑依し人を喰らう魔界の住人・ホラーと戦いを繰り広げてきた魔戒騎士の一族・冴島家の現当主である。

「やっぱり番犬所の予想通り、こいつはちいっと厄介なやつだ」
そう鋼牙に言ったのは指輪に封印されたホラーにして彼の相棒、ザルバだ。

「奴の名はジュラド。こいつは人間界にやってきてもすぐ人間には憑依せず、まず花や樹といった植物に憑依する。そして人間を十分喰ってから人間に憑依する。しかも厄介なことに、こいつは依代を次々と乗り換える」

「ヤドカリみたいなやつだな」
鋼牙は呟くと、冴子の机の上にあった出席簿に目を付けた。七人の生徒の名前と顔写真が印刷されている。

「生徒の数は七人のはずだ。だが残されている服は六つ・・・どういうことだ?」

「考えられることは二つ。一つは、教師がホラーで、六人を喰った後生徒の一人に乗り換えた。もう一つはその逆だ。生徒の一人がホラーで、教師に乗り換えた」

「どうやら前者らしい」
鋼牙は机の横に置かれたハンドバッグを見ていった。
「これは教師の持ち物だろう。ホラーがすでに立ち去ったなら、荷物を置いていくことはあり得ない」

「さすがだ鋼牙。じゃあ捜査を一歩進めて、ジュラドが誰に憑依したかを突き止めるんだ。荷物が一つ足りないはずだからな」

出席簿を手にした鋼牙が、ホラーを特定するまでには五分もかからなかった。「岩崎千尋、こいつか・・・」


 次の日の夜。部活動を終えた中学生・佐野百合香(さのゆりか)は、突然親友の岩崎千尋に呼び出され、町はずれの廃工場まで来ていた。

「ごめんね、待った?」

「ううん、来たばかりだから。それより千尋、こんな時間にどうしたの?それもこんな時間に」

千尋はそう尋ねる百合香の首に手をかけ、後ろから抱き着くような姿勢になった。

「私ね、百合香のこと大好き。そう・・・食べちゃいたいくらい・・・」

「え!?ちょ、ちょっと千尋、冗談やめて・・・」

「本気よ」そういうと千尋は百合香から手を放し、大きく口を開け、そこから金色の花粉を放出して百合香の顔を包んだ。

「え・・・あ、いい匂い・・・」
百合香は一瞬で心を奪われた。

「さぁ、私にあなたをちょうだい」

「はい・・・私は、この命を捧げます・・・」
それを聞いて千尋は一瞬ジュラドの姿になると、触手を百合香の体に絡ませ、一気に生命エネルギーを吸い尽くした。
百合香の体は金色の粒子となってジュラドに吸い込まれ、後には学校指定の制服とスカート、下着だけが残されていた。

「もうすぐ・・・もうすぐ・・・覚醒の時が来る・・・」
千尋の姿に戻り、ジュラドは呟いた。
すると・・・

「残念だが、その覚醒の時とやらは絶対に訪れない」
その声に振り向いた千尋が目にしたのは、白服をまとい敵意をみなぎらせる、冴島鋼牙の姿だった。

「魔戒騎士・・・邪魔しないで」
言うが早いか、千尋は鋼牙に躍りかかった。
だが、百戦錬磨の鋼牙にかなうはずもなく、彼女はじりじりと追い詰められていく。

進退窮したジュラドは本性を現した。顔の蘭の花が、もうすぐ開こうとしている。

「覚醒というのは、あの花が咲ききることか?」
鋼牙がザルバに尋ねる。

「そうだ。あの花が開くと強敵だが、今の状態ならたいしたことはない」

「そうか」
短く応えた鋼牙は、黄金騎士牙狼(ガロ)の鎧を纏い、手にした魔戒剣で一気にジュラドを両断した。
ジュラドは断末魔の絶叫を上げて消滅した。ジュラドが封印され姿を変えた短剣は、やがて番犬所の手でほかのホラーたちとともに、魔界へと強制送還されたのだった。