特別史跡 山ノ上碑および古墳 |
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所在地 高崎市山名町字山神谷二一〇四 指定年月日 大正十一年五月二十三日 |
山ノ上古墳 |
丘陵の中腹の斜面を削り平らにし石室をつくる、山寄せの型に造られた円墳である。
凝灰岩の截石切組み積で、横穴式両袖型の石室をもつ、七世紀後半を代表する古墳である。
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山ノ上碑 |
山ノ上古墳のすぐ近くに建っており、この古墳の墓碑と見なされている。
碑石は、棒形の輝石安山岩の自然石で、下部が少し膨らみ、高さ約一・一米、正面の最大巾〇・五米、厚さ〇・五米、
碑文は四行、五十三文字、文字は楷体の薬研彫である。
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碑文 |
辛己歳集月三日記 佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此 新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児 長利僧母為記定文也 放光寺僧 |
読み方 |
佐野(さぬ)の三家(みやけ)と定め賜える健守命(たけもりのみこと)の孫黒売刀自(くろめとじ)、 此れ新川(にっかわ)の臣の児斯多々弥(こしたたみ)の足尼(すくね)の孫大児(おおご)の臣 に娶(めめ)いて生める児、長利(ちょうり)の僧母(ほうも)の為に記し定むる文(ふみ)也 放光寺の僧 |
特記事項 |
一、多胡碑(多野郡吉井町)、金井沢碑(高崎市山名町)ととも に上野三碑といわれること。 一、古墳のつくられた年代、葬られた人がわかる全国的に貴重な 資料であること。 |
昭和五十八年三月三十一日 文部省 群馬県教育委員会 高崎市教育委員会 |