くり返すもの

掛けてあるのは、泡立て器などの古い料理道具の、下の中央がオルゴールのミニチュア。鼻息でみんな吹っ飛んでしまうくらい小さいものたち。右端の赤い柄のは、西瓜などの果実のくり抜き器。本体は、半世紀も前のものなので、多少さびているが現役。ある時、これで、大好きなスイカの、あの一番甘くておいしい真ん中の部分だけを、これでくり抜き、くり抜きして、ボウルにてんこ盛りにして・・・・・でも、これが意外においしくなかった。甘いところもそうでないところも、青くさいところもあって、はじめておいしい世界は創られるのだと、その子は学習した。

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オルゴールが好きだ。同じメロディーを、ただただ繰り返すしか知らない単機能が、もの哀しくせつない。あのネジを巻くハンドルが好きで、創ったオブジェの何にでもくっつけていたことがある。建物の外壁にもホールのケーキにも。以前見たメキシコの画家、バロの描く人物には足代わりの車輪がついていて、固定しない浮遊感に、当時,少なからず影響を受けていたせいもあっただろう。
 NHKラジオの番組開始前と終了後に流れる素なメロディーには、ほっとする。早朝は一日の始まりらしく、少し明るく、深夜は眠りにおちる前に、一日の刺を抜いてくれる、そんな感じだ。朝は、15分前の信号音に続いて5時半前と決まっているが、夜はその日の番組によってまちまちだから、スイッチを入れて偶然耳にしたときは、明日の手触りはやさしい気がする。
 昔からこのテのものが好きだったように思う。夕刻になると風のまにまに、街のどこか遠くから流れてくる、白秋の『いつか来た道』や、クリスマスプレゼントに買ってもらった、ふらんす人形がくるくる回るオルゴールの『真珠採りのタンゴ』も、時折、思い出したように私の中で鳴り出す。そのころ、瞳が大きくてアイシャドウが真っ青で、デコラティブなドレスをまとったこの人形が流行で、どこの家にも、ケースに入ってアップライト・ピアノの上なんかに鎮座ましましていたものだ。私の人形は、赤いベルベットの、ウエストをリボンできゅっとしぼったロングドレスで、青地に白の水玉のネッカチーフをしていた。これでもつつましやかな服装の方だった。ネジをぎりぎりいっぱい巻いて、ベッドに入る。哀しい曲の、音の間隔がだんだんだんだん開いていき、息絶え絶えになっていく。やがて薔薇色のほっぺたの人形が回り疲れ、最後の一音がポロンと闇にこぼれると、同時に私も眠りのふかい深い闇に落ちる。今もときどき、ボロ市のがらくたの中や、捨てられたゴミの山に、薄汚れたフランス人形を見つけることがある。束の間、持ち主に思いを馳せてしまう。
 最近、
Happy Birthday のメロディーが流れるムーヴメントだけを手に入れた。装飾を一切取り払った裸の、簡素だが精巧な機械が奏でるこの旋律は、温もりがあって、やさしく、そしてとても哀しい。
music box→『誕生日のモーニングテーブル(ベッドの上の)』というテーマで創ったオルゴールはこちら