夢のささやき
三谷さんの心の中を・・・ちょっと覗いてみるページ♪今月のささやきです。
皆さん!お元気ですか?
なんだか暑いんだか肌寒いんだかわからない天気で、風邪なんかひいてませんか?
風邪なら、まだしも・・・今はSARSという厄介な病気が出てきて困ったもんです。
注意してくださいね。
でも、どうやって気をつければいいのか?それがわからないから、どうしょうもないか・・・
中国や台湾じゃマスクが予防らしくテレビの映像なんかじゃ〜
みんな普通の通勤時にしてますよね。飛沫感染を予防する為なんでしょうが・・・
本当に、あれで防げるのでしょうか?
待てよ!!そういえば・・・ちょっと前に話題になった白装束集団も、みんなマスクをしていたな。
な〜んだ!あれはSARS予防のためだったのか。納得しちゃった。(笑)

さて今回のささやきのテーマは「これって?あり??」です。
世の中変わってきて、人の行き方行動は自由になりました。
(江戸時代の頃にくらべてですけど・・・)
でも、普段の生活の中で「そりゃないだろう」と思う事は多々ありますよね。
法律には触れていないけれど「許せない!!」とか「勘弁してよ!!」とか・・・
そんな出来事を検証(そんな大袈裟なもんじゃありませんが・・)してみようと思います。

☆これって?あり?  その1
「電車内での化粧」
よく見るようになりました。男性と女性とで意見が分かれる所かと思ったら・・・
これが、あにはからんや性別に関係なく意見がバラバラのようです。
確かに誰にも迷惑はかけていません。静かに車内で編物をしているのと何が違うのか。
車内で何らかの作業をしてはいけないという事はありません。
この事に照らし合わせると化粧も、ひとつの作業と考えれば何も悪い事ないのに。
なせ?批判されるのでしょう?年輩の女性は「人前でするものじゃないでしょう」
という意見が多いようです。

人前でする事じゃない事って他にどんな事があるでしょうか?
人前じゃないという事は当然ひとりの時にすることですよね。
たとえばオナラするとかハナクソをほじるとか・・・(笑)裸になるとか・・・
ちょっと待てよ!こんなの家族や親しい人同士
(特に裸の点については・・・大人のみなさんには解ると思います。ウフフッ♪)
ならやるなぁ〜。そうです。ここでいう「人前」というのは「公然の場」という意味です。
そう考えると、さっきの例えは全部当てはまります。さて話を元に戻しましょう。
化粧は公然の場でするものではない。という論理は化粧は人前で裸になるのと
一緒だという論理です。確かに公然わいせつ罪という法律もあります。
そのうち公然化粧罪というのが出来たりして・・・(そんなわけないか。)

あれっ??ここで、またちょっと待てよコール!
どうして人前で裸になっちゃいけないの?日本には公衆浴場という文化が
あるじゃないですか。でも、これはあてはまりません。
みんな、お風呂に入る目的で集まった限られた空間で裸になっているからです。
では、どうして?例えば電車の中で裸になっちゃいけないの?
ここでちょっと整理してみましょう。
車内の化粧⇒人前でする事じゃない⇒人前とは公然の場→化粧をするのは
裸になるのと同じだ⇒裸になると公然わいせつ罪⇒どうして裸になると罪になるの?
とここまできました。

電車の中で裸になって、いったい誰に迷惑がかかるか。本題の化粧と同じですね。
誰にも物的損害を与えていません。大声を出したり人に、もたれかかったりせず・・・
ただ静かに外の景色を眺めている・・・ただし裸で。どこがいけないのでしょうか?
いけなくありません。やっている本人の行為に罪はありません。
ところが、そのまわりにいる人達は感じるのです。「見たくない!!」
そうなんです。やっと見えてきました本質が。
見たくないんです。不快に感じるのです。多くの人が不快に感じる事を私達は
社会道徳として行わないように子供の頃から教育されてきました。
それに反するのです。化粧をしている行為に罪はありません。
それを見ている、こっち側が・・・それまで培ってきた自分の社会道徳に
照らし合わせて不快に感じるのです。「見たくない!!」のです。
自分のモラルを踏みにじられた気がして腹が立つのです。
そして、それを我々は法律にしてまで世の中の秩序を守ってきたのです。
だから人前で裸になってはいけないのです。化粧をしている人を見て不快に
感じる人は物的被害ではなく、精神的被害を受けている気がするのです。

では化粧を平気でしている人は・・・どうなのか?
その人の今までの社会道徳観の違いで平気なのです。
これは・・・どこまでいっても平行線です。僕の結論です。
「したければしてもいいよ。でも一事が万事で、そういう人なんだって思っちゃうぞ」
です。先日、友人と飲みながら・・・この話をしていたら。
「すごいの見ちゃった!電車の中で若い女の子が化粧しながらついでに・・・
ハサミで鼻毛切ってた!!」
ここまでくると・・・もう何も言葉はありません。皆さんは、どう思いますか?

☆これって?あり? その2
「電車のシートがおしりのおさまりのいいように窪ませてある事」
また、電車ネタになってしまいましたが、最近よく見かける様になってきました。
一人ずつ・・・ちゃんと座りなさいというがごとく凹んでいるシート。
あれ・・・なんだか変ですよね?

人それぞれ体格というものがあって大きな人もいれば小さな人もいるのに。
どうして?あんなことするのでしょう?混んでいれば詰める。空いていれば
適当に間隔をあけて座ればいい事です。三人掛けのスペースに・・・
二人の大人と一人の子供の時、子供が真ん中にくればいいけれど・・・
端に子供が来た時に二人の大人は、くっついて座らなければなりません。
変だと思いませんか?
これは鉄道会社が我々のモラルを信じていないところから発想したこと
だと思います。シルバーシートにしてもそうでした。
会社側はモラルの欠如が見られたので、こうしました。と言うでしょう。
ところが、こういうことで逆にそのモラルが欠如していく事に、どうして?
気がつかないのでしょうか?
「ここはシルバーシートじゃないから年寄りはシルバーシートに座りな」という
発想が生まれてしまいます。困ったもんです。皆さんはどう思いますか?

☆これって?あり? その3
「今回はこれまで」
ごめんなさい。本当はもっとあるんだけど今回は、このへんにしておきます。
皆さんも「これって?あり?」あったら掲示板にカキコしてください。
例えばスーパーで買物した時、必要以上に薄いビニール袋を持ち帰る事とか。
芝居を観にいって桟敷席の場合。早く行って真ん中に座ったのに・・・
「すみません。混んできたので奥につめてください。」と言われた時とか・・・。
このへんで・・・と言いながら。また始めてしまいそうなので・・・
本当にこれでおしまいにします。それじゃ!また。

PS
本当に、阪神は今年優勝しちゃうかも!
ん〜がんばれ!巨人!まけるな中日!走るんだ横浜!思い出せ広島!
そして、飲んでがんばれヤクルト!!


2003年5月のある日のささやき
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2003年7月のある日のささやき
皆さん・・・梅雨のスッキリしない天候が続いていますが、体調など大丈夫ですか?
むしむしした夜は冷えたビールで一杯!明日への活力の源。
テレビで野球を観ながら楽しい夜を過ごしてはいかがでしょうか?
と、ここまで書き始めの言葉を考えているうちに無理矢理!自分の気持ちを
平静に保とうとしている事に気がつきました。
冗談じゃない!!!!!楽しい夜なんか!めったにないじゃないか!!
(すみません今回のささやきは・・・ちょっと荒れそうです。)
どうした!巨人。ミラクル巨人。といえるのも10ゲーム差以内だぞ!
13.5ゲーム差は最早絶望的です。勘弁して下さい〜阪神様〜
もう悪あがきはやめます素直に負けを認めます。
18年ぶりの優勝おめでとうございます。
ここまで阪神様が精進していらしたとは夢にも思っておりませんでした。
他チームから金にものを言わせて選手を引っ張ってくる我が巨人の体質を
反省しつつ、だらしないとか!へたっぴ!とか言われ続けても決してあきらめなかった
阪神様にむしろ、すがすがしささえ感じる今日この頃です。

ということで今回のささやきのテーマは・・・・・
「阪神に見る、日本人の弱いもの贔屓(ひいき)の構造」
広辞苑によると「贔屓」とは「気に入った者に目をかけ力を添えて助ける事」
「後援すること」とあります。
日本人には古来弱いものに対して、そもそも対等ではないのだから
何とか助けてやりたい。応援してやりたい。という感情があります。
歌舞伎「勧進帳」に源義経が家来の弁慶とともに山伏と称して
安宅関(あたかのせき)を通過する時
所の判官が義経と見破っているのに、その境遇の弱さから見逃してやるという
有名なシーンから「判官贔屓」という言葉が生まれましたのも、そのひとつです。

話はちょっとそれますが(いつもそれてるじゃん!?)
子供の頃、近所の子供達と遊ぶ時。
子供ながらに年下の子には「おみそ」といってペナルティーを免除してやったり
しました。これも弱いもの贔屓のひとつです。
3つ4つ違いは大人同士なら大差ありませんが小学校6年生と3年生では・・・
そりゃ〜えらい違いです。

贔屓という言葉自体には、先に広辞苑に引いたように悪い意味はありません。
しかし、時としてマイナスのイメージを持つときもあります。
みんなで掃除をサボったのに、かわいいAちゃんだけ先生に叱られない。
そんな時、僕たち悪ガキは「贔屓だよ!贔屓」と愚痴るのです。
この場合、みんな平等にさぼったのに「先生のお気に入り」という理由だけで
贔屓されAちゃんだけ優遇されるのは不条理です。
しかし世の中には、こんなことだらけです。
ここで、もう一度広辞苑を思い出してください。「気に入った者に・・・」
そうなんです。個人的に気に入った者を助ける事を贔屓と言うのです。
だから先生のとった行動は正しい贔屓のあり方なのです。

このままいくと・・・どんどんそれていきそうなので話を元に戻しましょう。
弱い者贔屓の構造は言い換えれば弱者に対しての愛と言ってもいいでしょう。
(ちょっと表現が詩的すぎないか?)
ずっとBクラスに甘んじてきた阪神は、あきらかに他のプロ球団に比べて
弱者でした。まるで・・・いじめられっ子のように、どの球団からも勝ち星がもらえず。
肩身の狭い思いで日々暮していました。そんな球団に「がんばれ!」と
声援を送らないわけにはいきません。
日本人の持つ判官贔屓の精神は弱者博愛ひいては世界平和にもつながる
崇高な理念なのです。阪神を応援する人々の心には無意識ではあっても
世界平和を祈念する精神が宿っているのです。いや〜素晴らしい!!!

と・・・ここまで書いてきて「おや!?」という思いが・・・・
そりゃ〜去年までの阪神は弱者でした。しかし今年は違います。
ダントツ!トップ!!です。ここで、いまいちど弱者に対する正しい贔屓心を
世界平和に繋がる判官贔屓の精神を呼び起こそうではありませんか。
今の弱者はいったい誰だ!巨・巨・巨・・・あ〜言いたい。
でも、ぐっと我慢します。この際、中・中・中・・・これも今はAクラス・・・
みなさん!阪神に31.5ゲーム差の横浜を応援しましょう。
残りの全試合を阪神が全部負けて横浜が全部勝てば・・・
まだ逆転優勝もありえます。世界平和につながる正しい判官贔屓の精神を
横浜に!!!頑張れ!横浜!勝つんだ!横浜!

なんだか今回も、とりとめのない「ささやき」になってしまいました。
ごめんなさい。さて・・・ここからはお知らせです。
9月に舞台をやります。ブレヒト的世界の話です。
詳しくは「NEWS NEWS」のページで発表します。
それと12月に新しく出来る劇場の第1回公演をクリスマスコンサート的に
やります。
また、ちょっと舞台が続きますがよろしくお願いします。
弱者の舞台俳優に・・・どうか正しい判官贔屓を!!
それじゃあ〜また。。。
皆さん、いかがお過ごしですか? 暑いですね。
東京も梅雨が明けたと思ったら、突然真夏になってしまいました。
百葉箱で計った35℃は、街中での40℃を意味します。
ちなみに百葉箱は【ひゃくようばこ】と読んでいましたが・・・
正しくは【ひゃくようそう】なんだそうです。←広辞苑でも確認済み。(笑)
まっ・・・どっちでもいいことなんですが・・・
最近の自分の中ではトリビア!で・・・へぇ〜!!のボタンを押してます。(笑)

今、通っている稽古場が下町は両国のそば(そう国技館のあるところ)で
駅から隅田川に架かっている橋を渡って行くのですが、その時の暑さと言ったら
もう〜どうしようもないぐらいフライパンの上状態です。
逃げ場のない、まるで広い所に出されてしまったゴキブリのように・・・
「かんべんしてよ〜!!」です。そして、やっと辿り着いた稽古場で・・・
待っているのはトランペットの練習です。

今回の舞台は全員それぞれサックス・トロンボーン・ピアニカ・アコーデオン等々
楽器をやるのです。もちろん歌もあります。 Mナンバー16まであります。
実際トランペットが鳴る(恐れ多くて演奏とはいえません)のは3曲だけなんですが
大変です。芝居を始めた頃に、ちょっとだけトランペットをやっていた事は
ありましたが・・・もう25年ぐらい前の話で、それも独学の我流のひやかしの
遊び半分だったので、まさか舞台でやることになるとは思っていませんでした。
とにかく初めはトランペットってバルブ(指のピストン)が3つしかなくて・・・
指使いが簡単だろうと思って始めたんですが・・・ところが!その反対で!!
同じ指使いでも唇の形によって音が違うのですよ。
だから一発目の音を出す時に「ド」の音出すつもりで吹いたら「ミ」だったり
「シ」だと思って吹くと「ファ♯」だったり・・・金管楽器をやった方なら・・・
このへんの事は良くお分かり頂ける事とは思いますが・・・。
この程度の初心者が舞台で演奏。(ああ恐れ多い)するなんて・・・・。

ムフフフフでも楽しい!た・の・し・い。なんだかわからないけど楽しいのです。
きっと中学校のブラスバンドって?こんなんなんだろうなぁと思ってしまいます。
ヘタです。僕は確かにヘタです。中にはプロの方もいらっしゃいます。
その実力は月とスッポンぐらい違います。みんなに迷惑かけてます。
でも楽しい!ブンチャカブンチャカ♪譜面を見ながらやっていると改めて
一曲を構成しているのが色々なパートの楽器で、それらが協力しあって
成り立っている事に感動します。みんな別々の楽器なのに出している音も違うのに
ちゃんとひとつになっている。(当たり前ですそんな事)なんて言わないで下さい。
ふぅ〜また今回も長い前置きになってしましました。

ここからが今回のささやきのテーマ・・・
「どうして?同じにしたがるの?」です。
この前、友人達と飲んでいる時の話題で最近の運動会の徒競走は
順位をつけないというのがありました。なんでも1着と6着で区分するのは
差別に繋がるからだとか。。。ひいてはイジメに繋がるとか。。。
完走したことを誉めてあげればいいとか色々な理由で着順を決めないのだそうです。

僕らの頃は、一等賞は「スケッチブック」六等賞は「えんぴつ」みたいに賞品まで出して。
走った後の列まで違って区分していました。大勢いる生徒の中で走るのが速い子
運動能力に優る子がいて当然です。徒競走とは文字通り、競争して誰が早いかを
決める競技です。一等賞の子は「よく走ったね。」といって誉めてあげればいいし。
六等賞の子にも「最後までがんばったね。」と言って誉めてあげればいいのです。
そこに得手・不得手があるということの認識と、そのことが個人の価値とは関係ない
事を教えてあげればいいのだと思います。

ここで運動会とは対局の学芸会に移しましょう。
これまた変な事に最近はなっているそうです。。。
学芸会から「お芝居」が消えつつあるのだそうです。
もっぱら合唱が主流だとか。その理由に生徒を主役と脇役、その他大勢に
分ける事は何かと問題があるとの事で、その理由のほとんどは運動会の
徒競走と同じ事です。合唱なら、みんな同じに歌えばいいので差がつかない・・・
のだという事でしょう。どうして「同じ」にしたがるのでしょうか?
ひとつのお芝居をつくるのに石の役がいたり、木の人がいたりして皆で力を
あわせて、ひとつの作品を作ることの大事さを教える、いいチャンスなのに。
もったいないとおもいます。得手・不得手があるのは当たり前です。
その時々によって、得意な人がその能力を発揮すればいい事です。
そのことを学習せずに世の中に出されて「自分は人より劣っている」と・・・・・
落ち込んでしまう子供の多いことか。人と違う事を「いけない事」として
教育するのではなく、その違う事をむしろ認めてあげる教育でなければ
いけないのではないでしょうか?。

さぁ前置きのトランペットに戻りましょう。
ヘタなトランペットも毎日、練習してると楽しくなってきます。
今まで出なかった音が出た時には、それだけで嬉しくなります。
でも、きっと・・・こんな短期間じゃあ「素晴らしい」なんてところまでは
いかないかもしれません。だけど世の中、色々な得手・不得手が一緒に
仲良くやってるのは・・・きっと見ていて「すばらしい」かもしれませんよ。
同じじゃないという事が、とっもいい事なんですよ。きっと・・・・・

ということで、今回のささやきも・・・とりとめのない話になってしまいました。
暑い毎日、体調に気をつけて乗り切りましょう。
そして9月には・・・どうぞ劇場で観てやってください。

Mナンバー16もあるのに、これはミュージカルではありません。
ブレヒト芝居です。と、いっても分かりませんよね。
という方も是非!劇場へ。お待ちしてま〜〜す。

それじゃ〜バイバイ♪
2003年8月のある日のささやき