もののけ姫と縄文水
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     はじめに
 5年前、1993年に家族で屋久島に出かけた。その時、子どもは保育所の最年長だったが、ほとんど屋久島を覚えていないという。その年の12月に「世界遺産条約」の自然遺産地域として、屋久島が日本で初めて登録された。その後、屋久島はどうなっただろうか。今年の夏、再度出かけた。
 映画「もののけ姫」の中で、シシ神のすむ森の風景が美しい。映画のパンフレットによるとアシタカの出身の村は、東北の白神山地をモデルにし、シシ神の住む深い森は屋久島をモデルにしているという。屋久島の原生林はどんな感じだろう。そこで、今回の最大の目的は、九州最高峰で屋久島の奥岳のひとつ宮之浦岳(1935m)に登ることとした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 宮之浦岳登頂をめざして
     その一、ケータイを持つ
 
 まず、実際に宮之浦岳に登ったT.Wさんの「また屋久島へいってきました」(まなざし46号、1987年)を読み直した。Wさん一行は、当時30代後半のWさん、小6の子供、20代のMさんという構成だ。山小屋に2泊している。2泊3日分の食料と寝袋を担いでの登頂だが、相当きつかったことがわかる。一方私たちは40代後半の夫婦と小5の子どもだ。とうてい2泊3日の行程はできない。
 インターネットのヤフーで、「宮之浦岳」を検索し、1件ヒットした。「行きたいのは山々 南九州旅行記」というものだ。その旅行記の人は、朝早くタクシーで安房から淀川入口に入り、昼頃宮之浦岳に登頂し、新高塚小屋で泊まり、次の日に麓に戻っている。
 Wさんも旅行記の人も共に、下山してからのタクシーの手配に苦慮している。屋久島は深い山なので、車が通る道まで出るのが大変であり、さらにその道まで出ないとタクシーを呼ぶ公衆電話がない。山に入ってしまうと公衆電話は、たった2カ所しかない。
 行程表をながめながら、日帰りをするためには、帰りのタクシーの手配がネックだとわかった。しかし世の中には便利なケータイがあるではないか。この屋久島の山の中でケータイは可能だろうか。現地に電話してみると、「NTTドコモなら、宮之浦岳付近か、縄文杉付近ではケータイが入るかもしれない」との返事だった。この可能性にかけてみよう。私はケータイを持っていないので、NTTから1日単位でレンタル(デイリーユース)する事にした。8月2日、レンタルしたケータイをリュックの上に押し込んだ。
 と同時に、もしケータイが通じない時は、降りて下の淀川小屋で一泊をする事になる。そのための寝袋と大きめのリュックを用意した。
 
     その二、雨の中の弁当
 今回の屋久島行きは、JTBのパック旅行で申し込んだ。忙しかったせいと、鹿児島から屋久島への飛行機便は個人ではなかなかとりにくいためだ。
 8月3日に宮之浦のホテルに着いた。天気も良さそうだったので、明日8月4日に宮之浦登山と決めた。
 ホテルの朝食を弁当に、夕食を昼食に振り替えてもらい、朝5時にタクシーを予約した。
 5時少し過ぎにタクシーに乗り込んだ。3人ともまだねむけまなこだ。1時間以上経って、淀川入口に到着する。既に登り始めた人たちの車だろうか、トイレの周辺に5台ぐらい駐車してある。そこでホテルで渡されたおにぎりを朝食とする。6時45分頃出発だ。
タクシーの運転手さんは、私たちの日帰りの計画を聞いて、半信半疑に「もしケータイが入ったら連絡して下さい」と名刺を差し出す。
 道は、思ったより整備されている。板で段を作り歩きやすくしてある。しかし、森は深く,木の根が左右から出ていて、雨が降れば足をくじきやすいところだ。約1時間ほど歩いて、淀川小屋に着く。Wさんの文章にあるように、ログハウスで新しい。すでに誰もいない。そこに、寝袋3つと2食分の食料が入ったリュックを置く。用心のため、持ってきた自転車の鍵で、リュックを柱に結びつける。もし、宮之浦岳で、ケータイが入らなかったときは、戻ってきてこの小屋で1晩を過ごすことになるのだ。
 ここから、湿原の花之江河(はなのえご)までは、コースタイムで1時間45分だ。弁当、雨具、水、お菓子を入れた2つの小さなリュックで、出発した。
 ありがたいことに道はかなり整備されている。しかし、所々花崗岩が露出しているところは、雨になれば水の通り道となり、かなり滑りやすい箇所となるはずだ。
 出発から2時間半ぐらいすぎたあたりで、左右の眺望が開けてきた。森の中から、尾根筋に出てきた。左側を見ると、かなり高い山の頂上に巨岩(トーフ岩というそうだ)がちょこんと乗っている。なんとなく「もののけ姫」ででてきたような山と石の感じだ。これは、標高1711mの高盤岳だ。
 しばらく下りが続き、急に視界が広がった。小花之江河だ。標高1630mメートルの高層湿原だ。大きなリュックを置いて、休憩をしている中年の夫婦がいた。私たちの身軽な荷物を見て、「軽くていいねえ」と声をかけてきた。樹皮がはがれ幹が白く見える杉が点在している。周りを小高い灌木などに囲まれて、適度な広さの空間があり、疲れた気持ちが開放される。
 さらに、15分ほど歩くと花之江河に着く。「小」がないぶん、ここの湿原のほうが広い。湿原の説明があり、ここは日本で最も南にある高層の泥炭層の湿原で、約2600年前から湿原が形成されはじめたという。あたり一面、ミズゴケやスギゴケが覆っている。そういえば、生きたミズゴケを見たのは初めてかもしれない。登山者が増え、湿原が踏みつけられてきたので、板の通路から外に出ないよう注意があった。花之江河で、休憩をとっておやつを食べ、これからコースタイムで2時間35分の宮之浦岳にむかう。
 出発して30分ぐらいして、黒味岳の別れに出る。眺望が大変いいと聞く黒味岳へは、往復1時間ぐらい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だが、体力と時間を保っておくため、ひたすら宮之浦岳に向かう。そろそろ霧が出てきた。左右の眺望が望めない。しばらくして、大きな石がおもしろい形で突き出ている投石岩屋に着く。あたりには野宿した跡がある。方向が少しわかりにくいが、石に立てかけてある標識を見つける。そろそろ弁当だと思いながら、右手に投石岳、前方に安房岳を眺め、屋久島ダケ(ヤクザサ)が地面を覆う平原に出た。眺めのいい所で10人以上が、降り出した雨のなか弁当を食べている。もう少し行って、木の下で弁当にしようと思い、進む。
 視界がますます悪くなってくる。空を見上げると、雲の切れ間から太陽が覗きそうに思える。しかし雨はいっこうに止まない。傘をさして進む。そのうち、道の両側にヤクザサが生い茂り、両手で背丈ほどのヤクザサをかき分けながら進むことになる。ズボンも濡れだしてきた。そこで、少し広くなった道の途中で、カッパを着けた。雨宿り出来そうな場所があったが、小花之江河で出会った夫婦が休憩をしていた。変に、腹が立った。雨も本格的に降りだし、ヤクザサは更に深くなり、「ささこぎ」という表現がぴったりする登山になってきた。
 雨の中、休憩場所を探して、30分以上休まずに進んでしまった。もう「限界だ」と思っていた頃、右手に宮之浦岳までの最後の水場が現れた。小さな沢があり、それが道と交わるあたりが少し広くなっている。そこで傘を差しながら、立って弁当を食べることにした。子どもが気分が悪いと言う。妻も引き返してもいいと言う。時間は1時頃になっていた。朝、6時すぎに朝食を食べてから、既に6時間以上経っている。
 「子どもは急に体力をなくす」とWさんが言っていたことを思い出した。投石岩屋あたりで雨が降り出したが、その時「更に登り、高度を上げれば、大きな木はなくなり、雨宿りする場所はなくなり、さらに雨も降りやすくなる」という当たり前のことが、考えられなくなっていた。
 しかし、子どもの気分が悪いのはエネルギー不足によるものだろうと考え、弁当を食べしばらくすれば、元にもどると思った。コースタイムでは、あと40分ぐらいで頂上だ。「あと1時間ぐらいだ」と言って、出発した。
 右手前方に、小高い山が見えてきた。宮之浦岳にしては、これは近すぎると思いながら進んだ。ありがたいことに、雨が小やみになってきた。弁当を食べた頃が、一番雨が強かったようだ。この小高い山を右手にみて、また前方遙かに山が見えた。これこそ宮之浦岳だと思い、進んだ。近づくと大きな岩がいくつも重なりあって頂上を作っている。人がいない。道はまだ前方に続いている。標識が立っていて、今過ぎようとしてる山は、標高1867mの栗生岳だとわかる。
 急に視界が広がった。平地が広がっている。左右の眺望は、望めないが、雨はもう殆ど止んだ。一休みをした。ここで、例のケータイを試してみた。出発した淀川小屋や、花之江河あたりでは、「圏外」という表示が出ていた。この頂上付近ではどうか。スイッチを入れると通話可能な表示が出た。「いけるみたいだ」と2人に告げた。
 目の前の山が、地図で確認しても、宮之浦岳に違いない。急に元気が出てきた。あともう一息だ。人の声も聞こえてくる。最後の岩場を登り、とうとう宮之浦岳に到着した。登頂成功だ。時間は2時近くになっていた。ガスがかかり、九州最高峰1935mの頂上からは、残念なことにすばらしいはずの眺望が望めない。しかし、無事に登頂でき、何枚も記念写真を撮った。
 一段落して、ケータイを試みた。通話可能の表示が出るが、発信しても回線が繋がらない。「電波が弱いところでは、受信だけしかできない」と聞いたことを思い出した。
 淀川小屋泊まりを覚悟して降り始めた。先ほど休憩をした平地で、もう一度ケータイを試してみた。なんと今度は、朝頼んだ宮之浦のタクシー会社に通じた朝もらった名刺を取り出し、運転手の田中さんを呼んでもらった。電話の向こうから、「はっきり聞こえますよ。どこからですか」と意外そうな声が返ってきた。
 帰路はコースタイムでは4時間の行程だが、安全を見積もって6時間かかるとして、朝降ろしてもらった淀川入口に、「夜8時の迎え」を頼んだ。
 
     その三、ヤクシカとの遭遇
 雨に降られた道は、行きとは違い、滑りやすくなっていたが、淀川小屋に、六時半頃に着いた。多くのパーティーが楽しそうに、食事の準備をしていた。60名収容の小屋だが、この人たちで一杯になるだろう。小屋の中に入り、朝置いたリュックはどうかと探した。リュックをおいた部屋の隅は、きちんと一人分の寝るスペースが残されていた。鍵を取り出し、リュックを柱からはずした。このリュックの中に入れておいた二日分の食事から、ウインナーと濃縮カルピスを取り出した。小屋のそばの水場でくんだ水で、カルピスを割り、カルピスの甘さを堪能した。
 さあもう一息だ。淀川入口まではコースタイム40分の道だ。タクシーが早く来てくれることを願って、6時45分に出発した。
 屋久島は、神戸に比べて、西にあり、日の入りが遅い。空は七時を過ぎてもまだ明るいが、深い森の中では、そろそろ暗くなってきた。ヘッドランプをつけて、歩き始めた。かなり暗くなって、足元があやしくなってきた頃、急に懐中電灯の明かりが見えた。頭にはちまきを巻き、白いワイシャツを着たおじさんだ。なんと、連絡をしたタクシーの運転手、田中さんが、余分の懐中電灯を持って、迎えに来てくれたのだ。本当にありがたかった。これで今日中に、ホテルに帰って、風呂に入れると思い、ほっとした。    
 10分ほど歩き、タクシーが置いてある淀川入口に着いた。朝あった車は、一台もない。田中さんが、ごくろうさんと言って、屋久島の水で作ったという銘水紅茶を三缶くれた。銘水紅茶をしみじみと味わった。
 帰り道、田中さんからいろいろなことを教わった。
田中さんは、以前、環境庁の仕事で、小花之江河、花之江河の高層湿原保全のため、1800段の階段を作ったという。麓から板を運び、現在のような歩きやすい歩道を作ったことを、懐かしそうに語った。  
 しばらくして、田中さんが道の左側にヤクシカを見つけた。三匹の多分、家族だ。また、少したって、小さい斑点が残る子供のしかを見つけた。すぐ逃げようとせず、不思議なものを見るようにしてこちらを見ている。さらにまた二匹のしかを見つけた。
 ヤクシカは、増えすぎるのを防ぐために、適度に捕獲されている。鉄砲ではなく、猟犬を訓練して捕獲するという。犬は他の動物の臭いに大変敏感だ。しかは、前足よりも後ろ足が大変丈夫に出来ている。そのため、山の斜面を降りるのは、苦手だが、かけ登るのは大変得意で、追ってくる犬などを後ろ足で蹴り上げる。捕獲する場合、猟犬1匹では上の方に逃げられるから、二匹一組でヤクシカを追うという。人間が猟犬に指令を与えるため、車の右側を犬に走らせ、指示を与えるそうだ。一度見てみたい。
 田中さんが、宮之浦岳に登った時、投石岩屋の辺で少し、迷ったという。今回利用した地図の説明書にも「ここは霧にまかれると迷いやすいので注意しよう」とある。私たちも、ここで少しまごついた。
 数年前、宮之浦岳登山に挑戦した九州からの家族がいた。天候が不順で、夫と子供達は途中で引き返し淀川小屋で待機した。屋久島に何度か来ているという体育教師の妻だけが一人で頂上を目指した。山頂でシャッターを切ったという目撃者があるにもかかわらず、彼女は2度と戻ってこなかった。いまだにその女性は発見できていないという。
 屋久島の山は、深く、天候が本当に短時間で変わってしまう。今回の宮之浦岳登頂に成功したことをかみしめながら、ホテルに到着した。
 
     エコ・ツアーとしての屋久島
    
 今回、屋久島旅行はJTBのパック旅行だった。旅行パンフに、「屋久島エコツアー 専任ネイチャーガイドがご案内」と題して、5つのプランが提示されている。( )はガイド料込みの一人の代金。
 @縄文杉に逢いたい(14500円)A屋久島の原生林を歩こう(12000円)Bナイトエコツアー/ウミガメの産卵の観察(6500円)C珊瑚の森の散歩(17000円)D海の光とたわむれる(18500円)
 これを見ると、値段が少々高い気がするが、エコツアーが日本でも市民権を得つつあることがわかる。
 1993年12月、世界遺産に登録された屋久島は、一体どのように環境に配慮した村作りをしようとしているのだろうか?
 
 1991年、屋久島が属する鹿児島県では、21世紀に向けて、屋久島のあり方を考える屋久島環境文化懇談会を設け、屋久島環境文化村構想を打ち出した。その構想は「歴史的に蓄積されてきた屋久島の自然と人間との共生の原型を学び、新たな未来に向けて人と自然とのかかわりをくみたてなおすための試み」という。
 また、地元の2つの町議会でも1993年7月に、自然と共生し豊かな地域社会を目指し今後の村作りの指標となる「屋久島憲章」が議決された。
 屋久島環境文化村構想に基づき、主に一般の旅行者を対象に屋久島の総合的情報・交流施設として「屋久島環境文化村センター」と、環境学習のための施設として「屋久島環境文化研修センター」の2つが、建設された。この2つの施設は、共に1996年にオープンした。前者の「環境文化村センター」は、フェリーが入る宮之浦港のすぐそばにあり、後者の「環境文化研修センター」は、屋久島第2の港、安房から車で約5分の屋久杉自然館のすぐそばにある。
 
     環境学習と5つのモデルコース
 宮之浦岳に登った次の日、まず環境文化村センターに出かけた。
 その展示ホールは、@水の島ー屋久島A人々の世界ー海B人々の世界ー里C樹木の世界D神々の宿る世界という5つの視点で構成されていた。それぞれによく工夫されていた。ゲームコーナーもあり、屋久島関係のクイズが5問出され、全問正解だと、フロントでプレゼントがもらえる。もちろん家族全員、正解まで粘り、地図やボールペンなどをもらった。
 このセンターで、屋久島環境学習のためのモデルコースが5つ紹介されていた。その5つのコース紹介のパンフの最初に屋久島での「環境学習」を説明している。次のようだ。
 「環境学習とは長い時間の中でつくりあげられてきた自然の仕組みや、自然との人間とのかかわりを知ることを通じて、『自然をこれ以上損なうことなく、豊かな暮らしを築いてゆくにはどのようにしたらよいか』を学ぶことをいいます」。これは「持続可能な発達」という考えと共通している。
 この5つのコースは、@屋久杉の森の探訪/ヤクスギランド周辺A屋久島の川の探訪/宮之浦川周辺B滝と照葉樹の森の探訪/千尋の滝周辺C亜熱帯植物群やダイドプールの探訪/栗生港周辺D屋久島の海岸の探訪/永田浜周辺だ。(先ほどの地図に大体の位置を番号で入れました)。確かに、これらのコースで縄文杉だけではない屋久島の多様な自然が理解できるだろう。
 パンフには、環境学習を行う上での「基本ルール」(注意点)や、コースの学習ポイントもよく書かれている。しかし残念なことに、地図がもう一つわかりにくい。私は、ホテルから近い宮之浦川コースに挑戦したが、途中で迷ってしまった。
 
     研修センター、縄文水のヒミツ 
 次の日、屋久杉自然館のそばに出来た「環境文化研修センター」に出かけた。この研修センターでは、環境学習自主事業として、「屋久島自然体験セミナー」(2泊3日、年12回)、「一日研修」(島内の人対象、年10回)の他に、「屋久島ショートプログラム」(一般対象、1時間程度の室内レクチャー)を行っている。このショートプログラムは、夏休み中、毎日3時から行っている。これに参加した。
 受付で、受講料なんと100円を払い、視聴覚室に入った。どうも、受講生は私、一人のようだ。インストラクターは若い女性だ。
 レクチャーは、屋久島の成り立ち、海、雨、山岳、森、動物などについて、レーザーデスクによる映像の後、OHPで説明を受けた。色々な質問をした。
 最後の方で、研修センター作成の「屋久島を旅行するに当たって、お願い」という映像を見た。ここで「何故、屋久ざるに餌をやっては行けないか」に関して、島の産業であるポンカン、タンカンの被害について説明があった。この映像をみて、前日、団体が立ち寄っていた「環境文化村センター」で見たハイビジョンの映像を思い出した。そのハイビジョンでは、安易に自然と人との共生をうたっていた。「鹿2万、猿2万、人2万」といわれる屋久島は、実際は鹿3千頭、猿5千匹、人1万3千人であり、鹿や猿との共存に大変苦労している。この研修センターの映像の方が、一般の旅行者に屋久島のいい手引きになると思った。
 レクチャーの最後は、屋久島カントリーコード(
country code)の紹介だ。「島で暮らす人だけでなく島を訪れた人も屋久島での心がまえやルールがあります。これを”屋久島カントリーコード”と呼んでいます」。環境文化村センターでもらったビラには、このコードとして10の項目が示されている。
 ・人々の文化や暮らしを尊重する
 ・ゴミを捨てない、ゴミは持ち帰る
 ・野生動物にエサをやらない
 (中略)
 ・決められた道を歩く
 ・日帰り登山でも十分な装備をする
 どの項目も、極めて常識的なものだ。しかし、屋久島を訪れる旅行者に、これらのコードを示すことは、大変大切なことだろう。特に、金を払えば、何をしてもかまわないと考えている旅行者には、屋久島は何か違うと思ってもらえるだろうか。
 私が気になったのは、「ゴミ」の問題だ。私たちが泊まっている宮之浦のホテルは、全くこのカントリーコードが感じられない。本土の普通のホテルと、ゴミに関しては全く同じだ。旅行者は、自分たちが出すゴミを全く意識せずに、ホテルでの生活を送れるようになっている。
 レクチャーの最後に、「今、泊まっているホテルでは、ゴミの減量化の意識が感じられない」とインストラクターに質問した。彼女は少し当惑した顔で、「一般の旅行者には、何らかの働きかけができるが、民間の企業には、全く関与できていない。ただ、意識的なペンション経営者などは、講習を受けた後で、ゴミがでない弁当などを工夫して登山者に持たせているところもある」とこたえた。
 また、彼女は「外部からの、例えばいわさきグループなどは、あまりこういうことを考えていないようだ」と言った。そういえば、宮之浦の環境文化村センターでも、島の周囲を走る道でも、ヤクスギランドでも、いわさきグループの小型観光バスがよく目に付いた。このいわさきグループのホテルを使用しても、屋久島現地にはあまりお金が落ちないということだろう。
 私たちが泊まっているホテルでの事情も、よく似ている。私たちのホテルは、以前は国民宿舎だったそうだ。それを外部の資本、宮崎県の会社が買い取り、現在経営をしているという。
 「屋久島 縄文水」というブランド名のミネラルウオーターを、ご存じですか?屋久島の縄文杉にちなんで名付けられたものだ。この「縄文水」は、宮之浦上流、白谷雲水峡の付近で採水されている。これを扱っている会社は、どこだと思いますか?私は、てっきり現地屋久島の会社だと思っていた。しかし実際は、私たちが泊まったホテルと同じ会社が、この「縄文水」を販売している。これを、タクシーの田中さんから聞いて、毎日部屋の冷蔵庫にこの「縄文水」が2本ずつ入れられていることが理解できた。このホテルで私たちが使ったお金も現地屋久島にあまり流れずに、宮崎県へ還流していったことだろう。
 茨城県出身で屋久島にきて4ヶ月というインストラクターは、最後に「屋久島の人たちは、こうもしたい、ああもしたいと思っていることは沢山あります。しかし・・・・おかねがない」と、悲しそうに言った。
 現地の心ある人たちに、旅行者のお金が落ちるためには、パック旅行ではやはりだめだなあと思い、環境研修センターを後にした。
               (98.8.20、神戸にて)
(注) 屋久島環境文化村センターと、屋久島環境文化研修センターは、屋久島環境文化財団によって経営されている。この財団は93年に鹿児島県と屋久島の2つの町の出資によって設立された。研修センターは素泊まりも可能。ホームページはhttp://www.yakushima.or.jp/ (楽しいホームページです)。
 
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