ピョンヤンから天の川が見えた!
〜ピースボート訪朝記〜               チョン・ヤンイ 
 
 8月22日から約1週間、ピースボート(NGO)の水先案内人(要は講師)とし
て共和国へ行く機会を得た。私としては初めての訪問だった。
6月のキム・テジュン大統領訪朝から共和国のニュースが流れない日がないぐらい注
目を浴びているが、私自身もそうだが意外と共和国については知られていないと思
う。とは言え朝・日を取り巻く政治的な課題については喧しい。今回の旅行はできる
だけ「等身大」の共和国を見ようと決心した。
当初はピースボートチャーター船、オリビア号で東京発の予定が船の故障のため急遽
共和国船籍の万景峰92で新潟からの出発になった。22日午前10時前に新潟を出
航し23日の午後5時過ぎには入港予定の元山(ウオンサン)に到着した。以下キー
ワードを元に訪朝記を展開したい。
 
1、キムチ
 朝鮮料理といえばそう、キムチ。今回も機会あるごとにキムチをいただいた。食した
キムチの種類はキャベツとキュウリだけ。案内人に聞くと夏は白菜ができないとのこ
と。味はといえばお世辞にも美味しいとは言い難かった。我々が宿泊したホテルやレ
ストランは外国人用の高級なところばかり。なのに旨くない。味覚の違いではなさそ
うだ。ご存じの通り共和国は食料不足で人民100%がたら腹に食べられる状況では
ない。したがって、唐辛子や塩辛(キムチのうま味の元)が足りないのではないか。
今回のツアー中、田園風景を車窓から見る機会が幾度とあったが不思議と赤い唐辛子
畑が少ない。韓国なら8月下旬は赤い唐辛子畑が否応なく目に入る。推測の域はでな
いが、唐辛子よりも主食優先のせいではないだろうか。
 
2,スローガン
 共和国はスローガンが好きな国だ。かつての社会主義国も同じだったが。元山に上
陸した途端、目に入ったのがあっちこっちのスローガン。「電撃戦、殲滅戦、速度
戦」「労働党創建55年〜」「敬愛するキム・イルソン首領さまは私たちの心の中
に〜」数え上げればキリがない。でも、冷静に見てみると2つのパターンに集約され
るのではないか。1つは、キム・イルソンさんキム・ジョンイルさん親子個人崇拝のスロー
ガン。2つは労働党の具体的な指示スローガン。同行した日本人の学生さんがスロー
ガンのハングルを見て「ハングル酔い」をしていた。共和国ではハングル以外の看板
はない。ハングルを読めない外国人は正に「エイリアン」?
 
3,ピョンヤンから天の川
 ピョンヤンに来てビックリしたのは車と自転車が少ないことだ。200万人都市の
ピョンヤン人民はトロリーバス、地下鉄等の公共輸送機関を利用しているとのことだ
が、絶対数が足りないのではないか。そのため人民は歩く歩く歩く。夜、街灯がなく
てもへっちゃらの様子。街灯がほとんどなく車も少ない、しかもアパート内の電気は
暗めのワット数。
 26日夜のピョンヤンは快晴。ナント、ホテルから「天の川」が見えるではない
か。これほどの大都市で「天の川」が見えるとは。世界広しといえどもピョンヤンだ
けの現象だろう。私は理屈抜きに感動してしまった。   
※朝鮮民主主義人民共和国を共和国と略す。
 
4、戦争責任を考える=従軍慰安婦
 26日の午後はピースボート訪朝団がテーマ別で交流することになっており、私は
「元従軍慰安婦」聞き取り調査のコースに参加した。
 会議場はピョンヤンのど真ん中にある人民大学習堂(図書館)の一室。水先案内人
の西野瑠美子さん(フリーライター)のコーディネイトによって始められた。冒頭に
「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会から概括的な話があり続いて、金
英叔(キム・ヨンスク)さんから「慰安婦」の経験が語られた。金さんは「対策委員
会」から証言することを持ちかけられた時、悩んだそうだ。誰しもこんな悲惨な体験
を語りたくはない。
 一九二七年平安北道生まれの金さんは十三歳の時、日本人巡査に騙され無理やり
「慰安婦」にされた。あまりにも幼かった金さんは慰安所で「強姦」しようとする日
本の兵隊に何度か抵抗したそうだ。この時ある兵隊は抵抗する金さんに対して「朝鮮
のあまめ、その心臓を見てやる」といって胸を軍刀で切りつけた。この話をした瞬
間、金さんは着ていたチマ・チョゴリを脱いで私たちにその傷を見せてくれた。私は
その傷口を見た途端泣いてしまった。あまりにも惨い。九死に一生を得た金さんは日
本敗戦まで生き延びたが、同じ「慰安所」にいた二十五人もの「慰安婦」は五人しか
残らなかった。
 国連人権委員会の人権促進保護小委員会は八月十七日「従軍慰安婦」問題で、日本
政府は損害賠償などの「法的責任」を果たしていない、と指摘する特別報告官の報告
書を全会一致で「歓迎」する決議を採択した。同様の決議は98年にも行われてお
り、問題に対する日本の対応が、国際社会で改めて批判された形だ。南北朝鮮の「元
慰安婦」は未だに解き離れない恨(ハン)をいつまで持ち続けなければならないの
か。
 
5、終わりに
 短い期間ではあったが私には貴重な体験だった。指定されたコース(個人行動はで
きない)ではあったが、共和国の現状をほんの一部かいま見ることができた。
 朝・日国交交渉が始まり、南北朝鮮の和解が始まった。「変わらなきゃ」というテ
レビのCFではないが、日本も共和国も変わらなきゃ。それにしても日本の植民地の
戦後処理はその最たるものではないか。
 そう、在日朝鮮人生徒の「民族解放教育」も日本の戦後補償の大きな課題であるこ
ともお忘れなく!
 
(*^_^*)(^-^)(^_^)v(^_^)(^o^)(^_^)v
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